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 きーんこーん、かーんこーん。
 4時間目の授業終了を告げるチャイムが鳴り、私の一番嫌いな時間がやってきた。
 何の時間かって?決まってるじゃないか。昼休みだよう。
教室を出て行こうとする先生を追い越して、一番人気のボリュームカツサンドを売り切れ前に手に入れるべく、まっしぐらに廊下に駆け出す男子たち。仲良しグループで固まって、楽しそうにおしゃべりしながらお弁当を開く女子たち。一年前の私なら、あの輪のどこかに混じって、お母さんの作った料理のつまったお弁当箱のフタを開けていただろう。でも、今の私は彼女たちに混じって昨日放送されたドラマの今後の展開予想についての持論を述べる気には、とてもじゃないけどなれない。だって機械の体の私は食事をとることができないんだもの。私にただ一つ残された、私自身である部分、1キロちょっとの脳みそが欲しがる栄養分は、一つまみのカプセルを口にほうりこむだけでこと足りる。それ以外のものを摂取できるように、この体はできていないし、たとえ食べることができたとしても味なんかわからない。そんな私がみんなと食事をしても、私はみんなとは違うんだっていうことを思い知らされてみじめな気持ちになるだけじゃないか。
 もっとも、私のほうにその気があってもムリだけどね。私はこの高校でたった一人の全身義体の生徒で、クラスの連中の中にはあからさまに私のことを嫌ったり、そうでなければ怖がったり、そんな人も多いんだ。噂じゃ、機械人間とウチの娘を同じクラスにするのか、なんて一部の親からクレームが出てるってハナシ。機械人間には、機械人間用の専門学校もあるんだから、なんでそっちに行かせないんだってね。法律では17歳のただの女子高生のはずなのに、まるで危険物扱いだよ。はは。
 だから私は昼休みはいつも一人で過ごすことにしている。そっちのほうが、私もみじめな思いをしなくてすむし、みんなにも余計な気を遣わせずにすむもんね。

 教室を出た私は、いつものように購買部に向かう人の流れに逆行して廊下を歩いて、廊下の突き当たりの、ひとけのないひっそりとした階段を上って行く。そして行く手を塞ぐ立ち入り禁止の札のかかったチェーンをくぐり抜ける。行きつく先は、私の一番のお気に入りの場所、学校の屋上だ。
 屋上への入り口はいつも鍵がかかっている開かずの扉。でも私は重そうな鉄製のドアの上にある明り取りの窓だけは鍵がかかっていないことを知っている。踊り場に置いてある机を二段重ねにして、落ちないように気をつけながら、机をよじ登って、窓をくぐり抜けて、こうやって飛び降りれば、ほら・・・。
 ぱさ
 風を受けて一瞬優雅に広がるセーラー服のスカート。
 どすん。
 120キロの私の体重を受け止めて悲鳴を上げる打ちっぱなしのコンクリート。
——カンタンに屋上出れちゃうんだ。
 まるで、罠でも張るみたいに屋上のコンクリートの床いっぱいに張り巡らされた水道管。その水道管をひょこひょこまたいで、下界を見下ろす鉄柵までたどりつく。そして、柵の内側に沿って、水色のペンキが色褪せて白っぽくなった大きな給水塔まで続く、ひときわ大きな水道管に腰を下ろす。ここが私のいつもの指定席。
  すーっと風が吹いて、私の髪が揺れた。
  まぶしい夏の空の下に広がるのは巨大な摩天楼?それとも心震える自然の大パノラマ?いいえ違います。学校のグラウンドとプール、その先には住宅街やら、スーパーの看板やら、緑のネットのゴルフ練習場が続く、ありきたりな風景。
 でもね、ここは、トイレにさえ行けない機械女の私の魂が唯一安らぐ、誰にも邪魔されない私だけの展望レストラン。
(さて、食事にしますか)
 私はスカートのポケットから栄養カプセルの入った小さなケースを取り出した。

———どんどんどん。
(ひっ!)
 屋上に通じる鉄扉を叩く無粋な音に、口をあんぐり開けてカプセルを飲み込もうとしていた私の口から心臓が、いやいや、生命維持装置が飛び出そうなくらい驚いた。
 先生たちの目を盗むことにばかり長けている不良君たちにさえ知られていない、私だけの秘密の場所なのに、いったい誰だろう。
「コラァ!八木橋。こんなところで何やってるんだぁ!」
 声の主は女性。こんなヒステリックに叫ぶ女教師っていったら・・・、
(誰だっけ?)
 いくつかの候補が頭に浮かんでは消える。どの先生かは分からないけど、いずれにしても私がココにいることを把握している以上、黙ってしらばっくれるわけにもいかないよね。
(きっと叱られるんだろうなあ)
 カプセルを飲み込んで、お食事を終わらせた私は、ドアに向かってのろのろ歩きだした。
「はーい、いま行きまーす」

 背伸びして、恐る恐る外から明り取りの窓の中を覗き込む私。
 中を見下ろすその視線の先に、小柄なセーラー服姿の女の子がいた。
「コラァ!八木橋」
 女の子はもう一度そう言うと、おかしそうにくすくす笑った。
「ああ・・・あんたね」
 私はため息をつきながら、窓をくぐり抜けた。声の主は武庫川あるな。何かにつけて私の身体のことをからかう小憎らしい女。でも、最近は私のことを危険物扱いして近寄ってさえこない他のクラスの女の子よりはましかも、と思うようになってきた。慣れというのはオソロシイね。
「いつもみたいにお仲間と一緒にお昼じゃないの?」
 足場になっている机が崩壊れないよう注意深く足を運んで、下に降りたあと、後ろを向きに、スカートの裾を払いながら私は聞いてみた。
「ヤギーのあとをつけてきたの。ちょっとあなたにお願いごとがあってね」
「どうせ下らないことでしょ」
「まあそうつんつんせずに、聞いてくれたまえ」
 あるなは手に持っている焼きそばパンのビニール袋を開いて、パンをぱくっと口にくわえた。
 そんなあるなの言うことには・・・

