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初心(所信)忘るべからず!
『教』は『中学社会歴史』の教科書・『攻』は『資料で学ぶ歴史攻略ノート』の略だよ。
先頭の番号は『攻』のテーマ番号を示している。
下の空らんをマウスで反転させると,文字が読めるよ。復習のヒントにしてね。

1 人類の出現
   ※人類の先祖に関する研究は,今も続けられている。
   考古学,生物学,地質学,人類学…。
  この時代は,歴史学以外の学問の力を借りないと解明できない時代でもある。

  ①人類の4段階をノートにまとめてみよう。
     「アウストラロピテクス」はどの段階か→猿人
     「原人」に分類されるのは→ジャワ原人・北京原人
     「クロマニヨン人」と現代人との関係は→同じ人類に属する
  ②人類の4条件をまとめておこう。
     特に二足歩行と道具の製作と使用は人類への進化の基礎となった。
  ③「旧石器時代」は「人類史」全体の何%くらいになるか。
     99%以上。残りの1%未満が,「新石器時代」「縄文時代」から後の時代全てである。
  ④日本に旧石器時代人がいた根拠となったのは何だろう。
     人骨の発見→明石(兵庫県)?,三ヶ日(静岡県),港川(沖縄県)
     遺跡の発見→岩宿遺跡(群馬県)…初の発見,関東ローム層からの発見
  ⑤石器時代の区分は何を基準にしているのか。
     石器→打製石器のみの時代と磨製石器も使用されている時代に区分している。

  ※ 『攻』右ページの色ぬりをしよう。場所をしっかり確かめよう。


2 世界の古代文明
  ※世界にさきがけて,古くから「文明」がおこったところがあった。
  その共通点とそれぞれの特色をつかみたい

  ①エジプト文明・メソポタミア文明・インダス文明の特色をまとめておこう。
    エジプト文明…都市国家からエジプト王国の統一へ。王は神の子,
             象形文字・パピルス・太陽暦・進法・測量術の発達・ピラミッドスフィンクスなどの巨大建造物
    メソポタミア文明…都市国家からさまざまな民族によりいくつもの国々が成立する。王は神をまつる人。
              くさび形文字・粘土板・太陰暦・六十進法・曜制・ハンムラビ法典
    インダス文明…都市の存在は遺跡で確認される。アーリア人(バラモン教やカースト制度をともなう)の侵入で滅亡。
              インダス文字は未解読,モヘンジョ=ダロなどの遺跡確認
  ②ギリシアの都市国家(ポリス)のうちアテネにはどんな特色があったのか。
    →成人男子の
による民主政治が行われた。優れた彫刻やギリシア哲学も生まれたが,多くの奴隷に支えられていた。
  ③ヘレニズム文化はどのようにして生まれたのか。
    →アレクサンドロス大王の遠征により巨大帝国ができ,ギリシア文化とオリエント文化がまじりあってできた。
  ④ローマの政治体制はどの順に変化したか。それぞれどんな問題が起こったか考えましたね。
    →王政・共和政・帝政
  ⑤仏教・儒教・キリスト教についてまとめよう。
    仏   教[前6世紀ころ]…シャカ慈悲の心,無常観,行いで人の価値が決まるという平等を説き,カースト制度を批判。
    儒   教[前6世紀ころ]…孔 子→思いやりの心「」を説く。秩序を重視する。教えは「論語」にまとめられる。
    キリスト教[1世紀はじめ]…イエス→神の前での平等,神の愛で誰でも罪から救われる。「聖書」に教えが書かれている。

  
  ※「四大文明」の発生した場所を川名とともに『攻』で確認する。
  ※地図帳と『攻』の地図から,現在どんな国々がローマの最大勢力範囲にふくまれているか調べてみよう。



3 中国の古代文明
  ※中国文明の特色と,仏教や儒教が起こった背景を知ろう。
  初の統一国家である秦や漢がどんな政治をつたのか。こうした王朝がどのようにして出現し,なぜ滅びるのかも考えたい。

