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「あー八木橋君、ちょっと」
  午前9時ちょうど。特に目立ったニュースもないいつもの退屈な朝礼が終わって、私が自分の机に腰をおろしたちょうどその時、課長が私を手招き。
「は、はい」
  私は、反射的にバネ仕掛けの人形みたいにぴょこんと立ち上がって、課長のもとに走りながら、昨日の行動を反芻する。朝っぱらから課長に呼ばれるなんて、私、また何かやらかしちゃったんだろうか。
  でも、昨日が締め切りって言われてた報告書はちゃーんと提出した。最後にこの部屋を出たのは私だったけど、鍵はちゃーんと閉めてる。強いて言えば、またもや寝坊して始業時間ギリギリに出社してしまったことだけど、これだってギリギリセーフのはず。ケアサポーター課のドアを開けたとき、壁にかかっている時計は9時1分を指していて、朝礼も始まってはいたけど、でも私の体内時計機能ではまだ8時59分45秒だったもん。
  大丈夫。何も、どやされるようなことはしてない・・・はずだ。
「八木橋君、あn」
「あわわわわ。すみません!ごめんなさい!申し訳ございませんでした!反省しております。もうしません!」
  いくら大丈夫だって自分に言い聞かせても、課長が口を開いた途端に、私の自信は波打ち際に作った砂のお城よりももろく崩れ去り、反射的に謝罪の言葉が口をついて出てしまう。駄目社員の悲しい性だ。
  眼鏡が鼻からずり落ちてしまう勢いで、ひたすらペコペコ頭を下げたあとで、そーっと顔を上げる。びっくりして、きょとんと目を見開いて私を見つめている課長と目が合った。
  えーと、課長。ひょっとして、ゼンゼン、全く、これっぽっちも怒ってない?
「いや、八木橋君。僕は、43階の第五会議室に行ってくれって言おうとしただけなんだけど・・・」
  課長は、あきれたようにそう言うと、日課になっている朝のコーヒーを一口すすった。

  よくよく課長の話を聞いてみれば、これから、八月に瓜馬メッセで開催される義体展示会に関する打ち合わせ会議があって、その会議に私にも参加してほしいという希望が、宣伝部の斉藤部長や、開発部の古堅部長から挙がっているとのことだった。
  義体展示会———それはイソジマ電工の社員なら誰でも知っている、会社をあげての一大イベント。展示会っていうとちょっと地味で専門的な響きだけど、実際は瓜馬の巨大なコンベンションセンターを借り切って毎年開催される、自動車メーカーのやっているモーターショーに肩を並べるくらい華やかな一大イベント。なにしろイソジマ電工やギガテックスみたいな日本のメーカーだけじゃなく、世界中の義体メーカーが集まって、それぞれのメーカーの最新製品を展示するんだ。
  義体技術は日進月歩。毎年毎年、バージョンアップされたり、ニューモデルを発表したりと、各社商品開発にやっき。油断すると次々に新製品が出てきちゃうから、単なる末端のケアサポーター過ぎない私なんか、続々発表される新製品の特徴をざっと読んで、頭に詰め込むだけで精一杯の毎日だ。電合成リサイクル装置を世界に先駆けて実用化して鳴り物入りで登場した私の使っているCS-20でさえ、気がついたら二世代も前の型落ち品になっちゃってるんだから、義体メーカーに勤めている私ですら、製品の移り変わりの早さに驚く始末。そんなふうに毎年毎年、まるでカメラか何かの電化製品みたいに、次々開発される新製品を発表するのが、義体展示会なんだ。
  展示会の見学に来る人たちは、地味な色のスーツにネクタイきっちり締めてかしこまった病院とか自衛隊の幹部みたいな取引先の人たちばかりじゃない。先端技術のカタマリである義体は世間の注目度も満点。テレビ局や新聞社なんかも取材に来るし、モチロン一般のお客さんだって大勢つめかけるんだよ。
  でも、この知識はモチロン伝聞。私は実際に会場に行ったことなんてない。だって、展示会と私の所属するケアサポーター部は、本来何のかかわりもないはずだもん。なのに、どうして、私なんかが呼ばれるの?っていうのはトーゼン湧き上がってくる疑問だよね。だから、課長にそのことを聞いてみたんだ。
  でも課長、
「行けば分かるから」
  の一点張りで、詳しいことは何も教えてくれなかった。
  結局、何の予備知識も持たされず、半ば強引に会議に参加させられることになった私なのでした。

  ということで、私は、今、イソジマ電工本社ビル43階の会議室に来ています。
  正確に口の字型に並べられたテーブルの上座、首都の座を他に譲ったとはいえ、それでも未だに日本一の人口を誇る華の都「大東京」を象徴する高層ビル群を一望できるほど大きな窓を背にして座るのは営業部吉田部長、宣伝部の斉藤部長、開発部の古堅部長といった本社の中枢にいるお偉方。一方、入口に近い下座に、お偉方と向き合うようにして座るのは私だけ。そう、私一人。
(課長、騙したな)
  私は泣きそうな気分で、天井からぶら下がる無駄に豪華なシャンデリアを睨んで唇をかみしめた。
  黙ってふんふん頷いていればいいって言うから軽い気持ちでやってきたのに、これじゃ、まるで面接だ。展示会のなんて、私、フツーの人が一般常識として持っている程度のことしか知らないよ。何か専門的なコトを聞かれてもトンチンカンなことしか答えられなくって、赤っ恥かくの、目に見えてるじゃないかよう。
「八木橋君。まあ、そう固くならなくて結構」
  最近ますます生え際の後退してきた斉藤部長、鉄筋コンクリートばりにコチコチに固まっている私の姿を見て表情を和らげる。
  そして、忙しい中来てもらってご苦労様、みたいな形どおりの挨拶をしたあとで
「まあ、とりあえず、去年の展示会の映像を見てもらいましょう」
  と言って、手元に置いてあるパソコンをいじった。
  その瞬間、部長たちの後ろの大きな窓から、高層ビルが消えて、その代わりに天井の高さが5階建てのビルくらいあろうかという大きなホールの全景が映し出された。たぶん、このホールの一番高いところから撮影したのだろう。四方を大きなガラスで囲まれた、巨大な水槽を思わせる空間の底に、蟻のように這い回る人、人、人、人の群れ。
  やがて画像は、まるで拭き抜け構造のビルのエレベーターからの視点みたいに、ゆっくりと下に下がっていく。臨場感溢れるつくりの映像に引き込まれて、私は、いつのまにかこの会場に来ているような気分になっていた。
  地平階に到着。
  まず目についたのは、白いブースの上に青い独特の書体でデカデカと描かれたISHOJIMAの文字。社員なら、毎日ビルの正面玄関で飽きるほど目にすることになるイソジマ電工の社章。
  ブースの下で、振袖姿の女の子が行きかう人に手を振ったり、声をかけたり、握手してみたり。こうしてみると、繁華街でよく見かける販促コンパニオンみたいだけど、ちょっと異様なのは、三人が三人とも、全く同じ姿形をしてること。それで、彼女達の正体がイソジマ電工の標準義体だと分かる。いや、標準義体なんて言っちゃかわいそうだよね。彼女たちは、イソジマ電工の義体ユーザーさんなんだ。こうした新型義体の展示会があるとき、全身義体ユーザーさんにお願いして、新型義体の中の人になってもらうことがあるって聞いたことがある。
  義体メーカーの作る製品っていうと、ギガテックスみたいなロボットメーカーも兼ねているところを除けば、実際は義肢とか人工臓器とか、地味な部分義体関係が多い。ウチみたいな、もともと義肢メーカーから発達したようなところは特にそう。でも世間の注目度が高いのはやっぱり全身義体。全身義体は、義肢とか人工臓器の集合体だから、いってみればそのボディーにメーカーの持っているいろんなノウハウの全てがつぎ込まれている特別な存在だからね。だから、展示される製品も、いきおい各メーカーとも全身義体が中心ってことになるんだ。
  でも、脳みその入っていない、全身義体の抜け殻ばかりズラズラ展示しても、やたらリアルな蝋人形館とか人体標本館みたいで不気味なだけ。だから、全身義体の展示には、「義体の中の人」がゼッタイ必要になるんだ。実際に義体を使っているところを見学しに来たお客さんに見せて、ウチの会社の義体は、こんなこともできますってパフォーマンスをしてみせたりするんだってさ。
  ついでにいうと、こういう展示用の義体って、ほとんどが女性型。ファッションショーなんかと一緒で、義体も、所詮作り物の身体とはいえやっぱり男性型より、女性型のほうが、見た目が華やかでみんなから注目されるっていうのがその理由みたいだね。