 あるなの従姉妹のたとらとかいうクソガキの友達の家にメイドロボがいるんだってさ。で、その友達にメイドロボのこと自慢されたんだって。たとらはくやしいから、うちのメイドロボは、もっとすごいって、メイドロボなんかいやしないのに口からでまかせ言っちゃったんだと。そしたら成り行きで、友達の家のメイドロボとどっちがすごいか対決することになっちゃって、でも今更嘘でしたなんて言えないし、引くに引けなくて困ってあるなに泣きついてきた。だから、あるなの奴、私がなんとかしてやるって啖呵を切ったんだってさ。
 何このスネ●とのび●とドラ●もんのようなハナシ・・・。
「で、だから何?」
 私は、デキの悪いマンガストーリーに対して率直な感想を述べてみた。ホント、この話のどこで、どう私が絡んで来るのか、まるで分からないよ。
「だから何って、マジで分かんないの?にぶー」
 当のドラ●もんは、ちゅるちゅるとメンをすすりながら、膨れっ面。
「はあ」
「つまり、私がメイドロボをどっからか用意しなきゃいけないわけ。どこで用意すればいいと思う?」
「ポケットの中から出せばいいと思うよ」
「はあ?ヤギー何言ってんの?」
 私のボケ、どうやら通じなかったみたい。
「メイドロボ。私のクラスにいるでしょ。ていうか、私の目の前にいるでしょ」
 あるなは私の鼻の頭をつんとつついて得意げに笑った。
「な・・・」
「機械女さん、ようやく理解できた?どーせ、ヤギーの体ってロボットみたいなものでしょ。ヤギーがメイドロボに化ければ、どうせ相手は小学生なんだし、簡単に騙せると思うんだあ」
「私はメイドロボじゃなくて・・・人間なんですけど」
「それ、いつも言うよね。私は人間なんですけど」
 私の声色を真似てみせるあるな。
「別にあなたが自分のことを人間だと思うのは構わないし、否定もしないよ。この話を受けてくれるならね」
「嫌だって言ったら」
「断ったらどうなるかは、あなた自身がよーく知ってるでしょ。ふふふ」
 あるなが何を言いたいかはよく分かってる。前、あるなと廊下の曲がり鼻でぶつかって、あるなを怪我させたことがある。義体は車両扱いで動かすには免許が必要で、人とぶつかったら人身事故扱いで下手したら免停もの。免停になったら病院で再訓練で、もう一回免許を取り直すにはお金も時間もかかる。そのことを黙ってやるかわりにってわけだ。前にもそのネタで私を脅迫して学園祭で、私の手足を外してバラバラ死体役に祭りあげてくれたよね。よく飽きないよ、ホント。
「いっつもいつもよくもまあそういうくっだらないこと思いつくよね。感心するよ。私」
 精一杯の嫌味、精一杯の強がり、でも悔しいけど、どっちみち私に選択肢はない。
 こうして、私はどこぞの金持ちのガキんちょの家のメイドロボと対決する羽目になったのでした。とほほ。

 次の日曜日。つまりメイドロボ対決の当日。
 ぶ厚い雲に覆われた今日の天気のような憂鬱な気分で、あるなの家に行った私は、玄関先であるなから、たとらが風邪で寝込んでしまったことを伝えられた。
 ホントなら、あるな・たとらと私の三人でメイドロボがいるっていう例のスネ●君・・・違った、タカシ君って子の家に向かう予定だったんだけどね。
「じゃあ、今日は中止だね。たとらちゃんにはお大事にって言っておいてね」
 そうとなったら長居は無用。私は心ばかりのお見舞い文句を口にして、内心ほっと胸を撫で下ろしつつ立ち去ろうとする。その私の腕をぐいっと掴むあるな。
「何言ってんの。誰がいつ中止って言った?カゼなんかを理由にして中止したら、タカシからやっぱり嘘つきだって一週間ずっとからかわれ続けるって。それが我慢できないって。だから私たちだけでも行ってきてほしいってさ」
 本当にたとらがそう言ったの?ハナハダ疑問だね。
 あるなの奴、あれから毎日毎日、顔を会わせるたびに、日曜日が楽しみだって、挨拶がわりに私に言い続けてきたじゃないか。ホントはあんたが楽しみたいだけでしょ。
 あるなは、膨れっ面の私をなだめながら玄関口に引き入れる。そして、ちょっと待ってと言い残して、しばらく奥に消えたかと思うと、何かを抱えて戻ってきた。
「悪いけどこれに着替えてくれるかなあ?」
 ちっとも悪くなさそうにそう言いながら、あるなが、私の前で広げたもの。それは黒のワンピースとフリルの付いた白いエプロン。
「それから、これも」
 そう言って私の手に押し付けたのは、白いフリルの付いたカチューシャ。
「あの・・・これって・・・」
「本格的でしょ。部室から持ってきたの。やっぱメイドロボならメイドロボらしいカッコをしてもらわないとね」
 満足げに大きくうなずくあるな。
 そうでした。あなたは演劇部でした。この手の下らない服を用意するのはお手の物でしたorz
「それから、今からあなたの名前はデイジー」
「デ・・・」
「そして私はあなたのご主人様。私のことはお嬢様って呼ぶこと」
「はあ」
「はあ、じゃなくて、お嬢様っ!デイジー、風呂場開いてるから、とっとと着替えておいで」
 いや、ここは舞台の上じゃなくて玄関先なんですが・・・と突っ込みたくなるような芝居がかった仕草で、後ろを指すあるな。ハタから見たら笑えるのかもしれないけど、でも私、この芝居の当事者なんだよね。
「お嬢様が風呂場なんて普通言わないと思うよ・・・」
 とため息混じりにつぶやきながら、あるなの横を通り過ぎる私の背中越しにあるなお嬢様の声が追いかける。
「あー、それとデイジー。出かけるときは私の半径20m以内に近寄らないでね。同類って思われたら嫌だから」
 はいはい。わかりましたよっ!