  ①中国文明の特色をまとめておこう。
    →長江の流域に稲作の,黄河の流域に畑作の農耕文明がおこる。
      都市国家をまとめる王朝が成立やがて王朝がこれにかわる。甲骨文字の使用,王は占いで政治を行う。
  ②秦は,初めて中国の統一した。それは全国を支配しただけではない。他に何が統一されたのか。
    →貨幣や文字,ものさし・ます・はかりで計測する度量衡も統一された。
  ③始皇帝の遊牧民族からの防衛策は?
    →これまで(春秋戦国時代)に築かれていた万里の長城をつないで修築した。
  ④漢の武帝の時代には統一の範囲はどこまで広がったか。
    →楽浪郡などを置いて朝鮮半島の北部を支配し,南海郡などを置いて中国南部やベトナム北部まで勢力を拡大した。
     また西域に領土を拡大しオアシス都市も支配下に入れ,シルクロードを発展させた。
  ⑤漢(前漢と後漢をあわせて約400年)が滅びたあとはどうなったのか。またそうしたことを記録した歴史書をあげておこう。
    漢のあと→魏・呉・蜀に分裂した三国時代となる。
    歴史書 →『漢書』→『後漢書』→『三国志』

  ※漢とローマ帝国が同時代の大帝国であることもわかりましたね。漢の領域については『攻』で色塗り作業をしておこう。
  ※秦や漢と遊牧民族との関係,またこれらの王朝がなぜ滅びたのか。『攻』から読み取っておこう。



4 縄文文化の時代
  ※発掘調査の成果をもとにしてわかる縄文時代。縄文人の立場に立って考えてみよう。
  石器の進歩、土器の役割、竪穴住居での暮らしや食生活について

  ①縄文時代は何年間?
    始まり→氷河時代が終わり,海面が上昇して,日本列島が形成されたころが約1万2千〜1万3千年前から
    終わり→弥生時代が始まるとされる,紀元前3世紀ごろまでの約1万年
  ②石器の発達や土器の出現について
    石器→打製石器に加えて磨製石器も出現,原始農耕が考えられる。
    土器→のちの土器に比べて厚手でもろい縄文土器が作られる。
  ③縄文人の住居と食生活は?
    住居は竪穴住居,食生活は貝塚の発掘などからわかる。『教』の「縄文人の1年」を見ておこう。
  ④黒曜石やサヌカイトの分布からわかることは?
    当時の人々の交易がうかがえる。『攻』の右地図の着色作業をしておこう。
  ⑤当時のアニミズムの考えは何から推定できるのか。
    →土偶や屈葬,抜歯などからうかがわれる。

 ※『教』の縄文時代のくらしの絵(想像図)も見ておきたい。
   『攻』の遺跡分布や石器に有用な石材の産地,その分布を着色作業で確認しておこう。



 弥生文化の時代
  ※日本の農耕文明の起こった時代といえる。差別の始まりの時代でもある。
  縄文時代との違いをまとめたい。

  ①縄文時代との違いをまとめておこう。
    →採集から生産の時代へ。共同作業による大規模集落の形成。弥生土器の使用,金属器の使用。
  ②稲作の伝わり方は?
    →九州北部〜西日本,やがて日本や東北地方まで。北海道や沖縄には伝わらず。
  ③初期の稲作の方法を具体的に追ってみよう。
    →種籾を湿田直播きし,石包丁穂首刈りをして収穫した。高床倉庫で保存した。
  ④青銅器・鉄器の用途についてまとめよう。
    青銅器→銅剣や銅鐸など,祭り権力者のシンボルであったと考えられている。
    鉄  器→農作業などの実用的な道具となる。 
  ⑤縄文人と渡ってきた稲作民との関係は?
    →混血により,両方の特徴が現在に伝わると考えている。