  続いて、画面は各国の義体企業のブースに切り替わる。各企業の標準義体の着ている服が、それぞれのお国柄を表していて、見ているだけで面白い。例えば中国のハイラールの標準義体はチャイナドレスだし、アメリカのボーグ社は、アメリカ国旗をデザインしたドレスだったり。これじゃ、義体展示会だか、ファッションショーだか分からないよ。
  そして、最後に映し出されたのは、ギガテックスのブース。
  思わず、ずいっと身を乗り出す私。私だってイソジマ電工に籍を置く企業戦士の端くれだ。イソジマ電工の一番のライバル企業の標準義体がどんな姿をしているのか、気にならないっていったら嘘になる。
  ところが、ギガテックスのブース、なんだか他と違って異様なフンイキ。ていうか、人だかりで、ブースの中で何が行われているのかよく見えない。その人だかりを構成する人たち自体、他のブースに集まる人種とは違う独特のオーラを放っている。
  デジカメを上に突き出して、本能剥き出しで必死になって写真を撮る男ども。飛び交う怒号。押さないでくださいと必死で叫ぶ警備員。もし、女の子をこの空間に放り出せば、その空気だけで妊娠しそうだ。
  こりゃ、展示会でもファッションショーでもなく、人気アイドルのコンサートだよ。おかげで肝心の標準義体は、人ごみの影に隠れてよく見えないじゃないか。そんなことしても無駄だって分かっちゃいるけど、つい身体を右に左に傾けてしまう私。
  カメラの主は、しばらく人ごみを前に躊躇していたみたいだけど、ようやく意を決したのか、人間サファリパークの中に突入を開始。カメラのレンズに男の頬っぺたが当たり押しつぶされる。その男の鼻息でレンズが大きく曇る。
(うへえ)
  男の体臭が、嗅覚を失ってしまった私でも感じられるくらいのこの臨場感。
  やっとこさで人並みを抜けたその先にいたのは・・・。
  全身にフラッシュを浴びながら、ちょっと疲れ気味の営業スマイルを浮かべたバニーちゃんだった!
  ギガテックスは標準義体にこんなカッコをさせてたってわけだ。それで、二足歩行の動物たちが蜜に群がる蟻みたいに集まったってわけだ。全く、どうかしてる。同じ、義体メーカーでのギガテックスのほうが業績が良くて、給料もいいってきくけど、私、やっぱりイソジマ電工で良かったよ。

「これが去年の展示会だ。どんな雰囲気か分かったかね」
  20分ほどの映像が終わると、斉藤部長が私のほうを振り返って言った。
「はあ」
  曖昧にうなづく私。こんなものを私に見せてどうしようって言うんだろう。
「義体展示会において、各社の展示用標準義体が重要な役割を果たしていることが分かったと思う」
「ええ、それは、まあ、分かります」
  ギガテックスバニーちゃんを思い浮かべて私は思わず苦笑する。
「さて、そこで、本題」
  斉藤部長は、まっすぐ私のほうを見つめて、ちょっと緊張気味に背筋を伸ばした。
「今回八木橋君には、我が社の最新型義体CS-30に換装してもらい、8月12日に行われる義体展示会に参加してもらおうと思っているんだが、どうかね」
「はあ?」
  斉藤部長の思いがけない一言で、私は糸が切れたように脱力。
「えーっと、あの、つまり、その、私に、さっき映っていたような標準義体に入れってことですか?」
「そのとおり」
  斉藤部長が大きくうなづいた。
  それで、ようやく私みたいなダメ社員がココに呼ばれた理由が分かったよ。つまり、私に展示用のマネキン人形役をやって欲しいってことだったんだ。義体換装が自由にできるのは、脳みそ以外は全部機械の義体化一級障害者だけだから、私にはうってつけの仕事ってわけだ。はは。
   でも、標準義体としてあそこに参加するってことはつまり、私は義体一級障害者なんですって回りにアピールしまくるってことだよね。そうすると結局見学者からは、可哀想な人だなっていう目で間違いなく見られる。そんな中で 、あの振袖の女の子たちみたいに、四六時中愛想を振りまいている自信、私にはないよ。
(なんか、断る理由を探さなきゃ)
「せっかくのお誘いですが、あいにくその日は、担当患者の定期検査の日でs」
「あ、言い忘れたが特別手当もでるぞ」
  とくべつてあて!
  なんて魅力的な響きなんだろう。
「だいたいこのくらいのケタ数だ」
  斉藤部長は私に向って右手を大きく開いて、そして左手は握りこぶしから人差し指だけを一本だけ上に突き出した。つまり、6桁。少なく見積もって十万円!
  単位はもちろん円ですよね。ウォンとかリラじゃないですよねって、本気で聞こうとしてあわてて言葉を飲み込む私。わざわざ確認しなくても日本円に決まってるじゃないか。こんなことで興奮するなんてハシタない。落ち着け。落ち着くんだ。
  だけど、そうかあ。10万円かあ。10万円あれば、たまにはちょっと休暇をとってさ、藤原とどっかに旅行に行くのも悪くないよね。だけど・・・うーん、どうしようかな?
「それから、もし展示会に参加することを八木橋君が承諾した場合には、これから遙々亭を使って古堅部長と細かい打ち合わせをしてもらうことになっているから」
  迷っている私に向って斉藤部長がなおも悪魔のささやき。
「遙々亭っ!」
  私は小さく叫んで、思わず身を前に乗り出した。
  遙々亭っていうのは、イソジマ電工が開発した、何バージョンかある全身義体患者専用の感覚体験機のうちの一つ。私たち、全身義体障害者には失われてしまった感覚が多い。例えば、私についている鼻はただの飾りで嗅覚なんてない。手のひらとか顔とかいった特定の部位以外は、温度にかなり鈍感。それに、どんなに悲しくても涙を流すことはできないし、恋の病におちても心臓がドキドキすることもない。義体組み込みの小さなサポートコンピューターの容量では、こういった生身の人間の感覚全てを忠実に再現するのは今の技術では不可能って言われてる。
  その代わりに考えだされたのが、各種の感覚体験機。サポートコンピューターの代わりに、この感覚体験機を脳に接続して、感覚体験機の生み出すデータを脳に直接送り込むことで、感覚体験機の作り出す仮想空間上で、あたかも生身の体になったかのような身体感覚を取り戻せるってわけ。この仮想空間の中なら、普段はプールの底に沈むだけの私でも海で泳ぐことができるし、走れば息が切れるし汗もかくんだよ。
  遙々亭は、そんな感覚体験機のうち、味覚に特化したタイプなんだ。知ってのとおり、私たち全身義体障害者は食べ物を食べる必要なんかない。脳みそが要求するわずかな量の栄養素を栄養カプセルで摂取すればいいんだ。だから、トーゼンながら味覚もない。でもね、じゃあ義体になったら物を食べたくなくなっちゃうかっていうと、そんなことはゼンゼンない。いくら身体は機械になってしまったっていっても脳みそだけは昔のままだから、美味しいものを食べたときの記憶はちゃんと頭に残ってるんだよ。どうせ、物を食べられないし味も感じられないんだから、そんな記憶なくなっちゃえばいいのにって思うんだけどさ、人間の脳って、都合よく物を忘れてしまえるようにはできてないからね。
  そんな私たちの心を慰めてくれるのが遙々亭。あらかじめ味や、形、歯ごたえなんかを設定したあとで、この機械に脳を接続すれば、頭の中に高級レストランを模した仮想空間が広がって、その中で世界のあらゆる食事を楽しむことができる。もちろん、食事を楽しめるっていっても、あくまでも仮想空間の中だけのこと。実際は、ここで食べる食事は実際はコンピューターの作るただのデータで、ホンモノじゃない。そんなこと分かってるけどさ、でも、ホントの食事を楽しむことが、永久にできない私たちにとっては、それでも夢のようなトコロなんだ。
  だけど、この遥々亭、味覚設定プログラムにやたら手間がかかるとかで、会社の備品とはいえ、社員の私でさえ利用するには一ヶ月前から予約しないといけないうえに、決して安くない使用料まで取られてしまう。そんなわけで、いつも金欠でヒーヒー言ってる私みたいな駆け出しのケアサポーターが気軽に使えるシロモノじゃないんだ。実際今まで使ったことは、片手で足りるほどの回数しかないしね。
  その遥々亭で打ち合わせってことは、つまり、タダで食事ができるってことだよね。
  しょくじ、しょくじ、しょくじ。
  頭の中で、四文字のひらがなが、ぐるぐる回る。
「総務の汀君から八木橋君の好物はタコ焼きだっていう連絡があったっけなあ。確か」
  斉藤部長がニヤっと笑って最後の一押し。
「そう聞いてますよ」
  うなずく古堅部長。
「タコ焼き・・・」
  私の頭の中にお皿に山のように積まれてホカホカ湯気をあげているタコ焼きの画像が浮かぶ。口の中でタコ焼きのとこけるような舌触りが、ふわっと広がったような気がした。生身の身体なら、パブロフの犬よろしく条件反射で唾液がドバっと出てくるところだろう。
「うー」
  そわそわ、椅子の上で身じろぎする私。その度に私の重い身体を支えている貧弱なパイプ椅子がきいきい、きいきい悲鳴を上げた。
  私はニンゲンなんだ。展示会のマネキン人形役なんて、まっぴらごめん?
  そんな下らないプライドなんて、どうでもいいよ。そんなことより、タコ焼きが食べたーいっ!
「しかしまあ、本人の都合が悪いのなら、仕方ないな。それじゃ、深町君にでも頼んでみようか」
「そうですね」
  私のことを横目で見ながらうなづきあう二人の部長。
  やばい。このままだと、この話、流れちゃう。深町さんに美味しいところを持ってかれちゃう。
  お気に入りの服を買おうか、買うまいか悩んでいる時、店員さんに「この品は、一着限り。もう入荷するかどうか分かりませんよ」、ってセールストークをかけられた気分。このチャンスを逃したら、次はない。だったら答えは決まってるじゃないかっ!
「じゃあ、この話はなかったということで・・・」
「あああああーっ!ちょっと、ちょっと待ってくださいいいいい!」
  斉藤部長の締めの言葉にあわてて割り込む私。
  えーっと、よく考えたら担当患者の入院検査は別の日だったような気がする。っていうか、もし重なっても美和っちとか仁科さんに検査の立会いをお願いすればいいんだ。「義体化一級障害者の私」の代わりはいないけど、「ケアサポーターの私」の代わりはいくらでもいるんだもんね。そんなことより、タコ焼き・・・じゃなくて、展示会のほうがよっぽど大事。イソジマ電工の義体の素晴らしさを世界にアピールする。なんて立派な仕事なんだろう。やっぱり上司に頼まれたことを断っちゃいけないよね。
「是非私にやらせてください。お願いします!」
  気がついたら私、立ち上がって部長たちに向かって深々とお辞儀をしてた。
  再び顔を上げたとき、二人の部長が、ふうっと安堵のため息をついたような気がしたけど気のせいかなあ?ひょっとして私、上手くのせられちゃった?
  かすかな不安が頭の中をよぎったけど、ほかほかのタコ焼きを思い浮かべて、あわててかき消す私なのでした。

