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【特集】阪和色の113系「S31と仲間たち」(その1)

 インターネットの掲示板に、岡山電車区に阪和色と瀬戸内色の113系が8連を組成して待機しているという情報が載ったのは 事故から1ヶ月あまり経った昨年5月末か6月頭だったと思う。その後、西ノ宮まで帰ってきた彼らの姿がupされ、向日町にいる という情報が掲載された。B02(S31は岡山時代こう呼ばれていた)は一旦日根野に疎開した、ATS−Pのついている車両をかき 集めるのだ、最高速度は95km/hというステッカが運転台に貼ってあるなどという情報がどんどん書き込まれ、とりあえずは各所に 留置後、宝塚−尼崎の運行再開の折には直接福知山線に投入されるのが確実と思われたとき、嵯峨野線、湖西線、草津線で8連車 の代わりに使われているという情報が飛び込んできた。瀬戸内色はともかく阪和色が8連で嵯峨野線に!湖西線に!撮りに行かね ばと思った。嵯峨野線だと丹波口、二条、円町、花園、湖西線だと西大津、和邇、草津線まで入っているなら伊賀町は柘植駅でキ ハ120と一緒に…。
 実際この16両が運用されたのは3週間余りだったと思う。6月末にこの運用は117系へと置き換えられ、福知山線へ旅立っ ていった。

<伊賀の山中に阪和色8連堂々見参!>2005年6月9日 柘植駅にて

<柘植駅撮影の証拠!キハ120との並び>2005年6月9日 柘植駅にて

<複々線の琵琶湖線を8連で疾走する姿は往年の153系新快速を彷彿とさせる>2005年6月9日 大津駅にて

<湖西線でも阪和色!表示幕の色と車体の色が妙に合っている>2005年6月9日 西大津駅にて

<映画村の脇を快速電車が駆け抜ける>2005年6月10日 花園−太秦間にて

<蓬莱山のふもとを走る>2005年6月12日 和邇−蓬莱間にて



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