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「さあ、 我が愛しの姫君。 おうちに帰ろうか」
  デパートの地下の駐車場。 お父さんは、 おどけたようにそう言いながら、 車のドアを開いて、 うやうやしく私を招き入れようとした。 きっと、 コンタクトレンズを買うことができなかった私を気遣って、 笑わせてくれようとしたんだ。
「今晩は何を作ろうかしら。 今日は、 いろいろ食材を買い込んだから、 何でも作れわよう。 裕子が好きなタコ焼だって、 百個くらい作れちゃうわよう」
  お母さんは、 おかしそうに笑いながら、 どっさり食べ物の入った大きなビニール袋を後ろのトランクに押し込んだ。
  そして、 私達八木橋一家は、 何事もなく、いつものように車に乗り込んだ。
  でも、 私は知っている。 このあと、 何が起きるか。 みんなが、 どうなっちゃうか、 私は知っている。
(駄目だ! 駄目だ! 駄目だ! この車に乗ったら駄目なんだ。 そうしたら、 私達は・・・私達は・・・)
  でも、 私は、 後部座席に腰掛けて、 膨れっ面で窓の外を見るだけ。 コンタクトが買えなかったからって、 それがなんだっていうのさ。 この車から降りようって、 みんなに言わなきゃいけないのに。 力ずくでも車を止めなきゃいけないのに。 馬鹿、 馬鹿、 私の馬鹿。 どうして、 声が出せないんだよう。 身体が動かせないんだよう。 ふてくされて駐車場の柱なんて見ている場合じゃないんだよう。
「あら、 いつまでも怒ってないで、 なんとかいいなさいよう」
  お母さんが、 後ろを振り向いて笑う。
(違う、 怒っているんじゃないんだ。 声が出せないだけなんだ)
   私の気持ちとは裏腹に、 車は滑るように軽快に走り始める。
   そして・・・
   そして・・

  私は、 弾けたように身体を起こした。 勢いよく起き上がったものだから、 ベッドのスプリングが軋んだ音をたてた。
  まだ眼鏡をかけていない、 輪郭のぼやけた私の視界に入るのは、 病室の真っ白な壁、 壁際に置かれた愛想のかけらもない角ばった灰色のコンピューター、 そして、 そこから伸びて、 私の寝ているシーツの中にもぐりこむ、 目が痛くなるくらい鮮やかな原色に塗られたコードの数々。
  (夢、 だよね・・・)
  夢の内容はいつも少しずつ違うけど、 結末は同じ。 私の夢の中で、 何回両親と隆太は死んだんだろう。 いったい、 いつまで、 私はこの悪夢を見続けなければならないんだろう。
  こんなふうに、 心を鋭いナイフで切り刻まれるような悪夢を見ても、 目が覚めるたびに寝汗がぐっちょり、 なんてことも、 心臓がどきどきする、 なんてことも、 もう、 ない。 昔の習慣でシーツを掛けて寝てはいるけど、 ホントは、 こんなことする必要なんかない。 だって、 私が風邪を引くことなんて、 ありえないんだから。 あと5分、 あと5分とか言いながら、 体温でほかほか温まった布団にくるまってぬくぬく過ごすようなことも、 できない。 今の私の肌は、 手の平とか、 ごくごく僅かな部分を除いて、 布団の暖かさを感じ取れるようにはできていない。
  私は、 シーツを蹴飛ばして足元のほうに追いやると、 両膝を身体のほうに引き寄せて、 ベッドの上で体育座りの格好をした。 私の着ている真っ白で、 ぶかぶかの、 不恰好な入院服の裾や肩口から、 まるで私を操るあやつり糸みたいに、 たくさんのコードが伸びていて、 壁際の、 あのコンピューターに繋がっていた。 あやつり糸。 はは。 その比喩はある意味正しいよ。 このコードのもうかたっぽは、 私の身体のあちこちにある接続端子に繋がって、 身体中のありとあらゆるデータを吸い上げては、 コンピューターに送り込んでいるんだ。 今の私は人形だ。 機械に操られた人形みたいなものなんだ。

  じぃっと自分の手の平を見つめた。 眼鏡をかけていない、 ぼやけた画像からでも分かる、 非の打ち所のない白くて細くて長い指。 なんで、 私の手、 こんなにきれいなんだと思う? それはこの手が作り物だからだよ。 手だけじゃない。 足も、 身体も、 手を見つめているこの目だって、 全部作り物。 今の私に、 本当の私って言える部分は、 もう脳みそしか残されていないんだ。
  私は交通事故に遭った。 一緒に車に乗っていた両親と弟は死んでしまった。
  私だけは生き残った。 でも、 私は命と引き換えに、 脳みそ以外の全ての肉体を失ってしまった・・・。

  私はベッドの傍らの小机の上に置いてある眼鏡をかけると、 軽くため息をつきながら、 全身の接続端子に突き刺さっている検査用のケーブルを順繰りに引き抜いていく。 最後に、 壁のコンセントから、 義体の充電用のコンセントプラグを引き抜く。 右脇腹にある、 プラグを収納する小さなハッチの中にあるボタンを押すと、 コンセントプラグは掃除機よろしくしゅるしゅる軽快な音をたてて、 私の右脇腹に吸い込まれていった。
  そう、 私の義体は電気仕掛け。 体内のバッテリーの電力が切れると身体が動かなくなっちゃうから、 寝る前に充電する癖をつけておくように、 ケアサポーターのタマちゃんから、 口がすっぱくなるほど言われている。
  身体中を這い回っていたコードぐるぐる巻き地獄からようやく解放されたら、 今度は、 さっきの小机の引き出しから、 白くくすんだ色のプラスチックの容器を取り出して、 中に入っているピンク色のカプセルを一粒つまみ上げて、 口に放り込む。 ケアサポーターのタマちゃんは、 これを食事っていうけど、 でも、 これは、 もう食事なんて言えないよね。 はっきりいって、 命をつなぐためのただの作業だよ。
  湯気がほかほか上がっている炊き立ての温かいご飯も、 狐色にこんがり焼きあがったトーストも、 今の私には必要じゃないし、 そもそも、 食べる機能さえない。 大体にして、 食べたところで味なんかもう分からない。 私に残ったわずかな生身の部分を生かすためには、 一日三回、 この栄養カプセルを飲み込むだけで充分。 機械仕掛けの身体は、 ごはんなんか食べなくても電気さえあればちゃーんと動いてくれる。
  義体化手術から一ヶ月。 新しい機械の身体を操って元の身体と同じように動かせるようになるまでのリハビリは苦しかったよ。 きつかったよ。 足がうまく動かないものだから、 何度も何度も転んで、 埃だらけになった。 うまく動かない手を操って、 糸を結んだり、 解いたり、 左手で書いたみたいなへったくそな字を何度も何度もノートが真っ黒になるまで書いたりした。 余りにも身体が思い通りに動かないものだから、 ヒステリックに叫んだり、 タマちゃんに八つ当たりしちゃったりもした。
  でも、 最近分かってきたこと。 本当に辛くて、 きついのは、 思い通りに身体が動かせないことじゃない。 身体なんて、 こうしてリハビリすれば、 前と同じように動くし、 走ったりすることだってできる。 本当に辛いのは、 私の身体が季節の移ろいを肌で感じたり、 食べ物をたべて美味しいと思ったり、 花の匂いをかいだり、 そうした、 人が当たり前のように持っている感覚を失ってしまったこと。 そして、 その感覚は、 私がいくら頑張ってリハビリしても、 いくら私が望んでも、 もう二度と取り戻せないんだ。 義体なんて、 見かけは人の身体そっくりでも、所詮は機械で、 生身の肉体とはとうてい比べ物にならない。 当たり前のことかもしれないけど、 私はようやくそのことに気がつきはじめていた。
  私の頭の奥には、 脳と直結する形でサポートコンピューターっていう小さなコンピューターが入っている。 義体の受けた電気信号は、 ここで、 脳が受け取れるような情報に変換された上で、 脳に送られているんだ。 でも、 サポートコンピューターの処理能力には限界がある。 人間の五感が感じ取る全ての刺激を忠実に再現しようとしたら、 サポートコンピューターはパンクしちゃう。 だから、 視覚とか、 聴覚とか、 触覚とか、 痛覚とか、 生きていくうえで絶対必要な、 最小限の感覚しか私には残されていない。 味覚や、 嗅覚や、 それから温度感覚なんてものは、 義体として生きるうえでは、 さして重要ではないと判断されて、 切り捨てられてしまった。
  タマちゃんや、 吉澤センセイは、 私のことを人間だって言う。 ヒトの魂は脳に宿る。 だから、 例え身体が全て機械になってしまったとしても、 私が人間であることには間違いないんだって言ってくれる。 でも、 本当にそうだろうか? いくら脳みそがあるとはいえ、 人として持っていて当たり前の感覚を失ってしまった分だけ、 私は人間から遠ざかって何か別のモノになっちゃったんじゃないだろうか? いつものように悪夢から目覚めて、 こうして朝の作業をする度に、 私はそう思ってしまうんだ。

