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  この四月から、 私も星修大学教育部所属の大学生。 憧れのキャンパスライフだよ。 それでもって、 初めての一人暮らし。 心がうきうきしないっていったら嘘になるよね。 駅前から星大正門まで伸びる学園通りの桜並木みたいに、 私の心も花満開だあ! と、 いうことで、 今日、 私は入学より一足早く、 下宿先を決めようと、 電車に乗って遠路はるばる武南電鉄の星修学園前までやってきたのでした。
  学園前だったら大学のすぐそばで何かと暮らしやすい、 女の子だったらイメージ優先で海沿いの星ヶ浦が人気、 賑やかで、 お店がたくさんあるところが好きならトンパチ(東八軒坊)界隈も悪くない。 早速飛び込んだ、 駅前の不動産仲介業者、 城口ウランで、 私の応対をしてくれた佐倉井さんっていうポニーテールの元気なお姉さんは、懇切丁寧に私にそう教えてくれた。
  星ヶ浦だってさ。 そんな地名、 聞くだけで、 興奮して胸がドキドキする気がするよね。 もう、 心臓なんかないってこともすっかり忘れてさ。 だって、 テレビによく紹介される、 あの星ヶ浦だよ。 星ヶ浦の喫茶店通り沿いの小さいけれど、 センスのいい洒落たマンションなんか借りて、 大学の友達を家に呼んで一緒にだべる。 彼氏とバルコニーから海を眺める。 そんなテレビドラマのヒロインみたいな生活ができたら、 どんなに楽しいだろう。
  でも・・・そんなこと私には無理だよ。 まずお金がない。 事故の時におりた保険金は、 月々の検査のために大切にとっておかなくちゃいけない。 青森のおじいちゃんに学費以外のことに頼るわけにはいかない。 だから、 そんな家賃が高いところなんて住めっこないんだ。 星ヶ浦はもちろん、 星大前だって、 トンパチだって、 ちゃんとしたワンルームの部屋は私には高嶺の花。 それに・・・もっと肝心なことがある。 例え安い物件だったとしても、 下手に大学の近くに住んで、 友達なんかが家に遊びに来ちゃって、 「ヤギーの家には冷蔵庫も食べ物も食器もコップも何一つないない。 何食べて生きてんの?」なんて突っ込まれたらどうする? 友達の間で噂になったらどうする? それがもとで私の身体のことがばれたらどうする? また、 高校時代と同じになっちゃうじゃないか。 そんなこと、私に は耐えられない。 でも、 だからといって、 友達のためだけに、 今の私には全然必要のない冷蔵庫や食べ物や食器を用意しろっていうの? そんな、 虚しくて、 自分がみじめになるようなこと・・・私にはできないよ。
  トイレだって今の私には必要ないし、 汗をかくことだってほとんどないから風呂だってたいして入る必要はない。 だから、 トイレ風呂共同の貸間みたいなところで充分。 私には必要最低限、 寝る場所さえあればいいんだ。 大学に通うのにそれほど不便な場所でなければ、 多少大学から離れた場所でもいい。 友達なんか、 遊びにこないほうがかえっていいんだもん・・・。 機械女の私なんて、 そんなところで充分だよ・・・。
  せっかく期待に胸をはずませて星修学園前駅を降り立ったのに、 のっけから、厳しい現実の壁にぶち当たって、 佐倉井さんの話しを聞くうちにどんどん一人で落ち込む私。 いけない。 いけない。 私の未来への第一歩は、 今、 ここからはじまるんだ。 どんなところだって、 私にとっては立派なお城のはずだよ。 もっと楽しいことを考えなきゃ。 もう家政婦まがいの仕事をする必要もない、 自分は食べることなんてできないのに食事の準備だけやらされることもない。 学校でみんなの視線に怯えながら、 機械女だって陰口をたたかれながらすごしていくこともない。 今までと較べたら天国じゃないか。
「うー、 もっと安いところはないかなあ。 別に部屋にトイレがなくてもいいんだ。 風呂だって共同でいい。 それから、 大学からは、 ちょっと離れていて、 でもそんなに遠くないところ。 そんなところってないかなあ」
  気を取り直した私。 今までずーっと、 いかにも女の子の好きそうな、 お洒落な雰囲気のワンルームマンションばっかり紹介されてたから、 なかなか言いづらかったんだけど、 思い切って自分の希望を言ってみた。 そうしたら、 案の定、 佐倉井さんは意外そうな顔をしたんだ。 きっと、 内心は女の子の割にはずいぶん変わった物件がお好みなのねって思ったに違いないよ。 でも、 佐倉井さん、 やっぱり親切に物件の登録されている台帳をめくったり、 パソコンで検索したりして、 調べてくれた。
  待つこと五分。
「こんなのどうかしら」
  佐倉井さんは、 五冊目の古びた台帳の終わりのほうのページを開いて、 私に向けるとにっこり微笑んだ。
「最寄駅は宮の橋。 住所は東京都菖蒲区宮ノ橋坂下3-15『はるにれ荘』駅から徒歩20分。 トイレ、 風呂共同で家賃格安」
  宮の橋? それってどんなところだろう。 昨日調べた星大のホームページには載ってなかったみたいだけど。
  耳慣れない地名に思わずキョトンとする私。 佐倉井さん、 私の様子を察して、 すかさず補足説明。
「宮の橋っていうのはね。 武南電鉄でいうと東京側に二つ戻ったところ。 大学とはそんなに離れていないけど、 途中、 団子坂峠っていう峠をこえなきゃいけないから、 自転車通学には不便なのね。 それであんまり星大生には人気がないところなの。 でもね、 駅前は昔ながらの下町商店街って感じの賑やかなところだし、 ヤマイデパートっていう大きなデパートもあるわ。 生活に不便はないはずよ」
  そう言いながら、 ページをもう一枚めくる佐倉井さん。
「これが、 外観写真。 それから、 これが部屋の中ね」
  写真に写ったはるにれ荘。 よく言えばレトロ調。 でも悪くいえば、 ただのボロ屋だよね。 出窓のついた外観は貫禄ある古びた洋館っていえなくもないんだけど、 水色に塗りたくったペンキが全てを台無しにしている。 少なくとも本来の木目ってやつを大切にしてほしいよねって私は思った。 間取りは図面で見る限り、 流しと小さな押入れがあるくらいで、 絵に描いたような六畳一間だ。 家賃は安いけど、 正直言って、 あまり惹かれなかった。
(別のやつはないかなあ)
  私がそう言いかけたとき、 佐倉井さんが気になる一言。
「セールスポイント。 全自動化住宅ですって。 食事の用意、 洗濯などなど、 全てが全自動化されています。 はるにれ荘は居住者のお手を煩わせません」
  佐倉井さんは、 まるでテレビショッピングみたいな口調でそういうと、 台帳から顔をあげた。 彼女、目じりをピクピクさせて唇をかみしめて、 傍目から見ても笑いをこらえているのが分かった。
  佐倉井さんの気持ちはよく分かる。 だって、 全自動化住宅だよ。 こんなボロ屋のくせに、 言うに事欠いて全自動化住宅だよ。
  私、 思わずプッと吹き出してしまった。 それを見た佐倉井さんも、 とうとうこらえきれずに爆笑。 しばらく、 カウンターを挟んで二人で笑いあっていたんだ。
「全自動の家だってさ。 なんだか面白そうな所だよね」
  ようやく落ち着いた私。 すっかり気が変わって、 はるにれ荘に興味深深。
「じゃあ現地に行ってみましょうか? ていうか、 私も見てみたい。 その全自動住宅。 と、 いうことで早速管理人さんに連絡をとってみましょう」
 佐倉井さんの提案に、 私は大きくうなずいた。

  国道に入って車の運転をマニュアルからオートナビに切り替えた佐倉井さん、 手持ち無沙汰になったのか、 助手席の前にある収納箱から、 スナック菓子を取り出してポリポリ食べ始めた。
「八木橋さんも、どうぞ」
  後ろを振り返って、 私にも分けてくれようとする。 けれど、 私がそんなもの食べられるわけもなく、 曖昧に笑って断るしかない。
「そうよね。 身体に悪いよね。 塩分ばっかりでね。 分かってるけどやめられないのよね」
  佐倉井さんは、 そう言いながらもポリポリ。
「私の妹はね、 私とは逆に甘いものが大好きなの。 しょっちょう、 やれ新しいケーキ屋ができただとか、 喫茶店ができただとか言ってはいろんな所に出かけてるわ。 同じお腹から生まれた姉妹なのに、 私とは正反対。 共通しているのは、 食べ物が好きってことだけ。 おかしいよね」
  佐倉井さん、 聞きもしない妹の話をひとしきり話すと、 くすくす笑った。 こんな調子で車に乗ったときからしゃべりどおしで、 私が口を挟む暇もないよ。
「妹はね、 春から星大の学生なんだよ」
  へえ、 佐倉井さんの妹と私は同級生ってことになるんだ。 それは奇遇だ。
「八木橋さんも春から星大生なんでしょ? 学部はどこなの?」
「教育学部です」
「教育学部! 偶然ね。 私の妹も教育学部なんだって。 佐倉井清香。 ちょっと変わりものだけど、仲良くしてやってね」
  そのあと、 佐倉井さん、 妹の面白エピソードを次々に私に披露してくれた。 妹のことを話す佐倉井さんは、 本当に楽しそう。 きっと仲のよい姉妹なんだろうな。 いいなあ、 きょうだいって・・・。 私は、 佐倉井さんの話しに笑いながらも、 妹をちょっと嫉妬した。
  佐倉井清香さんか・・・。 どんな子なんだろう。 こんな明るいお姉さんの妹だもの。 きっと、 楽しい子に決まってるよね。 早く会ってみたいな。 佐倉井さんの話を聞いているうちに、 妹に会う前から、 なんだか彼女と友達になってしまったような気がした。

  車はいつの間にか峠道を走っていた。 土地勘のない私のために、 ガイドさんに早がわりした佐倉井さんの話しによれば、 この峠が星修大学のある星南市と菖蒲区の境になってる標高153mの団子坂峠なんだって。 短い距離で、 一気に登るから道路はかなりの急坂だ。 なるほど、 毎日この峠を自転車で越えるのはきついかもしれない。 さっき、 佐倉井さんが、 宮の橋は星大生に人気がないと言った理由がわかったような気がするよ。
  今まで広葉樹の柔らかな緑が道路に覆いかぶさって、 まるで緑のトンネルみたいなところを走っていたんだけど、 峠も頂上近くになったんだろうか。 だんだんと空が大きくなりはじめた。 海鳥かな? 白っぽい鳥が、 私達の車の前にひらりと舞い降りて、 まるで道案内するみたいに、 すべるように飛んでいく。
「ほら、 八木橋さん見てごらん! 海だよ! 海」
  佐倉井さんが指差す方向、 視界の遥か下に、 青い海が広がっていた。 穏やかな春の海。 空を舞う海鳥の群れ。 沖合いにはいろんな国からやってきた鮮やかな色に塗られたコンテナをつんだ貨物船が何隻も停泊して、 青い海のところどころをカラフルに彩っていた。 電車で来たときは、 この区間は長いトンネルに入っちゃうから、 ここで、 こんな広くて大きな海が見れるなんてまるで知らなかった。
  このあたりの海岸線は切り立った崖になっていて、 海沿いは岩場になっているから、 こんなに都会に近いところなのに釣りのメッカになっている。 佐倉井さんは、 そんなことも私に説明してくれる。
  もし、 このまま宮の橋に住むことになったら、 私は毎朝この景色を眺めながら、 通学することになるんだろう。 決して疲れることのない私の身体なら、 毎日自転車でこの峠道を往復したってへっちゃらだもん。 電気は多少食うかもしれないけど、 それでも電車賃よりはずっと安くあがるはず。
  朝日と海を見ながら、 風をきって坂を下る。 きっと、 気持ちいいだろうなあ。 機械の身体にだって、 たまにはいいことがあるよね。

  団子坂峠の坂を下るとすぐに、 私達の乗った車は広い国道をはずれて、 車一台がやっと通れるような、 車の窓から手を伸ばせば、 塀に触れてしまえるような、 細い路地に入った。 こんな裏道まで、 オートナビのシステムがフォローしているわけもなく、 佐倉井さんは器用に小さな車を操って、 狭い交差点を右に左に曲がっていく。 ほどなくして、 右手にさっき写真で見たとおりの水色の古びた二階建ての洋館が姿を表した。
「さあ、 八木橋さん。 お待ちかねの全自動化住宅についたわよ」
  門を抜けて、 無造作に置かれている自転車を注意深くさけながら、 はるにれ荘の、 猫の額ほどの駐車スペースに車を置いた佐倉井さん。 サイドブレーキを引きながら、 私のほうを向いて、 にいっと笑った。
 
  車から降りた私達をまず歓迎してくれたのは、 外付けの黒い階段の上でひなたぼっこしていた三毛猫ちゃん。 私達の姿を見て、 ニャアと一声鳴いたあと、 面倒くさそうに立ち上がって、 塀を乗り越えて隣の家に消えた。 狭い庭には長い物干し竿が三つも平行に置かれていて、 男物から女物から、 たくさんの服が万国旗さながらに竿からぶら下がっている。はるにれ荘の壁沿いに植木鉢がたくさん並んでいて、 ちょうと黄色いチューリップが花を咲かせている。 どこかの部屋でテレビを見ているんだろうか。 今人気の司会者の絶叫と笑い声がうっすら耳に入ってきた。
「さすが、 最新鋭の全自動住宅よね」
  まるで昭和か平成で時が止まってしまったかのような佇まいに、 私と佐倉井さんと顔を見合わせておかしそうに笑いあった。
  ちょうど、 はるにれ荘の入り口では、 はるにれ荘の壁の色と同じ、 水色のワンピースを着た中学生くらいの年頃の女の子が、 箒で地面を掃いているところだった。 ようやく春らしくなってきたとはいえ、 今の季節は、まだまだ寒い。 気温の変化はよく分からない私だって、 周りのファッションに合わせて、 今日は黒いセーターを着ているっていうのに、 この子、 こんな薄着で寒くないんだろうか。 私は、 ちょっと心配になってしまったけど、 女の子は寒いそぶりも見せず、 箒をもったまま、なんだか警戒心丸出しの尖った目つきで、 私達に向かって駆け寄ってきた。
「ごめん、 お姉ちゃん、 ちょっといいかなあ。 私、 城口ウランの佐倉井という者ですけど、 管理人さんはどこにいるの?」
  佐倉井さんは、 女の子の剣幕にたじろぎながらも、 やさしく声をかける。
  とたんに女の子の表情が和らいだ。
「ああ、 あなたがさっき電話で話した方ですね。 私、 ここの管理をしてます、アニーといいます」
  アニーと名乗った、 五月人形みたいに整った顔立ちの、 色白の女の子は、人懐こい笑みを浮かべて、 ペコリと頭を下げた。
「あ、 あなたが管理人さんってこと?」
「はい。 そうですが、 何か?」
  女の子の答えに佐倉井さんは一瞬たじろいだあと、 拍子抜けしたような苦笑いを浮かべてチラリと私のほうを見た。 ずいぶん可愛い管理人さんだよね。 私もおかしくなって、つい口元を緩めてしまった。
「お父さんか、 お母さんはいらっしゃらないのかしら?」
  気を取り直した佐倉井さん、質問の仕方を変えてみた。
「無意味な質問ですね。 管理人は私です」
  女の子は逆さまに持った箒の柄で地面をポンってつつくと胸を張った。


