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「どんなお客サマも、全て平等です」なんて、幻想なんだ。
ううん、もちろん私もこの会社に入るまでは、それが幻想だ、なんてこれっぽっちも思ってなかったよ。たとえ高級義体を使っているお金持ちのお嬢様であっても、交通事故でいやおうなしに義体化せざるをえなくって、おまけに家族はみんな死んじゃって万年金欠でアルバイトでひーひー言いながら、ようやくメンテナンス代金を稼いでる貧乏学生であっても、イソジマ電工のケアサポーターなら、平等に扱うのがトーゼンだって思ってたし、事実扱ってくれてると思ってた。
でも、会社に入って、それがただの幻想って気がつくまでには、そう大して時間はかからないわけで・・・
どんな会社にだってVIPなお客サマっているよね。そしてVIPなお客サマは、普通のお客様より優遇されて当たり前っていうのが資本主義社会のリクツ。イソジマ電工でいえば、なんといっても宇宙開発事業団(JASDA)が一番のお客サマ。自衛隊、警察、レスキュー、海洋開発事業団、特殊公務員が活躍しているほとんど全ての分野でライバルのギガテックスに負けちゃってるイソジマ電工が、唯一勝っている分野が宇宙方面だ。技術的なことはあまりよく分からないけれど、イソジマ電工が開発した電合成リサイクルシステムっていう画期的な栄養生成システムのおかげで、イソジマ型の義体は、ギガテックス義体より、栄養カプセルの摂取量が少なくて済んで、それが宇宙っていう閉鎖空間で活動するときに有利なんだってさ。ま、これ、イソジマ電工の会社案内の受け売りなんだけどね。
と、いうことで、天下のJASDAサマが、目下のところイソジマ電工の一番のVIPなんだけど、それはどういうことを意味するかって言うとさ、JASDAの言うことなら多少のムリは聞いてあげて、融通を利かせてあげなきゃいけないってこと。たとえ、他の義体ユーザーさんを犠牲にしても、ね。
今回だってそう。緊急ミッションが入ったから、今月末までに定期検査するはずだったJASDA隊員36人を、日程を繰り上げてあと一週間以内に検査させろっていう無理難題が当たり前のように営業部から上がってきた。私たち府南病院チームの割り当て分は12人。しかもそのうち2人は2日がかりの入院検査だってさ。トーゼンのことながら、直近の府南病院の義体科のスケジュールは、私たちの担当ユーザーさんの月々の定期検査とか入院検査とかで、もう一杯一杯。一応今月は私も三回目の入院検査だから、私のスケジュールを調整すれば、1人ぶんのベッドは確保できるけど、そんなの焼け石に水だよね。
だったらどうすればいいかって?決まってる。もうすでに検査予約済みのユーザーさん一人一人に連絡を取って、検査の日取りをずらしてもらうようお願いするしかない。でも、それだって、そんなカンタンな話じゃない。
まず、特殊公務員のユーザーさんは計算外。もし、そういうところで「イソジマ電工さんは、自社の都合で勝手に義体ユーザーのスケジュールを変えてくる」なんて評判が立っちゃったたら、「じゃあウチの部署はイソジマ製の義体の採用は控えるか」なんてことになっちゃう。今はともかく将来大口の顧客に発展するかもしれないところにそういう対応はまずい。
つまりスケジュール変更をお願いするのは、必然的に私みたいな特殊公務員職に就いていない一般ユーザーに限られちゃうんだけど、そもそも全身義体だけど特公さんじゃないっていう人自体少ないし、しかも、そういうユーザーさんの全てが暇な学生じゃないから、検査スケジュールを変えてくれませんかってオネガイしても、「はい、分かりました」と素直に応じてくれる人は、そう多くはないよね。中には義体であることを職場の人に隠している人だっている。そういう人は、わざわざ、たまの休日を検査に当てたり、適当な理由を付けて有給休暇を取って検査を受けたりと、普段から検査スケジュールに苦労しているわけで、そんな人に検査日の振り替えなんて頼めるはずもない。
そんなわけで自分の担当ユーザーさんの振替ノルマの半分も達成できないうちに行き詰って、仁科さんにもうこれ以上ムリですって報告しに行ったら、
「そういうことを普段からお願いできるような関係をユーザーさんと作っておくのも、ケアサポーターの大事な仕事の一つでしょ。もう少し頑張りなさいな。うふふ」
と、笑顔混じりに一蹴された。あほか。もうこれ以上はムリだっつの。
私なんか、タマちゃんや松原さんに検査日の振り替えをお願いされたら、極力協力するようにしてたのにさ、こんなに担当ケアサポが困ってるのに、みんな薄情だよね。ま、私の場合、二人の言うことを聞かざるを得ないくらい、いろいろ迷惑をかけたっていう事情もあったんだけどさ。はは。
”えーっ、1個じゃヤダ”
”ぐぬぬぬ。じゃあ2個で”
”うーん、2個か。2個ね。それなら、まっいいか。ヤギー、サンキュー”
”じゃあ三島さんの入院検査は22日の13時からということでお願いしますね”
”うんうん。22日の13時ね。わかったわかった。りょうかいー。じゃ、忙しいから切るね”
