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  私の部屋には風呂なんてありません。 だってもう今の私には必要ないから・・・。
  冷蔵庫もありません。調理器具もありません。 だってもう今の私には必要ないから・・・。
  私は築七十年のボロい木造アパートに一人暮らしです。 だってもう親も兄弟もいないから・・・。
  私にたった一つだけ、生きていくのに必要なもの、それは、お金です。

  今日は●●商事の面接の回答が来る日。 合格なら4時頃に電話がかかってくるはず。 と、いうことで私は藤原と遊ぶ約束も断ってアパート備えつけの骨董品ものの黒電話と睨めっこしています。 なのに、6時になっても電話が来ないのは落ちたということなんだろうな・・・・。 やっぱり。
ついでにいうと5時くらいに電話が鳴ったので喜んで電話をとったら藤原からだったので、 つい
「なんだ藤原か・・・」
と言ってしまい、 喧嘩になった。 憂鬱だ。
  八木橋裕子22歳。 就職戦線これで21連敗。
 
  きょうびの文系女子の就職活動はきついきついとは聞いてたけど、 実際これほどとはね。 正直私は焦っています。 私の場合、 就職先はどこでもいいというわけじゃないんです。 給料はできるだけ多くもらわないといけないんだ。 だから能力もないくせに一流企業に的を絞っちゃってるんで、 余計に厳しいんだろうね。
  別に私も見得で一流企業に入りたいわけじゃないの。 私は障害者・義体化一級、 世間でいうサイボーグというやつです。 ぱっと見、 普通の人と同じに見えるかもしれないけど、 もともとの自分の身体は脳みそだけで、 他は全部作り物の機械なんだ。 で、 そういう身体になっちゃうとさ、 いろんな定期検査を国から義務づけけられて、 そのたびにウン十万ってお金が飛んでくってわけ。 で、 思い出したくもない例の事故の時におりた保険金も検査のたびにどんどん減っていくし、 親兄弟もいない孤独な身の上でこの身体を維持してくには、 もう、 たくさんお金をもらえるいわゆる一流企業ってやつに入るしかないのよ。 こんな可哀想な身の上の女の子なら、 どこかの会社が助けてくれるだろう、 なんとかなるよね、 なんて、 軽く考えていたわけだけど、 現実はそんなに甘くなかったみたい・・・。
  でもね、 ホントのこというとね、 就職するのは簡単なんだ。 たかーい給料をもらってセレブみたいな生活するのも実はカンタン! 毎月サイボーグ協会から送られてくる会誌にはいろいろ就職案内が載ってるよ。 自衛官とか警察官とか宇宙開発事業団とかね。 ちょっと私の義体の設定をいじれば、 150馬力くらいだせるんだって。 で、 サイボーグ協会を通してその力をいかせるサイボーグならではの職業なら、 簡単につけるんだってさ。 最高のメンテナンスも受けられるし、 新しい部品に交換したり、 義体の交換も全部国が面倒を見てくれるんだって。
  でも私は絶対嫌だからね。 150馬力のセレブなんて死んでもなりたくないです。 私は人間で、 しかも女の子です。 私は八木橋裕子であって150馬力のスーパーガールじゃありません。 私は普通に生きる道を選びます。 あ、 でも義体は年相応の新しいやつに換えたいかも。 私は22歳であって高校生じゃないからね!
 
  うー、 話がそれてしまった。
 
  就職活動も21連敗もするとさすがに自分の駄目なところが見えてくる。 私の場合一番駄目なのは志望動機がゼンゼン言えないことだ。 そりゃあそうだよね。 ただ、 高給だっていうだけで、 いろんな業種をのべつまくなしに受けているんだから。 企業研究もきちんとして、 志望動機もちゃーんと、 言えるようにしないと受かるものも受からないよね。 そんなことを考えながら漠然と就職情報誌をパラパラめくっていると
「イソジマ電工」
  という文字が目に入った。
  いそじま、 いそじま、 えーとなんか聞いたことあるような、 あるような。
  ああ、 私の義体はイソジマ製だったっけか。 そういえば。 私の義体を造っている会社を受けるのも面白いかもね。 幸い書類選考の締め切り日にはまだ間に合うタイミングだったので、 早速私は エントリーシートに記入を始めたのでした。

  第一次選考の書類選考は自分で言うのもなんだけど完璧な出来だったと思う。 何しろ私がお世話になっている義体を造っている会社だからね。 最初は死ぬほど嫌だったこの機械の身体も、 6年間も連れ添うと不思議な愛着が湧いてくる。 まさによき相棒ってかんじかな? と、 いうことで、 この相棒のいいところも、 嫌なところも身をもって体験しているからよーく分かっているぶん、 言いたいこと、 思うことは山のようにあって、 その思いのたけを選考用紙にぶつけたよ。

  もちろん、それだけじゃ一人よがりの文章になってしまうので、 業界のこともいろいろ勉強したということも、 アピール。 この分野は世界でも日本が一番進んでいて、 イソジマ電工は、 業界一位のギガテックス社についで二位なんだって。 ギガテックスとイソジマ電工と二社で、 全世界で生産される義体の七割を占めているんだってさ。
  ただ、 両社のコンセプトは正反対で、 ギガテックスの全身義体はロボット技術の延長として生まれたもので、 主に軍事用、 宇宙開発用などの専門分野で活躍する義体に強く、 イソジマ電工の全身義体は義手、 義足や人工臓器などの医療技術の延長として民生用として発達してきたことが大きく違うんだって。 だけど、 いまは両社の間に昔のような明確な棲み分けはないみたいで、 専門分野にもイソジマ電工の全身義体は進出しているし、 民生用の全身義体にもギガテックス製が出回っていて、 シェアトップをめぐってお互いにしのぎを削っている状況だってさ。 そのあたりのこともさりげなく、 分かっているんだよって感じにうまーく文章に織り交ぜました。
  どうです、 完璧でしょう。
  ただ、 自分がイソジマ電工の義体使用者だってことは隠して書かなかった。 いままで、 自分が障害者でサイボーグですなんて言ってもいいことなんてなかったからっていうのもあるし、 自分の身体をたてにお涙頂戴ストーリーを仕立て上げるなんて卑怯なんじゃないだろうかっていう想いもあったしね。

  手ごたえはあったとはいえ、 面接試験の案内がボロアパートの半分赤く錆びたポストに入っているのを見たときはさすがに嬉しかったなあ。 連敗記録もすでに24まで伸びていたしね。
  勝負の時は午後2時、 場所は東京新橋汐留町イソジマ電工本社ビル42階会議室D。 黒いスーツでシックにきめて、 メークもばっちり、 おまけに充電もばっちり。 八木橋裕子22歳、 天王山にいざ出陣。

  イソジマ電工本社ビル入り口は、 学生らしい不似合いなスーツ姿の男女でごったがえしていた。 なになに、 何でこんなに人がいっぱいいるわけ? 入り口には私が一番嫌いなものがあった。 飛行場によくある金属探知機。 金属を身につけたままゲートをくぐろうとすると、 ピンポン鳴るあれね。 それで、 不慣れな学生があわてて財布やら携帯やら身の回りの金属製のものを取り外していたんで、 行列になっているんだ。 社員らしい人は虹彩登録されているらしく、 ほとんどフリーパスで、 あたふたしている学生を横目にスイスイ中に入っていく。 で、 全身金属の固まりの私はどうすればいいのかな? のっけから嫌な予感。
  列に加わるか、 どうしたものか悩んでいると、 列の先頭にいた小柄な女の子が警備員に手帳を出して何かこそこそ話してる。 それで、 ゲートはくぐらず、 横から通してもらってる。 あれって私と同じ障害者手帳だよね。 ってことは彼女も義体なのかな? 私は自分以外の義体の人とは、 テレビとか協会の会誌以外では検査病院でしか見たことない。 町のどこかですれ違っているのかもしれないけど、 お互い別に私は義体ですなんて言い合ったりしないからね。 でも会社が会社だけに、 私以外の義体の娘が面接受けにきても不思議じゃないよね。 なんか親近感湧いちゃうな。 でも、 あの娘ずいぶん堂々としてるな。 私はあんな人がいる中で手帳を出すなんてできないよ。 誰も気にしないのかもしれないけどさ。