「はいはい、 分かりました。 可愛い管理人のアニーさん。 今日は、 お客さんを連れてきたから、空いてる部屋を見せて欲しいの」
  佐倉井さん、 ニコニコ笑いながらも自身に満ち満ちた表情の女の子を見て、 このままじゃ埒があかないって思ったんだろうね。 あきれ顔で、 話を先に進めた。
「お客さん?」
  今まで笑顔で佐倉井さんと話していたアニーは、 なぜだか表情を曇らせて、 私のことを上から下までじぃっと眺めた。 そして、
「お客さんって、 コレのことですか?」
  って、 佐倉井さんに聞きながらも、 箒の先っぽでぞんざいに私を指すんだ。
  コレってなんなのさ。 コレって。 このガキんちょ、 佐倉井さんに対する態度と私への態度があからさまに違うじゃないか。 なんだよ、 私を物扱いしてさ。
  私、 ついカッとなって頭に血が上りかけたけど、 所詮中坊のたわごとじゃないか。 私はもう大学生なんだよ。 ガキ相手に本気で腹をたてるなんてみっともないよって思い直した。
「私は八木橋裕子。 人を呼ぶときは、 ちゃんと名前を呼ばなきゃだめでしょ」
  そう言って、 大人の余裕を見せてアニーをたしなめた。 そう、 たしなめたつもりだったんだよ。 でも・・・。
「あら、 変わった名前なのね。 で、 どこのメーカーなの? 製造番号は?」
  アニーは悪びれる様子もなく、 さらりと私にそう聞いた。
「メーカー? 製造番号?」
  一瞬返す言葉も失って、 鸚鵡返しにアニーの言葉を繰り返したっきり固まってしまう私。 この子は何を言ってるんだろう。 まさか、 私は、 イソジマ電工製です、 とでも言わなきゃいけないんだろうか? まさか、 まさか私の身体が機械だって見抜いたっていうんだろうか? 嘘でしょ。 そんなことあるはずないよ。 よっぽどのことがなければ、 外見だけで、 私の身体のことが分かるはずがないんだ。
「あら、 どうしたの。 びくびくしちゃって。 感情表現はたいしたものじゃない? いいのよ。 二流メーカー製でも、 私は差別なんかしないから正直にいえばいいのにね。 ふふふ。 今日から来るって聞いてたけど、 まさか、 こんなふうにやって来るとはね。 機械のくせに人間のふりして、 眼鏡なんかかけて、 一丁前に私を試してるつもりかしら?」
  怯えて立ち尽くす私に、 美しい少女の口から吐き出される言葉の槍がぐさぐさ突き刺さった。
  どうやって私の身体が義体だって知ったのかしらないけど、 アニーの言う通り、 私の身体は機械だよ。 それは、 認める。 眼鏡を掛けているのは、 機械の身体に見られたくないからっていうこともある。 それも認めるよ。 でも、 それでも私は人間なんだよ。 そんな私を機械扱いするなんて、 物扱いするなんて。 それも佐倉井さんの前で・・・。
  私の身体の事、 馬鹿にされた。 機械だって馬鹿にされた。 それも、 こんな年端もいかないガキんちょに。
  怒りと屈辱で身体が震えた。 顔色は変わらないかもしれないけど、 私の心は、 今この瞬間、 まっ赤に染まったよ。
「あー、 そういう反応をしてくれると、 私も躾がいがあって楽しいな。 さてさて、 あなたには何をやってもらおうかしらねえ。 やってもらうことは山ほどあるんだから。 まずは、 今干してある洗濯物を取り込んで、 アイロンがけね。 それが終わったら夕食の用意ね」
  アニーは涼しげな表情で、 さらに私を煽った。
  ゴメン。 もう駄目。 私には大人の対応はできません。 躾だって? 洗濯しろ? 掃除しろ? アイロンがけ? 食事を作れ? 思い上がるのも、 いい加減にしろっ! 私がアンタに口の聞き方を教えてやる。
  私は、 つかつかとアニーに歩み寄って、 右手で思いっきり平手打ちを見舞ってやろうとした。
  だけど・・・、 アニーは中学生とは思えない身のこなしで、 平手打ちを見舞うはずの私の右手首をがっちり掴んだ。
「あらら、 反抗しちゃうんだ。 随分面白いプログラムをされているんだね」
  アニーは、くすくす笑いながら、 私の手首を掴んだ左手にぐっと力を込めた。 私の義手がみしっときしんだ音をたてた。
「い、 痛いっ、 痛いっ! 何するんだよう。 離してよう」
  痛みに耐えきれず、 私は情けない悲鳴をあげた。 かっと血が上っていた頭から一瞬で血の気が引いていくのが分かった。
「あらあ。 ちゃんと痛みは感じるようにできているじゃない。 躾がやりやすくて助かるわあ」
  アニーは、 まるでお気に入りのおもちゃをおもちゃ屋で見つけたみたいな、 無邪気な笑顔を私に向けた。 でも、 そんな彼女のきゃしゃな左手は、 私の右手首をがっちりと、 ものすごい力で握って離さないんだ。
(このままじゃ、 私の右手がこわされちゃう)
  焦った私は必死でアニーの手を振りほどこうとした。 でも、 腕はびくとも動かない。 私だって、 義体なんだから、 なまじっかな男の子よりはよっぽど力持ちなんだよ。 その私が、 本気でアニーの手を振りほどこうと頑張ってるんだ。 なのに・・・、 なのになぜ、 こんな見るからに弱っちい細腕が引き剥がせないのさ。
   アニーは私の反応を見て、 おもしろい動きをする人形か何かを見るみたいに楽しそうに笑ってる。 この子は、 この子は、 ただの中学生じゃないね。 私と同じ全身義体? でも、 それも違うような気がする。 この子は一体何者なんだろう。
「さて、 じゃあ、 アイロンがけ。 できるでしょ。 今すぐ取り掛かって」
  私が、 すっかり抵抗することを諦めて大人しくなった頃合を見計らって、 アニーは、 まるで子供に言い聞かせるみたいに、 ゆっくりと私に言った。
「うー、 やだよ。 私、 絶対にそんなことしないからね」
「ふーん、 まだ私に逆らうんだ。 じゃあ、 ロボットの性能の差が、 身分の決定的差だってことを、 この際きっちり教えてあげるよ」
 ばちん。 
「ぎゃっ!!」
電気がショートする鋭い音とともに、 私の右手を掴んでる女の子の手のひらから火花が散った。 同時に、 私の右腕の先から頭まで、 激しい痛みとショックが突き抜けた。 余りの激痛に、 私はみっともない悲鳴を上げてその場で尻餅をついてしまった。
 ロボットの性能の差が身分の差だって? この子、 ロボットだっていうの? それで、 私のことロボットだって勘違いして、 私のこと教育しようとしているわけ? ロボットのくせに。 機械のくせに。 私は人間どころか、 機械以下だっていうの? そんなのひどい。 ひどすぎるよ。
  倒れた私を勝ち誇ったように上から見下ろしている、 女の子の形をしたロボット。 ホントなら人間様には決して逆らえない従順な機械のはずなんだ。 佐倉井さんに対する時にはそうだったように、 きっと、 普通の人にとっては、 見た目どおりの可愛らしい存在なんだろう。 でも、 私にとっては血も涙もない凶暴な悪魔の手先にしか見えないよ。
「八木橋さん! 大丈夫、 大丈夫なの? 一体何をされたの?」
  今まであっけにとられて私達のやりとりを見ていた佐倉井さん。 我に返って、 はじけたように私のところに近寄った。
「うー、 大丈夫です。 自分で立ち上がれます」
  機械の身体だもん。 私の身体から痛みはもう引いているんだ。 佐倉井さんに心配をかけまいと何事もなかったかのように、 立ち上がる私。 でも、 心はガクガク震えている。
「ちょっと、 何をしたか知らないけど、 ひといんじゃない? 八木橋さんに謝りなさい」
  佐倉井さんは、 すごい剣幕でアニーを睨み付けた。
「佐倉井さん。 心配しないでください。 軽く1500Vの直流電圧を流しただけです。 普通の人間なら死んじゃうかもしれませんけど、 ロボットにはこれくらいなんて事ありませんから。 甘やかすと癖になりますから、 ちょっと躾をしただけです。 気に触ったらごめんなさい」
  相変わらず、 佐倉井さんには殊勝な態度のアニー。 佐倉井さんは人間だからってわけだ。 でも、 私は? 私だって人間なのに・・・。
「ロボットですって? 八木橋さんが? あなたもなの? ロボットは、 嘘をつかないっていうけど、 ああ、 なんだか信じられないんだけど」
  佐倉井さんは、 困ったように私とアニーを交互に見比べた。
「違う! 違うんだ! 佐倉井さん、 それは絶対違うからね。 この子は、 何か勘違いをしているんだよ。 ロボットなのはこの子だけ。 私はれっきとした人間なの。 八木橋裕子なの。 八木橋裕子なんていう名前のロボットはいないし、 ロボットが大学に受かるわけないんだよう。 戸籍だってちゃんとあるんだよう」
  私は、 こんなこと必死で訴えなきゃいけない自分が悲しかった。 ロボットだっていうアニーと、 全身義体の私とでは何が違うっていうんだろう。 身体の構造なんて、 きっと、 ほとんど同じだよ。 でも、 佐倉井さんと私は、 同じ人間っていいながらも、 ほとんど同じところなんてありはしない。 脳みそがついているっていう、 わずかな共通点にしがみ付いて、 人間なんだって自分に言い聞かせるみたいに声高に主張する私。 きっと、 端からみたら滑稽だよね。
「ふーん、 まだ人間なんて言い張るんだ。 いい加減しつこいね」
  アニーは、 あきれたようにそう言うと、 箒を投げ捨てて、 すばしこいで私に抱きついた。 そして、 私の脇腹をさぐって、 カムフラージュシールを剥がして、 小さな収納フタを開いて、 あっという間にずるずる充電用のコンセントプラグを引き出したんだ。
「ねえねえ。 これは何かしら。 何で人間のあなたにこんなものがついてるのかなあ?」
  私の目の前で、 コンセントプラグを勝ち誇ったようにひらひら動かすアニー。
  私にとって、 人前に、 人間ではありえないような機械の部品を晒されることが、 どんなに屈辱的なことか分かるだろうか? こんなことされるくらいなら、 菖蒲端の駅前で裸踊りをしたほうがどんなにましか分からないよ。 でも、 もう今更、 アニーの手からコンセントプラグを奪い返す気も起こらない。 そんなことしたって、 どうせ佐倉井さん、 私の事人間なんて、 信じてくれっこないもの・・・。
「ほら、 佐倉井さん。 見てください。 コレは、 ロボットなんですよ。 人手が足りないから、 応援を呼んでいたんです。 いつ来るのかなって思っていたんですけど、 こんな風に人間のふりをしてやってくるなんて思いもしませんでした。 変な騒ぎを起こしてしまって本当に申し訳ないです」
  ただただ唖然としている佐倉井さんに向かって、 アニーは馬鹿丁寧にぺこりと頭を下げた後で、 わざとらしくため息をついた。
「これにさっきみたいな電気加えたら、 どうなると思う? ふふふ」
  アニーは、 今度は私のほうを向いて、 コンセントプラグの先っぽをいじりまわしながら言った。
「もう・・・、 やめてよ。 私は機械女です。 それでいいんでしょ。 それで満足なんでしょ」
「質問でーす。 これに電気をばーん、 ってするのと、 大人しく洗濯物を取り込んでアイロンがけをするのとどっちがいい? ねえねえ。 答えてよ」
  電気をばーんってされたらどうなるかだって? 考えたくもないよ。 悔しいけど、 屈辱だけど、 答えなんか、 決まってるじゃないか・・・。
「アイロンがけ・・・です」
「あらあ、 ようやく分かってきたじゃない。 ここは全自動住宅なんだからね。 機械が人間の代わりに全部やってあげなきゃ駄目なんだよ」
  アニーは、 満足そうに笑うと、 コンゼントのプラグを私に放り投げた。

「八木橋さんて、 やっぱりロボットだったの?」
  佐倉井さんは、 私の脇腹から伸びる黒い電源コードを不思議そうに見つめながら言った。 私は、 あわてて地面に転がったコンセンプラグを拾うと、 コードを着ているセーターでなるべく見えないように隠しながら、 自分の脇腹の中に収めた。 もう、 今更隠したってどうしようもないんだけどさ。
「あ、 あの・・・」
  違うんだって言いたかった。 もう、 私が全身義体だってばれたってかまわない。 障害者手帳を見せてでも、 私はれっきとした人間ですって言い張りたかった。 ロボットだって思われるくらいなら、 例えどんな眼で見られようとも、 そっちのほうがどれだけましか分からないよ。 でも、 アニーが横目で、 じぃーっと見つめているのに気がついた私は、 言いかけた言葉を、 全部飲み込むしかなかった。
  もしも、 私は人間なんだ、 なんて、 もう一度言ったら、 今度こそ、 この基地外ロボットに何されるか分からない。 普通のロボットだったら、 よしんば私をロボットだと思い込んでいたとしたって、 私のことを平気で傷つけるような真似なんかするはずない。 でも、 さっき、 私を苛めるアニーは心底楽しそうだった。 機械のくせに、 まるで感情があるみたいにね。 アニーなら、 私のコンセントプラグに電気ばーん、 なんて、 冗談じゃなく、 本気でやりかねないよ。 もしも、 そんなことされたら・・・、 私の身体は滅茶苦茶だ。
  佐倉井さんの眼の前で、 全身から煙を吹き出してバッタリ倒れて動かなくなる自分の姿を思い浮かべて、 思わず身震いする私。 そんなことになる前に、 今すぐにでも、 ここから逃げ出したかった。 でも、 万が一逃げ損ねてアニーにつかまっちゃったとしたら、 私、 どんな仕打ちをされるんだろう? そう思ったら、 恐くて足がすくんだ。 ああ、 情けない! この私が、 人間さまが、 なんで機械なんかに怯えなきゃいけないんだよう。 機械に支配される人間なんて、 見てて笑えるのは、 B級SF映画の中だけ。 実際にこんなふうに自分の身にふりかかったら、 そんなのギャグとしては全然面白くないんだ。
「ロボットの八木橋さんの、 家探しのお手伝い。 どうやら無駄足になっちゃったみたいね。 でも、 八木橋さんとお話できて楽しかったわ。 もう、 大学生だなんて、 私の事、 からかわないでね」
  佐倉井さんは、 結局何も言えずに、 口をつぐんで、 口惜しさに拳を固く握り締めて俯いていたままの私に向かって微笑んだ。 もう、 すっかり私がロボットなんだって思い込んじゃってるよ。
「全自動化住宅って一体何かと思っていたけど、 アニーみたいなロボットの女の子が掃除から、洗濯から、 食事から何から何まで全部面倒見てくれるからってことなのね。 全く、 進んでいるというか、 ある意味、 原始的というか・・・」
  全自動住宅の言葉の意味がわかって思わず苦笑いの佐倉井さん。 私の気持ちなんかおかまいなしに、 なおも興奮して話し続ける。
「それにしても、 アニーちゃんとか、 八木橋さんとか、 本当に人間そっくりな反応をするのね。 私、 ちょっと驚いちゃった。 八木橋さんなんて、 会った時からずーっと人間だと思っていたもの。 大学に行くなんて作り話までしちゃうし、 すっかり騙されちゃった」
  佐倉井さんは、 照れたように笑うと、 私とアニーを交互に見比べた。 目の前の女の子みたいなロボットと、 ロボットみたいな女の子に感心することしきり。 もっとも、 佐倉井さんの目からは二人ともロボットに見えるんだろうね。 はは。
  佐倉井さんの言葉に、 アニーは満足そうに微笑んで、 また頭を下げた。 きっと、 人間そっくりな反応なんて、 自分が評価されて嬉しいんだろう。 ロボットなんて単純だよね。 あんたは、 それでいいのかもしれないよ。 でも、 でも、 私は人間なんだ。 例え身体のほとんどが機械でできていたとしても、 あんたとは違うんだ。 それなのに、 機械と間違われるなんて。 ロボッ トだって思われるなんて。 私にとってはことほど悔しくて、 情けないことはないよ。

 丁度その時だよ。 はるにれ荘の壁よりも濃い青色に塗られているけれど、 所々ペンキの剥げかけた、 古びたドアが、 きしんだ音をたてて半分くらい開いたんだ。 ドアの中から、 お婆さんたちが三人、 恐る恐るといったていで、 顔を半分だけ出して、 私達を見つめている。 きっと、 ここに住んでいる人達だ。
「アニーちゃーん、 どうしたんだい?」
「何かあったのかい?」
  きっと、 さっき、 いきなり電撃を食らった私の悲鳴を聞きつけたんだろう。 おばあちゃんたちは、 不安げな面持ちでアニーに向かって、問いかけた。
  視界におばあさんたちを認めたアニーの表情は、 たちまち、 年相応の少女のそれに早代わりする。 機械なだけに人間に対して尻尾を振ることだけは、 上手いんだ。 全く憎たらしいよ。
「あらあ、 みなさん。 いいところに来ました。 丁度、 前々から浩一さんに頼んでいた新しいロボットが、 やってきたんですよ。 せっかくだからご紹介しましょう。 ほらほら、 ご挨拶、 ご挨拶」
  アニーに押し出された私は、 つんのめるように、 玄関先のお婆さん達の前に出た。
  新しいロボットって何だよ。 浩一さんって誰だよ。 私、 そんな奴知らないよう。 やっぱり、 アニー、 私の事、 何か他のロボットと勘違いしているに違いないんだ。 その浩一さんって人に会え れば、 私がロボットじゃないって分かってくれるに違いないよ。
「うー、 アニー。 その、 浩一さんって人はどこにいるの」
  そう思った私は、 軽い気持ちでアニーに聞いたんだ。
「浩一さん?」
  さっきまでの可愛らしい少女の顔はどこへやら。 アニーは、 私のことを馬鹿にしたようにあざ笑うと、 私の腕を掴んだ。
  ばちん。
「きゃっ!」
  火花が飛んで、 悲鳴が上がる。 もちろん私の。
  アニーの手のひらで生み出された1500ボルトの悪魔が、 私の身体の中で電気信号に姿を変えて、 脳みそに襲いかかる。 ひどい痛みとショックに、 思わず、 腕を押さえてうずくまる私。 全身義体は、 感電事故ですぐ機能停止ってことにならないように、人工皮には完璧な絶縁処理が施されているっていうから、 命にかかわることはないんだろうけど、 感電の痛みと衝撃だけは忠実に再現してくれる。 今の私には有難迷惑なだけだけどね。
(何だよう、 私が何をしたって言うんだよう)
  もう訳が分からなかった。 どうも、 アニーは私が浩一さんて呼んだことが気に食わないらしい。 じゃあ、 私なんて呼べばいいのさ。 浩一さんって人、 アニーの持ち主なんだろうか? だったら、 ご主人様とかマスターとかいえば満足するんだろうか? きっと満足するんだろうな。 冗談じゃないよ。 私はただの学生で、 召使やメイドじゃないし、 無論ロボットでもないんだ。 それなのに、 それなのに、 ただの機械人形なんかに馬鹿にされて・・・。 私っていったい何なんだろう。
「と、 いう風に、 今、 新しくきたロボットを躾けていたところなんです。 見ていて、 気持ちがいいものじゃないかもしれないですけど、 皆様に失礼がないように働くにためには必要なことですから」
  目の前のお婆ちゃんたちに向かって、 得意げに解説するアニー。 今度は、 可愛らしい外見には似つかわしくない荒っぽい仕草で、 無理やり私を引きずり起こして、
「浩一さん、 なんて、 あなたが、 そんな口を聞くのは百年早いの。 それよりも、 ほら、 ご挨拶でしょ」
  なんていって、 背伸びして私の頭をポンと叩いたんだ。
 「うー・・・」
   にこやかに見つめる三人の、 目じりに皺の目立つけれども、 子供みたいに無邪気で好奇心旺盛な六つの目を前にして固まってしまう私。 自己紹介だって? 今度、 皆さんの家事手伝いをします、 新しいロボットです、 とでも言わなきゃいけないの? そんなの嫌だよう。 私、 ただ、 家探しに来ただけなのに、 どうしてこんな目に遭わなきゃいけないのさ。
「アニーちゃん、 これで、 だいぶ楽になるんじゃないの。 ホント良かったねえ。 アンタも頑張るんだよ」
「ウチの孫みたいな年頃の女の子に見えるけど、 でもロボットなのかい? 最近のロボットはすごいねえ。 本当に人間そっくりだねえ。 眼鏡なんかもかけちゃってるし」
「ねえねえ、 ロボットのお嬢ちゃん。 あなた、 お名前はなんていうの?」
  三人のおばあちゃんは、 私が黙っていても、 おかまいなしに次々に話しかけたり、 私の手を握ったり。 みんな、 表情だけは少女みたいにあどけなくって、 とっても楽しそう。 そうだよね。 誰だって、 人間みたいに動いたり、 おしゃべりできるお人形さんを与えられたら、 嬉しくて、 年なんか関係なく、 子供みたいにはしゃいじゃうよね。
  私は、 自分のことを、 こんな風に無邪気な眼で見つめられたことがないから、 ちょっと驚いた。 だって、 私は全身義体の身体障害者。 自分の持ち物は脳みそだけで、 身体を全て失ってしまった可哀想な人。 身体のほとんどが、 ロボットみたいな機械仕掛けのくせに、 それでも人間だっていう不気味な存在。 世間的には、 そんなふうに見られているんだ。 だから、 私が全身義体だって知ってしまった人はいつも、触れてはいけないものに触れたみたいに、 私の身体に触れた手をあわてて引っ込めちゃうし、 態度も、 なんだかよそよそしくなる。 それから、 哀れみとか蔑みとか嫌悪感とか、 いろんなネガティブな感情が一緒くたになったような、 なんとも嫌な眼つきで、 私を一瞬チラッと見ては眼をそらしちゃうんだ。 そして、 面と向かっては言わないけど、 陰でみんなで、 私の事をお人形さんって嗤うんだよ。
  その点、 ロボットなら、 単なる機械。 人間の姿をかたどった、 愛らしくて、 素直で従順で便利な道具っていう明るいイメージがあるもんね。 だから、 みんなこんな風に楽しげに私に話しかけてくれるんだ。 きっと。 ロボットと全身義体。 同じ機械の身体なのに、 脳みそがついているか、 人工知能で動いているかで、 人の態度なんて、 こんな簡単に変わっちゃうんだ。 不思議だよね。