——ガチャ。
ここまで話したところで一方的に切られる電話。
三島め。最新型義体(それも特殊公務員用も兼ねる汎用じゃなくって感覚強化型の高級機だっ!)を使ってる、いいとこのお嬢様のくせして、さんざん振替を渋ったあげく、私からアルコールカプセルを2個も奪っていきやがって。ちくしょうめー。
だけど、まあ、何はともあれ・・・
「どうだった?」
向いの机に座って、こっちの様子を伺っていたみわっち、私が受話器を置いたのと同時に心配そうに口を開く。だから親指と人差し指で小さなマルを作って安心させてあげた。
「OK牧場」
「おめでとうっ!」
みわっちは満面の笑みを浮かべて立ち上がると、机越しに私に向かって右手を差し出した。夜、誰もいなくなったケアサポーター課の中で、がっちり握手を交わす私たち。
「最後の振替、やっと終わりました。全部みわっちのお陰だよ。ありがとう」
うん、ホントみわっちのお陰だ。私の窮状を見かねた彼女は、私のために自分のユーザーさんをノルマ以上に振り替えてくれたんだ。だからみわっちにはいくら感謝しても足りないくらい。それで、みわっちばかりに負担をかけるのも申し訳ないから、私も、一度断られたユーザーさんたちにもう一度だけ、お願いしてみたよ。今の電話みたいに、弱みにつけこんでアルコールカプセルをねだられたりして、少し自腹を切らされたけど、ね。
「ね。あのさ、これから飲みにいこっか?仕事が一段落した、ささやかなお祝いってことでさ」
ケアサポート課の狭いロッカールーム。私は脱いだ制服をハンガーにかけながら、同じく着替え中のみわっちに話しかける。
「え?私は、別に構わないけど・・・でもヤギーは・・・」
あとに続く言葉を歯切れ悪く濁して俯くみわっち。理由は分かってる。私がお酒を飲めないことを気にしてるんだよね。私の義体は今の標準より一世代前のCS-20型で、食べたり飲んだりできる構造になってない。そんな中で、一人だけ飲み食いするのは引けるってことなんだろう。別にそんなこと、気にする必要ないのに。
「あ、ひょっとして、私のこと義体になりたてのひよっこと勘違いしてるわけ?そういうふうに意識されちゃうと、かえってショックかも」
私は冗談めかして、ほっぺたを膨らませてみせる。確かに、飲み食いに未練がないって言ったら嘘になるけど、そんなことより今日は、無理難題を言う上司やら、ちっともお願いを聞いてくれない担当ユーザーさんとのやり取りやらで、たまったうっぷんを晴らしたい気持ちのほうが勝ってる。ヒトコトで言えば、飲みたい気分ってやつだ。
「私は私でアルコールカプセルを飲むからさ。みわっちはゼンゼン気にしないで、構わないんだよう。しかも今日は、私のおごりなのです。今回は、みわっちに助けてもらっちゃったからね、そのお礼ってこと」
「そんなこと言っちゃって、ヤギーお金のほうは大丈夫なの?」
「うー、駅前のつぼ四なら大丈夫・・・です」
「じゃ、へへっ。遠慮なくいただくね。私も横暴なうちの営業部にはうっぷんたまってるしね」
「でしょでしょ。じゃあ、変な気づかいはなしってことで、いこいこ」
と、いうことでイソジマ電工の末端で働くしがない二人の平社員は、仲良く夜の街へと繰り出すことにしたのです。
でも、私、なんか忘れてるような気がするな・・・
なんだろう?とても大事なことのような気がするんだけど・・・まっいいか。
そんなことより、飲も飲もっ!
しがないOL同士の飲みなんて、大抵は人に聞かせられないようなドス黒い話題をサカナに盛り上がるのが世の常。私たちもその例外に漏れることなく、中ジョッキやアルコールカプセルの手助けも加わって、出るわ出るわ悪口のオンパレード。義体ユーザーの数は増えているのに、ケアサポーターの数も対応できる病院もゼンゼン増えなくって、私たちの負担ばかり増していくっていう会社への不満にはじまって、仁科の笑い方きもいよね。年幾つだと思ってんだよwwwwwみたいな上司への陰口とか、三島のお嬢、一度でいいから感覚遮断で3日間放置してみたい、みたいなちょっと苦手なユーザーさんへの、ちょっと良からぬ妄想話とかね。
私も、みわっちも、お腹の中にたまったうっぷんを発散すべく、かなり速いペースでアルコールカプセルや中ジョッキを消費。みわっちの目の前に空いた中ジョッキのグラスが3つばかり並び、私もアルコールカプセルがまわって、いい具合に酔ってきた頃合いに今回の事件、つまり私が忘れていた『とても大事なこと』は発覚したのでした。
コトの発端は、こんなみわっちの話から。
「こう言ったら失礼かもしれらいけど・・・」
中ジョッキに三分の一ほど残ったビールを一気に飲み干し、みわっちはぷはっと、疲れた中年サラリーマン親父のようなため息をついてから、ちょっとロレツの回らなくなった口で、そう切り出した。
「ヤギーは外見を変えたほうがいいのら。いくつになっても外見年齢が16歳というのは、いろいろと問題なのだ。ユーザーさんになめられちゃうのらっ!次の入院検査の時に、思い切ってローン組んで義体換装しちゃったら?私がヤギーの担当ケアサポーターならそういうふうにアドバイスするけろ」
