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「んーとね、これは白馬岳。これは釈迦ヶ岳。これは大菩薩峠。これは空木岳」
「すごい綺麗」
 私は、菖蒲端にある武南電鉄社員寮の藤原の部屋にお邪魔させていただいている。それで、藤原の撮った山の写真のアルバムを見せてもらってるんだけど、正直驚きました。ただのコスプレバカ(失礼)と思ってたんだけど、こんな趣味もあったんだね。彼氏とはいえ、ちょっと見直した。
「この写真はどこで撮ったの」
 私の目に留まった写真に写っているのは、エメラルドグリーンの湖とその湖畔の木々の燃えるような赤、そして遠くに見えるのは上にうっすら頂に雪をかぶった、いかにも霊峰という言葉が似合いそうな切り立った峰。
「あー、これは山形の月山の奥の奥。電気もない山小屋に泊まりながら山道を一日がかりで歩かないとつかない秘境中の秘境っす。写真を見てわかるように、紅葉がきれいでしょ。でも、余りにも不便だから誰もいかないんだよね。おかげさまでその絶景を独り占め。ありがとうございました」
 嬉しそうに語りが入る藤原の顔、素敵だ。素敵すぎる。
「そういえば、再来週あたり、そこ紅葉だよ。裕子さん、行ってみる?」
「もちろん!」
 藤原とならどこへでもって言いたいところだけど、行きたい理由は藤原と一緒だからっていうだけじゃないよ。私だって小学校までは青森のイナカで暮らしていて、それこそ野山を駆け回って育ったんだ。だから、未だに都会よりも自然のほうが好き。身体が機械になっても、それは変わらない。
 自然の息遣いを肌で感じるとか言っちゃってるのは私に言わせれば素人だね。自然の息遣いは、やっぱりここ、ハートで感じるのだよ。
「・・・って言いたいところだけどさ」
 と、突然歯切れが悪くなる私。
「やっぱり、ムリだと思う」
「えー、どうしてどうして。裕子さん行こうよ行こうよ行こうよ。綺麗だよー」
「うん」
 だだっこのようにわめく藤原をなだめつつ、私は藤原のベットに腰をおろすとかしこまって背筋を伸ばした。
「私は全身義体です」
「知ってるよ」
「それでこの身体は電気で動いています」
「知ってるって」
「だいたいフルに充電すると3日間くらい動けます」
「じゃあ充分じゃあないの?」
「でも、それは普通に生活していればの話で、たとえばしろくま便で一日中バイトしたり、団子坂峠、知ってるよね?あそこを自転車で全力で上り下りみたいな激しい運動をすると、すごい電気を消耗します。せいぜい1日くらいしかもちません。山登りもそれと同じだと思う。山道を一日がかりで歩いて電気もない山小屋に泊まるなんてことしたら、バッテリーがもたないよ。だからさ、行きたいけど残念だけどムリなんだ。はは」
「そ・・・そうなんだ」
 藤原はばつの悪そうな顔をして私から目をそらす。
 そんな湿っぽい空気を変えようとして、私はあわてて言った。
「でもほら。紅葉も綺麗だけど、藤原の目の前にいる花も綺麗だよね?」
「は?」
 きょとんとする藤原。こいつの「は?」は演技じゃない。素だ。だからなおさらムカついた。
「あー、そうですよ。花は花でも私は造花です。失礼しましたっ!」
「ごごごごめんなさい。すいません。いやあ、裕子さんは綺麗だなあ」
「許さない」
 どたん。
 ばたん。
 むぎゅ。
 以下省略。


「——ていうことなんだけどさ。私に山登りなんて、やっぱりムリだよね。途中で充電できるところなんてないだろうし・・・」
 藤原とその話が出た翌週に定期検査があった。だから検査が終わって、松原さんに異常なしっていう診断結果を型どおり告げられたあと、軽い世間話のつもりで、ほとんど期待せず、この前のことを話してみたんだ。
