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  私達くらいの年頃の女の子の共通の話題って限られてるよね。 私の趣味は骨董集めなんだけど、 そんな話したら何だこのヲタク女はって顔されるのがオチでさ。 えーとまずファッションでしょ、 それから男だ。 私は誰それがいいだの、 誰と誰がくっついただの、 そういった類の話ね。 それから食べ物だ。 とくに甘いものね。 極端な話、 話題はこの三つでまわしてるよね。 私に言わせるとさ。

  ゼミが終わった昼下がり。 私は友達のジャスミンと佐倉井の三人で研究室にいた。 最初は三人で何かくだらないことを話してたんだけど、 いつの間にか私は会話に加わらず、 藤原は今何してんだろなんてぼんやり考えてた。
「・・・ちょっと、 ヤギー、 人の話聞いてるの?」
「えと、 ジャスミン、 今何か言ってたっけか?」
「もー、 最近ヤギーなんだかボーっとしてるよね」
「そりゃあ、 あれだ、 いつものヤギーの病気だ。 電車の運転手かなんかをしてるっていう例の彼氏のことでも考えてたんじゃないの? ヤギーも結構入れ替わり激しいよね。 おとなしそうな顔して、 やることはちゃんとやってんだよね」
  ぐぐっ、 佐倉井め。 図星だけど、 入れ替わり激しいは余計だよ。 全く。
「うるさいよう。 運転手じゃなくて駅員。 今度は本気なんだから」
「それ、 前も言った」
  ジャスミンと佐倉井の二人は同時に全く同じツッコミを私に入れたあとで、 顔を見合わせてくすくす笑った。
「ホントにうるさいよう。 あんた達。 で、 何の話?」
「星修学園前の駅前にある悠遊茶館の杏仁豆腐と団子坂のカティーサークの杏仁豆腐とどっちがおいしいかっていう話」
「ほら、 いまどっちも流行ってる店じゃない、 で私は悠々派でジャスミンはカティー派ってわけ。 ヤギーはどっちが好きなのさ」
  ほら、 結局こういう話だもん。 ジャスミンと佐倉井。 特に、 この二人が集まると、 大抵食べ物の話になるのよね。

  ジャスミンの本名は李莉(りーりー)。 在日華僑の三世なんだってさ。 イングリッシュネームのジャスミン・リーがお気に入りらしく、 みんなに自分のことをジャスミンと言わせるよう強要してる。 入舸浦の老舗レストラン青竜楼のお嬢様だ。 だからか知らないけど食べ物にはむちゃくちゃうるさい。 いわゆるグルメってやつだ。 それから、 佐倉井清香。 こいつが、 ジャスミンに輪をかけた甘味ヲタクだ。 お手製のキャンパス周辺甘味マップなるものを作成し、 頼みもしないのに研究室の皆に配ってる。 しかもご丁寧に二ヶ月に一回改訂版を作る念の入れよう。 そんなことしてる暇があったら、 就職活動にでも励んだらと思っていたら、 このたび小さな出版社から内定をもらったらしい。 私は、 まだどこからも内定もらってないのにぃ!
  二人とも私の大切な友達。 だけど、 だけどね。 私の前で食べ物の話はお願いだから、 やめて・・・。
「私、 どっちにも行ったことないから・・・」
「ほーう、 ヤギー君、 ダイエットまだ続けてたんだ 。ちっとも太ってないのにさ。 そんなことだから、 高校生みたいだと言われてしまうのだよ。 胸が成長しないのだよ。 だめだよ、ちゃんと食べないと。 ロリコンにしかもてないよ」
「あんたに言われたくないよ。 あんたこそ、 巨乳とデブの境目ギリギリのところにいるくせに」
 私は佐倉井に言い返してやった。 まわりに男がいなきゃ、 こんな会話はいつものことでさ、 佐倉井に悪気がないのは分かってるよ。 そんなことは分かってるけど、 私は何ともなかったふりしてるけど、 ホントは深く傷ついてる。 だって、 ダイエットしてるなんて嘘だもん、 高校生に見られるのだって訳があるんだもん。

  ジャスミンと佐倉井が、 キャッキャキャッキャ騒ぎながら研究室から出て行ったけど、 私は調べ物があるふりをして一人研究室に残った。 ホントは何も用事なんかないんだけどさ。
(悠遊茶館とカティーサークの杏仁豆腐かあ・・・いいなあ、 ジャスミンも、 佐倉井も・・・ きっとどっちもすごくおいしいんだろうな)
  研究室に一人残された私は、 机に頬杖ついて膨れっ面してる。 杏仁豆腐ってどんな味だったっけ? そんなこと分かってるよ。 杏仁豆腐は甘いんだよ。 でも、 甘いってどんな感じだったっけ。 昔、 自分の身体を持っていた頃の記憶を思い出そうとした。 だけどうまく思い出せなかった・・・。

  みんなは気づいてないかもしれないけど、 実は私は身体障害者だ。 それも極めつけの。 国から与えられた種別でいうと障害者・義体化一級といいます。 どういうことかっていうと、 私の人間の部分は脳だけ。 あとの部分は一見普通の人と同じに見えるけど、 腕も足も胸も、 顔だって、 全部作りものの機械ってわけ。 今じゃ差別用語になってるみたいだけど サイボーグっていったほうが分かりやすいかな。 だから私の身体は高校生時代のままで成長なんかしないし、 食べ物だってもう必要ないんだ。 っていうか食べ物を食べられるように身体ができてないの。 舌は一応ついてるけど飾りみたいなもので、 味なんか何も感じやしない。 私に残された脳みそがちょっとだけ必要な栄養分は栄養カプセルなんていう何とも味気ないものでとるしかなくてさ。 でも昔、 こんな身体になる前に、 いろんな美味しいものを食べた記憶はいつまでも覚えていて、 そのくせ具体的な味のディテールはどんどん忘れるしまつで、 まわりで皆が楽しそうに食べ物の話をされるとそれだけで悲しくなってくるんだ。 泣くことももうできないんだけどね。

  おもむろに私の携帯が鳴った(新しい愛のカタチの主題歌が着メロだよ)。 藤原かなと一瞬期待したんだけど違った。 携帯には登録されていない、 私の知らない電話番号だった。
「もしもーし、 私でーす。 八木橋さんこんにちは」
  女の人の声だった。 この独特の間延びした話し方。 どこかで聞いたことある。 誰だっけ。
「えと、 失礼ですがどちら様でしたっけ?」
「ほーう、 私を忘れるとは、 八木橋さんもずいぶんと冷たいじゃない? ところで、 八木橋さん、 まだ眼鏡かけてるの?」
  ああ、 思い出した。 イソジマのケアサポのタマちゃんだ。
「汀さん」
「正解でーす。 みぎわでーす。 だけど汀さんはちょっと他人行儀ね。 前みたいにタマちゃんでいいよ」
  タマちゃんの苗字は汀って書いてみぎわって読むんだ。 珍しい苗字だから覚えやすいよね。 名前は環って書いてたまき。 だから、 昔、 私は彼女のことタマちゃんて呼んでたんだ。 タマちゃんとは高校生の時、 私が全身義体になっちゃってからの知り合い。 タマちゃんは、 義体になっちゃった私のリハビリ訓練とか、 新しい身体の使い方とか、 生身の身体を失った私の心のケアとか、 そういったことをサポートしてくれるケアサポーターとしてイソジマ電工から私のところに派遣されてきたんだ。 とっても明るくて 面白い人で、 しかも自分は生身の身体なのに機械の身体の悩みとか苦労とか、 とてもよく知っていて、 いつも的確なアドバイスをしてくれたり、 励ましたりしてくれた。 彼女の存在がなかったらきっと私、 今頃、 自殺しちゃってこの世にいなかったかもしれない。 そういう意味では私の命の恩人だよね。 わざわざ義眼の設定を生身の時と同じ視力0.1にしてまで眼鏡にこだわり続けたときは、 眼鏡はやめなさい、 やめなさいってうるさかったけどさ。
  私が新しい身体に何とか適応したあとも、 何回か年賀状のやりとりをしてたけど、 私が大学に入学したり、 タマちゃんも異動でケアサポーターの部署から離れたりして、 いつしか疎遠になっちゃってた。 それが、 この前、 私がイソジマ電工に就職面接に行ったとき、 偶然に、 何年か振りで再会したってわけ。 残念ながらお互いにとって余りよい再会ではなかったけどね。
「八木橋さん、 この前はごめんなさい。 話はウチの斉藤や古堅から全部聞きました。 ずいぶんつらい思いをさせちゃったみたいね。 全部私のせいだ。 ずーっと気になってたの」
「タマちゃん・・・、 そんなに気にしなくてもいいよう。 私こそ大人気なかったと思ってます」
「ううん。 八木橋さんは悪くないよ。 そこで、 お詫びと言っては何ですけど、 来週の木曜の夜、 八木橋さんのご都合はどうでしょうか?」
  木曜の夜かあ。 確か藤原は夜シフトの出勤日で、 ジャスミンや佐倉井たちとも何も約束してなかったはず。
「木曜日は空いてますけど、 いったい何するの?」
  タマちゃんの口から出たのは意外な言葉だった。
「えー、 それでは、 来週木曜午後七時から、 八木橋さんを素敵なお食事会にご招待したいと思いまーす!」