「では、八木橋さんにも参加していただけるということで、早速ですが、まず、今年の展示会用の衣装をお渡ししたいと思います」
  斉藤部長は、早口でそう言うと会議に同席して部長達のアシスタント役を務めていた女性社員を目で促した。この場で衣装を渡してくれるなんて、ずいぶん準備のいいことだ。
  そうかあ、振袖かあ。あれって結構高いんだよね。まさか、くれるわけじゃないと思うんだけどさ、それにしても前もって貸してくれるなんてずいぶん気前がいいよね。今夜着てあげたら、藤原きっと喜ぶかも。汚したりシワにならないように注意しなきゃ。いやいや、振袖もトーゼン標準義体用のサイズで作られているから、平均よりちょっと高めの私の身長じゃ、サイズ合わないかも・・・。そもそも着付けなんて習ったことないから一人じゃ着れないし・・・。などなど、アレコレ余計な心配をしつつ、彼女の配る半透明のビニールの袋に入った展示会の衣装を大事な宝物みたいに両手で受け取る私。
  でもね・・・、私の妄想もそこまでだった。袋を手にした私はすぐに、あることに気がついちゃったんだよね。
(この服、振袖にしては妙に軽い。軽すぎるよ)
  なんだか嫌な予感がした。だから、ちょっとみっともない気がしたけど、私は配られたそばから袋を破いて、恐る恐る中のモノを取り出してみたんだ。
「うわ、何これっ!」
  袋の中から出てきた私の予想を越えたシロモノにうろたえる私。袋の中から出てきたのは白地に薄いパープルのラインが入った、衣装って言うよりも、セパレーツの水着っていったほうが近いシロモノ。それも、ご丁寧に同じ色のソックスまで用意するという念の入れよう。
  今年の展示会用の衣装って、コレなわけ?藤原に付き合って、変てこりんな服を着ることも多いけど、それはあくまでも藤原一人に見せるためのもの。みんなが水着姿になっているビーチじゃあるまいし、こんな恥ずかしい服、展示会で着れるわけがない。これってセクハラもいいとこだ。
  だから、私は衣装というのも恥ずかしい布切れと二人の部長を交互に見ながら、ぷーっと頬っぺたを膨らませて不満を表明してみせた。
「では、続いて古堅部長から、今回の展示用義体CS-30のコンセプトを説明をしていただきます」
「開発部の古堅です。では八木橋君、手元の資料をご覧ください」
  でも、二人はそんな私の反応を知っていて、わざと気がつかないふりをしているのか、目も合わさずに議事を進行しようとしている。ハナっから遥々亭をエサに私を釣って、こんな恥ずかしいカッコをさせようって魂胆だったんだね。私は、そのもくろみどおり釣り針つきの疑似餌を夢中でパクついた間抜けなお魚さんだったってわけだ。
(悔しいっ!)
  机の下に隠した拳をぎゅうっと握り締める私。
  遥々亭ごときで、あんな衣装をハイハイ言って着れるほど私のプライドは安くないんだからね。

