このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください


「はい。 他に提案はないですか? 特に女子のみなさん、 何かご意見ありませんか」
  教壇に立っているクラス委員の田中さんは、 救いを求めるようにおろおろ教室を見回した。
  教室の黒板には白いチョークで「タコ焼き屋」「アート展覧会」「カキ氷屋」「ケーキ屋」「メイド喫茶」と書いてある。 今、 学園祭のクラスの出し物を決めているところなんだけど、 木南君が面白半分に提案した「メイド喫茶」がクラスの男連中に大ウケ。 女性票が割れそうなのに対して、 男性票はこの雰囲気だと間違いなくメイド喫茶に集中することは確実。 つまり、 このまま多数決を採れば、 栄えある我が朝日山高校第百五十回学園祭の三年三組の学園祭はメイド喫茶になってしまうってわけ。
「おいおい、 このままだとホントにメイド喫茶になっちまうぞ。 女子どもはそれでいいのかよ」
  提案者の木南君。 クラスの女性陣の非難の目線もどこ吹く風。 足を机にのっけて余裕しゃくしゃくの態度だ。
「いつまでぐちゃぐちゃやってんだよ」
「早く決を取ろうぜ。 決をよう」
  多数決を取るよう催促する男どもの声で教室ががやついた。
「静かにしてっ! もう、 誰か他にいい案はないの?」
「そんなのねえよ」という男どもの声に負けじと田中さんはまなじりをつり上げて教壇をたたいた。 そんな田中さんのことを、 そんなにムキになるなよって男どもはからかい混じりにはやしたてるけど、 田中さんが必死になるのも分かる。 メイド喫茶っていったって、 メイド役は女子に押し付けられるに決まってる。 誰だって、 あんなヘンテコなカッコしてウェイトレスなんてやりたくないよ。 絶対学校中の笑いのマトになるに決まってるんだから。
  でも、 田中さんの必死の呼びかけは空回りするばかり。 女の子たちは後ろのコとひそひそ相談するばかりで、 誰一人として意見を述べようとはしない。 そりゃそうだ。 メイド喫茶を覆すためには男性陣も巻き込めるような案を出さないといけない。 中途半端な提案をすればますます女性票が割れることになってクラスの女の子の恨みをかうだけだもん。 誰だって、 そんな損な役回りをかってでたくはないよね。
  私? 私はどーでもいいよ。 「アート展」をやりたがるようなクラスの連中じゃないことは分かってる。 かといって「タコ焼き屋」だろうが「カキ氷屋」だろうが「ケーキ屋」だろうが、 ものを食べることができない私にとっては目の前でおいしそうに食事をされることは苦痛でしかない。 つまみ食いなんていうお楽しみも私には無縁。 私一人が苦しい思いをするくらいなら、 田中さんには悪いけど私はメイド喫茶でもいいと思ってる。 こんなこと口にしたら、 クラスの女子から裏切りものって思われるかもしれないけどね。
  だから私は、 さっきから、 興奮する男子、 焦る女子を尻目に紛糾するクラス会の様子を後ろの窓際の席でこうして頬杖ついて冷静に眺めていられるってわけ。
「こうして、 ウダウダしててもラチがあかないから時間を区切ろう。 あと、 じゅうびょー」
  木南君は椅子の上に立ち上がると、 おどけた口調で叫んだ。
  クラスの男子勢から拍手喝采があがる。
「ちょ・・・」
  田中さんが絶句しているうちに木南君は、 某有名プロレスラー気取りで片手を振り上げて秒読みをはじめる。
「いーち」
「にー」
「さーん」
  ここはリングサイドかと思うくらいの男子の大合唱。 こうなったら田中さんの「うるさい黙れ!」攻撃はまるで通用しない。 カウントが「はーち」まで進んでクラスの女の子の誰もが自分のメイド服姿を想像しはじめたとき
「はーい」
  と、 のんきな声を出しながら教壇に上がってきたコがいた。 誰かと思ったら、 武庫川あるなだった。
「はーい、はーい、はーい、はーい」
  教壇に上がったあるなは田中さんの鼻先に手をつきつけながら、 壊れたスピーカーみたいにそう繰り返す。 さっきまで立ち上がって大騒ぎしていた男性陣は、 あるなの眠気をさそうような間の抜けた声に、毒気を抜かれたのか、 ぶつぶつ文句を言いながら机に座り込む。
「む、 武庫川さん」
  静まり返った教室に田中さんのうろたえた声だけが響いた。

  あるなは、 みんなの注目を浴びるのが嬉しくてたまらないのか、 田中さんを押しのけて教壇の前に立つと芝居がかった仕草で髪をかきあげてからコホンと咳払い。
  クラスの女性陣は期待と不安がないまぜになったような表情で、 あるなが口を開くのを待った。
「お化け屋敷なんて、 どうかしら、 ねえ」
  いかにも自信たっぷり、 といったふうにゆっくり教室を見回すあるな。
  あるなの提案を聞いたクラスの男子からは失笑、 女子からはため息が漏れる。
「期待させといて、 お化け屋敷ってなによ。 子供じゃあるまいし」
  クラスの女子の声を代弁したのは、 席を離れて、 教室の後ろに一際大きなカタマリを作っていた女の子グループの中心にいた藤永田。 それに同調するように何人かの女の子がうなずく。
  普段はあるなの後ろをついて回るだけの藤永田にしては珍らしい態度だけど、 まあ、その気持ちも分からないではない。 あるながどんな逆転ウルトラCを決めてくれるのかと思ったらお化け屋敷だもんね。 先ほどとは一転、 女性陣から非難の視線があるなに集中した。
「ま、 ま、 ま、 落ち着きたまえ、 私の話を聞きたまえ、 チミたち。 この私がただのお化け屋敷なんて超凡庸な提案するわけないじゃない」
  あるなは、 壇上を右に左に歩き回って、 再びざわめき出した教室を鎮めた。 クラスをまとめることにかけてはのっぽの田中さんより頭一つ小さいあるなのほうが数段上かもしれないと、 傍観者を決め込んだ私は他人事のように思う。
「私が考えてるのは、 そんな子供だましじゃないよ。 もっと、 リアルなやつ。 たとえば、 バラバラ死体が動いたとしたらどうかしら? さらし首がしゃべったらどうかしら? 怖くない? それでね、 バラバラ死体を見て驚いてるカップルの顔写真をばれないように写真撮影して、 出口で写真を販売するの。 次の日はみんなの恐怖に歪んだ顔を廊下に張り出したりしてさ。 大ウケして大もうけして話題性もバッチリのナイスアイディアだと思わない?」
「いや、 そりゃ、 ホントにそんなことができたらメイド喫茶より面白いとは思うけどさ。 遊園地のアトラクションじゃあるまいし、 高校の学園祭でそんなことできるわけないだろ。 どうせ提案するならよ、 もっと現実的な線を言いたまえ。 チミィ」
  木南君があるなの声色を真似してへらっと笑う。 それで、 男子たちがどっと沸いた。
  だけどあるなは一向にひるむ様子はない。
「それができちゃうんだよねー」
  勝ち誇ったように木南君に言い返したあるなは、 ゆっくり私の方を向いて言葉を続ける。
「ある人が協力してくれれば・・・だけどね」

「ね、 八木橋さん。 せっかくの機械の身体の持ち主なんだからさあ、 それをクラスのみんなのために生かしてみようって思わない?」
  あるなの一言で、突 然クラスのみんなの視線を一身に浴びることになって思わず身を固くする私。 今まで、 余裕しゃくしゃくで傍観者を決め込んでいたのに、 一転してクラスの中心人物に祭り上げられてしまった。 それも、 私が一番望まない形で。
「な・・・な・・・」
  あるなは教壇を降りると、 絶句している私に向かってちょこちょこ早足で歩み寄った。
「八木橋さんはサイボーグなんだから手足を外すくらいわけないでしょ。 八木橋さんならリアルなバラバラ死体役、 できるわよね」
  あるなは、 妙に優しげな作り声で、 そんなことを言いながら頬杖をついている私の腕をなでる。
「あなたの眼ってカメラになってるんでしょ。 あなたを見て驚いた人の顔を映すことなんてわけないよね」
  今度は、 私の眼を興味深そうに覗きこむ。
「あるな。 あんたすごいよ。 いいよ、 それ」
  いつの間にか私たちのすぐそばに来ていた藤永田が腰巾着ぶりを発揮して手放しで喜んだ。
「武庫川さん。 そういうのはあんまりよくないと思うんだけど・・・」
  田中さんは、 クラス委員という立場もあってか、 遠慮がちにそう口を挟んだんだけど
「σ◎◎¬ホホウ! では田中さんはメイド喫茶がいいと、 そういうわけね」
  とあるなに返されて、 言葉を失って黙りこんでしまった。
  分かっちゃいたけど、 誰も私のことなんか助けてくれやしない。 女の子たちはみんな、 メイド姿にならずにすみそうってことで、 むしろ、 あんた、 引き受けなさいよって言いたげな顔で無言の圧力を私にかけている。 男子だって、 私の身体が機械ってことは知ってるだろうけど、 実際のところどんなものか見てみたくって興味深深。 素直にメイド喫茶にすればいいのに。 こんな機械仕掛けの身体なんて見たって何も面白くないのに。
「で、 どう八木橋さん。 引き受けてくれるかなあ」
  あるなは表情だけは優しげに私に向かって微笑んだ。
「あんた、 うんって言いなさいよ」
  追い討ちをかけるように藤永田のスケ番まがいのドスの聞いた声がかぶさった。

「い、 嫌だっ! なんで私がそんなことしなきゃいけないんだよう」
  私は怒りにまかせて二人を睨みつけて机を思いっきり拳で叩いた。 私の剣幕に気おされたように、 藤永田は二三歩後ずさりした。
  ふん、 見かけだおしのびびりやさん。 衛兵がイの一番に逃げ出してどうするのさ。 あんた、 あるなの後ろからいつもそうやっていばってるけど、 ホントは私のことが恐いんでしょ。 義体の力を恐れてるんでしょ。
  藤永田なんか、 どうせあるながいなきゃ何もできない腰巾着だ。 でも、 あるなは違う。 本当に気をつけなきゃいけないのはコイツ。
「あ、 そう、 嫌なんだ」
  あるなは、 怒りに震える私を、 さもおかしそうに余裕たっぷりに眺めたあとで、 こっそり私に耳打ち。
「ねえ、 義体の人が、 生身の人を怪我させたら交通事故と同じ扱いで義体操縦免許が停止になるんだって? この前のこと、 私がケーサツに話したら、 あなたどうなっちゃうのかしらね?」
「そ・・・それは・・・」
  以前、 私があわてて廊下を走ってたとき、 廊下の曲がり角であるなと正面衝突しちゃったことがある。 あるなは、 その時のことを蒸し返そうとしてるんだ。
  あれって、 ホントは私に嫌がらせをしようとして、 あるなのほうからぶつかってきたようなものなんだけど、体重120kgの全身義体とまともにぶつかった衝撃はかなりのものだったみたいで、 あるなはカンタンに吹っ飛ばされて、 廊下に頭をぶつけてのびちゃった。 その時は、 お互いに責任があるってことで、 センセイから廊下を走ったことを厳重注意されただけで済んだんだけど、 きちんと法律に照らし合わせて考えたら、 実はそれだけじゃすまないって私は知ってた。 だから、 あるなにその時のことを持ち出されたらどうしようって思ってずーっとビクビクしてたんだ。
  義体は私の身体ではなく、 あくまでもモノ。 いろんな法律があってややこしいんだけど、 分かり易く例えれば義体は私の所有するクルマみたいなものなんだ。 つまり私は義体っていうクルマの運転手ってわけ。 その証拠に全身義体の障害者手帳は、義体の操縦免許証も兼ねていて、これがないと病院以外の敷地には出入りできないことになっている。 だから、 私とあるなが廊下でぶつかって、 そのはずみにあるなを怪我させてしまったとしたら、 それはどんなにあるなのほうに非があったとしても、 警察が法律にのっとって判断すれば私の前方不注意ってことになっちゃう。 で、 義体の運転免許停止、 府南病院で義体操縦の再講習ってわけ。 試験をパスするまで、 ずーっとね。 そんなことしてたらまた留年しちゃうし、 お金だってかかっちゃう。 だから、 あの時のことを警察に話されるのは、非常にマズイ。
  そのことを充分承知のうえで、 あるなは、 私を脅迫してる。
  私は、 ごくりと息を飲み込むと、 ちらりとあるなの横顔を見つめた。 きっと、 猫に追い詰められた鼠みたいな怯えきった眼つきをしているに違いない。
「バラバラ死体役、 引き受けてくれたら、 あの時のこと、 黙ってあげててもいいんだけどなあ」
  あるなは、 再び私の耳元でそう囁くと、 用事は済んだとばかりにさっさと自分の机に戻ってしまった。 藤永田があわててその後を追った。