「・・・ちょっとタマちゃん。 それギャグのつもり? だとしたら全っ然面白くないんだけど」
  優しいタマちゃんにしてはずいぶん毒のある冗談を言うなあ、 と思った。 私がものを食べることができないってことは、 他でもないタマちゃんが一番よく知ってるだろうに。 今、 杏仁豆腐のことばかり考えてイライラしてたばかりだったから、 余計腹がたったよ。 ホント。
「八木橋さん怒らないで。 ギャグじゃありませーん。 私は本気でーす」
「いったい私の身体に何をしようっていうの? バラバラに分解して何かの実験に使おうとしてる? ひょっとして」
「ごめんね。 まだ社外秘なの。 何をするかはまだ言えない。 でも信じて。 決して悪いことじゃないの」
「うー・・・」
  タマちゃんが嘘を言うとは思えない。 だけどまだ半信半疑の私。 実験台になるのはごめんだけど、 でもお食事会かあ。 いったい何が食べられるんだろう。
「そうだ。 今回の食事会、 深町さんも招待してまーす。 深町さんも来まーす」
「深町さんってウイングスの深町香織さん?」
「そうでーす。 他にどの深町さんがいますか」
  深町さんはイソジマ電工のバレーボールチーム「ウイングス」のスーパーエースだ。 でもって、 パラリンピック、 バレーボールの日本代表選手。 私と同じ全身義体だけど、 何も恥じ入ったりしないで、 堂々とマスコミの前に出てくる数少ない人。 綺麗で格好良くて、 私たちの全身義体の人たちが憧れるスーパーヒロインだ。 その深町さんと会えるんだ。
「タマちゃん、 私、 行きます! いえ、 行かせてください!」
頭で考えるより先に口が勝手に答えてた。
「有難う。 それじゃあ早速、 今回の食事会のメニューをリクエストしていただきまーす。 八木橋さん、 一つだけ好きなメニューをリクエストできるんだけど、 何が食べたい?」
  何が食べたいかって。 そんなの決まってるじゃない。
「うー、 ・・・一つじゃなくて二つリクエストできないかなあ」
「えっ、 二つも?」
「タマちゃんお願い!」
  タマちゃんはしばらく考え込んでいたふうだったが、 結局、 私の無理を聞いてくれた。やった!
「一つはね、 武南線の星修学園前にある悠遊茶館の杏仁豆腐。 もう一つは団子坂のカティーサークってお店の杏仁豆腐」
  電話口でタマちゃんが吹き出した声が聞こえた。
「なにそれ、 二つって言っておきながら二つとも杏仁豆腐じゃないの。 八木橋さん、 本当にそれでいいの?」
「ただの杏仁豆腐じゃないよう。 悠遊茶館の杏仁豆腐とカティ−サークの杏仁豆腐じゃないと、 駄目なんだからね。 できるの?」
「大丈夫でーす。 八木橋さんの頼みならなんでも聞いてあげちゃう。 じゃあ、来週木曜、 ご出席いただけるということで、 問題ないね?」
「うー、 ・・・お願いします」
「八木橋さんは菖蒲端から府電に乗ってくるのかな? じゃあね、 6時50分に汐留の電停で待ってるから一緒に会社に入りましょー。 私と一緒に行けば入り口は検査なしのフリーパスだから。じゃあまた木曜ね、 バイバイ」


  夕方の汐留電停は、 たくさんの人が乗ったり降りたりするから、 電車を降りるまではタマちゃんを見つけられるかどうか今いち不安だったんだけど、 心配するまでもなかった。 人波に押されるように、 電車から吐き出されて、 府電の小さなプラットホームに足を踏み入れるとすぐ、 寝ぼけた小鳥みたいな間延びした声が私の耳に入ってきた。
「やっほー、 八木橋さーん。 おひさでーす」
  ホームの向かいの洒落たカフェが並ぶ並木道の遊歩道で 、巻き毛の女性が手を振ってる。 タマちゃんのテンションの高さは相変わらずだ。 もう三十代のはずなのに、 大人の女性って感じが全然しないよねーと思わず失礼なことを考えてしまう私。
「タマちゃん、こんにちはー」
  遠ざかる府電のぐゎーんていうモーターの音に負けじと、 私も声を張り上げた。 手を取り合って再会を喜ぶ私達。
「きゃー、 八木橋さんかわいい。 素敵な服着てるじゃない。 それベトナムの服でしょ。 アザオイっていうんだっけ?」
  ・・・タマちゃん、 アザオイじゃなくてアオザイね。面倒くさいから訂正しないけどさ。 ジャスミンからベトナム旅行のお土産にもらったやつだ。 せっかくの食事会、 深町さんも来るっていうし、 私も精一杯お洒落しなきゃと思って、恥ずかしくて今まで一度も着たことがなかったんだけど、 今日は迷ったあげくに着てきちゃった。 あのお嬢様のジャスミンからのお土産なんだから、 きっと最高級品に違いない。 有難う、 ジャスミン。
「こんな服しかなくて、 着てこようかどうか迷ったんだけど・・・」
「とっても似合ってるよ」
タマちゃんは人懐こい笑顔を浮かべてそう言ってくれた。 場違いな服着てきたんじゃないかと思って不安だったんだけど、 ちょっとホッとした私。

 タマちゃんの案内で、 イソジマ電工本社ビルにはフリーパスで入れた。 あの忌々しい金属探知機を通らなくてもいいなんて実に気分がいい。 そのあとは、 会社の中をぐるぐるぐるぐる。 エレベーターを乗り換えて昇ったり、 下ったり。 今、 私、 何階にいるんだろう。
  ようやく、 タマちゃんは一つのドアの前で立ち止まった。 別になんの変哲もないオフィスビルの無表情な灰色のドアだったけど、 他のドアと一つだけ違うこと。 ドアに『レストラン遥遥亭』 という木の札が下がってる。 墨汁で書いた綺麗な字だった。
「この字、 私が書いたの。 うまいでしょ。 こうみえても書道二段なのでーす。 ふふふ」
  そう言ってタマちゃんは胸をそらした。
「では、 八木橋裕子様。 我がイソジマ電工の誇るレストラン遥遥亭にようこそいらっしゃいました」
汀さんは妙にあらたまって私にお辞儀すると、 うやうやしくドアを開けた。

 中は、 ただ広いだけの、 窓もない、 白い壁ばかりが寒々しい殺風景な部屋だった。 部屋の真ん中にポツンと三台、 ひょうたんをグロテスクにしたような、 高さ2メートル足らずの異様な機械が鎮座している。 機械からはなんだか複雑な配線がグシャグシャと伸びて、 部屋の片隅のデスクの上のコンピューターに繋がっていた。 コンピューターは複雑な計算をしてるのか、 うわんうわん耳障りな音でうなってる。 シックな木目調の内装、 ムーディーな音楽、 ハンサムなウエイター、 この一週間いろいろ妄想していたのに・・・見事に裏切られた。
「なんなの、 これ」
「なんなのこれって、 レストラン遥遥亭。 想像してたのと違ったかしら?」
  タマちゃんは悪びれるふうもなく、 さらりと言った。 それがますます私のカンにさわった。
「タマちゃん、 とぼけないでよ。 これのどこがレストランなの? なんか変な機械があるだけじゃない。 おいしい料理はどこなのよう。 深町さんはどこにいるのよう」
  私はタマちゃんを睨みつけた。
「八木橋さん、 怒らないで。 深町さんはもう来てまーす。 遥遥亭の中であなたを待ってるよ。来てごらん」
タマちゃんは私を例のひょうたんのお化けみたいな機械の前に案内した。 ひょうたんの前の部分はよく見るとスモークガラスって言うのかな、 黒いガラス張りになっていた。 中を覗き込むと、 テレビやサイボーグ協会誌の協会誌で見慣れた深町さんがいた。 普段のスポーティーなユニフォーム姿からは想像できないほど素敵な黒いドレスを身にまとった深町さんは、 歯医者さんにあるような大きな椅子に身を沈めて眠ってた。 深町さんの首筋や、 両腕からはたくさんのコードが伸びて、 両側のなんだか得体の知れない機械に繋がってた。 その姿は、 まるで・・・言いたくないけど・・・壊れた操り人形みたいだった。
「遥遥亭っていうのは、 一種の仮想空間演出装置でーす。 バーチャルリアリティって横文字で言ったほうがかえって分かりやすいかなあ。 いままでのバーチャルリアリティと違うのは、 義体を制御するサポートコンピューターに接続することで、 脳に相当現実に近い感覚を与えることができるということ。 特に遥遥亭は、 味覚にかなり特化したプログラムを入れてるから、 どんな味でも再現できちゃうすぐれものでーす。 これはまだ試作品だけどね。 これを使って、 今日は我が社の全身義体の人たちの慰労会を総務部主催で行いまーす。 八木橋さんは特別ゲストってわけ」
  タマちゃんの説明、 理屈はよく分からなかったけど、 今回の趣旨はよく分かった。 やっぱり私を試作品の実験台に使うつもりなんだ!
「タマちゃん、私を騙したね。 仮想空間だってさ。 所詮まがいものじゃない、 嘘の世界じゃない。 一人でうきうきしてどんな服着てくか散々迷ったのに・・・私、 馬鹿みたい。 結局私は実験台なんだ。 実験動物なんだ。 ひどい、 ひどいよ」
  がらんとした部屋に私の叫び声だけがわんわん響いた。 タマちゃんは何も言い返さない。 私がさんざんタマちゃんを罵って、 タマちゃんを罵った分だけ自分を傷つけて、 何も言うことがなくなるまで大人しくなるまで待っていた。 ようやく大人しくなった私の眼を見て、 静かに、 穏やかに言った。 いつもの間延びした口調じゃなくなってた。