  ※『攻』の遺跡分布や稲作の広がり方を地図で確認したい。色塗りをしておくこと。


6・7特別授業 邪馬台国
  ※邪馬台国とはどのような国でどこにあったのか。なぜそういうことがわかるのか。
  邪馬台国は,はたして日本のどこまでを統一していたのか考えたい。

  ①中国の古い歴史書から
    前漢の時代の歴史書→『漢書』に,紀元前1世紀ころの倭人の国が百余国の小国に分かれていること。
                   定期的に,楽浪郡に朝貢していることが記されている。
    後漢の時代の歴史書→『後漢書』に,1世紀中ごろの57年に奴国王が使いを送り,光武帝から金印を受けたこと。
                   2世紀はじめに奴隷を献上したこと。
                   2世紀中ごろから後半は「大乱」となったことが記されている。
    三国時代の歴史書 →『三国志』の中の「魏志倭人伝」とよばれるところに,『後漢書』と共通する2世紀中ごろから後半
                   の「大乱」と3世紀の邪馬台国のことが記されている。
  ②発掘調査から
    ◎福岡県の志賀島で,江戸時代に農民が「漢委奴国王」と刻まれた金印が発見されたこと。
    ◎佐賀県の吉野ヶ里遺跡や奈良県の唐古・鍵遺跡などは周囲をで囲んでいること。
    ◎明らかに戦死者と思われる墓が確認されることなどが「大乱」の状況を証明すると考えられる。
  ③邪馬台国はどんな国か
    →30国を従える。「大乱」の中で話し合いにより女王の卑弥呼をたてた。
     大人下戸という身分が存在した。女王はに使いを送り,「親魏倭王」の称号と金印,銅鏡百枚などを受けた。
  ④邪馬台国の位置をめぐる論争とは?
    大きく九州説と大和説がある。これにより,日本の統一の時期が約1世紀違ってくる。
  ⑤卑弥呼はどんな王なのだろうか。
    「鬼道」で国を治める。宮殿の奥深くに住み見た者は少ない。

  ※場所は『攻』の地図などで確認しておこう。ちょっとでもいいから「魏志倭人伝」(『攻』7に全文を掲載)にチャレンジしてみよう。


8 大和王権
  ※古墳から大和王権の統一の様子にせまる。
  謎の4世紀といわれる文字記録の少ない時代から5世紀の倭王たちの残した足跡を追いたい

  ①大きな古墳が集中する地域があることから何がわかるのだろう?
    集中地→畿内,毛野・尾張・吉備・出雲・筑紫・日向
    →有力な豪族(王)が存在したと考えられる。
  ②古墳時代の前期・中期・後期での変化を追ってみよう。
    分布→畿内〜全国の平野部〜山間部にも
    形態→円墳や前方後円墳〜巨大な前方後円墳〜小規模な円墳などの群集墳
    埴輪→円筒埴輪〜形象埴輪〜ほとんど無くなる
    内部→竪穴式石室〜同〜横穴式石室
  ③4世紀に大和王権が統一したということを証明するものは何か。
    →大規模な古墳(前方後円墳)が畿内に集中していることから。
    →朝鮮半島の国々との交流(百済からの七支刀の記録)や戦い(高句麗好太王碑の記録)があったことが確認されることから。
  ④5世紀の大和王権の国内統一の進展や中国との外交関係を示すものは何か。
    古墳の副葬品から→埼玉県稲荷山古墳の鉄剣や熊本県江田船山古墳の大刀に書かれた「ワカタケル大王」に従っている記録がある。
    歴史書から→『宋書』倭国伝に倭の五王が使いを送っていること。
    両方の共通点→『宋書』の倭王武と,『古事記』・『日本書紀』の雄略天皇
               さらに古墳の副葬品の「ワカタケル大王」が同一人物と考えられること。
  ⑤大和王権のしくみはどうなっていたか。
    →「大王」を中心に,各豪族)には「」が与えられて大和王権の職務を分担していた。
      特に「大臣」「大連」などについた有力豪族は大王をたすけて政治を担当した。