 電車の中。目をつぶって、うつむいてたままつり革につかまっている私。目的地まで、あと何駅で着くか、さっきからずっとそればっかり考えている。ていうか考えるようにしている。
 でもね。そう思えば思うほど
「みてみてあのカッコ」
「腐女子キモーイ」
(聞こえてるんだよ)
「ねーお母さん、あの人面白い服着てる!」
「しいっ。見ちゃいけません」
(聞こえてるんだよ)
 私の後ろの席に座っている女子高生のひそひそ話も、右斜め後ろの親子づれの会話も、ぜーんぶ耳に入ってきちゃうんだよね。
 日曜日の昼下がり。悪いことに、電車の中はちらほら空席もあって、どこに座っても車内は全て見渡せてしまう。そんな中で、こんなメイド服のまま電車に乗ったら、みんな私を大注目するに決まってる。人形だ、機械女だって後ろ指さされるより、よっぽどマシなんだって、自分を慰めてみたけどやっぱり駄目。恥ずかしいものは恥ずかしい。
 あるなはといえば、少し離れた席に座って、そんな私のことをチラ見しては笑いをこらえてる。
(悔しいっ)
 つり革を握る私の手にぎゅうっと力がこもる。
 今はしょうがない。言いなりになってやる。でも・・・いつか・・・。
 こういう気持ちを国語の先生はなんていってたっけ。そうだ。ガタンショウシン←(なぜか変換できry)だ。あるなめ。いつか、必ず仕返ししてやるからなっ!

  タカシ君の家は駅から歩いて10分くらいと、前もってあるなに聞かされていた。でも、どう考えても、もう住宅街の中を30分以上うろうろさまよい歩いてるんですけど。このコンビニの前、さっきも通ったんですけど。だって、プラスチック製の青いゴミ箱の上でさっきと同じ三毛猫があくびしてるんだもん。間違いようがないよ。
「ねえ。あのさーっ!」
  そのことを伝えるために、私のきっちり20メートル前を歩いているあるなに向かって声を張り上げる。あるなは憎まれ口を聞く代わりに、立ち止まって、手書きの地図をひっくり返したり、右や左にぐるぐるまわしては、首を傾げている。ああ、あんたは地図の読めない女でしたか・・・。
 ってジョーダンじゃない。このままあるなの後ろを歩いてたら、いつまでたってもタカシ君とやらの家にたどりつけっこない。そりゃあ機械の身体の私はいくら歩いても疲れることはないけどさ、でも、さっきから通行人の痛い視線を浴びまくりで、もし何か事件が起これば、まっさきに私が不審人物としてご町内の皆様に記憶されているのは間違いなし。できれば、さっさと目的地につきたいんですけど。
  しょうがないから私は、こっちに向かって早足で歩いてくる、腕に買い物カゴをぶら下げた女の子に道を尋ねることにした。どうせなら、どう見ても私やあるなと同い年くらいの子より、おばあさんとかのほうががよかったんだけど、この際ゼイタクは言ってられない。方向オンチのあるなのせいで、メイド服姿のまま市中引き回しの刑に遭い続けるよりはましだ。
「うー、あっ、あの、すみません」
  私は勇気を出して、でもちょっと腰引け気味に、脇を通り抜けようとする女の子に声をかける。
  ぴたっ、と音でもしそうな勢いで彼女は立ち止まり、ゆっくり私のほうに目をむけた。急に声をかけられて驚いたのか、大きな目をぱちくり。でも予想してた真水シャワーみたいな冷たーい視線じゃなかったから、気を取り直して言葉を続ける。
「あの、このあたりに新沼さんってお宅はありますか。タカシ君って男の子がいるそうなんですが」
「あらまあ。それならウチですわ」
  にっこり微笑む彼女。なんという偶然。今度は私が目をぱちくりさせる番だ。
「はじめて見る方ですけど、ウチになにか御用でしょうか?」
「御用というか・・・そのう」
  背筋をぴっと伸ばして、私の眼をじぃっとみつめる彼女の取り澄ました態度に気おされた私は、曖昧に苦笑い。
「いや、あのですね。これから、お宅にお伺いして、お宅のメイドロボと対決を、ですね」
「私と対決?どなたがですか?」
「うん。私が、あなたと・・・って、えーっ?」
  ごくり。
  私は息を飲み込むと、あらためてまじまじと彼女のことを見つめた。
  えーと、今彼女は、私と対決って言ったよね。じゃあ、彼女こそタカシ君ご自慢のメイドロボその人ってことだ。メイドロボなるもの、間近で見るのははじめてだけど、そういわれて見れば、彼女の整いすぎた顔だちは天然ものって感じはしない。年齢不詳の落ち着きっぷりもロボットなら納得できるような気がする。着ている服やスカートも、私のやつみたいにに、ひらひらのフリルがどっさりついていないっていうだけで白と黒のシンプルな色合いは同じ。ノースリーブの、ちょっと活動的な、未来チックなメイド服と言えなくもない気がする。でも、それは、そう言われたからのことであって、そうでなければどこからどう見てもフツーのニンゲンの女の子にしか見えないよ。
  でも、よく考えればそれは私も同じか・・・。私だって中身はともかく外見だけなら、何も言わなきゃフツーの女の子で通せるもんね。少なくとも今の技術でニンゲンそっくりの身体は作れちゃうってことは、私が身をもって証明している。なら、ニンゲンそっくりのメイドロボがいたとしても何の不思議もないよね。
(それにしても・・・)
  私はちらりと彼女の服を押し上げている胸のふくらみを見た。
  胸はカクジツに私より大きい。ロボのくせに生意気だっ。初対決は、それだけで、私の負けのような気がするじゃないかようorz