 「残酷なことを言うようだけどね。 貴女がそんなふうに遥遥亭を否定するのは、 結局自分を否定するのと同じだよ。 貴女は確かに生きてるでしょ。 人間でしょ。 なんで人間かって、 それは貴女の見た目じゃない。 貴女には心があるからでしょ。 遥遥亭は確かに見た目はただのブッサイクな機械だよ。 デザインセンスのかけらもないよね。 これから貴女が行くところだって仮想空間。 嘘の、 作り物の世界かもしれない。 でも、 八木橋さん聞いて。 古堅部長も全身義体開発チームのみんなも徹夜で一生懸命頑張ったんだよ。 あなたに美味しい杏仁豆腐を食べさせたいって。 貴女に喜んでもらいたいって。 この機械の中にはそんな開発チームのみんなの心が入ってるんだよ。 お願い、 見た目だけで遥遥亭を否定しないで。 みんなの気持ちを否定しないで」
  昔、 リハビリに音をあげて、 死にたい死にたいとわめいた私を叱咤した厳しいタマちゃんがそこにいた。
「実は義体開発チームの面々は、 あなたの言う悠遊茶館とカティーサークに五日連続で通ったの。 リアルな 味を再現するためにね。 女ばかりの店内にむっさい男どもが集団で押しかけるなんて、 彼らも恥ずかしかっただろうね。 そうまでして、 見ず知らずの貴女を喜ばせたかったんだよ」
  この人たちはそんなにも真剣だったんだ。 私が、 ただ思いつきで、 ジャスミンや佐倉井達と話を合わせられたらいいなあなんて、 軽い気持ちで言っただけのことに、 そこまで真剣になってくれてたんだ。 それなのに、 実験台なんていっちゃって、 私はどんなふうにタマちゃんに、 彼らに詫びればいいんだろう。 私は、私は・・・。
「こんな私のためにみんなそこまでやってくれたって言うの? どうして、 どうして?」
  いっぱい、 いっぱい色んなことが、 言いたかったのに、 言葉が溢れすぎてうまくいえない。
「『もっと、 もっと本当の身体に近づきたい』それが弊社のモットーでーす。 あなたにおいしい杏仁豆腐を食べてもらうのが私達の願い。 それだけでーす」
  いつの間にか、 タマちゃんは、 にこやかな、 いつものおどけた口調に戻ってた。
「タマちゃん分かったよ。 みんな、 ありがとう。 私、 遥遥亭に行きます」
「では、 改めて、 遥遥亭にようこそ」
タマちゃんはまるでお店のウエイトレスさんみたいに、 私に向かって深くお辞儀した。

  ひょうたんのお化けみたいな遥遥亭の中の椅子に緊張気味に腰掛けた私。 これから、 私は深町さんみたいに全身コードだらけにされちゃうんだろうか? 病院の定期検査でもないのに・・・。 タマちゃんに遥遥亭に行くと言ってはみたものの、 さっきの深町さんの操り人形みたいな姿を思い出すと、 正直余り気が進まない。
「タマちゃん? これから私の接続端子使うんだよね。 やっぱり・・・」
「サポートコンピューターにアクセスするだけだから、 検査のときみたいに身体全部の接続端子を使うわけじゃないの。 あなたのタイプの義体だったら首のとこしか使わないから安心して。 ああ、 それから、 あなたの着てる服のデータも遥遥亭に転送されて、 仮想空間上で反映されるから、 かわいいアザオイ着てきたことも無駄にならないよ」
  そうなんだ、 首のとこだけでいいんだ。 このアオザイ、 仮想空間でもちゃんと着てるんだ。 ちょっとほっとした私。 それでも、 髪を掻き揚げて両首筋に張られた肌色のカムフラージュシールをそーっと剥がして、 肌との継ぎ目もあらわな接続端子のカバーを露出させた時にはやっぱり憂鬱になった。 どんなに生身の身体そっくりにできていてもやっぱり機械の身体なんだなって自覚させられちゃうからね。 自分でカバーを開いて銀色の接続端子を剥き出しにして、 格好だけのため息をつく。病院で毎月やってるお決まりの作業とはいえ、 こればっかりはいつまでも慣れない。 自分のこんな姿を晒すのは、 はっきりいって、 私にとっては裸を見られるよりずーっと恥ずかしいことなんだからね。 まあ、 タマちゃん相手に恥ずかしがってもしょうがないんだけどさ。


  タマちゃんは、 私と遥遥亭をテキパキ手際よくコードでつないでいく。 普段はやたらとおしゃべりなタマちゃんだけど、 そういえば、 こういうときは私の気持ちを察して黙っていてくれたな。 なんか昔を思い出しちゃうよ。 作業に没頭しているタマちゃんを横目で見ながら、 作業中悪いとは思ったんだけど、 私は、 さっきからどうしても気になっていることを聞いてみた。
「あのね、 タマちゃん。 遥遥亭って三台あるでしょ。 一つは深町さんが入ってる、 一つは私でしょ。 あともう一つは一体誰?」
「もう一台はねえ。 ふふふ。 誰かなあ。 誰でしょう。 行ってみればすぐ分かりまーす」
  タマちゃんは答えを教えてくれなかった。 意地悪。

  私と遥遥亭との接続作業を終えたタマちゃんは、 部屋の隅のパソコンに向かった。どうやらあそこで遥遥亭をコントロールするみたい。
「八木橋さんのサポートコンピューターのアクセスコードはなんだったっけ? yuko.yagihashi17でいいんだったっけ? なんかアクセス拒否されちゃうみたいだけど」
「タマちゃん、 それ間違ってる。 だけどお医者さんには、 アクセスコードは誰にも言うなっていわれてるんだよ。 誰かがサポコンにアクセスしたことがばれたら、 怒られるのは私なんだからね」
  アクセスコードは、 本当に信用できる人にしか教えられない私のトップシークレット。 普通知っているのは本人と担当医とケアサポーターだけ。 下手にサポートコンピューターの設定を素人がいじったら、 最悪私の命にかかわるからね。
「私はあなたの元ケアサポでーす。 私には知る権利がありまーす。 大丈夫、 アクセスの痕跡は私が残さず消してあげる」
「ホントだね? ホントだね? 私、 タマちゃんを信用するからね。 えーと、 半角英文字でy.yagee17」
「そういえばそうだったね。 ユーコヤギー17歳。 今更ながら思い出しましたー。 おー! 繋がった、 繋がった。 バンザーイ。 ではこれから八木橋さんの外観データをスキャニングして、 それからサポートコンピューターに遥遥亭のプログラムをインストールしなきゃいけないの。 最初はサポコンと脳の接続を切らないといけないから、 ちょっと寂しい思いをさせちゃうかもしれないけど我慢してね」
  げっ! サポートコンピューターと脳の接続を切られる。 これは、 全身義体の私達にとってはすっごく嫌なことなんだよ。 はっきりいって、 一回されたらトラウマになること請け合い。 こればっかりは義体じゃないタマちゃんには分からないんだろうな。 でも・・・やるしかないんでしょ。
「うー、 嫌だけど、 仕方ないんでしょ。 分かったよう」
「それじゃあ、 主電源落としまーす。 用意はいいですか? いーち、 にー、 さーん」
  その瞬間、 全身から力が抜けていった。 感覚はあるし、 眼もまだ見えるけどさ、 身体は全く動かないし、 何もしゃべれないんだ。 まばたきできないまま、 眼をずっと開き続けてるなんて、 本当にお人形さんみたいだよね、 私って。
「次にサポコンと脳の接続を切りまーす。 八木橋さん、 準備はいいね。 すぐ終わるから我慢してね」
(タマちゃんちょっと待ってよう、 心の準備がまだできてないよう)
  そう言いたかったけど、 私の口はもう動かない。 身体も何一つ言う事をきいてくれない。 私が、 この身体の持ち主なのに、 どうしてご主人様の言う事が聞けないのさっ! このガラクタっ! 嫌だ、 嫌だよう、 接続切らないでよう。 怖いよ。 怖いよ。
  そんな私の気持ちにはまるでおかまいなしに、 タマちゃんの無情のカウントダウン。
「はい、 いーち、 にー、 さーん」
  プツン!
  視界がテレビのスイッチを切ったみたいにプッツリ消えて目の前が真っ暗になった。 何も見えないし聞こえないし、感じない。 上も下もない永遠の暗闇。 本当の自分はもう身体のない、 生命維持装置に繋がれたただの脳の塊なんだっていやが上にも思い知らされる。 サポートコンピューターの助けのない今の私なんてミジンコより無力な存在。 暗いよう、 怖いよう、 タマちゃん、 助けて、 助けて! 誰にも届かないって分かってたけど、 無限の暗黒に向かって私は、 私の魂は、 一人ぼっちで叫び続けた。