「あのう。これは、何でしょうか?」
  私は机の上に例の衣装を広げて、古堅部長のわけのわからない専門用語交じりの解説を一方的に断ち切った。
「今説明したように今年の展示会用の衣装だが、何か問題でも」
  斉藤部長は肩をすくめてとぼけてみせる。
(何が、何か問題でも、だよう。問題アリアリじゃないか。このバーコードハゲっ!)
  脂ぎったハゲ頭を睨みながら私は内心毒づいた。でも、表面上はあくまでも冷静を装って
「さっき見た去年の展示会の衣装とゼンゼン違うみたいなんですが?」
「ふーむ。つまり、君はこの衣装では不服だというわけかね」
  斉藤部長は、さも意外だと言わんばかりに、わざとらしい作り笑いを浮かべた。
  それでまたカチンときた。怒ったら相手の思う壺だってわかってるけど、ここまで馬鹿にされて黙っていられないよ。
「だって、これじゃまるでレースクイーンじゃないですか。私が参加するのはスーパーF1じゃないですよね。義体展示会ですよね。なのにどうしてこんな衣装を着なきゃいけないんですか?義体にとって一番大事なのは外見じゃなくて中身の性能じゃないんですか?外見なんて飾りです。偉い人にはそれが分からないのでしょうか?イソジマ電工の義体はとっても優秀ですよ。そんなこと義体ユーザーの私が一番知っています。なのに、性能で競わないで安易に見た目を取り繕う方向に走るなんて、社員として恥ずかしいです」
  斉藤部長に鼻息荒く訴える私。
  でもね。やっぱり相手は海千山千の本社の部長だよ。こんなコムスメの言うことを素直にハイって聞いてくれるほどヤワじゃなかった。
「実に生真面目な、わが社のお手本のような意見だね」
  斉藤部長は、この程度の反撃など予想の範囲内と言わんばかりにオトナの余裕たっぷりにうなづいてみせる。
「義体は、結局生身の肉体を模したものだから、外見は今の技術水準をもってすればどこの会社のものだろうと、そう大差はない。重要なのは中身の性能だ。八木橋君の言ったことは全くもってそのとおり。しかしっ!」
  斉藤部長は突然語気を強めたので、私はその勢いに負けてびくっと身体を震わせた。
「いくら電合成リサイクルシステムなんて言っても、一般人が興味を示すか?義体の性能がどんなに優れていても、見栄えが悪ければ世間もマスコミも注目しないんだ」
  斉藤部長ふうっと大きなため息をついたあと、言葉を続ける。
「君にも分かるようにたとえ話をしてみよう。ウチが、俺のような形の男性型義体を出展したとする。しかも、カッコは、そうだな、白のランニングシャツ一丁にしてみようか?」
  ニヤリと笑って薄くなった自分の頭を芝居がかった仕草でなでつける斉藤部長。白のランニングシャツ一丁。斉藤部長は日曜日はホントに言うとおりのカッコでソファでゴロゴロしてそうだ。その光景を想像してたら私は、自分がカッカしてたのも忘れてついつい口元をほころばせてしまった。
「で、ギガテックスは、夢崎ひなた形の義体を出展してきたとしよう」
  今度は国民的アイドル歌手を引き合いに出す斉藤部長。
「で、まあ、そうするとだ。マスコミやカメラ小僧どもはどっちのブースに集まる?ギガテックスか?それともウチか?」
「えーと、そ、それは・・・まあ」
「八木橋君。遠慮しなくていいぞ」
「ギガテックスでしょう。私もギガテックスに行くと思います。申し訳ないですけど」
「『私も…』以下はチト余計だが、まあそうなるよな。ガハハ」
  私の答えに満足そうに、でもちょっぴり自虐的に笑ってみせる斉藤部長。
「そこで本題。去年のギガテックスの展示用衣装が、どんなだったか覚えているか?」
「バニーガールでした」
  あんなインパクトのある映像、忘れようと思ったって忘れられるもんか。
「そう。バニーガール。で、結果、マスコミも新聞もギガテックスの義体ばかり大々的に取り上げて、ウチの取り扱いはほんのわずかなものだった。去年はウチの主力商品CS-25もギガテックスのMMC-HT-20Aも特に革新的な技術を採用していたわけじゃないから、この取り上げられ方の温度差は、ほとんど義体の見た目の差、衣装の差といっていい。ウチが莫大な費用をかけて、総売り上げの1%にも満たない全身義体を開発するのは会社の宣伝になればこそ。カネをかけて新形義体を開発して展示会に出しても、巷の話題にならなきゃなんの意味もないのだよ。そこで、今回の役員会で、世間の注目を浴びるために展示義体には去年よりもインパクトのあるカッコをさせるということに決まったわけだ」
「その答えがこの衣装というわけですか?」
  どうだと言わんばかりに胸をそらす斉藤部長をあきれて見つめながら私はため息をついた。ギガテックスがバニーガールで注目を集めたからって、その後追いでウチの展示用義体にレースクイーンまがいのカッコをさせるなんて、なんて安直な発想だろう。そんな二番煎じみたいなことばっかりやってるから、ウチはいつまでもギガテックスに勝てないし、私の給料だって上がらないんだYO!
「そう。ま、標準義体に換装するから標準義体の主が八木橋君だとバレることはないから、多少の気恥ずかしさには目をつぶって、頑張ってくれたまえ」
  ただでさえカリカリしているのに、斉藤部長のこの余計な一言。がっはっはという耳障りな笑い声が、さらに私を苛立たせる。相手は私よりずーっと上のエライ人。だから、頭にきても、あくまでも冷静に話し合わなきゃ、なんて思っていたけど私、もう駄目だ。我慢できないよ。
  もし私が生身の身体の女子社員だったら斉藤部長、同じこと言えるだろうか?言えるわけないよね。もし、こんな服を生身の女性社員に着るように、なんて強要する会社があったらそれこそセクハラで大問題になっちゃうはずだもの。でも、私の身体は機械仕掛けの義体なんだ。斉藤部長には、私の身体自体が、着せ替え可能な服とか着ぐるみみたいに見えているんだろう。そして、私自身の存在意義なんて、その着ぐるみの制御装置くらいにしか思っていないんだ。
  悔しいっ。悔しいっ。悔しいっ。
  特別手当は喉から手が出るほど欲しいし、遙々亭に入って美味しいタコ焼きだって食べてみたい。でも、私にだってプライドがある。ここまで馬鹿にされて、目の前にぶら下げられたニンジンと引き換えにハイハイ会社のいうことに従えるほど私は素直じゃないんだ。
(断ってやるっ)
  もしかしたら、この話を断ることで査定にバツがつけられるかもしれない。それでもかまうもんか。
  私は義体の制御装置じゃない。八木橋裕子なんだっ。
  私は唇をかみ締めながら斉藤部長のうすーい頭をにらみつけた。

