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※画像は少なめになっております。下の2つのリンク先でお楽しみください。

昆虫・風景編   秩父鉄道編

元旦には京急線で終夜運転が実施され、普段よりちょっとだけ楽チンな移動が出来る。この機会に出かけずにはいられないが、この日には母方の祖父母の家に行くことになっている。それは埼玉県の川越市にある。最寄り駅は東上線の霞ヶ関駅だが、東上線は池袋から寄居まで走っている。寄居では秩父鉄道線が接続しており、熊谷で高崎線と接続している・・・よし、秩父に行こう!

そういうことで、除夜の鐘をたたいて家に帰り、就寝したのは恐らく1時ごろ。目覚ましは2時50分が一番早い時間にセットされる(このところ寝坊が続いており、不安のあまり10分刻みにセットしたのだ)。時間には起きられたものの、寝汗がすごい。ずいぶん気持ち悪いものなのだが、寝汗が出たときはたいていすっきりと目覚められる。数時間前に年越しそばをすすっっていたのを思い出すと、今年最初の食事である納豆は、みすぼらしいというよりちょっと腹にこたえる。まぁ、出かけるのにのんびりおせちもお雑煮も食べてはいられないのだが。

※私は起床してから家を出るまでに1時間必要である。これは少なくても多くてもいけない。時間が少ないと精神的余裕が無くなり判断力が鈍る。長すぎると、まだかまだかと他の事に手をつけられなくなり時間を浪費する。後者はよく経験して改善しないといけないのだが、前者ではかつて平日の朝に発生してそれはもう大変だった。確かいつもは6時半くらいに家を出るところを7時過ぎに出たような...(よく遅刻する夢を見るのでひやひやさせられる)

さて、3時58分の品川行きに乗って旅行開始。通常の始発は4時53分なのでより多くの行動時間が約束される。なお、徒歩25分のところにある蒲田からは4時24分発の列車が毎日設定されている。コチラは普段お世話になっている。

品川では普段はJR線に乗り換えるのだが、定期で旅費を抑えるとともに今日は元旦ということで、そのまま浅草線に乗り入れる(列車は品川と泉岳寺で2度乗り換えている)普段最初の乗り入れが5時半(厳密には4時50分台にあるのだが、それは品川始発で六郷土手から利用不可)なのでこの経路が殆ど役に立たない。

新橋で地上に戻って山手線、上野では高崎線始発に乗車(先に上げた4時24分の電車に乗ると、この電車に乗換えが出来る)実は先月26日の南蛇井遠征からの帰りの時の経験から、”移動のみが目的の乗車に関しては、イスに座らない”という目標を考え付いた。つまりはイスに座ると寝てしまい、時間を有効に使うには立っていたほうが良いという観点から編み出した(というと、そんなの言われなくても分かりきったことよ、と思われるかもしれませんが、自分の経験上、文字に書かれることではっとした経験が度々ありましたので)のだが、どうやら無理に眠気を我慢しても良くないらしい。それに、朝の移動は寒い。十分着込んだつもりだが、何の運動も無しに長時間座っていると、特に高崎線のぼりは北上して、かつドアの多い列車なので、車内の換気は十分かもしれないが保温性に多難あり。白状すると、列車に乗り込んだ時点で座ってしまいました。で、寒いのを我慢しつつ結構な区間を寝て過ごしました。上の目標は暖かくなったら、もしくは旅行の帰りに実行すればいいかなぁ...

さて熊谷の改札を抜け、念願の秩父鉄道ホームへ。しかし驚いたのはそこには待合室の類が用意されていないこと!先ほどの移動ですら寒い思いをしていたのに、今度は野外に放り出されてしまっては、突然走り回ることも出来ないし新年早々の苦行であることは間違いない。寒いと早起きが出来ないのも納得できる。200911.jpg
 およそ15分ほど経ったろうか、ついに列車がやってくる。よかった、乗りたかった1000系である。この系列は昔中央線を始めとした首都圏各線で活躍した新系列電車の開祖とも言うべき?元国鉄101系の生き残りである。今はどこを探しても、ここ秩父鉄道でしか走っていない。一般にテツは古いものに惹かれる傾向が強く、私もその多聞に漏れずこの類に尊敬のまなざしを向けてしまうのであるが、寄る年波には勝てず、そろそろ新系列の車両に置き換えられてしまうという。という訳で、前々から出会うことを楽しみにしていたのだが、早速乗れるので寒さも忘れて写真を撮る。車内は恐らく国鉄時代とあまり変わっていないと見えたが、さすがにイスは若干へたれているように感じる。走り始めて、かつて113系から聞こえてきたモータ音と似たようなサウンドに酔いしれる(実際は同じではなく別物)程なく、最初の目的地である明戸に到着。
200911_1.jpg とにかく河川敷に向かってダッシュ!一刻も早く寒さに打ち勝つ努力も大切ではあるが、このときにそれよりはるかに重要度が大きかったのは”初日の出を拝むこと”河川敷はさえぎる物が無く、毎年六郷土手で見てきたのであるが、自分の記憶がある中ではそこ以外では始めてのご栄光となる。カメラに収めていざ採集にうつる。