  ・・・どれくらいたったんだろう。 多分ほんの数十秒くらいのことだったんだろうけど、 私には無限に感じられた暗黒が終わって、 だしぬけに身体の感覚が戻った。 気がつくと私は上も下もぜーんぶ真っ白な世界の中に一人で立っていた。 まるで深い霧の中か、 ミルクの海にでもいるみたい。 あわてて、 自分の身体を確認する私。 手も、 足も、 身体も全部ついてる。 アオザイもしっかり着てる。 でも、 何故か眼鏡だけがなくなってた。
”やっほー。 八木橋さーん、 具合はどう?”
  タマちゃんの声だ。 姿は見えないけど、 どこからかタマちゃんの声が聞こえた。
「タマちゃーん、 どこにいるのー。 ここはどこなのー。 真っ白けで自分の身体以外は何も見えないよう」
”どこにいるって、 私はさっきからずっとコンピューターデスクの前でーす。 八木橋さんは今、 椅子の上で気持ちよさそうに眠ってまーす。 眼は閉じてあげたから安心して。 ふふふ”
「意地悪しないで教えて!」
”あなたの意識は今、 仮想空間に入ったところでーす。 これから遥遥亭への入り口を用意しまーす。 そーれっ”
  タマちゃんの掛け声とともに、 目の前の何もない空間にいきなりに扉が現れた。 なんだかタマちゃん魔法使いみたいだ。 扉は古くて重そうな木製で、 さっきみたいに「遥遥亭」って札がかかってる。 この扉の向こうに深町さんと、 もう一人、 私の知らない誰かがいるんだ。 いったいどんな所なんだろう、 何が食べられるんだろう。 期待と好奇心で興奮して私なんだかドキドキしてる。
  え?ドキドキしてる?
  恐る恐る左胸に手をあててみた。 そうしたら・・・私の心臓が確かにとくんとくんって脈打ってたんだ。
”ふふふ、 八木橋さん、 びっくりした? 遥遥亭で体験できるのは味覚だけじゃないよ。 最終的には生身の感覚すべてを再現するのが目標なの。 まだこれは試作品だから 、完全再現とまではいかないけどね”
「すごいよ、 タマちゃん。 この機械、 本当にすごい! これが私の身体? まるで生きてるみたいだよ。 これが作り物の感覚なんて信じられない! イソジマ電工ってやっぱりすごい会社なんだ。 私、中に入るね。 早く杏仁豆腐が食べたいよう」
  興奮してドアを開けて中入ろうとした私にタマちゃんは余計な一言を付け加えた。
”ああ、 そうそう。 プログラムをいじって眼鏡は外してあげたからね。 たまには眼鏡の要らないきれいな世界を楽しんでごらんよ。 考えが変わるかもしれないよ。 ふふふ”
  タマちゃんの顔は見えないけど、 今、 どんな顔してるかカンタンに想像がつくよ。 きっといたずらっ子みたいな顔してるに違いないんだ。

 遥遥亭は思ったより小さなところだった。 広さでいうと十畳一間くらいの部屋が一間だけ。 レストランというよりは山の中の小さなログハウスみたい。 外は夜っていう設定なのかな。 窓もあるけど、 外は真っ暗で何もみえない。 部屋には裸電球が一つ寂しげに下がっているだけだったけど、 暖炉もあって、 火が赤々と燃えていたので、 部屋の中は優しげなオレンジ色で満ちていて、 暗いとは感じなかった。 私はアオザイを着ているだけで、 上着も羽織っていなかったんだけど、 部屋の中は暑くも寒くもない、 丁度良い温度に保たれていた。 暖炉だけ見たら真冬みたいなのに、 なんだかとても不思議な感じがした。 もっとも、 こんなことはあとで落ち着いてから遥遥亭を観察して感じた印象で、 ホントは入ってすぐにテーブルを挟んで切り株みたいな椅子に腰掛けてる男女に眼を奪われちゃったんだけどね。
「はじめまして、 あなたが八木橋さんね。 環から話は聞いてるわ。 今日は宜しく。 あら、 その服はアオザイね。 似合っとるがねー。 かわいいー」
  テレビで見慣れた長身の美女が私に向かって、 わざわざ立ち上がって親しげに声をかけてくれる。 褒められた、 褒められた。 深町さんから褒められた。 でも、 あなたのその黒いドレスのほうが、 私なんかよりよっぽど素敵です。 白い肌によく似合ってます。
「あっ、 有難うございます。 ふ、 ふ、 深町さん。 こちらこそ宜しくお願いします」
  身長180cm(と何かの雑誌で読んだことがある)の深町さんを見上げながら緊張してギクシャクとしかしゃべれない私。 いつもテレビでご活躍を拝見してますとか、 パラリンピック頑張ってくださいとか、 もっと気の利いた一言でも言えればよかったんだけど、 いざ憧れの人が目の前にいるとあがっちゃって、 何も言えなくなっちゃうもんなんだよね。
  私も、 深町さんも全身義体なんだから、 元の顔立ちとか身長とか関係なくいくらでも理想のプロポーションが作れるだろって思われがちなんだけどさ、 結局は生身の身体に極力近いサイズの義体に入るのがルールになってるし、 スタイルだって、 顔立ちだってもとの身体とほぼ同じにすることが、 法律で義務付けられているんだよね。 私は昔は163.7cmだったけど、 今は義体になったから165cmちょっきり。 そんなに背が低いわけじゃないけど、 深町さんと比べたらずっと小さいよね。 胸だって、 義体になったからって大きくなったわけでもなし。 何が言いたいかというと、 義体でも綺麗でスタイルのいい人は、 生身の身体のだった時でも、 綺麗でスタイルが良かったということ。 これ以上は・・・私が虚しくなるからやめときます。

「八木橋さん、 よくいらっしゃいましたね。 お久しぶりです。 まあ、 とりあえず腰掛けてください」
  深町さんとあともう一人の人は三十代後半くらいの目鼻立ちのはっきりしたカッコいい男性だった。 えーと、 この人だれだっけ? どこかで見た事あるような、 あるような。
「面接の時は、 もっと君と話したかったんだけど、 まさか帰ってしまうとはね。 いやはやあの時は驚きました」
  全然驚いている風でもなく、 さらりと冷静に語るこの口調。 思い出した。 古堅部長だ。 面接の時、 全身義身体のことを広告塔って言い切った、 私のことを実験台とはっきり言い切った、 あのいけ好かないおじさんだ。 ってことは何? ここにいるってことは、 古堅部長も全身義体だったんだ。 びっくり。
「うー・・・、 今晩は。 あ、 あの、 本日は宜しくお願いします」
やっとのことで、 それだけ口にする私。 今日の私は緊張したり、 驚いたり、 なんだか忙しいよ。
「驚いたのはお互い様ですね。 この前の面接のときは私、 今日はあなたです。 お互いの正体が分かったところで、 もう一度お話してみましょうか」
  古堅部長は穏やかに言った。