「ふーん。あなたがロボなんだ。ふーん」
  いつの間にか、私たちのそばに来ていたあるな。物珍しげに彼女のまわりをぐるぐる回ったあと、得意の芝居がかった仕草で髪をかきあげながら言った。
「私はタカシ君のクラスメート、武庫川たとらの従姉妹の武庫川あるな。それから、タカシ君から聞いてるでしょ。これが・・・」
  私の腕をぐいっと掴んで前に引き出す。
「今日あなたと対決する、たとらと私のメイドロボのデイジー」
「これ・・・」
  モノ扱いされて恨みがましくあるなを見つめる私を無視して彼女は続けた。
「あなた名前は?」
「新沼ヘンリエッタと申しますわ」
  ヘンリエッタと名乗ったメイドロボは、ぺこり、と音がするみたいに丁寧にお辞儀。
「ふーん。じゃあ、ヘンリエッタ。私たちを・・・」
  あるなは、手にした手書きの地図をぐしゃぐしゃと紙を丸めて、ポケットに突っ込んだ。
「あなたのおうちに案内してちょうだいな」

 がらがらがら。
 家の門というにはあまりにも大きい、まるで校門を思わせるような新沼邸の鉄製の門扉は、私たちが近づくと重々しい音を立てながら、自動的に開いた。
「はー」
 同時に、あきれとも、感嘆ともつかないため息を漏らすあるな。
 私たちの目の前に広がる新沼邸の庭は、サッカーの試合が二試合同時にできちゃうくらいの広さで、おまけにこの中だけで食物連鎖ができるんじゃないかってくらいに、いろんな木々が生い茂っている。これは、庭っているよりむしろ公園だ。
「あ、あんた、お嬢様っていう設定じゃなかったっけ?こんなことくらいで感心してどーすんの?」
 って嫌味をいったつもりの私の声も、興奮してちょっと上ずり気味。「ふん。そうね。うちの裏庭くらいかしら」って思い出したように付け加えるあるなの軽口を笑う余裕もない。
 正真正銘のメイドロボに引き連れられた、ニセお嬢様と、ニセメイドロボは、ちょっとした大通り並みの広さのレンガ舗装の道を歩きながら、まるで都会に出てきたばかりの田舎モノみたいに、あっちをキョロキョロ、こっちをキョロキョロ。
  庭の一番奥に位置する新沼邸は、昔の写真集で見かけるような明治時代の官庁ふうの蔦がぐるぐる絡まった石造りの四階建てで、玄関前のロータリーには噴水まである。このあたりは、府内有数の高級住宅街と言われるだけあって、来る途中見かけたどの家も、私が以前住んでいた家より立派だったけど、ここはまるで別格。死んだお父さんには悪いけど、この家と比べたら昔のウチなんてまるで犬小屋だ。高級車が軽く2台は買えちゃうような高価なメイドロボを持っている家なんだから、かなりのお金持ちなんだろうと予想はしていたけど、まさかここまでとはね。
 私たちの目の前の階段を三段上ったところにある両開きの玄関扉の先にはいったいどんな世界が待ち受けているものやら、期待で胸がわくわくするよりも、むしろ場違いな場所に来てしまったっていう不安と緊張感でいっぱい。
「ねえ、新沼さんっていったい何やってる人なわけ?」
「し、知るわっけないでしょ」
 私の問いかけに、つっけんどんな答えを返すニセお嬢様。でも、彼女が、ごくり、と生唾を飲み込む気配がはっきりわかった。私なんかと違って、生半可なことじゃ動揺しないあるなも、テーマパークなんかじゃない、正真正銘本物の大邸宅ってやつを前にして、ちょっとビビリ気味。
 ヘンリエッタは、そんな私たちの気持ちをよそに、軽やかなステップを踏みながら階段を駆け上がる。

 どん。
 ヘンリエッタがドアのノブに手を掛けるより速く、両開きの扉が勢いよく、外向きに開かれる。中から現れたのは、強いくせっ毛で、くりくりした目が可愛らしい10歳くらいの男の子。
「ヘンリエッタ、おかえり。それから」
 男の子は、私たちのほうを向いてにこっと笑った。
「たとらのお姉さんとデイジー。こんにちは。ぼくタカシです」
 どんな金持ちのボンボンが出てくるのかと思っていたけど、タカシ君ってば、なかなかキュートな子ではないか。私は、今までの不安をあっけなく忘れて、思わずぎゅっと抱きしめて頭をなでなでしてあげたい衝動にかられたけど、すんでのことで思いとどまる。
 タカシ君は、てくてくと私の方に歩み寄って、手をとって、私のことを見上げた。
「デイジーはどこ製のロボットなの?ちなみに、うちのヘンリエッタはギガテックスの最新型なんだ」
「えーっと、イソ・・・ぐふっ!」
 思わずイソジマ電工と言い掛けた私の言葉は、みぞおちに入ったあるなのひじ鉄に止められた。もっとも、私の身体のみぞおちの奥にあるのは胃じゃなくて、義体を動かすバッテリーだから、みぞおちは急所でもなんでもない。でもモンゼツするほどの苦しみはないにしても痛いものは痛い。
「デイジーはイソガイ電子の最新型ですの」
 あるなは、眉をしかめて痛みをこらえる私をにらみ付けたあとで、こほんと咳払いをしてから言った。
「イソガイ電子?ふーん、全然聞いたことないや」
 タカシ君はもう一度、私の顔とそれから胸のあたりを一瞥すると、、明らかに興味を失ったようにくるりと後ろを向いた。
 何も言わなくても、タカシ君、あんたの言いたいことはよーく分かってる。聞いたことのない二流メーカー製のロボなんか、ヘンリエッタの相手じゃないと思ったんでしょ。おまけに胸まで小さいって思ったね。
 前言撤回。こんなガキんちょ、かわいくもなんともない。
 とはいえ一泡吹かせてやるっていう自信も気概もない。私は身体こそヘンリエッタと同じ機械かもしれないけど、心はただの女子高生なんだ。おまけに家事は苦手だし、自分がものを食べれない以上料理なんか作れないし、興味もない。どんな対決をするにしても、私が大惨敗するのは目に見えてるんだ。今日は、たとらが嘘つきじゃないってことを証明するためだけに、わざわさ安くない電車賃をかけて、ここに恥をかきにきたようなもの。そんなこと分かってるよ。