  ※大規模な古墳の集中する地域を『攻』の作業で確認しよう。
  ※地元に大きな古墳がないか調べてみよう。



9(前編) 隋・唐帝国
  ※「渡来人」と呼ばれる人々の果たした役割と,アジアの大国となった隋・唐の成立や,
  朝鮮半島の統一など東アジア情勢について学ぶ。

  隋や唐の統一がアジア周辺諸国にもたらしたものは何か。唐の都・長安,新羅の都・慶州そしてシルクロードを訪れる。
 ①4〜6世紀の中国と朝鮮半島情勢をまとめよう。
   中国→南朝民族)と北朝遊牧民族)に分裂していた。
   朝鮮→北部に高句麗,南部に百済新羅が成立。伽耶は未統一で倭と協力。
 ②渡来人のもたらしたものには何があったか。
   →土木・建築技術,馬具などの金属加工の技術,高級織物の技術,高温で焼いた堅い土器(須恵器)をつくるのぼり窯などの技術
     漢字などでの記録儒教仏教も伝わる。
 ③中国と朝鮮半島の統一
   中国→の統一(589年〜618年)〜の統一(618年〜907年)
   朝鮮半島→新羅伽耶を征服し(562年),の協力を得て百済(660年),高句麗(668年)を滅ぼし,
           最後に唐を排除して半島を統一した(676年)。
 ④隋や唐の影響を受けた制度に何があるかな?
   →律令制度,土地公有制,均田制,戸籍の作成,租庸調の税制,府兵制,都城制など

  ※『教』,『攻』の地図を参照せよ。


10 飛鳥の政治
   ※大和王権の中で強大な権力をにぎる豪族の出現と聖徳太子の政治・飛鳥文化,さらに 
   つぎつぎと続く内乱と改革の中で,天皇中心の律令国家が形成されていく過程を学ぶ。
   飛鳥資料館のポスターから飛鳥の政治をふりかえる。
 

 ①蘇我氏が力を持った原因はなんだろう?
   →渡来人との結びつきにより進んだ技術や知識(仏教をふくむ)を得た。物部氏など他の豪族との政治争いに勝った。大王家との血縁関係が深い。
 ②聖徳太子の政治
   地位→推古天皇の摂政として政権を担当した。
   冠位十二階の制定→一族全体への代々の任命ではなく,有能な個人への任命で優秀な人材を確保した。
   十七条の憲法の制定→役人の心得を示す。仏教を信仰することや天皇中心に国造りの方針を示す。
   
遣隋使の派遣→隋と対等な外交関係を結ぼうとした。隋の政治制度や進んだ文化を学ぶ。小野妹子が派遣された。
 ③聖徳太子没後の権力闘争についてまとめよう。
    →蘇我氏が,聖徳太子の一族を滅ぼす。中大兄皇子・中臣鎌足蘇我入鹿を殺害し政権をとる。
    改新の詔の発表→公地公民・地方を国郡里制度で区分,租庸調の税制などを基本方針とする。
 ④中大兄皇子(天智天皇)と大海人皇子(天武天皇)の動きをまとめよう。
    中大兄皇子→大化の改新の中心。白村江の戦で破れ水城や山城を造り防衛。近江大津宮で即位。初の全国的な戸籍「庚午年籍」を作成。
    大海人皇子→壬申の乱大友皇子に勝利して飛鳥浄御原宮で即位。皇后(のちの持統天皇)と皇子で政権をとる。律令の制定を進める。
 ⑤持統天皇の政治
    →都城制の都である藤原京を造営(694年),大宝律令の制定(701年・正式な制定は文武天皇の時代になる。刑部親王・藤原不比等が中心)