  私が深町さんの隣に腰掛けたところで、 待ってましたとばかりに部屋の中にタマちゃんの小鳥みたいな声が響いた。
"じゃー、 皆様お揃いになりましたところで、 そろそろはじめたいと思いまーす。 はい拍手ー"
  パチパチパチパチ
"レディース&ジェントルメーン、 日々のお仕事誠にお疲れ様でしたっ! 本日は総務部の主催にて、全身義体の方々の慰労を兼ねた食事会を開催させていただきまーす。 今回は第一回目として三名の方にお越しいただいております。 皆様お忙しい中お越しくださいまして、 誠にありがとうございました。 司会進行を勤めさせていただきますのは、 私、 総務部のアイドル汀環です。 皆様宜しくお願いしまーす"
「彼女と私は同期入社なの。 まっ、 アイドルはアイドルでもトウのたったアイドルってとこかしらね」
  深町さんが小声で私に耳打ちした。
"こらっ香織、 こっちにぜーんぶ聞こえてまーす"
「おおー、 相変わらず怖いがね。 環は。 それじゃあ、 今度からはもっと小声で言いますね」
  深町さんは外人さんみたいに大げさに肩をすくめた。 それが可笑しくて私、 いけないと思いながらもつい笑っちゃったよ。 それで、 緊張がほぐれた。 有難う深町さん。
"八木橋さん今笑ったね。 ちゃんと覚えておきますからあとで覚悟しておいてね。 ふふふ"
  タマちゃん、 怖いよう、 ははは。
"それでは気を取り直しまして、 出席者の紹介のほうに参りたいと思います。 まずは、 弊社きっての赤字部門、 義体開発部を率いる我らがリーダーにしてイソジマの誇る天才技術者。 こら社長。 コスト、 コストと煩いぞ。 その赤字はイソジマの良心! イソジマの誇り! でも頼むから愛想はもうちょっとよくしてくれ、 怒られてるのか、 褒められてるのか分からないってもっぱら評判。 ミスターよーたろー、 ふーるーげーん"
  パチパチパチパチ。
  古堅部長の様子を見た深町さん
「あらら、 古堅部長喜んでるわよ」
とまた私にこそこそ耳打ちした。
  喜んでるって言っても、 古堅部長、 表情全然変わってないんですけど・・・。
「ああやって、 鼻を掴んでいる時は部長が喜んでるって証拠なの、 仮想空間上でも変わらないのね。 今日は環がいるからだわ」
「汀さんがいるとどうなんですか?」
  なんで、 そこでタマちゃんが出てくるんだろう。 不思議に思って私は深町さんに聞いた。
「あれ、 八木橋さん知らなかったんだ。 環が話してないの? 古堅部長と環は付き合ってるんだよ。 昔っからずーっとね」
ええっ! えっ! 初耳なんですけど。 あのタマちゃんがあんな陰気くさい古堅部長とねえ。 人間って本当に分からない。 男女の仲はもっと分からない。 でも、 義体の人と、ずうっと付き合ってたってことであれば、 タマちゃんが義体じゃないのに、 あんなに義体の人の気持ちを知り尽くしているってことにも合点がいく。 タマちゃんはいつも私のことを気にかけるばかりで、 自分のことを話したことなんてそういえばなかったな。 なんだか今日は驚くことばかりだ。
  そんなことを影で話されているともしらず、 今日のタマちゃんは一人舌好調。
"ご存知弊社の広告塔。 我らがウイングスの熱血スーパーエースにして毒舌女王。 普段はおっとりお淑やか。 でもボールを持ったらコートの鬼。 二重人格はAB型の血がなせる業か。 奮したときに思わず出ちゃう名古屋弁も素敵。 パラリンピックも期待してるぞ。 広告宣伝部所属、 ミスかおり、ふ ーかーまーちー"
  パチパチパチパチ。
「二重人格で悪かったわね。 私の身体に血なんかほとんどないのにね。 血液型なんて 関係ないでしょ。もともとこういう性格なのよ。 私は」
  うーん、 私は深町さんみたいに自分の身体をネタにできるほど強くはないぞ。
やっぱり深町さんは世の中でもまれているだけあって、 私なんかより一回りも二周りも大きい人だ。 身体も。 もちろん心も。
"それから、 忘れちゃいけないもう一人、 今日はかわいいゲストが来ています。
古堅部長からのたってのお願いで、 この場に参加していただくことになりました。 星修大の学生さん、 自慢のアザオイで今日も溌剌。 普段は眼鏡をかけてるけれど、 眼鏡を取ったら美人だぞ。 ミスゆーこ、やーぎーはーしー"
  パチパチパチパチ。
  アザオイのところで、 深町さん思いっきり吹き出した。 アザオイってひょっとしてアオザイのつもりだよね、 と私にこそこそ確認してニヤニヤ笑ってる。 どうやら深町さんも訂正してあげる気はなさそうだ。
"さあ、 では紹介が終わりましたところで、 とりあえずビールで乾杯を。 皆さんどうぞー、 えーい、それっ"
  タマちゃんの掛け声で、 テーブルの上にいきなり瓶ビールとグラスが三つづつ出現した。 きっとタマちゃんのことだから、 誰も見ていないのにオーバーアクションでパソコンのエンターキーを押してるに違いない。
「うわー、 うわー、 ビールなんて超久しぶりだがねー。 とりあえずビールなんて、 環、 ビールに失礼だがね」
  目の前に出現した琥珀色の液体に深町さんは大興奮。 グラスを手にしてじっくりと上から下から眺めてる。 今にも飲み干したそうな雰囲気だ。 きっと、 深町さん、 昔はビール党だったんだね。
"まだ、 ウエィターやウエイトレスを出すなんていう気の利いたプログラムはできていないそうですので、 本日は私のマジックショーで我慢してください、 ふふふ、 では、 乾杯の音頭を古堅部長から・・・"
「環、 環。 挨拶なんて後回しでいいがね。 私、 我慢できんがね。 部長、 かんぱーい、 ほら八木橋さんも、 かんぱーい」
  深町さんは大喜び。 なし崩し的に古堅部長や、 私を巻き込んで乾杯を始めた。 さすがの古堅部長も深町さんの勢いに押されて苦笑しながらも乾杯に応じてる。
  私、 ビールって飲んだことないんだよね。 義体になったのは17歳の時だし、 それから六年間はビールどころか水の一杯だって口にできない体になっちゃったから。
  えーい、 飲んじゃえ。
  うぇー苦—い。 そういえば、 苦いってこんな感じだったな。 でもビールが喉を通る感覚ってこんなに爽やかだったんだね。
"それでは乾杯も済んだところで、 まず最初の一品に参りたいと思います。古堅部長から故郷の味、 ゴーヤちゃんぷるーのリクエストが入ってまーす。 ではゴーヤさん、 めんそーれー!"
  タマちゃんの掛け声とともに、 テーブルの上に料理ののったお皿が三つ現れる。 とんでもない光景なのかもしれないけど、 こう立て続けに起きると慣れちゃった。
「うん、 まあまあだな」
  古堅部長は、 相変わらず無表情のまま、 もぐもぐやってる。
「うわ、 苦っ、 苦くてわやだがね。 私は苦いものが食べられなかったのよね。 好き嫌い激しくて」
  これは深町さん。 私はというと、 これが苦手な味だった。 六年ぶりの食事だというのに、 聞いた こともない料理を出されて、 ちょっとがっかりしてる。 だってビールは喉越しは爽やかだったけど、やっぱり苦いし、 ゴーヤちゃんぷるーも苦いんだもん。 これじゃあ、 食事に来たのか修行に来たのか分からないよ。
「ほら、 八木橋さん、 古堅部長を見てごらん。 相変わらず美味いんだか不味いんだか分からない顔してるでしょ。 でもね、 鼻掴んでるでしょ。 あれ相当喜んでる証拠だから」
  深町さんは、 すぐに箸を進めるのをやめてもっぱら古堅部長観察に夢中になってる。
"次は深町香織さんからのリクエストの味噌煮込みうどんでーす"
今度の料理は深町さんのリクエストだから、 少しはましかなと思ったんだけどさ、 私はこの味も駄目だった・・・。 古堅部長も、 深町さんも、 リクエストがマニアックすぎだよ。 もっとこう、 カレーとかさ、 ラーメンとかさ、 万人受けする無難なリクエストにしてよ。 私みたいにさ。

「だけど、 最初の頃に比べたらすごい進歩だよね。 遥遥亭は。 ねえ古堅部長。 なんだか今日は特に美味しい気がするわ」
  深町さんは味噌煮込みうどんを美味しそうに頬張りながらもしゃべり続ける。 きっと大好物だったんだろう。
「そうだな」
「八木橋さん、 私ね、 仮想空間で食事体験ができるって初めて言われた時、 喜んで義体開発室に来たの。 食事なんてできない身体になってもう長いこと経っちゃってたから、 あの感覚がもう一回味わえるのねって結構わくわくしてたわ。 そしたらね、 その時のメニューはカレーライスとみつ豆だったんだけどね、 いざ遥遥亭、 確かその時は仮想食事体験機試作A型みたいな味気ない名前がついてたわね、 まあいいや、 その遥遥亭の中に入ったらね、 なんとみつ豆味のカレーとカレー味のみつ豆がでてきたの。 単純なプログラムミスだったかもしれないけど、 あれには往生こいたわ。 私の練習時間返せって感じ」
「深町さん、 じゃあ、 今日がこの中に入るのが始めてってわけじゃないんですね」
「あったり前だがね。 もう何度も何度も入ったよ。 私が、 ここの連中に味のなんたるかってもんを一から教育してやったわ。 義体開発化の野郎どもなんて、 忙しいのか知らないけど、 食事もろくにとらんやつばっかりで、 美味しいもまずいも何も分からない人達ばっかりだったもの」
  そうだよね、 今日のビールが苦いのも、 心臓がトクトク動いてるのも、 私はもう当たり前のように受け取めちゃってるけど、 その影には深町さんが何度も何度もこの世界に入ったからこそなんだなって、 初めて気づかされた。 全身にコードさされて、 脳とサポートコンピューターの接続を何度も何度も切られて、 機械の身体なんだとその度に思い知らされて・・・古堅部長だって、 今この場にいるんだもの。 きっとそうだ。 私だって全身義体の機械の身体だもの、 その辛さは痛いほどよく分かる。 そんな思いをして、 この世界を作り出したこの人達が実験動物のはずがないよ。
  そう思ったら、 ゴーヤちゃんぷるが、 味噌煮込みうどんが、 どんなに私が苦手な味でも、 残しちゃいけない気がした。 ゆっくりと、 時間をかけて、 味わって食べよう。 せっかくの六年ぶりの食事なんだもの。