「八木橋君」
  私が後先考えずに罵倒のコトバを口にしようとした丁度そのとき、今までずーっと黙りこくって私と斉藤部長のやり取りを眺めていた古堅部長が唐突に口を開いた。
「君はタコ焼きが好きだそうだね。汀君に昔は三十個は平気で食べていたなんて話をしたことがあるそうだが本当かね?」
  古堅部長は三十という数字を妙に強調しながら、あきれ顔で私に聞いてくる。
「あ・・・えと、あの・・・はあ」
  突拍子もない話を突然振られて、とっさになんて答えていいか分からず、私は曖昧な調子でうなずいた。
「タコ焼き、お腹いっぱい食べてみたいと思わないかね?」
  古堅部長は、顔に穏やかな笑みを浮かべながら言った。
  そりゃあタコ焼きは大好きだよ。いや、正確には好きだった、かな。汀さんに言ったことだってホント。高校生の頃、部活帰りにそのくらいは軽く食べていた。今だってもしタコ焼きが食べられる身体だったとしたら、いくらでも食べてみせるし、タコ焼き大食い選手権なんてものがあれば、優勝する自信だってある。
  でも、ここで素直にお腹いっぱい食べてみたいって答えていいんだろうか?ううん、ダメだダメだ。もし食べたいって言ったら、遥々亭で腹いっぱい食べさせてやるから展示会では素直にこの衣装を着て晒し者になりなさいって言われるに決まってるんだ。その手にはひっかからないんだからね。 
  斉藤部長とのやりとりで「上の姿勢」とやらに疑心暗鬼の私は、今度は古堅部長に向かって、心の中でアッカンベー。
「つまり遥々亭で腹いっぱい食べさせてやるから今回の件は我慢しろってことですか!物でつるのは、卑怯だと思います!」
「違う違う。そうじゃない」
  古堅部長は、私の剣幕にあわてて、首を横に振る。
「現在我々義体ユーザーは、コンピューターの作り出した仮想空間上でしか食事を摂取することができないが、これが実際の身体でできるようになったら、どうだ。今回展示会に出品するCS-30では、NTL社が開発した新型サポートコンピューターを搭載することで、とうとう全身義体に味覚の機能を搭載することに成功した」
  大げさなアクションもなく、あくまでも、淡々と語られるコトバ。余りにも簡単にさらっと言うものだから、私、うっかり聞き逃しそうになった。
  全身義体に味覚の機能を搭載したって?今までの技術では不可能とされていたのに?
「部長っ!すごいじゃないですか!」
  これってトンデモないことだ。ためこんでいた怒りも忘れて思わず、身を前に乗り出す私。
「摂取した食物を義体のエネルギー変換するのはまだ無理だから、食事といってもあくまでも形式的なものでしかないがね」
  謙遜気味なコトバと裏腹な古堅部長の自信に満ち溢れた力強い口調から、今回のCS-30に賭ける意気込みが伝わってくる。そりゃそうだ。たとえマネゴトであっても義体に食事を取る機能ができれば、私が学生のときにしてたみたいに「ダイエット中だから食事できない」なんて苦しい言い訳をしないですむし、藤原に「裕子さんが食事できないなら僕も我慢する」なんて変に気を使ってもらわなくてもすむんだ。何より、現実世界ではもう二度と感じられないだろうとあきらめていた味覚が蘇るんだ。これって素晴らしいことだ。イソジマ電工の「もっと本当の身体に近づきたい!」っていうスローガンはやっぱりダテじゃないよ。
「そこで」
  古堅部長はもったいぶるように言葉を切って、咳払い。
「実は君に頼みがある。君にしかできない大切な仕事だ」
「はあ」
「今回のCS-30で行う義体パフォーマンスは、食事を取ってもらうことに決まった。CS-30の特徴をアピールするためにはそれが一番手っ取り早いからな。そして、そのパフォーマンスに最もうってつけなのが」
  古堅部長はすぅっと息を吸い込むような仕草をしてから、まっすぐ私を見据えた。
「八木橋君。君なのだよ」
「わっ、わっ、私ですかあっ!」
  古堅部長のバクダン発言に、素っ頓狂な声を上げてうろたえる私。
「遥々亭で食事を一緒にとったときの君の美味しそうに杏仁豆腐を食べる姿は、今でも頭に焼き付いている。生身の身体でも、あそこまで美味しそうにモノを食べてくれる人はそうはいないだろう。そういう意味で、私はこの仕事は君が一番の適任者だと思っているのだ。勿論社内には、いつものように社外の義体ユーザーを使う意見もあったが、それを押し切って今日の会議に君を呼ぶよう提案したのは実は」
  古堅部長はそこではじめて歯をみせた。
「私なのだよ」
  古堅部長のまたもやのバクダン発言。張りつめていた会議室の空気が一気に緩み、全身の力がどっと抜けた。古堅部長。それって私が食いしん坊って言ってるのと同じなんですけど。機械の身体になってまで食いしん坊っていう評価をされるのは嬉しいやら悲しいやら。
「CS-30が世間の注目を浴びるかどうか、そして、ものを食べることのできる義体が今後の主流になっていくかどうかは、ひとえに君の食べっぷりにかかっているのだ。どうだ。たいへん素晴らしい、やりがいのある仕事と思わないかね」
  一人でしきりにうんうんうなづく古堅部長。どうやら自分の考えに悦に入っているみたい。
  でも古堅部長の申し出は確かにたまらなく魅力的。義体の味覚をアピールするというくらいだから、きっと義体化前でも食べたことがないような山海の珍味ってやつが目の前にこれでもかというくらいに並ぶに違いない。それをひたすら食べていればいいなんて、なんて素晴らしい仕事なんだろう。いや、えと、私は決して食いしん坊なんかじゃない。これは、
「もっと本当の身体に近づきたい」
  このスローガンにわが身を捧げる崇高な行為なんだ。
  でも・・・、ちょっと待って。さっき、斉藤部長、展示会の衣装は役員会の決定でこの恥ずかしい服に決まったっていってたけど、ひょっとして、この服を着たまま食事をするってこと?いくら標準義体に換装するとはいえ、大勢の変態どもの注視のもと、水着まがいの衣装を身に着けて、テーブルの前に次から次へと運ばれる料理をひたすら食べ続けるなんて、そして、その光景が全国ネットでお茶の間に流れるなんて・・・まさか、そんなことはないよね。
「うー。食事をするって、ひょっとして、この衣装でってことですか?」
  上目遣いに、おずおず古堅部長に確認を取る私。
「服装など大義の前には小さなことではないか。はははははっ」
  キャラに似合わぬ高笑いをする古堅部長。
  うー、この際仕方がない。世の中の全身義体ユーザーのために我が身を捧げる覚悟を決めよう。だけど、その前にもう一つ聞きたいことがある。
「今回の件が終わったら、私の義体もタダでCS-30に換装してもらえるんですよね?」
「すまん。それは無理。換装にかかる予定費用は社員割引でも2千万円の予定」
「に、にせんまんえんーーー!?」
「そう。二千万」
  古堅部長はきっぱりと言い切った。
「しかし、君の活躍活躍いかんによってCS-30が世間の注目を浴びれば製造コストがぐっと下がって、君の手に届く値段になるかもしれんなあ。だがまあ、本人が嫌というなら残念だが仕方がない。やはり今回は深町君にでも・・・」
「あああああーっ!ちょっと、ちょっと待ってくださいいいいい!」
  私の絶叫、きっと廊下中に響いたに違いない。
「私やります。いや、是非やらせてください。お願いします!」
  気がついたら私、またもや立ち上がって部長たちに向かって深々とお辞儀をしてた。
  いや、その、決して食い気に負けたってわけじゃなく、崇高な自己犠牲の精神から出た行動であって・・・・・・うー、やっぱり悔しいっ。古堅部長の意地悪っ!