 ※歴史の流れをつかんでおこう。年表形式の『攻』を活用したい


11特別授業 旧国名を覚えよう
  ※日本史の舞台について学ぶ。これからどんどん出てくる歴史の中の地理を学ぶ。
 ①身近なものに残る旧国名を調べよう。どんなものに旧国名が多く使われているかな?
   →地名(川・山地山脈・半島・湾・駅名など),特産物(野菜や果物など)や伝統産業(焼きもの,和紙,染めものなど
 ②五畿七道とは何か。
   →五畿は,大和,河内,摂津,和泉,山城の五カ国で畿内ともいい,日本の政治の中心という意味。七道は畿内をのぞく66カ国2島を区分したもので
     東日本の北陸道・東山道・東海道,西日本の山陰道・山陽道・南海道,九州の西海道をさす。
 ③七道の区分はどのようにして区分されたのか。
   →「道」が通るルートで分けられている。道を通じて税が運ばれ,また地方支配のための役人も通り,反乱をしずめるための軍隊も通った。
 ④旧国名で使われている「上」「下」,「前」「中」「後」,「近」「遠」は何を基準につけられているか。
   →都である大和を基準に,そこからの「道」に沿って通る順につけられたと考えられる。

  ※現在も使われている旧国名であり,これからの歴史学習にでてくる「日本史の舞台」ともいうべきものである。
    『教』巻末地図を参考にして,『攻』の地図作業をしておこう



12 律令制度・13特別授業 木簡に律令制度を見る
  ※律令制度の支配のしくみを学ぶ。
 ①貴族の生活はどうだったか。高い位と重要な役職の関係はどういうふうになっていたのか。
   →都に住み,高い給与を受けとった。特に藤原氏などの有力な貴族には多くの収入が獲得できる仕組みであった。
   →位によって就ける役職が決まっていた。三位以上を上級貴族,四位と五位を中級貴族,六位以下を下級貴族といった)
 ②地方支配の仕組みと役人の名称をあげよ。
   →国・国司(都から派遣),郡・郡司(地方の有力豪族から任命される),里・里長(地方の有力者が任命される)
   →摂津には摂津職,九州には大宰府が置かれた。
 ③2つの身分制度とは何か。
   →良民賤民に分けられた。賤民の中の奴婢(ぬひ)は奴隷として売買された。
 ④農民の支配の仕組み
   土地と人民→公地公民
   班田収授の法→年ごとに作成される戸籍に基づき,歳以上の男女に口分田が支給される。
   税の負担→租・庸・調・雑徭・兵役(軍団兵士・衛士・防人)・運脚

 ※現在と比べてどうだろうか。税の負担は,『攻』で整理しておこう。


14 平城京と平安京
 ※奈良から京都へ。古代の政治の転換期でもあります。
 ①平城京という都市の様子を知ろう。
   最も広く中心であった道は「朱雀大路」と呼ばれる。その南端が「羅城門」,北端が「朱雀門」である。
   その道の北に「平城宮」があり,その中に天皇の住居や二官八省などの役所がある。
   その道の東側は「左京」,西側が「右京」と呼ばれ,さらに左京の東に「外京」と呼ばれる部分がある。貴族の家々や寺社が建つ。
   都の人々の生活物資を整えるために国営の「東市・西市」が設けられていた。
 ②平城京は律令制度の完成された時期にあたり,華やかな国際色豊かな天平文化の時代でもある。しかし,現実はどうであったのだろうか。
   政治→政争が絶えず,陰謀や反乱まで起こる不安定なところがあり,特に藤原氏と皇族の対立があった。
   経済→和同開珎などが藤原京の末期以降に発行されたが,貨幣価値が下がるとともに物価の上昇を招き,インフレを起こしていた
   農民の生活→偽籍・浮浪・逃亡があいつぎ,戸籍が使えなくなるほどになって,荒れ地が増えていた
 ③②の状況に対して朝廷の対策は何であったか。
   ◎墾田永年私財法の発令で荒れ地の開墾を奨励する。
   ◎国ごとに国分寺や国分尼寺を建てさせ,大仏造立の詔で東大寺大仏を造るなど仏教の力で安定させようとした。
 ④平安京に遷都することになる理由として考えられることは何だろうか?
   →皇族と藤原氏の対立や,仏教保護政策の結果,が政治に口出しするなど政治が乱れていたことなど。
 ⑤桓武天皇の政治改革の目的は,くずれかけている「律令制度」を立て直すことにあった。具体的には?
   ◎遷都(平城京に寺社を残した上で,長岡京を経て,平安京へ遷都した)
   ◎朝廷の官職の整理統合をはかるとともに,国司の不正を取り締まる勘解由使を設置したりした。
   ◎農民の負担を軽減(軍団兵士の廃止や雑徭の半減など)した。
   ◎蝦夷の征服(坂上田村麻呂征夷大将軍に任命して征服させた)をはかる。