  私は相いも変わらず臆病者なので、 しばらく入り口付近で友達にメールするふりをして時間潰しをした。 で、 列に誰も並ばなくなった頃合を見計らって、 意を決してゲートの前に行ったわけです。 携帯とか腕時計とか念入りに眼鏡とか、 一応身につけていた金属製のものを全部外して、
(奇跡よ起これ!)
  何を血迷ったのかそのままゲートの強硬突破を試みた。 で、 無情にもブザーが鳴るわけだ。 当たり前だっつーの。
「他に身につけているものはありませんか」
  警備員のおねーさんが慣れた調子で私に声をかける。 はいはい、 身につけているものありますよ、 この身体全部でーす。 渋々、 一番人に見せたくない、 見られたくない例の手帳を警備のお姉さんに見せた。
「はい、ではこちらをお通りください」
  お姉さんは顔色も変えずに、 横の通路に誘導してくれた。 やっぱりこういうところだから、 私みたいな全身義体の人も結構来るんだろうか。 なんだか対応慣れしている感じ。
「お手数ですが、 足元の黄色い線を真っ直ぐ線が途切れるまで歩いてくださいね」
  言われたとおり、 白亜の大理石の床に不調法に引かれた黄色い線の上を10mほど歩く。 まあ、 どこかでこの身体がスキャンされているんだと思うと嫌な感じだけど、 ルールはルール。 仕方なく、 できるだけ早く歩いて検査終了。 荷物を受け取って面接会場の42階D会議室に急ぐ。
「高校生の一般職募集の方はこちらですよ」
  42階といってもやたら広くて、 エレベーターホールの地図を見ながらまごついている私に、 社員らしい若い男の人が声をかけてくれた。 嬉しいけど、 私は高校生じゃないってば!
「いえ、 私、 大卒総合職の面接会場のD会議室に行きたいんですけれども、 どう行けばいいのでしょうか?」
  こういうときはにこやかな笑顔でね。 この社員さん、 愛想よくD会議室入口の受付まで連れて行ってくれた。 で、 去り際に一言
「頑張ってね」
うん、 いい会社だ。 ますます入りたくなったぞ。
  受付で葉書を渡すのと引き換えに通された会議室は待合室みたいな感じで、 きれいに並べられた椅子に学生がパラパラ座って、 イソジマ電工の企業案内を見たりしてる。 みんな緊張気味かな? そういう私も多少緊張してるけど、 心臓がなくてドキドキしないぶんまだましかもね。 こういうとき機械の身体ってありがたいよね。 まあ、 人間らしくないといえばそれまでなんだけどさ。 まわりを見回すと、 さっき入り口で見かけた義体らしい女の子もいたいた。 真面目に企業案内を読んでるよ。
「八木橋さん、内海さん、佐藤さん、竹内さん、田中さん、お隣の面接室にお入りください」
  時間ギリギリにきたせいか、 待つほどもなく私の名前が呼ばれて、 いよいよ面接室へ。 私と一緒に入るのは男の子が三人と・・・あの女の子だよ! どんな娘なんだろう。 でもそんなことよりまずは自分のこと、 頑張らなくちゃ。
  コンコン。
「失礼します!」
  通されたのは20畳くらいの明るい部屋。 全面ガラス張りの大きな窓の向こうには東京タワーが見えた。 面接官は三人いて、 若い人は30代後半、 一番年かさの人で50歳のちょっと手前って感じ。 まあ、 私に言わせればみんなおじさんだよね。 で、 私たち学生は、 おじさん達と向かい合うように促されるままに着席して、 面接がはじまったわけです。
 「まず、自己紹介からどうぞ。 では一番左の貴女からお願いします」
一番手は例の女の子だった。 いったいどんな事を話すのかな? 気になってチラっと横目で彼女を見た。 目が大きくて猫みたいな顔をした子だな。 でもちょっと緊張してほっぺたが赤くなってるみたい。
「東西大学の田中美和と申します。 実は私の足は両方とも本当の足じゃありません。 本当の足は18歳の時に事故が原因で切断してしまいました。 高校時代の私は、 こう見えてもバレーボールの選手で、 セッターをやっていて全国大会に出場したこともあります。 本当にバレー漬けの高校生活でした。 そんな私が両足を失ってしまったんです。 昔だったら、 もう二度とバレーなんてできないですよね。 でも、 失った足の代わりに新しい足が私についたんです。 もうお分かりですよね。それが、 御社で作られた義足でした。 だけど最初は半身半疑でした。 作り物の足が本当に自分の思い通りに 動くのかって・・・。 でもちゃんと動くんですね。 飛んだり跳ねたりできるんですね」
  彼女の話を聞いて、 私は正直げんなり。 あーあ、 目なんかうるうるさせちゃって。
今のご時世で義足ごときでお涙頂戴ストーリーですか? ちゃんちゃら可笑しいよね。 はっきり言って聞いてられないよ。 自分の身体をダシに使うのはフェアじゃないって思いが私にはあるものだから余計に、 ね。
「八木橋さん、 何か言いたいことがあるのかな?」
  おじさん達の中でも一番若い人が、 突然私に言った。 言い方は穏やかだったけど、 表情は険しい。 やばい、 思っていることがそのまま顔にでちゃったかな・・・
「いえ、 その・・・その・・・」
  今思っていることをそのまま口に出せるわけない、 かといってとっさに言い訳も思いつかない。
「大丈夫です。 こういうことには慣れてますから」
  毅然とした口調でバレー女が言った。 なにそれ、 ひょっとして、 これって私が義足のバレー女を 差別してるって図式? おーい、 冗談でしょ。 私だって義足だよ。 あんたみたいにおおっぴらに言わないだけでさ。 動揺する私にかまわず、 彼女は続けた。
「大学に行っても、 やっぱりバレーは続けたくてバレー部に入りました。 始めのうちは、 みんな義足ってことで気を使ってくれたけど、 だんだん態度が変わってきました。 『あなたはいいわよね。 苦しい練習しても疲れないし、 筋トレだってしなくてもジャンプ力は衰えないんでしょ? ほーんと羨ましいわ』 面と向かっては言わないけれど、 みんな影ではそんなこと言ってました。 試合にも出してもらえませんでした。 だから、 監督に聞いたんです。 どう考えても自分のほうがうまいのに、 どうしてあの娘が正セッターなんですかって? そうしたら、 監督は言いました。 君は義足だ。 つまりジャンプ力も設定次第でいくらでも変えられる。 つまり君を出すと相手チームからクレームがつく。 だから、 申し訳ないが試合には出せないと・・・。 ご存知かと思いますが、 セッターはそんなにジャンプ力を重視するポジションではありません。 それでも駄目なものは駄目なんだそうです。 私は一回両足を失って、 でも自分では元通りになったと思っていました。 けれど他の人から見ればやっぱり違っていたんです」
  だから目をうるうるさせるなっつーの。 バレー女はまだ話し続けてる。
「申し訳ございません。 この足には本当に感謝しています。 義足のことを批判したいんじゃありません。 私は、 義足に再び生きる喜びをもらったのと同時に、 身体の一部分が機械になってしまった苦しみもよく分かっているつもりです。 御社ではその経験を生かしてケア・サポーターとして働きたいと思っています。 そして、 もし許されるのであれば、 御社のバレーボールチーム『ウイングス』に入りたいと思っています」
  そこまで言うと、 バレー女はようやく一息ついた。
  ケア・サポーターっていうのは、 義体になった人の心理面をサポートするイソジマ電工独自の役職だ。 かくいう私も義体になった当初イソジマのケアさんにいろいろお世話になっていた。 眼鏡をやめろ、 やめろってちょっとウザかったけどね。 で、 私がイソジマ電工で働くなら、 やっぱりケア・サポーターって考えてた。 自分の義体の構造だってロクに知らないという、 機械オンチの私でも勤まりそうな職種って他にないもん。 もちろんそんな消極的な理由は、 おじさん達の前で言う気はないけどさ。 いまのバレー女もそうだけど、 やっぱりこの会社を受ける女の子はケア・サポーターの志望が多いのかな。
「弊社のケア・サポーターも、 実際に義手や義足の者は少ないです。 貴女みたいに、 自分も義足だという人が励ますと言葉に重みがでるかもしれません」
「ウイングスは最近二部落ちしてしまったからなあ。 貴女みたいな元気な娘が入ってくると、 活気が出るかもしれないな。 ただウイングスは広告塔としての役割も負っているわけで、 もしも貴女がウイングスに入ったら当然弊社の義足をつけているってことで、 おおっぴらに宣伝させてもらうことになるかもしれないが、 そういうのって抵抗はない?」
  おじさん達すっかりバレー女をお気に召したみたい。 まだ一次面接なのに入れるって前提で話しちゃってる。 でもって私は減点だよね。 間違いなく。 どうしよう、 どうしよう。
 面接は滞りなく進んでいくが、 私は先ほどの失敗のことで頭がいっぱいになっちゃって、 男の子たちが何を話したものやら、 ちっとも頭に入っていかない。
「じゃあ、 次は八木橋さん。 どうして弊社を志望したのですか?」
「はっ・・・はい」
  話をふられて、 ふっと我にかえった。 えーと、 しぼうどうき、 しぼうどうき。昨日夜中の三時まで寝ないで考えたじゃない。 落ち着け、 私。 こういう時、 もう必要ないのに反射的に深呼吸をしてしまうのは、 やっぱり身体は無くなっても脳の奥底に身体があったころの記憶が残っているからなんだろうな。
「星修大学の八木橋裕子です。 私が御社を志望しましたのは、 『もっと、もっと本当の身体に近づきたい』という御社の経営理念に惹かれたからです。 今の全身義体はハード面では生体とほぼ同じ機能を持つまでになっています。 いえ、 ある意味では生体以上と言ってもいいかもしれません。 つまり不幸にも何らかの事情で自分の身体を全て失っても、 一応は普通の人と全く同じように生きていくことができるばかりか、 普通の人にはできないようなことが全身義体ではできてしまったりします。 これは御社を始めとする多くの義体製造企業の努力の結果だと思います。 ただ、今の全身義体は、 外見こそ普通の人と同じですが、 食事ができなかったり、 すぐに電力が無くなって動けなくなったり、 普通の人と比べてとても重かったり、 子供を作ることができなかったりと、 ソフト面についてはまだまだ普通の身体と比べて違うところがたくさんあるようです。 そして、 その違いが全身義体となった人の心に深い傷をつけているということも聞いております。 しかし、 多くの企業はコスト重視で、 全身義体使用者のこうしたソフト面の向上を重視していません。 そんな中、 御社は、 他社に先駆けてケア・サポーターという、 医師とは別に義体を心理面からサポートする役職を作ったり、 最近では汗をかく全身義体を開発したりと、 いかに人間らしく生活してもらうかということを重視して、 義体のソフト面に、 より重点を置いているように見られます。 そして、 それこそが本当に全身義体になってしまった人たちが本当に望むものと合致するのではないかと思います。 身体を失ってしまった人の気持ちを親身になって考えてくれる企業、 そんな御社で私はケア・サポーターとして働いてみたいのです」
  実際にはこんなに流暢には言えてないよ。 あたふた、 あたふた、 つっかえつっかえだったけど、 でも何とか言いたいことは言えた・・・と、 思う。 だけど、 おじさん達の反応はあまりいいとは言えなかった。