「誰にも知られちゃいけない。誰にも知られちゃいけない」
  会議からの帰り道、変身もののヒーローよろしく、そんなことをぶつぶつつぶやきながら私はエレベーターからケアサポーター課へと続く長い長い廊下を歩く。何を知られちゃいけないかって?そんなの決まってるじゃないか。私が展示会に出ることを、だよう。
  古堅部長から立ち去り際、「企業秘密にもかかわることだから君が義体展示会に参加することはまだ誰にも言わないように」なんて厳しい顔で釘を刺されたけど、もとより他言する気なんてさらさらない。だって、もしうっかり口を滑らせて、こんなコスチュームを着てデモンストレーション用標準義体として展示会に参加する、なんてことがバレた日にはみんなの笑いのネタにされることが目にみえてるもん。中には冷やかし半分に展示会会場まで来ちゃうヒマ人もいるだろうし。もし、そんなことになっちゃったら・・・
(お嫁に行けないね)
  カビが生えたような古臭いコトバが頭に浮かんで独り苦笑いを浮かべる私。私の正体が誰にもバレない標準義体に換装するからこそ、嫌々でもなんとかこのコスチュームを着れるんだ。もし標準義体の中の人が私だってバレてしまったら、それこそ自殺ものだよ。
  そんなことを考えながら、おもーい足取りでよろよろ歩いていると、
「八木橋さーん。こんにちはー」
  だしぬけに背後から声をかけられて、ぎくりとする。
  恐る恐る振り向いた視線の先に立っていたのは、くるくる巻き毛の小柄な女性。いつもいつもなぜか絶妙のタイミングで声をかけて私をびっくりさせてくれる名人のタマちゃんだ。
「うー、タマちゃん。今日は」
  なるべく平常心を装ってさりげなく挨拶したつもりだけど、内心動揺しまくりで、若干声が上ずり加減。
「八木橋さん。今日、遥々亭に行くんでしょ?」
  ポンと私の肩をたたいて屈託ない笑みを浮かべるタマちゃんだけど、そのコトバに私はまた、ぎくり、ぎくり。なんでタマちゃん、そのことを知ってるわけ?タマちゃん、いったい何をどこまで知ってるの?
「あ、あのう、なんでそのことを?」
  私は怯えた子犬みたいに警戒心たっぷりの目つきで、おどおど探りを入れる。
  タマちゃんは私にとってはじめての担当ケアサポーター。だいぶ昔、この会社に入るずっと前に総務に異動になっちゃったけど、主に私が原因で数多く義体トラブルに巻き込まれているせいで、義体には相当詳しい。「八木橋さんを担当してると、いろいろ勉強になりまーす」なんて冗談なのかホンネなのか分からないことを言われたのも一度や二度じゃない。おまけに開発部の古堅部長の彼女ときてる。だから、今回の展示会の一件、タマちゃんには全て筒抜けでも何もおかしくないんだ。
「なんでって、遙々亭は総務の担当でーす。八木橋さんのために焼きたてホカホカのタコ焼きを三十個用意しておくようにっていう依頼が開発部からあがってまーす。それより、ケアサポーター部のあなたが利用するのに開発部から依頼があがるなんて、いったい何の接待?理由を聞きたいのはこっちのほうでーす」
  怪訝そうに首をかしげるタマちゃんを見て私は内心ホッと胸をなでおろす。さすがのタマちゃんも、全てを把握しているわけではなさそうだ。
「うん。ま、いろいろとね」
  私は適当にコトバを濁しつつ、わざとらしく腕時計を見たりして忙しい自分をアピール。タマちゃんが何も知らないのなら、こんなところで立ち話する理由なんかないよ。さっさとケアサポーター課に戻らなきゃ。
「ところで、八木橋さん」
  タマちゃんは、長居は無用とばかりに挨拶もそこそこに足早にこの場を立ち去ろうとする私を呼び止た。私的にはこれ以上立ち話を続けるのは気が進まなかったけど、タマちゃんを無視するのもなんだか悪い気がして足を止めて振り返る。
  これが失敗のもとだった。
「私、さっきから気になっているんだけど。八木橋さんが持ってるそれって、いったいなーに?」
  キラリと妖しく光るタマちゃんの瞳の先にあるもの。それは・・・例のコスチュームの入った袋だよう。
「あ、いや、これはっ!なんでもないんだ。なんでもないんです」
  私は水着の入った袋を、先生にタバコを見つかりそうになった不良になりきれないチョイ悪君みたいにあわてて背中の後ろに隠す。自分でもあきれるくらい不自然極まりない行動。その結果は、トーゼンのことながらますますタマちゃんの興味をそそっただけ。
「あら、別に隠さなくてもいいじゃない。見せてよ」
  タマちゃんは、獲物を追い詰めた猛獣さながらに壁を背にした私にじりじりっと歩み寄る。そして私の後ろにひょいと手を回り込ませて袋を鷲づかみ。
「見せてよ」
「ダメですってば」
「見せてくださーい」
「ダメダメ」
  袋を引っ張り合って、ひとしきり押し問答を繰り返す私たち。そして・・・
「ふふふ。ジョーダンでーす・・・」ってタマちゃんがおどけたように笑うのと、苛立った私が「だめですっ。見ないでっ!」って私が必死こいて力いっぱい袋をひっぱったの、ほぼ同時だった。
  びりびりびり。ビニール袋が裂ける音。、
  はらり。
  かすかに布のこすれ合う音を立てながら、私の両足の間に落ちる例のコスチューム。
「あらら」
  タマちゃんは、すかさずそれを拾い上げる。
(あう)
  青いストライブの入った白いパンティーを目の前で広げられて、ごくりと息を飲み込む私。もし、生身の身体だったなら、心臓がバクハツしそうなくらいドキドキして、恥ずかしさで顔は耳まで真っ赤になってたはず。タマちゃんは、ちょっと私をからかおうっていうイタズラ心を起こしただけなんだ。でも、私は、本気になって過剰反応したあげく自爆。
  ・・・・・・
  嫌味なくらい爽やかな白のコスチュームを挟んで向かい合う二人の間に流れるなんともいえない気まずい空気。誰も通りかからなかったのが、せめてもの救いだよ。
「えーっと、これは、大変失礼いたしましたっ!」
  息の詰まるような沈黙を破ったタマちゃんは、意味ありげな笑いを浮かべて、私の手に押し付けるようにして水着そっくりのコスチュームを返すと、そそくさその場を立ち去ろうとする。そのタマちゃんの態度と行動で、彼女がコレを見て何を考えたかすぐ分かったよ。
  普通の人だったら水着を買うなんて当たり前のことかもしれない。でも、私の身体は120kgもある金属のカタマリなんだ。だからプールに行っても水の底に沈むだけで泳ぐことなんてできやしない。海なんて行こうものならよっぽど気をつけないと人工皮膚の継ぎ目から身体の中に海水が入り込んで義体がサビサビになっちゃう。つまり、義体の私が本来の使用目的で水着を買うことなんて、ないんだ。そんな私が水着を買うとしたら、そのう、やっぱりすぐに思いつくのはコスプレ方面のお遊び目的だよね。
  でもタマちゃん違うんだって!これは私の趣味じゃなくって仕事なの!私だって好きで着るんじゃないの!
「待って、タマちゃん違うんだ。誤解だよう!」
「ふーん、何が違うの?」
  感情の全くこもっていない喋りと顔に浮かべた薄笑いで、タマちゃんが私の言うことをこれっぽっちも信じてないってことがよーくわかる。
  もうこうなったらやけっぱち。古堅部長からは口止めされてたけど、タマちゃんになら私が展示会に参加すること、バラしてたっていいや。誰にも話さないでってお願いしておけば、タマちゃんなら黙ってくれそうだし、何より、このまま私が自分の意思でこんな水着を買ったって誤解されっぱなしなんて耐えられないよ。
「だから誤解なんだってば。これは、私が買ったんじゃなくて、今年の義体展示会用のコスチュームなんだよう。私が、新型義体の中の人役をすることになったんだよう」
「ふーん、そうなんだ。それは大役ご苦労様でーす。じゃ、今日の遙々亭はその打ち合わせか何かに使うのね」
  口ではそう言いながらもまだ疑わしげなタマちゃん。
「でも、展示会用の衣装はまだ決まってないはずでーす。古堅部長から今年の展示会用衣装は参加者の希望を聞いてからデザインを決めて発注するって先週言われたばかりですけど」
「はあ?」
  タマちゃんのコトバに私は自分の耳を疑った。一瞬聴覚器官が故障したのかと思った。
  古堅部長が参加者の希望を聞いてから衣装デザインを決めるって言ってたって?そんなのヘン。こんな服を着るのが希望だなんて、私一言も口にしてないよ。だいたい、さっきの会議で部長たち、今年の展示会の衣装は役員会で決まったって言って、半強制的に私にコレを押し付けたじゃないか。
「そんなの嘘だっ!嘘々。衣装のデザインなんて私何も聞かれてないっ。斉藤部長から『今年の展示会用の衣装はこれで決まった』って言われて一方的にこれを渡されただけだよう」
「はぁ?斉藤部長がそんなこと言ったの?遥太郎は何も言わなかったの?」
  今度はタマちゃんが驚く番。いつの間にか、古堅部長をファーストネームで呼び捨て。
「うん。去年の展示会の標準義体は綺麗な振袖姿だったのに、ギガテックスのバニーガールに巷の話題をぜーんぶもってかれたから、今年は、ウチももっとインパクトのある衣装にすることに役員会で決まったんだってさ。その結果が、このコスチュームなんだって」
  コスチュームをもう一度袋につめなおしながら、私は不貞腐れて唇を尖らせて見せる。
「実は今日のことは誰にも話すなって古堅部長から口止めされてたんだ。お願いタマちゃん。このこと、誰にも言わないで。こんな服で展示会に出るなんて知られたら恥ずかしくて会社に出て来れないよ」
「じゃあ、私が遙太郎から今年の展示会用衣装は参加者の希望を聞いてからデザインを決めて発注するって言われたことは?」
「ぜーんぶ嘘!」
  私は、口から唾を飛ばすような勢いで吐き捨てた。私の言葉を聞いたタマちゃんは、なぜか難しい顔をして黙り込む。
「分かりました。八木橋さんの言葉、信じましょう。なぜなら・・・」
  やがて口を開いたタマちゃんは、ポツリとそうつぶやくと、深い溜息をついた。そして周りを見回し、誰もいないことを確認したあとでこっそり私に耳打ちする。
「遙太郎はね。実は水着フェチなんでーす」
「ええええええ!!」
  廊下に響き渡る私の絶叫。今、私、ありえないことを聞いた。
  水着フェチって、その、水着に異常な性欲を感じるっていうアレ?あのお固い古堅部長がそんな性癖の持ち主だなんて意外すぎる。
「しぃっ!」
  タマちゃんは眉間にしわを寄せて相変わらず難しい顔をしながら、私をたしなめる。
「こんなの、いかにも遙太郎が好きそうな服でーす。この服のデザイン、間違いなく遥太郎の息がかかってまーす。遥太郎の奴、どうしても今年のコスチュームをコレにしたくて、私と八木橋さんに姑息な嘘をついたんです」
「じゃあ、役員会で決まったっていうのは・・・」
「もちろん大嘘でしょ。抱き込んだのは斉藤部長くらいじゃないかしら」
  タマちゃんは、はぁ、と大きなため息をついた。
「じゃあ私、古堅部長に騙されてたってコト?」
  自分の性癖を満足させるために勝手に展示会用のコスチュームを捏造したなんて、全くあきれた。何が「服装など大義の前には小さなことではないか」だ。会議のやり取りを思い出したら腹が立ってきた。
「そういうこと。ま、どんな手段を使ってでもCS-30を売り込みたいっていう遙太郎の気持ち、分からなくもないけどね。それにしても・・・」
  タマちゃんは、コスチュームの入った袋に目を落とす。
「これはやりすぎ。これじゃ八木橋さんが可哀想・・・八木橋さん。こんなの着たくないでしょ?」
「当たり前だよう」
「ふふっふっふっふっ、よーく分かりました」
  タマちゃんは、ニヤッと笑ってペロリと舌なめずり。でも、目がゼンゼン笑っていない。
「彼には、ちょっとお仕置きが必要みたいね」
  そう言ってテレビに出てくる悪女さながらの妖艶さで笑うタマちゃん。
  いったい何をたくらんでるのやら。

