このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください



 私はうっとり目を閉じて、絶頂の余韻に浸りつつ、藤原の背中に手をまわして藤原をきゅっと抱きしめた。ベッドのやわらかい感触が背中に心地よい。二人とも絶頂に達したとはいえ、まだ身体はつながったまんま。
 お互いなかなか時間が取れなくて、ほぼ一か月ぶりくらいのデート。その締めはやっぱりいつもの菖蒲端のワイ横のラブホテルでってことになった。毎日お互い電話で話しているとはいえ、やっぱり身体で語り合う二人の時間は格別なものがあるよね。
(とっても気持ちよかったよ。ありがと)
 気恥ずかしくて口に出しては言わないけど、藤原の汗ばんだ背中を手のひらで優しくなでることで言葉にできない気持ちを伝えたつもり。
 それなのに・・・ああもう少し一緒にいたいのに・・・
 藤原は、だしぬけに身体を起こすと、ティッシュで身づくろいをすませてベッドの上に正座。
 こう言うときの藤原は、私に何かストレートに言いにくい頼みごとをする時って決まってる。きっとまた変な服を私に着せるつもりなんだろう。
 私はため息をつきながら、枕もとのスタンドのスイッチをひねり、手探りで眼鏡を探り当てる。
「裕子さん」
 藤原はせかすように私の腰のあたりを突いた。
「ん・・・もう何さ」
 私はぶつぶつ言いながら起き上がると、裸のままで藤原と向き合う形で正座した。たぶんハタからみたら滑稽な光景。でも、これ私たちにとっては日常。
「何さ。どうせろくでもない頼みごとでしょ」
 どうせ、ナース服とか全日航のスチュワーデスの制服を着てくれとか、そういうやつでしょ、と口には出さないけど、その代わり、もううんざり、という表情を浮かべてやった。
「これ、見てよ」
 藤原は一向に悪びれる様子もなく、私に身体を寄せてきて、右腕を見せた。虫さされのあとが赤くぷっくり膨れていて、見ているだけでこっちが痒くなりそうだ。
「この部屋、蚊がいるんだよ。さっきから実は何カ所も刺された。俺、蚊が滅茶苦茶苦手なんだよね。このままじゃ眠れない」」
 藤原は膨れっ面で部屋を見回す。
「ああそうですか。生身の人は大変ですねえ。藤原も義体化したらいいと思うよ」
 私は意地悪く笑う。藤原は、軽く笑って私の嫌味を受け流すと
「そこで頼みごとです」
 ほらきた。頼みごと。いったいなんなのさ。
「前に裕子さん、耳の感度変えたら3キロ離れたゴキブリの足音も聞こえるとか自慢してなかったっけ。そんな裕子さんの力を貸してほしいんだけど」
「はあ」
 そう言えばそんなこと藤原に言ったことあったっけか。自慢じゃなくて自嘲のつもりだったんだけど、まあいいや。私は黙って藤原の言葉に耳を傾ける。
「裕子さんなら、蚊が飛んでる音、聞こえるでしょ。それで俺に蚊の居所を教えてよ。叩き潰すから」
「ああ、そんなこと。まあかまわないけど、よくそういうこと思いつくよね」
 私はあきれ笑いを浮かべたあとで、 目をつぶってサポートコンピューターのメニュー画面を呼び出した。
「んーっ」
 暗い視界の片隅に浮かぶ、緑色のサポートコンピューター画面。矢印を操って、感覚設定コマンドの中から聴覚設定を選び、聴覚をデフォルト設定から、2倍・3倍と上げていく。

「何もしゃべらないでね。しゃべると蚊の音が聞こえなくなっちゃう」

 唇に人差し指をあてながら私は小声で言った。無言でうなずく藤原。
 聴覚設定をデフォルト10倍まで上げた時、私の耳はあの不愉快な蚊の羽音を捉えた。

「そっちのほう。飛んでる」

 私は羽音のする方向、申し訳程度についた小さな窓のほうを指差した。
 藤原は、ベットから降りて忍び足で私の指示する方へ進む。

「そこらへん。いま、止まってる」

 私は窓の横にある壁を指差した。藤原は顔を壁に近づけて、なめるように見回す。

ばちん


「ふぎゃっ!」
”生体脳保護のため、サポートコンピューターを強制シャットダウンします”



「・・・・・」


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