  手足を外した姿をみんなの前に晒すなんて、 そんな恥ずかしいことできるわけないよ。 そんなことするくらいなら、 タコ焼きなんていくらでも焼くし、 メイド服姿でにこやかに微笑むくらいなんでもない。
(卑怯者っ! そんなに警察に言いたければ、 言えばいいでしょっ!)
  そう、 力強く突っぱねられたら、 どんなにいいだろう。 でも、 こんなふうに機械の身体になってしまっても私の我がままで普通の高校に行かせてもらえてるのに、 そのうえ義体操縦免許まで免停になってしまってさらにおじいちゃんに迷惑をかけるなんて、 そんなことできるわけないよ。
  クラス中の視線を一身に浴びたまま、 私は頭を抱えて考え込む。 でも、 どんなに悩んだところで出せる結論は一つしかない。
「分かったよ。 やればいいんでしょ。 やれば」
  のろのろ立ち上がった私は、 力なく、 ため息混じりにそう言うしかなかった。
  クラスの女の子たちのわざとらしい拍手が空しく教室に響く。 田中さんまで、 ホッとした顔をしているのが、 なんだかたまらなく悔しかった。 結局、 みんな口ではどんな綺麗ごとを言ってても、 自分さえ助かれば、 他の誰かを犠牲にしてもいいって思ってるんだよね。 はは。

  結局、 三年三組の学園祭の出し物は、 他に圧倒的大差をつけてお化け屋敷に決まったのでした・・・orz

  楽しいイベントを待つときって時計の針が意地悪をしてるんじゃないかって思うくらい一日が過ぎるのが遅いくせに、 嫌なイベントを待つときっていうのは、 あっという間に一日が過ぎちゃうもので・・・気がついたらあっという間に学園祭当日———
  お化け屋敷のテーマは高校に伝わる七不思議ということになった。 ほら、 よくあるでしょ。 古くてもうほとんど使わなくなった校舎のトイレの便器の中から血だらけの手が出てくるとか、 理科室の人体標本が真夜中になると動くとかいう類の世にもくだらないあれ。 教室を七つに仕切って、 そういった学校に伝わる七不思議を再現するんだって。
  で、 私の役目は当然のことながら、 一番最後の部屋、 夜中の保健室に現れる動くバラバラ死体役だ。


  夜、 誰もいないはずの保健室からすすり泣きが聞こえます。 声に誘われるように、真っ暗な保険室に入ると布団を深くかぶった女の子がベッドに寝ています。
  ベットに近づくと、 女の子は「助けてよー、 痛いよー、 布団をとってよー」と、 苦痛に歪んだ顔で、 救いを求めるようにあなたを見るのです。 女の子の言うとおり布団を剥ぎ取ってみてびっくり。 布団の中は血で真っ赤。 女の子は手も足ももがれてダルマさん状態。 千切れた手や足は、 あらぬ方向を向いて転がっています。 その姿を見られるや、 女の子は豹変して、 眼をピカピカ赤く光らせながら、 「私の手足を返せ! 私を元に戻せ!」と狂ったように叫んで、 もがれてバラバラになっているはずの手足を、 まるで別の生き物みたいに自在に操って、 あなたに襲い掛かってくるのです。


  これが、 映画部の廣瀬さんから渡された、 「保健室の動くバラバラ死体」のイメージの描かれた絵コンテ。 この絵コンテどおりに私に演じてほしいんだってさ。 で、 私を見て驚いた人たちの姿を義眼カメラで撮影してその写真を販売して、 おまけに次の日にはみんなの驚いた顔を大写しに引き伸ばしたものを「我が校の臆病者」ってタイトルをつけて廊下に貼り出すんだって。 はは。 下らない。 実に下らないよ。 よくもまあ、 こんなこと考え付くよ。ホント。
  これってはっきり言って、 もし私がサイボーグ協会に訴えたら協会の記者さんが喜んで飛びついてくること間違いなしの、 第一級の義体ハラスメントネタだと思うんだけど、 そこはそれ、 クラスの連中もうまく考えたもので、 写真の売り上げの三分の一は私の取り分っていうことにしてくれた。 これはイジメじゃない。 その証拠にヤギーにも労働の対価を充分に与えてるって自分たちに言い聞かせるための巧妙な免罪符だね。
  それに私だって、 毎月の義体維持にずいぶんとお金がかかっていることくらい知ってる。 少しでもお金が手に入れば、 その分おじいちゃんを楽させることができる。 そう。 私が、 ほんのちょっとの間、 我慢すればいい。 こんなの、 ただの身体を生かしたアルバイトみたいなもの。 どうせ私が義体だってこと、 もう学校で知らない人なんていないんだ。 せいぜいみんなを驚かせて、 いい写真をいっぱい撮って稼いでやる。 私もそう自分に言い聞かせて開き直ることにしたよ。

  学園祭のオープンはお昼からということで、 午前中の三組の教室はその最終準備におおわらわ。 大昔の戦争のとき空襲で死んだ「手鞠をつく女の子の霊」役に抜擢された川崎君は、 スカート姿のままでみんなにテキパキ指示を出してるみたいだし、 小さく仕切られた教室の向こう側から、 やれ「ガムテープがなくなったから補充しなきゃ」、 だの、 「そっちもって、そっち、違う、もっと上、上」だの、 みんなのいつになく真剣な声が聞えてくる。 男子の中には、 徹夜で学校に泊り込んだり、 朝の6時から学校に来て準備していた人もいたらしい。
  もちろん私たち「保健室のバラバラ死体」班も大忙し。 学園祭の実行委員と一人二役を兼ねる班長の廣瀬さんの指揮のもと、 大学の医学部に通っているっていう廣瀬さんのお兄さんから借りてきた医学書をそれらしく適当に本棚に並べたり、 保健室の裏手の倉庫にあった使わない埃かぶったベットや仕切りを借りてきたりして、 ホンモノよりだいぶ狭いけど、 なんとか保健室らしい体裁を整えた小部屋を教室の一角に作り上げたのはオープンの1時間前。 最後に凝り性の廣瀬さんが、 自ら刷毛を手にとってペンキを塗りたくって作ったという血だらけのシーツをベットの上にかぶせて「恐怖の保健室」が完成したときには、 誰からともなく拍手が沸き起こる。
  みんなで一生懸命頑張って同じゴールに向って走ていくっていうのは、 陸上にたとえれば駅伝みたいなものだろうか。 一人黙々と何かに打ち込むのも悪くないけど、 こうしてみんなの協同作業で、 大きなモノを作り上げるっていうのもタマには悪くないよね。
  でもね、 まだ、 これで終わったわけじゃない。 「恐怖の保健室」の舞台装置の中でまだ、 一つだけ仕上がっていないものがありました・・・。

「さて・・・」
  やっぱりというか当然というか、 イの一番にバラバラ死体班のメンバーのとして名乗りを上げたあるなは、 自分の出番が来たとばかりに班長の廣瀬さんを差し置いて楽しそうに仕切り始めた。
「では、 みなさん。 最後の作業に取り掛かりますか、 ねえ」
  あるなは、 ごちそうを食べ終わって、 最後のお楽しみのデザートが出てくるのを、 ワクワクしながら待っているかのような、 そんな期待に満ちた眼で、 ちらりと私のほうを見た。
  あるなの言葉が引き金になって、 私以外の六人の十二の好奇の視線が一斉に私に集中する。 そう。 最後の作業、 それは私の手足を外してバラバラ死体を作るってこと。
  自分でもとっくに覚悟は決めてたことだけど、 イザその時を迎えてみると、 遥か昔に失ってしまった心臓をぎゅっと握り潰されたような気がして胸が苦しくなる。 もちろん全部錯覚なんだけどね。
  反射的に後ずさりする私を逃がすまいと、 ぐるっと私を取り囲む女の子たち。 あるなの一派で固められたメンバーの中で、 ただ一人味方になってくれそうな廣瀬さんですら、 私を助けることよりも自分の手がけた演出を完成させることのほうが大事なのか、 少し離れたところから黙って私たちの様子を見守ってるだけ。
「あら。 バラバラにされるのが恐いんだ? もし恐いなら、 泣いたっていいんだよ。 もし泣いちゃうようなら、 さすがにかわいそうだからやめてあげる」
  私の表情に怯えの色をみてとったあるなは、 口調だけは優しげにそんなことを言う。 もちろん、 あるなは私が泣くことができない身体なのは知っている。 「やめてあげる」気なんかこれっぽっちもありはしない。
「べっ、 別に恐くなんかない。 こんなの、 ただの割のいいアルバイトじゃないか」
  誰も助けてくれるはずがない。
  そう観念した私は、 精一杯の強がりを言ってみんなに背を向けると、 血まみれのシーツの上に突っ伏して両眼をぎゅうっとつむった。 別に泣いてるわけじゃない。 手や足を自分で外すにはサポートコンピューターにアクセスして指示を出さなきゃいけないんだ。 ここにパソコンでもあれば、 サポートコンピューターの画面をパソコンのディスプレイに表示させるところだけど、 こんなとこにそんな気の利いたものなんてありはしない。 ってことは義眼をディスプレイ代わりにしなきゃいけないんだけど、 そうすると、 サポートコンピューターにアクセスするとき、 どうしたって眼が変な色に光っちゃうからね。 そんなとこみんなに見られるなんて嫌だもん。 だから、 眼をつむったんだ。 余計な情報が眼に映らないほうが集中できるしね。

  眼をつぶってサポートコンピューターにアクセスした私の視界いっぱいに、 まるでコンピューターディスプレイの中に引きずりこまれたみたいに、 様々な情報を表示したウィンドウが映し出された。 私は、 念じるだけで思いのままに動くカーソルを使って、 まるで大きなお屋敷の中を気軽に散歩するような感覚で、 サポートコンピューターを操っていく。
  頭で念じるだけでコンピューターを操作するっていうのは、 義体操作のイロハのイってことで、 特殊リハビリ課程で嫌というほど叩き込まれることの一つ。 はじめはなんだかとってもヘンな感じがしたし、 一般生活限定の義体操縦免許もギリギリで取れたっていうくらいで、 実は今でも苦手なんだけど、 この程度のカンタンな操作なら私にだってできる。 行く手を遮るドアを次々に開けながら長い通路を走りぬけていくような感覚で、 私の意識はサポートコンピューターの義体の設定画面の奥深いところにある「手足の着脱」という項目にたどり着いた。
  そして
(えい!)
  実感を伴わない、 思念だけのクリック。 同時に左腕の付け根から、 かちり、 と人工関節のロックが解除されるかすかな機械音がした。
「これで、 左腕、 外れるから」
  眼を開けて、 みんなのほうに向き直った私はそうつぶやきながらセーラー服の袖口に右手を突っ込んで、 左腕をぐいっと引っ張る。 軽い手ごたえをともなって肩の付け根の部分から左腕が外れた。 私は、 まだ身体とつながったままのコードを傷つけないよう気をつけながら、 ゆっくりと左腕を引き出し、 そっとシーツの上に置いてふぅっと大きなため息をついた。
「あとはね、 腕と身体をつないでいるコードのコネクターを外していくだけ。 もう一回腕をくっつけるときは、 同じ色のコネクター同士をつなげるんだ。 くっつけるときは、 みんなにも手伝ってもらわなきゃいけないから、 ちゃんと覚えてね」
  外れた左腕を一目見ようと私に密着せんばかりに集まったみんなに向かって、 色とりどりのコードのコネクター部分を手にとって説明。 だけど使えるのが右手一本だと、自分ではなかなかうまくコードを外せない。 まごつく私をみかねた廣瀬さん、
「これを外せばいいのね」
  緊張した面持ちでつぶやくと、 コードを取り上げて、 私の代わりに注意深くコネクターから引き抜き始めた。 コネクターが一本外れるごとにだんだん左腕の感覚が薄れて、 自分の腕ではなくなっていくのが実感として分かる。 廣瀬さんが緊張で額に汗をにじませながら最後に残った一番太い緑色のコードを抜くと、 私の左腕は、 完全に私の身体から離れて、 血まみれのシーツの上に置かれたただのモノになった。