「ひょっとして君、 『新しい愛のカタチ』って映画見た? 最近多いんだよね。 あの映画を見て全身義体に関心をもつ子がね。 とくに女の子にね。 で、 まあ、 あの映画のせいで、 全身義体っていうのは余りにも非人間的すぎてかわいそう、 なんて世論が盛り上がって、 ウチも例の汗をかく義体ってのを作ったんだけど、 これがあんまり売れなかったんだよね。 実際は全身義体の人は大抵自衛隊とか警察とかね、 そういった義体の能力を存分に発揮できるところに行く人ばかりだから、 職業柄、 身体に君が言ったような余計な機能をつけるのは、 かえって嫌がられることのほうが多いんだよ。 もっと勉強してね」
  これは面接官の中で一番年かさの、 意地が悪そうなバーコードはげの親父の意見。 全身義体の私に向かって勉強がたりないとは、 よくぞ言ったもんだ。 全身義体の人たちだって、 好き好んで自衛隊とか警官になっている人たちばかりじゃなくて、 それしか仕事がないから仕方なくやっている人だって大勢いるの。 汗をかく義体だって、 できた当時みんな欲しがったのに、 国からの義体交換機種の対象外だったし、 保険が効かないから、 それはもうものすごい値段だったわけ。 買いたくても誰も買えなかったの。 そんなことくらい、 サイボーグ協会の協会誌読めばすぐわかるじゃん。 あんたこそ、 勉強してよね、 この薄らハゲ。 と、 言いたかったけど言えない。

「八木橋さんの言う全身義体の品質向上は、 確かに今後検討すべき課題だと思います。 ですが、 全身義体を必要とする患者の総数は義体を必要とする患者の総数の1%程度に過ぎません。 義体を使用する患者の99%までが、 田中さんのような部分義体の使用者です。 これは、 全身義体独自の技術開発にはコストが非常にかかる割には、 利用者は非常に少ないということを意味しています。 利用者の大部分を占める部分義体ユーザーと、 ごく少数の全身義体ユーザーでは、 どちらを重視するかは言うまでもないでしょう。 また、 全身義体は部分義体の集合体です。 部分義体で開発された技術は全身義体に必ず反映されます。 結局全身義体の技術そのものは、 部分義体で培った技術の集合体ということを忘れてはいけないと思います」
  これは、 年でいえば三人のうちの真ん中、 一番影が薄い貧相な眼鏡親父の意見。 はいはい、 1%の人を相手にするのはコストがかかるから無視しようということですね。 ごたいそうな企業理念を唱えておきながら、 結局は他社とたいして考え方は変わらないということですか? って言いたかったけど言えるわけない。

 「全身義体を開発する一番大きなメリットは企業広告としての役割です。 全身義体の成果は派手ですし、 マスコミの注目度も部分義体と比べて段違いに大きいですね。 映画の題材にもなりましたし、 ニュースネタにもなりやすい。 例えば、 ウイングスのスーパーエースの深町さんが全身義体ということは、 世間では広く知れ渡っています。 マスコミが何かと取り上げてくれますからね。 深町さんの一挙一動は同時にイソジマ電工がこれだけのことができるという宣伝にもなっているわけです。 全身義体の技術開発というのは、 そのものが生み出す利益よりも、 どちらかというとこうしたニュースが巷に流れることによる企業イメージのアップの部分が大きいのです」
  これは、三人のうち一番若いおじさん、 私的には結構いけてる顔だと思うんだけどね、 の意見。 でもいけてるのは顔だけだった。 言ってることはある意味一番残酷だよね。 つまり、 企業にとって全身義体の開発は、 客寄せパンダ的な意味合いしかないということだ。 私はパンダと一緒なんだ。見世物ってわけね。 今度、 見世物小屋でも開いてあげようか? 恐怖、 人形女ってね。 はは。