 そしたらさ、
「できますよ」
 何ともあっさりした松原大先生のご返事。てっきりいつものように「そんなのムリに決まってますっ!」って口を尖らせたあと、すずめみたいにピーチクパーチクお説教されるかと思っていた私は予想外の彼女の答えに拍子抜けして、
「はあ」
 なんて、ぽかんと口を半開きにして間抜け面。
「予備バッテリーを使えばいいんです。電気が少なくなったら途中でバッテリーを交換すればいいんです。ちょっとここで待っててもらえますか。今カタログを持ってきますから」
 松原さんは、そういい残したかと思うと、長い黒髪を振り乱して、ぱたぱた廊下の向こうに消えていった。
(だめもとでも何でも、言ってみるもんだね。さすが、私の担当ケアサポーター)
 頼もしい彼女の後ろ姿を見つめながら、私は心の中で手を合わせて感謝。


 しばらくして戻ってきた松原さんは、分厚い電話帳ほどもあるイソジマ電工の義体カタログを、どん、とテーブルに置くと、ぱらぱらと白黒ページをめくりはじめた。
 義体カタログは前半のカラーページなら前に見たことがある。CS-15とかCS-16とかCS-20とかCS-21とか、女性タイプの標準義体を使っていろんな義体形式を紹介しているんだけど、形式が違うといっても外見は全部一緒だから、素人の私には何が違うのかさっぱり分からなかった。おまけに裸の写真も結構あって、しかも義体カタログっていう性格上、身体の端子とか継ぎ目とかにカムフラージュシールを張らずに剥き出しのままにしているから、見ててあまり気持ちのいいものじゃない。で、後半部になると白黒ページになって、義体の中の機械部品の紹介になるので見ていてもさっぱりちんぷんかんぷん。ゼンゼン面白くないので、ほとんど読み飛ばした記憶がある。今、松原さんがめくっているのは、その後半ページ。
 やがてお目当てのページを探し当てたのか、小さくうなづくと、カタログのある箇所を指で指し示す。
「今いちばん出回ってるのは、この東北メタルっていう会社のバッテリーです。八木橋さんの使っているCS-20もこのタイプのバッテリーを四個使っています」
「ふーん」
 カタログの写真によれば、そのバッテリーは細長いウインナーみたいな形をしていた。もちろんそれよりずっと大きいんだろうけど。
(こんなものが私のお腹の中に入ってるんだ)
 意識的に身体のそのあたりをなでたり押したりしてみる。生身の人間らしい肌触りにするために、人工皮膚の下には結構厚く緩衝材が入っているそうで、ぷにぷにするだけで、その奥にこんなモノが入っているっていう実感は湧かなかった。
(で、気になるお値段は・・・と)
 私はびっしり書き込まれた値段表記をみつけようと、カタログに書かれた小さな文字を目で追う。
「もちろんタダじゃないんですよね」
「はぁ?」
 そんな呆れた顔しなくたっていいじゃないかよう。ただ、ちょっと試しに聞いてみただけなのに・・・
「値段はここに書いてありますっ」
 ぷりぷりしながら松原さんが指差すその先にある数字。はじめに3があってがあって、そのあとゼロが四個。
「さんまんえん」
 ぽつりとつぶやく私。「癒しの大地」みたいに、しこたまイソジマ電工に巻き上げられると思っていたけど、思ったほど高くはない。これなら普段のお小遣いの中で、なんとか手が届く範囲・・・と、一瞬思ったんだけどさ。次の松原さんの一言は私の夢と希望を完全に打ち砕いてくれた。
「それはバッテリーいっこあたりの値段です。CS-20の稼動には、このタイプのバッテリーが4個必要になります」
 えーーーーーー!