「うわ、 おもしろーい。 人間の手にしか見えないのに、 やっぱり機械でできてるんだあ」
  外れた私の左手を勝手に取り上げたあるなは、 義手の断端からだらしなくぶら下がっているコードをつまんだり、 指を曲げたりして私の左手をもてあそぶ。 あげくのはてには、
「ほら、 これがホントの孫の手」
  なんて言いながら、 義手を使って背中をかく真似までしてくれた。
「手だけっていっても、 機械だけに結構重たいんだね。 持ってるだけで疲れちゃった」
  あるなは、 ひとしきり私の左腕で遊んだあと、 私がいちばん気にしていることをピンポイントで言い放つと、 まるでおもちゃに飽きた子供みたいに無造作に私の腕をベットに放り投げた。
  たとえ機械でできてる腕だって、 自分の大切な身体には間違いないんだ。 なのに、 安物のおもちゃみたいなこの扱い。 こんな屈辱ってあるだろうか。 「孫の手」まではなんとか我慢したけど、 私、 もう限界だよ。 たとえ機械でできてたって、 大切な私の手であることには間違いないんだ。 それをあるなに分からせてやらなきゃいけない。
「あるなっ! 私の腕をモノ扱いするなっ!」
  私は今までためにためた心のイライラをすべて吐き出すような勢いであるなを怒鳴りつけた。
  今度は自分の番だとばかりに、 私の腕を嬉しそうに手にとった藤永田が、 私の剣幕にひるんで、 こそこそ腕をベットに戻す。 でも、 当のあるなは一向に悪びれた様子もなく私の言葉を受け流した。
「σ◎◎¬ホホウ!! 面白いことを言いますな。 あなたの言う『私の腕』って、ひょっとしてこの人形の腕のこと?」
  もう一度、 私の左腕を手を伸ばすあるな。 私はあわててひったくって胸に抱いた。
「私は人形じゃないっ!」
「そうそう。あなたは人形じゃないよ」
  あるなは、 くすくす笑いながら私を指差した。
「あなたはこの人形の中に住んでる脳みそなんだよね。 知ってるよ、 そのくらい」
「そ、 そんな・・・」
「あら、 黙っちゃった。 違ったっけ?」
  私はなんとか言い返してやろうとしたけど、 でも、うまい切り返しが思い浮かばない。
  だって、 あるなの言うことは、 全く正しいんだもの。 部分義体みたいに、 身体の一部を機械に置き換る程度ならまだしも、 今の私にとって、 間違いなくホントの私っていえるのは脳みそだけ。 この身体は、 どんなに言い繕ってみても、 結局は私じゃなくて、 私をかたどった、 ただの人形なんだもの。
  下をむいて俯いたさらに私を痛めつけるべく、あるなは言葉を続ける。
「あなたの人形を作るのに、 どれだけのこくみんのゼーキンがかかってるか知ってる? つまり、 この人形はあなただけのものじゃなくて、 私たちみんなのものなの。 分かった?」
  そんなむちゃくちゃな理屈ってあるだろうか。
  この身体は親の残してくれた事故でおりた保険金で買ったもの。 それに、 毎月かかる少なくない義体の維持費用は、 おじいちゃんが一生懸命働いて払ってくれている。 私が維持費は保険金の残りとバイトで何とかするって言ったとき、 おじいちゃんは、 そのお金は裕子の将来のために今は使わずにとっておくんだって、 私のこと怒ったっけか。
  確かに義体の制作費や、 維持費の半分は国の税金で賄われている。 そんなことくらい私だって知ってるよ。 でも、 残りの半分は、 私たちの家族が払っているんだ。 あるなから見ればただの機械かもしれないけど、 この身体は私や私の家族の血と汗でできているようなものなのに。 それなのに、 それなのに・・・。
  怒りに震える私の耳元であるながささやく。
「分かってると思うけど、 今度私に逆らったら、 『あの時のこと』本当に警察に言うよ・・・」
  今、 ここであるなをひっぱたくことができたら、 そして、 私や、 私の家族をバカにするなって叫ぶことができたらどんなにすっきりするだろう。 でも、 私があるなのことを叩いたら、 今度こそ確実に義体免停で、 病院っていう名前の牢屋に放り込まれて再訓練だ。 そんなこと、できるわけないじゃないか。
  結局今の私にできるのは、 唇をかんで、残った右腕の拳を握りしめて、 恨みがましくあるなを睨みつけてじぃっと屈辱に耐えることだけ。


「さ、 時間もないことだし、 ちゃっちゃと残りの手と足も外しちゃおう。 みんなも手伝って」
  あるなは、 そんな私をさもおかしそうに眺めたあとで、 みんなに向かって言った。

「はい、 手を握ってー」
  廣瀬さんの合図に合わせて、 廣瀬さんに抱えられた「ニンゲンの右腕」がぎゅうっとにぎり拳を形作る。
「はい、 手をひらいてー」
  今度は反対に、 固く握られたこぶしが開かれる。
  廣瀬さんの指示通り自在に動く「ニンゲンの右腕」。 ハタから見たらなんとも奇妙というか、 不気味な光景。
  でも、 廣瀬さんが超能力者で、 自慢のESPを駆使して「ニンゲンの右腕」を動かしているってわけじゃなくって、モチロン種も仕掛けもある。 よーく見れば「ニンゲンの右腕」の根元にあたる部分から、 赤いコードが伸びているのが分かるし、 そのコードの行き着く先は、 血だらけのベットに寝かされた私の身体の右腕の付け根の、 もともと私の右腕がくっついていたトコロ。 つまり、 廣瀬さんの抱えている「ニンゲンの右腕」は私の義手で、 腕を動かしているのは私自身ってわけ。
  私の右腕は廣瀬さんが抱えてるけど、 じゃあ右手や右足はっていうと、 これも全部私の身体から外されて、 ベットのすぐ横にある保健室の先生が座っているところっていう設定の机の上に、 倉庫に捨てられた壊れたマネキン人形の手足みたいに無造作に折り重ねられて置かれてる。 つまり、 今の私は、 手も足も外されて、 自分独りじゃ身動きもままならないダルマさん状態で、 ベットの上に仰向けに寝かされてる状態。
  両手両足の関節のロックは、 さっき左腕を外した時みたいにサポートコンピューターに指示を出せばカンタンに外れる。 あとは、 みんなで手分けして、 腕や足と身体をつなぐ電源コードを引き抜いていくだけ。 だから、 五体満足な私が、 こんな情けない姿になるのに、 ものの5分とかからなかった。
  でもそれだけじゃ「動く」バラバラ死体とはいえない。 外した手足もちゃんと動かせなきゃいけないよね。 と、 いうことで、 廣瀬さんが、 あらかじめ電気屋さんで買ってきた延長コネクターを使って、 外した両手足と身体を接続。 これで、 身体から外された手足もちゃんと動かせるようになって、 名実ともに動く死体のできあがり。 今はそのテスト中ってわけ。 はは。
  もっとも、 コードだらけの身体じゃ見に来るお客さんは興ざめだろうってことで、 手足と身体をつなぐのは、 目立たないように血糊と同じ赤い色に塗ったメインケーブル一本だけ。 だから、 義手義足の人工筋肉に電気を送り込んで思い通りに腕を動かすことはできても、 動かしているっていう実感はないし、 4kgという重さの私の右腕を両手でがっちり抱え込んでいるはずの廣瀬さんの肌の柔らかな感触も、 私には全く伝わってこない。 なんの感覚もないのに、 一応は思い通りに動く、 身体から切り離された私の右腕。 自分のもののような、 そうでないような、なんとも形容しがたい不思議な感覚。 自分の意思で動かしているとはいえ、 見ていて気持ちのいいものじゃない。
  でも、 ベットに寝かされた私と、 私の枕元に座って入念に右腕の動作チェックをしている廣瀬さんを取り囲む女の子たちは、 三流ホラー映画まがいの光景が目の前で展開されているっていうのに恐がるどころかとっても嬉しそう。
「うわ! 面白—い。 ちゃんと動くじゃん」
「じゃんけんしよう。 じゃんけん」
「こっちの足も動かしてみてよ」
  私が手のひらを開いたり閉じたりするたびに沸き起こる黄色い歓声。
  まるで新しいおもちゃを与えられた子供みたいに目を輝かしながら、 みんな好き勝手なことを喚きたてる。 保健室を作っているときは廣瀬さんと私だけが頑張っていて、 他の子はみんなかったるそうにしてたくせに、 こんなときだけ生き生きしちゃってさ。 あんたたち、 バカじゃないの?

