このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 
神戸にも定時に着き、歩いて三ノ宮に出ることにする。途中のMcで朝ごはんとする(昨日のパンは昼ご飯にしよう)しかし、MCポークとシャカシャカチキンを頼んだのに、後方を必要としない食欲のなさ。朝から食べられなさそうだとは思っていたが... 三ノ宮の始発で大阪に出る予定が、寝過ごしてしまって新大阪まで行ってしまう。予定が狂ってしまう。戻るのに乗る環状線は103低運!とりあえず運転台が狭い。
↓これはなかなか珍しい車両らしい
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鶴橋で近鉄線に乗る予定だが、先ほどの寝過ごしで予定が来るって伊勢中川に到着するのが遅れてしまう。乗車列車は名張行きで、とりあえず寝ることにする(今、鉄道唱歌を聞いた身にとっては実に惜しいことをしてしまった!)乗り継ぐ中川行きの車内でも寝る。しかし、中川について唖然!コインロッカーが無いなんて!!
↓駅舎は近代化したものの、ロッカーが無い中川駅。金ヶ崎にも美川にもあるというのに...
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仕方ないので、全ての荷物を持ったまま、とりあえず河川敷に架かる橋の下に重い荷物を置き、雲出川へ出陣。だがここも吉野川以上に河畔林に立ち入りがたく、竹林が鬱蒼と茂っている。そしてとにかく木がない。あるとしても竹林に分け入るのはごめんだ、もうこの際マイマイなんてどうでもいいや!

とある林の中に、不自然に方形に掘られた箇所があり、縁を崩してみると、ヤコンオサムシが出土。この場所で1ペア採集。オサは越冬しているのに、マイマイはどこにいるのだろうか…それにしても、ヌスビトハギがズボンいっぱいについているのに気づいた時は、もう卒倒ものだった。
左 泣きのオサゲット 右 なんか、ヘビがいました
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場所を変えて、名松線の通じる丘に行ってみると崖があり、乾燥していたのだがヤコン1♂ゲット。そしてあろう事か、コクワガタまで出てきてしまった。惜しいことに、撮影を忘れてしまったのが非常に悔やまれる所だ。
↓いちおうキハ11が走っているのですが分かりますか?
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ここで、当初の予定を変更して、近鉄線で四日市まで出る。邪魔で仕方ない荷物をロッカーに放り込む。JRで桑名に出て、北勢線は乗らずに養老鉄道に乗り、駒野でマイマイへの最後の望みを託す。いるとしたら、ヒメマイマイなのだろうか?
金を使いすぎたようなので、内部線の訪問も割愛する。

さて、近鉄四日市までは良く寝て、荷物をロッカーに入れるまでは順調。”旅と鉄道”の中で読んだきしめんを昼に食べよう(パンは雲出川で食べてしまった)と思ったのだが、コンコースにそば屋があるらしくて断念。駅前のドラッグストアでお菓子と飲み物を購入。駅の下で和太鼓の演奏を催しており、その地響きに驚く。JR線で桑名へ、携帯で検索してみるのだが、時間が厳しいことが分かり、ダッシュを強いられる羽目に。しかしながら、すんでの所で間に合い、幸運にも座れる。

桑名について、養老鉄道に初乗車(近鉄時代には大垣-桑名間乗車)窓が開け放たれているのがいい感じだ。都会ではなかなかこうも行かない。桑名を出てすぐ、大音声の警笛。築堤におじさん(地元のおっちゃん。notテツ)が座していた。
左 近鉄時代と殆ど変わらない養老鉄道620系 右 駒野駅舎
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駒野に着き、早速河川敷を目指すも、多くの人が既に手をつけた後の様子で、また今までの成績からもはや採集は不可能と諦める。この時点でこの旅行の目的を放棄することになるが、まだ時間があるので最後にヨウロウオサムシでも掘り出せればまあいいなということで、養老山地に戦いを挑む。
左 いい雰囲気だが... 右 これはなんというキノコ?
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それにしても寺社が多くて、むやみに山に近づけない。ようやくいい環境の崖を見出し、問いただしていくのであるが、どうして出てこないんだ?1時間近く粘ったのだが、遂に出てこない。こうして採集計画は完全に破綻してしまった。色々考えてきた実験も試せない。いやまことに残念だ。ふと、冬に四国に行って春に北海道・東北にいっていれば...と後悔する。