  目覚めたところで、 リハビリのはじまる時間までは、 特に何もすることはない。 大抵は、 テレビをつけてベッドに寝そべりながらワイドショーを見る。 これが、 私の朝の過ごし方。 一応、 病院の敷地内ならどこに行こうが自由ってことになっているけど、 外に出ると「ああ、可哀想な義体の人がいる」っていう視線を嫌でも感じることになるから、 私は用事がない限りは極力部屋に引きこもることにしてるんだよね。
  この日も、 いつものように、 天然ボケが売りの舌足らずな女性アナと、 どんなボケも冷静に受け流すベテラン男性アナのやり取りをぼんやり眺めていた。 ニュースが一段落して、 本日の星座占いのコーナーをやっていた丁度その時だよ。 病室のドアが勢いよく開いて、 タマちゃんが飛び込むような勢いで部屋に入ってきたんだ。 タマちゃんが、 ノックもなしに部屋に入ってくるなんて、 はじめてのことだ。
「八木橋さーん、 朗報でーす。 ろーほー」
  よっぽど急いで駆けてきたんだろう。 タマちゃんの息、 弾んでる。
(朗報? 朗報っていい知らせのことだよね。 一体なんだろう)
  キョトンとする私の前で、 タマちゃんは、 しばらくの間、 深呼吸を繰り返して息を整えたあと、 もったいぶるように、 ゆっくりと口を開いた。
「八木橋さんの新しい義体、 こっちに届いたよ」
「え? ホント?」
  私は思わず身を乗り出した。 もう、 芸能界のだれそれの熱愛発覚なんて下らないニュースは全く耳に入らない。 私にとっては、 こっちのほうがよっぽど大ニュースだ。
  身体ができた。 私の新しい身体ができた。
  作り物の機械の身体かもしれないけど、 生身の頃の私そっくりの、 世界に一つしかない外見の新しい身体ができた。
「ふふふ、 八木橋さん。 そんな明るい顔、 久しぶりに見せてくれたね。 やっぱり朝イチでお知らせしてよかったでーす」
  タマちゃんは、 私の反応に満足そうにうなずいた。
  いつになったら私の身体ができるのか、 私は毎日のようにタマちゃんに聞いていたんだ。 だから、 タマちゃんは、 私が、 この日が来ることを、 どんなに待ち望んでいたか、 よーく知っている。 だからこそ、 できるだけ早く、 このことを私に知らせてくれようとして、 わざわざ病室まで走って来てくれたんだよね。 タマちゃん、 ありがとう。 本当にありがとう。 新しい身体ができたことも嬉しいし、 タマちゃんが、 私のために一生懸命走ってくれたことも嬉しい。

  今の私の外見は、 生身の頃の私とは全然違う。 もし、 今の私を友達とか高校の先生が見たとしても、 あの、 陸上部のヤギーだって気付く人は誰一人いないだろう。
  タマちゃんが教えてくれたんだけど、 義体になった人は、 本当なら、 生身の時の姿そっくりの義体に入ることになってるんだって。 これは、 法律できちんと決められていることらしい。 だから、 綺麗な外見の義体を用意して、 全く別人に変身する、 なんてことはできない。 せいぜいが、 太目の身体を多少細身に作るとか、 胸を大きめにするとか、 黙認されるとしても、 その程度。 だから、 病気が原因で義体化手術をする場合、 患者は手術前に自分の義体の外見を確認して、 承諾書にサインをすることになっている。 手術後に、 こんなの私じゃない、 なんて言われてクレームになっても困るからだそうだ。
  でも、 私みたいに事故とかで緊急に義体化手術が必要な場合には、 自分専用の義体ができるまで待って、 患者が確認する、 なんて余裕はないから、 まず、 標準義体っていう病院に在庫として常に用意されている出来合いの義体に入ることになるんだ。 そして、 自分専用の義体が出来上がるまでの間、 しばらくは、 この仮の姿で我慢しなくちゃならないんだって。
  確かに、 標準義体の出来は悪くないよ。 胸は大きいし、 その割に腰はちゃーんとくびれていて、 スタイル抜群。 顔だって、 ちょっとしたアイドルなみ。 芸能人でいえば、 夢崎ひなたクラス。 ひょっとして、 友達が、 私のことを見たら羨ましがるかもしれないよ。 でもさ、 みんながみんな、 同じ顔、 同じスタイルだったとしたら、 どう思う? イソジマ電工の義体カタログ写真で、 にっこり笑っている女の子も、 隣の病室の佐々波さんも、 もちろん私だって、 本来は、 それぞれ違う心を持った別々の人間のはずなんだ。 なのに、 同じ標準義体を使っているから、 身長も体重もスリーサイズも、 顔立ちも、 何から何までぜーんぶ同じ。 これじゃ、 まるで、 おもちゃ工場で大量生産された人形と一緒だ。 私だって、 昔は、 もっと綺麗な顔に生まれたかった、 とか、 もっとスタイルがよければよかったのに、 とかいろいろ思ったりもしたよ。 でも、 こんな形で夢が実現しても、 ちっとも嬉しくないよ。
  もう一つ嫌なことがある。 この身体は、 イソジマ電工製のもっともありふれた女性型義体。 っていうことはつまり、 この病院で働いている人から見れば、 私が全身義体だってことは外見からバレバレなんだ。
  病室から、 私がいつも通っているリハビリセンターに辿りつくまでには、 義体科だけじゃなくて、 いろんな病棟を通り抜けなくちゃいけない。 だから、 他の科の看護婦さんとか、 お医者さんとも、すれ違ったりするんだけど、 みんな、 すれ違うたびに、 ちらっと私のほうを見るんだよね。 決して綺麗だって思って私のことを見ているわけじゃない。 機械の身体ってどんなかなっていう単純な好奇心とか、 事故にあってこんな身体になってしまって可哀想っていう哀れみの気持ちとか、私 じゃなくてよかったっていう安堵と、 それと裏返しの優越感、 きっと、 そんなことを思いながら私のことを見ているんだよ。 そうに決まってる。

  だから、 私は、 この身体が嫌い。 アイドル並みの容姿でなくても構わない。 胸なんか大きくなくていい。 昔の私の姿をした義体に一日でも早く入りたい。 たとえ、 似ているのは外見だけで、 中身は似ても似つかない機械の塊だったとしても、 それでも、 このお人形さんよりはずーっと、 ずっとましだ。 新しい自分だけの身体に入っちゃえば、 全身義体の哀れな女の子って言いたげな、 例の視線を浴びなくてすむし、 ひそひそ話を背後に感じながら、 肩身の狭い思いをしてリハビリセンターに通う必要もない。 自由に病院の中を歩き回っても、 義体科のセンセイやケアサポーターの人たちを抜かせば、 私の身体が機械だなんて気がつく人はいない。 最高だ! 今日の占いでは、 射手座の運勢は最悪だったんだけど、 そんなことはもうどうでもよくなっちゃったよ。
「私の義体、 今どこにあるの。 見たい。 すぐにでも見てみたい!」
  もうゴロ寝なんてしてられない。 私は、 飛び跳ねるようにベッドから降りた。
「第二診察室だって。 今、 吉澤先生が、 義体の調整をしているところ。 あ・・・ちょっと、 八木橋さん、 どこ行くの!」
  タマちゃんの話なんか、 最後まで聞いていられない。 新しくて懐かしい自分の分身との対面に胸をはずませて、 私は廊下を駆け出した。
 
  府南病院は、 広いうえに、 むやみやたらとエレベーターがあったり、 階段があったりで、 迷宮さながらに複雑な構造の大病院。 しかも、 どこもかしこも真っ白な壁で、 景色に特徴というものがない。 だから、 慣れないうちは、 リハビリセンターから自分の病室に自力で戻ることができず、 迷ったりもした。 でも一ヶ月もここにいれば、 流石に自分に関係ある施設くらいは、 どこにあるか完璧に把握しているつもり。 ましてや、 義体科の第二診察室の場所は、 もう何度も行ってるから、迷うはずもなく、最短距離で突っ走ることができる。 久しぶりに会う恋人の姿をホームの端っこに認めて、 彼に向かって一目散に駆け出すときって、 きっとこんな気分だろう。
 この時間は、 待合室には誰もいない。 突然現れた私に向かって、 何か言いたげな受付の女の子をわざと無視して、 そのまま待合室を突き抜けて、 一気に第二診察室の観音開きのいかにも重そうな鉄製の扉の前まで行ってしまう。
  (この部屋の中に、 私の新しい身体があるんだ)
  そう思ったら興奮して力の調節がうまくできなくって、 なんだか借金取りが居留守を決め込んでいる家を追い込むときみたいに、 荒々しい強い調子で、 ノックしてしまう。
  しばらくして、 ドアがごろごろ重そうな音を立てて開いた。
  顔を出したのは、私の予想通り、 私の担当医の吉澤センセイだったけど、 センセイの反応は、 私の予想と違ってた。
「や、 八木橋さん! や、 僕は、 てっきりタマかと思った・・・」
  センセイは、 目の前に立っているのが私だと分かると、 まんまるの目を白黒させて、 そう言ったっきり絶句。 でも、 もっと驚いたのは、 センセイじゃなくて、 私だ。 センセイが、 両手で大切そうに抱えているそれって、 私の、 私の・・・
(生首じゃないか!)
「あ・・・あ・・・」
  生じゃないでしょって脳内突っ込みをする余裕すらなく、 私は酸欠状態の金魚みたいに、 口を無意味にぱくぱくさせながら後ずさりする。 すぐ足がついていかなくなって、そ の場にぺたりとへたり込んでしまう。 余りの薄気味悪さに、 背中から恐怖が毛虫みたいにぞわぞわ這い登ってきて、 私の頭をかき回す。
「嫌———————っっ!!」
  義体科に響き渡る私の悲鳴。
  自分の首を見る破目になるなんて、 やっぱり、 今日の運勢は最悪だ。