「ああ。ふーん」
私は、二つ目のアルコールカプセルを口に放り込みながら、気のない返事をする。
「みわっちは、そんな感じでいつも新型義体のセールスかけてるんだ。なるほどね。勉強になります」
「あ、いやいや、セールスしようだなんて、そんなつもりは、ぜーんぜんらいっ!」
みわっちは大袈裟に首をふってから、私の嫌味なんかゼンゼン気にしないふうで、眼の前の肉じゃがを、箸を使わず口だけで器用にぱくついた。うー、あんた相当酔ってるね・・・。
「今の身体とは長い付き合いだし、結構愛着あるんだよね。ただの道具じゃなくて、もう私の体みたいなものだもの。モチロンいろいろ不自由はあるけど、もうそれも慣れっこになっちゃったし、それも含めて私なのかなって気がしてる。わざわざお金をかけてまで義体換装しなくてもいいかって思っちゃう。でも・・・」
「うーん、そういうものらのかなあ。中ジョッキおかわりっ!」
「みわっち、全然聞いてないよね。はは」
みわっちに、聞く気がないみたいだったから続けなかったけど、加齢処置くらいなら受けてもいいかな、なんて最近思ってる。なぜかって、いつまでも自分の義体の年齢設定が16のままということに、ちょっぴり不都合を感じてきてるから・・・かな?たとえば、取引先と名刺交換すると、あからさまになんだこいつって顔をされる。全く同じアドバイスをユーザーさんにするとして、仁科さんが言うのと、中身はともかく見た目16のコムスメが言うのとでは、言葉の重みが違うんだろうな、とも思う。今回、私だけ担当ユーザーのスケジュール調整がうまくいかなかったのは、私の弱気な性格が一番の原因だけど、外見年齢が若すぎてなめられてるっていうのも、原因の一つなのかもしれない。
もし、加齢処置を受けるとして、何歳くらいにしようか。いきなり今の実年齢にあわせたら藤原もたぶんびっくりしちゃうから、とりあえずハタチくらいの外見にしてみようか?
のんきにそんなことを考えながらも、心をふとよぎる違和感。
なんなのだ、これは・・・。
そう、違和感のモトは入院検査だ。
えーっと、私の入院検査の予定は、確か月末だったんだけど、JASDAからの突然の依頼で、予定を外して他の日に振替・・・てない。担当ユーザーさんの予定調整にばかり気を取られて、肝心な自分のこと、すっかり忘れてたようorz
「んっ」
さっきまでのホロ酔い気分はどこへやら。あわてた私は、眼をきゅっとつむって、サポートコンピューターを使ってイソジマ電工のホストコンピューターに接続してみた。サポートコンピューターをネット接続するのは、ウイルスに感染する恐れがあるから、非常時以外は余り推奨できない行為だけど、今がその非常時でなくて、何なんだっ!
義眼ディスプレイ上に表示された府南病院の今月の入院検査の予約スケジュールは、私の希望を打ち砕くかのようにどの日も「満床」表示の山山山。当たり前だ。もしここで空きがあったら、今までの私の苦労はなんだったのかってことになる。藁にすがる思いで、自分の管轄外の病院のスケジュールを当たってみたけど、やっぱりダメ。どこも満床。普段だったらもう少し余裕があるはずなんだけど、今月に限ってはJASDA隊員の検査をねじ込んだ影響がモロに出ているみたいだ。
それなら、もう一度調整の効きそうなユーザーさんに頭下げてスケジュール変更をお願いしてみる?そんなのムリだ。あれだけユーザーさんたちに罵倒されて嫌味を言われて、検査の日取りを変えてもらったのに、その舌の根が乾かないうちに、また変更をお願いしたいのですが、なんて言えるわけないよ。
でも、もしも・・・もしもだよ。私が月末までに入院検査できなければ、義体操縦免許を失効してしまう。義体操縦免許を失効するということはどういうことかというと、運転免許証を持っていない人が車を公道で運転できないのと同じように、私も公共の場には出れなくなるってことだ。免許の再交付には病院に缶詰状態になっても、少なくとも二週間はかかるわけで、つまりその間、府南病院付きにケアサポーター二課、仁科さんや、みわっちにはめちゃくちゃ迷惑をかけることになるよね。
月末までには検査を受けなきゃいけない。でも病院はどこも満床。まさに八方塞がりだ。どうしよう。どうしよう。
「おーい、ヤギー。ろうしたの?」
相変わらずロレツの回ってないみわっちの呼びかけに、ふと我に返る。無意識のうちに、私、両手で頭を抱えてテーブルに突っ伏していた。
「うー」
恐る恐る顔を上げ、とろんとした眼で、訝しげに首をひねるみわっちに向かって、震える声で口を開く。
「あの・・・えと・・・私、自分の入院検査をスケジュールに入れるの・・・忘れてたよう。どどどどうしよう」
「ふーん、あーそうらんだ。もっと大変なことが起きたのかと思った」
みわっちは、私の眼をじいっとみつめて、大きな眼をぱちぱち二三回瞬きしたかと思ったら、何事もなかったかのようにビールを口に注ぎ込もうとする。駄目だ、こいつ。何とかしないと。
「あのね。みわっち。私、自分の・・・」
もう一度説明しかけて、やめた。
みわっちが、気持ちよく酔っ払っているとき、わざわざそんなことを話して何になるっていうんだろう。もし話したら、みわっちのことだから、ひょっとしたらもう一度、自分の担当ユーザーに電話して、調整をお願いしてくれるかもしれないよ。でも、これはもう完全に私のミスなんだ。これ以上みわっちに心配をかけて欲しくないし、迷惑もかけられないよ。
「えーっと、なんでもない、です。はは。ちょっと酔ったみたいだね。みわっち、肉じゃがだけじゃなくって他のメニューも頼んだら」
「そうらねー」
無理やり作り笑顔を浮かべて、メニューを開いてみわっちに向けて見せる私。
大丈夫。私は運は悪いほうだけど、最悪のことにはならない星の下に生まれついてるはずだ。今回だって、きっとなんとかなる。内心そう自分に言い聞かせながらね。
結局、あの後、酔いつぶれたみわっちを背負ったまま寮まで歩いて帰るハメになった。いや、もともとは駅までのつもりだったんだけどさ、みわっちの奴、よりによって往来のど真ん中で、それもよりによって私の背中の上で、
「えろえろえろえろえろえろー」
って、さっき食べたもの、ぜーんぶ戻しちゃったんだ。もちろん私のスーツも被害を受けましたとも。私の身体には臭いが分かる機能はないけれど、それでもこんなカッコで電車に乗ったら白い眼で見られるのは間違いないってことくらい想像がつく。だから、電車に乗るのはあきらめて、みわっちを背負ったまま、ゲ●まみれのカッコで歩いて帰りましたとも。どうせイソジマ電工の女子寮までは駅で4つくらいで、歩いても大した距離ではないし、夜道とはいえ、人通が少ないところではないし、そもそもこんなカッコの私たちをどうこうしようなんて思うモノ好きの暴漢はいないよね。もうどうにでもなれって、半ば、投げやりな気持ちも、もちろんあった。
結局、何事もなく無事に寮に帰れはしたけれど、その晩は、もちろん一睡もできませんでした。で、翌日は、トーゼン朝から機嫌が悪いわけだ。洗面台でみわっちと顔をあわせたとき
「私昨日のみすぎたあ。ふわぁ、頭痛が痛い」
と朝の挨拶代わりに、あくび交じりに言われたときは、一瞬殺意すら芽生えかけました。こっちは、途中から飲むどころじゃなくなって、帰ってからもゼンゼン寝れてないのにさ。帰るのが遅くなったおかげで、義体の充電も満足にできてないのにさ。あんたのせいで買ったばかりのスーツをすぐにクリーニングに出すはめになったのにさ。のんきなものだよね。
でもまあ冷静に考えれば、一仕事終わって、ハメを外したくなるみわっちの気持ちも、分からなくはない。今回の件はみわっちも最大限私に協力してくれたわけだし、一睡もできないくらいに気持ちが追い詰められたのは私の身から出た錆なわけだし、みわっちを恨むのはお門違いなんだ。
そう必死で自分に言い聞かせて
「昨日はありがとう。また行こうねっ」
なんて、自分を装って笑顔を作る。それでもって、肝心の自分の失敗に関しては、まだみわっちにすら言えてない。頭痛が痛いのは私のほうだよ。全くもう。
ああ、会社に行くの、嫌だなあ・・・。
それでも、来るべき時はきっちり来てしまうわけで・・・。
ケアサポート課の全体朝礼が終わると、次は技術さんたちと合流して担当病院ごとのチームに分かれてのミーティングになるわけだけど、その席上でのこと。
「えーっと、懸案だったユーザーさんの検査スケジュールの変更作業ですが、昨晩全て完了しました」
みわっちが、イの一番に、心持誇らしげに胸をそらしながら、そう発言した。しょっぱなから、身体が凍りつき、心臓が口から飛び出そうになる私。いや、心臓なんてとっくの昔にないんだけどさ。
「あら。二人とも頑張ったのね。うふふ」
仁科さんが、みわっちと私を見ながら、珍しく心からの笑顔を浮かべる。技術さんたちも、一様にほっとした表情を浮かべ、場の空気が緩みかける。無理もない。今月を乗り切れるかどうかは、この作業が肝だったんだもの。
「あの・・・」
私は、おずおずと手を挙げて、立ち上がる。
「えと・・・あの・・・それについては少々問題がありまして、実はまだ振替が終わっていません」
私の発言を受けてざわめくミーティングルーム。
「そ、それで、あと何人残ってるの?その義体ユーザーさんの名前は?」
仁科さんが、珍しくウロタエタ様子で私に迫る。
私は、手元の手帳を見る振りをしながら言葉をつなぐ。
「えと、振りかえなきゃいけないのは、あと一人で、ユーザーさんは、えー・・・使用義体はCS-20Fで、義体製造番号は23202108・・・」
「いや、だから誰なの?」
仁科さんはイライラした調子で、手にもったペンの先っちょで机をたたいた。
観念した私は、大きく息を吸い込んだ。
「や、八木橋裕子といいます。その、私です」
静まりかえるミーティングルーム。皆の視線が私に集中する。
「今月の自分の入院検査のスケジュールをずらすのを忘れてましたっ!すみませんっ!すみませんっ!」
「そ、それで、まだ振替のアテはあるのかしら?」
いつの間にか、仁科さんの顔からいつもの笑顔が消える。
「それが府南病院は今月中はもう予約でいっぱいで、他の管轄エリアの病院もいっぱいで・・・」
「八木橋さんの義体の検査期限は?」
「今月いっぱい・・・です」
「ミーティング、いったん中断します。八木橋さんは、1時間後にここに来ること」
そう言うが早いか、仁科さんは弾けたように立ち上がって、ミーティングルームを出て行き、中途半端な形でミーティングはお開きになった。技術さんたちは心配そうに私を見ながら、ぞろぞろと無言で出ていく。みわっちは何か私に話かけてきたけど、頭が真っ白けの私は、何を聞かれたのか、どう答えたのか、まるで覚えていない。
「八木橋さん」
仁科さんは、ふうっと、大きくため息をついたあと、重々しく口を開いた。
「・・・はい」
私は、肩を落として弱弱しく返事する。
ここは先ほどのミーティングルーム。机を挟んで二人っきりで向かい合う私と仁科さん。いわゆる説教モードというやつだ。
「どうせ免許取り消しになるなら、この際ケアサポーターなんてやめて、特殊免許を取ってJASDAに入ったらどうかしら。JASDA、今度試作する宇宙船型義体の操縦士を募集しているそうよ。募集資格は、義体一級で、特殊免許保持者に限る。高給保証で未経験者歓迎ですって。八木橋さんにぴったりの仕事だと思うのだけれど。うふふ。うふふ」
まっすぐ私を見つめる仁科さん。平然ときっついことを言いながら陽気に笑う。それがかえって恐いんだ。
「えと・・・いえ・・・あの・・・それはちょっと勘弁してほしいかな、なんて・・・」
仁科さんから眼をそらして俯いた私は、タドタドしく言葉をつなぐのが精いっぱい。宇宙船型義体っていえば聞こえはいいけど、要は脳みそを組み込んだ宇宙船のこと。確かに給料はいいのかもしれないけど、来る日も来る日も星ばかりみつめる退屈な毎日が待っているんだろうし、そもそも地球に戻れるかどうかも怪しいもの。そんな身体になってしまった自分を想像して、恐怖にかられた私は眼をぎゅっとつむってぶるぶると身震いした。
「なーんてね。冗談ですよ。冗談。うふふ。ちゃんと八木橋さんの入院スケジュール組んでみたから大丈夫」
「ほほほ、本当ですかっ!ありがとうございます。ありがとうございます」
私は、顔を勢い良くあげたかと思うと、もう一回、今度はテーブルに頭をこすりつけるくらいに平身低頭。さすがに私よりキャリアがずっと上のベテランケアサポーターだけある。あんな短い時間でどんな魔法を使ったらスケジュールの調整がつけられるのか、私には想像もできないことだ。
「それで、八木橋さんの検査入院の日程、26日でどうかしら。うふふ」
仁科さんは手元の手帳に目を落とした。
「え、26日?」
私は、宙に目を彷徨わせて首をかしげる。検査ができるのは嬉しいけど、私の記憶が確かなら、その日は入院検査用のベッドが埋まっているのは当然として、定期検査のユーザーさんも集中する月内でも一番忙しい日のはず。そんな時に、もし何かのトラブルやら、緊急の義体化手術が入ったら、仁科さんとみわっちの二人だけだと間違いなくパンクするはずなんだ。もし裏から手を回して、私の入院検査をねじ込むにしても、普通に考えたらこの日だけはありえないはず。
「嫌ですか?嫌なら仕方がないけど、残念ながら義体操縦免許は・・・」
「いえいえいえ。嫌じゃないです。検査、受けさせてください。お願いします。でも、26日だと仁科主任と田中さんが、かなりきついのではないかと・・・」
「あらら、トラブルを起こした当人に心配されるなんてね。うふふ」
「・・・すみません」
相変わらずきつい嫌味を言う人だ。でも、ひたすら恐縮するしかない。
「心配しなくても、その日からしばらくの間、助っ人さんを手配したから大丈夫。彼女、府南病院に住み込みで24時間態勢で働いてくれるそうよ。だから八木橋さんは安心して検査を受けていいの」
「はあ、そうなんですか?」
助っ人さん?今は一課も三課も手が回らないはずだから、臨時にケアサポを回してもらう余裕なんてないはずなのに、一体どんな手を使ったものやら。
でも、今は余計なことを考えるのは、よそう。宇宙船型義体にならなかったことを素直に喜ぼう。バンザイ。仁科さんありがとう。
そして——ちっとも待ちに待ってはいないけど、それでもやってきた入院検査の日。
私は今、府南病院の義体科の、かたーい診察台の上に仰向けに横たわっています。
それでもって、私、さっきから拳をぎゅっと握りっぱなしなのも、眼鏡を外してぼんやりとしか見えない眼を、無意味につぶったり開けたり、繰り返してるのも、全部これから私が体験するであろう避けようのない恐怖を想像して緊張してるから。もし生身の体なら、握りしめた拳の中は、冷や汗でぐっしょりだったに違いない。
義体の首筋にある接続端子には、しっかりと黒いケーブルが接続されている。首を傾けてそのケーブルの行きつく先を眼で辿ってゆくと、診察室の隅っこに置いてある義体の検測用機械につながっている。その機械の前に座った仁科さんは、モニターと睨めっこしながら、キーボードに何かを打ち込んでいる。
私だってケアサポーターのはしくれだ。仁科さんがこれから何をしようとしてるか、よく分ってるよ。私のサポートコンピューターの電源を落とす準備をしてるんだよね。
大がかりな義体の検査をするには、義体はバラバラに分解しなくちゃいけない。義体をバラバラに分解するには、その前に義体の電源を落とさなくちゃいけない。義体の電源を落とすには、その前にサポートコンピューターの電源を落とさなくちゃいけない。ユーザーさんの入院検査の時には、私だって何回も同じ手順で対応しましたとも。
別に電源を落とされた後、私の義体がバラバラに分解されようが、私自身が見るわけじゃなし、次に目が覚めたとき元通りになってくれていれば何のモンダイもない。モンダイなのはサポートコンピューターの電源を落とされるってことだ。
サポートコンピューターの補助を失った全身義体ユーザーなんて、みじめなことこのうえない。何も見えない、何も感じない、光も音もない、上も下もよく分からない暗闇に意識だけで、ふわふわ漂うだけの、悪ガキに羽をむしられたトンボよりも無力な存在。私たち義体ユーザーは、この状態を感覚遮断って言ってるんだけど、大抵の義体ユーザーは、これがトラウマになるみたい。もちろん私も含めて、ね。私が今、処刑台に向かう死刑囚みたいな気持ちでいること、これで分かってもらえただろうか。
「これから、サポートコンピューターを落としますが、その前に一つ確認。八木橋さん、癒しの大地シリーズを使わなくて、本当に、いいの?うふふ」
死刑執行人にしては妙に愛想の良い仁科さんの声。
「うー、今回は・・・遠慮しておきます・・・」
天井に顔を向けたまま、力なく私は答えた。
癒しの大地シリーズっていうのは、イソジマ電工が開発した義体ユーザー用の仮想空間体験機のこと。サポートコンピューターの代わりに癒しの大地シリーズの大容量コンピューターを脳みそに接続することで、義体ユーザーは検査中でも五感を失うことなく、それどころか癒しの大地シリーズの作りだした仮想空間の中で、海で泳いだり、温泉でくつろいだり、美味しい食事を楽しめたり、この体ではできないことまで体験できちゃうっていう素晴らしい機械。私だって使いたいのはやまやま。でも・・・でもさ、仁科さんもみわっちと これからたった二人でユーザーさんの検査のピークを切り盛りしていかなきゃいけない中で、私だけのんびりリゾートを楽しむわけには立場上いかないよ。
「そう。ケアサポーターとしては余り推奨できない行為だけど、お金がかかることですし、使うように強制もできないですからね。じゃあ八木橋さん、心の準備はいいですか」
「はい・・・」
私は目をきゅっとつむった。
”かちり”
仁科さんがマウスをクリックするかすかな音。
それを合図に、背中に感じてた固いベッドの感触も、検査用コンピューターのかすかな起動音も、全て消えうせ、私の意識は音も光もない、底なしの暗闇に落ちて行った。
私が無の世界の住人になって、いったいどのくらいの時がたったのだろう——なんて大袈裟に言うほどでもない。感覚遮断の暗闇の中で恐怖を忘れて眠ろうとして、ちょうど羊を1523匹まで数えあげた、ちょうどそのとき、唐突に黒い視界の中に白く数列や英文が浮かびあがる。これはひょっとしてサポートコンピューターが復活する合図なんだろうか?
でもおかしい。柵を飛び越えていった羊さんの数から考えても、サポートコンピューターの電源を落とされてから、せいぜい2、30分ってところ。検査がこんな短い時間で終わるなら、今回の振り替え作業で私のした苦労は、一体何なんだってことになるよね。
とすると、これは、癒しの大地シリーズの準備画面じゃないだろうか? ひょっとして感覚遮断の私を不憫に思った仁科さんが、サービスで癒しの大地シリーズをつけてくれたんじゃないだろうか?いや、そうに違いない。そうに決まってる。ありがとう仁科さん。笑い方がきもいなんていってごめんなさい。さっきは仁科さんやみわっちの手前ああ言って断ったけど、私だってホントのことを言えばさ、こんな感覚遮断の暗闇で独りぼっちでいるより、癒しの大地シリーズの世界で、のんびりくつろぎながら検査が終わるのを待っているほうがいいに決まってる。たとえそれが作りものの世界であってもさ。
(やっほー)
何の意味もなさない数列に向かって、私は喜びの声を上げ、手を振る。いやいや、今の私は意識だけの存在。声も出せないし、手もないんだった。それはともかく、目の前を流れる意味不明の英文を、まるでお気に入りの映画のタイトルロールを見るみたいにわくわくしながら眺めることしばし・・・それまでの感覚遮断の暗闇が嘘のように、唐突に目の前が明るくなった。久し振りの癒しの世界、満喫するぞう。
「八木橋さん、お目覚め?うふふ」
・・・目覚めた私の眼に飛び込んできたのは、太陽のさんさん降り注ぐ白い砂浜でも、頭上に天然のプラネタリウムが広がる温泉の露天風呂でもなく、私を見下ろす仁科さんのまあるい顔だった。
「身体はきちんと動きますか?」
「はあ」
のっけから現実に引き戻してくれる仁科さんの無粋なコトバに不貞腐れつつも、私は身体を起こし、そこで自分の服が、検査前に着ていたはずの入院服から、白無地のシャツと薄紫色のベストに変わっていることに気付いた。これって・・・うちの会社の制服だよね。私、なんでこんな服を着てるわけ?
「あの・・・これ・・・」
赤いネクタイをつかみながら疑問を解決すべく仁科さんに向かって口を開きかけて、仁科さんの背後の壁にかかっている時計が目に入る。時計が示す時刻は午前8時30分。つまり検査がはじまってから30分しかたっていないってこと。普通、入院検査は、義体から脳や生命維持装置を取り出して、残りの義体は部品単位まで全部バラバラにして一個一個部品を検査して、調子の悪い部品は取り換えて、もう一度義体を組み立て直すっていう工程を踏むから最低でも2日がかりの作業になるはずなんだ。それなのに、たった30分で、検査終了なんて、そんなことありえるだろうか?
「身体はきちんと動きますか?うふふ」
時計を見つめたまま物思いにふける私に向かって微笑みかける仁科さん。
私は頭に浮かんだ疑問はとりあえず脇に置いておいて、仁科さんの言葉に従って義体の動作チェック。背伸びをしてみたり、両方の手のひらを開いたり閉じたり。
「問題はないみたいですけど、でもなんだかちょっと違和感が・・・あるような、ないような」
一応は、思った通りに身体は動くみたいだ。でも、いつもとは何かが違う気がする。でもその何かっていうのが説明できなくてモドカシイ。
いつの間にか会社の制服を着ていること、たった30分で検査が終わったこと、義体から受ける違和感、いろんな疑問で頭が混乱しているのがハタから見ても丸わかりなはずなのに、仁科さんは何事もなかったかのように、
「はい、これ」
と、いつもの笑顔混じりに、でも有無を言わさぬ調子で、持っていた空のダンボール箱と工具箱を私に押しつける。
「えと」「これから八木橋さんにしてもらうことを言いますね」
私に口を挟む隙を与えずに仁科さんは、説明をはじめた。
「そこに置いてあるユーザーさんの義体のことなんだけど・・・」
仁科さんは、そう言いながら私の隣の診察台に目を向ける。今まで何の気配も感じなかったから気がつかなかったけど、そこには、こっちに背中を向けたまま入院服姿で寝ているユーザーさんがいた。背中越しで、はっきりとは分からないけれど、少なくとも女の子で、年は私とそんなに変わらないみたい。私は何人か、該当しそうなユーザーさんの顔を思い浮かべてみる。
「どうしても今日検査を受けなきゃいけないの。でも八木橋さんも知ってるように、今日この病院は、他のユーザーさんの予約でいっぱいで、ここでの検査はどうしてもできないの。だから、その義体の検査は工場でする段どりになっています。うふふ。それで、八木橋さんの仕事なんだけど、その義体を分解してその箱に梱包して工場に発送してほしいの。9時から続々と他のユーザーさんの検査がはじまるから、頑張って、それまでに作業を終わらせてね。うふふ」
「えと、でも私、義体の分解作業なんてしたことないですし、分解に失敗して義体を壊しちゃっても責任とれないですし・・・それにそもそも義体の分解は技術さんの仕事なのでは・・・」
俯き加減にぼそぼそ言い訳めいたものをつぶやく私。私ってば、自分の身体が機械のくせして、機械いじりにはまるで自信がないんだよね。義体の分解は、ケアサポーターでも、できれば習得したほうがいい技能には違いないけど、絶対必要ってわけでもないはず。こういう仕事はできれば避けたいところだ。
「技術さんも今日は忙しくて手が回ってないの。分解っていっても、部品までバラバラにするわけじゃないのよ。箱に入れられるように頭と手足を外すだけ。そんなに難しい作業じゃないから、今後の練習も兼ねて八木橋さんが一人でやること。」
「今後の練習って・・・そんなことしていいのですか?このユーザーさん嫌がるんじゃないんですか?」
「私がいいと言ったらいいの。時間がないからすぐ取りかかりなさいね。うふふふふ」
「はーい」
ちょっと不貞腐れたように返事する私。もうどうなっても知らないからね。
こうなったらやけくそ。工具箱の中からドライバーを引っ張り出した私は、分解作業がしやすいように義体に仰向けの姿勢を取らせるべく、義体の背中越し肩を掴んで手前に引き寄せる。ごろんとベッドのはじっこスレスレまで転がった義体はちょうど顔が天井を向く格好になって、ベッドからはみ出た右手が糸の切れた操り人形みたいにだらりと垂れ下がった。
(どれどれ、私以外にも、入院検査の予約を忘れる間抜けがいるなんて、いったい誰なのか見てやろうじゃないか)
私は、義体の枕もとでしゃがみ込んで、義体の顔を隠すように覆いかぶさっている髪の毛を、そっと払いのける。
「・・・・・・」
えーっと、この義体、どんな顔してるのかと思ったら、私のとてもよく知ってる顔でした。っていうかこの顔、毎朝毎朝、化粧をするとき嫌でも鏡で見てるんですけど・・・。そう、これは私だ。いや、正確には脳みそを引き出された私の抜け殻と言うべきか。瞳を虚ろに見開いたまま横たわる、魂の抜けた私の義体。はっきりいって死体みたいで薄気味悪いの一言。それが自分の姿だとしたらなおさら。
(だとすると、こっちの身体は)
私は、とっさに今の自分の顔に手をやり、そこではじめて眼鏡をかけていないことに気づく。義眼の視力は眼鏡をかけなくても日常生活に支障がないように調整されているみたいで、いつもと違う妙にクリアな視界が逆に落ち着かない。
この身体は、たぶん標準義体。視力だけじゃない。いつもの私の義体とは、背格好が微妙に違うし、手足の長さもちょっとだけ違う。それが、さっき上手く説明できなかった違和感の原因に違いない。妙に短い感覚遮断の間も、単に脳みそを標準義体に移し変えただけだとすれば納得がいく。
いやな予感はしてたけど、私の義体の検査、やっぱりちっとも終わっちゃいなかった。それどころか、むしろこれから。 確かに病院のベッドが満床なら工場送りも仕方ないと思うけど、でも、それにしたって自分で自分の身体をバラバラにするなんて、タチの悪い罰ゲームみたいな仕打ち、ひどすぎるっ!
「うふふ。やっと気がついたの?」
怒りに震える私の耳元でささやくように言う仁科さん。
「その義体なら、八木橋さんの練習台にうってつけでしょ?うふふうふふ」
むっとしながら気後ろを振り返る私。でも仁科さんが、いつもにも増して眼を細くしてにっこりしているのを見て、私の怒りは穴の空いた風船みたいに情けなくしぼんでしまう。初めて仁科さんを見た人なら心から笑ってるとしか思えない笑顔。でも私は知っている。彼女は、笑えば笑うほど怖いってことをさ。
「府南病院付きのケアサポーターの要員は6名2交代。それに技術さんが4名2交代。それで日常業務も、緊急手術もこなしています。少ない人数で、みんな必死で時間のやり繰りしているんですよ。うふふ。そんなギリギリの人数から、もし間抜けさんが検査で脱落して、そこに緊急手術が入ってしまったらどうなるか、あなたは今まで考えたことがあるかしらね。うふふ」
「そ・・・その、迷惑かけるのは分かってましたけど・・・で、でも仁科さんが、泊まり込みで働いてくれる助っ人さんが見つかったから、大丈夫だって仁科さんが言うから・・・」
しどろもどろにそこまで言葉を続けたあと、あることに気がついて思わず息を飲み込む。
義体操縦免許で動かせる義体は、サイボーグ協会に登録された自分自身の義体だけ。標準義体には適用されないから、この体でいる限り、私は病院から離れることはできない。つまり自分の義体検査が終わるまで、私は強制的に病院に寝泊まりするしかないってことだ。それで、この標準義体が、わざわざ制服なんて着ているってことは・・・まさか・・・
「えと、あの・・・休まず泊まり込みで働いてくれる助っ人っていうのはひょっとして・・・」
私の嫌な予感、外れてほしい。一縷の望みをかけて、恐る恐る、仁科さんの顔を上目づかいに見上げる。でも、良い予感はちっとも当たらないくせに、私の嫌な予感が外れたためしなんてないんだ。
「あら察しが良いのね。標準義体に換装しちゃって病院に泊まり込むしかない誰かさんに助っ人をお願いしようと思っていたの。うふふ」
「やっぱり・・・」
「これに懲りて二度と義体検査の予約を忘れるなんて初歩的なミスは犯さないでくださいね。今回は自業自得。他のユーザーさんで同じことをやったら、会社の信用問題にかかわるんですよ。うふふ」
「・・・」
「じゃあ、この義体の分解と梱包と発送。今すぐやってね。これCS-20型義体のの説明書。分解のやり方は、ここに書いてあるからお願いね。あと25分でやって。うふふ」
仁科さん、そう言い残すが早いか、そそくさ部屋から立ち去ってしまう。一人残された私は、ウツロな目でぼんやり立ち尽くすばかり。25分で完全分解して箱詰めなんてムリだよう。・・・どうしよう。でも時間がない。あとのスケジュールもつまってるっていうし、なんとか一人でやるしかないよね。
えーっと
あれ?あれ?あれ?
腕が抜けない。そか。このネジ外さなきゃいけないのか。
あーっ、ネジ飛んだ。どっかいっちゃった。どうしよう。
えーっと首は、あーっ無理やり外したらケーブル切れちゃった。
あーっ、あーっ。
あ、これ失敗した・・・どうしよう。
あーーーーーーーーーっ!!!!!!!
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