「それってつまり12万円ってことだよね」
 がっくり肩を落とす私。はじめに喜ばされただけに、がっくり度合いも大きい。そうだよね。3万円なんて、そんなに安いわけないよね。でも・・・
「うー」
 カタログと睨めっこして、腕組みして考えまくる。
 逆に考えるんだ。12万円さえ払えば、私は山に行けるって考えればいいんだ。癒しの大地みたいな作り物じゃない。ほんものの山だよ。外国旅行に行くとなったら、そのくらいのお金、フツーにかかるよ。そして大自然に囲まれた山なんて、こんな身体の私にとって、外国よりもっと遠いトコロだったはず。そこに12万円さえ払えばいけるんだ。
(明日、ジャスミンのカラオケは断って、野中さんに相談してみよう。そしてバイトの時間を増やしてもらえればいい。機械の身体なんだから多少ムリしたって何とかなるよね。えーっと一日働くとこれだけもらえるから・・・)
 頭の中の頼りないソロバンがぱちんぱちんと動く。
「あの・・・」
「どうしますか?」
「えと・・・」
「買いますか、買いませんか?」
 松原さんは、カタログをパタンと閉じて立ち上がった。
「かっ、買わせていただきますーっ!」
「お買い上げ、ありがとうございます。新しいバッテリーは、明後日には八木橋さんの家に届くように手配しておきますから」
 にっこり笑う松原さん。普段私と付き合うときのために、その笑顔の十分の一でいいから、とっておいてほしい。
「ただしっ」
「はっ、はいなんでしょうか」
 思わず背筋をぴしっと伸ばす私。これ、ほとんど条件反射になってるような気がする。
「バッテリーの交換のやり方を八木橋さんに説明しなくちゃいけません。だから、山に行く前に必ず私に連絡して府南病院に来ること。いいですか。必ず、です」
「はいーっ。わっ、わかりましたーっ」


(遅刻遅刻遅刻遅刻っ!)
 どたどた大慌てではるにれ荘の廊下を駆け抜ける私。よっぽど煩かったのか、中山さんがドアを開けて不機嫌そうに顔を出す。
「ごめんなさいっ!」
 頭を下げながらもその横を素通りして鍵を開けるのももどかしく自分の部屋に飛び込む。悪いけど中山さんにかまっている暇はない。なぜなら今の私には時間がない。目指す月山に行くには、上野発23時55分の夜行列車に乗らなくちゃいけない。その指定座席切符も、二人分藤原が買ってくれている。藤原とは上野駅で待ち合わせる約束。あとは私が上野に行くだけだ。今から出れば、まだ充分時間はあるはず。今すぐ出ればね。
 やばいのはバッテリーの残り電力。朝から働きづめで、なおかつ今、全速力で自転車を飛ばして団子坂峠を越えてきたばかり。もう節電モードになってかなりの時間がたってる。このままだと上野に付くまでの間にタイムアップになることは、経験上よーく分かってる。
 こんなに家に帰るのが遅くなったのは、私のせいじゃない。悪いのは小林さんだ。その仕事が終わったら、この仕事、この仕事が終わったら次って、いったいどれだけ人を働かせたら気が済むのさ。「今日は人が本当に足りなくて、ヤギーごめん。一生のお願い」って、アンタの一生のお願いはもう聞き飽きた。おかげで、今日駅に行く前にバッテリーの説明を聞くために寄るはずだった病院にも行けなくなっちゃったじゃないかよう。
 いや、分かってる。ホントは全部私が悪いんだ。こうなることが分かっていて今日バイトを入れたのは私。先週金曜日、バッテリーの説明を聞きに病院にいくのをサボッて一週間ぶりの休みにジャスミンとカラオケに行っちゃったは私。そもそも日程がキツイのは承知の上で、この週末に山に行こうと藤原を誘ったのも私。
 だって藤原とは紅葉真っ盛りの時期に山に行きたかったんだもん。ジャスミンとはカラオケに行きたかったんだもん。私だって、たまにはみんなみたいに女子大生らしく遊びたかったんだもん。
 泣きそうな気分で、腰のハッチをぱかっと開けてコンセントを引き出す。今から充電したとして、充電できる時間は20分か、ギリギリ粘って30分。いずれにしても、焼け石に水程度の量しか充電できない。上野まではなんとか行けるにしても、電車の中で時間切れで、藤原に迷惑をかけちゃうのは目に見えてる。でも、だからといってたっぷり充電を取っていたら肝心の電車に乗り遅れちゃう。
(私、どうすればいいんだよう)
 ウロタエて、でも駄目と分かっていて無駄な足掻きをしようと義体のコンセントプラグを部屋備え付けのコンセントに差し込んだ、そのとき、私の目に入ったのは、充電したあと部屋の隅っこに投げ出したままの、この前買った予備バッテリーセット。
 これだっ!神キタ━━━━━━(゜∀゜)━━━━━━ !!!!!