 タカシ君は、私たちをお屋敷に招き入れるなり、一目散に目の前の螺旋階段を駆け上がり始めた。
「みんな、こっち来てよー」
 階段の途中で足を止めて、私たちに向かって叫ぶタカシ君。
「速く速く!たいけつするんでしょ」
 あるなと私は、思わず顔を見合わせる。対決するって言っても、上でいったい何をする気なんだろう。
「行きましょう」
 ヘンリエッタが、あるなに向かって柔和な笑みを浮かべながら手を差し伸べる。
「う、うん。デイジー、行くよ」
「うー」
「うー、じゃなくてハイでしょ」
「はいはい」
 タカシ君の後に続いて螺旋階段を上っていく私たちご一行。行き着いた先は、新沼邸の五階部分にあたる屋上。ゴテゴテ装飾のついた側面とは違い、屋上はかざりっけのないのっぺりしたコンクリートの床が広がるだけ。強いて飾りといえば、周囲を囲む黒い鉄柵くらいのもの。こんなところでいったい何を対決するつもりなんだろう。

 タカシ君は、くるりとこちらに振り返ると、
「これからたいけつほうほうをせつめいしまーす」
 と呆気にとられている私たちに向かって言った。
「ヘンリエッタ、買い物カゴ貸して」
「はい」
 ヘンリエッタの差し出した買い物籠を受け取ったタカシ君は、中をごそごそ探って、生卵の10コ入りパックを取り出した。そして卵を両手に一個づつ掴みあげる。
「あのね。こんなふうに卵を二個持って、ここから下に飛び降りるの。手の中の卵を壊さないで、ちゃんと飛び降りれたほうが勝ち」
「ええっ!」
 と悲鳴を上げたのは、ほかでもない、この私。
「あのあのあのですね。別にこんなことしなくても、対決は、他の方法でもできるよね。どうせ卵を使うなら、目玉焼きを作るとか・・・」
「お料理対決なんて、ロボットじゃなくてもできるもん。人間だってできるもん。ぼくはロボットじゃなきゃできないことをしてほしいんだもん」
 タカシ君は卵をつかんだままの手で、びしっと私を指さした。
「だって、もしかしたら、デイジーは、本当はふつうの人間で、ロボットって嘘ついてるだけかもしれないじゃないか」
 ぎくぎくぎくっ。
 このタカシ君って子、ただのガキんちょと思ってたけど、まるきりバカってわけでもなさそうだ。確かに私が本当にロボットなのかどうか手っ取り早く見分けるには、フツーの人間にはできないことをやらせるのがイチバンだよね。もし私がメイドロボのコスプレをしてるだけの普通の人間だったなら、こんな高さから飛び降りれるわけない。ヘタしたら死んじゃうだろうし、運よく助かっても病院送りは間違いないもん。でもロボットなら別。この程度で壊れちゃうようなやわなロボットはいないはず。
 要は、タカシ君、私が本当にメイドロボかどうか疑っているんだ。だから、私にこんな真似をさせようっていうんだろう。
「あはは。もしデイジーが人間なら、こんなところから飛び下りたら死んじゃうね。でも、ロボットなら平気なはずだよ。ヘンリエッタはできるよ。ねえ、ヘンリエッタ」
「地面までの高さは12.4m。もしここから飛び降りた場合、ボディになんらかの破損が生じる確立が0.025%ありますが、かまいませんか?」
「いいよ。はい、卵だよ。デイジーにお手本を見せてあげなよ」
「かしこまりました」
 ヘンリエッタはタカシ君から卵を受け取ると、スカートを翻してひらりと柵を越え、こっちが息を飲む間もなく、無造作に飛び降りた。そして、ひらひらっと花びらみたいにスカートと髪の毛が広がったかと思うと
 ふわり。
 レンガ敷きの地面の上に綿毛が舞い落ちるみたいに優雅に着地してみせた。すごいスピードで落ちていったはずなのに、決して、ドシンでもズシンでもない、あくまでもしなやかな、新体操なら10点満点間違いなしの見事な身のこなし。おまけにヘンリエッタは、こっちを見上げて100点満点の笑顔で卵を掴んだままの両手を振ってみせる。
「ねえ、見た見た?すごいでしょ」
 タカシ君は、ヘンリエッタに向かって手を振り返しながら、得意満面。
「あら、そんなこと、うちのデイジーにだって簡単なことですわ。準備運動代わりに毎朝うちのお屋敷の5階から飛び降りてますのよ。ほほほ。ね、デイジー」
「うー、そんな・・・ムリだよう・・・痛っ!」
 ぎゅーっと足を踏みつけて私の言葉をムリヤリ遮るあるな。
「ムリじゃなくてハイでしょっ!」
「ははは、ムリ言ってら。デイジーは本当は人間でした。嘘ついてました。ごめんなさいって一言言えば、今なら許してあげるのに」 
「あーらあらあら、デイジーが人間なんて、そんなはずありませんわ。いまどきメイドロボなんてちーっとも珍しくありませんのよ。ほほほ」
 あるなお嬢様は高笑いしながら、卵を二つ手に取ると、私に押し付けた。
 そして、
「行けっ、デイジー!」
 私に向かって、あごをしゃくって、下を指差した。その姿は、部下を死にに行かせる冷酷な軍隊の指揮官さながら。どうやら私に命令違反をする権利はなさそうだね。はは。