「ありゃ、 間に合わなかったか・・・」
  ようやく私に追いついたタマちゃんは、 私の首を抱えて唖然としている吉澤センセイと、 床にへたりこんで、 がくがく震えてる私を交互に見つめて、 舌を出して苦笑い。
「まだ、 義体の調整中だから、 あとで見に行きましょうって言おうとしたのに、 まさか、 いきなり駆け出すなんて・・・。 八木橋さん、 よっぽど楽しみにしてたんだね」 
  タマちゃんはそう言いながら私の横にしゃがんで、 震える私の背中をそっと優しく撫でてくれる。
  タマちゃんが言うことには、 全身義体は女性用の小さめのものでも、 重さがぜんぶで120kgくらいあるから、 そのまんまだと重すぎて運ぶのには不便。 だから、 運びやすいように、 手とか足とかを分解した状態で届けて、 病院で組み立てるんだそうだ。
  でも、 そんなこと何も知らなかった私は、 のこのこ義体診察室に入って、 自分自身のスプラッターショーを見せ付けられる破目になったってわけ。 興奮して、 人の話を最後まで聞かないで勝手に走っていった私が悪いんだけど、 楽しみにしていた自分との再会が、 こんな形になっちゃうなんて、 ショックだった。 お前はもう人間じゃないんだ。 調子に乗るなよって、 うわついた心を神様に釘さされたような気がしたんだ。
  だから、 午前中のリハビリトレーニングが終わったあとで、 たまたま廊下ですれ違った吉澤センセイから、 義体の組み立てが終わったって聞いた時も、 私は、 はっきり言って見に行きたくはなかった。 どうしても、 さっきの自分の生首の、 まるで死体みたいに生気のかけらもなく虚ろに開かれた眼を思い浮かべちゃうからね。 でも、 義体換装するときには、 本人のチェックが絶対必要なんだって。 義体をしっかり見たうえで、 これで問題ないですって直筆でサインしなきゃいけないんだって。 だから、 しょうがない。 私は嫌々、 タマちゃんに引きずられるように、 義体診察室に向かった。

「八木橋さん。 もう、 ちゃーんと組み立て終わってるから大丈夫。 そんなに恐がらないで」
  タマちゃんは、 まるでお化け屋敷に入るのを恐がる子供みたいに怯えて、 診察室の入り口で立ち尽くしている私の手を引っ張って、 診察台に導く。
  タマちゃんの言うとおり、 診察台には、 私自身が生まれたまんまの姿で横たわっていた。 私の形容は間違ってないよ。 確かに、 この身体、 生まれたてのほやほや。 もっとも、 お母さんのお腹の中からじゃなくて、 イソジマ電工の工場から生まれたんだけどさ。 はは。
  生まれたまんまの姿って言っても、 やっぱり生身の身体そっくりとはいかない。 天蓋つきのベッドみたいな形の診察台の、 ちょうど天蓋にあたる部分に、 大きな機械が置いてあって、 その機械からコードが何本も、 弦草みたいにぶら下がって義体のあちこちに接続されているし、 身体だって手といい足といい、 首の部分といい、 継ぎ目だらけで、 本当に人形みたいだ。
  でも、 作り物の身体だったとしても、 自分の裸を他人に見られるのは恥ずかしい。 それが、 たとえケアサポーターのタマちゃんだったとしても。
「恥ずかしいから、 服着せてあげてよう」
「気持ちはよーく分かります。 でも、 このあと、 継ぎ目を消すための皮膚のコーティング作業があるから、 服なんか着せたら作業の邪魔になっちゃうの。 我慢してね」
  そういうことなら仕方がない。 ちょっと恥ずかしいけど人形じみた身体のままよりは、 はるかにましだもんね。
「もっと、 近づいて、 顔、 よくみてごらん」
  タマちゃんが、 そっと私の背中を押した。
(私の義体、 どんな顔してるんだろう。 さっきは、 恐くてほとんど見れなかったけど、 ちゃーんと、 私そっくりにできているんだろうか?)
  私は、 期待と不安がないまぜになったような、 複雑な気持ちで診察台に近づいた。

  私が眠ってる。
  寝返り一つうたないけど、 息だってしていないけど、 でも、 眠っているようにしかみえない。 ほんのりと赤味のさした、 いかにも健康そうな、 つやつやした肌。 まるで、 白雪姫に出てくる毒りんごを食べて、 永遠に眠らされてしまったかのような、 静かな寝顔。 カッコイイ王子様のキスじゃなくて、 110Vの家庭用電源で目覚める身体なのかもしれないけど、それでも、 魂のないただの人形だなんて、 とても信じられない。 鏡で見慣れた私の顔そのものじゃないか。
  今、 私の使っている標準義体の出来を考えれば、 イソジマ電工が高い技術力を持っていることは、 分かってたはず。 でも、 目の前にある、 義体の出来は私の想像を超えていた。 確かに、 標準義体と同じように、 身体のあちこちに、 コンピューターなんかと繋ぐための端子があるよ。 組み立てが終わったばかりで、 皮膚のコーティングはまだだから、 肌の継ぎ目だって目立つよ。 それは、 義体だもん、 ある程度はしょうがないよね。 でも、 顔とか体つきは、 もとの生身の身体そのまんま。 ちゃーんと服を着さえすれば、 昔の私と瓜二つに見えるはず。 もしも、 私に生身の身体があって、 この義体と一緒に並んだとしたら、 おじいちゃんだって、 きっと、どっちが本当の私か区別つかないよ。
(これなら、 友達をごまかせるかも・・・)
  どんなに外見がそっくりだったとしても、 結局この身体は機械仕掛けのお人形。 ただの私の魂の入れ物にすぎない。 暖かい生身の身体は二度と私の手には戻ってこない。 分かってる。 そんなこと、 分かってるよ。
  でも、 この身体なら、 黙っていれば学校のみんなに義体だってバレないんじゃないだろうか。 事故にあって、 大怪我をしたけど、 ちゃーんと治療して、 怪我も元通り完治しました。 そういえば、 きっとみんな信じてくれるんじゃないだろうか。 私はそう思った。
  自分に嘘をついて、 みんなに嘘をついて生きることになるのかもしれない。 でも、 それでかまわないよ。 自分の身体が機械になっちゃった、 なんて言う勇気、 私にはないもの・・・。
「八木橋さん、 どうかしたの? 義体、 気に入らなかった?」
  義体の顔を見つめたまま固まっちゃった私を見て、 タマちゃんが不安そうな面持ちで言った。
「ううん。 大丈夫。 なんでもないんだ」
  ホントはなんでもなくなんか、 ない。 もしも、 自分の身体とかけはなれた姿の義体だったら、 あきらめて機械の身体になった自分を受け入れられたかもしれない。 でも、 なまじっか、 外見だけは自分と同じ姿をしているものだから、 昔の身体との違いをかえって敏感に感じて、 新しい身体を受け入れることもできず、 友達に打ち明けることもできず、 ずーっと、昔の幻影を引きずって生きていくことになるのかもしれない。 せっかく、 あんなに待ち望んだ、 私だけの新しい身体が目の前にあるのに・・・、 ううん、 だからこそ、 全身義体になってしまった自分の未来の姿をかえってリアルに思い描いて、 悲しくなってしまう。 ホントは、ここまで元の身体を再現してくれたイソジマ電工の人達に、 感謝しなきゃいけないのにね。
「八木橋さんって、 本当はこんな顔だったんだね。 初めて見たけど、 私の想像通りの可愛い子でした」
  こういう時、 私の気持ちを察してくれてるのか、 天然なのか、 イマイチよく分からないんだけど、 とにかく、 あまり深く突っ込んでこないのがタマちゃんのいいところだ。 今も、 はじめましてーって私の義体に向かって手を振って、 落ち込みかけた私の気持ちをなごませてくれた。 それで、 ちょっとは気持ちがラクになったよ。
「タマちゃん、 違うよ。 ホントの私はこんな顔だよ」
  私は眼鏡を外すと、 義体の顔に掛けてあげた。
「やっぱり、 眼鏡かけるつもりなのね。 いい加減、 やめたらいいのに」
  まるで眼鏡をかけっぱなしで眠っているかのような私の義体を見て、 苦笑いするタマちゃん。

「で、 どう。 これで問題ないかなあ? 問題なければ、 長く見積もっても一週間以内には義体換装手術に入れると思いまーす」
  問題ですか。 問題といえば。
「胸・・・、 もっうちょっと大きかったと思うんだけど」
  嘘。 ホントはだいたい、 こんな大きさだった。 でもさ・・・いや・・・その、 これからの成長分も加味していただけないかなあ、 と思ったんだ。 ちょっとだけね。
「ちゃーんと、 元の身体どおりに再現されてます」
  タマちゃんは、 やけにきっぱりと言ってくれた。
「ケチ」
  むくれる私。
「ふふふ。 でも、 足はちょっとだけ長くなってるよ。 義体の基礎骨格が5cm刻みでしか用意されてないから、 もとの身体より、 ほんの少し背が高くなってまーす。 その分は足で調整したから、 前より若干足が長くなってるんだって。 ま、 ちょっとしたサービスでーす」
  つまり、 昔より多少はスタイルが良くなったってことだ。 さすがに、 そのくらいの役得はないとね。
「髪、 ヘンだよ」
  髪型は私の希望通り、 両肩にかかる程度のセミロング。 でも、 頭のてっぺんの部分にある髪だけ、 ちょこんと上に浮き上がったようになっていて、 なんだかヘンな感じ。 気になったから、 その部分をつまみ上げたら、 まるで針金みたいな感触で、 ぐにゃりと曲がって、 ひどい寝癖がついてるみたいになっちゃった。
「あ、 これは、 髪にカムフラージュしたアンテナでーす。 ほら、 万が一、 外でバッテリーが切れて、 行き倒れになったら大変でしょ。 そういった時のために、 義体には通信装置が内蔵されてます。 それ用のアンテナね。 一応目立たないようにはなってるけど、 どうしても気になるようだったら、 髪型を工夫したりしてみてね」
「アンテナね。 ははは・・・」
  もう笑うしかないよね。 髪の毛がアンテナになってるって? それじゃあ、 まるで「ゲゲ●の●太郎」じゃないか。 じゃあ、 この義体の目玉はしゃべったりするのって、 よっぽど聞いてやろうと思ったけど、 やめといた。 とにかく、 頭には触られないように気をつけなきゃと、 固く心に誓う私なのでした。