 予備バッテリーは準備よくフル充電済み。
 今、ここでバッテリーを交換しちゃって、外した元のバッテリーは明日麓の旅館についたときに充電すればいいんだよ。私ってば、超頭いい。
(でも・・・その前に)
 私はショルダーバックから携帯電話を取り出した。
(松原さんと連絡とらなきゃ)
 さっき、病院へ行けなくなりましたって松原さんに電話したとき、松原さん超あきれてたけど、結局バッテリーを交換するとき電話をくれればいいってことになったんだ。やり方はそのとき指示するからって。だったら今教えてくださいって頼んだんだけど、「八木橋さんは前もって教えても、どうせすぐ忘れるから、その時に言う」だってさ。馬鹿にしてるよね。
 とにかく今がその時。松原さん、この哀れなコヒツジに救いの手を・・・。
 でも・・・。携帯電話から聞こえたのは怒りっぽい神の救いの声じゃなくて、冷たい機械女の声でした。
”お客様のおかけになった電話番号は、電波の届かないところにあるか、電源が入っておりません。御用のある方は・・・”
(ああ、もう!)
 私は怒りにかられて携帯を思わず床に放り投げる。
 わかってるよわかってる。運命のカミサマはこういうとき私にゼッタイ味方をしてくれないんだ。私の人生こんなことの繰り返しだもん。よくわかってるよ。
 そういえば、松原さん「電車の中で携帯で話している奴を見ると我慢できない」なんてぷりぷり怒っていたことがあったっけ。だから、今も携帯電話を切って、電車に乗っているんだろう。
 松原さんの性格だから、電車を降りた後律儀にかけ直してきてくれるはず。でも、今の私には、いつかかってくるか分からない電話を待ってる暇なんてない。
(なーに。たかがバッテリーを変えるだけじゃないか。所詮おもちゃの電池を交換するようなものでしょ。そんなの超カンタン。いくら私がメカに弱いからって、そのくらい松原さんに頼らなくても自分でできるよ!)
 もう一人の私がささやく。
(でも・・・電話をかけないと・・・)
(それで電車に乗り遅れていいんだね。藤原と紅葉を見に行けなくていいんだね。あなたが、二週間朝から晩まで働いたのは何のため?すべてはこのためじゃないの?紅葉の全盛期はほんの一週間。今日を逃したら、次のチャンスは1年後までない。あなたはたかが電話一本のために全てを不意にしたいのであれば、ご自由にどうぞ)
 ・・・
 そんなの絶対嫌。私は、藤原と山に行くんだ。それと、私だってバッテリー交換くらいできるってこと、松原さんに思い知らせてやるんだ。


 畳の上にぺたんと座った私は、着ているTシャツをブラの下あたりまでまくり上げる。
(えーっと、まずはお腹のシールを剥がして、それからサポートコンピューターにアクセスして、メンテナンスの、えーっと、腹部ハッチ開閉、これだ)
 ぱくん
 と音をたてて、下腹部が割れて左右に開いた。中を覗き込むと、どんな機能を果たしているのか私にはさっぱり見当もつかない複雑な機械類に囲まれて、予備バッテリーと同じ形のオレンジ色の大きなソーセージ型の物体が四つ、タテ方向に仲良く並んでる。機械がつまった自分の身体を見るのは相変わらずフクザツな気分だけど、今はそんなこと言ってる場合じゃない。四つのバッテリーのうち一番右側のバッテリーの丸い頭の部分を掴んで引っ張ってみる。