 あるなから卵を受け取る代わりに、眼鏡を渡した私は、渋々柵をまたぎ越えたて、四つんばいの格好で、恐る恐る下をのぞきこんでみた。
(ムリだ)
 私は、地面で、まるで私を待ち構えるみたいにぱっくり口を開けている噴水池から目をそらした。柵の内側の安全なところで感じる高さと、柵の外側の危険ゾーンで感じる高さはまるで違う。
「ややややっぱ、こんなのムリだから。ね。ムリ。体が壊れちゃうよう!」
 私は柵にもたれかかりながら、悲鳴を上げた。死んじゃうって叫ばなかったのがせめてもの理性。足はがくがく震える。卵を握り締めた手のひらは、もし生身の身体なら汗でべったりだったっただろうね。
 私の使っているCS-20型義体は、本来特殊公務員仕様なんだ。だから、この程度の高さなら、飛び降りても大丈夫なくらい頑丈にはできてる・・・はず。でなきゃ、特殊公務員なんていう厳しい仕事にこの身体が使えるはずないよね。
 でも、それと恐い恐くないはまた別モンダイ。いくらこの身体が特殊公務員仕様といっても、私の義体免許そのものは、一般生活限定で、専門の学校に行って専門の訓練を受けてるわけじゃないんだ。それに信号だけのニセモノとはいえ、痛覚だって人並みにある。もし、こんなところから飛び降りでもしたら、どんなに痛いか・・・想像もしたくないよ。
 って、そうか。痛いのがイヤなら痛覚を切っちゃえばいいんだ。確か痛覚のレベルは、サポートコンピューターで操作できたはず。
(私ってば、頭イイ!)
 私はぎゅっと目をつむると、義眼ディスプレイに義体の設定メニューを表示させながら、ゆっくりと立ち上がる。
(えーと、えーっと、痛覚のメニューはどこにあるんだっけ)
 視界の中を頼りなさげによろよろカーソルがさまよい動く。念じるだけでサポートコンピューターを操作するのは、やっぱりパソコンのマウスを使うのとは勝手が違うよね。特殊公務員の皆様ならいかなる場合でも冷静沈着に難しい設定変更もこなすんだろうけど、私にはとてもムリ。
 おまけに———
「あと10秒で飛び降りれなかったらヘンリエッタの勝ちでいいね」
 タカシ君の声が私の焦りに拍車をかける。
(性感メニュー?あーっ、もう、違う違う。こんなとき、そんなもの開いてどうするどうするどうする)
「ね。ヤギー、頑張って」
 あるなは、柵越しにパニック状態の私の耳元でこそっとそうささやいたかと思うと、
 とん
 私の両肩を軽く押した。
 それで十分。
 鼠と猫が追いかけっこするあのアニメみたく、空中を歩けるはずもなく・・・
 ぎやああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ——・・・。

 心の準備も痛覚遮断もできないまま屋上から突き落とされた私だけど、一応は頑張ったよ。ヘンリエッタの真似して、うまく足から落ちてみせたつもり。でも体操の経験もなく、特殊公務員訓練も受けず、ましてや12.4mの高さからダイブしたことなんてあるはずもないズブの素人の私に、両足をぴたっと揃えた綺麗な着地なんてできるはず・・・ないよね。
 どすん、
 とスマートとはいえないまでも、なんとか両足で着地できたまでは良かった。でも予想以上の着地の反動に、うまく踏ん張ることができず、バランスを崩して前のめりに倒れて、ぽっこり私のカタチに跡が残っちゃうくらい強烈に芝生に全身を打ち付けた。
 真っ赤な火花が目の周りをチカチカ飛んでいく。ヒトって、許容範囲を遥かに越える痛みを感じたとき、痛いってコトバを口にする余裕なんかなくなっちゃうってこと、私は初めて思い知った。今の私にできるのは、うーうーうめきながら、全身を襲う擬似痛覚が消えうせるまでの30秒間、芝生の上をのたうちまわることだけ。
 何かに例えることすらオコガマシイ、こんな痛い思いをするのは、あの事故以来。あの時、私の身体は脳みそを残して死んじゃった。でも、この機械の身体はどうだろう。義眼ディスプレイには故障を警告するサイン一つ表示されず、頑丈そのもの。そのくせして痛みだけは妙にリアルに再現して、私を苛めてくれるからたまったもんじゃない。
 そして———
 ぴたっ。
 本当にぴたっと30秒で、何の余韻も残さず嘘みたいに痛みはひいてしまう。嘘みたいだってさ。はは。嘘みたいじゃなくて、嘘だもん。義体が衝撃を受けたとき、それらしい痛覚を作り出すようサポートコンピューターがプログラムされてるだけ。私にとって作り物なのは身体だけじゃない。脳みそが感じる感覚だって全部作り物。
 痛みはひいても私はしばらくそのまま仰向けに寝そべって空を見上げた。空は雨が降りそうで降らないどんよりぐずぐず曇り空。悲しくて、情けなくて泣きたい気持ちで一杯なのに、涙の一つ流せない、今の私の気持ちとおんなじだ。
「大丈夫ですか?」
 そんな私の気持ちを知ってか知らずか、上から心配そうに私のことを覗き込むヘンリエッタ。でも私は騙されないよ。あんたのその、いかにも私のことが心配ですっていう表情だって、私の痛覚と同じ、プログラムされたニセモノなんだ。ロボットなんかに同情されるほど私は落ちぶれちゃいませんよーだ。
 私は、膨れっ面で差し出されたヘンリエッタの手をぱちんと払いのける。その私の右手からこぼれ落ちるどろりとした黄色い何か。パラパラ落ちる白い破片。
(そういえば、私、落ちたとき手で頭をかばわなかったっけ?)
 あわてて指先で顔を探る。案の定、顔一面に卵の中身がべったり・・・orz