「君は、 全身義体にいろいろ関心を持っているみたいで、 それはそれで嬉しいんだけどね、 さっき田中さんにあんな態度を取っていているような君に、 義体の人が心を開いてくれるとは思わないけどね」
  また、 バーコード親父だ。 全く腹立つよね。 おじさん達は、 全身義体の見た目の技術の派手さに目を奪われた素人さんをたしなめてやった、 くらいにしか思ってないのかもしれないけど、 今まで言われたことは全身義体の私にとっては心に突き刺さるようなことばかり。 怒っちゃいけない、 怒っちゃいけないと思って、 ひたすら耐えておとなしくしていたのに、 あまりの言われように一瞬だけ理性が飛んじゃった。
「どうしてあなたにそんなふうに決め付けられなければいけないんですか?」
  思わず興奮して立ち上がってしまう私。 そして、 立ち上がってから気がつく。 何をやっているんだ、 私は。 こんな圧迫面接の罠に今まで何度もはまっては失敗してきたじゃんか。 馬鹿、 馬鹿、 私の馬鹿。
「失礼・・・しました・・・、 何でも・・・ありません」
  取り返しのつかない失敗をしたことに気がついた私は、 蚊の鳴くような声でボソっというと、 椅子に崩れ落ちるように座ったのでした。
「!!!!!!っ」
  バキッ!ドシン!
  その座り方がよくなかった。 倒れるように座りこんだものだから、 やわなパイプ椅子は重—い私の体重を支えきれずに潰れちゃった。 勢い余って見事な尻餅をつく私。 おじさん達もバレー女も男の子達も、 み−んな私を見て絶句してる。 泣きっ面に蜂とはこのことだ。 泣けないけどね。 生身の身体だったら、 悔しさやら恥ずかしさで顔が真っ赤になっていただろうな。 きっと。
  見かねた若いおじさんが、 社員を呼んで新しい椅子を持って来させてくれた。
「あら? ひょっとして、 あなた八木橋さん?」
  椅子を持ってきてくれた女性社員は私の顔を見て驚いている。 この巻き毛の女性、 どこかで見たことあるような。
  私がまごついていると彼女は
「眼鏡はやめなさい!」
  と言って、 いたずらっ子のように笑った。
「汀さん!」
  間違いない。 タマちゃんだ。 私が親も兄弟も、 自分の身体もなくしてしまったとき、一生懸命リハビリに付き合ってくれたイソジマのタマちゃんだ。 眼鏡はやめなさいとうるさく言っていたタマちゃんだ!
「汀君。 君は彼女と知り合いなのかね」
  バーコード親父は怪訝そうに私たちを見た。
「斉藤部長、 知り合いも何も、 彼女は私がケア・サポーター時代に担当した患者さんで・・・」 
「汀さん、 お願い、 言わないで」
  私はあわてて言葉を被せた。 汀さんもはっと気がついて話すのをやめた。 でも遅かったみたい。
「汀君はケア・サポーター時代、 全身義体の患者の担当だったな。 八木橋君、 ひょっとして君は・・・」
  斉藤バーコード部長は気づいちゃった。 全身義体だって隠すつもりだったのに、 ばれちゃった。タマちゃんはきまり悪そうな顔をして
「外で待ってるから」
  と言い残して面接室から逃げるように出ていった。

  私が全身義体の障害者だとわかったとたん、 その場の空気が凍って、 そのあと誰もしゃべらなくなっちゃった。 いつものことだから、 もう慣れっこだけどさ。 面接官は三人で集まって何かひそひそ相談してるし、 バレー女や、 男の子達はというと・・・あー、 みんななんとも言えない例の目つきで私の事を見てくれるねえ。 憐れみとか同情とか、 いろんな感情がいっしょくたになったような、 あの目つきね。 まあ経験したことない人には分からないかもしれないけどさ。 いいんだよ、 そんなチラチラ横目じゃなくて、 この際もっとじっくり観察したらどう? 人間とどこが違うのかってさ。 お人形さんを間近で見れるいいチャンスじゃん。 はは。
  ようやく相談が終わったのか面接官三人は自分たちの席に戻った。
「私は義体開発部の部長を務めております、古堅(ふるげん)と申します。 まさか、 八木橋さんが弊社の全身義体ユーザーとは知らなかったものですから、 知らなかったこととはいえ、 先ほど失礼なことも申し上げたと思います。 申し訳ございませんでした」
  面接官の中では一番若手のおじさんが他の二人を代表するような形で、 まあ、 謝罪というのかな、 一応それらしい言葉を言い繕った。 でもね、 古堅部長、 あなた目が謝ってないよ。 なにたくらんでるの?
「そこで折り入ってお願いですが、 八木橋さん、 弊社の商品開発に協力していただく気はありませんか?」
  ほらきた。
「えーと、 商品開発といっても、 私は文系ですし、 専門知識は何も持っていないのですが・・・」
  だいたい、 商品開発っていっても要は義体の開発でしょ。 なんだかものすごーく嫌な予感がするんですけど。
「あなたに、 その知識がなくても大丈夫です。 それに、 その成果は当然あなたの義体にもフィードバックされます。 悪い話ではないと思いますが」
  古堅部長、 悪い話かどうかを判断するのは私なんですけど。
  斉藤バーコード部長が口を挟んだ。
「いやねえ、 全身義体の人っていうのは、 大抵は自衛隊とか警察とか、 そういったところの特殊技官として就職しちゃうわけでしょ。 あなたみたいに、 ウチみたいな一般企業に就職しようって人自体がもう稀なの。 新しい義手でも義足でも、 全身義体でもね、 開発には試作品を、 被験体・・・あわわ、 えー、 実際に義体の方に装備してもらって細かい調整なんかをする必要があるんだけどね、 自衛隊や警察と太いパイプがあるギガテックスと違って、 ウチにはそういった人材が決定的に不足しているわけ。 で、 八木橋さん、せっかくウチの義体を使ってもらって馴染みもあることだし、 そういった仕事はどうかなって思ったわけだ」
「それは、つまり私に全身義体の実験台になれということでしょうか?」
「実験台なんてそんな・・・」
  もごもごと弁解を始める斉藤バーコード部長を制して、 古堅部長は冷たく言い放った。
「端的に言えばそうなります。 駄目ですか?」
  結局この人達は、 私の人間性を必要としているわけじゃない。 私が全身義体だから必要なんだ。 義体の中に入ってる脳みそなんて、 誰だっていいんだ。 そう思うと悔しさがどっとこみ上げてきた。
「駄目です。 嫌です。 絶対に嫌」
  言い切っちゃった。 これでイソジマ電工へ就職する芽は多分なくなっただろう。 でも、 いいや。 たとえ、 たくさんお給料もらっても、 体をいろんな機械に繋がれて実験台にされるなんてとても私には耐えられそうにないよ。 まだ他にも会社はいくらでもあるよ。 そう開き直ってしまうと勇気が出た。 このさい、 言いたいことを言ってやれ。
「私は人間です。 体のほとんどが機械かもしれないけど、 それでもやっぱり人間なんです。なのに、どうして、 実験動物みたいに扱われないといけないんですか? 全身義体の開発にはコストがかかるですって? 何もかもコストで決めるんだったら、 ごたいそうな会社理念なんて掲げないで下さい。 あなたがたは、 私達全身義体の使用者が人間らしい暮らしができなくてどんなに苦しんでいるか分かっているんですか? 友達と一緒に、 彼氏と一緒に食事にもいけないんだ。 今のままでは余りにも周りのみんなと違っていて、 影でお人形さんとか言われて蔑まれて・・・・私だって、 私だって、 もう一度おいしいご飯を食べたいんだ。 思いっきり泣いたりしてみたいよ。 私はずーっと私が全身義体だって言うつもりはありませんでした。 だって、 だって、 いつもそれを言うと周りの私を見る目が変わるから。 普通に接してくれなくなるから。 結局、 今日だってそうでしたね・・・。 こんな我侭娘を面接していただいて有難うございました。 さようなら」
  思いのありったけをおやじ達にぶちまけた私は、バックを掴んでそのまま部屋から飛び出した。
「八木橋さん、どうしたの!」
  外の廊下で私が出てくるのを待ち構えてたタマちゃんは、 一目見るなり私の尋常じゃない様子を感じ取ったみたい。
びっくりして目を見開いて、 ただでさえ高い声なのに、 いつもよりよりいっそう高い、 まるで小鳥のさえずりみたいな声を張り上げた。
(ごめん、 タマちゃん。 今はほっといて)
  私は引きとめようと伸びるタマちゃんの両腕を何も言わずに振り払ってエレベーターに向かって駆けていった。