 かちん。
 思いのほか軽い手ごたえとともに、ぷにぷにした感触のバッテリーが身体から外れた。見た目だけじゃなくって手ごたえもなんだかソーセージっぽい。
(ほら、カンタンじゃないか)
 外したバッテリーを畳みの上に置きながらにんまり微笑む私。同じ要領で二つ、三つと外していく。
 そして、四つ目を外した瞬間———
“警告:義体電圧急低下”
 突然、義眼ディスプレイ上を真っ赤な文字が踊る。
“稼動限界・生命維持モード切替まであと30秒”
 どすん。
 バッテリーをつかんだ右手にとんでもない重さを感じた、と思う間もなく手からこぼれ落ちたバッテリーが畳を転がった。
 何が起こったのか分からず、一瞬頭が真っ白になったけど、稼動限界時間のディプレイ表示が29秒、28秒と減っていくごとに我に返る。つまり、この数字が0になったら、義体機能停止ってこと・・・だよね。
 どどどどうしよう。私、なんてことしちゃったんだろう。きっと、松原さんが注意したかったいっぺんに四つのバッテリーを外すなってことだったんだ。そんなの冷静に考えれば分かりそうなものなのに・・・バカバカ私のバカっ。
 一瞬自分で自分の頭を殴りそうになったけど、今はそんなことをしている場合じゃない。とにかく、この事態を自分で何とか収めなければっ。
(大丈夫、大丈夫。まだ20秒以上あるんだ。四つ目のバッテリーを抜いたとき起こったってことは、一つでもバッテリーを入れちゃえばしばらくは電気はもつはず。要は20秒以内に一個でも新しいバッテリーをセットすればいいってこと)
 幸い、電気が満タンに入った予備バッテリーは目と鼻の先にある。
(ようし)
 私は、立ち上がろうとして、手足に力を込める。
 でも、いつもなら私の思いのままに動いてくれるはずの手足が、ちっとも働いてくれない。半分立ち上がりかかったところで力尽きて、まるで尺取虫みたいに畳を這いずっただけ。
 立てない・・・身体にゼンゼン力が入らないよう。
(そうか、節電モードの二段階目と同じだ。電圧が下がって身体に力が入らないんだ・・・)
 どどど、どうしようどうしようどうしよう。
 頭はこんなにはっきりしてるのに、ちっとも身体が動いてくれないなんて、こんなもどかしいことはない。畳に腹ばいのまま、まるで水泳初心者みたいに、腕と足をばたつかせて、カタツムリ並みのスピードで、のろのろ這い進む。新しいバッテリーは、あと、ほんのちょっと先。ちょっとだけ進めばいいんだよう。
『生命維持モード切替まであと10秒』
 焦る私の気持ちなんかおかまいなしに、カウントダウンは冷静に進んでいく。
 ようやく指の先っちょがバッテリーにふれた。あと少し、あと少し。
 手を思いっきり伸ばして、やっとのことでバッテリーを掴んだ私。でも・・・でも・・・バッテリーが重たすぎて持ち上がらないんだようorz
 さっきまで、片手で、あんなカンタンに持ちあげてたのに、電気がちょっとなくなっただけでこの有様。機械の身体って、なんて不便なんだろう。
『5秒』『4秒』『3秒』
「だだだ誰か、助けてっ!」
 万策つきた私にできるのは助けを呼ぶことだけ。でも、それもちょっと遅すぎた。
『稼動限界。生命維持モードに移行します』
「だr」
 プツン!