「八木橋さん。 どうですか、 遥遥亭は」
  今まで、 ゴーヤちゃんぷるーを食べるばっかりで、 ほとんど口を聞かなかった古堅部長が唐突に私に話を振った。 相変わらず、 無表情でこの人怖い。
「と、 とてもすばらしいところです」
「君は、 確か面接の時に実験台になるのは、 ごめんだと言っていたね。 人間なのに、 なぜ人間らしい暮らしができないのか、 とも」
「はい、 言いました」
  あの時の、 苦い記憶がちょっと蘇った。
「しかし、 実験なくして進歩はありえない。 それは認めるね」
「・・・はい。 私、 あの時、 実験台なんて言葉を使ってしまったこと、 今は後悔しています。 遥遥亭一つ作ることでも、 古堅部長や深町さん、 汀さん、 開発課の皆さん、 たくさんの人の思いが詰まっているっていてことを、 さっき汀さんに教えてもらいました。 それなのに、 私、 自分は義体だから実験動物みたいに扱われるなんて言ってしまって、 本当に申し訳なく思っています」
「気にしなくていい。 君は誤解しているかもしれないが、 私が、 君を評価しているのは、 君が、 ただ全身義体だからというわけではないよ。 私が君を評価しているのは、 君が、 たとえ作り物の身体だったとしても人間らしくありたいということに非常に執着しているからだ。 そのことに関しては、 私も深町も君と全く同じだ。 ただ、 一つ違うのは、 君はただ過去に執着しているだけ。 現状を改善しようという努力をなんらせず、 ただただ不満を述べているにすぎない。 深町は違うぞ。 たとえ実験台と言われようとも、 動く広告塔と言われようとも、 カネを作り、 君の言う人間らしい 暮らしってやつをなんとか手に入れてやろうとあがいている。 結果、 今、 君が、 その成果を享受しているという訳だ。 違うかね」
「ちょっと、 古堅部長。 今日は慰労会なんですよ。 そんな話は後でいいじゃないですか」
  深町さんが止めに入ったけど、 それにかまわず古堅さんは続けた。
「もちろん、 君の人生だ。 イソジマ電工に入るか、 他の道を選ぶかは好きにするがいい。 ただ、 君の持つ人間の身体へのこだわり、 それは、 今後の義体技術の改善に必ずいい成果を産むに違いない。 そして、 多くの義体使用者に幸せを与えることができる、 私はそう確信している。 正直、 君のこだわりにはみな辟易していたぞ。 杏仁豆腐を二つだって? 初め聞いた時は何を馬鹿なことをと思ったものだが、 そのこだわりこそが、 人間の人間たる所以ではないかと気づかされたよ。 どうやら義体開発チームの負けじ魂に火をつけてしまったみたいだな。 味の再現プログラムがさらに改善されたようだ。 おかげで今日のゴーヤちゃんぷるーはすこぶる美味しかった。 まるで、 昔に戻ったようだったよ。 まず、 一つ幸せになったのはどうやらこの私だったようだな。 八木橋さん、 有難う。 礼を言わせてもらう」
  そういって、 初めて古堅さんは私に向かってにっこり微笑んだ。 礼を言わせてもらうだって、 礼を言うのは私のほうだ。 私なんて、 ただ二つ好きなものをリクエストしたいってタマちゃんに我侭をいっただけだ。 ただの、 たかが女子大生の我侭に真剣に付き合ってくれたのは、 古堅さん、 あなたじゃないんですか? 義体開発課の皆さんじゃないんですか? 私なんて馬鹿だから、 こんなすごい人達のいる会社に入ったって、 きっと何もできないよう。 それなのに、 それなのに私が必要だなんて、 私なんて答えたらいいんだろう。
「古堅部長、 私こそ有難うございます」
  もっと言葉を続けようとしたら、 まぶたの裏が熱くなって、 涙がポロポロ溢れてきた。 たくさん、 たくさん、 古堅さんに、 みんなにお礼を言いたかったのに、 こんなに泣いちゃったら何も言えないじゃない。 なんで泣くのさ。 こんなときに。 何もこんなところまで再現しなくたっていいんだよう。 古堅さんは泣きじゃくる私に近寄ってそっと頭を撫でてくれた。 私、 もう大学生だよ。 こんな、 泣いて、 それで頭撫でられて、 なんてみっともないんだろう。
「あらら、 八木橋さん、 泣いてるわよ。 なんで泣くのかしらね。 泣き虫さんね」
深町さんが、 そんな私を見て優しくささやいた。
  何故だか、 何故だか分からないけどすーっと小さいころの、 記憶の奥底に眠っていたお父さんとお母さんの思い出と重なっちゃった。 それで、 また泣き出しちゃう私。 今日の私はまるで幼稚園児みたいだ。
「私はこれで失礼するよ。 もうしばらく寝ていないんでね。 杏仁豆腐、 深町と二人でじっくり味わうといい」
  古堅さんは、 そう言い残してドアの向こうの白い世界に消えていった。 古堅さんってなんて陰気な人だろうと思っていたけど、 タマちゃんが好きになったのも、 ちょっと分かった気がしたよ。

「ひょっとして八木橋さん、 今の古堅部長の話を聞いて、 ウチの会社に来る気になっちゃったかしら?でもね。 よーく考えたほうがいいよ。 どんなに言葉を言い繕っても、 私は会社から見たら所詮実験台だからね。 あなたが、 面接で言ったことは決して間違ってない」
  深町さんと二人っきりになった遥遥亭、 今までの明るくはしゃいでいた深町さんの様子が変わった。 どうして深町さんがそんなことを言うんだろう。 いつも、 颯爽と格好いい深町さんが実験台のはずがないじゃない。
”ちょっと、 香織。 せっかく部長が八木橋さんをうちの会社にって誘ってくれているのに、 そんな言い方で水をさすことはないじゃない。 八木橋さん、 あなたは実験台じゃない! 香織だって実験台じゃない! うちの会社は、 そんな会社じゃない!”
  タマちゃんが、 突然とり乱したように叫んだ。 狭い遥遥亭の仲に、 タマちゃんの高い声がわんわん響く。 私の知っているタマちゃんはいつも冷静だったはず。 いったい、 何がどうなってるの。
「環は黙っていて。 貴女はいつから企業の代弁者になるほど偉くなったの? それとも愛しの古堅遥太郎さんの言いなり? 古堅部長が八木橋さんを買っているのはよく分かったわ。 古堅部長が悪い人じゃないってことも、 よく知ってる。 でも八木橋さんには本当のことを知ってもらいたいの。 うわっつらだけの理解でうちの会社に入っちゃって辛い思いをするのは、 この娘なんだよ。 遥遥亭は、 作るほうは本当に大変だったかもしれない。 でも私としては、 うーんと楽な仕事だった。 何より楽しいしね。 でも全部がぜんぶ、 こんなに楽しいわけじゃない、 むしろつらいことのほうが多いの。 そこのところをよーっく考えてほしいの」
”さっき香織も言ったでしょ。 これは慰労会です。 八木橋さんに美味しい杏仁豆腐を食べてもらう。 それが 今回の趣旨です”
「表向きはね。 でも、 慰労会を兼ねた、 八木橋さんの説得の場でもあるんでしょ。 香織も部長に協力してあげてって、 環、 確か打ち合わせの時、 そう言ってたわよね。 ふふふ、 ばらしちゃった」
”言った。 確かに言いました。 でも八木橋さんに誤解されるような表現はよしてくれるかな? 私は八木橋さんの元ケア・サポーターでーす。 八木橋さんの性格はあなたより、 ずーっとよく知ってまーす。 この娘は両親を亡くして、 一人ぼっちで、 今までつらい思いをして生きたんだ。 そして、 これからも生きていかなきゃいけない。 でも、 義体の身体で、 普通の暮らしをしていくのは、 今の世の中とっても難しいんだ。 それは香織のほうがよく分かってるでしょ? だから、 ウチに入ってもらうのが彼女にとって一番いいんだ。 あなただって協力するって言ったでしょ。 何で今になってそんなこと言うの。 わけわからないよ!”
「そう、 環は彼女のケア・サポーターであって、 彼女の母親じゃない。 これからどうするか決めるのは 環じゃない。 八木橋さん自身よ」
  二人が喧嘩腰で怒鳴りあうのを私はじっと見守っていた。 本当は二人を止めるべきだったのかもしれない。ううん、 ひょっとしたら、 タマちゃんを怒るべきだったのかもしれない。 古堅さんが私を 会社に引き入れようとしているのを知って今回の食事会をセッテイングしたのはタマちゃん。 私が 深町さんに憧れているのを知って深町さんを担ぎ出したのもタマちゃん。 そういうことだったんだね。 つまり、 私はタマちゃんの手の平で踊っていたってことだ。
  でも、 タマちゃんが、 私のことをよく知っているように、 私だってタマちゃんのことをよーく知っている。 タマちゃんは、 私と面接の時に偶然会った時からずーっと悩んで、 私の事をよくよく考えた末に、 私が思い直してイソジマ電工に入るよう説得しようと思ったに違いないんだ。
  深町さんだって、 私にとっては機械の身体ってことしか共通点がないくらい、 雲の上の人なのに、 今日会ったばかりのはずなのに、 こんなに真剣に私の事を考えてくれる。 そんな二人をどうして私が止める権利があるんだろう。 どうして私がタマちゃんを責めることができるだろう。
「八木橋さん、 今から私の言う話をよく聞いて。 参考にならないかもしれないけど、 これから私のことを話します。 この会社で働くってことが、 どういうことか知ってもらいたいから」
  タマちゃんがおっとりお淑やかって表現してた、 今までの穏やかな表情の深町さんは、 そこにはいなかった。 代わりにコートの鬼、 とても綺麗だけど、 とても厳しい顔をした人がそこにいた。