 しばらくして下に降りてきたタカシ君、卵まみれの私の顔を見るなりお腹をかかえて大笑い。デイジーが人間じゃなくって間抜けなメイドロボだってことが分かった、だってさ。
 どうせ私は武庫川家の間抜けなメイドロボですよ。メイドロボ対決にはボロ負けしたけど、そんなの初めから分かってたコト。たとらが嘘つきじゃないってことはこれで証明できたよね。だったらもうこんな茶番はやめやめ。さっさと帰ろう。
「眼鏡返してよう」
 私は胸から下げたエプロンのポケットの中に入っているハンカチでごしごし顔と手を拭きながら、メイドロボらしからぬ不機嫌さであるなに言った。それで、もう長居は無用って意思表示をしたつもり。
 でもね。
 こほん。
 あるなは軽く咳払いして、皆の注目を集めた後
「一回戦は確かにデイジーの負け。でもまだ二回戦が残っている」
 二回戦?あんた今二回戦って言った?まだ私に何かさせようって気ですか?ジョーダンじゃない。ちょっとは空気を読んでほしいよね。
「いや、もう負けでいいし」
「デイジーっ、おだまりっ!はじめの対決は、タカシ君。あなたが対決方法を指定しましたわね。でしたら次は私が指定しなければ不公平ではなくて?」
「二回戦?」
 タカシ君の目がお気に入りのおもちゃをみつけた子供のように輝いた。ていうかタカシ君、ガキだった。
「何するの?バトル?ちなみにうちのヘンリエッタは50ばりきだから普通のロボには負けないよ」
「・・・ご、ごじゅうばりき」
 それを聞いた私は、こそこそあるなの後ろに隠れた。
 さっきは優しく私に手を差し伸べてくれたヘンリエッタもご主人様の命令とあれば容赦なく私を壊しにかかるだろう。ロボなんて所詮そんなもの。私の義体だってリミッターを外せば出力150馬力だそうだけど、普段はそんな力なんて出せやしない。ぜいぜい普通の成人男性よりちょっとだけ強い程度。そんな私がバトルなんてした日には、どうなっちゃうか・・・想像もしたくないよね。
「嫌だよ。もう帰ろうよう」
 あるなの服を背中から引っ張る私。
「まあまあ。このまま帰るのもなんか悔しいじゃん。ま、悪いようにはしないからさ」
 あるなは、にやりと笑ってこっそり私に耳打ち。あるなの悪いようにはしない、が良かったためしないんですけど。

 と、言うことで今私たちはタカシ君のお屋敷の中、品のいいホテルのロビーを思わせる赤い絨毯の敷き詰められた客間に来ています。
 テーブルを挟んでこっち側に私とあるな、反対側にタカシ君とヘンリエッタがそれぞれふかふかの革張りのソファに腰掛けてテーブルを挟んで向き合うかっこう。私たち四人の前に置かれているのは、あるながヘンリエッタにお願いして用意してもらった白い薄手の紙が2枚づつ。それから黒のマジック。
 あるなによれば、これがメイドロボ対決2回戦の道具ってことだけど、こんなモノで何するつもりなんだろう。タカシ君も思うところは同じようで、さっきから怪訝そうな視線をあるなに送っている。
「さてと、道具は揃いましたね」
 あるなはタカシ君の二つの目と、私とヘンリエッタの四つの機械の目が自分に集まった頃合を見計らって、こほんと咳払いひとつしたあとそう切り出した。こうしてみなの注目を浴びているときのあるなってホント楽しそう。
「メイドロボは人間の代わりにいろんなお仕事をしてくれます。ということは、どれだけ人間らしい感覚を持っているかが重要です。すぐれたメイドロボほど人間に近い感覚を持っていると言えるのではないでしょうか?」
「それとこれが何の関係があるの?」
 タカシ君が自分の目の前の黒いマジックをつまみ上げる。
「関係あります。みなさん、マジックで2枚の紙にそれぞれ自分の名前を書いてみてください」
「僕も書くの?」
「そうぼくも書くの。そして、私も。もちろんデイジーとヘンリエッタも」
 なんだか分からないけど、ここに名前を書けばいいんでしょ。八木・・・じゃなくてデイジーっと。もう一つデイジーっと。
 静まりかえった大広間にキュッキュとマジックの動く音が響いた。
「では」
 みなが書き終わった頃合を見計らって、あるなが顔を上げた。
「じゃあ、タカシ君の書いた、この新沼高志っていう字」
 あるなはタカシ君の名前が書かれた2枚の紙を取り上げる。
「この2枚をぴたっと重ねあわせると、ほら同じじゃない。ビミョーにずれてる」 
「当たり前じゃん。コピーとったわけじゃないんだから同じ名前を書いても、二つともぴったり同じように書けるわけないよ」
 あきれ顔のタカシ君を無視して、あるなは今度は自分の名前の書かれた紙をみんなに見せた。
「私が書いたのも同じ。ずれてる。それから、ほら、このへったくそなデイジーの字もずれてる」
「うー、へたくそは余計だよう」
「でも・・・」
 あるなは私の不平も無視して一呼吸おいたあと、ヘンリエッタの書いた紙を、まるで裁判で勝訴が決まったときのような持ち方で、みんなに指し示した。
「ヘンリエッタの書いた字は・・・ほらこうすると、二つとも1ミリの狂いもなく、ぴったりおんなじ」
 ホントだ。二つの紙に書かれた「ヘンリエッタ」という文字は、あるなの言うとおり、コピーをとったみたいにぴったり重なった。
「だから、この勝負はデイジーの勝ちー!ぱちぱちぱち」
「何言ってんだよ。デイジーの字はこんな汚いじゃないか。ヘンリエッタのほうがずっと綺麗な字じゃないか」
「タカシ君。うふ。この勝負は字が綺麗か汚いか、じゃないの。どれだけ人間らしく書けたか、なの。綺麗な字で1ミリの狂いもなく同じ字を書いたヘンリエッタと、汚いよれよれの字を書いたデイジーと、どっちが人間らしいと思う?ロボットには人間みたいに毎回毎回微妙に違う字を書かせるほうが難しいの。だからデイジーみたいに人間みたいな汚い字を書けるのは実はすごい技術なんだよ。だからこの勝負、デイジーの勝ちっ!」
「なんだそれ。納得いかないっ!」