 だしぬけに、テレビの画面が消えるように、視界が真っ暗になった。音も、畳のざらざらした感触も全て消え去った。もう私が何を叫ぼうと、わめこうと、誰にも届かない。私は意識だけの存在になって感覚遮断の底なしの暗闇に沈んでいった。


 結局、私がはるにれ荘の自室で、お腹のハッチを開きっぱなしで、予備バッテリーを握りながら人事不省に陥っているところを、イソジマ電工のサポートチームに発見されたのは、藤原と乗るはずだった電車が上野駅を出た2時間もあとだった。
 で、今は真夜中の2時。
 私は、はるにれ荘の自室で正座して背中を丸めて小さくなっている。もちろん腰からはコードが延びて充電中。私の向かいであぐらをかいて座ってるのはイソジマ電工の作業服姿のいかつい男性、サポートセンターの篠田さん。
 しばらくの間、まるで盛り上がらないお見合いみたいに黙って向かい合っていた私たちだけど、やがて篠田さんが静かに口を開いた。
「あのさ、俺の名前、知ってる」
「はい。サポートセンターの篠田さんですよね」
 知らないはずがない。篠田さんには私の恥ずかしい姿を少なくとも三回は見られてる。そのうちの一回は・・・えーと思い出したくないよ。
「当たり」
 篠田さんは恥ずかしそうにぽりぽり頭をかいた。
「名前を覚えてもらって嬉しいんだけどね、でも、俺はサポートセンターの人間なんだよね。サポートセンターっていうのはユーザーさんの義体に何かトラブルがあったとき、緊急に出動する部署なわけ。わかる?」
「はい」
「だから同じユーザーさんと何度も顔を合わせて、名前まで覚えてもらえるっていうのは、本当はおかしいの。わかるよね?」
「はい・・・」
 消え入りそうな声で返事をする私。
 篠田さん、こんな時間まで、わざわざ私を助けにきてくれたんだ。きっと緊急連絡が入るまで、眠っていたに違いないのに。だから、私、もっと大声で怒鳴られるかと思った。なのに、そんな優しそうな声で、穏やかに言われたら、私は余計に自分の罪深さを思い知らされた。怒鳴られて罵倒されたほうが、まだ楽だと思った。もし生身の身体だったら、涙をぽろぽろ流してるよ。きっと。
「本当に、申し訳ございませんでした」
 私は深々と頭を下げた。これは偽らざる私の気持ちだ。
 藤原とは紅葉真っ盛りの時期に山に行きたかった。ジャスミンとはカラオケに行きたかった。たまにはみんなみたいに普通の女子大生らしく遊びたかった。これ、全部私の我侭だ。私だって人間だもの。当然我侭を言う権利くらいはあるよ。でも、私の命の守ってくれてるたくさんの人を裏切ってまで通していい我侭じゃなかった。
 篠田さんの優しい目を見て、逆にそのことを思い知らされた。
「これ」
 顔を上げた私に、篠田さんが渡してくれたのは私の携帯電話。着信履歴には松原さんからの着信が25回も入ってた。
「松原はな。八木橋さんにずーっと電話をかけ続けていたんだぞ。八木橋さんが電話に出ないのはおかしいってな。そして、サポートセンターから連絡が来るより早く、俺に連絡をくれたのは実は松原だ」
「そ・・・そうなんですか」
 そうだった。私は一度松原さんの携帯に電話を入れた。そのときはつながらなかったけど、松原さん着信履歴を見てずーっと私に電話をかけ続けてくれたんだ。そして、心配して篠田さんに連絡までとってくれた。
 ここまで私のことを心配してくれる人を私は裏切った。私、松原さんにどんな顔して会えばいいんだろう。なんて謝ればいいんだろう。
 そして一つ、とても気になっていることを聞いてみる。
「その松原さんはどこにいるんですか?」
 ケアサポーターもこういう場には立ち会うことになってるはず。なのに彼女、どうしてここにいないんだろう。
「彼女とは一緒に来たんだけど、八木橋さんの電気切れの原因がバッテリーを抜いたことだって分かったら、青白い顔して帰っちゃったよ」