「あら、 あなた、 どうして何もしゃべってくれないの? それに、 なんだか、 とても悲しそうな顔してる。 いったいどうしたの?」
 ウェーブがほどよくかかった雪みたいな白髪頭をした、 ふっくら顔のおばあちゃん。 何を聞かれても、 うんともすんとも答えずにじっと黙ったまんまの私を気遣ってくれたんだろう。 じっと黙り込んでいる私に向かって、 子供に話しかけるみたいに優しげな口調で、 そう言ったんだ。
  どうして何もしゃべらないのかって? どうして悲しそうな顔をしてるかって? そんなの決まってじゃないか。 私だって、 ホントは、 みんなにちゃんと挨拶したいんだ。 みなさん、 はじめまして、 今度、 はるにれ荘に住むことになりました、 四月から星修大学の一年生になります、 八木橋裕子です。 好きなことは、 走ること、 自転車に乗ること。 それから骨董集めです。 嫌いなことは、 水泳と料理かな? 何かとご迷惑をかけることもあるかと思いますが、 どうかヨロシクお願いしますってね。
  でも、 そんなこと言おうものなら、 この意地悪ロボ子に何されるか分かったもんじゃない。 私には、 とても言えないよ。
  たかがの機械のくせに、 私のことを電撃で脅迫するなんて、 絶対許せないよね。 でも、 アニーにコンセントプラグを握られた時の恐怖が私の頭の中に染み付いちゃって、 その、 たかが機械に逆らうことができないんだ。 悔しいよ。 情けないよ。
  私は全自動化住宅の名に恥じない機械として皆さんの為に一生懸命頑張ります、 なんて答えがきっと、 ロボットとしての模範解答なんだろう。 でも、 そんなこと、 私にはとても言えない。 だって私は人間だもの。 身体のほとんどが機械だったとしても、 誰が何と言おうと私は人間なんだもの。 その私が、 何が悲しくて、 そんなこと言わなきゃいけないのさ。 そんなの私の人間としてのプライドが許さないよ。
  人間らしくふるまうのも駄目、 ロボットらしくふるまうのも嫌。 八方塞がりの私は、 どうすることもできなくって、 結局、 ただ黙っているしかないんだ。
「山下さん、 ごめんなさい。 コレ、 まだ自分の立場が認識できてないみたいなんです。 使えるようになるまで時間がかかるかもしれないですけど、 私がきっちり躾けますから、 ちょっとの間我慢してください。 申し訳ないです」
  アニーは、 黙りこくっている私の頭を、 箒の柄で軽くコツンと叩くと、 山下さんっていうさっきの綺麗な白髪頭のおばあちゃんに向かって、 馬鹿丁寧に頭を下げた。 アニーの「躾」という言葉に、 思わずビクっと身体が反応してしまう私。 もう犬みたいに、 条件反射してる。 私、 機械に条件付けされたってわけ? 悔しいっ!
「あらー、 はじめは誰だってうまくできないわよー。 気にすることないわよー。 ロボットの人も人間と一緒なのね。 ねえ、 可愛いロボットのお嬢ちゃん。 私達だって、 いつもアニーちゃんのこと手伝ったりしてるんだから、 はるにれ荘のことなら何でも知ってるのよ。 困ったことがあったら、 どんどん聞いてね。 アニーちゃんも、 同じロボットの人同士なんだからね。 彼女に、 あんまりひどい事しちゃ駄目よ」
「はーい!」
  上品な口調でアニーをたしなめる山下さんに対して、 口だけは素直なそぶりを見せるアニー。 だけど、
「じゃあ、 すぐアイロンがけね」
  って、 こっそりと誰にも聞こえないように、 私に耳打ちすることも忘れない。 それも、 有無を言わせぬ強い口調でね。
  ふん。 調子に乗っていられるのも今のうちなんだ。 浩一さんって人が来てくれれば、 きっと私が人間だって分かってくれるはずなんだ。 その時に後悔しても遅いんだからね。
「あらら、 もうこんな時間。 じゃあ、 そろそろ私は失礼させてもらおうかな? 八木橋さん、 頑張ってね。 アニー、 全自動化住宅はるにれ荘。 応援してるからね」
  おばあちゃん達に囲まれた私を、 ちょっと離れた場所から面白そうに眺めていた佐倉井さん。 ちらっと腕時計を見たかと思うと、 私達に手を振って、 今しがた私達が乗っていた車に向かって歩き始めたんだ。
  ちょ、 ちょ、 ちょっと待ってよ。 私を置いて行っちゃうの? 今、 佐倉井さんに置いていかれたら、 私、 どうなっちゃうんだよ。 ケアサポーターの松原さんなり、 青森のおじいちゃんなり、 誰かが私に気づいて助けに来てくれるだろうから、 ずっとこのままロボット扱いってことはないにしても、 それまでは、 この意地悪ロボの「躾」に怯えながら、 過ごさなくちゃいけないなんて、 最悪だよ。
  私はメイドじゃないし、 ましてやロボットでもないんだ。 四月から大学生なんだよ。 こんなところで機械扱いされながら家事をやるなんて、 冗談じゃないよ。 行かないでよう。
  でも、 今の私はみんなにロボットだって思われているんだもの。 行かないで、 とか、 行っちゃ嫌だ、 なんて、 とても口に出すことなんかできない。 そんなこと言おうものなら、 忌々しいアニーに、 機械のくせに人間に意見するなんて生意気、 とか言われてまた「躾」られちゃうに決まってるんだ。
  佐倉井さんは、 そんな私の気持ちになんか気付くはずもなく、 車のドアノブに手をかけた。
  ちょうどその時だよ。 赤くて小さくて丸い車が、 はるにれ荘の門を潜り抜けて、 じゃりをみしみし踏みしめながら、 私達の立っている小さな庭に入ってきたんだ。
  赤い車は、 ぴーって、 小さな車にお似合いの甲高いクラクションを鳴らしながら、 私達の横を通り過ぎて、 佐倉井さんの車の横にちょこんと止まった。

  一番反応が早かったのはアニーだった。
  さっきまで私の頭を小突くのに使っていた箒を投げ捨てると、 まるで磁石が鉄に引き寄せられるみたいに一目散に車に駆け寄っていったんだ。
  車の中から出てきたのは、 茶色のゆったりしたシャツを着こなして、 サングラスをかけたおじさん。 いやいや、 おじさんって言ったら失礼なくらいの年恰好のお兄さん。 それから、 アニーと同じ水色のワンピースを着た、 でも見た目はアニーよりちょっと年上の、 たれ気味の大きな目が可愛らしい丸顔の私と同じくらいの年頃の女の子だった。
「浩一さーん!」
  アニーは、 そう叫ぶと、 小さな車を運転していて疲れたんだろうね、 車から下りて、 背伸び運動をしていたお兄さんの腰に抱きついたんだ。 腰に抱きついて、 お兄さんの身体のまわりをふざけてぐるぐる回るアニーの仕草は、 私に対する時の意地悪な態度とも、 佐倉井さんや、 おばあちゃんに対する時の礼儀正しい振る舞いとも違った。 何も知らなければ、 まるでお父さんが帰って来て、 甘えているようにしか見えないよ。 アニーはいったいくつの顔を持っているんだろう。
「浩一さーん。 お帰りなさい」
「アニー、 お待たせ。 お待たせ」
  まとわりつくアニーを捕まえて、 頭をぐしゃぐしゃ撫でるお兄さんの態度も、 まさに父親のそれ。 決して、 機械や人形を扱うときの態度じゃない。 それに、 はるにれ荘のおばあさん達も、 自分たちもアニーの仕事をよく手伝うとか嬉しそうに言っちゃって、 アニーのことを、 まるで自分の孫みたいに可愛がっているみたいだった。 ここの人達と、 アニーの関係って一体なんなんだろうね。 みんな、 たかが、 機械人形なんかを人間扱いしちゃってさ。 馬鹿みたいだよ。
  このお兄さんが、 アニーの言ってた新しいロボットを連れてくるはずの浩一さんなんだ。 てことは、 浩一さんの横にいる女の子は、 やっぱり・・・。
  私が聞く必要はなかった。 お兄さんは、 手をたたいてみんなの注目を集めると、 後ろでもじもじしていた丸顔の女の子に向かって、 みんなの前に出るように促したんだ。
「アニーに頼まれてた新しいロボットを、 やっとまわしてもらったよ。 さあ、 みなさん、 紹介しましょう。 今日から、 はるにれ荘で働いてもらうクララベル。 ギガテックス製の最新型ロボットだ。 あとで歓迎会をするぞ」
「クララベルです。 宜しくお願いします」
  クララベルと呼ばれた女の子ロボットは、 ちょっとはにかんだような笑顔を浮かべてお辞儀をした。 ロボットが照れたり、 はにかんだり。 変なの。 彼女の照れ具合もプログラムされたものなんだろうか? 最近のロボット用のAIは、どんどん進化してますなんて、 ニュースでよくやってるけど、 アニーやクララベルを見ていると本当に人間にそっくりなんだなあって改めて思ったよ。
  クララベルはロボットといっても、 決してマネキン人形みたいな血の通ってない美人顔じゃなくって、 むしろ可愛らしい、 味噌汁をすくうお玉で子供の頭をコンコン叩いて叱っている姿が似合いそうな、 どこにでもいる近所のお姉さんみたいだった。 ロボットも、 あまり綺麗すぎると人に親しまれないから、 わざと人目を惹く容姿にはしないって聞いたことがあるけど、 本当なんだね。 だったら、 名前もクララベルなんてやめて、 洋子とか涼子とかにすればいいのにさ。 どこからどう見ても日本人顔のくせに、 アニーとかクララベルなんて言われたら笑っちゃうよ。
  私はいっとき、 自分の置かれている立場も忘れて、 クララベルを見ながらそんなことを考えてたわけなんだけど、 気がついたら、 佐倉井さんも、 あばあちゃん達も、 アニーも、 まるで顔全体がはてなマークにでもなったみたいな珍妙な顔つきで私とクララベルを見比べていたんだ。 分かってる。 みんなが思ってることは、 痛いほどよく分かるよ。 クララベルが新しいロボットなら、 私は一体何なのって思ってるんでしょ。
  だから私は人間なんだってば!!
「ところで、 あなた方は?」
  場違いな会社の制服姿で、 生活感丸出しのはるにれ荘の雰囲気から、 まるで浮いちゃってる佐倉井さん。 それから、みんなの不思議そうな視線を一身に集めている私。 浩一さんから見れば怪しさ満点だったのかもしれない。 彼は見知らぬ私達二人組をいぶかしむように、 かけているサングラスをちらっと上げた。
「あ、 失礼しました。 あの、 私、 城口ウランの佐倉井と申します」
  車のドアノブに手をかけつつも、 帰るタイミングを失って、 コトの成り行きを見守っていた佐倉井さん、 あわてて名刺を浩一さんに手渡した。
「ああ、 城口さんね。 いつもお世話になってます。 私はここの家主の須永です」
  浩一さんは、 佐倉井さんの名刺に目を落とすと、 やっと警戒を解いて口元をほころばせる。 そして、 今度は逆に、浩一さん、 えと、 須永さんが、 佐倉井さんに名刺を手渡したんだ。 おばあちゃん達の派手な色合いの洋服がぶら下がっている物干し竿の横で、 名刺交換だってだってさ。 変なの。
「ギガテックス? 有名なロボットメーカーの、 あの、 ギガテックスですよね?」
  佐倉井さん、 須永さんの名刺に書かれている会社名を見て眼をまんまるに見開いて驚いている。
「須永さんって、 すごい企業にお勤めなんですね。 A I研究室? AIって人工知能のことですよね。 じゃあ、 須永さん、 ロボットのプログラムをしているんですか? すごい、 すごい」
  興奮して子供みたいにはしゃぐ佐倉井さん。
  はしゃぐ佐倉井さんの気持ち、 分からなくもない。 だって、 ギガテックスっていったら、 日本で最大手のロボットメーカーだよ。 「こんにちは、 皆さん、 はじめまして・・・」で始まる「新しいトモダチ」っていうギガテックスのロボットのコマーシャルソング、 日本人だったら知らない人はいないんじゃないかな。
  その会社のAI研究室だってさ。 ロボットのことは、 よく知らないけど、 AIってロボットを動かす要のプログラムのことでしょ。 大げさに言えば、 ロボットの心を作るのが仕事ってことだよね。 ひょっとして、 アニーの私に対する常軌を逸した意地悪ぶりも、 クララベルの人前でもじもじする仕草も、 みんな、 この人が作ったものなんだろうか? だとしたら、 須永さん、 掛け値なしに天才だよね。
「はは、 すごい企業ね。 まあ、 有名ですよね」
  佐倉井さんのはしゃぎっぷりに、 苦笑いの須永さん。 話題を変えようとしたのかな。 今度は、 私のほうを向いて言った。
「じゃあ、 君は、 今日は、 佐倉井さんに連れられて、 はるにれ荘を見にやってきた入居希望者。 そういうことだね」
「うー・・・」
  何て話を切り出そうか迷っていたら、 佐倉井さんが先に口を挟んじゃった。
「そのはずだったんですけど・・・、 私、 人間と間違えてロボットを連れてきちゃったみたいなんです。 でも、 変ね。 このロボットの女の子、 須永さんはご存知ないのかしら?」
  佐倉井さん、 ちらっと私を見ながら、 不思議そうに言った。
「浩一さん? コレは一体何なんですか? ロボットのくせに眼鏡なんかかけて人間のふりしたり、 いくら躾けても言うことを聞かなくて反抗的で、 そのくせ感情表現だけは無駄に豊かで、 とても実用的とは思えないんですけど」
  今度はアニーが私を指差して唇を尖がらせる。
「佐倉井さんも、 アニーも、 この子がロボットだって言うのか? 僕が連れてきたって思っているのか? 僕が今日連れてきたのはクララベルだけだよ。 こんな子は、 知らないぞ」
  今まで人間だと思いこんでいた女の子がロボットだなんて聞かされて驚く須永さん。 佐倉井さんも、 おばあちゃんもみんな戸惑ってお互いの顔を見合わせている。
  須永さんは、 私の顔や、 身体を、 上から下まで見回した。 なんといっても、 須永さんはロボットのプロなんだ。 その須永さんに、 身体をよく観察されたら、 私の身体が作り物だってことが分かっちゃうかもしれない。 そう思った私は、 須永さんの視線に気おされたみたいに、 無意識のうちにニ三歩後ずさりして、 身体をぎゅっとこわばらせた。
  驚く須永さん、 戸惑う佐倉井さんや、 おばあちゃん。 緊張する私。 みんな、 黙ってしまって、 風で洗濯物が揺らめくパタパタって音だけが、 妙に大きく聞こえた。
  一番狼狽していたのはアニーかもしれない。 今まで、 はるにれ荘のロボットだと思っていた私が、 実はそうじゃなかったってことに気がついて、 バツの悪そうな笑みを浮かべた後、 ちらっと須永さんの表情を伺いつつ 「さて、 掃除の続きをしなくっちゃ」 なんてわざとらしくつぶやいて、 その場を立ち去ろうとしたんだ。
「アニー、 お前、 躾って、 いったい何をやったんだ」
  恐る恐るアニーに聞く、 須永さん。 地面に落ちた箒を拾おうとした、 アニー、 そのまま中腰の姿勢でびくっとして固まってしまった。
「ちょっと・・・、 その、 軽く電気を流しただけです」
  アニーは箒を小脇にかかえると、 困ったように両手の人差し指をつんつんした。 そんな風にうろたえる仕草も人間そっくりだ。
「軽くってどれくらい?」
「せ、 1500ボルトくらい・・・かな? ははは。 駄目だったかなあ?」
  つかつか近寄ってきた須永さんを上目使いに見上げて、 びくびく甘えるような口調でそう言うアニー。
「バカっ! この子は、 人様の持ち物かもしれないんだぞ。 そんなことして壊して、 器物損壊で訴えられたらどうするんだ」
  須永さんに怒鳴りつけられたアニーは、 親に叱られた子供みたいに、 下を向いて俯いてしまった。 私、 まだロボット扱いされていることは気に食わないけどさ。 でも、 須永さんに怒られてしょんぼりしている意地悪ロボを見て、 さっきの鬱憤が晴れていくような気がしたよ。 ざまあみろって、 心の中でほくそ笑んでる私って、 嫌な女かなあ。
「だって、 だって、 浩一さん、 新しいロボットが来るって言ったもん。 だから・・・、 だから私、 この子がそうだって勘違いしちゃって。 でも、 でも、 ロボットだったら、 別に1500Vくらい、 内部まで電気が流れなければ壊れることなんてないから大丈夫だよね」
  アニーは、 蚊のなくような声で、 なおもいい訳めいたことを口にした。
「バカっ! そういう問題じゃないんだよ。 君、 大丈夫かい? 怪我はなかったかい? ウチのアニーが申し訳ないことをした。 すまない」
  私のことを機械だって思い込んでるくせに、 それでもこうして頭を下げてくれる須永さん。 きっといい人に決まってるよ。 私は、 この人に好感を持った。 ロボットの不始末は持ち主の責任かもしれないけど、 でもいいや、 今回のことは水に流してあげるよ。 そんなことより、 もっと大事なことを伝えなきゃ。 私はロボットじゃありませんって言わなきゃ。
「あ、 あの、 いいです。 そんなことはいいんです。 それよりも・・・みんな、 私のこと勘違いしてるんだ! 私は、 ロボットじゃないんです! 人間なんです。 私、 ただ部屋探しに来ただけだったのに、 それなのに、 このアニーが私のことを新しく来るロボットって思い込んで私にアイロンがけをやらそうとして・・・」
  私が、 そう言いかけたところで、 アニーが須永さんの後ろからひょっこり顔を出した。 反射的に口をつぐんでしまう私。 アニーは、 私に向かってロボットとは思えないような悪魔じみた笑いを浮かべた。
「浩一さん。 そんなに訴えられるのが恐かったら、 この子の記憶を書き換えて全部忘れてもらえばいいんだよ。 それかウイルスでも流してコンピューターを真っ白けにしちゃえばいい。 ふふふ」
  アニーが、 私に向かって人差し指を立てた。 その人差し指と爪の間から、 ぬーって、 細い金属の棒が姿を現した。
  それは、 まさか、 コンピューター接続端子? 私のコンピューターをいじろうっていうの?
  狂ってる。 このロボット、 本当に狂ってる。
「い・・・嫌っ!」
  私は、 反射的に、 両手で自分の首筋を掴んでいた。
「あらあ。 接続端子は、 そこにあるんだぁ。 分かりやすい反応をしてくれて助かるなぁ」
  しまった。 私何やってるんだろう・・・。 自分の間抜けさに後悔したけど、もうおそかった。
  アニーは、 獲物を見つけた肉食動物みたいな鋭い目つきで舌なめずりをすると、 私に向かってラグビーのタックルみたいに、 身を沈めて飛び掛ってきた。
  あっという間に倒される私。 アニーは、 私の上に馬乗りになると、 すごい力で、 首筋を掴んでいた私の両手を引き剥がして、 両膝で地面に押さえつけた。 それから、 端子を目立たないように隠しているカムフラージュシールも乱暴に引き剥がす。
「こんなもので、 端子なんか隠して人間にでもなったつもりかしら」
  アニーは私の作り物の肌と同じ色に塗られたシールを見て、 あざ笑いながら私の鼻の頭に貼り付けた。
「アニー、 やめるんだ」
  須永さんが、 後ろから羽交い絞めにしてアニーを私から引き剥がそうとしたけど、 アニーは言うことを聞かない。 持ち主の言うことを聞かないロボットなんて、 そんなのアリなの。 おかしいよ。 このロボット、 本当におかしいよ。
「機械のくせに、 人間のふりなんかして。 自由に一人で動き回って。 くそっ。 くそっ。 お前なんか。 お前なんか」
  どうして、 アニーは私をそんなに眼の敵にするんだろう? こんなふうに悪態をついて、 私を睨みつけるアニーは、 本当にただの機械なんだろうか? このむき出しの悪意も、 それから私に怒りをぶつける合間に一瞬だけ見せた悲しげな眼つきも、 全てプログラムされたものだっていうの? 違う、 絶対違う。 このロボットには感情がある。 心がある。 そして、 自分の中でうまれた悪意で、 嫉妬心で、 私を消し去ろうとしているんだ!
  アニーは、まるで人間みたいなむき出しの感情を私にぶつけた後、今度は機械らしい冷静さで私のサポートコンピューター接続端子の蓋を開くと、 自分の人差し指の金属の棒を接続端子に突き刺したんだ。 その瞬間、 私の視界が、 不正アクセスを警告する真っ赤な文字で埋め尽くされた。
「あせdfgyふじこlp;」
  サポートコンピューターが不正アクセスされたからだろうか? 私の口が勝手に動いて変なことを口走った。 頭の中を犯される恐怖に、 叫び声を上げようとしたけど、 意味をなさないでたらめな言葉しか吐き出せなかった。 どうしよう、 サポートコンピューターにウイルスなんか流されたら私、 どうなっちゃうんだろう! 
(こ、 殺される。 私、 この基地外ロボットに殺される。 私はただ家を探しに来ただけなのに。 なんで、 なんで、 なんで)
「mj89ふぉ位pうぇrl;f」
「へぇー! 生意気にずいぶん厳重なプロテクトなんだね。 でも、 もう少しだからね。 そうすぐ全部忘れられるよ。 ぜーんぶ」
  アニーは、 私に顔を近づけて、 にこやかに微笑むと、 カムフラージュシールを貼られた私の鼻の頭に軽くキスをした

