このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

「だあー、しまったあ!」
  気が付いたら時計は9時半をまわっていた。 待ちに待った初デート。 普段は時間にとてつもなくルーズな私めだが、 今回ばかりは絶対遅刻しないぞ、 と誓ったのに。 心臓なんかとっくに無くなったこの体だけど、 やっぱり心はドキドキしちゃって昨日寝付けたのは午前三時。 そりゃあ寝坊も無理は無いよね。 体内時計機能をつかえば良かったと大後悔。 普段は自分が人間じゃなくなった気がして絶対使わないのだけど、 こんな特別な日はプライドなんか捨てて、 この体のちからを充分に生かせば良かった・・・
  約束の時間は10時半。 まだ急げば間に合う。 化粧はちょっと恥さらしても電車ですればいいよね。 この日のために思い切って買い込んだかわいらしい服を消防士顔負けの速さで身に付けると、バックにさしあたって必要と思われるものを手当たり次第かきこんで家を出た。 ここまで五分。まだ間に合う。まだ間に合う。 駅までは普段はゆっくり歩いて15分なんだけど、今日は全速力。いくら走っても息切れもしない、 汗もかかないこの体が今は有難い。 カップラーメンが出来上がるくらいの時間で駅について、 自動券売機で切符を買おうとしてハタと気が付く。
「さいふ・・・忘れた・・・・」
  思わずその場にペタリ。 昔だったら、 こんな時涙が出てたな、 そういえば。
  気を取り直して何かないかとバッグにサイフ、 穴という穴(おいへんな意味じゃないぞ、コラ)を探しまわると、 救いの神のようにバックの内ポケから500円硬貨が登場。
  (助かった)そう思って切符を買おうとしたんだけど、 運賃表を見てまた青ざめる(いや、 いまの身体で青ざめるなんてことは絶対ないんだけど、気分として・・ね) 30円足りない・・・。 目的地までは530円、 何度確認しても530円。 ふと思い立った私は駅員さんのいる切符売り場に行ったのです。 手に取るは障害者手帳。
「すみません、あのう、これで・・・」
  最後のほうは、 ごにょごにょ言葉を濁してしまう。 つらいつらい一瞬だ。 手帳を見た駅員さんは、 ぎょっとして私を見て、 ふと憐憫の表情を浮かべてすぐ目をそらす。 この手帳を見た人の反応はみんないっしょ。 ああ、 かわいそうだな・・なんて冗談じゃないよ!
  私の障害者手帳には「義体化一級」なんて文字がご丁寧に赤字で書いてある。 義体化一級というのはつまり何でしょう、 えと、 自分の持ち物は脳みそだけってことです。 あとはぜーんぶ機械なの。 サイボーグ技術が日進月歩の昨今だけどさすがに一級という人はあまりいないみたい。 私の知る限りはね。 だけど日常生活には何一つ不便はないし、 普通の人より便利な身体だなって思う事も結構あるのに障害者手帳は逆差別だよね。 と、 いうことで私は極力これは使わない。 今みたいな非常事態を除けばね。 時には今日のように半額で切符が買えたりする役得もあるけど、 さっきみたいな何ともいや—な反応と引き換えだよ。 黙っていれば、 普通の人と見かけは何もかわらないんだから、 多少お金を払ったって、 できれば手帳は使いたくないものです。

  電車は幸い空いていた。 と、 なれば電車の中ですることは一つだけ。 バックをあけてコンパクトを取り出す。 眼鏡をはずして薄めにお化粧。 ああ、 最近の若い娘は電車の中で化粧なんてして恥を知らんのかなんて周りの人は思ってるんだろうな。
  恥ずかしいに決まってるだろ! でもデートにすっぴんで行くなんてもっと恥ずかしくて乙女の私にはとてもできません! しょうがないじゃん許してね。
  しかし、 この身体になってから化粧は正直楽になったわ。 なにしろ万年血色良好(ホントは血の一滴もかよっちゃいないんだけどね)に見える作り物の肌なんだから。 どんなに寝不足でも眼の下のクマなんてできることはないし・・・汗で化粧が落ちることもないし・・・ははは。
  あっ、 そうそう私の視力は右も左も0.1、 なので普段は眼鏡をかけてるんだ。 義体化一級の身体のくせに眼鏡かけてるなんて変でしょ? 目だってもちろん義眼だから、ホントは視力2.0でも5.0でもお好みで設定できるんだけど、 でも私はあえて0.1に設定してるんだ。 だってホントの身体を持ってた頃の私は目が悪かったのね。 その頃の感覚を忘れたくないからわざとそうしているの。 そうしたからって、 自分の身体が戻ってくるわけでもないのにへんなこだわりだよね。 我ながらそう思うわ。 お医者さんもそんなことするより、 早く新しい身体になじむように努力しなさいって、 そう言えばこの身体になりたての頃言ってたっけ。