 苦笑いする篠田さん。何よりマズイのは、松原さんに約束を破ったことが完全にバレているってっこと。彼女、絶対怒ってるよね・・・orz


 と、そのとき。
「裕子さん!」
 ドアが開いて部屋の中に入ってきたのは、でっかい登山リュックをかかえた明らかに場違いなカッコをした・・・
「ふ・・・ふじわらっ!」
 弾けたように立ち上がる私。
「おいおい。あんた、八木橋さんはただの電気切れだから、来なくても大丈夫っていったのに、来ちゃったのかい」
 篠田さんは、藤原のカッコを見て、あきれたように笑った。
 そうか・・・。イソジマ電工からの緊急連絡は藤原に行くようになっていたんだっけ。だから、私がどこで、どうなっていたのか、藤原もよく知っているはず。でもトラブルっていってもただの電気切れなんだ。心配するようなことじゃないよ。なのに、どうしてこんな時間に私のところに来たんだろう・・・。どうして。
「藤原、ごめんね。私どうしても山に行きたくて・・・でも、逆に心配かけて。馬鹿だよね、私って。ごめんね」
 藤原を前に、うつむいて、もごもご口を動かす私。約束をすっぽかして待ちぼうけを食わせちゃったんだ。きっと、藤原、ものすごく怒っているに違いない。だから、わざわざ私のところに怒りをぶつけるためにやってきた。そう思ったんだ。だから、まともに藤原の目が見れない。
 そんな私のほっぺたにすっと藤原の手が触れる。
「いいんだよ。そんなことより裕子さん・・・怖くなかった?」
「怖い・・・何が?」
「俺は恐かった」
 そう言いながら藤原は、握りこぶしを開いてみせた。中から現れたのは、ビニール製の小さな半円形の物体が二つ。
「これ、何?」
「耳栓」
 藤原はそう言ってにっこり笑った。
「前に裕子さん言ってたよね。この世で一番恐いのは感覚遮断だって。何も聞こえない、何も見えない、何も感じない世界に心だけがまっさかさまに落ちていくんだって。だから、俺、イソジマ電工さんからの電話を受けたとき真っ先に思ったのは、今、裕子さんが暗い世界に一人ぼっちでいるんだってこと。俺は機械の身体じゃないから、正直それがどんな感覚なのか、よくわからなかった。だから俺もタクシーに乗って、裕子さんの家に来るまでタクシーの中で耳栓して、目をつぶってみたんだ。裕子さんがどんな気持ちなのか、少しでも知りたかったから。そしたらさ」
 藤原は、そこでちょっと大げさに目を見開いた。
「超恐かったよ。でも裕子さんは、この何十倍も恐いところにいるんだって思うとさ、そりゃあ少しはムカついたけど、なんか怒れなくなっちゃった。だから、今、俺がいいたいのは、裕子さん恐かったでしょ、大変だったでしょってことだけ」
 私は、相変わらず目の前でにっこり笑っている藤原の顔をまじまじとみつめた。こいつ、バカじゃないかって思った。
 何がバカかって・・・こんな自分のことしか考えない、我侭な機械女と付き合っていることがバカじゃないかと思った。私の気持ちが知りたかっただって?だから耳栓して目をつぶってここまで来だって?そんなことして何のトクになるのさ。
「うっ・・・」
 ほら。泣きたいのに涙が出ない。ありがとうって伝えたいのに、それを身体であらわせない、私はそんな女なんだよ。そんな女のために、そこまでするバカは普通いないよ。
「ふじわらーっ!私は・・・私は・・・うーっ・・・うっ・・・」
 藤原は何も言わず静かに私を抱き寄せた。
 生意気だ。あんたより私のほうが3つも年上なんだ。年下のあんたに、そんなふうにドラマのかっこいいイケメン男優みたく慰められる筋合いはないんだからね。
 でも、こうして素直に胸に顔をうずめて、腰に手を伸ばすと、さっきよりもっと涙が出そうな気分になるのはなんでなのさ。髪を優しくなでられただけで胸が締め付けられそうな気分になるのはなんでなのさあ!