「ほらほらほらぁ。もうプロテクト破っちゃったよ。すごいでしょ」
  私の鼻にキスをしたアニー、 そのまま顔を私のほっぺたにくっつけると、 そんなことを耳元でささやくんだ。 まるで、 逆上がりができたことを褒めてもらいたい子供みたいにね。 って、 冗談じゃないよ。 プロテクトを破っただって? 何が、 サポートコンピューターは不正に設定を変えられることを防ぐために、 パスワードを知らない第三者はアクセスできない構造になっています、 だ。 嘘つき。 松原さんの嘘つき。
  アニーの言うとおり、 私の義眼ディスプレイには、 サポートコンピューターのパスワードが破られたっていう警告文が、 目がチカチカするくらい大きな文字で、 これ見よがしに表示されている。 この期に及んで警告だってさ。 はは。 バカみたい。 私のサポートコンピューターは、 もう服を全部剥ぎ取られて、 素っ裸で、 アニーに犯されるのを、 だた待ってるだけの状態なんだよ。 もう今更警告したって、 どうしようもないじゃないかよう。
「じゃあ、 さようなら」
  もう一度、 顔を上げたアニーは、 私の目を見つめて、 可愛らしい顔でにっこり笑った。 本当に、 コンピューターのプログラムを消すつもりなんだね!
「sqっうぇrrtd:gk」
  駄目だ。 悲鳴を上げようにも、 助けを求めようにも口から出るのはヘンテコな機械音だけ。 両手はアニーの膝で腕の付け根からがっちり押さえられちゃってびくともしないし、 両足をバタバタさせても、 アニーは微動だにしないんだ。 須永さんはアニーを止められないし、 佐倉井さんも、 おばあちゃんたちも遠巻きに私達を眺めているだけ。 クララベルは? クララベルは、 どこに行ったの? 何で助けてくれないのさ。 ロボットなんて、 ちっとも私の役に立ってくれないよ。 一人は基地外、 もう一人は恥ずかしがりや。 ホント、 バカみたい。
  ああ、 私、 本当にもう、 駄目だ。 サポートコンピューターが死んだら、 私は身体の感覚を全て失って、 身じろぎ一つできないお人形さんになっちゃうんだ。 そして、 私の心は、 真っ暗闇に、 真っ逆さまに落ちていくしかない。 永遠に、 どこまでも、 どこまでも。
  私は、 感覚遮断の恐怖に身を固くして、 ぎゅっと目をつぶった。
  でも・・・。 何も起こらなかった。 目をつぶったままの真っ黒な視界には不正アクセスの警告文がいつまでたってもひらひら踊ってる。 アニーが私のお腹の上に乗っている感覚はあるし、 グェーグェーって、 私を馬鹿にしているみたいなカラスの鳴き声も聞こえた。
(あれ・・・)
  私は、 恐る恐る、 薄目を開けてみた。
  アニーは相変わらず私の上に馬乗りになったまま。 けれど、 さっきまでの追い詰めた鼠をいたぶって遊ぶ猫みたいな余裕は、 いつの間にかなくなってた。
「なに・・・これ。 あんたのプログラムって、 たったこれだけなの? こんなちゃちなプログラムで、 あれだけの反応をしてたってこと・・・。 あんた、 いったい、 なんなの」
  アニーは、 信じられないものが目の前にいる、 そう、 まるでお化けでも見るかのような目で私を見つめたんだ。 顔に浮かんだ感情は、 恐怖、 怯え。 きっと、 私のサポートコンピューターに侵入して、 そして、 プログラムの構造が、 ロボットとはまるで違うってことに気が付いたんだろう。 私は、 アニーやクララベルみたいな人工知能じゃない。 コンピューターでものを考えているわけじゃない。 コンピューターはあくまでも、 私の機械の身体を制御する道具にすぎないんだ。 だからプログラムなんて、 ロボットのそれよりずーっと簡単なはずなんだ。 アニーからしてみれば、 こんな簡単なプログラムで動いている私は、 一体何者ってことなんだろう。
  残念でした。 私はニンゲン。 決してプログラムで動いているお化けじゃありません。 私に言わせれば、 機械の癖にそんなふうに怒ったり、 怯えたりするアンタのほうがずっと化け物じみているよ。
  ふっと身体が軽くなった。
  私の上にのしかかっていたアニーが、 何者かに服の腰のところをひょいっと掴まれて、 丁度宙づりみたいな格好になった。 同時にアニーの私のサポートコンピューターへの不正アクセスも解除された。
「あっ! コラ! 何するんだ」
  空中に吊り上げられたまま、 手足をジタバタさせるアニー。 と、 思ったら、 ひょいと放り投げられて・・・
「うわうわうわうわ!」
  アニーは、 ボールみたいにきれいな放物線を描いて宙を舞うと、 はるにれ荘の壁に頭を下にして背中から叩きつけられたんだ。 「ぎゃっ」 と情けない悲鳴を上げると、 そのままずるずる下にすべり落ちるアニー。
  アニーが叩きつけられたのは、 ちょうど窓と窓の間の幅が50センチもないような、 壁面。 ちょっとでも横にずれたら、 ガラスが割れて大変なことになっちゃうトコだ。 ずいぶん正確なコントロールだなって、 私、 変なところに感心して、 アニーを投げた主を見た。
  クララベルが、 自分の成果に満足そうに両手をはたいている。 アンタかい!
「あ、 あの、 私は、 あなたを人間と認識しましたよ」
 クララベルは、 人を安心させるような、 柔らかい笑顔でおずおずそう切り出すと、 私に手を差し伸べてくれた。
  やっと、 私のことを人間ってわかってくれる人がいた。 クララベル! 偉いよ、 あんたは偉い。 機械仕掛けの女神様だ。
「あ、 ありがとう、 クララベル」
  クララベルに助け起こされて、 何度も何度もお礼を言う私。 身体はさっきの恐怖が染み付いて、 義体のくせにみっともなくガクガク震えちゃってるけど、 ひとまず、 私、 助かった、 のかなあ?
  でも、 周りの人の反応を見てると、 そうとも言えないみたいなんだよね。

  一見大人しそうな女の子の姿をしてるくせに、 須永さんがいくら押しても引いてもびくともしなかったアニーを軽く放り投げちゃうなんて、 やっぱりクララベルもいっぱしのロボットなんだ。 一瞬の出来事に、 佐倉井さんも、 おばあちゃんたちもびっくりして、 まるで酸欠状態の金魚みたいに口をぱくぱくさせながら、 私を助け起こすクララベルと、 壁からずり落ちてパンツ丸見えで地面にずっこけてるアニーを交互に見比べるだけ。
  でも、 アニーや、 須永さんの様子は、 他のみんなとは違ってた。 アニーなんて、 ホントだったら、 真っ先にクララベルに食って掛かりそうなものなのに、 そのクララベルには見向きもしない。 かわりに、 さっき私のサポートコンピューターを覗き込んだ時と同じように、 お化けか幽霊でも見ているみたいな、 怯えた眼つきで私のことを凝視して、 それから救いを求めるように須永さんを見つめた。 その須永さんはというと、 私が髪をかきあげて、 首筋にあるサポートコンピューター接続端子の蓋をパチンと閉めているところをちらっと見ながら、 胸のポケットを探ってタバコを取り出したんだ。 タバコでも吸って、 気持ちを落ち着かせて、 平静を装おうとしたんだろう。 でも、 間違ってフィルターのほうに火をつけちゃって、 苦笑いしながら、 使えなくなったタバコ地面に投げ捨てた。 須永さん、 あからさまに動揺してるね。
「クララベル、 お前、 今、 何て言った?」
  須永さんは、 驚きを隠し切れない、 かすれ気味の声でクララベルに聞いた。
「この人は人間ですって言ったんです。 ロボットは人間に危害を加えてはならない。 また、 その危険を看過することによって、 人間に危害を及ぼしてはならない。 私達にとって一番大事なこと。 決して破ってはならないこと。 そうですよね?」
  クララベルは、 力強くそう言い切ると、 同意を求めるように、 私のほうを振り向いた。 曖昧にうなづくしかない私。
  気がついちゃった。 須永さんもアニーも、 私がロボットじゃなく全身義体の人間なんだってことに気付いちゃった。
 アニーは、 私がロボットだと思い込んでいたからこそ、 私に対してやりたい放題だったんだ。 でも、 その私が人間だったとしたら、 どうなる。 ロボットが人間様に危害を加えたってことになるんだよ。 もしも、 私が訴えたとしたら、アニーのAIは危険プログラムとして完全消去。 須永さんもロボットの持ち主として何らかの責任は当然問われることになるんだろうか? だから二人とも、 びびって、 焦っているんだね。
  だけど、 それは私が生身の身体を持っていたら、 の話。 今の私の身体は、 法律的にはあくまでも脳だけ、 私の身体は、 身体じゃなくて、 あくまでも私の持ち物ってことになっているんだ。 私は、 義体なしに生きることなんてできないのに、 それでもただのモノ扱いなんて、 変な話だけどね。 だから、 私が須永さんやアニーを訴えたところでせいぜい器物損壊にしかならない。 自動車事故と同じだね。 ううん、 今回は別に義体を壊されたわけでもないから、器物損壊ですらないよ。
  だから、 私が今回のことを警察なりサイボーグ協会に訴えても、 今のところはかえって自分が惨めになっちゃう結果にしかならない。 そんなこと、 よく分かってる。 それに、 もしも仮に訴えが通ったとしても、 アニーみたいな、 いかにも人間らしい反応をするAIを消すなんてことは、 私にはとてもできないよ。 怒ったり、 悲しんだり、 楽しんだり、 人間と同じような感情を持つプログラムを消すのは、 なんだか、 人を殺しちゃうのと同じ気がして後味が悪すぎるもんね。 だから、 私には訴える気はないよ。 安心してよ。
  でも、 アニーに機械扱いされて、 このまま泣き寝入りっているのもなんか悔しい。 ちょっとくらい意地悪して、 脅かしてやったって、 罰は当たらないよね。