  今日の午後は、 リハビリ訓練の予定は入っていない。 イソジマ電工の本社に向かうっていうタマちゃんを病院の待合室で見送ったら、 あとは特に用事はなくて、 好きに過ごしていいってことになってる。 とはいっても、 病院の外を自由に散歩できるわけじゃないし、 一目で義体って分かっちゃう標準義体の身体で、 病院の中をうろつくのも気が進まない。 だから、 結局は、 大人しく病室に戻って、 入院したての頃におじいちゃんが買ってきてくれた、 もうセリフの隅々まで暗記してしまった漫画本を繰り返し読むくらいしか時間の潰しようがない。 ある程度病気が治っちゃうと、 入院生活はとてつもなく退屈だって聞いていたけど、 全く同感。
  入院してから、 一ヶ月。 単調なリハビリトレーニングを繰り返して、 テレビを見て、 漫画を読んで、 そんな退屈な毎日は、 もううんざりだよ。 早く友達と会って話しがしたいよ。 学校に行きたいよ。

  待合室から病室に戻る道すがら、 一面ガラス張りの病院の大ホールで広い空を見上げた。 まだ私が病院に来たばかりの頃、 入道雲が我が物顔でのさばっていた青空には、 今は、 いわし雲がのんびり泳いでる。 夏から秋へ、 私の身体は何も感じられなくても、 そんなことはおかまいなしに時は過ぎ、 季節は移る。 学校だって、 私がいなくても、 きっと当たり前の日常が繰り返されているはずだ。
(みんな、今頃どうしてるんだろう。私のこと、忘れてないだろうか)
  クラスメートの顔が、 一人一人、 頭の中に浮かんでは消えた。
  機械仕掛けの義体を一応は不自由なく操れるようになるまで回復したっていっても、 前とは似ても似つかないこの身体、 この姿で友達に会えるわけない。 声だって、 昔の私の声とはゼンゼン違うから、 みんなと電話で話すこともできない。 私だけが一人ぼっちで取り残されているんだっていう不安と焦りと孤独感に、 時々心が押しつぶされそうになる。
 でも、 もう大丈夫。 さっき、 私はイソジマ電工の義体購入契約書にサインをすませたばかり。 換装手術は、 できるだけ早くっていう私の希望を入れて、 一週間後、 義体の細かい機器の調整が終わり次第すぐにということに決まったんだ。 これで、 やっと私も、 こんな借り物の身体じゃなく、晴れて、 もとの生身の身体そっくりの自分自身の身体を手に入れることができる。 みんなと会うことができる。
  換装手術が終わったら、 すぐにでも、 みんなに電話しよう。 それから、 お見舞いに来てもらおう。 そして、 連絡しないでごめんね。 心配かけてごめんね。 でも、 私、 もう怪我もすっかりよくなったから安心してねって言うんだ。
  はやくこいこい手術の日。 はやくこいこいお友達。
  そう思ったら、 単調で孤独で張り合いのない毎日でも、 楽しく過ごせるような気がするよね。

「よお、眼鏡ザル」
  ぼんやり、 空を見上げていたら、 唐突に声をかけられた。 無理に押し殺したような低い声。 この病院で、 私のことを、 こんなふうに呼ぶ人は、あの人しかいない。
「こ、 こんにちは」
  軽く会釈する私。
  声の主、 私の隣の病室の住人、 佐々波さんは、 腕を組んで、 廊下の手すりに寄りかかって、 ニヤニヤ笑ってる。
  佐々波さんも、 私と同じ全身義体。 そして、 私と同じように何かの事故が原因で義体化手術を受けた人。 お互い身の上を語り合ったことはないけど、 聞かなくても分かってる。 佐々波さんも、 私も、 同じ顔、 同じ背丈、 同じ声、 鼻の高さも、 目の大きさも、 きっと、 胸の形だって1ミリの狂いもなく一緒。 双子だって、 私くらいの年になれば、 お互いに、 ちょっとづつ違いがあるはずだよ。 私達が、 双子以上、 まるで、 鏡を見ているみたいに瓜二つなのは、 私達の身体が、 規格化された工業製品、 標準義体だっていう何よりの証拠。 服だって、 同じようにセンスのかけらもない真っ白の入院服を着ているから、 私達の外見上の違いなんて、 眼鏡をかけてるか、 かけてないか、 ただそれだけしかない。
 でも、 いくら見かけが同じでも、 義体の中に入っている心まで一緒ってわけじゃない。 私は八木橋裕子、 そして、 彼女は佐々波玲子。 私達はそれぞれ違う人間で、 その証拠に性格だってゼンゼン違う。 れっきとした女子高生の私と違って、 佐々波さんは、 仕草も、 しゃべり方も、 まるで男の人のそれなんだ。 私も、 よく男っぽいとか、 さばけてるとか友達に言われたりするけど、 それは、 あくまでも女の子にしてはってことだよね。 でも、 佐々波さんは、 私なんかとレベルが違う。 男っぽいというより、 外見はともかく中身は男の人そのものって感じ。 佐々波さんが、 今何歳で、 生身の頃、 どんな顔をしてた、 なんてことは知らないけど、 女性型の標準義体に入ってるからには、 女性ってことには間違いないはず。 でも、 彼女が普通の女の子だとは私にはどうしても思えない。
「なんか、 用ですか?」
  私はつとめて無表情につっけんどんに言って、 目に見えない言葉のバリアーを自分の周りに築き上げる。
  正直言って、 私は、 この人が苦手だ。 眼鏡ザルって私のことをからかうのも気に食わないし、 自分だって私と同じ全身義体のくせに、 いっつも私のことを人形呼ばわりするのも気に食わない。 それから、 標準義体だから仕方がないっていっても、 私と同じ姿をしていることも嫌。 だから、 できることなら、 顔をあわせたくないし、 しゃべりたくない。
「ふん、 ずいぶんご挨拶だな」
  佐々波さん、 唇をかたっぽだけ吊り上げながら、 吐き捨てるように言う。 そんな、 無理して低い声で話さなくてもいいのに、 と私は思う。
「なんか、 いいことでもあったのか?」
「いや・・・別に何も」
  佐々波さんは、 顔をそむけて足早に立ち去ろうとする私の肩を、 無理やりつかんで引き戻した。
「隠すなよ。 さっき、 ずいぶん楽しそうに空見てただろ」 
「・・・自分の義体・・・見てきました。 一週間後に換装手術だそうです」 
  不機嫌だってことをあからさまに伝えるために、 佐々波さんに負けないくらい低い声で、 私はぼそっとつぶやく。
「ふん、 自分の人形なんか見て楽しいのか。 相変わらずお気楽だな」
  そう言って、 鼻で笑う佐々波さん。 また、 人形って言ったね。 もう、 カチンときた。 相手にしたら、 ますます調子づかせるって分かっていても、 一言いわずにはいられない。
「そ、 それでも、 元の私の身体とそっくりだったんだ! 誰だって自分の元の身体に戻れたら嬉しいじゃないか。 違うの? 喜んじゃいけないの?」
  彼女の挑発に乗って、 私は思わず声を荒げてしまう。 私たちの脇を通りすぎていく看護婦さんが、 怯えた目で私を見た。 同じ姿、 格好をした二人の言い争い。 ハタから見たらとっても奇妙だろうね。 でも、 そんなこと気にしてられない。
  所詮作り物の機械の身体。 私だって、 そんなこと分かってるよ。 でもさ、 自分で思うならまだしも、 人にそんなこと言われたくない。 ましてや、 私達、 同じ機械の身体の人間同士が、 お互いを人形って言い合うなんて、 そんな悲しいことがあるだろうか? ホントなら、 今の私達二人は、 どんなケアサポーターよりもお医者さんよりも、 一番お互いの気持ちを分かり合える立場にいなきゃいけないはずなのに。
「確かに作り物の機械かもしれない。 昔の身体とは比べ物にならないのかもしれないよ。 でも、 義体の中に入っている私たちは機械でも人形でもない、 自分自身じゃないか。 人にどう思われようと、 私は絶対人形なんかじゃないし、 佐々波さんだって人形じゃない。 なのに・・・なのに、 どうして私たちで、 そうやって傷つけあうようなことを言わなきゃいけないんだよう。 そんなの馬鹿みたいだよ。 やめようよ」
「自分の人形が、 好きで好きでしょうがないみたいだな。 これがホントの自分の身体ってか。 ふん、 馬鹿くせえ!」
  佐々波さんの怒鳴り声に、 廊下を行きかう人たちの足が止まる。 私達を遠巻きにするように人のわっかができて、 みんな何かひそひそ話してる。 これ以上騒ぎにならないうちに、 不毛な罵りあいは、 やめるべきなのかもしれない。 でも、 私も、 もう後にひけない。
「好きだよ! 好きじゃいけないの? 私はこんな人間味のない身体よりも、 たとえ見た目だけ、 形だけのことだとしても、 元の身体とそっくりな義体がいい。 そして、 少しでも昔の面影を感じていたいよ。 それのどこがいけないんだ! 佐々波さんだって、 自分の身体を見たら、 きっと同じ気持ちになるはずなんだ!」
「ギャーギャーうるせーな。 オレは生まれてから今まで、 本当の自分の身体なんてどこにもいやしなかったよ。 自分の身体を見たら同じに気持ちになる、 なんて、 勝手に自分の考えをオレに押し付けんな!」
「本当の自分の身体なんてどこにもいやしない・・・それって、 どういうこと?」
  佐々波さんが、 ふと口にした不思議な一言に引っかかった私が、 鸚鵡返しに聞き返すと、 佐々波さんは今までの剣幕が嘘のように、 むっつり押し黙ってしまった。
「なんでもない。 今の話は忘れろ。 口が滑っただけだ」
  やっと口を開いたと思ったら、 うっかり口を滑らした自分が許せないみたいに、私から目をそらして、 忌々しげに吐き捨てたんだ。
「いいか、 今の話は全部忘れろ。 くだらねえ」
  佐々波さんは、 最後にもう一度、 念を押すと、 くだらねえ、 くだらねえってつぶやきながら、 人の輪をかき分けて、 立ち去っていった。