「じゃ、 次。 カメラのチェックをします。 写真係、 用意はいい?」
  私の手足が一通り動くことを確かめた廣瀬さんは、 てきぱき次の指示を出す。
「オッケイ!」
  歯切れのいい返事をしたのは写真係に任命された天野さん。 私からは見えないけど、 教室の出口にデンと置かれたパソコンの前に陣取って、 モニター画面を見つめているところに違いない。
  天野さんの仕事は、 私が義眼カメラで撮った画像をプリントアウトして、 その写真をお客さんに売りさばくこと。 だから天野さんのパソコンから私の寝ているベットの下まで伸びるケーブル線は、 目立たないようにシーツに空けた穴をくぐり抜けて私の首筋の端子コネクターとしっかり繋がってる。 つまり、 今私の見ている光景は、 そのままリアルタイムで天野さんの眺めているモニター画面にも映し出されるってわけ。
「ちゃーんと、 センパイの見ている景色がこっちのパソコンにも写ってるよ。 なんだか自分がセンパイになったみたいで、 おもしろーい」
  天野さんの声つられるように、 今まで私のまわりにいた女の子たちが、 一斉にパソコンの方へ向かった。
「じゃあ、 これから試し撮りをします。 八木橋さんも、 天野さんも準備はいいね?」
  場を仕切る廣瀬さんの声が次第に熱を帯びる。 何しろ、 この写真の売り上げいかんでみんなの懐に入るお金が違ってくるんだ。 そりゃあ、 気合も入ろうというもの。
「じゃ、 モデルは私。 うまく撮ってね」
  目立ちたがりのあるなは、 誰からも頼まれもしないのに、 勝手に私の目の前にしゃしゃり出て、 グラビアアイドルにでもなったつもりなのか腰に手をあててポーズをとってみせる。
「武庫川さん。 それじゃ意味ないでしょ。 ちゃーんとお客さんがやるみたいにベットに寝てる八木橋さんを上から覗き込むようにしないと。 これはシミュレーションなんだから」
「はいはい。 わかりましたよ。 大監督さん」
  大げさに肩をすくめるあるな。 渋々ながらも廣瀬さんの指示に従って、 私を覗き込む。
「あ。 ちゃーんと、 こっちの画面にもあるなが映ってる。 あるな、 手を振って見せて」
  天野さんのリクエストに応えて笑いながら私に向かって手を振るあるな。 彼女の姿を義眼ディスプレイに映し出されるカメラモードの四角いグリッドにうまくあわせて・・・
「いち、 にー、 さん!」
  廣瀬さんの掛け声にあわせてシャッターを切る。 と、 いっても、 実際に身体のどこかにボタンがあって、 手でそれを押したりするってわけじゃない。 私の義眼は、 言ってみれば常に動画を取り続けるビデオカメラみたいなもの。 写真を撮るっていっても、 実際は、 ひたすら撮り続けている動画のある一点だけを切り取って、 サポートコンピューターにアクセスして画像をサポートコンピューターに保存するだけ。 だからシャッターを切るっていっても手を使うって訳じゃなく、 全部私の頭の中だけで完結してしまう。
  でもね。 だからって面と向かって隠し撮りできるかっていうと、 そういうわけでもない。
  画像を保存するためにサポートコンピューターにアクセスするとき、 どうしたって眼が変な色に光っちゃうから、 私がシャッターを切るタイミングはハタから見れば丸分かり。 それに、 普通の人は眼なんか光るはずないから、 義眼カメラを使うだけで、 見る人が見たら私が義体だってことがバレバレになっちゃう。 だから、 この機能、 ホントは誰も見ていないところでこっそり写真を撮るときくらいしか使いたくないんだよね・・・。
「ふふふ。 写真を撮るとき怪獣みたいに目が光るっていうウワサはやっぱり本当だったんだね。 これ、 暗いところでやったら子供は間違いなく泣いちゃうね」
  案の定あるなは、 写真を撮られた後で、 思いっきり私に顔を近づけると、 私の機械の眼を興味深そうに観察。 そう。 こんな私を見たら、 私の光る眼を見たら、 別に手足がバラバラじゃなくても子供は恐がって泣くだろう。 ホンモノのお化けって思うだろう。 だからこそ、 みんな私に写真を撮らせたいんだよね。
「オッケイ。 あるなの写真、 バッチリ撮れてるよ」
  早速プリントアウトした画像を持ってくる天野さん。 わっと写真の周りに群がったみんなは、
「さすが機械の眼。 すごい画素数だね」
「一家に一台八木橋さん欲しいなあ」
  なんて私の気持ちなんかおかまいなしに、 好き勝手な感想を言ってくれる。 だいたい私は家電製品じゃないんだ。 台なんて数詞で数えるなっ!
  あるなはといえば
「モデルがいいのよ。 モデルが」
  と、 自分の写真映りにご満悦。
  自惚れるのもいい加減にしてほしいよね。 こんな画像、 サポートコンピューターの容量の無駄使いだよ。 すぐデリートしてやるんだから。
  私がベットの上で一人膨れっ面で憤慨していると、
「八木橋さん。 ありがとう。 私もお返ししてあげるね。 ほら」
  急に私に近づいたあるな。 ポケットから取り出したのは携帯電話を取り出して、 私の目の前でわざとらしくちらつかせたかと思うと、 動作チェックが終わって無造作に机の上に放置されていた私の手足を、 八百屋さんか魚屋さんの売り物みたいに丁寧に私の体の横に並べ始める。 そして、 携帯電話に備え付けのカメラのレンズを私に向けた。
「なっ、 なにするんだっ!」
  私はとっさにあるなのカメラから身を守るために腕を動かそうとした。 でも、 すぐに腕は私の身体から外されて、 ベットの両脇に転がっているってことに気がついて絶望的な気分になる。
  こんな人間離れした姿を撮られるなんて、 ジョーダンじゃない。 こんな姿を撮られるくらいなら、 まだ裸を撮られるほうがましなのに・・・。
「ただの記念写真だよ。 そんな顔しないで笑おうよ。 ほら、 みんなもベットの周りに集まって」



  あるなの呼びかけに応えてみんながベットのまわりに集まる。 もちろん、 仲良く並んでポーズなんていう大人しい連中じゃない。 私の手足を抱きかかえたり、 手足の付け根から伸びるコードを引っ張ったり、 あるなの目論見どおりにめいめい好き勝手に私の身体をおもちゃにしてやりたい放題。
  とうとうあるなの写真が引き金になって、 みんなで携帯をとっかえひっかえ、 私を囲んでの即席大記念撮影会がはじまっちゃった。 バカみたい。 このクラスはバカばっかりだよ・・・orz

  もうすぐお昼休み。 っていうことは、 お化け屋敷の公開まで残された時間はあと少し。
  廣瀬さんは最後に仕上げに私の顔に死体らしいメイクを施すため、 映画部の部室に化粧道具を取りに行った。 他のみんなは少し早いお昼休みをってことで、 連れ立って食堂にでかけちゃった。 だから、 ガランとした教室に残されたのは、 食事もできず身動きもできず相変わらずベットに寝かされている私と、 それから何故かあるなと藤永田。
「さてさて」
  あるなと藤永田は廣瀬さんが出て行くのを見計らって、 お互いの顔を見合わせて意味ありげに目配せ。 なんだか嫌な予感しかしない。
「ねえねえ。 八木橋さん。 バラバラに分解されちゃった気分はどうかしら?」
  あるなは枕元で頬杖をつくと、 ペットでも可愛がるみたいに、 態度だけは優しげに私の頬っぺたをなでた。 こうときのあるなは何か私を苛める手立てを考えているって相場が決まってる。 その証拠にあるなの後ろで、 藤永田が私を見下ろしながら、 意地悪そうに唇をつり上げてニヤニヤ笑いを浮かべてるじゃないか。
  はっきり言って、 あるなのうざったい手を払いのけて、 今すぐにでもこの場を逃げ出したい。 でも、 私の手足は、 さっきの記念撮影のあと、 もう一度コードを付け直して動くようにしてもらえたとはいえ、 四つまとめて机の上。 これじゃあ逃げ出すことなんかできやしない。
(何が、 気分はどうかしら? だ。 ただ私を馬鹿にして優越感に浸りたいだけじゃないか)
  あるなの挑発的な言い草にむっとした私は、 精一杯強がって、 ぷぃっとそっぽを向いた。
  あるなは、 そんな私の頭をぐいっと掴んで無理やり自分のほうを向かせる。
「σ◎◎¬ホホウ! !すいぶん反抗的ですな。 いいの? そんな態度で? ふっふっふっ」
  指先で私の鼻の頭を突いて今現在の力の差を見せ付けたあとで、 藤永田と顔を見合わせて意地悪く笑うあるな。 私がなおもだんまりを決め込んでいると、 だしぬけに腕を伸ばして私の制服のスカートをぺろんとめくった。
「なっ、 なにするんだ!」
  私は反射的に足をバタつかせて必死の抵抗を試みた・・・つもり。
  でも肝心の私を守ってくれるはずの両足は机の上だってことを、 またしてもすっかり忘れてた。 私の両足は釣れたての魚みたいに机の上をぴちぴちでたらめに跳ね回ったあげく、 床に転げ落ちて、 鈍い音をたてる。 そのショックにせっかく私の身体と足をかろうじてつなげてくれていたコードがプツンと外れて、 突然電気の供給元を断たれた義足は、 膝を曲げたまま死んだように動かなくなってしまった。
「バタバタうるさいなあ」
  あるなは、 大げさに眉をしかめてから後ろを振り返ると、 机の上で激しく動き回る残された私の両手を、 魚をさばくスシ職人みたいな動作で押さえつけて、 私の手と身体を繋いでいる赤いコードをぷつぷつ勢いよく外してしまった。 そして、 言葉を失い呆然としている私に向って、 バラバラの手足を無造作に放り投げていく。
「ひっ!」
  あるなの放り投げた義足が頭にぶつかって私は軽く悲鳴を上げた。 もう抵抗する気持ちなんて、消えうせた。 たとえあったとしても手も足も失った私に抵抗する手段なんて残されてない。 猫に追い詰められた鼠だって必死の抵抗をするっていうのに、 今の私は抵抗すらできず、 何か奇跡でも起こらないかと怯えた目つきで周りを見回すだけ。
  あるなは、 そんな私をひとしきり嬉しそうに眺めたあとで藤永田にめくばせ。 うなづいた藤永田が私の口を塞いだのを確認すると、 もう一度、 今度は勢いよくスカートを捲り上げる。 ふわり。 スカートの軟らかい生地が私の頬にかかった。
  ちょこんとベットに飛び乗ったあるなは、 私の顔に覆いかぶさったスカートをどかすと、 勝ち誇った薄笑いを顔に浮かべながら私を見下ろした。
「私、 前から気になってたことが一つあったんだけどさあ、 機械の身体でも、 あそこってちゃんとついてるわけ? ちょっと、 確かめさせてよ」
  顔をよせて、 私の耳元でそうささやいたあるなは、 そのまま視線を下のほうにずらしていく。
「たっ、 た、 た、 助けてっ!」
  恐怖のあまり思わず言葉を失っていた私だけど、 ようやくのことで声を絞りだして叫んだ。 口を塞がれているから、 そんなに響かないけど、 でもはっきりした叫び声。 私の声は、 喉の奥のスピーカーから出る電気合成音だから、 口を塞がれたって、 しゃべることくらいできる。
「あんたたちのやってることは、 犯罪だっ!」
  私の言葉に怯んだのか、 口を塞ぐ藤永田の手が心なしか緩む。 藤永田が救いを求めるようにあるなを見るのが分かった。
「ふーん、 口を塞いでも声は出せるんだ。 さすが機械だね」
  でも、 当のあるなは感心したようにそうつぶやくだけで、 いっこうに動じる様子はない。
「犯罪? なんで、 なんで? こんなの、 ただの人形遊びじゃない? 八木橋さんと私と響子の三人で、 八木橋さんの持ってる人形で遊んでいるだけ。 それのどこがいけないの?」
  さかんに人形と繰り返すことで私を言葉で痛めつけるあるな。 私のかぼそい反抗は、 かえってあるなの嗜虐心に火をつけただけだった。
「さーって、 ここはどうなってるのかなあ」
  とうとう、 あるなの手が私のショーツにかかる。 足なんてついてないんだ。 ショーツを脱がすことくらいわけないはず。 でも、 それじゃあ私を苛めたりないらしい。
  すーっ。
  あるなの指先が、 いったんショーツから離れて私の股の間をじらすようにゆっくりと走る。
「うっ!」
  それだけで、 私の背筋を快感が走り抜けた。 堪えきれず、 ひくん、 と身体を震わせる私。
  手足の自由を奪われて、 言葉でさんざん痛めつけられたあげく、 あそこを弄られる。 そんなの普通だったら不快感こそあれ、 感じことなんてゼッタイない。 でも、 作り物の人工性器に、 私の感情と快感の度合いをリンクさせるなんていう器用な芸当ができるはずもなく、 性器が受け取った刺激をそのまま忠実に快感信号にして脳みそに送り込んでくれる。 なんてバカな身体なんだろう。 こんなことで感じちゃうなんて、 私ってなんて情けないんだろう。
「ねえねえ。 ひょっとして今、 感じちゃった? 気持ちよかった?」
  あるなは、 再び私の顔を覗き込んで、 くすりと笑った。
「この程度で身体をひくつかせるなんて、 ひょっとしてコイツってインラン?」
  あるなの堂々たる開き直りっぷりを見て心に余裕がでてきたのか、 藤永田も普段の底意地の悪そうな表情を取り戻す。
「そんなわけないじゃないかっ。 やめてっ!」
「ふーん。 じゃ、 もう少しいじってみようかな。 今度は直接ね」
  もう一度ショーツに伸びるあるなの魔の手。 今度こそ本当に脱がす気だ。
「だだだ、 だめ。 だめ。 本当にだめっ。 お願い、 あるな。 やめて。 誰かっ、 助けてっ!」
  やめて、 なんて言ったところでやめてくれるようなあるなじゃない。 そんなこと分かってるけど、 叫ばずにはいられないよ。
  だって、 ショーツ越しであれなんだ。 直接さわられなんかしたら、 悔しいけど、 すぐに我慢できなくなるに決まってる。 もし、 こんなカッコのまま、 あるなの指だけでイカされてしまったら、 それをネタに何を言われるかわかったもんじゃない。 ああ、 こんなときこそ節電モードになってほしいのに・・・。 そうすれば、 何も感じなくなるのに・・・。
  私は息を飲み込んで、 眼をぎゅっとつぶって、 歯を食いしばる。 なんとしても快感に耐えなきゃいけない。 何をされても平常心でいなきゃいけない。 いつになるか分からないけど、 誰かが私を助けに来てくれるまで・・・
  私が悲惨な覚悟を決めたちょうどその時、
「武庫川さん。 やめなさい!」
  誰もいないはずの教室に響く鋭い声。
  視線を横にずらすと、 メイク道具の入った箱を抱えた廣瀬さんが、 厳しい顔をして立っていた。
「廣瀬さん・・・」
  救いの女神様の登場に私は思わずふぅっと安堵のため息を漏らす。
「むぅ」
  あるなは面白くなさそうに唸りながら、 私のショーツにかけた手を渋々戻して立ち上がる。 さすがのあるなも逆らえない有無を言わさぬ雰囲気を、 この孤高の芸術家肌の少女は持っていた。
「何バカなことやってるの。 これから、 顔の化粧もしなきゃいけないんだから邪魔しないで」
  そう言って軽くあるな達を一蹴した廣瀬さん。
「廣瀬さん、 ありがとう」
「っていうかねえ。 オープンまでもう時間がないんだから、 遊んでいる暇なんてないの。 さっ、 メイクやるよ」
  恐縮しながらお礼を言う私にすら廣瀬さんは事務的に返答して、 持ってきた箱を開いて何やら化粧道具を机に並べ始める。 その時は、 この人は照れ隠しをしているだけで実はイイ人。 ちょっと、 とっつきづらくて何を考えているのか分からないところがある人だけど認識を改めなきゃ、 なんて素直に思ったよ。 でもね、 そんなのすぐに私の間違いだって思い知らされた。
「そうだ!」
  私の顔に白いパウダーを塗りたくりはじめた廣瀬さん。 ふと手を休めると私の首をまじまじと見つめる。
  義眼カメラで撮影した画像データを備え付けのパソコンに送り込むために、 首のところにある端子コネクターを使っているから、 私は今はカムフラージュシールは貼ってない。 だから、 私の首をよーく見れば、 首の周囲をぐるりと取り囲むようにうっすら肌の継ぎ目があるのが分かっちゃう。 廣瀬さんは、 その私の肌の継ぎ目に沿ってすうっと指を這わせながらこんなことを言ったんだ。
「八木橋さん。 外せるのは手足だけ? どうせなら、 首も外さないの? そうすれば、 しゃべる晒し首ができるじゃない。 お客さんが布団をめくったときのインパクトは、 そっちのほうがずっーとあると思うんだけど」
「あ、 あの、 頭だけは危ないから自分では外せなくって、 検査のときにお医者さんしか外せないようになってて・・・」
  あわてふためいて、 こんな説明をしなきゃいけないなんて空しい。
  確かに、 手足と同じように、 首だってちゃんと外れるようになってます。 現に、 この義体に換装する前に、 自分の生首姿を見ています。 大掛かりな入院検査の時は、 首だけじゃなくって、 胴体から何から全部バラバラに分解されることも知ってます。 だから、 晒し首だってやろうと思えばできるでしょう。 でも、 それはあくまでもお医者さんがそばについてくれていて、 身の安全が確保されているっていう前提での話。
  私はこんな身体だけどそれでも一応人間なんだ。 ロボットみたいにAIのメモリーさえ残っていれば、 なんかの事故で首が切れたとしても、 すぐに修理して復活なんてことはできないんだよ。 首を外すってことは、 頭と身体をつなぐのは細くてたよりないチューブやコードを無防備な状態で外に晒さなきゃいけないってこと。 だから、 もし、 何かの事故で合成血液を脳に送りこむ血管がわりのチューブ切れたりしたら、 私、 あっという間に死んじゃうんだよ。 こんなお遊びで、 身を危険に晒すなんて、 そんなこと恐くてできるわけないじゃないか。 義体の人だって同じ人間だって思う気持ちが廣瀬さんに少しでもあれば、 そんなことくらいすぐ分かりそうなものなのに・・・。
「そっかー。 つまんないな。 首が外せれば、 もっと良い演出ができるのに・・・」
  残念そうに大げさな溜息をつく廣瀬さん。
  私の身体をおもちゃがわりにして遊ぶあるなも、 私の身体を自分のゲージュツ作品を完成させる道具としか見ていない廣瀬さんも結局おんなじ。 どっちも私を人間扱いしてくれないことには変わりないよ。 みんなにとっての私って何? 超高性能デジタルカメラ? お人形さん? それとも芸術を完成させるためのモチーフ? みんなと同じ人間って思ってくれる人はいないの? いくら身体が機械だっていっても、 私だって生きているし、 冷たい言葉を投げかけられれば傷つきもするんだ。 なんでそんなカンタンなことがこの人たちには分からないんだろう・・・。