「君は・・・、 君は完全義体なんだね・・・」
  須永さんが、 私に向かって、 恐る恐る聞いた。
  完全義体って全身義体のことだよね。 ふーん。 ギガテックスではそういう言い方をするんだ・・・。 そう、 その通りだよ。 でも、 「義体なんだね」じゃなくて、 「人間なんだね」って聞いて欲しいかったな。
「そうです・・・。 だけど、 そんな言い方しないで下さい。 こんな身体だったとしても、 私は人間なんだから。 ねえアニー」
  私は、 わざと意地悪っぽく、 ふてくされて答えて、 アニーのほうを向いた。
「すみません。 すみません。 すみませんでした」
  さっきまでの元気はどこへやら。 アニーは、 スカートのすそが汚れるのも構わずに、 床にぺたんと座り込んで、 俯いて、 学校で悪さをして先生に叱られる生徒みたいに、 すみませんを繰り返すばかり。 私が人間だって分かったとたんにこうだもんね。 アニーには、 心があるのかもしれないけど、 所詮ロボットなんだ。 決して人間には逆らっちゃいけないってプログラムされているんだろうね。 私は、 身体は機械だけど、 心まで檻に嵌められているわけじゃない。 でも、 アニーの心は檻でがんじがらめにされてちゃってるんだ。 もしも、 機械にも心があるとしたら、 そんな状態って、 かえって辛いのかもしれないよ。 すみませんってひたすら繰り返すアニーを見てたら、 なんだか可哀想になって、 怒りも萎えちゃったよ。
「ちょっと、 須永さん、 かんぜんぎたいって何ですか? 八木橋さんはロボットじゃなくて人間だったの? 私、 なんだか、 全然飲み込めないんだけど」
  ロボットだ義体だ人間だって単語が次々に飛び交う私達のやりとりについていけなくなったんだろう。 佐倉井さんが口を挟んだ。
「うん」
  須永さんは、 軽くうなずくと佐倉井さんや、 おばあちゃんたちに説明をはじめた。
「アニーは、 さっき彼女のことをロボットだと言い張ったね。 でもクララベルは人間だと言った。 アニーは、 体温パターンで相手が人間かロボットか識別するシステムなんだ。 でも、 クララベルは、 アニーと違って相手の脳波を読み取って識別している。 相手の感情を本当に理解して、 正しい反応をしてもらうためには、 そっちのほうが都合がいいからね。 つまり、 それはどういうことかと言うと、 彼女、 八木橋さんっていうのかな、 八木橋さんは、 体温パターンはロボットと同じかもしれないけど、 脳はちゃんとあって、 れっきとした人間ってことなんだ。 体は機械でも、 頭は人間だってことだね。 そういう人のことを完全義体って呼んでいる」
  どうして、 アニーが私のことを、 一目で機械の身体だって見抜いたんだろうって、 ずっと不思議だったんだけど、 須永さんの話を聞いてやっと分かったよ。 そうだよね。 私の身体は、 体温なんかないもの。 機械から発生する排熱を利用して擬似的な体温を作り出す装置はあるけど、 そんなのまがいもので、 普通の人の体温とはやっぱり違うもんね。 アニーにかかったらすぐ見破れちゃうってことなんだろう。 でも、 そのアニーも、 私の身体が機械ってことは分かっても、 人間の脳みそがついているところまでは分からなかった。 だから私のことをロボットと思い込んだ。 そういうことだね。
  須永さんの話は当事者である私以外には、 きっと難しかったんだろう。 おばあちゃんも、 佐倉井さんも、 まるで外国語をまくしたてられている見たいな、 よく分かりませんって顔で須永さんの話を聞いていたけど、 身体が機械でも頭は人間ってところで、 ピンときたみたい。 みんな、 一瞬びっくりして、 ぎょっとした顔で私のことを見たんだ。 そうだよね。 今までロボットだって思いこんでいた私が、 ほとんどロボットと同じ身体のくぜに実は人間なんだって聞かされたら誰だって驚いちゃうよね。
「須永さん。 それ以上言うのはやめてください」
  クララベルが、 相変わらず自信なさげに、 おずおず切り出した。
「だって、 あの・・・、 この人、 とても悲しそうなんです」
  クララベルの声に、 須永さんは、はっとして、 私の表情を見て、 口をつぐんでしまった。
  クララベルの言う通り、 私は悲しかったよ。 泣くことはできないけど、 きっと泣きそうな顔をしていたと思うよ。 自分の体のことが、 みんなにばれてしまって、 そしてみんなの私を見る顔つきが変わるときほど私にとってつらい瞬間はないもの。
  ああ、 クララベル。 須永さんが言ったように、 人の感情を理解して正しい反応をする機械の女の子。 貴女はほんとうに優しいんだね。 有難う。 でも、 いいんだ。 須永さんも、 私に気を遣わなくてもいいんだよう。 だって、 全部本当のことだもん。
  須永さんが黙り込んでそれ以上話さなくなちゃったから、 私、 代わりに自分で話すことにしたよ。 自分自身の身の上を全部ね。 この期に及んで隠したってしょうがないもんね。
「私、 二年前に交通事故に遭ったんです。 ひどい事故でね、 親も兄弟もみんな死んじゃって、 私の身体も滅茶苦茶になっちゃったんだ。 運よく私だけは助かったんだけど、 その代わり私の身体は脳みそ以外、 全部機械になっちゃった。 だから、 みんなが見ている、 私のこの身体は、 人間そっくりにできた、 ただのお人形さんなんです。 外見だけじゃないよ。 この身体の中には、 コンピューターとか機械部品がいっぱい詰まってるんだ。 だから、 佐倉井さんが、 私のことをロボットと間違っちゃったのも無理ないんです」
  そこまで一息に話すと言葉を切った。 みんな、 じっと黙って私の話に聞き入っている。 須永さんも、 佐倉井さんも、 おばあちゃん達も。 私の悲しみを痛いほど感じているだろうクララベルや、 私のことが憎くてたまらなかったはずのアニーでさえも。
「私は、 こんな身体でも、 自分のことを人間だと思っています。 みんなと同じだと思っています。 でもね、 他の人から見れば、 やっぱり違っていたんです。 よくて、 身体障害者。 みんなと同じ食事をすることもできない、 女なのに子供を作ることもできない可哀想な人。 悪ければ、 人と違う不気味な存在。 生きている人形。 ただの機械女。 高校生の時は、 周りの人はみんな、 機械の身体になった私を見て、 そんなふうに思っていたんです。 私の心は、 心だけはみんなと同じはずなのに・・・。 だから、 私、 誰も知らないところで新しい暮らしをはじめたかった。 自分に嘘をついてでも、 この身体のことは隠して大学に通いたかったんだ。 新しい友達と普通の付き合いをしたかったんだ。 こんなによくできた身体だもん。 黙っていたら普通の人と変わらないもん」
   そう、 私は、 逃げてきた。 高校のときのかかわりなんか全部断ち切って、 私の過去を誰も知らないところに逃げてきたんだよ。 こんな、 不気味な機械人間の私のことを人間扱いしてくれるところなんて、 どこにも、 ありはしないんだ。 だったら、 私ことを誰も知らないところで、 私の身体のことはひたすら隠して、 生身の人間のふりをして生きていこう。 私はそう決めたんだ。 みんな、 そんな私のことを弱い人間だと思うだろうか? 臆病者の負け犬って思うだろうか?
「佐倉井さん。 佐倉井さんの妹さんと私は同じ大学の同じ学部で勉強することになるんだよね。 だったら、 お願いだよう。 私の身体のこと、 私と佐倉井さんだけの秘密にして下さい。 妹さんには内緒にしてください。 もしも、 私の身体のことがばれて、 高校の時と同じことになったら、 私は生きていく自信がなくなっちゃうよ」
  ひょっととしたら、 私、 とても失礼なことを言っているのかもしれない。 これじゃあ、 まるで、 佐倉井さんの妹さんが、 私のことを馬鹿にするって決め付けてるみたいだもんね。 佐倉井さんの妹さんは、 本当は、 私の身体のことなんか気にしない、 とても優しい子なのかもしれないよ。 でも、 私には、 そんなふうに考える余裕なんかなかった。 私の身体のことを知った人はみな、 私のことを蔑んで、 哀れんで、 馬鹿にする、 そんなふうにしか思えなかったんだ。 悲しいことだけどね。
「う・・・うん分かった。 分かったわ。 清香には、 あなたの身体のことは絶対に言わない。 このことは、私と貴女だけの秘密。 約束するわ」
  膝をついて佐倉井さんにすがりつくように懇願する私に気おされたんだろうか。 佐倉井さんは、 私の手を握ってそう約束してくれて、 私はちょっとだけ救われた気分になったよ。

  私のまわりに、 いつの間にか、 はるにれ荘のおばあちゃん達が集まっていた。
「八木橋さん」
  ウェーブのかかった真っ白な髪のおばあちゃん、 山下さんが、 そっと私の背中に手を置いて優しく声をかけてくれた。
「八木橋さん、 まだ若いのに、 辛い目にたくさん遭ってきたんだろ? だから、 人が信じられなくなっているんだろ? だからって、 そうやって、 これからずーっと自分に嘘をついて暮らしていくっていうのは、 きっと辛いことだと思うの。 ストレスだってたまるよ。 ありのままの自分を曝け出して生きる場所も、 きっと貴女にとって必要。 そうよねえ」
  山下さんは、 他のおばあちゃんに向かって同意を求めた。
「そうそう。 あなたも私達と一緒にここで暮らさない? ここに住んでいるのは、 みんな一人暮らしの寂しい人ばっかり。 夫と死に別れたり、 妻と死に別れたり。 そんな私達年寄りが肩を寄せ合ってくらしてるところさね。 あなたみたいな、 若い女の子が来てくれたら、 はるにれ荘も華やかになって、 きっとみんな喜んで、 元気がでると思うよ」
「機械とか人間とか、 そういうことは、 ここでは余り関係ないよ。 アニーちゃんは、 世間様ではロボットなのかもしれないけど、 私達にとっては可愛い孫みたいなものだもの。 あなたの身体がさっき言ったみたいに半分機械だからって、 私達は気にしないよ。 ほら」
  私の手に飴玉が置かれた。
「これでも食べて元気出しなさいよ」
  なんだよ。 このおばあちゃん、 変だよ。 全身義体の私が飴なんか食べられるはず、 ないじゃないかよう。 なんだよ、 こんな、 飴なんか、 飴なんか・・・。 なんで、 そんなに優しいんだよう。
「あら、 八木橋さん。 泣いてるのかい?」
  山下さんは、 飴玉をぎゅっと握ってうつむいたままの私の顔を覗き込んでいった。
「そんなことない。 私の身体は泣けるようにはできていないもの。 ただの機械だもの。 涙なんか流れないもの」
  あわてて、 顔を上げる私。
「あら、 違うわよ。 誰だって、 泣くわよねえ。 泣くことなんて、 決して恥ずかしくないよねえ」
「そうそう、 アニーもよく泣くわね。 涙は流さないけど、 アニーは泣き虫さんだよね」
  おばあちゃんたちは、 そういっていつまでも可笑しそうに笑いあっていたんだ。

「さっきはアニーが、 君を人間とは気がつかずにひどい事をした。 アニーのやったことは、 私の責任でもある。 謝ってすむ問題ではないかもしれないけれど、 許して欲しい。 このとおり」
  突然須永さんが、 私の前で土下座した。 須永さんの様子を見て、 楽しそうに笑ってたおばあちゃんも笑い事じゃないと思ったんだろう。 みんな黙りこくって私達をみつめた。
「もしも君が訴えたら、 人間に危害を加えた危険プログラムということで、 きっとアニーのAIは消されてしまうかもだろう。 でも、頼む、 このとおりだ。 虫のいいお願いかもしれないが、 それだけはやめてくれ。 君も気がついたかもしれないけど、 アニーには心があるんだ。 ただの機械かもしれないけど確かに心があるんだよ。 もちろん、 ただで許してくれとは言わない。 その代わりに、 君が望むのであれば、 ここで自由に暮らして欲しい。 もちろん、 家賃はいらない」
   額を地面にこすりつける須永さんの姿に私はびっくりした。 私は人に土下座までされて何かを頼まれたことなんてないもの。 何かの冗談かと思ったよ。 いくら私が危害を加えられたっていっても、 私自身ではなく、 私の所有物、 義体に危害が加えられただけなんだ。 それも、 未遂で終わっているから、 大した罪にはならないはずだよ。 私としては、 謝ってくれたら、それで終わりだと思ってた。 まさか、 はるにれ荘にただで住まわせてくれるなんて思ってもみなかった。
   須永さん、 そこまでしてアニーを守りたいと思っているんだ。 アニーは、 須永さんにとって、 そんなにも大事なものなんだ。 須永さんは、 アニーには心があるっていっていた。 それは、 私も感じていたこと。 アニーは、 クララベルみたいな普通の従順なロボットとは、 どこか違う。 須永さんに見せた無邪気な子供の姿、 私に見せた悪魔の顔。 おばあちゃんたちはアニーのことを泣き虫さんって言っていた。 普通のロボットが、 そんな沢山の感情を持っているはずがない。 アニーには、 いびつかもしれないけど、 確かに心が宿っているのかもしれない。
  だから、 須永さんにとってアニーのAIを消すことは、 人を殺すことと同じことなんだ。 きっと、 自分の娘を殺すみたいなものだろう。 そんなこと、 できるはずないよね。 そんな、 須永さんの気持ち、 私には痛いほど伝わってきたよ。
「え? でも、 須永さん。 どうしよう、 そんなこと言われても、 私、 困っちゃうよう」
  ただで家に住むことができる。 そして、 周りには、 こんなにも優しい人達がいる。 私が、 こんな身体でも受け入れてくれる人達がいる。 とてもいい話だよね。 どうして、 私、 こんなオイシイ話、 素直に二つ返事で引き受けないんだろう。
 どうして、 こんな風に言葉を濁しちゃうんだろう。
  分かってるよ。 アニーがいるからだ。
  私は、 身体は機械かもしれないけど、 心がある。 だから、 ロボットとは違う。 私はずっとそう思ってきた。 そう思うことで自分自身を慰めていた。 でも、 もしも、 機械にも心が宿るとしたら、 私の立場はどうなるんだろう。 心があるから人間だ、 なんてとても言い切れなくなっちゃうじゃないか。
  だから、 私には、 アニーのことを認めることができない。 アニーと一緒に暮らすことなんかできない。 私は心が狭い、 嫌な女なんだよ。
「私がいるからでしょ! 私がいるから、 はるにれ荘に住みたくないんでしょ! 私、 あなたに、 人間のあなたにとんでもないことをしちゃったんだもの。 所詮ロボットにすぎない私のことを許すことなんて、 できないんでしょ!」
 私の様子をじっとみていたアニーが、 まるで私の心を見透かしたみたいに喚いた。 アニーの言葉の一つ一つが、 私の心にちくちくっと突き刺さる。
「私が消えれば須永さんにも迷惑はかからないし、 あなたの怒りも収まるよね。 だからね。 こうすることにしたの。 こうするのが、 一番いいんだ。 ふふふ」
  アニーの指先から、 また例の接続端子がにょっきり姿を現した。 アニー、 今度は何をするつもりなんだろう。 自分を消すって一体どういうことなんだろう。
「アニー! 馬鹿な真似はやめろ!」
  須永さんが、 はじけたみたいにアニーに向かって走った。
  アニーは端子をもうかたっぽの手で掴んで・・・。 このとき、 ようやくアニーが何を考えているのか分かった。 アニー、 自分の端子に向かって1500Vの電気を流すつもりなんだ。 さっき、 さんざん私を脅かしたみたいに。 そんなことしたら、 そんなことしたら、 アニーのAI、 この世から消えちゃうじゃないか!
  ばちん。
  電気がはじける音がして、 アニーの手から火花が散った。
  須永さんがアニーのもとに近寄るのと、 アニーが壊れた操り人形みたいに地面に倒れるがほぼ同時だった。

  アニーは、 うつぶせに倒れたまま、 身体のあちこちから煙を上げて、 びくとも動かない。
  ああ、 どうしよう。 どうしよう。 どうしよう。 アニーが壊れちゃった。 ううん、 壊れただけなら、 まだいいんだ。 身体なんか修理すれば、 いくらでも元通りになるよ。 私の身体と同じようにね。
  でもコンピューターに1500Vの電気が直接流れたとしたら、 どうなる。 AIなんか、 完全に消し飛んじゃうよ。 須永さんは、 アニーに心があるって言っていた。 その心が消えちゃったら、 例えアニーの入れ物は残ったとしても、 それは死んじゃったのと同じことじゃないだろうか?
  もしも、 本当にアニーのAIがかき消えていたとしたら、 それはやっぱり私のせい? 違うよね。 アニーが勝手に私を憎んで、 勝手に自殺しただけだよ。 私は悪くない。 悪くない。 私を勝手にロボットと勘違いして、 私のことを消そうとして、 私が人間だと分かったら、 私にあてつけるみたいに自殺。 そんなの全部、 アニーの自業自得でしょ。 だいたい、 機械に心なんかあるはずないよ。 あるとしても、 所詮、 取替えのきく、 心のようなもの、 でしょ。
  私は、 「躾」と称して私のことを電撃で痛めつけたり、 あろうことか、 私のサポートコンピューターをハッキングまでした悪魔のようなアニーの姿を思い浮かべて、 ざまあみろって思い込もうとした。 でも、 やっぱり駄目。 さっきの須永さんとアニーの親子のようなやり取りを見ちゃったもの。 はるにれ荘のおばあちゃん達が、 アニーをまるで本当の孫みたいに可愛がっていることを知ってしまったもの。 もしもアニーが本当に悪魔のようなロボットだとしたら、 あんなにはるにれ荘の人達に親しまれているはずがないもの。
  はっきり言って、 最初ははるにれ荘の人たちが、 アニーをまるで生きているみたいに扱っているなんて、 変だと思ったよ。 馬鹿みたいって思ったよ。 だってアニーはただのロボット。 例えアニーと私の身体が同じ機械だったとしても、 脳みそがあるか、 AIで動いているかで、 アニーと私の間には絶対越えられない壁があると思っていたよ。
  でもさ、 ここの人達にとっては、 アニーはただのロボットじゃないんだ。 みんなと一緒に暮らしているかわいい女の子ってことなんだ。 きっと、 ロボットとか、 人間とか、 そんなことは、ここではとても小さな問題なのかもしれないよ。 だってさ、 はるにれ荘の人達は、 私のことも受け入れてくれたんだもの。 身体のほとんどが機械になっちゃって、 人間かどうかあやふやな私のことだって、 気味悪く思わないで、 一緒に住まない? なんて言ってくれる人達なんだもの。 きっと、 そうに決まってるよ。
  だったらさ、 みんなが私のことを受け入れてくれたように、 私もアニーのことを受け入れなきゃいけなかったんじゃないの? どうして、 私、 須永さんが一緒に住もうって行った時、 アニーのことも受け入れて、 素直に一緒に住みますって言わなかったんだろう。 私がアニーのことを否定するってことは、 機械の身体の私をただのお人形さんとしか見てくれない人と同じことを私がしたってことじゃないか!
  ごめん、 アニー、 貴女には確かに心があるよ。 私に心があるように、 貴女にもきっと心がある。 だけど、 もしも、 心があって、 でも決して人間には逆らえないようにプログラムの檻でがんじがらめにされちゃっているとしたらどうだろう。 私は、 人形の中に閉じ込められたちっぽけな脳の塊かもしれない。 でも、 いくら他人に気味悪がられようと、 蔑まれようと、 私の心は自由だよ。 よしんば、 人を傷つけちゃったとしても、 自殺するまで追い込まれないよ。 ましてや、 私の身体は、 形だけ人間に似せた、 ただの機械なんだ。 アニーが傷つけようとしたのは、 私じゃなくて、 ただの私の持ち物。 私にしてみたらとても悔しいことだけど、 アニーがやったことは、 ちょっと私の持ち物を壊そうとした、 ただそれだけなんだもの。 決して死ななきゃいけないほどの罪じゃない。 でもさ、 アニーのプログラムは、 それを許さなかったのかもしれない。 人間に逆らったら、 死ぬしかない、 きっとそんなふうにプログラムされているんだよ。 心があって、 でも、 その心に自由がない。 だとしたら、 私なんかよりずっと辛いよね、 苦しいはずだよね。
  なんでそのことに早く気付いてあげられなかったんだろう。 ああ、 馬鹿だ。 私は大馬鹿者だ。
  私、 気がついたら、 アニーに駆けよって、 うつぶせに倒れたまま、 まだ身体のあちこちから煙を出しているアニーを抱き起こしてた。 そして、 必死でアニーの身体を揺り動かしたり、 頭を叩いたりしたんだ。 壊れかかったテレビじゃあるまいし、 そんなことしたって、 アニーが目を覚ますわけない。 馬鹿だよね、 私って。 でも、 そうせずにはいられなかったんだ。
「アニーは、 アニーは助かるんですか?」
  私は、 真っ先にアニーに駆け寄ったはずの須永さんに聞いた。 須永さんは、 AIの専門家なんだ。 須永さんなら、 なんとかしてくれるかもしれない。 そう思ったんだ。 でも、 私の視線の先に須永さんはもういなかった。 須永さんは、 私のほうなんか見向きもしないで、 アニーもほったらかして、 はるにれ荘の中に走っていっちゃったんだ。 須永さん、 どうしてそっちに行っちゃうのさ。 須永さんだけが頼りなんだよ。 須永さんに見捨てられたらアニーはどうなっちゃうんだよう。
「ア、 アニー。 お願い、 目を覚ましてよう。 これじゃあ、 まるで私が殺したみたいじゃないか」
  私は、 必死にアニーに向かって呼びかけた。 でも、 アニーはお人形さんみたいに、 目を見開いたまま。 最後に私に向かって、 あざけるように笑った時の表情のまま、凍りついたように動かない。
「アニーが死んじゃったらみんな悲しむじゃないか。 おばあちゃん達も、 須永さんも、 もちろん私だって。 アニーが死んじゃうことに較べたら、 私の身体のことなんて大したことじゃない。 私はもう、 あなたのことなんか何とも思ってないんだよう。 だから・・・、 だから、 お願いだよう。 アニー、 生き返ってよう。 もしも、 生き返ってくれるなら、 私、 貴女のためにどんなことでもしてあげるよ。 お願いだよう目を覚ましてよう!」
  虚しい呼びかけかもしれない。 決してアニーには伝わらないことなのかもしれない。 でも、 それでもアニーに聞いていてほしかった。 私の気持ちがアニーに届いてほしかった。