(本当の自分の身体なんて、 どこにもいやしない)
  小さくなっていく佐々波さんの後ろ姿を見つめながら、 さっきの彼女の言葉を頭の中で反芻する。
  一体どういうことだろう。 自分の身体がないなんて、 そんなことがありうるだろうか? じゃあ、 標準義体に入る前の佐々波さんは、 何者だったんだろうか? 分からない、 考えれば考えるほど、 分からない。
  よくよく考えれば、 この奇妙な隣人は謎だらけ。
  佐々波さんは、 話した限りでは、 どう考えても男としか思えない。 ボーイッシュとか、 男っぽいとか、 そういう次元は軽く超えて、 男そのものと言っていい。 でも、 使っている標準義体は女性型。 なんでだろう?
  私が義体化手術を受けて、 自分の病室に移ってきたときには、 佐々波さんは、 もう、 だいぶ義体慣れしているみたいだった。 それを考えれば、 義体でのキャリアは、 私より少なくとも一ヶ月以上は長いはず。 なのに、 いつまでたっても佐々波さんは義体換装しようとしない。 なんでだろう?
  自分の部屋に戻っても、 何も手につかず、 ベッドに寝そべって、 天井を見つめながら、 じーっと佐々波さんのことを考えていた。 でも、 いくら考えても、 納得のいく答えは浮かんでこなかった。

  でも、 一つだけ分かったことがあるよ。 よくよく考えれば、 佐々波さんは、 全身義体。 身体に生身の部分なんて脳以外には何一つない。 だったら、 男とか女とか、 そういう性別に何の意味があるんだろう。 何の意味もないよね。 そして・・・私もね。
  私は、 こんな身体になっても、 心だけは昔のままで、 だから自分は人間なんだって思っているし、 さっき佐々波さんに向かってそう言い放ちもした。 でも、 私に心があって、 れっきとした人間だってことに間違いはないにしても、 女だって言えるだろうか? 例え脳みそが残っていたとしても、 子宮も卵巣も失って、 女性としての肉体も失って、 それでも女の子ですって言い切れるだろうか?
  この身体は女性型の義体だし、 私に与えられるはずの新しい義体も、 もちろん昔の私をかたどったものだから、 当然女の子の形をしては、いる。 でも、 ただそれだけ。 いくら外見だけは普通の女の子を装っていたとしても、 今の私の身体に入っているのは、 機械部品とバッテリーと生命維持装置とコンピューター。 義体でも、 性器はちゃんとついていて、 試した限りでは、 人なみに感じることもできるし、 好きな人と一つになることだって、 できるって言われては、 いる。 でも、 それが何だというんだろう。 将来母親になることもできない作り物の機械の身体なんて、 ただのダッチワイフとどこが違うって言うんだろう?
  そう思ったら、 無性に悲しくなった。 大声で泣き叫びたかった。 泣いてもなんの解決にもならないってことはよく分かってる。 でも、 泣くことで、 一時でも、自分が女ではなくなってしまったという恐怖から逃れたかったんだ。
  でもね。 もう私の目から涙なんてでない。 ベッドの中で布団にくるまって、 頭を抱えて胎児みたいに丸まって、 行き場のなくなった恐怖心に耐えるしかないんだ。 いつまでも。 いつまでも。


  その日見た夢も、 いつもと同じ、 例の悪夢だった。


  今日のリハビリは、 平均台に乗っかって、 片足上げて、 かかしみたいに一本足でバランスを取る訓練。 もちろん、 義体には、 リモコン人形よろしくコードがつながれていて、 タマちゃんの座っているメインコンピューターのモニタ画面に身体のデータが逐一送られている。
  もう、 ちゃんと歩けるし、 走れるのに、 この期に及んでまだこんなことをしなきゃいけないのは、 馬鹿馬鹿しいし、 何より退屈。 でも、 ごくごく微妙なバランス感覚のズレが、 後々大きな狂いになっちゃうそうで、 義体の調整は慎重すぎるくらいで丁度いいんだってさ。
「ねえ、 八木橋さん。 今日はずいぶん元気がないみたいだけど、 何かあったの? また、 いつもの嫌な夢を見たの?」
  タマちゃんはモニター画面から顔を上げて、 平均台の上で両手を広げて、 ゆらゆらバランスを取っている私に向かって、 心配そうに眉をひそめた。
  タマちゃんに、 自分は女なんだろうか、 なんて悩みを話したって、 私に生身の身体が戻るわけじゃなし、 何の解決にもなりはしない。 そう思ったから、 私は感情を押し殺して、 つとめて平静に振舞っているつもりだったんだけど、 このケアサポさんには、 何も隠せないみたいだ。  
  自分の気持ちを見透かされて、 ちょっとどきどきしながら、 そのままの姿勢で私は切り出してみた。
「私って・・・人間だよね」
「なにを今更」
  タマちゃんは、 小鳥がさえずるようないつもの明るい声で笑った。
「でも・・・私は女ですか?」
「八木橋さんは、 かわいい女の子でーす。 何を言ってるの」
  タマちゃんは、 急にまじめな顔になってじっと私の眼をみつめた。
「女って、 何だろう? 脳みそが女だからって、 今の私は女って言えるんだろうか?」
「じゃあ八木橋さんは、 自分のことを男の子だと思ってるの? 違うでしょ。 男じゃなかったら、 あなたは女。 この世に人間は男と女の二種類しかないの」
「私は自分ではもちろん女だって思ってる。 でも、 まわりの人はどう思うんだろう。 まわりの人から見たら、 全身義体なんて、 女とか男っていう以前にただの機械の塊にしか見えないんじゃないかって、 そう思ったら私、 不安でたまらな、 あっ!」
  しゃべることに気を取られすぎて、 うっかり平均台から落ちてしまった。 私のところにあわてて駆け寄るタマちゃん。
「あのね・・・。 タマちゃん。 私恐いんだ・・・。 もしも、 私の身体が機械になっちゃったって知ったら、 私のカレシは私のことを女って見てくれないんじゃないか? 私の事を愛してくれないんじゃないか? そう思ったら不安でたまらないんだ。 タマちゃん、 どうしよう。 私、 どうしたらいいんだ! 教えてよ。 ねえ、 教えてよ!」
  タマちゃんは何も悪くないのに、 話しているうちにだんだん感情が高ぶって、 ついには私はタマちゃんを睨み付けて、 なじってしまう。 ずーっと心の奥底に押さえつけていた恐怖が、 わあっと堰をきったように頭の中に溢れ出して、 頭がおかしくなっちゃいそうだ。

  私にだってカレシがいる。 親にも、 みんなにも内緒だけど、 彼と一回だけHしたことだってある。 はじめてのHは、 ちょっと痛かったけど、 でも、 これからもずーっと一緒なんだって思って幸せな気分になった。 時々は喧嘩もしたけれど、 でも心底嫌いになることなんかないし、 別れることもない。 そんなことは地球がひっくり返ったって、 あるはずがないって無邪気に思ってた。 まさか、 あれが、 私の生身の身体での最初で最後の想い出になるなんて思ってもいなかった。
  はじめて武田から告白されたときは、 なんで私なんかがいいんだろうって不思議だった。 同じ陸上部でも、 彼は二年生なのに長距離のエースで、 私はただの補欠選手。 勉強だって、 彼は私なんかよりずっとできるし、 私なんてクラスではゼンゼン目立たないけど、 彼は明るいキャラでクラスの人気者で、 一年生に彼のことが好きな子が何人かいるのを私は知っている。 彼は私と同じクラスにいて、 同じ空気を吸っているけれど、 でも、 彼は別の世界の人間。 なんとなくそんな風に思っていたから、 憧れてはいても、 恋愛感情なんてなかったし、 ましてや武田が私のことが好きなんて思ってもいなかったから、 私は嬉しかったことよりも驚きが先立ったんだ。
  だって、 私達に共通しているのは、 陸上部ってことと、 一年の時から同じクラスだったってことと、 高校に入学したとき、 出席番号順に振り分けられた席がたまたま隣同士で、 お互いが学校で初めて言葉を交わしたのが相手だったってことだけ。 それも
「消しゴム落ちたよ」
  なんていうスッゴイ下らない会話でね。 とても運命の出会いなんていえるようなシロモノじゃない。
  だから、
「なんで、 あんたが武田君と付き合ってるの」
  そう言われたことも一回や二回じゃない。 その度に、 武田は慰めてくれたけど、 私は悔しかった。 でも、 はい、 そうですね。 私には相応しくないので、 貴女が付き合ってください。 そう言うほど私はお人よしじゃないし、 諦めがよくもない。 アンタ達が文句なんか言えないくらい、 武田と付き合うのに相応しい女になってやればいい。そう思って、 私は頑張った。 学校の勉強も、 陸上部の練習もね。 どっちも辛かったけど、 でも武田がいるから私は頑張ってこれた。 武田には本当に感謝してる。
  武田のことが大好きだっていう気持ちに変わりはない。 でも、 今は、 正直言って会うのが恐い。 ううん、 会うだけなら、 いい。 会って話すだけなら、 義体を換装したあとだったら、 きっと武田も私の身体には気がつかないだろう。 だけど、 身体を求められたらどうする? いくら、 生身の身体そっくりっていっても、 機械がぎっしりつまった120kgもある身体を抱いたら、 どんな男でも、 何かおかしいって気がつかないだろうか? たとえ気がつかなかったとしても、 大好きな人を騙して、 何も産み出すことのない機械の身体を抱かせていいんだろうか?
  それとも、 私は身を引くべきなんだろうか。 大好きな人だからこそ、 その人の幸せを願い、 機械の身体の私は、 自ら別れを切り出すべきなんだろうか。
  そんなの嫌だ!
  私の身体は、 嘘だらけ。 人の形をした、 ただの人形。 でも、 私にただ一つ残された人間としての心だけは嘘じゃない。 自分の気持ちに嘘なんかつけない。 別れたくない。 いつも一緒にいてほしい。 これからも。 ずっと、 ずーっと。
  でも、 私の身体が機械だって分かっても、 それでも彼は私のことを女として見てくれるだろうか。 私を愛してくれるだろうか。 そもそも今の私に人を愛する資格があるんだろうか。
  私は恐い。 この身体で人を愛してしまうことも、 この身体のことを知らない人から愛されることも、 恐い。 身体を全部失って、 脳だけになってしまっても、 それでも、 人の心を持ち続けなければならないなんて、 こんな苦しいことがあるだろうか? 人の心を持っているから、 人を愛してしまう。 人に愛されてしまう。 もう、 愛することも、 愛されることも、 その愛に応える事も、人の肌の暖かさすら感じることのできない身体のくせに。
「なまじっか、 人の心を持っているから、 人を好きになっちゃうんだよ。 いっそのこと、 私に心なんか、 なければよかったのに。 義体化と一緒に人の心も消えてしまえばよかったのに。 どうせ、 私の身体なんて全部機械の塊なんだ。 脳みそも機械になったって、 今更大して変わりはしないんだ。 生きることがこんなに苦しいなら、 機械そのものになっちゃったほうがずっと楽だよ・・・」
   この一ヶ月、 タマちゃんが、 どんなに私の支えになってくれたか、 知っている。 どんなに励まし続けてくれたか、 知っている。 だから、 私の漏らしたこの言葉を聞いて、 どんなに傷つくか分かっている。
  それでも、 私は、 言ってしまった。 身体から溢れる言葉を抑えられなかった。 ごめんね、 タマちゃん。 私、 一生懸命頑張ったけど、 新しい機械の身体になじめるように努力したけど、 やっぱり義体には向いてなかったみたいだね・・・。

  神様、 仏様。 お願いです。 私に人の暖かいからだをください。 人を愛することのできるからだをください。 でも、 もしも、 それがかなわない願いなら、 私の心を消してしください。 私をただの機械にしてください。 お願いです。

  パチパチパチパチ。
  私達二人だけのはずのリハビリセンターに乾いた拍手が響く。
  あわてて振り返ると、 私のすぐ後ろに私と瓜二つの姿、 格好の女性が立っていた。
「さ、 佐々波さん! いつの間に」
  絶句する私を尻目に、 彼女は、 黒髪をなびかせながら身軽な動作で平均台に飛び乗った。 そして、 いつもの、 人を小馬鹿にするような笑いを浮かべながら、 床にへたりこんでいる私を見下ろした。
「オマエもようやく分かってきたみたいじゃないか。 オレ達は所詮機械人形なんだよ。 どんなに人間とそっくりでも、 もう人間とは別モノなんだ。 だから、 人を愛したいとか愛されたい、 なんて思うのは諦めな」
「なんで、 あなたがここに?」
  タマちゃんが血相を変えて立ち上がった。 いつも私と接するときの穏やかな顔とはまるで別人みたいな、 険しい顔つきだ。
「なんだよ、 汀。 オレがここにいちゃ悪いかよ。 暇だったからメガネザルをからかいに来たんだよ。 心を消して欲しいなんて、 ずいぶん面白いことを言ってるじゃないか?」
  佐々波さんは、 平均台のけば立った木の繊維をむしり取ると、 タマちゃんに向かって指で弾き飛ばして挑発した。
「あなたはいつまでそうやって、 自分の殻に閉じこもって逃げるつもりなのかしら? 人のことを馬鹿にすることで、 自分が救われるとでも思っているのかしら? 厳しいことを言うようだけど、 あなたは意気地なしね。 玲子さん。 ふふふ」
  タマちゃんは、 精一杯虚勢を張る不良学生をたしなめる百戦錬磨の体育教師さながらに、 佐々波さんの挑発を余裕たっぷりに受け流すと、 さもおかしそうに笑った。 タマちゃんの言葉を聞いた、 佐々波さんのアイドルみたいな綺麗な顔が、 醜く歪んだ。
「その名前、 もう一遍言ってみろ。 殺すぞ」
  佐々波さんは、ひらりと平均台から飛び降りると、 右手でタマちゃんの胸倉を掴見上げる。 背の低いタマちゃんは、 たちまち爪先立ちになるまで引っ張り上げられてしまった。 このままじゃ、 タマちゃんが、 殺されちゃうよ。 佐々波さんを、 止めなきゃ、 止めなきゃ。
「タ、 タ、 タ、 タマちゃんに何するんだ! やめなよ! きゃっ!」
  私は精一杯勇気を振り絞って佐々波さんに飛びつこうとした。 そのつもりだったんだけど、 自分の身体に繋がってるコードをうっかり踏んずけて、 バランスを崩して転びそうになっちゃったんだ。 お陰で、 身体に変な勢いがついちゃったんだろうね。 頭から、 うまく佐々波さんの腰に突っ込む形になって、 私は佐々波さんもろとも地面に転がった。 幸いなことに、 タマちゃんは、 佐々波さんが、 突然飛び掛ってきた私に驚いた隙に、 腕を振りほどいて上手く逃げ出せたみたい。
「てめえ、 邪魔しやがって!」
  私の下敷きになった佐々波さんは乱暴に私を突き飛ばした。 呻き声を上げて、 なすすべもなく、 床を転がる私。 すばやく立ち上がった佐々波さんは、 私の腕を踏みつけた。
「い、 痛いっ! な、 何するんだよう」
「ふん。 まず、 オマエからぶっ壊してやろうか?」
  佐々波さんは私に向かって憎憎しげにそう言うと、 腕を踏む足に力を込めた。 このままだと、 私、 本当に壊されちゃうかもしれない。  
「タマちゃん、 助けてっ!」
  激痛に耐え切れず、 悲鳴を上げる私。 タマちゃんを助けるために佐々波さんに飛び掛ったのに、 逆にタマちゃんに助けを求めるなんて、 私ってなんて情けないんだろう。
  タマちゃんは、 私のピンチにあわてる風もなく、 白衣の胸ポケットから小さな黒い箱を取り出して、 かちっと、 箱についている赤いボタンを押した。 そのとたん、 佐々波さんは、 糸の切れた操り人形みたいに、 私の上に崩れ落ちちゃった。 あのボタンは義体のスイッチで、 佐々波さんは、 義体の電源を落とされたに違いない。 力の強い義体の人を相手にしなきゃいけないんだもの。 いざって時のために、 やっぱりそういう道具もケアサポさんは、 持ってるよね。
「あーあ、 こういうことは余りしたくないんだけどね」
  折り重なるように床に倒れている私たちを見下ろしながら、 タマちゃんは深いため息をついた。
「八木橋さん。 助けてくれてありがと。 腕はなんともない? まあ、 あのくらいで壊れるようなやわな義手じゃないから大丈夫だとは思うけどね」
  タマちゃんは、 私の上で動かなくなった佐々波さんをごろんと転がして、 佐々波さんの下敷きになっていた私を助け起こしてくれた。
「汀っ、 てめえ、 オレの身体に何をしたっ。 元に戻せよ」
  佐々波さん、 身体が動かせなくなっても、 声は出せるみたいだ。 でも、 さっきまでの勢いはどこへやら。 私達二人に見下ろされて、 怯えた負け犬みたいに、 弱弱しく毒を吐いている佐々波さんは、 私の目にはひどく哀れに映った。
「ごめんなさい。 義体の電源を切らせてもらいました。 暴れないって約束するなら、 元に戻してもいいけどね」
「オマエこそ、 二度とオレのことを玲子って呼ぶな」
「そうね。 私も迂闊でした。 ごめんなさい。 れいじさん。 でも、 どんな理由であっても男が、 かよわい女に手を上げるのは感心しませんけど? ねえ、 八木橋さん。 ふふふ」
  タマちゃんは、 私に向かって、 いたずらっ子みたいな無邪気な表情で微笑んだ。
  佐々波さんは、 玲子って名前で呼ばれることに我慢できず、 れいじっていう男みたいな名前で呼んでほしいらしい。 男が女に手を上げるだなんて、 タマちゃんも佐々波さんを、 れっきとした男として扱っているみたいだ。 でも、 佐々波さんの身体は女性用の標準義体。 女性じゃなければ、 そんな身体のはずはないよね。 昨日、 佐々波さんは、 「本当の自分の身体なんてどこにもありはしない」って言っていた。 そのことと、 今の二人のやり取りと、 何か関係あるんだろうか。
  私は黙って二人の言葉に耳を傾けることにした。
「今日も、 彼女・・・来るそうです。 今日こそは、 彼女に会ってもらいますよ。 それともまた、 いつものように逃げるつもりですか?」
「嫌だよ。 オレは、 あんな化け物なんかに会いたくなんかないね」
「でもね、 佐々波さん。 今日の話し合いで、 男か、 女か、 どっちの義体を使うか決めるんでしょ。 もう、 義体換装に決められた期日までには時間がありません。 もしも今日決められなかったら、 こっちで勝手に義体を選んで強制換装するしかないんです。 あなた、 それで本当にいいの? 彼女の気持ちはどうなるの?」
「どっちだって、 同じだよ。 どう転んだって、 所詮機械だろ。 あんたの気が済むようにすればいいさ。 そうだ。 オレの代わりに、 メガネザルを使えよ。 どうせ、 オレ達は姿格好が全く同じ量産型の人形なんだから、 オレの代わりにこいつが出たって分かりゃしないだろ」
  突然の佐々波さんの言葉にびっくりする私。 なんでいきなり、 そんな話になるのさ。
「な、 何言ってるんだよう。 よく分からないけど、 今日は大切な話をしなきゃいけないんでしょ。 そんな話、 私が知らない人となんか、 できるわけないじゃないかよう」
  冗談じゃない。 いくら私と佐々波さんが同じ標準義体だからって、 性格も仕草も全く違う私が佐々波さんになりきることなんか不可能だって、 冷静に考えれば分かりそうなものだ。 だいたい、 佐々波さんの彼女って何なんだよ。 私が、 その彼女とやらに会って、 恋人ごっこをしなきゃいって訳? 私は至ってノーマルなんだからね。 そんな趣味ないんだからね。 でも、 まあいいや。 そんな馬鹿げた考え、 タマちゃんが同意するはずないよ。
  私は、 いつも冷静沈着な判断を下す、 小さな巻き毛のケアサポさんのことを、救いを求めるように、 ちらりと横目で見た。 でも、 タマちゃんの反応は、 私の予想とゼンゼン違っていた。 タマちゃんは、 私と佐々波さんを交互に見比べたあとで、
「それ・・・いい考えかもしれない」
  と、 静かにつぶやいたんだ。

「ま、 マジかよ。 本気でメガネザルをあいつに会わせるつもりなのか?」
  タマちゃんのつぶやきを聞いてうろたえたのは、 私よりもむしろ佐々波さんのほう。 電源を落とされて首から下を全く動かせない佐々波さんだけど、 その分、 目を見開いたり、 口をぽかんと空けたりと、 顔の表情が細かくくるくる動いた。
「あら、 あなた、 会いたくないんじゃなかったの? あなたの代わりに八木橋さんに会ってもらう。 いいアイディアじゃない?」
  タマちゃんは、 いたずらっ子みたいな顔をして、 佐々波さんを覗き込んだ。
「そ、 そうなんだけどさあ」
「じゃあ、 別に八木橋さんが会っても構わないよね」
「べ、 別にいいけどさっ」
  拗ねて膨れっ面で、 そっぽを向く佐々波さんは、 なんだかとても可愛らしくて、 変な言い方だけど、 ホントの女の子みたいなんだ。 なーんだ、 佐々波さん、 自分のことを人形だ、 とか機械だ、 とか言うくせに、 ホントは恋人のことが気になってるじゃないか。 本心を隠そうとして、 かえってロコツに態度に出てしまうのがおかしくって、 私は、 思わず自分が大変な役割を押し付けられそうになっていることも忘れて、 くすくす笑ってしまった。
  確かに、 私の身体は人間らしい部分なんて、 何一つない冷たい機械だ。 身体だけじゃない。 私が受け取る感覚だって所詮コンピューターが作り出した、 ただの電気信号。 それは、 佐々波さんだって同じこと。 私達、 瓜二つの全身義体のサイボーグだもんね。 でもさ、 どんな子か知らないけど、 そんな佐々波さんを好いてくれる人だっているってことを知っただけで、 なんだか自分のことのようにうきうき嬉しい気分になってくるよね。
「じゃ、 そういうことで、 八木橋さん、 お願いしまーす」
  不意に私の方を向いて、 一方的にそう宣言するタマちゃん。 今度うろたえるのは私の番だ。
「た、 た、 タマちゃん。 どういうつもりか知らないけどさ。 私は、 佐々波さんの恋人とかいう人に会う気はこれっぽっちもないからね」
 佐々波さんが、 そんなに彼女のことが好きなら、 何も、 私に佐々波さんを演じさせなくたって、 素直に佐々波さんに会わせてあげればいいじゃないか。 私はそう思った。
  私と佐々波さんは、 どんなに今の外見が似ていたとしたって、 別人なんだ。 どんなにうまく演技したって絶対ばれるに決まってるよ。 本当に、 佐々波さんの恋人って人が、 佐々波さんを愛しているんだったら、 なおさらだ。 私のおじいちゃんだって、 以前の私とは似ても似つかない姿になった標準義体に入った私のことを、 すぐに私だって分かってくれたんだよ。 仮に、 私のうっかりミスで、 二人の仲を引き裂くことになったらどうするのさ。 そんな、 責任重大なこと、 私、 とても引き受けられそうにないよ。
「まーまー。 じゃあ、 ここからは女同士、 仲良く作戦会議しましょうか? 男の方は席を外してくださーい」
  なおも一方的に話を進めるタマちゃん。 私の話なんてこれぽっちも聞かずに、 もう一度、 手に握り締めた小さな機械のスイッチをカチリと押した。 佐々波さんの電気を回復させてあげたんだ。 男の方だなんて、 やっぱりタマちゃん、 佐々波さんを男として扱うんだね。 変なの。
「分かったよ。 消えればいいんだろ、 消えれば」
  「男」の佐々波さんは、 ぶつぶつ不平を言いながら立ち上がって、 案外素直に、 それでも恨めしそうにタマちゃんをひと睨みしてから、 リハビリセンターから立ち去っていった。

「さて」
  佐々波さんがいなくなって、 また「女」だけになったリハビリセンター。 タマちゃんは、 急にまじめな顔つきになって私の目をじっとみつめた。 突然のタマちゃんの変わりように、 緊張して思わず身を固くする私。
「八木橋さん。 さっき、 あなたは、 心があるから人のことを好きになっちゃうんだって、 だから、 人の心なんて、 いらないんだって、 そう言ったよね」
  ああ、 そのことか・・・。
「さっきは、 ごめんね。 タマちゃん。 でも、 大丈夫。 私と同じ全身義体の佐々波さんを好いてくれる人だっているんだ。 私だって、 頑張らなきゃ、 と思ったよ。 人間らしい心を持ち続けていれば、 きっといいことあるよって思うことにしたよ」
  あんな意地悪なおとこ女サイボーグにだって、 好いてくれる人がいるんだ。 女が女を好きになる。 私にはとても考えられないけど、 それでも機械の身体を愛してくれる人がいるってだけで素晴らしいじゃないかと思った。 このメガネザルだって、 負けていられないんだからね。
「佐々波さんって、 彼女がいるんだね。 好きな人がいて、 佐々波さんが機械の身体って知ってて、 それでも愛してくれる人がいるんだね。 なんだか、 羨ましいよ」
「佐々波さんって面白いでしょ。 彼女、 ううん、 彼か。 彼は、 すごい恥ずかしがりやさんなの。 本当はね、 好きな人の前に出たくて出たくて堪らないくせに、 いつもああやって逃げてばかりいるの。 ふふふ」
  タマちゃんは、 軽やかに笑った後で、 声のトーンを少しばかり下げた。
「でもね、 彼女に会いたがらないことには、 もう一つ理由があるの。 佐々波さん、 自殺したのよ。 ビルから飛び降りてね。 彼女を残して死のうとして、 それでも死に切れなくて、 全身義体になってしまった自分を激しく責めてるの。 彼女にも合わせる顔がないって思っているのね」
  佐々波さんも、 私と同じ標準義体。 ということは、 重い病気の果てに、 覚悟の上で義体化したわけじゃなく、 私のように、 突発的な事故でいやおうなしに機械の身体になってしまったんだと思ってはいたけど、 まさか自殺とは思わなかった。 何か事情があって、 世の中を恨みながら自殺したのに死にきれず、 でも身体は全て失ってしまった。 冷たい機械の身体になって、 生き続けなければならなくなってしまった。 それは、 どんなに苦しくて辛いことだろう。 佐々波さんが、 事あるごとに自分は人形だ、 機械だって言い続けている理由がなんだか分かったような気がした。

「性同一性障害って言葉、 聞いたことあるかしら?」
  佐々波さんが自殺未遂の結果義体になってしまったことにショックを受けて黙り込んでしまった私に向かって、 タマちゃんは不思議なことを聞いてきた。
  せーどういつせいしょーがい? 聞いたことあるような、 ないような。
「それって男なのに、 男が好きになったり、 女なのに女が好きになったりする人たちのことだったっけ?」
「それは同性愛でーす。 性同一性障害っていうのは、 なんて言えばいいのかな? えーと、 つまり八木橋さんは、 女の子でしょ。 自分のことを女性と認識しているし、 身体も女性でしょ」
「昔はね。 今はただの機械だけどね。 はは」
「そういうことを言わない! どんな体でも八木橋さんが女の子ってことには変わりはないんだからね」
  タマちゃんは、 厳しい声で私を叱りつけた。 ただの冗談なのにさ。 そんなに怒ることないじゃないかよう。
  しゅんとなった私を尻目にタマちゃんは話し続ける。
「でもね、 ごく稀に自分は女性だと認識しているのに身体が男だったり、 逆に自分は男性だって認識しているのに身体が女だったりすることもあるの。 そういうふうに、 心の性と身体の性が一致していないことを性同一性障害って言っているの。 そういう人たちは、 身体は男でも心は女だったりするから、 当然男の人を好きになるよね。 でも、 他人から見たら同性愛でも、当の本人から見たら、 自分を男と思ってないから、 フツーの恋愛と同じってことになるよね。 自分が男だと分かっていて男の人を好きになる同性愛者との違いはそこね」
「つまり、 タマちゃんは、 佐々波さんは、 その性同一性障害だって言いたいんだね」
  タマちゃんは黙って頷いた。
  女性型の標準義体に入っているくせに、 仕草や話しぶりが男にしか見えないこと。 そして、 女なのに彼女がいるらしいこと。 自分のホントの身体なんてどこにもありはしないって言っていたこと。 玲子って言われただけで怒りはじめたこと。 私の中でもやもや膨れ上がっていた佐々波さんにまつわる謎の一つ一つが、 タマちゃんの話ですっかり)解けちゃった。 佐々波さんは、 女の身体と男の心を持っている人。 そういうことなんだね。
  タマちゃんが語ってくれた佐々波さんについての話は要約すると(それでも長くなるけど)、 こんなことだった。
  佐々波さんの家は大金持ち。 もし何事もなければ、 佐々波さんは、 いわゆるハイソなお嬢様としてお淑やかに育ち、 同じくらいのお金持ちの御曹司と結ばれて、 お手伝いさんに囲まれて、 一生電車なんかには縁がない、 そんな暮らしをしても不思議じゃなかったんだってさ。 でも、 彼女は神様のいたずらで、 男の心と女の身体を持って産まれてきてしまった。 今の時代だったら、 そういう場合、 抵抗無く性転換手術をする人も多いけど、 そういう家って、 いわゆる世間体ってものを気にするから、 佐々波さんは、 無理やり女の子として育てられたんだって。 そして、 やっぱり無理やりに、 男の人と望まない結婚をさせられそうになったんだ。 でも、 佐々波さんは、 そのことに耐えられなくて、 飛び降り自殺をしてしまった。 結果的には、 義体化手術のお陰で、 命だけは助かったんだけどね。
  で、 義体化してしばらくしたら、 フツーの人だったら、 当然、 昨日私が見たような、 もとの身体とそっくりに作られた義体に入ることになるよね。 でも、 佐々波さんのように性同一性障害って診断された人に限って、 男性型の義体に入るか女性型の義体に入るか本人が選ぶことができるんだって。 男として生きるか、 女として生きるか決められるってわけ。 義体化する時の精神的ショックを少しでも和らげるための救済処置なんだって。 だから、 佐々波さんが、 今まで自分の身体のことで、 そんなに苦しんでいたなら、 義体化は男として生まれ変わる絶好のチャンス、 そう思ってもいいはずだったんだ。
  でもね、 おかげさまで、 縁談は破談になったわけだけど、 全身義体になった佐々波さんのことを佐々波さんの両親は一度もお見舞いに来なかったんだって。 ただの一度もね。 子供も産めない全身義体になっちゃったら、 娘としての価値なんかない、 ましてや息子としての価値なんて、 あるはずがない。 そういうことなんだってさ。 ひどいよね。 だから、 佐々波さんが、 あんなふうに捻くれてしまって、 男だろうと、 女だろうと、 どうせただの機械、 たいして違いがないって投げやりになっちゃうのも無理ないんだよ。
  だけど、 いつまでも標準義体に入っているわけにはいかないんだ。
『義体化の際には、 生身の頃の姿と同じ形をした義体を使用することとする。 事故等で、 やむを得ず標準義体を使用している場合は、 義体化手術より三ヶ月以内に再度、 本義体への換装手術を行なうこととする』
  これが義体法っていう法律で定められているルールなんだって。 性同一性障害って診断された人の場合、 もし女だったら、 男だったら、 どんなふうに成長するかというのを遺伝子解析して、 義体化手術や、 義体換装の際に性転換することになるわけ。 心とは一致しない女の姿の義体だけれども、 自分が産まれ育った身体とそっくりの義体。 心とは一致するけれども、 自分は一度も見たことがない、 ゼンゼンなじみのない男の義体。 佐々波さんは、 そのどちらの身体を選ぶか、 三ヶ月という限られた時間の中で決めなければいけないんだ。 もし、 本人が決められなかったとしたら、 無理やりにでも、 どちらの性の義体にするかケアサポーターやお医者さんが決めるしかない。 その場合、 大抵はもとの性のままにするんだけどね。 誰だって他人の人生の責任を負いたくないもの。 それが一番無難だよね。 でも、 それが果たして本人の幸せにつながるのか、 それは分からないよ。
  でもね、 一人だけ。 佐々波さんの性を決める権利がある人がいる。 佐々波さんが、 機械の身体になってしまっても、 それでも佐々波さんを愛して、 毎日この病院に来るただ一人の人。 それが佐々波さんが、 両親に隠れて付き合っていた恋人なんだ。

「患者の秘密をペラペラ他人に話す。 これ、 ホントはやっちゃいけないことなんでーす。 バレたら始末書もの。 ううん、 始末書で済むかどうか・・・」
  タマちゃんは、 長い話を終えると、 ペロっと舌を出して苦笑い。
「ケアサポーターっていうのは、 因果な商売なのよね。 未来に絶望して自殺した人を、 死の世界から無理やり引き戻したのは私。 佐々波さん、 さぞかし、 私を恨んでるでしょうね。 でも、 私は信じている。 今はそうは思えなくても、 いつか、 生きていてよかったと思い返す日が来ることを信じてるよ。 八木橋さん、 あなたにもね。 いつ佐々波さんや、 あなたが、 そう思ってくれるなら、 私はいくら恨まれたってかまわないのです。 あなたや、 佐々波さんや、 世の中の義体の人のためなら、 社内規定なんてクソくらえ。 たとえ規定を破ったとしても、 患者のために動かなきゃいけないときだってある。 それがケアサポーターだもの。 私は使えるものなら、 どんなものでも使いまーす」
   そういって胸をはるタマちゃんの小さな身体、 ずいぶん大きく見えた。
「で、 八木橋さん、 お願い。 今回は、 あなたを使わせてください」
  例のいたずらっ子みたいな表情を顔に浮かべて、 ペコリとお辞儀するタマちゃん。
  タマちゃん、 そうきたか!
  今度は、 私が苦笑いする番だ。
「あなたが見たもの、 聞いたものの全ては、 別室のモニターで見ることができるし、 聞くこともできる。 私がマイクで話したことは、 あなたの頭の中に直接伝えることができる。 恥ずかしがりやの佐々波さんも、 こういう間接的な形なら恋人に会ってくれると思うの。 私にはできない、 全身義体のあなたにしかできない人助け。 どう、 やってみる気はない?」
「えと、 つまり、 私に、 テレビカメラの代わりになりなさいっていってるの?」
「そう。 でも、 ただのテレビカメラじゃない。 意思のあるテレビカメラでーす。うまく、佐々波さんを演じて彼女の本音を聞きださなきゃいけない。 そんなこと、 テレビカメラにはできないでーす」
  考えてみれば、 私は自分の冷たい機械の身体を嫌だと思うばかりで、 機械の身体だからできることだってある、 なんてこと考えたこともなかった。 きっと、 タマちゃん、 佐々波さんのためばかりじゃなく、 私が機械の身体を素直に受け入れて、 自分に自信が持てるようにって、 そんなふうに言ってくれたんだと思う。 そして、 こんなすごいケアサポーターだってできないことが、 今の私にはできるんだ。 私は、 人に頼られているんだ。 そう思ったら、 なんだか嬉しくなった。
「分かった、 やってみるよ」
  私の言葉に、 にっこりと笑うタマちゃん。
  私は、 もう一度、 自分に言い聞かせるように、 ゆっくりと呟いた。
「私、 やってみる」

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