  ふわり
  まるで魔法で宙に浮いていた身体がソファに軟着陸したみたいに、唐突に私の背中にほどよくクッションの効いた柔らかな椅子の背もたれの感触がよみがえる。
  まぶたの向こう側にかすかな光を感じて、ゆっくりと目を開けたあと、動きを確かめるように二回、三回とゆっくり瞬きを繰り返す。
  私の周りをすっぽり包むように取り囲んでいるのは、蛍の光に似た淡い光りを放つ計器類と、形容し難い複雑な形状の機械装置。
(あーあ、戻ってきちゃったな)
  私は軽くため息をつきながら、機械装置から伸びて首筋の接続端子に刺さっているプラグを引き抜いた。ちょっと寒いくらいに調節されたレストラン遥々亭の室温も、部屋の片隅で燃える暖炉の炎の暖かくて柔らかなぬくもりも、もう感じることはない。さっきまで口の中に入っていたタコ焼きの味もどこかに消えうせた。今いる場所が暖かいのか、寒いのか、もう分からない。心臓の鼓動も感じない。何もかも正常だ。

  私は今、ちょうど遙々亭から現実世界に戻ってきたトコロ。
  仕事が終わってからの古堅部長との遥々亭での打ち合わせと称する会食パーティーは結局すこぶる盛り上がらないものだった。
  だって、タマちゃん、古堅部長にお仕置きするなんて物騒なことを口にしたけど、具体的に何をやるかって聞いたら「ふふふ、それは秘密でーす」ってはぐらかすばかりで、ちっとも教えてくれないんだよ。
  その代わりタマちゃんがため息交じりに教えてくれたことといったら、防水防錆コーティングなんていう大ゲサな名前のついた世にもアホらしい義体用水着を以前古堅部長が開発したこと。しかもなぜか女性用だけ。そして、その試作品を実験と称して海洋開発事業団の女性に着せて彼女たちの大顰蹙をかったこと。
  おかげ様で、古堅部長の身に一体何が起こるのか、食事の間中ずーっと気になって気になってしょうがなかったし、古堅部長って表向きは古堅っていう名前どおりの堅物で会社では通っているくせに実は水着フェチのむっつりスケベなんだって思ったら、もう可笑しくて可笑しくて、笑いをこらえて真面目な顔を作るのに精一杯。古堅部長は打ち合わせの間ずっと好物のゴーヤチャンプルをもぐもぐ食べながら、イソジマ電工の開発する義体の何たるかについて、私には理解不能の難しいコトバを駆使してしゃべり続けていたけど私にはぜーんぶ上の空で、タコ焼きを頬張りながらふんふん適当な相槌を打つだけの私。これじゃ、ロクな会話が成り立つわけがないよね。
  でもね、何かが起こる瞬間を今か今かと待ち続けていた私の期待を裏切って、結局、遥々亭では何も起こらなかった。結局、タコ焼きをむしゃむしゃ食べ続け、時折思い出したように部長の相槌を打つだけのひどく退屈な「打ち合わせ」は、いともあっさりと終わっちゃったんだ。

「おかえりなさい」
  遙々亭から抜け出した私をタマちゃんは笑顔でお出迎え。
  「タマちゃん、結局何も起こらなかったよ」私はそう不満をこぼしかけて、はっと言葉を飲み込む。私の視線はタマちゃんの後ろに居並ぶむっさい作業服の男どもに釘付け。
  私たちが遙々亭に入っている間、義体のモニタリングやら、仮想空間の設定をコントロールするのはタマちゃんの仕事。だから、タマちゃんがここにいてもちっともおかしくない。でも、なんで柏木さんや、諏訪さんたち開発課の面々までここに勢ぞろいしてるわけ?しかも、みんなカメラ小僧みたいに首からデジカメなんかぶら下げちゃってさ。
  なんでなのってタマちゃんに聞こうとしてふと横を見ると、もうタマちゃんはそこにいなかった。いつの間にか、もう一台の、古堅部長の入っているはずの遙々亭の前でどこから持ってきたのかマイク片手にスタンバイ。司会者気取りでコホンと咳払いを一つして、その場の注目を自分に集めたかと思うと、
「では、イソジマ電工が自信を持って皆様にお送りする次世代型義体、CS-30のご登場でーす。みなさん拍手でお出迎え下さい」
  遥々亭のほうを振り返りつつ、大げさなアクションでみんなを煽るタマちゃん。タマちゃんのコトバが引き金になって沸き起こる部屋が割れんばかりの盛大な拍手。
  あの遥々亭の中にいるのは古堅部長じゃないか。なんでここでCS-30が出てくるわけ?
  開発課の人たちも、みんなでカメラをぶら下げて一体何をしようっていうんだろう?
  いろんな疑問が私の頭に浮かんでは消える。何が起こっているのかサッパリ分からず、みんなのノリに乗り遅れた私は、タマちゃんと開発課の人たちを見比べながらぽかんとするばかり。
  拍手が合図だったのか、お化けひょうたんのような形をした古堅部長の遙々亭が、まるで桃太郎の入っている桃みたいにパカッと二つに割れて、入り口部分が上に跳ね上がる。そして、桃の実にあたる複雑な内部構造が剥き出しになった。
(ええっ?)
  中の光景に、私は一瞬自分の目を疑う。
  だって、お化けひょうたんの中に備え付けの、よく歯医者さんの診察台に置いてあるような形の椅子に腰掛けていたのは、古堅部長、ではなく、桃太郎、でもモチロンなくて、綺麗な女の人だったんだ。この遥々亭の中に入っていたのは古堅部長のはずなのに、いつの間に中の人が入れ替わったんだろう。大掛かりな手品を見せられたような、何だかとっても不思議な気分だ。
  それにしてもこの女の人、綺麗だけど美人特有の研ぎ澄まされた刃物みたいな冷たい感じはゼンゼンしない。そして可愛らしいけど決してあどけない子供顔特有のちょっぴりバランスの崩れた目鼻立ちというわけでもない。つまり、整った顔立ちだなあとは思うけど、その他のほめ言葉をなかなか捜しにくい、あまり印象に残らない容貌。おそらく、彼女がCS-30形の標準義体なんだろう。綺麗だけど余りにもクセのない顔立ちをしてるってことは、それで説明がつく。
  でも、何より驚いたのは、この人の着てる服。白地に薄いパープルのラインが入った、セパレーツの水着って、これ、さっきタマちゃんに取り上げられた私の展示会用のコスチュームと全く同じものじゃないかっ!何でこの人が、こんなコスチュームを着てるわけ?
  私は顔中にはてなマークを浮かべながらタマちゃんの方を見た。
  すぐに私の視線に気がついたタマちゃんだけど、私に向かっていたずらっぽくウィンクしただけ。
「八木橋さん。まあ、黙って見てなよ」
  タマちゃんの代わりに、作業服姿にカメラを首からぶら下げた柏木さんが、私に近づいてこっそり耳打ちする。
「これから面白いことが起きるからさ」
  