  お昼休みが終わりみんなが教室に戻ってくると、いよいよ学園祭も本番。クラスのみんなにとっては待ちに待ったお楽しみの大イベントのはじまり。だけど、見世物になる私にとっては、苦痛以外の何者でもない時間のはじまり。できるなら、見世物になっている間は、サポートコンピューターにあらかじめプログラムされてるしょぼい補助AIに身体のコントロールを全部まかせて、ふて寝していたい気分だ。でも、そんなことできるわけないよ。私は廣瀬さんの筋書きどおりに動くバラバラ死体を演じて、お客さんに驚いてもらって、それでお金を稼がなきゃいけないんだもの。補助AIごときにそんな器用な真似ができるはずがない。だから、やっぱり私は起きているしかないんだ。結局あるな達の思い描いた青写真どおりに行動するしかないっていうのはとっても悔しいよ。けど、そうすることが私にとってもいいことで、必要なことなんだって自分に言い聞かせるしかないよね。
 
  私の見世物タイムは、まずクラスのみんなに私のバラバラ姿をお披露目することから始まった。いくら義体化一級の全身義体っていっても、私の外見はパッと見はフツーの女子高生と変わらない。もちろん、食事を取らないとか、プールの授業で底に沈んだまま浮かび上がってこないとか、目が光るとか、そういったところでなんとなく私の身体が機械だってことは分かるんだろうけど、でも手足を外すなんていうインパクトのある光景にはクラスのみんなにとっても、そうそうお目にかかれるものじゃないからね。ある意味、私のこんな姿を見たくてお化け屋敷の企画をはじめたようなもんだよ。
  私の寝ているベットにみんなを集めたあるなは、もったいつけてコホンと一つ咳払いをしたあと、得意げに布団をめくる。布団の下から現れた血だらけのベットの上で、手足をバラバラにされて横たわっている私の姿を目にしたクラスの男どもから案の定「おおっ」という喜びと驚きがないまぜになったような歓声が上がる。
  肝心な手足の付け根から覗く義体内部の機械部分は、セーラー服やスカートの裾に隠れて見えないことだけが唯一の救い。それでも、予想以上に好奇心にぎらつく男どもの、食い入るような視線に耐えかねて、私は思わず目をぎゅっと目をつぶってしまう。その瞬間、またどっと歓声が沸き起こる。どうやら、身体から切り離された腕が、無意識のうちにシーツをぎゅっと握り締めていたみたい。身体と、コード一本だけで結ばれただけの義手が自在に動くのは、彼らにとって、とってもフシギな光景に違いない。
「八木橋さん、痛くないの?」
  なんて、中には間抜けな質問を私にしてくる奴もいた。
  これには私が返事するより早く、あるなが質問の主にご回答。
「言ったでしょ。八木橋さんの身体はキカイなんだから、こんなことされてもへっちゃらなんだって」
  なんてご丁寧にキカイって部分をやけに強調しながらね。
  でも、こうして私の身体に興味深々の男どもや、私を辱めることに生きがいを感じているように見えるあるなだって、実はまだ、私に関わろうとしてくれるだけましなんだ。私に近寄りもせず、かといって私が見えない場所にも行かず、微妙な位置からずーっと冷たい視線を私に投げかけて、時折気味悪そうに眉をひそめてはひそひそ話しをしている女の子の一団に比べればね。
  女の子たちの中にはギガテックス社の義体暴走事故リコール騒ぎの一件以来、私に近づかなくなってしまった子も多い。むしろ、今回「保健室の動くバラバラ死体」に加わってきた、あるなとか藤永田、変わり者の廣瀬さん、それからもともと陸上部の後輩だった天野さんみたいに私が義体でも平気で近づいてくるコのほうが少ないくらい。
  あのコたちには私の義体は確かに設定をいじれば150馬力の力が出せる仕組みにはなっているけど、普段はリミッターがかかっているからどう頑張っても成人男性に毛の生えた程度の力しか出せないなんてことや、そもそも私の義体はイソジマ電工製でギガテックス社製じゃないからリコール対象外だってこともいっくら説明しても無駄だった。彼女たちにとっては、機械の身体ならみんな危険物ってことになってるらしい。私と握手しようものなら、手を粉々に握りつぶされるくらいに思ってるんだ。
  そういうふうに私を危険物扱いするような子たちに比べたら、何かにつけて私を苛めておもちゃ扱いするあるなやその取り巻きの藤永田達のほうがよっぽどましに思えてくる。もちろん苛められるのは嫌だけど、どうせ機械の身体なんだから、肉体の苦痛とは無縁だし、それに、あるなが私を苛めるのは、よく考えれば私がニンゲンだって思っているからこそ、だよね。でも、この子たちにとっては私はニンゲンですらないんだ。ニンゲンのふりをしている別の薄気味悪い何か、なんだもの・・・。
 
「いよいよ来るよ。八木橋さん、準備して」
  ベットの隣のロッカーに身を隠した廣瀬さんがぼそっと私にだけ聞こえるような小声でささやく。
  隣の部屋から壁越しでもはっきり分かるくらいにこっちに響いてくる男女の笑い声。
  川崎君の時代錯誤のつりスカート、三つ編み姿での、大昔の戦争のとき空襲で死んだ「手鞠をつく女の子の霊」の迷演技にお腹をかかえて涙を流さんばかりに大笑いしているカップルの姿がありありと目に浮かぶ。前の部屋でギャグを入れて油断させてから、この部屋で恐怖のどん底に突き落とす。そういう手はずになっている。
「あー、笑いすぎて苦しい、苦しい」
「今度は何が飛び出してくるんだろうね」
  何も知らずに楽しそうに笑いながら、黒い布でつくった仕切りをめくりあげてこの部屋に入ってくる二人の姿が逆光の中に黒いシルエットで浮かび上がった。この部屋は、いかにもお化け屋敷っていう雰囲気を出すために、私の寝ているベットにスポットライトを当てているほかは真っ暗だからね。
  でも逆光でもすぐに画像補正してくれる私の機械の眼にかかれば、男の子がさりげなく女の子の肩に手をまわしているところも、女の子が男の子に対して屈託のない無防備な笑顔を浮かべるのも丸分かり。二人ともうちの高校の制服姿だけど知ってる顔じゃないから、きっと私とは学年が違うんだろう。こんなところにカップルで来て、私に見せ付けてくれちゃってさ。ふん。気に食わない。全く気に食わないよ。
(せいぜい脅かしてやるんだから)
  私は底意地が悪い気持ちになって、無邪気なカップルの顔を気づかれないように睨み付ける。私だって黙ってみんなの見世物になんかならないんだから。こうなった以上は、こっちだって存分に楽しませてもらうんだから。
 