「八木橋さんは、 彼氏いるのかしら?」
  深町さん、 どんなことを話すんだろうと思って身構えていたら、 いきなりこんなこと聞かれて拍子ぬけしちゃった。
「うー、 一応・・・います」
「そう、 羨ましいわ。 どう、 彼氏とセックスは楽しんでる?」
「い、 い、 一応、 ひ、 人並みには・・・そ、 その楽しんでる・・・つもりですけど」
  一体、 何ていうことを聞く人だろう。 今、 私、 耳まで真っ赤になっちゃってるはずだ。 でも、 実際、 藤原とは、 あのあと毎週のように会ってはHしちゃってる私。 Hって私が機械じゃなくて、 やっぱり人間なんだって実感できる数少ない行為。 だから私は恥ずかしいけどHが大好きだったりする。 淫乱女ってわけでは決してないんだけどさ。
「私が義体になった頃はねえ、 義体にそんな機能なんてなかったの。 八木橋さんが義体になったのは、 何年前のことかしら」
「だいたい六年くらいです。 高校二年のとき・・・です」
「御免ね、 つらいこと思い出させちゃって。 じゃあ、 ちょうどその頃からかしらね。 義体にその機能がついたのは」
  機械の身体になって、 人間性っていうものをことごとく奪われたと思っていた私でさえ、 Hだけは当たり前のようにできるもんだとしか思っていなかった。 ほんのちょっと前までは義体の人はHすらできなかったなんて考えもしなかった。 もしも、 私が、 Hすらできなかったら、 どうやって自分が人間だって自覚できただろう。
「今のイソジマ製女性型義体のセックス機能の雛形の実験台になったのは実は私。 恩着せがましい言い方をするとね、 あなたが彼氏とそうやって楽しんでいられるのも、 実は私のお陰ってわけ。 どんな実験だったと思う? 機械に繋がれて性感信号送られて、 体の反応も見られて何度も何度も調整されたの。 あなたに想像つくかしら。 どうして、 私がそこまで恥をさらして頑張ったんだと思う? 私は義体になってる全ての人のための犠牲になって実験に身を捧げるなんて、 悲劇のヒロインを気取ってたわけじゃないの。 全ては私のため。 その時私が恋をしていたから。 好きな人と一つになりたかったから。 だから、 私は何だって我慢できた。 結局はその恋はうまくいかなかったんだけどね。 私は、 女のくせにこんなに背が高いし性格も生意気だしね。 決してもてるほうじゃない。 ふふふ、 恋愛の話はもうやめましょう。」
  深町さんはどこかずっと遠いところを見るような眼をした。 そうだったんだ。 この人が恋をしたから、 今、 私は藤原と一緒になれるんだ。 でも、 もしも、 私が深町さんだったら、 そこまで思い切れるだろうか。 恋人のために? 世界中の義体の人達のために? 私は、 自分が実験台に繋がれている光景を想像しかけたけど、 怖くなって考えるのをやめた。 そんなこととてもできそうにない・・・。
「私には、 誰にも負けたくないもの、 誰よりも好きなものがある。 それはバレーボール。 若い時にはオリンピックの代表にもなったの。 だから、 重い病気を患って、 こんな身体になっても、 それでも、 私はバレーボールが続けたかった。 だって、 バレーボールは私が生きる意味そのものだもの。 こんな身体でもバレーボールをさせてくれる会社なんて、 当時はイソジマ電工ウイングスしかなかった。 社会人スポーツは結局企業の宣伝のためのものよね。 ウイングスに入るって事は、 常に自分の機械の身体を晒して、 アピールしなければならないってこと。 だって、 それが、 この会社がわざわざスポーツチームを持ってる意味だもの。 確かにマスコミに出たり、 取材を受けたりして賞賛されたりもした。 悲劇のヒロイン扱いもしてくれた。 だけど、 それ以上に陰でいわれない非難や中傷も受けたわ。 でもウイングスに人気があって、 広告効果がある限り、 私はいつまでもバレーボールを続けていられる。 私は、 バレーボールが続けられるなら、 なんだってするよ。 新しい義手、 義足の開発、 マスコミへのサービス、 勝つためなら、 チームが人気が出るなら、 バレーボールが続けられるなら、 私は、 実験台でもかまわない。 私は決して、 義体の人達のために身を犠牲にしているわけじゃないの。 会社に貢献したいがために働いてるわけでもない。
私は私のためにここで働いている。 あなたは何のためにイソジマ電工で働くの? 古堅部長は、 あなたは多くの義体使用者に幸せを与えることができるなんていったけど、 そんな言葉に酔っていたって結局は現実を目の前にしたら失望するだけ。 もう一度聞くわ。 あなたは何のために働く?」

  そう、 私は、 私は何のために働くんだろう。 何のために就職活動をしたんだろう。 何で、 宇宙開発事業団に、 自衛隊に、 警察に、 入ろうとしなかったんだろう。 どうして、 今、 イソジマ電工に入ろうと思っているんだろう。 そう、 答えなんて分かりきっている。 人間らしく暮らしたいからだ。
「私はこんなふうに、 全身義体の機械の身体で、 ただ生きていくだけでも、 とてもお金がかかります。 でも、 私には好きな人がいて、 彼は無邪気に私達は将来幸せになるって信じきってるんです。 そんな時に、 私がお金の話なんかして、 彼の夢を壊すようなことはできない。 でも、 現実を呪っていても何の進歩もない。 私が何とかしなければいけないんだ。 私は、 もう覚悟は決めてます。 私には幸せになりたいっていう、 人間らしく生きたいっていう強い意思があるから、 私は決して実験台じゃない。 意思のある実験台なんてない、 もしあるとすれば、 それは実験台じゃなくて人間にほかならないはず。 私はそう思います。 そう思うことにします。 深町さん、 タマちゃん。 私は、 私のために、 今、 私がつかみかけてる小さな幸せを守るために、 御社で働きます。」
  本当に、 どんなことにも耐える自信があるかは、 実際その時になってみないと分からない。 でも、 この会社には少なくともタマちゃんがいて、 深町さんがいて、 古堅さんがいる。 それぞれ考え方は違うかもしれないけど、 私のことを理解してくれる立派な人達がいる。 この会社なら、こんな機械の身体の私でも幸せになれるかもしれない。
"ありがとう八木橋さん。 とても女の子らしい答えだと思いまーす。 なんか、私と古堅とダブっちゃうな。 男って単純だよね。 いつも無邪気に夢ばかりおいかけて。 古堅もそう。 あの人は、 いつも大人びた振る舞いをするけど、 根っこは子供のまま。 いつも何か新しいことを発見するのに夢中になって、 理想ばかり追いかけて。 結局は会社に利用されてるだけなのにね。 女だって単純。 男と一緒に夢を見るために、 いつも現実と理想の板ばさみに合いながら折り合いをつけて、 あくせくしてるんだ。 私みたいにね。 そんな、 男たちと、 いいえ、 男の子たちと女たちが、 この会社をささえてまーす。 こんな会社でよければ、 八木橋さん、 ようこそイソジマ電工へ"
  タマちゃんありがとう。 でもそれは言いすぎ。 男と女の関係がそんなに単純じゃないのは二十歳そこそこの私だって知ってるつもり。 でもリアリストのタマちゃんが言うと妙に説得力があるから不思議だ。 これからもよろしくね。
「ちょっと脅かしちゃったみたいだけど、 あんな思いをするのは私だけで充分。 ひどい扱いをされそうになったら、 私が守ってあげるから安心して。 でも、 八木橋さんの覚悟は分かりました。 あなたなら何とかやっていけそうね。 これからも宜しくね。 でも本当に大変なのはこれからだよ。 うちの会社に入ったら入ったで、 理想と現実の板ばさみ。 世の中、 そんなものなのかもしれないけれど、 特にウチの会社はそれを感じることが多いはず。 悩むことも絶対あるはずだから、 その時は遠慮なく私に相談してちょうだい。 ただ私は環みたいに甘くないからね。 覚悟しておいてね。 ふふふ」
  深町さんありがとう。 貴女がいたから、私がいる。 私の身体は今までずーっと冷たい機械だと思っていた。 でも、 今の私の身体は深町さんや古堅さん、 そして開発課の皆の努力の結晶なんだって分かった。 遥遥亭と同じように、 私の身体にだって、 みんなのそれぞれの想いが、心が、 宿ってるんだよね。 だとしたら、 私の身体は機械かもしれないけど、 決して冷たくなんかない!
"じゃあ、 もういいかな。 八木橋さん、 そろそろ杏仁豆腐が食べたくなーい?"
  食べたい!とても食べたいよう!