とりあえず、全くのボーズにならなかっただけましだろう。オオオサとヤコンは飼育してみよう。これだと頑張って集めたカタツムリたちの使い道がなくなるわけだが、とりあえずこいつらも飼育を継続だ。
2色塗装は、夏に消滅したらしい
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桑名に出て、JRに乗り換えて四日市に戻る。予定では22:18発に乗ればいいのだが、それでもかなり余裕がある。一体どう過ごそう?ネットカフェにでも寄ろうかな?

とりあえず父に、おすすめの定食やなりレストランなりがあるか連絡してみたがよく分からないので、テキトーにほっつき歩いてみる。しかしいいところは見つからなく、結局近鉄駅の近くのそば屋での天ぷらうどんが最後の晩餐となる。商店街のスーパーで4割引で売られている弁当・和菓子を発見。おはぎ×2と蕨もちを購入。チョコか何かにしようかと思ったが、こちらの方が割安だった。そういえば、雨類を一切食べていないなぁ。そしてネットカフェへ。1h¥380はあまり安いmのではないだろうが、個人経営の店のようなので仕方が無い。日記に書き込みを入れて、入るのを諦めかけた四日市温泉に行くことを決意する。
四日市温泉 この鄙びた感じがまたなんともいえない
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期待通り、26年ほど時が停まっているように見えた。銭湯荒らしの注意を呼びかけるビラに、S57とあるからだが、それよりも体重計の方が年季がこもっており、3・40年は下らない気がする。ましけ湯とは比べ物になるのかは分からないが、こういった寂れた銭湯を簡単に廃止するのは勿体無い。いい意味でも悪い意味でも、昭和・あるいはそれ以前の庶民の生活を反映している貴重な場所だと思う。だからといって改築してしまうのは残念だ。ずっとこのまま、後世に在りし日の光景を伝える為に頑張ってもらいたいものだ。

また、JR四日市駅も廃れており、駅舎の3分の2は閉鎖されている。国鉄時代の繁栄振りが忍ばれる所もまたよい。ここは何とか活性化してもらいたいところだが。リニューアルはごめんだ。
左 道にすぎゆく四日市 船の煙やたへざらん(鉄道唱歌関西参宮南海編 17番より) 右 伊勢鉄道最終列車 乗客1名 20084513.jpg20084514.jpg
4連、四日市始発で名古屋に向うが、まるで空気を運んでいるかのごとき乗客数である。まあこの4連が本領を発揮するのは名古屋からの下り列車なのだろう。かと思うとそうでもなかったが。夜のこういった時間帯の列車にはかなり趣が感じられる。桑名で少し停まって、弥富でちょっと降りて"日本一標高の低い駅"の看板を撮影、永和手前の信号場で行き違い、永和でDDと行き違い、今までこんなに行き違ったことあったっけ?DDなんて見たか?
弥富駅 後に見ゆるは名鉄電車
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名古屋に着き、鉄道唱歌を聴きつつながらを待つ。貨物列車が何本も通過していくのは東京都市部では殆ど見られない。ようやく来た列車に乗り込み、歯を磨いたら後は寝るのみ。車内検札が来るという放送があったものの、とりあえず、大府に着いた記憶すらない。実はこのながらが予定の宿で最もいやだった(∵全席指定でとなりのいる可能性大 つまり脚を伸ばせない!)のだが、となりは指定席じゃない"一般利用者"で、どこかで降りてしまった。次の記憶は熱海か小田原だったので、相当疲れているらしい。横浜についたころに目が覚めて、品川で下車。後は家に帰るだけ。

4/6

品川で乗換えとなるのだが、KQの係員のミス?できっぷに印が押されなかった。つまり、あと2日使える。しかし私にはもう出かけるだけの時間・金銭・精神・肉体的余裕が無い。宿題も2日目からてんで手をつけていない。もう十分に元はとった。六郷土手までの車内でもフラフラで、帰宅後すぐ倒れ、四時間ほどぐっすりと眠っていた。


↓雲出川近くにて
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