 好き好き好き好き好き好き。藤原のことが死ぬほど好き。このままあんたを離さないよ。ずーっとこうしているんだ。いつまでもいつまでも、ずーっと。
・・・・・・
「こほん」
 私たち二人の世界は軽い咳払いであっさり崩壊した。
 あわてて藤原から離れる私。咳払いの主の篠田さん、あぐらをかいたまま、真っ赤な顔してうつむいていた。
 ・・・ごめんなさい。


「じゃ、そろそろ俺いくわ。お邪魔みたいだから」
 篠田さんは、よっこらしょ、という掛け声が似合いそうな感じで立ち上がった。
「もう俺なんかと会っちゃだめだよ」
「・・・はい」
「余計なことかもしれないけど、彼氏、大事にしてあげなよ」
「・・・はい。あ、外まで送ります」
「いいからいいから、充電がまだ完全じゃないんだから無理すんな」
 篠田さんは、手で私を制して部屋を出て行った。でもどうしても篠田さんに感謝の気持ちを伝えたくって、コンセントを引き抜いて、あわてて彼の後を追って廊下へ出る。
「ありがとうございました」
 小声だけど、精一杯の感謝のコトバ。篠田さんは、振り向かないで、黙って手だけ上げて私に応えると、静かに階段を下りていった。いつの間にか藤原が横に立って私の手を握る。その手を私はぎゅっと握り返す。そうして私たち二人は、篠田さんの背中が見えなくなるまで、すっと頭を下げ続けたんだ。
「・・・あ、あのさ」
 しばらくそのまま廊下に二人並んで黙って立っていたんだけど、恐る恐るといった様子で藤原が沈黙を破った。
「うん。なあに」
「ここまでのタクシー代、足りなかったんだよね。それでタクシーを外に待たせてあるんだ。裕子さん、悪いけど、立て替えてくれないかなあ」
「はあ?」
 それ、早く言ってよう。っていうか、この雰囲気、ぶち壊しだよう。
 バカバカ、藤原のバカっ!。


 結局、その夜、藤原はうちに泊まっていくことになった。
 何があったかは内緒。でも、次の日の朝、また中山さんに睨まれたことだけ伝えておく。はるにれ荘の壁は薄すぎです!
 あ、あと今回の件の埋め合わせとして、藤原の指定した服を10着着る約束をさせられる羽目になった。とほほ。


 さて、実はあと一人今回の件で謝らなければならない人がいる。それは外でもない、松原さん。電話をかけて素直にごめんなさいをすればいいのかもしれないけど、でもかなーり気が思い。
 以前、腕相撲で勝つために義体出力を無理やり上げて義体を壊しちゃったときにも法律違反だって激怒していた。そのとき今度同じようなことをしたら感覚遮断だって怒鳴られたっけ。それで、今回は、松原さんとの約束を無視してバッテリーを外しちゃった。いったいどれくらい怒られるか、想像したくもない。
 ということで、藤原が帰ったあと、私はずーっと机に座って携帯とにらめっこし続けています。でも電話する勇気はどうしても湧いてこなかった。かといって、このまま放置していいはずもない。その場合、厳しい松原さんのこと、次の定期検査で私は間違いなく感覚遮断だ。
 思い悩んだ末、私はパソコンを立ち上げることにした。
(まずはメールしてみよう。メールなら電話より謝りやすいし)
 メールフォルダをクリックするといくつかのどうでもいいスパムメールに混じって、意外なことに松原さんからのメールも来ていた。
 でもタイトルは、空欄。
(いったいどんな内容なんだろう)
 私は、どきどきしながら(心臓はもうないけどね)中身を読んでみた。


送信者:m.matsubara@isojimael.co.jp
日時:永康28年10月24日
宛先:八木橋裕子様
CC:
件名:

ぜっこうの登山日和だったのに
つぶれてしまって残念ですね。
たまたま今回はバッテリー交換に失敗してしまいましたが、
いのちに関わることではなかったのでほっとしています。
ゆうべの件は早く忘れて、前向きに行きましょう。でも
るーるは以後、きちんと守りましょうね。
さすがにデート中は厳しいのですが、それ以外の時間なら
なんでも相談にのります。遠慮なく電話しあえる関係を
いじしていきしたいですね



 あーよかったあ。松原さん、怒りはもう収まってるみたい。これなら電話できるかも。でも、所々漢字変換されてないみたいだけど、急いでメールを打ったのかな?相変わらず松原さん、せっかちだよね。
 私は苦笑いしつつ、ほっと胸をなでおろしつつ、松原さんに電話をかけるために、机の上に置きっぱなしだった携帯を取り上げた。

作者注:松原さんのメールは縦読みでお願いします←マウスをドラッグしてください。
 

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