  タマちゃんに導かれて立ち上がった女の人は、そわそわそわそわ、なんだか落ち着きなさげに周りを見回してから、ちょっと戸惑い気味に口を開いた。
「これはいったい何の騒ぎだ。お前たち、なんでこんなところにいる?」
  彼女の第一声は、澄み切った声色は女性だったけど、口調はまるでみたいでちょっとびっくり。でも、もっと驚いたのは、ぎょっとしたような顔つきで、喉をおさえつつ虚空に瞳を彷徨わせるこの人自身だったみたい。
「ななななんだ、この声の設定は・・・」
  彼女は、そう呟いたあと、いかにも恐る恐るといったふうにゆっっくりと自分の身体を見下ろす。そして自分の履いているショーツをぐいっと引き伸ばして上から覗き込む。
  一瞬の沈黙ののち・・・
「なんだーっ!この身体はっ!」
  部屋のドアがびりびり震えるような、彼女の絶叫。
「タマっ!これはいったいどういうことだっ!」
  彼女のコトバを無視して逃げるように、私のそばにやってきたタマちゃん。今度はさあさあ、と柏木さんたち開発課の面々を舞台袖に押し出してから、私の方を振り返ってにやりと笑った。ううん、タマちゃんだけじゃない。柏木さんも、諏訪さんも、開発課の人たちみんな、うろたえる彼女の様子を見て、お腹をかかえて大笑いしてる。それで、なんとなく私にも義体の中の人が分かっちゃった。
「うー、タマちゃん。まさかとは思うけどさ、あの標準義体の中の人ってひょっとして・・・」
「ふふふ、古堅部長でーす。あなたたちが仮想空間に入っている間に、柏木さんに頼んでこっそり部長の身体を取り替えちゃった」
 タマちゃんは、頭を抱えながら舞台の上を檻の中の熊みたいにうろうろうろつきまわる水着姿の彼女、いやいや、古堅部長を、おかしそうに眺めながら今回の作戦を説明してくれた。
「古堅部長には、身を持って八木橋さんの立場を体験してもらうことにしましたそうすれば自分がどんなことを言っていたのか理解できるでしょう。開発課のみなさんも大喜びで、この撮影会に参加してくれました」
  そう、古堅部長も私と同じ全身義体。だから、脳みそさえ入れ替えればどんな義体にだって入ることができる。男性が女性型の義体に入って、完璧な女性になりきることだって、法律に触れるから余りよろしくはないけど実はカンタンなこと。それで、古堅部長には、さっきのコスチュームを着た女性型の標準義体に入ってもらって、展示会で私が味わうであろう苦痛を嫌というほど体験してもらうって、例のこのコスチュームの採用をあきらめさせるっていう寸法だね。さすがタマちゃん。あったまイイ!

「じゃ、みなさん、用意はいいですかー?」
「いつでもOK」
  タマちゃんの問いかけに、デジカメを手に持ってうなずきあう開発課の人たち。
「では、カメラ部隊。撮影準備用意!」
  タマちゃんが軍隊の指揮官さながらに片手を高々と振り上げる。命令を受けた開発課の男どもは、特殊部隊顔負けの俊敏な動きで遥々亭の前に立ち尽くす古堅部長の周りを取り囲み、下から古堅部長を見上げるようなカッコでカメラを構える。そして、そのカッコのまま、じりじりと包囲の輪を狭めていく。美女を取り囲む飢えたる野獣の群れ。たちまちのうちに、さっき見たばかりのギガテックスバニーちゃんの撮影風景が私の眼の前に再現されちゃった。
「タマっ。これは、お前の仕業か?こんな馬鹿な真似、すぐにやめさせるんだっ!」
  部下たちの全面包囲を受けた古堅部長は、それに怯むことなく精一杯の威厳を込めて怒鳴りつけたつもりだろう。でもさ、例の透き通った可愛らしい声じゃ、まるで迫力がない。口調と声色のギャップがおかしくて、私は思わずくすりと笑ってしまう。
「こちら、部長がご自身で考えた展示会用の衣装だそうですが、どうですかー?ご自身で身につけてみたご感想は?」
  攻撃の矛先を向けられた当のタマちゃんも余裕しゃくしゃくで、包囲の隙間にマイクを差し込んで古堅部長に質問返し。
「なっ、なぜ、そのことを・・・」
  ハタ目にも気の毒なくらい狼狽する古堅部長。
「ふふふっ。このコスチュームを着ることになる八木橋さんの気持ち、ちょっとはお分かりいただけましたでしょうか?個人的な趣味で衣装を決めたらだめでーす。展示会のコスチュームは、展示会に参加する人が決めることになっていたはずですが、いつからそのルールが変わりましたか?」
「この衣装にしたのはCS-30の宣伝効果を考えてのことだっ!義体技術の発展のためには必要なことなんだっ!わ、私の個人的な趣味などでは断じてないぞっ!」
「なるほどー。宣伝大いに結構でーす。では、その義体で古堅部長自身に宣伝にはげんでもらいましょう」
  タマちゃんは、古堅部長の苦し紛れのいいわけを一蹴して、再び腕を振り上げた。
「撮影はじめっ!」
  タマちゃんの合図ではじまるフラッシュの一斉射撃。
「こ、こらあ!お前ら、いい加減にs
「部長、ちゃんと顔を上げてくださいよ。隠してちゃ駄目ですよ」
「その怒る姿、超萌えッス!」
「部長。表情固いですよ。もっとニッコリ」
  部長の可愛らしい怒鳴り声は、悪ノリした即席カメラ小僧たちによってあっという間にかき消される。
「カメラ部隊。さらに前進っ!」
  タマちゃん調子に叫ぶタマちゃん。古堅部長への包囲の輪はさらに縮まって、
「うわうわうわ、何をするやめあせdrftgyふじこlp!」
  もう滅茶苦茶。ちょっとコメントは差し控えさせていただきますw
「古堅部長。どうです?コスチュームの件は、いったん白紙ということで宜しいですね?」
  頃合を見て、カメラ小僧たちを下がらせたタマちゃん。さっきまで整っていた髪も、すっかりぼさぼさに乱れて、憔悴しきった様子でその場にへたりこんじゃった古堅部長を見下ろして高らかに勝利宣言。
「分かったよ。分かりました。やめればいいんだろっ!やめればっ!やめますっ!」
 いつもの威厳はどこへやら。情けない口調でそう吐き捨てたあと、だだっ子見たいに床に寝転んでしまった古堅部長を満足そうに眺めたタマちゃん。私に向かって勝利のVサイン。
  タマちゃんの知恵のおかげで、こんなコスチュームを衣装を着ることもなくなり、これにて一件落着。めでたし、めでたし、だね。

「さあ八木橋君。何をしている。もう、練習の時間だぞ!」
  6時半きっかり。いつものように、ケアサポーター課のドアが勢いよく開かれて、古堅部長が元気よく事務室に入ってくる。
「ねえねえ。最近あの人よく練習練習って言いながらここに来るけど一体何なの?ウザすぎ」
  今日は大残業デーだって午前中から嘆いていたみわっち、古堅部長の余りの場の空気の読めない能天気ぶりに苛立ったのか、私のほうを振り向いて顔をしかめてみせる。
「はは・・・」
  曖昧な苦笑いでごまかすしかない。何の練習をしてるか、なんてゼッタイみんなに知られるわけにはいかない。
(もう!必ず行くから、こっちにはこないでって言ったのにいっ!)
  内心怒りにうち震えながら、あわてて私は荷物をまとめて、ケアサポーター課のみんなの冷たい視線を背中に受けつつ、古堅部長のもとにのろのろ歩いていく。
(はあ)
  満面の笑みで私を出迎える古堅部長。でも私の口から出るのはため息ばかり。
  なんでこんなことになっちゃったんだろう。どうして私いつもこんな目にばかり遭うんだろう。


送信者:t.migiwa@isojimael.co.jp
日時:永康18年8月9日
宛先:八木橋さん
CC:
件名:ごめんね

八木橋さん。ごめんね。
まさか遥太郎が、あれで見られる喜びに目覚めてしまうなんて計算外でした。
まさか遥太郎が、自分も標準義体に換装して展示会に出るって言うなんて計算外でした。
まさか遥太郎が、私が参加するんだから衣装を決める権利は当然私にある、なんて言い出すなんて計算外でした。
まさか遥太郎が、毎日義体換装してポージングの研究にあけくれ、あまつさえ八木橋さんをそれに付き合わせるなんて計算外でした。
まさか遥太郎が、ここまで変人だとは計算外でした。
まさか。まさか。うわーーーーーーん、八木橋さん。本当にごめんなさい。私が余計なことをしたばっかりにこんなことになってしまって。。
あーあ、私も付き合う男、考えようかな。

                                               汀環


 

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