  武南線の菖蒲端の都会の垢をそのまま染み付かせたような薄汚れた洋館建築の駅舎の前で私はぼんやり立っていた。 到着した電車が、 どっと乗客を吐き出し、 その人の波が私自然に駅の隅っこのところどころ装飾が欠けた太い柱のところまで、 押し戻した。 家に帰ろうと、 菖蒲端まで来たものの、 なかなか帰りの切符が買えないで、 さっきから切符売り場の前を人波を避けて右往左往している私。 なぜって、 家に帰りたくないから。 誰が待っているわけでもない、 薄暗い、 生活感のない冷たい部屋に、 もう慣れっこだと思っていたけど、 今日は帰りたくなかった。 出ないと分かっていて、 つい藤原に電話してしまった。 案の定、 携帯はつながらない。 そうだよね。 駅員さんが勤務中携帯なんか話せるわけないよね。 ただ、 それを再確認するためにかけたようなものだ。
  あきらめて家に帰ろうと思った矢先、 スーツの胸ポケットの中で携帯が震えた。 藤原だ。 藤原だ。
「もしもし、 裕子さん。 今、 トイレ行くっていって抜け出して電話してる。 結果が気になったからさ。 面接はどうだった?」
「藤原・・・・・・」
  そのあとの言葉が続かない。
「もしもし、 裕子さん、 もしもーし」
「・・・・・・・私、 駄目だったよ」
  電話の向こうの声が途切れた。 多分、 なんて慰めようか考えているんだろう。
「ねえ、 藤原。 今から会えないかな?」
  藤原が口を開くより先に私は言った。 まだ四時前だったけど、 駄目もとだ。 寂しくて、 寂しくて、 声を聞いたらとにかく無性に藤原の笑顔が見たくなった。
「えっ! 今から? いや、 まだ仕事中だしさ。 ちょっと無理だ」
「そうだよね。 ごめんね」
「でも今日は七時びけのシフトだからさ、 その後なら会えるよ。 何して遊ぼうか? 映画でも見る? それとも駅前のヤマイデパートに買い物に行く? まだ閉店には間に合うぜ。 骨董品買うのにつきあってもいいや。 好きだったろ、 そういうの」
  藤原は、 私と遊ぶとき決してご飯を食べない。 お腹空いているだろうにいっつも我慢してくれるんだ。 今日だって、仕事終わってお腹空いてるはずなのに、私が行きたそうなところにつきあってくれるつもりだ。 有難う。 私みたいな機械女と知り合ったばっかりに、 いつも苦労かけてごめんね。
「ううん、 私、 菖蒲端で藤原が帰るのを待ってるから」
  菖蒲端は私の住んでる宮の橋に行く武南電鉄のターミナルで、 ちょっとした歓楽街もある。 ちなみにいうと、 藤原の住む武南電鉄の独身寮もここにあるんだ。
「菖蒲端で待ってるって? 裕子さん、 これから宮の橋に戻るんじゃないの? わざわざ、 菖蒲端で会うことないじゃん」
「あのね、 藤原。 今日は・・・私・・・家に帰りたくないの」
  私は思い切って言った。
  電話越しに唾を飲み込む音がはっきり聞こえた。 これって、 はっきりいって誘ってるよね。 私たちが知り合ってから、 よく遊ぶようになったといっても、 私たちまだ一度もHしたことなかったもんね。 藤原が奥手なこともあったし(女性経験がないことなんて、 女から見れば隠しても分かっちゃうんだからね)、 私自身は、 好きな男とHした経験がないわけじゃないけど、 まあ昔いろいろあって、 こんな機械の身体を藤原にさらすことに臆病になってたんだよね。 でも、 今日はそんなことどうでもよくなっちゃった。 私には生理もないし、 もちろん子宮も卵巣もないけど、 そんな私にだって、 フツーの女の子みたいに好きな人に抱いて欲しい、 慰めて欲しいと思うときはある。 私の身体は全部作り物の機械だけど、 この気持ちだけは作り物じゃないよ。

  私は今、 一人で菖蒲端のワイワイ横丁の居酒屋「野次来多」に来てる。 仕事帰りのサラリーマンたちが、 ちょっとしたつまみを肴に一杯ひっかけてくような、 狭いカウンターだけの店だ。 正直言って、 女の子が一人でなんてとても来ないような店。 仕事帰りのサラリーマン達で賑わう店の片隅に、私はなるべく目立たないようにひっそりと座った。 一体全体、 こんな店を待ち合わせ場所に指定するなんて、 藤原はどういうつもり? 藤原はいいやつだけど、 こういうところでは全く気が利かない。
「お嬢ちゃん、 どうしたの。 こんな店に一人で来るなんて」
  頭にバンダナ巻いて、 威勢よく店を仕切っている店のマスターもさすがに私を見て怪訝そうに言った。
「あの・・・、 人と待ち合わせてて」
「そうかい、 あんまり遅くならないうちに帰るんだよ。 親御さん心配してるよ」 
  このおじさん、 絶対、 私のこと未成年と思ってるよね。 大丈夫。 私には心配してくれる両親はもういないから。
「うー、とりあえずビールください」

「お嬢ちゃん、 どうしたのさ。 ほとんど飲んでないのにそんな酔っ払っちゃって」
  マスターがテーブルに突っ伏して動かなくなった私を見て、 心配そうに声をかけた。
「うるさいよう。 まだ全然酔っ払ってなんかないんだから」
  全然量が減ってないグラスを掴んで、 こんなこという私は立派な酔っ払い。実はもう酔っ払ってフラフラ。 藤原を待つ間、 これからするに違いない、 すごーく気持ちよくて楽しいことを考えてればいいのに、 今日の面接のことばかり思い出して悲しくなって、 こっそりとっておきの5000円もするアルコール入りの栄養カプセルのんじゃったからね。 それも一つじゃなくて三つも。 三つといってもカプセルに含まれるアルコールの量なんて、 ほんとたかがしれてる。 でも今の私に残されたわずかな人間の部分をぐでんぐでんに酔っぱらわせるには、 この程度で充分ってこと。 人間らしい楽しみのほとんどを奪われて、 永遠に人形の中に閉じ込められた、 私のちっぽけな魂のストレスを解消するのは、 こんなものしかない。 でもないよりましだ。 過ぎたことは忘れよう。 酔っ払って何もかもぜーんぶ。
  何時間たったんだろう?
「裕子さん、裕子さん」
  気がつくと誰かが私を起こしてる。 顔をあげると、 隣には藤原の困ったような笑顔があった。
「藤原—、 待ってたよう」
  私はろれつの回らない口でそう言うと、 一口も飲まないままぬるくなっちゃったビール瓶をつかんで、 藤原のコップに注いだ、 つもりで狙い外れてカウンターテーブルに注いじゃった。
  空のままのコップを握ったまま苦笑いする藤原。