「痛いよう!痛いよう!」
  私の悲鳴に誘われるように、何も知らないカモが二人、仲良く手を繋ぎながらのこのこ私の寝ているベットのそばにやって来た。
「あのね、身体がとても痛いんだ。なんとかして。助けてよう」
  何度も廣瀬さんに指導を受けた私の迫真の演技に、二人はお芝居ってことも忘れて真顔で顔を見合わせる。
「どうすればいいの?」
  男の子が私に聞いた。
「私にかかってる布団をめくってみて。お願いだよう」
  いかにも意味ありげな私の言葉に女の子がくすりと笑った。
「今度は何が飛び出すのかなあ。楽しみぃ。ツヨシ君、めくってみてよ」
  自分は一歩後ろに下がってさりげなく身の安全を確保しつつ、男の子の肩を押す女の子。
「いようし!」
  ツヨシ君と呼ばれたは男の子は彼女の前で勇気のあるところを見せようと張り切って、私に覆いかぶさっている布団に手をかけて・・・そして思いっきりめくり上げる。
「うわぁっ!」「きゃっ!」
  布団の中から現れた私の身体を見て、二人は眼も口も鼻の穴もぽっかり大きくあけた間抜け面を顔に張り付かせたまま固まってしまう。そりゃそうだ。布団をめくったら、中から出てきたのは、血だらけのシーツの上に横たわった手足バラバラのダルマさんだもん。フツーの女の子がただ寝ているだけと思わせておいて、不意打ちもいいとこだ。ましてや、さっきまでさんざん笑い転げて油断しきってるんだから。
「身体がすごく痛いんだよう。手もちぎれてどこかに行っちゃったんだよう」
  二人が思いっきりドン引きしてることなんかおかまいなしに演技を続ける私。なんとか苦痛に歪んだ表情を作ろうとするものの、実際には痛くもなんともないから難しい。わざとらしくならなきゃいいんだけど。
「誰がやったんだと思う?誰が私にこんなことをしたんだと思う?」
「し、知らない知らない」
  二人は青ざめた顔で、私の問いかけにふるふると首を横に振る。ふふふ。予想通りの反応だね。
  では・・・
「と ぼ け る な! お 前 た ち が やっ た ん だ!」
  唐突に私は声色を100%変えると、さっきまでの痛々しい女の子の仮面を脱ぎ捨てて、おどろおどろしい調子で二人を責めたてる。びくっと二人が肩を震えるのが分かった。そして、
(えいっ)
  二人の恐怖に強張った顔を義眼カメラにばっちり収めてやった。真っ暗闇の中だから、私の眼がいかにも妖しげに光ったのが二人にも見えたはず。
「ひっ!」
  私を見て怯えたように二三歩後ずさりするツヨシ君。女の子は、ひしっとツヨシ君の背中にしがみつく。この期に及んでまだ見せ付けてくれるなんて、ますます気に入らない。
(とどめをさしてやれ)
  彼らが私の姿に驚いてるスキに、私はあらかじめベットの下に隠しておいた義手を手首の力だけでで尺取虫みたいに床を這わせてながら、彼らの足元まで忍びよせた。足元は真っ暗だから、彼らは足元の異物にゼンゼン気がついていない。
(えいっ)
  だしぬけに彼らの足首をぎゅっと掴む冷たい手。これに驚かない人はいないはず。
「うわーっ!」
「キャー、何これ。キャー!」
  案の定二人はさっきまでより軽く一オクターブは高い金切り声を上げながら、あわてふためいて足元を見る。そして自分の足首を掴んでいるのが血だらけのニンゲンの手だってことに気がついて、また悲鳴を上げる。二人は足首を掴む不気味な手を振り払おうとやっきになるけど、ちゃーんとがっちり握ってあげてるんだ。そうやすやすと放すわけにはいかないよ。ふふふ。
「私 の 手 を 元 に 戻 せ!」
  追い討ちをかけるように、私はさっきにも増しておどろおどろしい声で叫ぶ。頃合を見て足首を掴んだ手を離してやると、肝を潰した二人は逃げるように出口のほうへ走り去っていった。
(ふん、いい気味だ。私の前でいちゃついた罰だよう)
  二人の後ろ姿を見送りながら息巻く私。
「いいね。八木橋さん。その調子、その調子」
  ロッカーに隠れてコトの一部始終を見守っていた廣瀬さんから、早速のお褒めの言葉。廣瀬さんは、私の両手をベットの下の定位置に戻したあと、出口のほうを睨みつけならぼそっとつぶやく。
「ああいうのって、嫌だよね」
「ああいうのって?」
「ほら、むやみやたらにいちゃいちゃしちゃってさ。ああいうのって彼氏のいない身にとったら、むかつくじゃない。だから、八木橋さん、よくやってくれた!」
  ぴしゃぴしゃと軽く私の頬っぺたをたたきながら、嬉しそうな廣瀬さん。
「廣瀬さんも、そう思った?実は私も同じこと考えてた。ふふふ」
  廣瀬さんにたたかれながら、思わず私もにっこり。
  思えば今まで、廣瀬さんとこんなふうに親しげに会話したことなんて、なかった。確かに、今の私は、この人にとっては、お化け屋敷っていう自分の芸術作品を完成させるためのモチーフでしかないのかもしれない。それでも、こうして私のことを怖がらずに、自然に話しかけてくれるだけでも嬉しいよね。
  私だってごくフツーの女子高生。目の前でいちゃつかれれば腹も立つし、誉められれば素直に嬉しい。ただ身体が機械ってだけでみんなと何も変わらないんだ。少しづつでいい。ちょっとしたきっかけで、こんなふうに話しながら、そのことをみんなに分かってもらえれば、それでいいんだ。焦らず、ゆっくりとね。

  軽快なドラムのリズムに合わせてノリにノッたギターの音色が、私のところまでかすかに響いてくる。聴く人の心をうきうき沸き立たせて心拍数を20は上げちゃうようなアップテンポの曲。でも、誰もいない教室に一人取り残された今の私にとっては、イライラのタネにしかならない。かろうじて聞えるメロディーにあわせて歌詞を口ずさんでみても空しいだけ。
  ちょうど体育館では学校中の生徒を集めて毎年恒例の大ライブが開催されているところ。大ライブなんていうだけに、毎年プロのアーティストを呼んで結構本格的にやっている。もちろんプロのアーティストっていっても学園祭の予算なんてたかが知れてるから、中里忠弘とか夢崎ひなたクラスの大物は呼べっこない。いつもなら、音楽に詳しい人なら聞いたことがあるかなっていう程度の駆け出しのインデイディ−ズバンドでお茶を濁すのがいいとこ。でも、今年は違うんだ。テンホイラーって知ってるかなあ?ほら、「穢れなき悪魔」とか「果てしなく後ろ向きにバンザイ」とかで有名な五人組の。去年の紅白にも出てた。今、体育館でライブやってるの、そのテンホイラーなんだよね。実は、ウチの高校って彼らの出身校なんだって。それが縁で、ありえないくらい格安で学園祭ライブを引き受けてくれるたんだって。ウチの学園祭実行委員も、テンホイラーも、なかなかヤルよね。
  でもね・・・いくら有名バンドが来てくれたってさ、私が見に行けなきゃしょうがないよ。みんな、お化け屋敷をやってる最中は、私のおかげでこんなにお客さんが入ってくれた、こんなに写真が売れたって、あんなに私を持ち上げて大喜びしてたくせに、いざライブがはじまったら私のことなんかそっちのけで体育館に一目散だもん。さんざん私を利用しておいて、コトが終わったらまるでフィルムのなくなった「撮れルンです」みたいに私をポイ捨て?頼みの綱の廣瀬さんだって、学園祭の実行委員ってことでライブの準備をしに、真っ先に体育館にいなくなっちゃうしさ。みんな薄情なもんだよね。
  おかげで私は誰もいなくなってしまった薄暗い教室のベットの上で、相変わらずのバラバラ姿で放置プレイ中。私だって、テンホイラー見るの、楽しみにしてたのに。サビのところで、みんなで一緒になって後ろ向いてバンザイしたかったのに。


  はじめはふてくされていたせいか、こんなカッコで暗い部屋に一人っきりってコト、余り意識していなかったけど、だんだん時間が経つにつれて、忘れかけてた恐怖心が心の底からちりちり湧き出してくる。
  なにしろ今私がいるのは教室とはいえお化け屋敷。独りでに歩き出す理科室の骸骨とか、夜中に葬送行進曲を奏でる音楽室のピアノなんてものが、薄いカーテンの仕切りを隔てて私のすぐ隣に置いてあるんだ。薄気味悪くないっていったら嘘になる。
  クラスメートの中にはオカルトの類にはまっている人もいるけど、私はお化けや幽霊なんて非科学的なものはこれっぽっちも信じちゃいない。この教室にあるセットだってフツーだったら笑い飛ばすようなくだらない物ばかり。でも、黒いカーテンで仕切られた光の差し込まない教室の中に身動きもままならず一人ぼっちでいなきゃいけないとなったら話は別だよ。標本用の骸骨が勝手に動いて私の首を絞めてきたらどうしよう、とか、ピアノが独りでに鳴り出したらどうしようなんて、普段は想像力のカケラもないくせに、こんなときばっかり、まるで三流ホラー映画のワンシーンのようなありえない妄想が次から次へと頭に浮かんできちゃう。だから、ここから脱出すべく、なんとか自力で手足をくっ付けようとあがいてみたけど、コード一本を残して義体から切り離されて床に転がっている手をうまく操って、ベットの上までよじ登らせるなんて芸当、やっぱり私には無理だった。結局、今の私にできることといったら暗い部屋の片隅で、誰かが私がいないってことに気がついて探しに来てくれるのを溜息混じりにじっと待つことだけなんだ。

  (あーあ)
  天井に向かって何回目かのため息をついた、ちょうどそのとき、
”てん、てん、てん”
  いったいどこからやって来たのか、赤いまりが、ゆっくり弾みながら私の寝かされているベットに近づいて、そしてベットのへりに当たって跳ね返り、傍らに置いてあった椅子にぶつかって動きを止めた。
(これって・・・さっきまで川崎君が使っていたまりじゃないか)
  私は、ごくりと息を飲み込んで、恐る恐るまりが転がってきた方向に視線を辿っていく。視線の先にあったのは隣の部屋と、私のいる部屋を仕切っている黒い厚手の布切れでできたカーテン。このまりは、あそこから、つまり隣の小部屋から転がってきたってことだ。でも、まりがひとりでに転がるわけないよね。つまり、あのカーテンの向こうに誰かがいるってこと。
(ひょっとして、例のまりつきの少女の霊?)
  とっさに思い浮かんだのはさっきまで川崎君が演じた空襲で焼け死んだっていうまりつきの少女の霊。彼女のホンモノが現れて、一人ぼっちの私をまりつき遊びに誘ってる?


  放課後の教室に一人っきりでいると、どこからともなくおかっぱ頭に吊りスカートをはいた少女が現れます。少女の霊は人懐っこく笑いかけたあと、まりをあなたに向って放り投げるのです。
『一緒に遊ぼうよ』
  少女が欲しいのはお友達。自分と永遠に遊び続けてくれる相手を求めて夜の学校を彷徨っているのです。でも決して一緒に遊んではいけません。まりを受け取ってはいけません。
  もしも・・・まりを受け取ってしまったら・・・。
  一心不乱にまりをつくあなた。まりに魅入られたあなたに他のものは、何も見えません。
  まるで意思があるかのように独りでに弾むまりに導かれるように、あなたは、まりをつきながら階段を登って、気がつけば学校の屋上へ。
『こっちで一緒に遊ぼうよ』
  柵の向こう側で楽しげに微笑む少女。
  まりは、あなたの手を離れて大きく弾んで柵を越え、柵の向こう側の虚空に浮かぶ少女のもとに、まるで地面があるかのように転がっていきます。
『お姉ちゃんもこっちに来てよ』
  まりを小脇にかかえながら、あなたに向って手を差し伸べる少女。
  少女に魅入られたあなたは、何の疑問ももたずに柵を乗り越えて少女のもとへ。
  ・・・行けるはずがない。
  翌日の朝、6階建ての校舎の屋上からコンクリートの地面に叩きつけられて、血まみれになったあなたの死体が発見されるのです。


  これがうちの高校に伝わる手鞠つきの少女の幽霊のお話。ちっとも怖くなくって、はっきり言って怪談バナシとしては三流もいいとこ。でも、実際にこんなふうに私以外に誰もいないはずの教室でいきなりまりが転がってきたとしたら話は別。どうしたって、少女の霊の存在が頭をチラリとよぎってしまう。
  でもね、まさか、そんなことあるはずないよ。あれは下らない作り話。これ、きっと川崎君の仕業に違いないんだ。川崎君が私を驚かそうとして、こっそり教室に入ってきたんだ。そして、ふざけてまりを転がしてみた。そうだ。そうに決まってるよ。
「そこにいるの、川崎君なんでしょ?そんな馬鹿なことやめてさ、早く私を助けてよう」
  私は、まりの出所に向かって、頭に染み付いた恐怖を振り払うように勢いよく声を張り上る。でもカーテンの向こう側からは何の返事もない。部屋の壁にかけられた時計のコチコチ音が、不気味なくらい大きく聞こえるだけで、教室は相変わらずしーんと静まり返ったまま。
「ちょっと。川崎君、そこにいるんでしょ。いるなら意地悪しないで返事してよう!」
  苛立ち半分、恐怖半分、いつの間にか私の声は悲鳴に近くなる。
  