  結局終点まで座っちゃった。 立っていても別に疲れるわけでもない私が生意気にも座席を占領しちゃいました。 ごめんなさい。 腕時計で時刻を確認しようとして、 それも忘れたことに気がついたので体内時計機能で現在時刻をチェック。 10時27分32秒だって。
  オッケーオッケー、 ギリギリ間に合った。 北崎君もう来てるかな?
「おーい、 八木橋さん、 こっちこっち」
  北崎君は改札横の喫煙所で煙草吸いながら待ってた。 あわてて走る私。
「ごめんごめん、 待った? 私、 急いで来たから財布わすれちゃったよう。 申し訳ない」
「大丈夫。 お金は俺が出すから心配するな」
「その代わり映画のチケット割り勘のつもりだったけど、 私がもつね。 何から何まで払わせちゃったら悪いもんね」
  はなっから男の金を目当てにしていたと思われるのも嫌なので、 すかさずフォローするあたり、 私もさすがだよね。
『新しい愛のカタチ』
  今日のデートの表向きの目的はこの映画を見ることなのでした。 事故で身体を失ってサイボーグになった少女と、 そのリハビリを担当した若い医師のラブストーリーなんだって。 いま、ちまたで結構はやっているみたい。 ちょっと前までは障害者・義体化一級の存在なんてタブーに近かったのに、 今じゃこんな映画をやるようになるなんて、 世の中ずいぶん進歩したよね。 いい傾向だ。 うんうん。
  でまあ、裏向きの目的としては、この映画をダシに北崎君のサイボーグへの認識を聞いてしまおうなんてズルいことを考えています。 北崎君とは、この前合コンで知り合ったばかりなんだけど、 同じ大学の医学部義体工学科の人なんだって。 ということでその時の合コンでサイボーグネタで意気投合した私たちは、 一緒にこの映画を見に来ることになったのね。 彼は私のことをまだ、 サイボーグネタ好きの普通の女の子と思っているみたいだけど・・・ 彼の反応次第では自分のことカミングアウトしてもいいかなと思ってるよ。義体工学科の人なんて普通のひとよりサイボーグに対して理解ありそうだから期待していいよね。

  映画は結構よかったよー。 私なんて自分の身体が身体だけに、 主人公の女の子に感情移入しちゃったな。 サイボーグの心理描写なんて 「うんわかる、わかる」 って感じだったもんね。泣きたくても泣けない身体なのが残念。

  で、 映画を見た後で二人は喫茶店に流れるわけだ。 お決まりのデートパターンだね。 二人してコーヒーを注文して、 しばらくは他愛もない世間話になるんだけどふとした瞬間に自分の正体がばれそうになって、 ギクリとしました。
「いま、何時だっけ」
  私の帰りの時間を気にした北崎君がふといった。 夕食は用事があるので帰るとあらかじめ言ってあったのだ。 ホントは用事なんてないけど、 この栄養カプセル以外は何一つ口にできない身体でレストランに行くのは、 拷問以外の何者でもないからね。
「15時37分22秒でしょ」
  不意に問われたので思わず即答してしまった。答えてからしまったと思う。
「ほんとだ。 あってるよ。 スッゲー。 八木橋さん何で時計も見ないで分かったの」
「いや、 ただなんとなく、 山勘かな? へへへ」
  背筋を冷たいものはちっとも流れなかったが、 精神的冷や汗をかいた一瞬。
「ごめん、コーヒー嫌いだった? 紅茶にすればよかったかな?」
  北崎君はカップに一口もつけない私に気を使って言ってくれたのかもしれない。 ギクギクッ! 残念はずれ! 嫌いじゃなくて、そもそも飲めません。
「そんなことないよー。まだ喉がかわいていないだけ」
  我ながら苦しい言い訳だよね。 カップじゃなくてマックのアイスコーヒーみたいに紙コップでコップに蓋がついてる店にすればよかった。 あれ飲んだふりができるから友達と行くときには重宝するのよね。 北崎君がトイレにでもいった隙に隣のテーブルにでも置いて飲んだことにしてしまおう。 うん。
  てことで、 自分の正体を隠すというのも、 気苦労が多いことなのだよ。 チミィ。

  さて、 いよいよ本題に入ります。
「でも、北崎君は将来義体医師になるわけでしょ。 この映画みたいな恋が実際生まれちゃったりして」
「あ、 でも俺的には恋人にするのはきっついかも」
  でてきたのは予想外の答え。 とまどう私。
「正直ベースで話するとさ、 事故なり病気なりで身体が機械になっちゃった人は、 可哀想だな、 とは思うよ。 でも恋人とか結婚相手としてはありえないよ。 だってさ、 俺は普段から義体みているから分かるんだけど、 義体ってどんなに人間そっくりでも結局のところ機械のかたまりだぜ? 結婚したって子供ができるわけでもないし・・・。 もちろん機械の中に人間の脳が入っているってのは理屈では分かっていてもやっぱり俺には人形にしか見えないかなあ。」
(はいはい、どうせ私は人形女ですよ。)
  ひょっとして私の表情あからさまに曇ったかも。 でも奴は気づかない。
「八木橋的にはどうなのさ? 好きな人がいたとしてさ、 例えばそいつが、 実は俺サイボーグなんだよね、 とか言ったらやっぱちょっと引かねえかな」
(別に引きませんが何か? 北崎君将来義体医師になるんじゃないの。 そんな、相手が人形なんて言ったら可哀想。 サイボーグだってれっきとした人間です。 あんた医師失格だわ)
  そう言ってやりたかったが、 そんな勇気もなく
「うーん、そうかもしれないね」
  と力なく苦笑する私。 この期に及んで生身のニンゲンであるかのように振舞ってしまう自分が恨めしい。 そこから先もまだ何か話したようなきがするが、 余りよく覚えていません。 ていうか、 忘れます。 今日の出来事はすべて。