  私は酔いが抜けない千鳥足で、 駅や藤原の住んでる寮の丁度反対側のワイワイ横丁のはずれ、 みんなが密かに猥々横丁って呼んでるラブホテル街に向かって、 藤原を引っ張ってよろよろ歩いてる。 当の藤原はというと何も言わず私に引っ張られるがまま。 ワイワイ横丁はまだ宵の口。 キラキラ輝く原色のネオンがまぶしいよ。
「私ホントは自分からこんなことする女じゃないんだから。 藤原がオクテだからいけないんだからね。 今日だけだよ。 次からは藤原にエスコートしてもらうんだからね」
  さっきから私ばかりしゃべってる。 酔ってるせいばかりじゃないよ。 二人して無言でホテルに行くなんて、 なんか恥ずかしいじゃない。 藤原が何も話さないなら、 私が何かしゃべりまくるしかないよ。
「キャッ!」「うわっ!」
酔っ払って頭がぐるぐるしてる私は、 バランスを崩して倒れそうになった。 そこを藤原が抱きとめてくれたまでは良かったんだけど・・・、 私の重い機械の身体を抱きとめきれなくて、 二人して重なり合うように倒れちゃった。 ちょうど、 地面で抱き合う格好になった私たち・・・。
「裕子さん、 大丈夫?」
藤原が心配そうに声をかける。 うー、 頭がふらふらする。 機械の身体のくせして酔っ払うなんて、 なんてみっともないんだろう。 次から、 アルコールカプセルを三つ一気に飲むのはやめよう。 だけど、 なんて言うか、 このまま抱き合ってるのっていいかも。
「大丈夫じゃないって言ったら、 しばらく、 このままでいさせてくれる?」
  私はそう言って、 藤原の胸に顔をうずめた。
トクトクトクトク。
(あ、 藤原の心臓の音だ。 ずいぶん速く動いてる)
「藤原、 ひょっとして緊張してる? かわいいんだ」
  私は上目遣いに藤原を見上げてくすくす笑った。
「うるさいっ! 重いからどいてくれよ」
「あっ、 藤原め。 私のほうが年上だよ。 先輩に向かってそんなこと言うんだ。 ひっどーい」
「でも、 裕子さん。 今日始めて笑ってくれたね」
  ・・・そういえばそうだね。 藤原のお陰だね。

  結局、 いろいろ迷ったあげくに、 一番安い「ピンクパンサー」というラブホテルに入った私たち。 藤原も、 まだそんなに給料もらってるわけじゃないし、 学生の私に至っては言わずもがな。 今日は、 別に部屋でカラオケしたいわけじゃない。 どんな立派なお風呂も私には意味がない。 ベッドがあって、 することができればそれでいいの。 しかし、 壁もベッドも全部ピンク尽くしなのには、 ちょっと閉口したけど・・・。
「服脱ぐから電気消してよう」
  私の身体に何箇所かある検査用のコンピューター接続端子は、 普段は肌の色と全く同じ色のシールを貼ってカムフラージュ してるから、 注意して見なきゃほとんど分からないはずなんだけど、 それでもやっぱり明るい中で、 自分の作り物の身体を晒すのは嫌だった。
  パチン。
  藤原が私の言葉に素直に従って、 枕もとのスタンドのスイッチを切ると、 部屋の中は真っ暗になった。 月の弱弱しい青い光の中で、 私は黙々と、 スーツを、 ブラを、 ショーツを脱いでいく。 私の眼は暗い中でも、 よーく物が見える機械の眼だから(視力は0.1だけど)、 別に真っ暗闇でも服を脱ぐのに苦労はしない。 すぐに服を脱いで、 身体に身につけているのは眼鏡だけの素っ裸になっちゃった。 改めて、 自分の身体を見つめる私。
  裸になっても、 生まれたままの姿なんてとても言えない、 高校生の頃の自分の身体とそっくりに作られた、 だけど作り物の身体。 子供を埋めない機械の身体だから、 私の女性の象徴、 赤ちゃんを育てるためについてるはずのたいして大きくもない乳房だって、 本来なら新しい生命をこの世に生み出す入り口になるはずのアソコだって、 どんなにもとの身体そっくりに再現されていても、 もうHのときに使う快楽装置以外の存在理由なんてない。 フンだ。 せいぜい今日は存分に使ってやるんだから、 覚悟しなさいよ、 私の身体め。
  私は仰向けに寝そべって藤原が来るのを待った。 でも藤原は服をぬいだくせに、 なかなかベッドに上がってくれない。
「ねえ、 早く来てよ。 どうしたの」
  私は両手をひろげて、 藤原を誘った。 
「いや、 その、 こういう時って避妊のためにコンドームを着けたほうがいいんじゃないかと」
  藤原は恥ずかしそうに言った。
「ちょっと、 ひょっとしてそれギャグで言ってるの? 全っ然面白くないんだけど」
「あ・・・・ごめん・・・そんなつもりじゃなかったんだ。 本当にごめん」
  あらら、 いままで勢いよく立ってた藤原のシンボルが急にしおしおしちゃった。 そんなところまで見えなくていいのに。 暗いところでもよく見える眼というのも困りものだわ、 ホントに。

  私と藤原は裸でベッドの上で抱き合ってる。 もちろん私が下で、藤原が上。 ホントは私が上になって、 藤原を襲ってやりたい気分なんだけど、 私の体重じゃ無理だよね。
「俺、 経験ないから」
  藤原が私から眼をそらして、 ポツリとつぶやく。 知ってるよ。 そんなことは。
「今日は、 私がリードしてあげる。 でも今日だけだからね。 私だって恥ずかしいんだから、 ちゃんと覚えてね」
  そう言いながら、 私は藤原の左手を私の右の胸にもっていった。
「おっぱい触ってよう。 やさしくだよ」
  藤原の左手が不器用に私のおっぱいをまさぐる。 そして今度は藤原の右手を私のアソコに。
「あのね、 下のほうも触って。 最初は手のひらで全体をさすって。 ゆっくりだよ・・・うわ」
  ちょっと藤原が私のアソコに触れただけで、 下半身から快感がぞわぞわ這い上がってきた。 ひょっとして、 今日の私、 滅茶苦茶感じやすくなってるかも。 相手が藤原だから・・・かな。 ふふ。
「もっと早く、 手、 動かして。 胸も、 下も。 藤原、 藤原、 気持ちいいよう」
  より強い快楽を求めて、 つい藤原を催促してしまう。
  私、 普段は、 こんなこと言わないんだからね。今日だけだからね。
  私の言葉を待っていたかのように、 藤原の手が大胆に動き出す。 快楽のボルテージが上がって私は藤原の胸の下で狂ったようによがった。 甘い声だってだしちゃった。 所詮、 人工性器と脳をサポートするコンピューターからもたらされる、 偽りの快楽なんだけどね。 でも、 それでもいいんだ。 もっと溺れさせてよ。 今日だけは。
  そのうちに、 私の作り物のアソコからピチャピチャ猫がミルク舐めるような音がしてくる。 よくできた身体でしょ? きっと、もう溢れるくらい濡れちゃってるよ。 恥ずかしい。
「藤原の、 握っていいかな」
  藤原の返事を待たずに、 握っちゃった。 これが藤原のなんだ。 熱くて硬くて愛しいな。 ちょっとしごいちゃえ。
「裕子さん!」
  それが合図だったかのように、 藤原は激しく私の口を吸ってきた。 私も藤原の背中に両腕を回して、 それに応える。
「裕子さん、 俺もう我慢できないよ。 入れていい?」
  藤原の表情は切羽詰ったものになってる。 そうだよね、 童貞のあんたをここまでお預けして、 私ばっかり気持ちよくなっちゃってた。 ごめんね。 私もそろそろ藤原のが欲しいよ。
  私は無言でうなずくと、 私の入り口に藤原を導いてあげた。 でも藤原のそれはなかなか私の中に入ってくれない。 入り口でまごまごしてるだけだ。 ん、 もう何やってんのよ。 そんなにじらさないで。 わざとじゃないんだろうけどさ。 私も藤原のを掴んでなんとか入れてあげようとしたんだけど、 それがかえって、 藤原にとって変な刺激になってよくなかったみたい。
「裕子さん、 ごめん。 だめだー」
  と、 藤原が言ったかと思うと、 藤原のそれ、 どくんどくんて脈打って、私のお腹の上にせーえきを撒き散らしちゃった。 ありゃりゃ。 イっちゃったんだ。 でもいっぱい出たね。 藤原は私の胸の谷間(まあ、谷間っていうほど胸があるわけじゃないんだけどさ)に頭をうずめてはあはあ息を荒げている。 かわいいんだ。
「ははは、 藤原。 気持ちよかった?」
  私はお姉さんぶって藤原の頭を撫でてあげた。
「裕子さん、 ごめん。 うまくできないよ」
「気にしなくていいよう。 一回出したら落ち着くんでしょ。 男の人って」