  かさかさかさっ。
  乾いた布が触れ合う音がして、部屋を仕切る黒いカーテンが遠慮がちに少しだけめくられて、夕暮れ時の光が薄暗い部屋に差し込んで、白い壁を黄色く染め上げる。その光の向こうに影絵のように逆光で浮かび上がるヒトガタのシルエット。生身の目なら、影の主が誰だか分からないだろう。でも、私の機械の目にかかればまる分かり。カーテンの隙間から半分顔をのぞかせて、じぃーっと黙ったまま私のことを見つめてるのは、川崎君じゃくて、おかっぱ頭に吊りスカートっていうまるで古い白黒写真からそのまま抜け出してきたようなイデタチの小さな女の子。
(女の子?)
  私の背筋にぞぞぞーっと悪寒が走り、全身が総毛だったような気がした。もう、そんなことを感じられる感覚器官なんか無くなっているはずなのに・・・。
(女の子って、まさか、まさか・・・)
  多分これは目の錯覚に違いない。幽霊なんているわけないんだ。無理やりそう自分に言い聞かせた私は、いったん目を閉じてから、祈るような気分でもう一度目を開く。私の期待に反して女の子は相変わらず、その場に立っていた。
「お姉ちゃん。一緒に遊ぼうよー」
  可愛らしい無邪気な少女の声。でも、今の私には死神の死刑宣告にしか聞こえない。
  ぺた、ぺた、ぺた。
  少女は、たどたどしい足取りで歩き始め、夕陽に照らしだされた少女の長ーい影が私の顔にかかる。
「嫌——っ!嫌々っ!来ないでっ!誰かっ!助けてっ!誰かあーーーーっ!」
  私は恥じも外聞もなく悲鳴を上げてベットの上でのたうちまわった。今すぐにこの場から後ろを振り向かすに逃げ出したい。でも、私の手足は床に転がったままでたらめに跳ね回るだけで何の役にも立ちはしない。
  ホントは、私はフツーの人よりずーっと強いんだっ!リミッターを外しさえずれば義体出力は150馬力で、幽霊にだって怖くなんかないんだ。そんな私が幽霊なんかに殺されるなんてっ。
(時間よ止まれ。止まってください。お願いしますっ。神様っ、仏様っ)
  結局私にできることはガタガタ震えながら神仏にすがって奇跡が起こることを信じるだけ。そして、そんな私の祈りが天に通じたためしは生まれてこのかた、一度だってありはしない。今だって・・・
「お姉ちゃん。どうして遊んでくれないの?」
  ・・・気がつけば少女は、ベットのすぐそばで私を見下ろしてる。
(殺されるっ)
  恐怖の余り、私の人としてのプライドはたやすくへし折られる。
「わっ、私、人間じゃないんですっ。人間みたいに見えるけど人の形をしてるだけの人形なんだよう!」 
  人形だなんて、普段の私ならゼッタイ自分からは言えないコトバ。でも、恐怖に負けた私は苦し紛れに思わずそんなことを口走ってしまう。命さえ助かればヒトとしてのプライドなんてちっぽけなもの。どうせ、今の私には人間である部分なんて無いに等しいんだ。お願い。私のこと、見逃して。私は人間じゃないんだから。お願いっ。     
「だだだだから私と遊んでもゼンゼン面白くないんだ。人間なら、体育館にたくさんいるんだ。お願いだからそっちに行ってよう!」
  少女に向って必死に震えながら命乞いするバラバラ死体。なんて滑稽な光景なんだろう。ハタから見たら、可愛らしい女の子より、手足バラバラのくせに痛がりもせず、こんなふうに喋りまくる私のほうがよっぽど薄気味悪い存在のはずなのに。
  そう、私は薄気味悪い喋る人形。幽霊だってもとはただの女の子だもん。ひょっとしたら、こんな私の姿を恐がってくれるかもって、ちょっぴり期待した。
  でも、駄目でした。 
「お姉ちゃん、人間じゃないの?ひょっとして私の仲間?」
  私のコトバはお化け少女の好奇心をますます煽っただけみたい。
  つつっと、のの字を書くように頬の上を少女の指先が這いまわる。
  私の頬は、手のひらとか足の裏と同じように温度を感じ取れる数少ない箇所。だから、女の子の指が、人間の指ではありえないくらい、まるで氷みたいに冷たいってことをはっきり感じ取ってしまった。
「ぎやああああああああああああああああああ!ぎゃあああああああああああ!」
  喉のスピーカーが壊れてしまうくらい大きな私の悲鳴。
  もう駄目。私このままこの子に取り憑かれて、この子の言いなりのまま校舎の屋上から飛び降りちゃうんだ。それで、地面に叩きつけられて手足はバラバラに飛び散って・・・。そのあとは、想像したくない。もういっそのことサポートコンピューターの電源が落ちちゃえばいいのに。もし逃げられなら、私以外誰もいない感覚遮断の真っ暗闇に逃げ込みたい。身動きできないままユーレイに身体をぺたぺた触られるくらいなら、目も耳も触覚も、ぜーんぶなくなってしまうほうがずーっとましだよ。
  ピカッ!
  追い打ちをかけるように私を容赦なく包み込む強烈な白い閃光。
「ぎゃあっ!」
  たまらず私は、もう一度、子供に踏み潰されたヒキガエルみたいな悲鳴を上げる。
  なんで私が、こんな目に遭わなきゃいけないんだっ!私が一体何をしたっていうんだよう!悪い奴なら世の中にたくさんいるじゃないか。あるなとかあるなとかあるなとかあるなとかさ。ああ、もう、駄目だ。何されたか分からないけど、今の怪光線で私ゼッタイ死んだ。おじいちゃん、ごめんね。本当にごめんね。先立つ不幸をお許し下さいっ!
  って・・・・・・あれ?
  女の子が手にしているモノが目に入り、ふと我に返る。
  彼女が手にしているのは、ピンク色の可愛らしいデザインの小さなデジカメ。その、レンズの先はしっかり私のほうを向いている。ってことは、今の光って殺人光線じゃなくって、ただのカメラのフラッシュ?私を写真に撮っただけ?きょうびのユーレイはカメラも持っているんだろうか?技術が進歩するならユーレイも進歩するってこと?
「撮っちゃった、撮っちゃった。お姉ちゃんの写真、撮っちゃった」
  何が起こったのかよくわからなくってボーゼンとしている私を尻目に、ユーレイの少女は楽しげに、歌うような調子でそう言うと、私に向かってにいっと白い歯を見せた。

  ぱち、ぱち、ぱち、ぱち、ぱち。
  静まりかえった教室にだしぬけに響く拍手の音。さっき幽霊の女の子が登場したところから、売れっ子司会者みたいな気取った足取りで颯爽と教室に入ってきたのは・・・あるなだっ!
「あるな姉ちゃん、ほら、ほら、ほらあ」
  幽霊少女は、一直線にあるなに向かって走りよって、まるで100点の答案を親に見せびらかすみたいに得意げにカメラを差し出した。
「よしよし。よくやった」
  あるなは、カメラに収まっている画像を満足げに確認したあと、幽霊少女の目線までしゃがみこんで頭をくしゃくしゃなでつける。
「おててが冷たい」
「うーん、ちょっと氷で冷やしすぎたね」
  口を尖らせて不平を言う女の子の手をぎゅっと握りしめるあるな。
(あるなお姉ちゃんって、この子あるなの何なの。手を氷で冷したって一体何なのさ。この子の手が冷たいのは、この子が幽霊だからじゃなかったの?)
  幽霊少女と親しげに話すあるな。目の前で繰り広げられる理解不能な光景に頭が混乱する私。
  だけど、よくよく二人の会話を聞いていれば、いくら馬鹿な私だって、自分が何をされたのかよく分かったよ。
  私が幽霊少女と思っていたのはごくフツーの女の子。きっと、あるなの親戚か何かなんだろう。ご丁寧に学校七不思議にでてくるまりつきの少女の霊そのままのカッコをさせて、手を幽霊みたいに冷たくするため氷で冷した。そういうことだね。私はものの見事にそれに騙されて、ぎゃーぎゃーわめいて醜態を晒したってわけだ。悔しいっ!悔しいっ!
「あっ、あるなっ!」
「あら、お人形さん。そんな恐い顔してにらんじゃって、どうかしたの?」
「私は人形じゃないっ」
「σ◎◎¬ホホウ!! さっきあなた『人間みたいに見えるけど人の形をしてるだけの人形なんだよう!』って半べそかいてなかったっけ」
「うー、そ・・・それは・・・」
  私の声色を真似て揶揄するあるな。私はとっさに言い返す言葉を失って唇をかみ締めた。あるなの奴、影からこっそりさっきの私と女の子のやり取りの一部始終を聞いていたんだね。
「そんなことより、あなたに面白いもの見せてあげる」
  うふ、と笑いながらあるなは私のベットに腰掛けると、先ほど女の子から受け取ったデジカメを枕元に置いた。
(うへえ)
  デジカメのディスプレイに映っていたのは、まるでムンクの叫びの絵から飛び出てきたみたいに歪んだ顔つきで悲鳴を上げている、つい今しがたの私。我ながらひどい顔。
「この写真をどうするつもり?」
  私は上から私のことを見下ろすあるなを上目遣いににらみつけた。
「へ?決まってるじゃん。学校一の臆病者ってタイトルで、今日あなたが撮ってた写真と一緒に明日廊下に張り出すのよ。もちろん、この写真を一番でっかくするけどね。いやあ、みんなの反応が楽しみだなあ」
  人をコバカにするような薄笑いを浮かべるあるな。
  こんな写真一枚撮って私に恥をかかせるるためだけに、ご丁寧に学校七不思議にでてくるまりつきの少女の霊そのままのカッコをさせて、手を幽霊みたいに冷たくするため氷で冷したってわけ?あきれた。本当にあきれたよ。
「くっだらない。張り出したきゃ、そうすればいい。馬鹿みたい」
  この写真をデカデカと廊下に貼られるのは確かに恥ずかしいよ。でも、こんなふうに泣き喚く私の姿を見たら、みんな私のことをみんなと同じニンゲンって思ってくれるはず。私にとってこんなこと、嫌がらせでもなんでもないんだから。
「なーんだ。もっと泣き喚くと思ったのに、つまんないな。じゃ、もっと面白いことしよう。たとら。ちょっと、こっち来なさい」
  あるなは、そんな私の態度に失望するでもなく、ぱんと両手をたたくと、ぽけっと突っ立って私たちのやり取りを眺めている女の子を呼びつける。
「このお人形さん、手と足をくっつけて欲しいんだって。たとら。手伝ってあげなさい」
「はーい」
  たとらと呼ばれた女の子は、ベットの下に転がっている私の義手を、うんうん唸りながらも小さな両手で抱え上げ、ベットの上にどすんと転がした。
  あるなの言う面白いことって一体何なのか、ちょっとドキドキしたけど、なんだ、私の手足を元通りにしてくれるってこと?あるなも意外と親切なトコあるんだ。なんて一瞬でもあるなのこと見直した私が馬鹿でした・・・。
「じゃあ、これから、しゅじゅつ、します。しゃきーん」
  子供向けアニメみたいな効果音混じりに、私に見せ付けるようにポケットからドライバーを取り出すたとらちゃん。ドライバーの先っちょが蛍光灯に反射して、まるで尖ったナイフみたいにキラリと光る。おまけにたとらの目まで、掴まえた獲物をいたぶる肉食獣みたいにきらりと光った気がした。
(なんで手足をくっつけるのにドライバーがいるのさっ!)
  なんだか、とても、嫌な予感がする。
  私は壁際に追い詰められた鼠のような怯えた目であるなのほうを見つめた。
「あっ、そうそう。言い忘れたけど、従妹のたとらはね。お人形さんで遊ぶのが大好きなの。中でもお医者さんごっこが大好きでね。手術手術っていって、今までいくつの人形をゴミ箱行きにしたかなあ。うふ、うふ、うふふふふ」
  あわてふためく私の反応を楽しげに観察しながら、声だけは優しげに私に耳打ちするあるな。
「ひ、ひ、ひ、ひぃぃぃぃぃぃっ!」
  バラバラに分解されたみじめな自分の姿を思い描いて、私は今日何度目かの悲鳴を上げた。
「わっ、私、人形じゃないんですっ。人形みたいに見えるけどニンゲンなんだよう!助けて、お願い。助けて。助けて。誰かあっ!」
「安心して。まだコンサートの真っ最中だから、しばらく誰も戻ってこないよ。うふ、うふ、うふふふ」