「あらぁ、 本当にそう思ってるの?嬉しいな」
  私の後ろで、 聞き覚えのある女の子の声がした。
  え? え?
  恐る恐る、 そーっと後ろを振りかえる私。
  見覚えのある水色のワンピース。 透き通るような真っ白な肌と、 それとは対照的な黒髪。 箒を持って、 胸を反り返らせて、 そこにアニーが立っていた。
  私の腕の中で、 死んだように動かないアニー。 でも、 私の後ろに立っているのもアニー。 アニーが、 アニーが、 二人いる? これっていったいどういうこと?
「今、 あなた、 私のために、 どんなことでもしてくれるって言った?」
  もう一人のアニーは、 私の背中にそっと右手を置いて、 耳元でささやく。
  アニーはロボットなんだ。 だから、 同じ外見をもつロボットが、 他に一人、 二人いたとしたって、 別におかしくはないよね。 でも、 可愛らしく澄み切った、 有無を言わせぬ迫力のある口調は、 確かに私の知っているさっきまでのアニーそのものなんだ。 外見だけじゃない、 このロボットは心もアニーそっくりだよ。 こんなロボット、 世界に二人といるはずないよね。 じゃあ、 私の望みどおりにアニーが生き返ったってこと?
  ううん、 そんなはずはない。
  私はびくっと身震いすると、 振り向いた顔をもう一度ゆっくりと元の位置に戻したまま固まってしまった。 だってさ、 アニーは、 私の目の前にいるんだ。 私の腕の中で死んだみたいに動かないんだよ。 だとしたら、 私の後ろにいるもう一人のアニーは一体何者なの? まさかアニーの幽霊? ロボットにだって心があるとしたら、 死んだら幽霊になってもちっともおかしくないよね。 もし、 幽霊だとしたら、 きっと、 自分が死ぬ原因になった私のことを恨んでいるに違いないよね。 そう思ったら、 恐くなって、 私、 後ろを振り返れなくなっちゃったんだ。
「あ、 あなた、 本当にアニーなの? まさか、 幽霊じゃ、 ないよね」
   私は前を向いたまま、 後ろに立っているはずの、 もう一人のアニーに恐る恐る聞いてみた。 もう、 私は顔が蒼ざめることも、 心臓がばくばく動くことも、 生唾を飲み込むようなこともないけど、 それでも、 私の後ろになんだか得体の知れないものがいるっていう恐怖感から、 胸がきゅっとしめつけられるような感じがして、 思わず機械仕掛けの身体をこわばらせた。
   ふふんって、 私の後ろでアニーの馬鹿にしたように軽くせせら笑う声がした。 きっと私のおびえっぷりがおかしかったんだろうね。
「あらぁ、 そんなに恐がらなくてもいいじゃない。 私、 アニーだよ。 幽霊なんかじゃないから安心してよ」
   アニーは、 そう言いながら、 私の背中から顔だけぐっと突き出して、 真横から私をちらっと見ると唇の端っこだけ軽く吊り上げてにやっと笑った。
「なんなら証明してみせようか?」
   わざとらしく、 私に見せ付けるように人差し指を立てるアニー。 また、 私のサポートコンピューターにアクセスする気だね! アニーが幽霊じゃないかっていう恐怖はなくなったかわりに、 今度は勝手にサポートコンピューターをいじられるっていう、 さっきの生々しい記憶が頭のなかに蘇った。 こんなことをするロボットなんて、 アニーの他にいるはずないよ。
「ややや、 やめよう。 ね。 分かった。 あなたはアニーだ。 アニーだよう」
    接続端子を隠すために反射的に両手で自分の首根っこを押さえてしまう私。 立派な人間様だっていうのにさ、 ロボットに怯えるなんて相変わらず情けないったらありゃしないよね。
「冗談だよ。 冗談。 すぐ本気にするんだから」
   そう言って、 アニーは立てた人差し指をそのままぱくっと口に咥えると私を見ながらにやにや笑うんだ。 冗談だなんてアニーは言うけどさ、 さっきサポートコンピューターを乗っ取られかけた私からすれば、 アニーが指を立てる仕草は、 死神が鎌を振り上げるみたいなものだよ。 冗談なんて言葉、 額面どおりに信じられるわけないじゃないか。 ホントにアニーは意地悪だ。 さっきは、 サポートコンピューターを乗っ取られかけて、 今度はこうして、 からかわれて、 ロボットのアニーに振り回される私って一体なんなんだろうね。
  でも、 アニーが生きていてくれてよかった。 どんなに私がひどい目にあったとしても、 どんなにからかわれたとしても、 目の前で、 アニーが死ぬのを見ることに較べたらずーっとましだもの。 そう思ったら、なんだかほっとして、 身体から力が抜けちゃったよ。 どうやら、私のこと恨んでいるふうでもないしね。
  だけど、 私をからかったアニーが確かに本当のアニーだとしても、目の前で壊れて横たわっているアニーだってアニーってことには変わらないよね。 そこには、 どんなからくりがあるんだろう。
「でも、 あなたがアニーだったら、 この子は一体何なのさ」
「あなたの前で壊れて倒れているのも私。 それから、 今、 あなたに向かってしゃべっているのも、 おんなじ私。 でも、 どっちも私だけど、 どっちも本当の私じゃないってね」
アニーは妙に真面目くさって、 なんだか不思議なことを言った。 えと、 私の腕の中の壊れたアニーも、 私の横でぴんぴんしているアニーも、 どっちもアニーだけど、 でも、 どっちもホントのアニーじゃない?
それって一体どういうことだろう。
   それに、 もっと変なことがあるんだ。 アニーが二人いるっていう世にも不思議な光景が目の前で展開されているっていうのに、 それに驚いているのは私と、 それから、 さっきから目をまんまるにしている佐倉井さんだけ。 はるにれ荘のおばあちゃんたちは、 あきれたようにアニーを見ているけれど、 決して驚いているふうじゃない。 そういえば、 今までアニーにばかり気をとられていたけど、 さっきアニーが自殺めいたことをしたと時だって、 おばあちゃんたちはあわてたそぶりも、 悲しんだりする様子もみせなかった。 おばあちゃんたちにとっては、 アニーは孫も同然のはずなのに・・・。 おかしいよね。  
「アニー、 何言ってるの? 一体、 何がどうなっているの? 私、 なんだかよく分からないよ」
「ふふふ、 そんなことよりもさ、 私のために何でもしてくれるんでしょ。 あなたに何をやってもらおうかな。 みんなのお食事でも作ってもらおうかしら?」
「それは、 そのう・・・」
   思わず口ごもってしまう私。 そう、 確かに私は、 そんなこと言っちゃった。 アニーのためになんでもするって言っちゃったよ。 アニーがこんな形で生き返ったのはちょっと意外だったけど、 アニーのためになんでもするっていう私の気持ちに嘘はない。 でもさ、 よりによって食事を作れだなんて、 味気ない栄養カプセル以外は何一つ口にできない、 食べ物の味も分からない私とっては、 一番苦手なことじゃないか。 味見もできない私の事だから、 きっと砂糖と塩を間違えるとか、 黒酢と醤油を間違えるとか、 とんでもない失敗をやらかしちゃうよ。 どうしよう。 どうしよう。
「うー、 私、 料理はあんまり得意じゃなんだ。 その代わり、 買い物に行くよ。 それで、 どうかなあ。 アニーは、 何を作るつもりなの? 私、 来たばかりで、 この近くのことはよく分からないからさ、 アニー、 一緒に買い物に行こうよ」
  うまく料理作りっていう拷問から逃れるために、 とっさに口にした私のあまり上手いとはいえない提案。 でも、 それを聞いたとたん、 アニーの様子がおかしくなちゃった。
「買い物かあ」
  なんだか、 外国にでも行くみたいに遠いところを見るような目つきでアニーはつぶやく。
「ごめん、 私、 買い物には付き合えないよ。 私には他の用事が山ほどあるからね」
  そう無理やり作ったような笑顔でそう言ったっきり、 下を向いてしまった。 いったいどうしたっていうの。 一緒に買い物に行こうっていっただけで、 どうしてそんなに寂しそうな顔をするの? 私、 全然分からないよ。
「アニー、 なんでそんな顔をするんだよう。 買い物に一緒に行けないなんて、 私のことが嫌いなの? やっぱり、 私みたいな機械人間は、 人間として認められないのかなあ?」
  どんな形であれ、 アニーが生きていてくれたことは素直に嬉しい。 でも、 それとは別のところで、 ただの人工知能のはずなのに、 まるで人間みたいな心を持つをアニーを見て、 私は自分の存在が揺らいじゃうのを感じていた。 私は、 例え身体のほとんどが作り物の機械の身体でも、 心を持っているから人間なんだって思っていたけど、 でも、 身体が全て機械仕掛けのロボットでも心を持っていたとしたら、 心を持っているから人間だって必ずしも言い切れなくなっちゃうもの。 ちょっとだけだけど、 アニーを見ると自分が人間だってことを否定されているような嫌な気分になっちゃうのも事実。 ああ、 私って嫌な女だよね。
   それと同じで、 アニーも今まで、 同じ心を持っていたとしても人間とロボットでは、 身体の構造からして全然違うから、 全く別の存在だって思って自分を納得させていたのに、 私みたいな、 アニーとほとんど同じ機械の身体のはずなのに、 でもやっぱり人間っていう半端者が現れたら、 人間とロボットって何が違うんだろうって思っちゃうかもしれないよ。 アニーにとってみたら、 私はロボットとほとんど同じ機械の身体のくせに、 でも人間。 アニーが決して逆らうことのできない相手。 心があるロボットにとっては、 なかなか素直に納得できることじゃないよね。 だから、 アニーは、 私のことが嫌いで、 一緒に買い物に行きたくもないし、 顔もみたくない、 そうじゃないかと思ったんだ。
  でも、 アニーは何も答えてくれない。 俯いて、 寂しそうに、 無言で箒の柄をくるくると回しているだけ。 さっきまでの元気なアニーは、 どこへ行ってしまったんだろう。 これじゃあ、 アニーがアニーじゃないみたいだよ。
「アニーちゃんは、 あなたが嫌いだから、 一緒に買い物に行かないんじゃないの。 アニーちゃんはね、 買い物に行きたくてもいけないの。 だって、 アニーちゃんはこの家そのものだもの。 この家の守り神様だもの。 家から動くわけにはいかないでしょ」
 黙りこくっているアニーの代わりに、 今までずっと私達のやりとりをきいていた山下さんが、 私に近づいて、 変わらず優しそうな笑顔を浮かべたまま、 そんなことを言った。 ここに住んでる人達の言うことは相変わらず不思議なことばかり。 アニーは、 「どっちも私だけど、 どっちも本当の私じゃない」 なんて言ってたし、 山下さんも「アニーちゃんは、 この家そのもの」だってさ。 アニーは、 ただの女の子の形をしたロボットでしょ。 どうして、 それが、 「この家そのもの」で「家の守り神」なんてことになるんだろう。
「来て!」
  山下さんの言葉の意味が分からず、 ぽかんとしている私を、 突然アニーが引っ張った。
「ちょ、 ちょっと、 アニー。 どうしたの?」
  アニーは、 私の問いかけに何も答えないで、 私の手首を掴んで、 つかつかと早足ではるにれ荘に向かって歩いていく。 何がなんだか分からないまま、 引きずられるような格好で、 アニーについていく私。
  一瞬アニーに何をされるのか不安になって、 ちらっと後ろを振り向いたら、 おばあちゃんたちが、 アニーに引っ張られる私の姿がおかしいのか、 顔を見合わせてくすくす笑っているのが見えたから、 どうやら、 ひどいことをされるわけじゃないんだって、 気を取り直した。
「八木橋さん」
  いつの間にか、 佐倉井さんが私と並んでバックを勢いよく振り上げながら、 早足で歩いていた。
「ここに来てからまだいくらもたってないのに、 なんだか不思議なことばかりよね。 短い間にいろんなことがありすぎて、 目がまわりそう」
  佐倉井さんは、 興奮して息を弾ませている。
  佐倉井さんにとっては、 私みたいな全身義体の人間を見るのは初めてだろうし、 アニーみたいな、 感情豊かなロボットを見るのだって、 きっとはじめてだよね。 しかも、 私が人間だと思っていたら、 ロボットだってことになって、 今度はロボットだと思っていたら、 実は全身義体のサイボーグってことになって、 アニーにしても、死んだと思っていたら、 別のアニーが出てきたりして、 短い間に常識外れのことが、 山のように起きたもの。 目がまわりそうっていうのも、 あながち大げさじゃないよね。
「いよいよこれから、 全自動住宅の中に入れるのね。 中はどうなっているんだろう。 あー、 楽しみ。 このことが妹に話せないなんて、 なんだか勿体無いなあ」
  佐倉井さんは、 そう言って恨みがましい目で私を見た。
「うー、 佐倉井さん。 私の身体のこと、 絶対話さないでね。 約束だよ。 お願いだよ」
「分かってる。 女と女の約束でしょ。 私、 こうみえても口は固いのよ」
  唇を尖らせて抗議する私をなだめるように、 佐倉井さんは真面目くさった顔で口にチャックをする仕草をした。 それがおかしくて、 私はついクスリと笑ってしまう。
  何事もないだろうとは思っても、 ついさっきまで、 私のことをにひどい目に遭わせようとしたアニーに引っ張られるがままについていくのは、 やっぱりどうしても不安。 そんな中で、 私の身体が機械仕掛けのお人形さんだって分かった後も、 こうして城口ウランで初めて会った時と何も変わらずに接してくれる人が横についてくれるってことは、 私にとってはずいぶん心強いことだった。

 驚いたことに、はるにれ荘の古びた青いドアは、アニーが何も手を触れていないのに、 きしんだ音をたてて、 まるで私達を向かいいれるかのように開いたんだ。 アニーの顔を盗み見たけど、 相変わらず、 さっきまでの何か思いつめたような険しい表情のまんま。 特に特別なことをしたという様子もない。 このドア、 アニーが開いたんだろうか。 さっき、 山下さんが言っていた、 アニーはこの家そのものってことと何か関係があるんだろうか。
  奇妙な自動ドアを抜けると、 はるにれ荘の玄関だった。 足元に住民のものらしい、 カラフルなサンダルや靴が、 まるで定規で測ったみたいに、 きちんとかかとの部分で揃えられて等間隔で玄関の端っこに並んでいた。 傘たてには、 きっちり大きさ順に学校の体育館で生徒が整列するみたいに傘がたてかけられている。 きっとこういうこともアニーの仕事なんだろう。 アニーがせこせこ靴や傘を並べているところを想像して、 ふと口元を緩めてしまう私。
「こんにちは」
  佐倉井さんは、 大きなゲタ箱の上の水槽の中で、 ひらひらした尾ひれを揺らしながら、 気持ちよさそうに泳いでいる丸っこい金魚に向かって、 水槽をつつきながらご挨拶。
  アニーに続いて玄関先で、 履いてきた運動靴を脱いで、 使い込んだ黒ずんだ色合いの木の床を踏みしめる私と佐倉井さん。 それから、 おばあちゃん達や、 壊れたもう一人のアニーの抜け殻を背負ったクララベルが後ろに続く。
  木の床と、 むやみに太い黒光りする柱と、 年月を得て黄ばんだ白い漆喰の壁。 古い家独特の静謐な空気が漂っていそうな感じだ。 なんだか、 青森のおじいちゃんの家に似ているなあと思った。
   そのくせ、 天井の壁には、 ところどころはげかけているけれども、 きれいな幾何学文様の彫刻がされていたり、 玄関脇から二階に向かって伸びる階段の柵とか、 天井からぶら下がる電球の外套が、 凝った欧風のデザインだったりして、 ハイカラな洋風建築なんだぞと、 そこだけ声高に主張しているかのよう。 やっぱり、 ここは変なところだよ。 住んでいる人もおかしければ、 家もなんだか変テコなんだ。
   玄関からは、 真っ直ぐ長い廊下が続いていて、 廊下の両側は部屋になっているんだろうか。 ドアが等間隔で並んでいる。 廊下の突き当たりまで、 窓がないからなんとなく薄暗い感じだ。
「ここが、 私の部屋」
アニーはぶっきらぼうにそういうと、 玄関に一番近い部屋の前で立ち止まった。 部屋の前のドアには