   藤原と私はベッドから身体を起こすとティッシュでお互いの身体についた体液を拭きあった。
「はは、 かわいくなっちゃって」
  私は欲望を吐き出してすっかりおとなしくなっちゃった藤原のものを指ではじいた。
「ねえ、 私が口でして大きくしてあげる。 でも出ちゃいそうになったら言ってね。 口の中に出したら、 もしかしたら私の身体壊れちゃうかもしれないから」
「うん」
「だから、 藤原も私のを口でしてね。 お互いに舐めっこしよう」
  私が藤原のをフェラしてあげて、 藤原に私のアソコを舐めてもらう。 これってシックスナインっていうんだっけ? うーん、自分からそんないやらしいことするように誘うなんて、 今日の私ってなんていやらしいんだろう。 全部藤原のせいだからね。
  藤原の身体を潰さないように気をつけながら、 上にまたがって、 目の前の萎えちゃった藤原のものをぱくって口に加える。 私の舌はもう味なんか感じるようにはできてない。 食事ができないのに、 味なんか感じたらかえって苦痛を味わうだけだから、 わざとそんなふうに作ってるんだって。 でもね、 小さくなっちゃった藤原のそれをはむはむしてると、 なんだか藤原の味がするような気がしたんだ。 本当だよ。
  今、 私のアソコ、 藤原の目の前にあるんだよね。 暗いけど、 藤原だってもういい加減、 目が慣れてきてるよね。 きっと丸見えになっちゃってるんだ。 そう思ったら、 なんだかものすごく興奮してきた。 私の人工愛液が、 どっと私のアソコから出てきてるに違いない。 藤原も私のお尻と睨めっこなんてしてないで早くしてよう。 私が、 もうちょっとだけ、 藤原の顔に向かって体を沈めると、 ようやく、 遠慮がちに藤原の舌が私の中に入ってきた。
「あのね、 私のあそこの上のほうに、 コロコロしたものがあるの、 そこ舐めてよう」
  藤原の舌が別の生き物のよう私のあそこを這い回って、 ようやくクリを探し当てた。
「あっ!」
  藤原の舌がちょっとクリに触れただけ、 それだけで、 あんまり気持ちよすぎて、 途中からフェラもできなくなっちゃった。 また私ばかり気持ちよくなっちゃってるよう。 ごめん、 藤原、 ごめん。 きっと私のコンピューター、 いままでにないくらい処理能力をフル活用して快楽情報を脳に送り込んでるんだ。 この気持ちよさなんて、 幻想、 まやかしなの、 まやかしなんだから! なのに何でこんなに感じるのよう。
  いつの間にか私はシーツを噛んで藤原の攻撃にただ耐えるだけになっていた。 今日は私が攻めてやるつもりだったのに、 どうしてこうなっちゃうのよう。
「あーん!」
  私の反応に調子に乗った藤原は、 舌で私のクリをなぶるのと同時に、 人差し指を私の中に浅く入れた。 それで、私はとうとう耐え切れなくて、 軽くだけど、 イっちゃった。 私の身体がストンと藤原の上に落ちる。 眼をぎゅっとつぶって、 身体中を蹂躙する、 電気信号に姿を変えた淫魔のもたらす嵐にひたすら耐える私。 くそう、 藤原め。 私は、 そんなこと、 教えてない・・・。

「裕子さん、 ちょっと重い、 重いよ」
  藤原の苦しげなうめき声で、 ふと我に返る私。 私、 自分の身体のことも忘れて・・・ 藤原の上でぐったりしてた。 機械がぎっしりつまった120kgの身体を受け止めるのは、 そりゃあきついよね。
「ごめん、 だって藤原がうますぎるからだよう、 初めてのくせに生意気なんだよう」
  藤原のあれ、 いつの間にか回復してる。 私のよがる姿を見て興奮してくれたのかな? だったら恥ずかしいけど嬉しいな。
「藤原君、 元気になりましたね。 じゃあ、 もう一回チャレンジしましょう。 さあ来て」
  私は先生みたいな口調で言うと、 また仰向けに寝っころがった。
藤原は、 もう一回イっちゃってるからか、 さっきみたいに、 めくらめっぽうに私の足の間を突いたりしない。 余裕のある動きで、 私の入り口を探る。 私が手で導いてあげると、 私のあそこも、 もうグチョグチョになっちゃってるから抵抗感もなくすーっと入っちゃった。
「入ったね」
「うん」
「焦らないで、 一気に奥まで入れないで。 最初はゆっくり、 浅くね。 いきなり奥まで入れたら私だって痛いんだからね」
  私は性急に動こうとする藤原をたしなめた。
「うん」
  藤原のもの、 ゆっくりゆっくり、 ぬーって私の中に入ってきた。 よしよし、 素直で言うことをよく聞く生徒だ。
「藤原、 いま私と藤原一つになってるんだよ。 分かる?」
  今の私、いったいどんな顔してるんだろう? きっと、 ものすごくいやらしい顔してるんだろうな。 私は両手を藤原の背中にまわして、 藤原をかき抱いた。 んー、 もう。 すごく愛しい。
「じゃあ、 動いてみて。 ゆっくりだよ」
  藤原は私に言われるがまま、 ゆっくりと腰を動かしはじめた。 あ・・・ダメだ。 こんなゆっくりしか動いてないのに、 まだ深く入ってるわけでもないのに、 また私感じてるよう。 藤原のことが大好きだからだよ。 いいよ、 いいよ、 藤原あ。 やっと一つになれたね。
  私は藤原と身体をつないだまま、 両足を藤原の肩の上にのせた。
「こっちのほうが、 深く入るから。 この姿勢で身体動かしてみ・・・」
  私が言い終わる前に藤原は身体を動かしはじめた。さっきより早く、強く、深く。あ・・・、もうだめ。気持ちよすぎて何も考えられないや。 ただ藤原のリズムにあわせて、 あーあーうーうーしか言うことができない。 シーツをぎゅってつかんで、 快感に翻弄されるがままの私。 こんなの、 こんなのただのデジタルな電気信号のはずなのに、私の脳の中でそれが快感にアナログに変換されて、 また全身にうわって広がっていくんだ。 私の心は、 いまのところ機械のいいなり。 悔しいっ! 悔しいっ! この身体の持ち主は私なのにコンピューターに支配されるなんて悔しいっ! 藤原だって、 人の話は最後まで聞きなさいよ。 私は教えてあげてるんだよ。 私があなたを気持ちよくさせてあげるはずだったんだから。 なのに、 なんで、 なんで・・・・。
  もうどうだっていいや、 どうせなら、 ねえ、 藤原。 もっと高くまで行かせて。 世界の果てまで昇らせて。 私のこのくだらない馬鹿コンピューターが、 壊れるくらいに。 私の脳が狂っちゃうくらいに。
「もっと滅茶苦茶にして。 おっぱいも強く握ってよ。 もっと強く!」
 私なんてハシタナイ言葉叫んでるんだろう。 もう恥じも外聞もないよう。 藤原の手がそれに応えて私の右胸を左胸を、 鷲掴みにもみしだき、 乳首を噛んで・・・。 愛撫なんて生易しいもんじゃない、 ホントなら痛みを感じるくらいの 動きなのはずなのに、 それが全部快感信号に置き換わって一斉に私の脳に襲い掛かった。
「もう私ダメだから。 ダメだから。 ダメダメダメダメッ。 藤原、 私もうダメだよう、 ダメだよう」
  もう自分で何を言ってるのか分からない。 私の身体の中の赤くて小さな風船が、 藤原が私を突き刺すその一突きごとに、 胸をもみしだくその一もみごとに、 どんどんどんどん膨らんで、 とうとう私の身体より大きくなって、 この部屋より大きくなって・・・。そして。
「ふじわらー、私、イクっ!!!!」
「裕子さん、俺も!!!!」
  風船がはじけた。
  世界がはじけた。 私がはじけた。