 勝ちと言われて納得がいかないのは勝った私も同じ。あるなのヤツ、人の字を汚いなんて言ってくれちゃって、それってちっとも褒めてないよね。私だって、できればヘンリエッタみたいな誰が見ても見易いきれいな字を書きたい。でも字が汚いのは生まれつきで、これは体が機械になったからって、その体を動かすのは私である以上治しようがないんだ。
 話がよく理解できてないのかきょとんとしているヘンリエッタ。悔しがるタカシ君。そして、ふてくされる私。得意満面のあるな。その場の四人の感情がちっともかみ合わずなんともしらけた空気になっちゃった。
 そこへ・・・
 ばたん。
 勢いよくドアが開いたかと思うと、四十がらみの小太りのオッサンが私たちのほうへ、ばたばたと駆けてきた。そして、私の書いた2枚の紙を掴み上げると
「この字ッ、これはすばらしい。これを人間が書いたというならただの汚い字だが、ロボットが書いたというならこれはまさに芸術ッ。このデイジーのAIをプログラムしたエンジニアはまさに天才だッ!」
 鼻息で私の髪がふわっとなびかんばかりにテンション高く興奮してる。それで私は余計にしらけた。
 そうですか。ロボットが書いたのなら芸術だけど、人間が書いたならただの汚い字ですか。じゃあ私はホントは人間なんで、それ、さっきのあるなと同じで全然褒め言葉になっていないんですけど。
「いやいや、これはこれは失礼しました。私、タカシの父親です。先ほどからモニターでみなさんの様子を見させていただておりましたが、武庫川さん、お宅のメイドロボは実にすばらしいですな。屋上から飛び降りてバランスを崩して倒れたり、情けないうめき声を上げたり、ロボットとは思えないほど汚い字を書いたり、こんなすばらしいメイドロボは見たことがないッ!」
 新沼氏はそこまで口から唾を飛ばすような勢いで一気にまくしたてると
「メイビス、キャロライン、ステップニー!」
 ぱんぱんぱん、手を三回たたいた。
 それを合図に入ってきたのはヘンリエッタと同じような服を着た三人の女の子たち。どの子も、とびっきりかわいくて、おまけに巨乳だ。それに比べて私は虚乳だ。
「私はメイドロボを集めるのが趣味でしてね、こんなふうにうちにはヘンリエッタも入れて4台のメイドロボがおります」
 新沼氏は、そう言いながら空いているあるなの隣のソファにどすんと腰を沈めた。そして、まっすぐあるなを見据える。
「そこで武庫川さん、単刀直入にお伺いする。ぜひともこのデイジーを私に譲っていただきたい」
「だだだ駄目駄目駄目。わ、わたしは料理も苦手で、掃除も嫌いだし、あ、あと子供も嫌いなんです。字も汚いし、力は弱いし、メカに弱いし、あ、あと数学もチンプンカンプン。だから駄目。使えないです私なんて」
 あるなが口を開くより早く、私の口が動いてた。ジョーダンじゃない。私はメイドロボじゃなくて人間なの。でも、あるなとの約束でそんなことは言えるはずないから、いかに自分が役に立たたずか精一杯アピール。でも、それって新沼氏にとっては逆効果だったみたい。
 新沼氏、ずいっと身を乗り出して満足げに目を細める。
「うーむ、この反応。実にすばらしい。今の言葉を聞いてますます欲しくなったッ!もちろんただとは言いませんよ。これでどうです」
 すっと指を二本立てた。
(にっ・・・)
「にせんまんえん・・・」
 あるながごくんと唾を飲みこむのがわかった。 
「いや」
 静かに首を振る新沼氏。
「2億円」
「売ります。ぜひ使ってください!」
 あるなは新沼氏とがっちり握手。
 私の頭の中でドナドナの曲が流れる。ってそんなこと言ってる場合じゃない。あるなっ、あんたお嬢様っていう設定なんだからね。そんなハシタ金で興奮してどうするのさ。私、メイドロボじゃなくて人間サマなんだからっ。嫌、嫌、売られるのは嫌—っ!


 

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