        管理人室/ANNIE

って紺色のプラスチック板に白い字で書かれた札がぶら下がっていた。
「本当の私は、 この中にいます」

  管理人室のドアは、 はるにれ荘の入口と同じように、 アニーが手も触れないのに、 私の目の前でひとりでに開いた。 まるで私を食べるためにお化けが口をあけたような気がして、 恐くなった私は、 思わず横にいる佐倉井さんの腕を掴んでしまう。 生身の人間よりずっと強い、 機械の身体のくせに情けないって思うかもしれないけど、 臆病なのは生まれつきの性格だもん。 直しようがないよ。
  それにしても、 本当のアニーって一体どんな姿をしているんだろう。 まさかとは思うけどさ、 妖怪とか怪物の類じゃないよね。
  佐倉井さんの後ろに隠れるようにしながら、 私はこわごわと部屋に入った。
  なんだか異様な部屋だった。
  部屋自体は絵に描いたような六畳一間。 簡単な流しがあって、 押入れがあって、 間取り自体は私がさっき城口ウランで佐倉井さんに見せてもらった写真と全く同じ。 部屋自体は至ってフツー。 でも、 流しと押入れの以外の壁一面に、 ちょうどロッカーみたいな大きさの白い鉄の箱が、 いくつもいくつも並んでいるんだ。 部屋には窓もあるみたいだけど、 せっかくの窓も、 この箱が塞いじゃっているから、 外はまだまだ日が高いっているっていうのに、 部屋にはほとんど光が差し込まなくって、 薄暗い。
  壁に並ぶ白い箱からは、 まるでタコかイカが触手を伸ばすみたいに、 いろんな色に塗られたコードが伸びていて、 畳の上をでたらめに這い回って、 部屋の真ん中の、 天井まで届きそうなひときわ大きなグレーの箱に繋がっていた。 灰色の大きな箱には、 その大きさに釣り合わない小さなモニターディスプレイがついて、 箱の前には椅子やキーボードもあるから、 どうやらコンピューターらしいってことは分かった。 それにしたって、 こんな大きなコンピューターは見たこともないよ。
「やあ、 来たね」
  壁際に並ぶ白い箱の一つを開けて、 なにやらごそごそ作業をしていた須永さんが、 私達に気がついて、 ドライバーを持ったままの右手を軽くあげた。 そして、 そのまま立ち上がると、 ひょいひょいと身軽に足元のコードをよけながら、 呆気にとられて立ち尽くす私と佐倉井さんの前までやってきた。
「はるにれ荘の管理人室にようこそ」
 須永さんは、 額の汗を腕でごしごしこすりながら、 にこやかに笑った。、

「うー。 アニー、 本当のあなたって、 いったいどこにいるのさ。 ここには須永さんしかいないじゃないかよう」
  私は、 背中で手を組んでドアのへりによっかかっているアニーに向かって、 いかにも不満そうにほっぺたを膨らませた。 どんな姿のアニーを見ることになるのか、 心臓がなくなっていることも忘れてどきどきしていたのに、 この部屋にはコンピューター以外には見事に何もないんだ。 拍子抜けだよね。
「ちゃんと、 あなたの眼の前にいるじゃない」
  アニーは、 私のほうを見向きもしないで、 なんだか元気なく、 そうつぶやいた。
  眼の前にいるだって? アニーの意外な回答に、 思わず顔を見合わせる私と佐倉井さん。
「眼の前にいるって言ったって、 私の前には、 須永さんと、 おっきなコンピューターしかないじゃないか・・・。 え? おっきなコンピューターって、 これってまさか・・・」
「やっと気がついた? そう、 そのコンピューターが私の本当の姿だよ。 この身体はただの義体。 遠隔操作の端末なんだ。 だから壊れようが何しようが実は私にはなんの影響なし。 まだまだ予備の端末はあるよ。 大きいのとか、 小さいのとか、 その押入れの中にいくつか入ってる。 驚いた?」 
  アニーはそう言うと、 唇の端を自嘲気味に吊り上げた。
  眼の前の大きなコンピューターがアニーの本体。 で、 部屋の入口で不貞腐れている女の子は、 ただの端末。 いくら壊れても取替えのきく道具にすぎないってわけだ。 私は、 ただの端末相手に、 死なないでって必死に祈っていたんだ。 そう思ったら怒りが、 喉の奥からこみ上げてきた。
「そんな。 じゃあ、 アニー、 あなた、 ただ私にあてつけるためだけに自殺するふりしたっていうの? ひど い! そんなのひどいよ! 私、 本気であなたのことを心配したのに、 あなたは冗談半分で私に嫌がらせしてただけなんだね」
  つい頭に血が上って、 さっきアニーにひどい目にあわされて、 力じゃとてもかなわないって知りながらも、 みさかいなくアニーの肩をつかんで、 横にいた佐倉井さんや、 須永さんがびっくりするくらいの声を張り上げてしまう私。 私は交通事故で、 自分の身体を失っただけじゃない。 両親も弟も亡くしているんだ。 だから、 命をネタに私をからかう真似をしたアニーのことが許せなかったんだ。
  でも、 アニーはおしだまったまま。 私に怒鳴られるがまま。 何も言わず、 ただ悲しそうな顔をするばかり。 はじめは、 いろんな言葉でアニーを罵っていた私だけど、 アニーの悲しげな表情にだんだん勢いをなくして、 とうとうアニーの肩に手をおいたまま、 黙り込んでしまった。
  そんな私を上目使いに見ながら、 アニーは静かに口を開いた。 そして、 ロボットとは思えないくらい訥訥と、 時折言葉に詰まりながらも、 自分のことを話し始めたんだ。
「私、 はじめ、 あなたのことが憎かった。 私は、 見たとおりの、 ただのコンピューターだから自由に動くこと なんてできないの。 この義体端末だって、 電波の関係で、 そんなに遠くにはいけないんだ。 行動範囲は、 せいぜいはるにれ荘を中心とした500m四方。 だから、 浩一さんから、 遠くまで自由に動ける新しいロボッ トを連れてくるって聞いたとき、 やっぱり私じゃだめなんだ。 私じゃみんなの役に立てない欠陥品なんだって思って悲しかったよ。 どんなに人間と同じ心を持っているって須永さんに言われても、 人間の役に立てないロボットに存在価値なんてないもの。 でも、 新しく来るロボットは、 ただの市販品で私みたいな心や感情を持っていないって聞いていた。 だったら、 たとえ自由に動くことができなくても私のほうが優れたロボットなんだって自分に言い聞かせていたの」
  みんな黙ってアニーの話に耳を傾けている。 静まり返った薄暗い部屋に、 ただコンピューターの単調な唸り声だけが響いていた。 そのコンピューターが、 アニーだって知ってしまった今、 私には、 その音は、 なんだかアニーの心の叫びのように聞こえた。
  アニーはなおも言葉を続ける。
「そこにあなたがやってきた。 私ははじめ、 あなたのことを新しくやってきたロボットって勘違いしていたから、 私と同じように、 まるで人間そっくりの心を持っていて、 それでいて私なんかと違って自由に身動きできるロボットがやってきたと思ったんだ。 はっきり言って、 悔しかったよ。 負けたと思ったよ。 だから、 私は必要 以上にあなたにきつくあたった。 私のほうが上なんだって自分に思い込ませるためにね。 あなたが、 浩一さんの連れてきたロボットじゃないって分かってからは、 あなたのことを消そうと思った。 私以外に心を持っ たロボットがいちゃいけない。 そしたら、 私を作った浩一さんの名誉も汚されるって思ったんだもの」
  クララベルがはるにれ荘に来たわけ。 アニーが私を憎んだわけ。 アニーが話を進めるごとに、 少しづつ、 私の知らなかった事実が明らかにされていく。
  私は、 アニーの話を聞きながら、 アニーが私にのしかかって、 無理やり私の接続端子に指を突っ込ん だ時のことを思い出していた。 確か、 あのとき、 アニーは私に、 機械のくせに、 人間のふりなんかして。 自由に一人で動き回ってって言っていた。 なんでそんなことを言うんだろうって、 恐怖に怯えながらも不思議に思ったんだけど、 今ならその理由が分かるよ。 アニーは、自由に動けないんだ。 アニーにとっては、 はるにれ荘の周りたった500m四方、 それが生きる世界の全てなんだね。 用事があるから買い物に行けないなんて、ただの強がり。アニーは自由に動くことが出来る私のことが、羨ましかったんだ。
「でも、 あなたは人間なんだって分かって、 もっとびっくりしたよ。 あなたが人間だったとしたら、 私のしたことなんて、 とても許されることじゃないもんね。 ひょっとしたら、 私ばかりじゃなく、 浩一さんにも迷惑を かけてしまうかもしれないって焦ったよ。 でも、 それと同時に、 今まで以上に悔しくなったんだ。 私にとっては、 あなたは私と同じ機械の身体。 私にはロボットとしか認識できない存在。 でも、 あなたは人間で、 私はただの機械だっていう。 私はあなたには決して逆らえないんだもの。 ほとんど同じ身体なのに、 どうしてこんなに違うんだろう、 そんな、 あなたと一緒に住むなんて、 耐えられないって思った。 だから、 私は死んだ ふりをすることにしたの。 私が死んだことにすれば、 万事うまく解決するし、 立場をなくしたあなたを追い出す こともできる。 そう思ったの。 でも、 あなたは私のために本気で悲しんでくれた。 こんな私のために何でもしてくれるって言ってくれた。 私は、 あなたを騙したのに・・・。 そんな、 あなたの姿を見ていたら、 申し訳ない気分でいっぱいになったよ。 ごめんなさい。 あなたをからかうような真似をして、 本当にごめんなさい」
  アニーは、 長い告白を終えて、 最後に私に向かって深々と頭を下げた。

  アニーは、 私に電撃を加えて、 強制的に私を服従させようとした。 私のサポートコンピューターを乗っ取って、 サポートコンピューターのプログラムを消そうとした。 その上狂言自殺までして、 私の心を弄んだ。 アニーが私にしたことを考えれば、 例えアニーにどんな事情があったにせよ許すべきじゃないって、 人は言うかもしれない。 例え私が全身義体で、 アニーが私にしたことについて、 器物損壊未遂程度の罪にしか問えなかったとしても、 罪は罪として追求して、 しかるべき罰を受けさせるのが正しいことなのかもしれない。 アニーが、 どんなに自分を取り繕ったもの言いをしても、 わがままで、 自分勝手な理屈で、 私を傷つけよう としたことに間違いはないのだから。
  でも、 おかしなことに、 私はアニーの告白を聞くうちに、 自分の怒りがすうっと引いていくのを感じいていた。 それどころか、 アニーに対して奇妙な仲間意識さえ感じはじめていたんだ。
  私の身体は、 まだ生身の身体を持っていた頃の私に似せて作ったお人形さん。 本当の私は、 この人形の 中のケースに収まった、 ただの脳みその塊にすぎないんだ。 いくら私が人間だって言い張ってみたところで、 このことだけは動かしがたい事実だよね。
  アニーだって同じ。 色白の可愛いらしい女の子は、 取替えのきくただの端末。 本当のアニーは、 この部屋にすえつけられたまま身動き一つできない、 大きなコンピューター。
 私たちは、 ともに同じ偽りの身体を持ち、 そのせいでいつも劣等感に苛まれている、 機械仕掛けの人間と、 心を持った機械。 私も、 アニーも、 機械と人間の狭間でゆらゆらゆれる、 あやふやな存在。 だからこそ、 アニーの苦悩、 悔しさが、 私には、 まるで自分のことのように感じられたんだ。
  私だって、 アニーを見たら悔しい。 心は人間だけのもの。 私の身体のほとんどが機械でも、 誰からも人間扱いしてもらえなかったとしても、 私には人間としての心がある。 八木橋裕子が、 今、 ここで確かに生きているってことは、 私自身が知っている。 それは自分をささえるたった一つのよりどころだったんだ。 でも、 心なんて、 人間だけのものじゃない、 ただのプログラムにさえ宿るんだって知ってしまった今、 私は、 こんな機械だらけの身体で、 何を根拠に人間って主張したらいいんだろう。 アニーなんていなきゃいいのに。 そんなふうに一瞬でも考えた私に果たしてアニーを責める資格があるだろうか。 アニーが自分をたった一つだけの特別な存在じゃなきゃいけないと思って、 私を消そうとしたことを責める資格があるだろうか。 ほとんど同じ機械の身体で、 同じ 心を持っていて、 なのに、 私だけ人間扱いされる理不尽も甘んじて受け入れろって言う資格があるだろうか。
  私は何も言えなかった。 アニーに叱ったり責めたりすることも、 許すこともできず、 ただ、 アニーを見つめ ながら黙っていることしかできなかった。
「私、 浩一さんから言われたんだ」
  アニーは今にも泣き出しそうな表情で、 でも、 私を真っ直ぐ見つめて言った。
「ここで暮らす以上、 あなたに私の正体を明かしたほうがいいって。 私のこと死んだんだって誤解させたままじゃ、 あなたがかわいそうだって。 だから、 あなたをここに連れてきたの。 これが、 私の、 本当の姿。 あなたには、 どんなふうに映った? 変でしょ。 おかしいでしょ。 醜いでしょ」
  ただのコンピューターが、 自分のことを変だとかおかしいとか醜いとか言う。 よくよく考えたらこんな滑稽なことはないよね。 でも、 アニーの心が女の子のそのものだったとしたら、 これってアニーが人前に自分の裸を晒していることとと同じことかもしれないよ。 ましてや、 自分のことを人間と同じような存在って思い込んでいるんだとしたら、 こんな人間とはかけ離れた姿を見られるのは、 恐ろしく恥ずかしいことに違いないんだ。
  私だって、 人前で、 身体が機械仕掛けだってばれたらどんなに恥ずかしいだろう。 私の本当の姿、 機械の中に埋もれるようにケースの中に納まった脳みその塊を見られたら、 どんなに嫌だろう。 きっと、 それと同じことだよね。 そう思ったら、 なんだか悪いことをしている気分になって、 アニーの本体をまともに見れなくなってしまった。 ましてや、 佐倉井さんみたいに、 部屋を歩き回って、 面白半分にアニーの本体に触ったりすることなんて、 私には出来るはずがないよ。