「Hするのが始めての男にイカされちゃった。 ちょっとくやしいかも」
  私は私の上でまだあえいでる藤原に向かって舌を出してやった。
「まだ離れたらだめ。 手を私の背中にまわして。 ギュってして。 しばらくこのままでいてね」

「藤原、 藤原」
  返事がない。 すーすーと気持ちよさそうな藤原の寝息。 私の身体の上で寝ちゃったんだ。
  私は身体を起こすと裸のまま気持ちよさそうに寝てる藤原にそっとシーツをかけてあげた。 そうだよね。 遅くまで仕事がんばってたんだもの、 すぐ寝ちゃっても無理ないよ。 おやすみ、 藤原。
  でも、 結局藤原に言えなかったな。 聞けなかったな。 藤原のこと愛してるって。 藤原は私のこと愛してるかって? 私はこんなにも藤原のことが好きなのに。 愛してるのに。
  今まで、 機械の身体の私を本気で愛してくれた人なんていない。 私の身体のことを知ると、 途端に距離を置こうとする男、 機械の身体ってどんななのか知りたくて、 興味本位で近寄ってくる男。
「なんだ、 期待してたのに、 結局人間と変わらないじゃん」
  Hが終わった後、 そんな言葉を私に向かって吐いたやつもいた。
  いつも私だけが本気で、 その度に裏切られて傷ついてきたから、 だから私は藤原の本当の気持ちを聞くことに 臆病になってるんだ。 でも、 いいや。 私が自分の気持ちを藤原に伝えたからって何になるというんだろう。 藤原の心に重い負担をかけるだけじゃないか。
  例え藤原が、 本当は私を愛してなくてもかまわない。 いつか私から離れることになってもかまわない。 だって、 私の身体は冷たい機械だもの。 もう人並みの幸せは手に入れられないってあきらめてるから。 たまに、 ちょっとだけ抱いてもらって、 人間だって思い出させてくれればそれでいいよ。 それ以上は何もいらないから。 本当に、 ホントに・・・。

  朝、 眼が覚めると藤原はすでにいなくなっていた。
  その代わり、 ベッドの横の小さなサイドテーブルに置いた私の眼鏡の隣に、 こんな手紙があったんだ。 藤原の書いた字は、 まるで藤原みたいに不器用に角ばってて、 でも力強かった。


 八木橋裕子様

  おはよう。 俺、 今日は早番なんだ。 先に行くね。 昨日はいろいろあって疲れただろう。裕子さんはゆっくり休んでいってくれ。 昨日はありがとう。 俺はこういうこと初めてだったんで、 うまくできなくてごめんな。
  裕子さんはことあるごとに私はお人形さんだからっていうよね。 世の中には汚い心を持った人たちも残念だけど、 ちょっとだけいるんだ。 そういう人たちが裕子さんをずっと傷つけてきたんだろ。 だから、 裕子さんもそんな言い方をするようになっちゃったんだと思う。 でも、 お願いだから、そんなふうに自分を傷つけるのはやめてくれ。 確かに裕子さんはちょっとだけ他の人と違うかもしれない。 でも、 立派な人間だ。 それは裕子さんとすごしたこの三ヶ月間でよく分かった。 裕子さんはとても真っ正直で、 とても優しくて、 とても強い人だ。 そしてとても心の清らかな人だ。 俺なんかよりずっと。
  だから裕子さんが僕を必要かは分からないけど、 少なくとも僕には裕子さんが必要だってことだけははっきり言える。 俺は口下手だから、 面と向かっては言えない。 だから、 古い手段かもしれないけど、 こんな形で告白します。 一回しか書かないからな。 裕子さん、 俺はあなたが好きだ。 愛しています。 これからもずっと一緒にいよう。 裕子さんさえよければ、 いつまでも。

                                                 藤原修治



「藤原・・・有難う」
  私はその手紙を藤原だと思って、 ぎゅっと胸に抱いた。 目を閉じたら、 嬉しくて胸がいっぱいになって涙が溢れてきた気がした。 ううん、 気がしたんじゃない。 確かに涙は流れたはず。 この世でたった二人、 私と藤原しか見えない、 でもとびっきり大粒のやつが、 ね。
 そうだ、今から宮の橋に行こう。働く藤原を見に行こう!

  午前七時半時、 ラッシュのピークを迎えた朝の宮の橋駅は、 たくさんの人でごったがえしてる。
東京へ向かうサラリーマンやOL、 そして学生達、 誰もが先を急ぐようにホームで電車を待ち、 乗り込んでいく。 もう何十年も、 そしてこれからもずっと変わらないだろう、 ごくありきたりの朝の風景。
  そんな中、 私は一人で駅のベンチに座っていた。 ベンチに座ってぼんやりと行きかう人を眺めているうちに、 ラッシュの時の駅のベンチって私みたいだな、 とふと思った。 誰もが先を急いでるから誰も座らない、 誰もが先を急いでるから省みる人もいない。 存在に気がつかない人だっているだろう。 せわしなく動く時間の中で、 ここだけ時が止まったような、 そんな感じ。 こんなにもたくさんの人がいるのに。
  私も同じ。 私の身体も16歳の時から時が止まったまま。 まわりの誰もが皆、大人になっていくのに、私の身体はいつまでも高校生のときのまま。 ひょっとしたらこのまま永遠に。 そして、 こんな私を本気で愛してくれる人なんているわけない。 私はそう思ってた。 そう、 昨日までは。
  でもね。 もう大丈夫だよ。 私、 一流企業のOLという地位を手に入れることには失敗したかもしれないけど、 そのかわり、 もっと素敵なものを手に入れたよ。
  私はホームの先に目を向ける。
「急行電車通過します。 どなた様も白線の内側までお下がりくださーい」
  そこには制服姿の凛々しい藤原の姿があった。
「藤原ー!私も藤原のこと愛してるよー!大好きだよー!」
  私はやっちゃいけないと思いながらも、 自分の気持ちを抑え切れなくてついベンチから叫んじゃった。 せわしなく流れていた、 朝の時間の流れが一瞬だけ止まった気がした。 電車を待ってたサラリーマンが怪訝な顔で私を振り返る。 近くにいたセーラー服姿の女子高校生たちは私を見てくすくす笑う。 藤原は私の声が聞こえたんだろうけど、 それには答えず、 ホームの先端を凝視したままだ。 そこには、 頼りない夜の姿とは違う、 鉄路を守るプロとしての誇りと自覚に満ちた藤原がいた。
(藤原、 あんた、 立派だよ。 私にはもったいないくらいにね)
  こがね色の朝の光を浴びながら、 急行電車が宮の橋を通過していった。


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