  夢のような時間が終わって、 ふと気づいたら私は遥遥亭の歯医者さんの治療台みたいな椅子に一人で座ってた。 首筋にささったプラグを抜いたあと、 なんとなく左胸に手をあててみたけど、 もちろん心臓の音なんてしなかった。 ちゃんとした、 私の機械の身体だ。 もとの世界に戻れてほっとした気持ちもあり、 がっかりした気持ちもあり、 なんだか複雑な気分。 しばらく、 さっきの杏仁豆腐の甘い味を繰り返し思い出して、 しっかりと脳に焼き付けた。 さて、 外に出よう・・・。
「はい、 皆さん拍手—」
  汀さんの高くて澄んだ声。
  パチパチパチパチ。
  大きな拍手。
  パン! パーン! 拍手どころかクラッカーも鳴った。 壁には『歓迎、 八木橋裕子様』なんて垂れ幕までかかっちゃってるし、 壁際にはビールやら日本酒やら焼酎やらおつまみがたくさん並んでる。 それより何より、 この作業着姿の男の人達は誰なの。 さっきまで、 あんな殺風景なガランとした部屋だったのに、 いつの間にこんな賑やかに・・・。
  クラッカーの切れ端を頭に被りながら、 ぽかんとしてる私。 とっさのことで状況がよく飲み込めない。
「ふふふ、 八木橋さん。 驚いた? あなたが仮想空間で食事を楽しんでいる間、 こっちの世界は、 歓迎会の準備で大忙しだったの。 もちろん、 あなたのね。 じゃあ、 義体開発課のメンバーを紹介するね。」
  タマちゃんが、 そう言い終わるよりも早く、 青い作業着姿の若い男の人達が、 わっと私の周りに 群がった。 タマちゃんいわく、 むっさい男ども、 深町さんいわく、 美味しいもまずいも何も分からない人達かあ。 なんだか分かる気がする。 でも、 みんないい顔をしている。 カッコいいかどうかは別にしてもさ。 この人達が、 私の身体を作ってくれたんだね。 遥遥亭を作ってくれたんだね。 みんな、 ありがとう。
「俺、 柏木。 一応リーダーやってます。 んで、 こっちは諏訪、 それから太田。 庄司。 岸田。 長嶺」
「よろしくス」 「ども」 「こんちは」 「汀さんの写真でみるより全然かわいいね」 「八木橋キター!」
  みんな口々に私に声をかけてくれる。
「俺たちで、 杏仁豆腐のプログラム組んでみたんだけど、 どうだったかな? 感想は?」
  ちょっと照れながら、 柏木さんが私に聞いた。
「それ聞きたかったっス」 「俺も」 「どうだった?」 「イケてたでしょ」 「漏れモナー」
「タマちゃ・・・汀さんから聞きました。 みなさん、 リアルな杏仁豆腐の味を再現するために、 女の子ばかりの店に毎日通ってくれたんですよね。 私なんかのために。 私、 もとのお店の味は知ることができないけど、 でも、 みなさんの作ってくれた杏仁豆腐はとっても甘くて、 美味しかった。 昔食べたどんな杏仁豆腐よりも美味しかった。 本当にありがとうございます」
「いやいや、 礼なんてとんでもない。 もちろん、 最初は店に行くの恥ずかしかったんだけどさ、 両方ともすげー美味いもんだから、 今じゃ仲間誘って通ってるもんな。 ああ、 俺、この年で甘党になるとは思わなかった」
「そっス、 そっス。 どっちかといえば、 僕はモチモチした食感のカティー派かな」
「いやいや、 爽やかな甘みの悠々茶館の杏仁も捨てがたいと思われ」
  カティーサークの、 悠悠茶館の素晴らしさを力説する彼ら。 とても、 男の話とは思えない。 うーん、 さすが、 ジャスミン、 佐倉井のお勧めの店だけある。 どうやら、 かの杏仁豆腐はイソジマ電工義体開発課の面々も虜にしてしまっているらしい。
「さあ、 では皆さん、 これから八木橋さんの入社内定の歓迎会を行いまーす。 司会進行はやっぱり総務のアイドル汀しかいないでしょう! コラ、 そこで今笑ったやつ。 諏訪か? あとで殺す。 はい、 はい、 皆さんビールは行き渡りましたか。 ハイ、 柏木さん、 落ち着いてください。 いきなり日本酒はご法度でーす、 まだですよー! でははりきって盛り上がりましょー!」
「八木橋さん、 これどうぞ」
  いつの間にか、 私の隣にきた深町さんが渡してくれたのは、 アルコール入りの栄養カプセルだ。 それも三つも!
「みんな、 乾杯するんだから。 私達もこれ飲んで盛り上がりましょうね。 ふふふ」
「ハイ、 皆さん、 ビールは行き渡りましたね。 じゃあ、 八木橋さんの前途を祝福してー、 かんぱーい」
「かんぱーい!」 
  タマちゃんの、 深町さんの、 古堅さんの、 開発課のみんなの、 たゆまぬ努力と限りない優しさに乾杯!

  正直、 このあとのことは、 余り良く覚えていない。 なんか、 柏木さんと肩組んでカラオケを歌ってたあたりはうっすらと覚えているんだけど・・・。 気がついたら眼鏡かけたまま、 アオザイ姿のままで、 家で寝ていて、 その間の記憶がすっぽり抜けてた・・・。 いったい何をやらかしたものやら。 うー、 また失敗した。 アルコールはもうやめよう・・・。 と、 翌朝、 何度目かの禁アルコール宣言をする私だった。

  ゼミの授業が終わると、 私は駆け足で研究室に向かった。 案の定、 中にはジャスミンと佐倉井の二人だけ。 ジャスミンは、 いつもの細長いメンソール煙草をふかしながら、 気取って紅茶を飲んでる。 佐倉井はブツブツ独り言をつぶやきながら、 ノートになにやら書きなぐってる。 大方最新版の手書き甘味マップだろう。 私はこの瞬間を待っていたんだ。
「ねえねえ、 ジャスミン、 佐倉井」
  私は、 話しかけながら、 わざと、 どかっと自分の鞄を投げるように置いて、 自分に注意を向けさせるという姑息な手段をとることにした。 二人は自分の時間を邪魔されたのに腹を立てたのかしらないけど、 いかにも面倒くさげな眼で私を見た。
「私、 カティーサークと、 悠悠茶館行ったよ。 杏仁豆腐食べてきたよ」
  今思えば、 ものすごく恥ずかしいんだけど、 きっと私、 このとき、 どうだまいったかとか、 してやったり的な顔をしてたに違いない。 でも二人の反応は予想とゼンゼン違ってた。 しばらく、 しらけた空気が流れた後・・・。
「自慢げな顔して鼻の穴膨らませて、 何をいうのかと思ったら・・・やっぱりヤギーって可笑しい!」
  ジャスミンはそう言うと、 煙草の灰が床に落ちるのもかまわず、 笑い転げた。 佐倉井も下を向いて肩を震わせてる。 笑ってやがるな、 さては。
「あんたたち、 いったい何なんだよう。 私のどこがおかしいっていうのさ」
「だって、 ねえ、 清香」
  困ったようにジャスミンが、 佐倉井を促した。 だって、 何なのさ。
佐倉井が笑いを噛み殺しながら答えてくれた。
「ヤギー君。 相変わらず君のセンスは古いね。 まるで平成だね。 せっかくダイエット辞めたんだったら、 そういってくれれば、 私がもっといい店を紹介したのに。 二軒とも作業着姿の薄汚い野郎どもに毎日占拠されて、 競馬の話なんぞ大声でされた時点で私達の中ではもう過去の店ってことになってるんだよ。 いったいどこの会社の連中なんだろうね。 あいつらは」
  そ・・・それは、 ひょっとして・・・いや絶対あの人達だ。 イソジマ電工義体開発課ご一行様だあ!
「今の流行は、 八軒坊のダイナシティーのマンゴープリンーと、 入舸浦の暁屋のマンゴープリン、 これに尽きるね。 私はダイナシティー派でジャスミンは暁屋派だとさ。 ヤギーもダイエットやめたんだったら、 これから、 一緒に攻めてみるかい? あれ、 ヤギー、 どこ行くの、 ちょっと、 ちょっと待ちなさいよ!」
(そんな、 そんな、 そんな、 私のセンスが平成だって? 悔しいっ。 見返してやるんだからっ!)
  佐倉井の話なんて最後まで聞かず、 思わず研究室を飛び出した私。 廊下を早歩きしながら、 携帯を取り出した。 どこへ、 電話するかって? そんなの決まってるじゃない。
「もしもし、 タマちゃん。 私です。 八木橋です。 あのね、 あのね、 遥遥亭、 もう一回入れないかなあ。 え、 今忙しい?そんなつれないこと言わないでよう。 八軒坊のダイナシティーのマンゴープリンと入舸浦の暁屋のマンゴープリン・・・ちょっと、 話聞いてよ。 ねえ。 切らないで。 タマちゃん。 環様。 汀さまー!」


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