  ちょうどその時だよ。
  がらがらと勢いよく開かれる教室のドア。
「八木橋さんっ!やっぱり、まだ、ここにいたっ!」
  教室に入ってきたのは廣瀬さん。そう叫ぶなり、あるなにもたとらにも目をくれず、たとらがドライバー片手にいじくりまわしていた私の義手をひったくって、私の身体に取り付けだした。
「ちぇ」
  不意の闖入者に自分の計画を邪魔されたあるなが忌々しげに舌打ち。さすがのあるなも一心不乱に私の腕の取り付けをしている廣瀬さんの剣幕に気おされて、遠巻きにつまらなそうに眺めるだけで、何も言うことができない。ざまあみろ。
「廣瀬さん、ありがとう」
  廣瀬さんの額に浮かぶ玉のような汗を見ながら、私は言った。
  今日、廣瀬さんに助けられるのは、これで2回目。
  廣瀬さんは、こんな時に感謝の涙一つ流すことのできない機械女のために体育館からここまで走ってきてくれた。そう思ったら、嬉しくて、胸がいっぱいになった。
「廣瀬さん・・・あの。私たち・・・」
「なに?」
「ううん、なんでもないんだ。助けてくれて、本当にありがとう」
  ホントは友達だよねって言いたかったんだけど、すんでのところでその言葉を飲み込む。廣瀬さんと私は、今日、ほんのちょっぴりお話しただけ。まだまだ友達なんて言える間柄じゃない。それに、廣瀬さんだって、本心ではこんな全身義体の機械仕掛けの身体なんて気持ち悪い、そう思っているかもしれない。私のこと、自分のゲージュツ作品を完成させるためのセットの一つくらいにしか思っていないかものかもしれない。そう思ったら、友達だ、なんて恐くてとても言えないよ。わざわざ友達だなんて浅はかな期待して、後で裏切られて傷つきたくないよ。
  ごめんね。私は素直じゃないんだ。こんな親切にしてもらってるのにね。ごめんね。 

  かちゃり。
  金属同志が触れ合う硬い音がして、右腕が義体にくっつく。同時に義眼のディスプレイに「右腕が接続されました」と緑色の文字が浮かんだ。
「ふーっ」
  緊張が解けたのか、廣瀬さんが大きな溜息を漏らして額の汗を拭った。
  ベットに寝たままの格好で、ぐるぐる右腕を回してみる。腕が自分の思ったとおりに動くっていう、当たり前だけど、でも久しぶりの感覚をしばらく楽しんだあと、私は右腕一本をうまく操ってもぞもぞと身体を起し、壁にもたれかかった。
「右手さえつけてもらえれば、あとは自分でできるから。廣瀬さん、ありがとう」
「お礼はいいの。そんなことより、すぐに体育館に行かなきゃ」
「えと、あの、私を体育館のコンサートに連れて行ってくれるの?そのために、わざわざ教室に来てくれたの?」
「そうだよ」
  誇るでもなく、ぶっきら棒にそう言いながら残りの義手や義足をベットに並べる廣瀬さんは、なんだかとても眩しくてカッコイイ。女の私でも、あんたに惚れた。
  廣瀬さん、私を体育館に連れて行くために、わざわざ教室に戻ってきてくれたんだ。そう思ったら、嬉しさの余り、もう流れることのない涙が作り物の機械の眼からこぼれ落ちたような気がした。
  あなたのこと、ちょっとだけ信じていいですか?
  口には出さないけど、あなたのこと友達って思っていいですか?

  廣瀬さんのおかげで、ようやくのことで五体満足の身体に戻れた私。でもその場で足踏みしたり、バンザイしたり、手を握ったり開いたりっていうカンタンな義体の動作確認をする暇もなく、廣瀬さんに手を引かれるままに廊下を駆け出していた。
「まだ、コンサートは続くんでしょ。そんなに急がなくたっていいじゃないかよう!」
  階段を二段飛ばしにぴょんぴょん駆け下りる廣瀬さんの背中を見ながら、私はぶつくさ不平を言う。でも、廣瀬さんの苦しい息遣いを聞いて、返答はあきらめた。今の私は、全速力で走ったって息が乱れることなくフツーに会話ができちゃう。機械の身体なら、いくら走ったところで電気を消費するだけで疲れを感じることも、息が上がっちゃうこともない。でも、生身の身体は違うもんね。こんな些細なことで暖かい生身の身体と冷たい機械の身体の差を感じて落ち込み、全速力で走ってもなお、こんなことを考える余裕があるってことに気づいて私はさらに落ち込む。もう、頭を真っ白けにして、何もかも忘れて風と一緒に走る、なんてことはできないんだろうなあ。

  コンサートのために窓に暗幕を張られて真っ暗になった体育館の中は、ちょうど演奏の合間なんだろうか、思った以上にみんなのおしゃべりで、わいわい、がやがや騒々しい。
  折角テンホイラーが来てくれてるのに、おしゃべりなんてもったいない。もっとちゃんと聴いて、一緒になって盛り上がらないと失礼じゃないかっ。私はちょっぴり憤慨しながら、そんな喧騒の中を駆け抜けて最前列へ。
「八木橋さん、こっち、こっち」
  廣瀬さんに導かれるままに、ステージに駆け上がる。廣瀬さんは、ライブの学校側のスタッフに選ばれている。だから彼女と一緒にいればステージの真横、テンホイラーと同じ目線でライブが見れるんだ。ひょっとしたら、サインももらえるかもしれない。すごいよ。実行委員会の権力はダテじゃない。
  私は東京に出てきたばかりのイナカモノみたいにきょろきょろステージの方を見回した。だって、私のすぐそばに、テンホイラーのメンバーがいるんだよ。メインボーカルの榎本アキラの鼻のほくろだってはっきり見えるんだよ。うきうきしながら廣瀬さんに手を引かれるままに、ステージの上を歩く私。視線はもちろんテンホイラーに釘付け。
「じゃあ、八木橋さん。ここに立って」
  廣瀬さんのコトバにはっと我に返って、後ろを振り返る。私の眼の前に広がるのは観客席。私が立っているのは、隅っことはいえ、ステージの上。突然ステージにのぼった私にみんなの視線が集まってる。
(え?え?舞台袖から、ライブを見るんじゃなかったの?)
「ああああの、私なんでこんなとこに・・・」
  なんで、こんな場所に立たないといけないのさ。ゼンゼン意味が分からない。
  みんなに見られてる。そう思うと800メートル走のスタート直前みたいに緊張で身体が強張った。私は救いを求めるように、廣瀬さんを見つめた。
「やあ、いらっしゃい。待ってたよ」
  突然、榎本アキラが、私に向かって手を上げた。
  えーっと、今の、確かに私に向かって、だよね。夢じゃないよね。
  胸が突然苦しくなって、天井がぐるぐるまわる。
  思わず深呼吸を繰り返す私。もう呼吸なんて必要ないのに。落ち着け。落ち着くんだっ!
  私のこと待ってたって、もしかして私、テンホイラーと一緒に歌を歌わなきゃいけないんだろうか?ムリムリ。私、そんなの絶対ムリだよ。有名アーティストと同じ舞台に立てるなんて光栄だけど、私なんかじゃ役不足。みんなの前で体育館のステージの上に上がるなんて経験は小学校や高校の卒業式くらいでしかしたことないし、そのときだって右手と右足が一緒になって動くようなありさまだったんだから。
「あのう、わたしっ、テンホイラーの歌はだいたい歌えるけど、でも、あっ、あのあのあの。やっぱり、私にはムリだからっ。歌はヘタだし、上がり症だし・・・」
「八木橋さん。何を勘違いしてるかしらないけれど」
  廣瀬さんは、くすりと笑った。
「八木橋さんの仕事、歌うことじゃないから」
  余りの気恥ずかしさに、かあっと耳が熱くほてった気がした。ひどい勘違いだ。全く、うぬぼれるにもほどがある。そうだよね。私なんかが、テンホイラーと一緒に歌を歌えるわけがない。でも・・・
「じゃ、じゃあ、なんで観客席のほうを向かなきゃいけないのさ?あっ・・・そうか。次の曲って『後ろ向きにバンザイ』なんだね。それで、みんな、後ろを向いて立たなきゃいけないんだ。もちろん私達も。そうなんでしょ」
  『後ろ向きにバンザイ』はライブでは必ず一番最後に演奏することになっている名曲中の名曲。この曲の始まる前に、みんな後ろ向きに座り直すのがお約束になっている。
「うーん。そうではなく」
  廣瀬さん。困ったように首を捻った。
「実は突然スピーカーが壊れて演奏できなくなっちゃった」
  そう言われてみれば、ステージ横に置いてあるスピーカーのまわりに、マネージャーらしき人や、ジャンパーを着たスタッフらしき人たちが集まって何やら相談をしている最中。テンホイラーの演奏が止まって、体育館の中がざわついていたのはそういうわけか。でも、それと私と何の関係があるの?テンホイラーのメンバーがさっきから私をちらちら見ているのはどういうわけ?
  わけが分からず、私はぽかんと廣瀬さんを見つめた。
  廣瀬さんは、何だか言いにくそうにもぞもぞ口ごもったあと、ようやく口を開いた。
「だから、えーっと、あのね。これを、八木橋さんに繋いでいいかなあ」
  私の首をちらちら見ながら、廣瀬さんが差し出したのは、黒い電源コード。コードの先端には小指の先ほどのコネクターがついていた。あわてて、指先で首筋をぴたぴた確認する私。あわてて走ってきたものだから、カムフラージュシールを貼り忘れて端子カバーがむき出しのままだった。
「な、なにこれ。わ、私に何をしろっていうんだよう」
  私は反射的に首をおさえて後ずさる。なんだか嫌な予感しかしない。
「うん。八木橋さんの身体についてるスピーカーを借りられないかなあって思って」
  ぴたっと両手を合わせてお願いのポーズを作る廣瀬さん。
  やっぱり、そんなことですか・・・orz
  榎本アキラが待っていたのは私じゃなくて、壊れたスピーカーの代わりですか・・・orz
  私の声は、生身の頃の声そっくりに再現されてるけど、実際は、コンピューターの作り出す電気合成音を喉の奥の小さなスピーカーから流しているだけ。だから、サポートコンピューターの設定をいじって外から入ってくる音声データを義体のスピーカーにつなげば、当然のことながら元の音声データを忠実に再現した音を義体スピーカーから流すことができる。でもね。それって・・・
「えと、その、つまり演奏中ずーっとステージの上から観客席に向かってカバみたく大口を開けて、立ってろってこと?」
「・・・うん」
  なんだか申し訳なさそうに下を向きながらうなづく廣瀬さん。
「・・・・・・」
  お化け屋敷の人形、使い捨てカメラときて、次はスピーカーですか?はは。
  私はれっきとしたニンゲンなんだよう。電化製品じゃないんだよう。嫌嫌っ、もう嫌っ!

  でも、スピーカー役、やりましたよ。ステージのすみっこで、大きな口あけて。
  だって、私だって、テンホイラー見たかったんだもん。
  生テンホイラーが見れたこと。それだけは良かったよ。
  
  バンザイ。
  限りなく後ろ向きにバンザイ。

  とほほ。

 

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください