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東北列車旅+マイマイ探し

六郷土手から新宿へ向かう。途中、京急蒲田で十分近く待つが、これは旧1000形がよく入る運用なのである。しかし該当はオールロング600で残念。

新宿からはムーンライトえちごに乗る。実は今回の旅は金・土というような形にしたかったのだが、指定席が満席で断念。やむなく平日に変更したものである。しかし、この平日というのは学生ぐらいの特権であって、非常に空いていた。新潟まで、結局私の隣には誰もやってこなかった。平日旅も、捨てたものではない。また前日の徹夜や、アカガネ探しも響いてか、割合とすぐに寝付けた。ただ、停車時間の長い駅に着くと目が覚めてしまった。おかげで高崎で能登を拝めたが。

新潟から快速電車に乗り換えて、坂町を目指す。ホームに出ると、非常に寒い。北国の夜明け前をなめてはいけない。いくら暖冬とはいえ、少しばかし薄着をしてきた私には非常に不安になる。外はまだ暗いので昨日の反省を活かし、持ってきた本を読む。途中、新津でふとホームを見渡すと、国鉄色のキハ52が留置されていた。もしかしたら米坂線で当たるかもしれない。これは期待が持てる。

坂町に到着。米坂線の始発までまだ一時間以上あるので、近くの川に行ってみる。外は寒いので、小走りで体を温める。しかしオオホソクビゴミムシがいたくらいで、マイマイは見つけられなかった。雰囲気は良好なので、もう少し時間があれば見つけられる可能性は十分だ。

米坂線のおでまし。だが米沢方からやってくるので、先ほどの国鉄色はありえない。もしかするとべにばな号でやってくるかもしれないと新たな期待をして、今くる列車を見てみる。キハ40の後はキハ52のようだ。

その番号は、102!これは昭和三十八年から走り続けている、JRで最古参の現役気動車である。まさか朝っぱらからこんな名車両に遭遇するとは、なかなかついている。しかも平日ということもあり、非常に空いている。余裕で一ボックスを占領する。

風格のあるキハ52のたたずまい。大糸線のそれとは違い、前面の補強鉄板がキハ35を想像させた。

ちなみに102は非冷房でもある。是非夏に来て、窓を開け放って乗りたいものである。

米坂線沿線は屈指の豪雪地帯でもある。今年は比較的暖冬だが、それでも車窓には雪景色が広がる。小国あたりは結構雪が積もっていた。これは今泉も写真くらいに雪が広がっているかもしれない。採集が難航しそうで困った。

そんなことを考えつつも、四十年近く走り続ける古豪の力強いエンジン音を聞いて、しばし睡眠にふけってしまった。

坂町から約二時間、今泉に到着。雪はほとんど無い。これは助かった。べにばなが来るまでの約二時間、とりあえずいつもどおりの採集ができそうだ。

採集地へは二十分ほどで到着。目ぼしい材を探すが、こんな辺境の地でも同業者はやってくるそうで、削られているものも多かった。昨日のゴミおよび材起こしもやってみるが、ここは遊歩道が整備されていてゴミはとりあえず無い。もしかしたら何も見つからないのでは、と不安が頭をかすめたとき、ふとある材を見つけた。調べると、どうも樹皮がベロベロにはがれそうだ。これは相当な生態系への影響があるが、採集欲に負けて一気にはがしてみる。

すると、ムカデや何かの幼虫に混じって、オサムシが出てきた。アカガネか!と思ってみると、ちょっと大きい。これはクロナガオサムシの類だ。初採集なのでこれは嬉しい。とりあえずボウズは逃れた。

まだ種名はわからないが、地理的にトウホククロナガオサムシであってほしい。

コアオはヒメと違って、胸部が赤紫!

そろそろ駅に引き返す時間が近づいてきた。このままでは目的のマイマイが採れずに終わってしまいそうである。焦りつつも、幹から分かれているやや高い所の立ち枯れを見つける。先端部分は乾燥していていそうも無い。ちょっとゆすってみると、根元から倒れそうである。先の樹皮はがしと同様に、立ち枯れを倒すのも非常に問題があるが、これ以上に大胆な朽ち木崩しはやったことが無い。体重をかけると、予想通りに根元が折れかける。ついに!コアオが一匹躍り出てきた。今やったことの重大さを忘れてしまうかのように、夢中になって毒ビンを取り出す。写真なんてそっちのけだ。これで目的は達成された。ふぅ。

しかし、立ち枯れはまだ完全に分離していない。最後の一押しをすると、幹の方にマイマイの集団越冬のシルエットを確認!思わず舞い上がってしまった。派手に崩した甲斐があった。

これで面目は保たれた。それにしても昨日から本当についている。あとで悪いことがおきなければいいのだが。

予想外の採集によって、少しばかり時間に余裕が出来た。ちょっと休憩をする。これが採集地の対岸の景色だ。あっちは行くのが面倒なので、もう少し状況はよいかもしれない。時間があれば訪れて見たかった。

駅に戻る。さあ、べにばなはどの車両が充当しているのだろうか?

ライトは二灯、キハ52ではないようだ。近づいてくる。キハ58だ!

山田線や花輪線からキハ52.58が駆逐されている中、米坂線ではこれからも使用していくようである。米坂線はは東日本最後の砦になりそうだ。

私にとって、キハ58は初乗車となる。デッキがあり、車体も広く、さすがは元急行型。先ほどより混雑していたのと、ロングシート改造がなされていたのは残念だった。

今泉からは、米沢は近い。四十分ほどで着いてしまった。ちなみに向こうに見える赤いヤツは、朝乗ったキハ40と52102だ。

米坂線ホームは駅の端にあるため、改札まで歩かされる。しかし、途中にはまたもや国鉄色のキハ52が鎮座していた。どうやら塗色変更されているのは一両だけではないようだ。そういえば小国の前で、国鉄色のキハ58にすれ違った。あれがべにばなだったら最高だったなぁ。

これまた次の列車まで一時間半くらいあるので、昼食もとらなければならないので駅を出る。ここにも近くに川があるので様子を見に行ったが、ちょっと厳しい。なのですぐ戻って、写真右隅に写っている立ち食い蕎麦屋で昼食。

いつもは月見そばorうどんで我慢する所を、券売機の欄に牛肉の文字を見つけてしまい、せっかく米沢まで来たということもあり購入。卵も一緒に追加。いつも旅行の昼食は持ち込みのパンで済ませているため、たまに食べる暖かいもの、特に地元の名産となると格段においしく感じる。

しかし私は考えた。いつもの昼食代は大体¥300程度。それなりの量は確保できる。だが、駅そばで一番安いかけだって、そのくらいの値段である。荷物になるし、値段も変わらないのなら、よっぽど辺境の地に赴くとき意外は、駅そばでも変わらなさそうだ。

さて、まだ時間は十分にあるが、峠越えの列車が入線。719系だ。

とっとといって、中の見合い方クロスシートを占領。といっても二人がけだが。

列車が動き出す。福島までのこの区間は、非常に楽しみにしていた。どのような風景が楽しめるか?まず関根駅を出ると、ニホンザルが見られた。野生のは初めてみた。

大沢駅に着く山形新幹線ができるまでは、ここから峠、板谷、赤岩と四駅連続でスイッチバックがあった。今回の大きな楽しみは、このスイッチバックの遺構を見ることであった。

峠駅では、かの有名な力餅の立ち売りが行われていた。ちなみに峠は、この力餅の店以外に家が無い秘境駅である。いや是非立ち寄ってみたい。

板谷駅のスイッチバックの遺構。この区間の駅はみな、スノーシェッドの中にある。奥羽本線を横断するこの地帯もまた豪雪地域である。

赤岩の引き上げ線。今私の乗っている列車は34‰の勾配を駆け下りていて、あの引き上げ線はレベルだから、相当なものである。昔はここを機関車が上っていたとなると、相当な難所であったろう。また線路を敷設するのも、大きな機械など無い昔はどれだけ難航を極めたものであろうか。先人たちの苦労が身にしみてくるが、今の電車は苦も無く上り、下っていく。これが時代の流れとも言うべきか。

設備が改良され、近代的な電車であっても、この区間は趣があると思う。

慌しかったのでしばらく写真がありません。申し訳ございません。

福島からは東北本線に乗る。701系が待ち構えているが、これは旅人からは忌み嫌われている名物車両でもある。私は初乗車となるので、お手並み拝見と行こう。

まずワンマンという所でもう大幅減点。あの米坂線でさえも車掌が乗務しているというのに、なぜにして本線ではワンマン運転なのだろうか?そしてこれまた二両とはどうしようもない。今泉でべにばなと待ち合わせしていた三両編成の列車は一体どういうことだろうか?

もう乗る前からどうしようもない車両になってしまった。まあ区間が短いから良いか。しかし、福島どまりの東北本線上りが遅れた影響で、この列車も九分ほど遅れて発車。このままでは磐越東線に間に合わない。そしてそれからの移動客の多さといったら!二両に詰め込むとは、これはたまらない。何とか座っていられたので、道中はほとんど寝ていた。せめて本線としての威厳を保つために、四両で運転してほしいものだ。

郡山について、磐越東線乗り場へダッシュ!二両編成は何とか待ってくれていた。当然車掌乗務である。はじめこそ地元客が多かったが、三春でかなりの客が降りたので、キハ110の一人がけボックスを独占。先ほどの疲れもあって、またまた眠っていたりもしたが大体は読書をして過ごした。

いわきからは常磐線で上野まで行く。ダイヤ改正の前は乗り換え無しでいけたのだが、ずっと座りっぱなしも辛いと思うのでちょうどよいか。上野口から引退した415系ステンレスで勝田まで行く。途中の勿来などには鋼製415系が留置されていてなんとも物悲しい雰囲気をかもし出していた。道中は結構寝ていた。それでも太平洋を見ていた記憶がある。

勝田に着く。帰りはグリーン車で行くつもりだ。平日なので料金が¥200も上がるのは正直辛い。しかしPASMOを手に入れたので、もう駅から出なくても買えると思うと嬉しい。茨城交通のホームにはキハ2004号が停車していた。そういえばまだキハ3710しか乗ったことが無い。またGWに乗りに行くか。

さあ、グリーン車の中はというと、誰もいない!二階席だのにである。さすがは平日の上り電車である。これは多少高い料金を支払っただけのことはある。PASMOでタッチすると、車内改札も省略できるとなると、これは快適。残念なことに次の水戸で一人やってきてしまったが、一階席や平屋部分だったら、ずっと貸切だったかもしれない。次からは平屋に行こうかな?

結局、また途中で一人乗ってきたが、その人は途中でいなくなり、上野まで二人っきりだった。平日上りグリーン車万歳!

途中、石岡で特急待ち合わせのために少々停車した。しかし、自動放送も車掌の案内でも、鹿島鉄道への接続は省略されていた。ホームには駅員二人と、乗客が一人しか確認できなかった。

あと四日で廃線だ。私はこのときが最後のお別れになってしまった。今まで頑張ってきた車両たちにありがとうと言いたい。

間もなく、機関区を照らす明かりも、ホームの明かりも、車両のやさしいライトも、全てが消えていく。

成果

クロナガオサムシ.sp 3exs.(1♂2♀)

コアオマイマイカブリ 7exs.(4♂3♀?)

魔の東北本線をのぞいて、今回の旅は大変に充実したものとなった。

恐らく今春最初で最後の夜行列車の旅となるが、ぜひとも夏に米坂線を尋ねてみたい。

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