  どこでどう別れたものやら、 全部うわの空。 気がついたら駅に向かって一人で歩いてた。
  冷静に考えれば北崎君の反応ってすごくフツーだよね。 誰だって機械女とつきあうのは嫌なんだよ。 気味悪いよね。 そうじゃなかったら、 私だって自分のこと隠したりなんかしない。まあ、 いつもの事だし今日だって別に大して期待してなかったし・・・。 そんないろんな想いが頭の中でぐるぐる回る。 思いっきり泣けたらすっきりするのかもしれないけど、 泣けない身体ではイライラがつのるばかり。 で、 駅について気がつくのでした。
「そうだ、私財布忘れてたんじゃんか・・・。 どうやって帰ろう・・・」

  どうせ疲れを知らないこの身体、 いっそ、家まで歩いて帰ってしまおうか? と思ったけど、 あわてて思い直す。 朝もかなり無理して走っちゃったし、 家に帰るまでには絶対バッテリーがもたないはず。 喫茶店かなんかに立ち寄ってこっそり盗電するにも、 そもそもコーヒー一杯頼むお金もないし・・・。 義体化一級障害者、 バッテリー切れで行き倒れなんて見出しで三面記事には絶対のりたくないよね。

  こんな時に限って友達の携帯は繋がらないし、 北崎には絶対助けられたくないし、 どうしよう。 迷った結果とりあえず駅の改札に行った。
「すみません、 あの、 宮の橋まで帰りたいんですけど、 財布を無くしてしまって切符が買えないんです。 お金を貸していただけないかと思いまして」
  私の顔をみた四十がらみの駅員さんはあからさまに面倒くさそうな顔をした。
「あのねえお姉さん。 お金を貸して下さいって簡単に言うけどねえ、 ここは銀行じゃないんだよ。 財布盗まれたんなら交番にでも行って借りたほうがいいんじゃないの?」
  言い方はともかく、 言ってることは正論だよね。 でもさあ、 かわいい娘が頭を下げて頼んでるんだから、 ちょっとは聞く耳を持ってくれてもいいんじゃない?
  救いの神はそのとき改札の向こうから現れました。
「あっ、貴女は」
  いまはラフな格好しているけど、 朝、 私の手帳を見た駅員さんだ。 間違いない。 勤務帰りかな。 私は無言で会釈した。
「おう、 藤原。 お前この娘の知り合いか? 丁度よかった。 この娘、 財布忘れちゃって切符買えないんだとさ 。知り合いってことならお前お金貸してやってくれないか?」
  そう言ったっきり、 さも忙しそうなふりをして奥のほうへ行っちゃった。
  無言で立ち尽くす残された二人。 藤原と呼ばれた若い駅員さんが沈黙を破るように言った。
「あの、 朝はすみませんでした」
「すみませんって何がですか?」
  なんで私こんな聞き方しちゃうんだろう。
「いえ、 あの・・・1000円お貸します」
  言葉につまった彼はしどろもどろになっちゃった。 ごめんね。
「ありがとう。 えーと、 私の連絡先はねえ」
  彼はさっと、 手帳とペンを出してくれた。 年は私と同じくらいかな。 もっとも私の見かけは高校三年くらいだから、 むこうはひょっとしたら私のことを年下と思っているかも。 かわいい顔してるし、 性格も良さそうだよね。
「八木橋裕子さんというんですね」
  私が手帳にすらすらとペンを走らせるそばから、 一字一字確認するようゆっくりと彼は言った。
「そう、 友達は私のことヤギーって呼んでる」
「あなたの携帯も教えて。 こういうことって私のほうから連絡するのがスジでしょう」
「そうですね」
  彼は嬉しそうに笑って、 手帳を破って自分の携帯番号を渡してくれた。 そして
「でも私から、 連絡しますから」
  とつけ加えた。
  最後に一つだけ、 どうしても気になったので確認しておく。
「朝の手帳のことですけど、 障害者・義体化一級の意味って知っていますか? 普通の人間に見えるかもしれないけど、 私はお人形さんですよ?」
「貴女は貴女でしょう」
  彼はそれだけ言うとまた笑った。 いい笑顔だよね。 つられて私も笑っちゃった。

  帰りの車中、 一人で笑ってる私がいました。 まわりの乗客は気味悪がってちょっと引き気味。 でも私は気にしませんとも。
  今日のことは全部忘れる? えーと前言撤回。 今日の出来事明日への活力。
八木橋裕子21歳一見フツーの女子大生、 明日も頑張るぞう!


このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください