このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください


  私は今、 研究室で一人っきり。 それをよいことに、 ホントは、 次の講義の予習をしなきゃいけないのに、 今をときめく天才アーティスト、 中里忠弘様の生写真を眺めて、 うっとりしていた。 ああ、 こんなカッコイイ人が彼氏だったらいいなあ、 なんてね。 この写真、 コンサート会場のアルバイトをしたっていう、 バイト仲間の石塚さんから、 無理を言って譲ってもらったもの。 はっきりいって私の宝物だ。
  そこへジャスミンが、 いつになく蒼ざめた顔色で、 研究室に入ってきた。 あわてて写真をノートの間に挟んで、 勉強を再開する私。
  ジャスミンは、 研究室に入るなり、 私が放っている「今、 私、 超忙しい。 話しかけるな」ビームを、 お嬢様育ち特有の鈍感バリアーで、 やすやす突き抜けると、
「ちょ、 ちょっと、 ヤギー、 これ見てよ」
  と言いながら、 私のシャツの左袖をひっぱった。
  しばらく、 ジャスミンを無視していた私だけど、 とうとう根負けして、 いかにも面倒くさそうに、 ゆっくりと顔を上げた。 そして、 ジャスミンが私の眼の前でひらひらさせている写真を、 興味なさげにつまみ上げる。
「これ、 この前みんなでキャンプに行ったときの集合写真じゃないか。 ふーん、 ようやく出来上がったんだ」
  棒読みに近い、 抑揚の無い口調の端々に、 関心のなさをにじみ出したつもり。 今、 私、 それどころじゃないんだってば。 忠弘様に見とれて、 勉強がゼンゼン進んでないんだよう。
  でも、 ジャスミンは、 おかまいなしに話し続ける。
「これ、 心霊写真じゃないかと思うんだけど、 ヤギー、 どう思う?」
  心霊写真というフレーズと、 彼女の声色に、 ただならぬものを感じた私は、 もう一度、 注意深く写真を見直した。 心霊写真なんて、 滅多にお目にかかれるものじゃないからね。
  でも、 この写真、 どう見ても、 健全な、 ただの集合写真にしか見えなかった。
「なあんだ。 何が心霊写真だよ。 なんでもないじゃないかよう。 期待して損したね。 さ、 勉強、 勉強」
  私は、 写真を放り投げた。
「キャンプの参加人数覚えてる?」
  なおも、 必死に食い下がるジャスミン。
「8人でしょ。 幹事は私だったんだから、 間違えるわけないよ。 さ、 勉強しよ」
  ため息混じりに答える私。
「写真に写っている人数、 もう一度、 よーく、数えてみて」
  もう一度私の前に写真を突き出すジャスミン。 その剣幕に押されるように、 渋々写真を受け取る私。
「いち、 に、 さん、 し・・・・・・はち。 全員いるよ。 なんの問題もないじゃないかよう。 ひょっとしてジャスミン、 私のことからかってる?」
「あいやー、 分からないの? 全員いるから変なんじゃない」
  ジャスミンは、 顔をしかめた。
「ヤギー、 この写真とったの、 誰だか覚えてる?」
「私だよね。 確か」 
  私の記憶が確かなら、 ジャスミンは、「写真を撮るのが一番うまいのはヤギーだから、 私、 ヤギーに撮ってもらうことにする」って言って、 私にカメラを預けたんだよね。 間違いない。
「私も、 はっきり覚えてる。 この写真を撮ったのは、 ヤギーだよ。 じゃあね、 写真を撮っているはずのヤギーが、 どうしてここに映っているの?」
  ジャスミンの指差すその先に、 私がいた。
  確かに、 ジャスミンの言うとおりだ。 河原で、 テントをバックにとった、 ごくありきたりな仲間内での集合写真。 でも、 ここに、 本来私はいるはずないんだ。 だって、 私はこのカメラを構えていたんだもの。 じゃあ、 みんなから少し離れたところにぽつんと立って、 でも楽しそうにカメラに向かって手を振っているあなたは・・・いったい誰?
  ううん、 私、 知ってる。 あなたが誰か私、 よく知ってるよ。 まさか、 こんなところで会うとは思わなかったけどね。
「これ、 生霊ってやつじゃないかと思うの。 ヤギー、 今すぐ入舸浦に行こう。 天后宮の媽祖さまにお祈りして、 生霊を追い払ってもらおう」
  ジャスミンは自分の信じる中華街の神様の名前を挙げると、 私の腕をぐいっとつかんだ。 彼女、 普段から武術をやってるだけあって、 きゃしゃな腕をしているくせに結構な力なんだよね。 これが。
「い、 いや、 私、 講義があるからさ。 ほら、 ジャスミンだって、 出なきゃだめなんじゃないの?」
  冗談じゃない。 ただでさえ、 碌に勉強していないことがバレバレで教授に睨まれてるのに、 その上、 欠席なんかしたら私、 どうなっちゃうんだよう。
「講義なんて、 どうでもいいでしょ。 それどころじゃないよ。 無理にでも連れて行くからね。 義をみてせざるは勇なきなりっ!」

  結局、 ジャスミンに引っ張られて、 無理やり天后宮まで連れてこられてしまった。
  ジャスミンの仕草を真似しながら、 黒光りする媽祖さまの像に向かってお祈りする私、 いったいなんなんだろうね。 とほほ。
  ジャスミンは、 中国語でわけのわからないことをつぶやきながら、 紙にくるまれた写真を火の中に投げ入れる。 たちまちのうちに、 写真は、 真っ赤な炎に包まれた。
(でも、 あなたは無事だよ)
  例の写真は、 ちゃーんと私のポケットの中に入ってる。 今、 ジャスミンが燃やしたのは、 私が、 ジャスミンの隙を見てすりかえた、 私の大事な中里忠弘様の写真だよう・・・うわーーーーん!

  それから、 この、 一見なんの変哲もない集合写真は、 私の大切な宝物になった。
  私は今でも、 悲しいこと、 辛いことがあると、 この写真を見ることにしている。 そして、 あなたのことを思い出して、 勇気付けてもらうんだ。
  今の私は、 脳みそだけ。 昔、 私と一身同体だったあなた、 私自身の身体は、 どこか私の手の届かない遠い世界に行ってしまった。 でも、 私は決して一人ぼっちじゃない。 私には見ることができなくても、 住む世界は違っていても、 あなたは、 やっぱり今でもちゃんと私のそばにいて、 私のことを見守ってくれている。 今、 こうしている間もきっと。
  そうだよね。

「ねえ、 ヤギー。 中里忠弘のコンサートツアー中止だってさ。 バイクに乗って事故って骨折しちゃったんだって」
  ジャスミンが、 読んでいた音楽雑誌の記事を私に指し示す。
「えっ? マジ?」
  あわてて、 ジャスミンから雑誌をひったくる私。
『中里忠弘、 バイク事故で全治三ヶ月』っていう極太ゴシックの見出しが目に飛び込んだ。
  こ、 これって、 私のせい? 違うよね。 ただの偶然。 そうに決まってるよ。 ははは。

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