ここで大活躍するのが、先日購入した鉈だ。この時期の土手といえば、一面枯れ果てた光景しか浮かばないかもしれないが、特に河畔林では全くそんなことは意識されない。ここで最も記憶に残るのはほかでもなく、バラである。そこここでトゲをむき出しており、来訪者の行く手を阻む。”林内を移動するにあたり”これほどに憎たらしく邪魔な存在はほかに無い。鉈は、それを悉く打ち払うのに大変重宝された。ひとふるいかますとスパッと切れる快感は、ささやかなストレス解消の手段としてはなかなか使える。まぁやっていることは自然環境をぶっ壊していることに変わりは無いが、そう思っている人はそこに手ぶらで行ってみたらよい。

実は河川敷で最もタチが悪いのは、バラではない、と私は思う。真の黒幕は”センダングサ”の類だ。こいつらは林内にこそは姿は見せないが、そこ以外のありとあらゆる草むらを根城としている。それだけにしておけば良いものを、さらに冬季は沢山の種子をからだにまとっている(花が咲いていた部分に、針山を形成するようについている)。ひとたび衣服に触れようものなら、奴らは全力でひっついてくる。それもとんでもない集団で。気がついて軍手を見ると、あれ?こんな小さなハリネズミがいるのか?とたまげてしまうことすらある。特に布地に対するひっつき方は常軌を逸している(そういう経験上、草むらに行く時はなるべく奴らが苦手とする素材の衣服で身を護るのだが、手袋と靴の一部、靴下だけはうまく護りきれなくていつも困っている)。そいつらにも一度制裁を加えてやったのだが、切ったはずみに・・・残念な結果となってしまった。今のところ、冬に奴らとは戦いが出来ず歯がゆい。

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 さて、そんな河川敷の近況をお伝えしたが、採集状況はというと全く話にならない。条件に見合った倒木の類を見つけられないのだ!倒木は見渡すと沢山見つかるのだが、どれもこれも硬すぎて手がつけられない。鉈をもってしても、だ。それゆえに、バラの多い林内をフラフラと歩き回らねばならず、ひっかかるトゲとマイマイを得られない焦りでイライラがつのり、余計な植物に対しても鉈を振るってしまう(これは何とか感情を抑えないといけない)。走行しているうちに一つの河畔林の端点に到達してしまった。向こうに林が見えるが、この先の予定も考えると向こうまで行ってもどうだろう?それに、あっちにだっていい倒木があるかは分からない。ひとまずここは今来た林の、まだ見ていないルートで引き返そうと決心をつける。このとき、無性に畑の畝を破壊したくなる。マイマイカブリはこういうところでも越冬するのだ。しかしヘタな事をしでかすと確実に捕まる。大体鉈持っている時点でアブないのだが...200911_3.jpg
 センダングサを避けつつ、再び林に戻る。同じような景色が続くので、さっき歩いてきたのかどうか思い出せないところもあれば、確実に、ここ通った!と分かる場所もある。そんな中、ある木に目が留まる。根が少し地面から浮いていて、そこに土がたまっている。何となく土を払うと、クロナガオサムシが登場。今年初オサである。いやぁ良かった。とりあえず前日から続いていたボーズの記録はストップした。同時に、やっぱりこの森にもオサムシはいる!(何も撮れないと、そこにはいないんじゃないか?と思うことがあるが、それは採集技術が低いからであって、昆虫の適応力の広さを侮ってはなるまい)と急に元気が出てくる。まだまだいるだろうと期待をこめて捜索するとすぐ、マイマイカブリの姿が!!待ってました!!あなたに出会うためにわざわざ東京からやってきました。これからよろしくお願いしますと挨拶を交わして(笑)大事にタッパーにしまい、興奮の冷めぬ間にマイマイ5匹とクロナガ1匹を追加。早々に目的は達成された!

ここではうまいこと土から出てきたので殆ど破壊せずにすんだので理想的な採集が出来て満足である。いつもこんな感じであってほしいものだ。それに、先日の採集時で味わった悲劇の自戒として持参したピンセットによって、より効率的な手段を会得できた(ピンセットを持っていくこと自体当たり前の行為なのだが、恥ずかしながら私は軍手があれば何とかなると思っていた)とりあえず、最初の場所でマイマイが得られると後の行動に対して大きな余裕が持てることも嬉しい。これで心置きなく移動が出来る。

駅に戻り、再び1000系に乗車してどこに向かうかというと、秩父よりちょっと”おくり”の影森駅。1時間以上の乗車になるのだが、何一つとして私を飽きさせるものは無かった。沿線の風景といい、床下のモータのうなりといい、みかんの味といい(今日はみかん5個しか食糧がない!)、こんなに心から幸せを感じた移動は最近経験していない(上信線ではantを持ち込んだため、その固定に集中せねばならなかった)。恵まれた天気と、元旦で乗客が少なかったことも要因といえよう。こんな贅沢は早々味わえるものではない。天からのお年玉として深く心に刻もう。

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 さて影森に着いたのはいいが、実は家を出てくるときに秩鉄ハンディ時刻表(同社HPで入手できます)と地形図の写しを置いてきてしまったのである。そのことは明戸で判明したのだが、時刻表が無いのは駅で写真を撮っておけば何とかなるので良いが、地図が無いのは痛い...おぼろげな記憶を頼りに、川のほうへ歩いていく。さすがにこのあたりは山の”おくり”なので岸が結構下にあってアクセスが大変なのだが、道を見出して降りてみる。でも峻谷に行く手を阻まれ、砂っぽい崖を掘るのが精一杯。オサなんて出るわけ無いだろうと思いつつもついつい鍬を振るってしまうのが悲しい性。しかし奇妙な土だまをほじくり出す。中からつぶらな瞳でこちらをじっと見つめてくる。土だまを崩したくないのでそのまま持ち帰るが、ヒゲコメツキと見た。野外でこんな風に越冬するんだ...私の中での今年最初の大発見である。そういうわけで土だまを崩すわけには行かない。
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 ここではどうすることも出来ず、もう一箇所気になったところに移動してみる。目の前にあまり急でない荒地が広がり、向こうに規模の大きな河畔林が見える。きっともう少し歩けば川岸に下りる道があるはずだが、アホな私はそこを駆け下りてみる。だって僅かながら道の痕跡が見受けれらたのだもの。ここを降りるようなヤツは例外なくオサ屋だろうと私は即断。たぶんこの判断は間違っていないと思う。で、慎重に下っていくのだがバラがうっとうしいくらいは大して身の危険は感じなかった。道があるほどだもの。そしてれっきとした道が岸に伸びているのを確認。そっちを使うのが基本である。200911_6.jpg

 川岸に降り立ってみると、日陰では水が凍っている。面白いことに、その辺の石を投げても割れない。乗ってみてもいいのだが、津軽でのトラウマがあるのでどうしても勇気が出ない。そして河畔林捜索に切り替えるのだが、予想を上回る規模の大きさに感嘆するとともに、やはりここもいい材が無い事が判明。我々採集者によって年々良好な倒木が消えていき、マイマイカブリの採集は難しくなると何処かの掲示板で目にしたことがあるが、これもそうなのかなぁ。それとも、降水量が少なくて木が朽ちないのだろうか?(ちゃんと確かめていないのだが、夏場は雨男絶頂ではあったがそれからはそこまで雨が多かった覚えが無い)どっちにしろ、ここでは無理かも、との判断が早々に下る。最近、どうも諦めが早いのだが、自分ではそのほうが疲れないし破壊しないし良いことだと思っている。とりあえず歩いていると、枝先にスズメバチの巣がぶら下がっているのが目に入る。200911_7.jpg

 即座に持って帰ることしか考えられなくなって、何とかして取ろうと枝を曲げるが、何と巣のもろいこと!枝がぶつかるたびにダンボールが裂けるような音がする。実際触ってみると軽く、簡単に崩れる。こりゃ持って帰る前に潰れるなと我に返り、せっかくなので中を見てみることに。いきなり成虫がいて焦ったのだが、もちろん死んでいる(一般に巣は1年しか利用されず越冬するのは女王のみ)ほかにもさなぎがいくつか残っていたのだが、みんな中身がぶよぶよになっているようで薄気味悪い。名前は分からないのだが、こんなスズメバチの巣に寄生するたくましいガがいるとのことで探そうとも思ったが断念。新町でも5匹スズメバチ捕まえたし、最近そっち方面には恵まれている。

結局先の判断どおりに進行してしまってヒゲコメツキしか捕まえられず、正規のルート?で駅へ戻るのだが、いやはやさっきはメチャクチャなルートで下ってきたものであることを実感。戻る途中の景色、雲もまばらな青空をより印象づけたのは風の少なさだろう。とにかく音が聞こえず、あたりでも動くものが無く何だか今まで味わったことの無い感覚に包み込まれる。悔しいことにその有様を克明に表現できない。しかし、そのような光景にしみじみと心が打たれるのも、ひとえに朝の収穫があったからだといえよう。この時点でボーズだったら、その景色に対する印象も変わっていたかもしれない。200911_8.jpg
 そして、枝にはみのむしが。これは恐らくオオミノガだろう。歩きながら瞬時に枯葉と区別するのはなかなか難しいのであるが、とりあえず5個採取。1つは中身が無い事が分かったが、残りはどうだろうか。しかし、以外と駅までが遠く、みのむしを取っていた頃は駅に着いたら時間が余るだろうと予測していたが実際は3分くらいしか余裕が無くてドキドキしていた。
その後、さっき眺めていた中でいい環境と見た上長瀞に引き返してみる。しかし実際はオサ屋よりもテツにはうってつけの場所で、そこで過ごした時間を全て列車の撮影に捧げる(”お立ち台”として有名なポイント)。風が無いと水面鏡が期待できたのだが、実際うまいこと風が止まない。ちょっと残念だったのは撮影した2本とも1000系(秩鉄カラー)だったこと。写真の区別がつかないのが物足りない。

200911_9.jpg まだ時間が余ったので、樋口に向かう。理由は先と同様。やってきたのは黄緑+黄色い帯を前面につけた1000系。関西線で昔使われた配色だ。”色物”の車内は特に変化は感じられなかったが、得した気分。で、下りてみるがここは全くの期待はずれ。早々駅るのだが、この駅はホームに小さな窓口があるだけですぐそばにR140が走っており、中の駅員さんもよほど退屈なのだろう(秩鉄は地方鉄道にしては珍しく全駅に駅員がいる!もっとも夜間早朝はいない駅もあるが)か、しばらく話し相手となる。山にグライダーの場所?があること、砂金の情報を元にやってきた人がいる、との事から段々と、この国道をもっとつめた山の”おくり”(このあたりの方言で”奥”の意味だそうだが、始めて聞いたときは知らなかったので妙だった)で鉱石がとれること、信玄がその山奥から攻めてきたこと、平賀源内が住んでいたこと寄居に北条氏の城址があってお祭りがある・・・と段々歴史ものに話題が移って私は完全に取り残され、返事に苦悩する。日本史は常識として知っていないと、地元の人々との会話が成り立たない。でも、学校で教わることはもう無いので、せめてどこかに行く前にちょこっとでも調べておいたほうがタメになるだろう。この経験はそこまで重要ではないが、忘れてしまうのも勿体無い。
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 最後に、黄色い1000系に乗って寄居まで。これは中央総武緩行線をイメージしたカラーリングだろう。実は、秩父鉄道には中2の夏、母と妹とで長瀞に行った時にちょこっと乗車した記憶があるが、そのときの乗車の記憶がはっきりしていないのが心残りであった。行きは確か5000系で、帰りは確かに1000系の非冷房車に乗ったのだが、そのときはコオニヤンマやらキイトトンボやらが捕まえられたことがよほど嬉しかったのだろう。電車の写真は無いが、ELの写真は残っている(確かSLの代走だったと思うが、何処かでSLもちらっと見かけたような...)。あとは、車窓の景色のよさもよく覚えているのだが、夏とは違ってだいぶ違った印象。山が枯れているのだが、これは植林されていない証拠。青梅線の風景とはえらく違う。そういえばトンネルが一つもなかったかもしれない。

寄居に到着、今回の旅行もこれで終了。新年早々非常に充実した体験を得ることが出来て大満足である。ここから霞ヶ関まで殆ど寝て過ごしたのはご愛嬌だろう。



【採集成績】
ヒメマイマイカブリ 6exs.
クロナガオサムシ 2exs.
ヒゲコメツキ 1ex.
みのむし 少々

一年を迎えるにあたり、幸先のよい出だしとなりました。まだまだ文章が下手くそなのに、余計なことまで長々と書いてしまって最後まで目を通される方には申し訳ない気持ちであります。


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