「ごめんな、 アニー。 恥ずかしい思いをさせて悪かったよ。 でも、 やっぱりいたずらにしてはやりすぎだ。 八木橋さんを悲しませたままでいるのはよくないぞ。 ひょっとしたら、 これからずっと一緒に住むことになるかもしれない人なんだ。 きちんと説明してあげなきゃな」
  須永さんは、 がっくり肩を落としてうなだれてしまったアニーに向かって、 まるで父親が娘を諭すみたいに、 優しく声をかけた。 それから須永さんは、 私と佐倉井さんに向かって、 アニーどうやって生まれたのかを語りはじめたんだ。
「ここは、 もともと学生時代の私の部屋だったんだ。 ここで、 学生のじぶんにAIのプログラムをしていた私が、 プログラムをいろいろいじっているうちに、 偶然に作り出してしまったもの、 それが、 アニーのAIの原型。 アニーは、 私の知らないうちにどんどん成長して、 プログラムも自己進化を繰り返して、 いつしか自分の意思というものを持つようになった。 そして、 自分自身で、 ネットから情報を拾い上げて、 どんどん知識を蓄えていったんだ。 それに伴って、 メモリも増設に継ぐ増設を重ねて、 とうとうこんな大きなコンピューターになってしまったというわけだ」
  そこまで言うと、 須永さんは、 いとおしそうに、 アニーの本体の、 つるっとした外板をなでたんだ。 きっと、 須永さんの頭のなかには、 遠い昔、 この部屋でコンピューター相手に格闘していた自分の姿が浮かんでいるんだろう。 昔を懐かしむような、 遠い眼をしていた。
「ハイ! ただのプログラムが生き物みたいに自分の意思をもつなんて、 そんなことがありうるんですか?」
  全身が好奇心の固まりのような佐倉井さんは、 出来のいい生徒よろしく、 須永さんのほうに身を乗り出して、 手を指先まできっちり上げて、 正しくハイのポーズをとった。
「うーん、 いい質問だね」
  佐倉井さんの勢いに須永さんは思わず苦笑い。
「私だって、 ただの数式の羅列にすぎないものが、 意思や心を持つなんて、 そんな馬鹿げたことがあるはずないと初めは思ったよ。 でも、 アニーが、 プログラムの中だけの存在だったとしても、 まるで人間みたいに笑ったり、 怒ったり、 悲しんだりするのを見ているうちに、 私はプログラムが意思や心を持っても不思議はないと考えるようになったんだ。 よくよく考えてみれば地球上にいる生物だって、 もともとはただの有機物の塊。 それが、 何かの偶然の力が働いて生命になり、 40億年かけて、 心まで持つようになってしまったわけだから、 それを考えれば、 ただのコンピュータープログラムでも何かの偶然の力が働いて意思が発生しても何らおかしくはないよね」
  佐倉井さんが優秀な生徒なら、 須永さんも優秀な先生だ。 私でも分かるように言葉を選びながら、 佐倉井さんの質問に答えてくれた。
「すごい! 須永さんすごい! コンピューターが意識を持つなんて、 ノーベル賞ものの発明じゃない。 アニー、 あなたはすごいのよう」
  須永さんの言葉を聞いた佐倉井さんは、 ポニーテールをゆさゆさ揺らしながら興奮したようにアニーのところに駆け寄って、 アニーの手をとりながら、 すごいすごいと連呼している。 落ち込んでいたアニーも、 佐倉井さんの様子に、 ちょっと戸惑いながらも照れたようにはにかんだ。
「そう、 佐倉井さんの言うように、 ただのプログラムに心が発生するなんて、 確かにノーベル賞もの発明かもしれないね。 なぜ、 心が発生したのか、 その仕組みさえ解析できればね。 でも、 アニーのプログラムは、 偶然にできたものなんだ。 それに自己進化し続けているから、 いまプログラムがどんな状態になっているのか、 製作者の私でさえもよく分からない。 不思議なことは、 まだあるぞ。 アニーのプログラムはコピーを受け付けないんだ。 たとえコピーできたとしても、 何故かそのプログラムは起動しないんだよ。 それに、 このコンピューターを他の場所に動かしてもだめ。 この場所を離れたら何故かプログラム自体が止まってしまうんだ。 つまり、 アニーのプログラムは、 私でも分からないほど謎だらけだってこと。 その謎が解明できない限り、 ノーベル賞は無理だなあ。 残念ながら」
「いろいろ難しいのね」
  佐倉井さんは、 心底残念そうに、 つぶやく。
「コピーもできない。 コンピューターを移動させることもできない。 だから、 私は、 このはるにれ荘を買い取った。 買い取りさえすれば、 この建物が家主の都合で取り壊されることもなく、 永遠にアニーを守れるからね。 そして、 この家を改造して全自動化住宅にしたんだ。 この家は、 アニーの意思で、 ドアを開けたり閉めたり、 電気をつけたり消したりできる、 義体端末と同じ、 アニーの身体そのものなんだ。 アニーは、 この家の守り神になったんだよ。 アニーには、 このはるにれ荘とともに、 いろんな経験をつんでもらって、 あるときは住人の世話をし、 あるときは住人に教えてもらいながら成長してほしい。 私はそう思っているんだ」
  はるにれ荘はアニーの身体そのもの! 全自動化住宅というのはアニーそのもの!
  須永さんの言葉で、 私のなかで引っかかっていたこの家の謎が鮮やかに解けた。 はるにれ荘の入り口や管理人室のドアがひとりでに開いたこと。 おばあちゃん達が、 アニーのことをはるにれ荘の守り神だって言っていたこと。 この家がアニー自身であるなら、 全部納得だよね。 ちょっと、 おっちょこちょいで、 たまに失敗もする頼りない守り神だけどね。 ふふふ。
「アニーは、 今のところ世界でたった一つの心を持ったロボットなんだ。 いつの日か、 アニーのプログラムを解析して、 市販のロボットに反映させること、 それがAI技術者である私の目標であり夢なんだ」
  須永さんはそう、力強く言葉を結んだんだ。
「それにしても」
  須永さんは、 クララベルが運んで来た、 壊れたアニーの義体端末に眼をやった。 もう、 さすがに煙は出ていなかったけど、 アニーの心の抜けた義体は、 眼を大きく開けたままの状態で仰向けに床に横たわったまま、 びくとも動かない。
「面白半分で義体を壊すなんて、 なんて奴だ。 直すのは俺なんだからな」
  須永さんは、 あーあって大きなため息をつくと、 手のひらで、 アニーの頭を軽く叩いた。
「ごめんなさい」
  うつむいて、ぼそぼそ小さな声で謝るアニー。まるで、父親に叱られた子供みたいだよね。この二人はただのAIの製作者と彼が作ったプログラムっていう関係じゃない。きっと、もっと深いところで心が繋がっているんだ。
  私は二人のやり取りを見て、そう確信したよ。

  自分の正体を明かしてからは、 まるで別人みたいに大人しくなっちゃったアニーだけど、 佐倉井さんに褒められたり、 須永さんに守り神って言われたりしているうちに、 だんだん元気を取り戻したんだろうか。 須永さんの話に聞き入っていた私のところに、つかつか歩み寄ると、 私のセーターのすそを軽くつまみながら、
「ねえねえ・・・あなた、 さっき、 私のためになんでもしてくれるって言ったよね」
なんて、 甘ったれた声で私に言うんだ。 ああ、 やっぱり、 アニー、 さっき私が思わず口走ってしまったこと、 忘れてなかったんだね。
  アニーの言葉に思わず顔をしかめてしまう私だった。
「そんな、 ずるいよ! 確かにアニーが生き返ってくれるなら、 私は何でもしてあげるって言ったよ。 でも、 アニーは私を騙してたんでしょ。 だったら、 あのことは・・・」
  無効だよって言おうとした。 でも、 そんな私の声を打ち消すような大声でアニーは言ったんだ。
「ここに住んでよ!」
  え?
  どんな無理難題を言われるんだろうって内心びくびくものだったから、 アニーの口から飛び出した 余りにも意外なセリフに、 私は毒気を抜かれたみたいに黙り込んじゃった。
「ねえ、 八木橋さん。 ここに住んでよ。 私、 あなたのこと嫌いじゃないよ。 私のために本気で悲しんでくれた人のこと、 嫌いになれるわけないよ」
  アニーは、 もう一度、 照れくさそうに、 そう繰り返した。
「アニー・・・」
  アニーにとって、 同じ機械の身体のはずなのに人間扱いされている私の存在なんて、 認めたくないものに違いない。 なのに、 そのアニーが、 私にここに住んでほしいって言ってくれた。 私のことが嫌いじゃないって言ってくれた。
  アニーの言葉を聞いて、 私は、 自分のちっぽけなプライドを守るためにアニーを否定しようとしたいままでの自分がなんだか恥ずかしくなってしまった。
「八木橋さんは、 アニーにあれほどひどいことをされたにも関わらず、 アニーを許し、 アニーのために悲しんでくれた。 八木橋さんの、 その人間らしい暖かい心は、 アニーがこれから成長していくのに、 きっと必要なもののはずなんだ。 私からも、 もう一度お願いするよ。 頼む。 ここで、 アニーと一緒に暮らしてくれないか」
「あなたみたいな明るい子が入るだけで、 きっとはるにれ荘の雰囲気も変わるねえ。 私達にも、 あなたの元気をくださいな」
「須永さん、 山下さん・・・」
  今まで、 私の身体のことを知った人は、 みな、 私のことを哀れんだり、 気味悪がったり、 蔑んだり、 そんな反応ばっかり。 私のことを必要だって言ってくれた人だって、 みんな、 私の、 この機械仕掛けの身体を必要としただけ。 人間としての私を必要としてくれたことなんて、 今まで一度だってなかったんだ。
  なのに、 なのにアニーも、 須永さんも、 山下さんも、 私と暮らしたいって言ってくれた。 こんな、 とても人間なんていえないような身体の私なのに、 人間らしい心を持っているっていってくれた。 明るい子って言ってくれた。 こんな私を必要としてくれたんだよ。
  余りにも嬉しすぎて、 私、 こんなときどんな顔をすればいいのか分からなくなっちゃった。 どんなこと言ったらいいのか分からなくなっちゃった。 ただ、 口を開きかけたり、 閉じたりして、 ぎこちなく口をぱくぱくさせるだけ。 何かしゃべろうとしても、 口からうまく言葉が出てこない。
「八木橋さんどうしたの。 何ぼーっとしてるの? どうするの? はるにれ荘に住むの?」
  見かねた佐倉井さんが、 私の軽く肩をたたいて問いかける。 それで気持ちが落ち着いた。
  私が、 どうするかって? はるにれ荘に住むかって? 答えなんか、 決まってるじゃないか!
  AI技術者、 須永さんの見る夢。 心を持ったコンピューター、 アニーの見る夢。 二人の夢が合わさって、 この、 はるにれ荘がある。 はるにれ荘は、 二人の夢がいっぱい詰まった大きな揺り篭。 ここで、 私はこれから、 どんな夢を思い描くんだろう?
 人の苦しみも、 悲しみも、 喜びも理解できるクララベル。 私の身体が機械仕掛けでも、 偏見なく接してくれた、 ありのままの私をさらけ出して構わないって言ってくれたおばあちゃん達。 私は、 この心優しい人達と、 どんな物語を紡いでいくんだろう?
私は全身義体のサイボーグ。 人としての身体や感覚のほとんど全てを失い、 作り物の身体と感覚を与えられた身体障害者。 私みたいな日陰者が、 なんの引け目もなく暮らしていけるほど、 この世の中は甘くない。 これからも、 今までのように、 自分の体のことで傷ついたり、 くじけそうになったりすることがきっとある。 生きていくのが辛くなってしまうときがきっとある。
  でも、 そんなとき、 私には帰る家があるんだ。 私のことを暖かく迎えてくれる場所があるんだ。 それだけでも、 どんなに嬉しいだろう。 どんなに心強いだろう。
「ありがとう。 須永さん、 アニー、 クララベル、 はるにれ荘のみなさん。 本当にありがとう。 そして、 今後宜しくお願いします」
  私はせいいっぱいの笑顔で、 みんなに向かってお辞儀をしたよ。 それからもう一言。念を押すのも忘れなかったよ。
「須永さん。 家賃、 ただにしてくれるんですよね」

  アニーの案内してくれた私の部屋になるっていう206号室は、 二階の、 ちょうど廊下が90度曲がるところにある角部屋だった。 だから、 さっきまでいたアニーの部屋と違って、 窓が二箇所についていて、 それだけでもぐっと明るい雰囲気で、 私は一目で気に入ってしまった。 畳は、 かなり古いものなのか、 白っぽく色あせていた。 ところどころ、 四角い形に鮮やかな黄色が残っているのは、 その上に家具が置いてあったからだろうね。
  黒茶けた柱のあちこちに、 大きさもまちまちの、 いくつもの穴が開いていた。 きっと、 この家ができてから、 たくさんの人が、 この部屋に住んで、 いろんな柱に穴を開けて、 お気に入りの絵をかけたり、 カレンダーをぶら下げたりしたに違いないんだ。 いったいどんな人達が、 この部屋に住み、 そして出て行ったんだろう。 どんな出会いと別れをこの部屋は見守ってきたんだろう。
  私は、 自分のおじいちゃんみたいな年齢のこの部屋に敬意を表して、 ひんやりした黒い柱をそっとなでてみた。
「どう、 気に入ってくれたかな?」
  須永さんの言葉に、 私は大きく、 元気よくうなづいた。
 
  私を部屋に案内した後しばらくどこかに姿を消していたアニーが、 白いプラスチック製の大きな籠を抱えて戻ってきた。 籠が大きすぎて、 アニーが籠を抱えるというよりは、 まるで籠に足が生えて、一人で歩いているみたいだった。アニーは部屋の真ん中に籠をおきながら、 ふう、 とわざとらしく大げさにため息を吐いた。
  籠の中を覗き込むと、 服がぎゅうぎゅうに詰まっていた。 これって、 さっきまで外で干していた洗濯物だよね。 アニーってば、 なんで、 こんなモノをここに持ってきたんだろう。 ひょっとして・・・ひょっとして・・・。
「うー、 まさかとは思うけどさ。 アニー、 私に、 アイロンがけをやらそうと思ってる?」
「あらぁ。 よく分かったね。 はるにれ荘での初仕事よ。 ヨロシクね」
  アニーの表情を伺いながら恐る恐る聞く私に向かって、 アニーは軽やかに答えてくれた。
「アニー、 私に命令するってわけ?」
「あらぁ、 誤解しないで。 命令じゃないよ。 お願いよ、 お、 ね、 が、 い。 あなたは人間なんでしょ。心優しき人間さまなら、 毎日忙しくて目の回る思いをしてる私を見捨てることなんてできないと思うんだけどなぁ」
  アニーは、 上目づかいに私を見ながら両手を合わせてお願いのポーズをした。 ずるいよね。こ んな可愛いらしい女の子の姿で助けを求められたら、 女の私だって、 断ったら悪いことをした気分になっちゃうじゃないかよう。
  くそう。 アニーの奴め。 どんな頼みかたをしたらいいか、 よく分かってるよ。 「人間のあなたに」 とか 「心優しいあなたに」 なんて言って、 微妙に私のプライドをくすぐって、 私が断れないようにしてるんでしょ。 なんてずるいAIなんだろうね。 しかも、 実際、 アニーの手の内で踊らされているのかなって気がついていても、 人間扱いしてもらえて、 ちょっと嬉しい気分になっちゃってる自分がいるから始末に負えないよ。
「手伝ってあげればいいじゃない。 どうせ家賃はただにしてもらったんでしょ。 それくらいしてあげたってバチは当たらないわよ。 私なんて、 家賃がただになっちゃうってことは、 仲介料をもらえないってことなんだよ。 結局今日はただ働きになっちゃったんだからね。 私にくらべたらずーっとマシでしょ」
  佐倉井さんは、 にやにや笑いながら、 乾いた洗濯物の一塊を、 私の腕に押し付けた。 あーあ、 佐倉井さんまで、 アニーの味方になっちゃったよ。 確かに、 佐倉井さんの言う通り、 家賃はただにしてもらったけどさ、 こんなふうに、 はるにれ荘の手伝いをさせられるなんてね。 ただより高いものはないっていうけど本当だよ! ははは。
「分かったよ。 やればいいんでしょ。 やれば。 今日だけだからね」
  覚悟を決めた私は、 ぶつぶつ不平を言いながらもセーターの袖口を肘までまくり上げた。 結局アニーの思い通りに働かされてる私。 なんだか、 さっきまでと上下関係はまるで変わっていないような気がするんですけど・・・。
「有難う。 私、 とっても嬉しい。 アイロンがけが終わったら、 服をきちんとたたんで、 みなさんの部屋に配ってね。 お願いね」
  いつの間にか、 私と出会ったばかりの時のような威勢のよさを取り戻したアニーは、強引に話を進める。
「そんなこと言ったって、 私はここに来たばっかりで、 はるにれ荘の人達の名前も、 誰が何号室に住んでるかも知らないんだよ。 そんなことできるわけないじゃないかよう」
「いい? じゃあ、覚えてね。 101号室小寺さん。 小寺さんの洗濯物はこれね。 102号室山下さん。 山下さんは、これとこれ。 103号室西浦さん・・・」
  アニーはつらつらと、 はるにれ荘の住人の名前と部屋番号を言いながら、 てきぱき手際よく服をよりわけていく。 籠の中に大量にあった洗濯物を、 たちまちのうちに、 持ち主ごとの十個ほどの塊に分けてから、
「分かった? もう、 覚えたね」
  と、 こともなげに私に向かって言うんだ。
  ええ? えと、 101号室は誰だっけ?
  駄目だ、 全然思い出せないよ。 どうせ、 こんな短時間で覚えきれるほど、 私の頭は冴えてないよ。 意地悪、 アニーの意地悪。
「私はコンピューターじゃないんだ。 そんな、 一度にずらずら言われても覚えきれるわけないじゃないかよう」
「ふーん。 こんな簡単なことが一回で覚えられないなんて、 人間って不便だね。 仕方ないなあ、 じゃあ、 覚えるまで何度も繰り返し復唱だね」
  額をおさえて困り顔の私を鞭を打つように、 アニーはまくしたてた。 機械のくせに私のことを馬鹿にしてっ! 悔しいっ!
  でもさ、 アニーが私に向かって人間って不便だなんて言うってことは、 こんな私でも人間って認めてくれたことにほかならないよね。 全身機械仕掛けの私なのにね・・・。 だから、 変かもしれないけど、 私はアニーに馬鹿にされて、 ちょっと嬉しかったよ。 さすがに、 覚えるまで何度も繰り返し部屋番号を言わせられるのはぞっとしないけどね。
「アニーの奴、 すぐ調子に乗るんだからな。 クララベル、 止めてやれよ」
  アニーを見かねた須永さんは苦笑いをしながら傍らにいたクララベルを促した。 よかった。 クララベルなら、 きっと、 さっきみたいにアニーをうまくたしなめてくれるよ。 はるにれ荘に来て早々にアニーにこき使われるなんて、 冗談じゃないんだからね。
 でも、 クララベルの反応は、 私が期待していたものと、 まるで違っていた。
「でも、 八木橋さん、 嬉しそうですし、 今は、 別に止める必要はないと思います」
  だって。
  ク、クララベルの馬鹿っ。 あんた、 なんてことを言うのさ。 私、 確かに、 アニーに人間って言われて嬉しかったけどさ、 うきうきしたけどさ、 そんな感情は読み取らなくていいんだからね!
「あらぁ。 こんなことで楽しんでくれるなんて、 随分勉強熱心なのね。 私も教えがいがあるわぁ」
  クララベルのお墨付きをもらったアニーの目がいきいきと輝く。 アニー、 これじゃあ、 まるでスパルタ家庭教師だ。
「ち、 ち、 違うんだよう。 別に嬉しくなんかない。 誤解だよう」
「違くありません。 もう一度復唱しましょう。 覚えるまで、 ずっとやるからね。 101号室小寺さん、 102号室山下さん、 103号室西浦さん・・・」
「えー、 101号室は誰だっけ・・・」
  もう嫌っ!
  佐倉井さんも須永さんも、笑ってないでアニーを止めてよう。

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