 ※平城京の姿を図で確認したい。墾田永年私財法の発令は何を意味したかわかりますか。都の位置を地図で確認しよう。


15 飛鳥〜天平文化
  
天平文化を中心に,その特色を学びます。
 ①飛鳥文化と白鳳文化と天平文化の時期と時代の中心人物,影響を受けた中国の王朝をまとめよう。
   飛鳥文化→飛鳥時代・推古天皇や聖徳太子の時代が中心・中国は南北朝時代
   白鳳文化→藤原京の時代・天武天皇や持統天皇の時代が中心・中国は初期のの時代
   天平文化→奈良時代,平城京の時代・聖武天皇の時代が中心・中国は栄えるの時代
 ②3つの文化の共通する特色をまとめておこう。
   →国際色豊かな仏教文化。仏教が国を護り政治を安定させる力があるという「鎮護国家」の考えがあった。
 ③今日に伝わる代表的な寺院建築をあげよ。
   飛鳥→法隆寺金堂や五重塔
   白鳳→薬師寺東塔
   天平→東大寺法華堂や正倉院,唐招提寺の金堂や講堂
 ④天平文化の時代に書かれた書物についてまとめよう。
   現存する最古の歴史書→『古事記
   国家が勅令で編さんした正式な歴史書→『日本書紀
   各国ごとに編さんされた地誌書→『風土記
   最古の和歌集→『万葉集

 ※『攻』の「切手に見る飛鳥・白鳳・天平文化」を楽しみつつ見ておこう。


16 摂関政治
  ※藤原氏がどのようにして権力をにぎったのかを学びます。
 ①藤原氏が権力をにぎれた理由は何かをまとめておこう。
   ◎他の貴族を退けた。
   ◎娘を天皇の妃にし,生まれた皇子を天皇にする。
   ◎朝廷の高い地位を独占した。
 ②摂政と関白の違いは何か。
   摂政→幼い天皇にかわり政治を行う地位。
   関白→天皇が成人した後もかわって政治を行う地位。
 ③藤原氏の初の摂政,関白に就いた人物名と,最も栄えた時代の人物名を答えよ。
   初の摂政→藤原良房
   初の関白→藤原基経
   最盛期  →藤原道長藤原頼通

 ※『攻』の系図で,藤原氏の中でどういう人物に摂政・関白の地位が受け継がれているか作業を通じて考えてみよう。


17 武士の台頭
 ※武士の登場とその役割について学ぶ
 ①武士が登場する理由,武士の役割とは何だったのだろうか。
   →貴族の護衛,税の輸送の護衛,都の警備,盗賊や海賊などのとりしまり
 ②武士団の棟梁となった有名一族とは。
   →源氏(清和源氏),平氏(桓武平氏)
 ③10世紀前半に,日本の東西でおこった武士の反乱とその場所をまとめておこう。
   東→平将門の乱・関東地方
   西→藤原純友の乱・瀬戸内海
 ④11世紀中ごろの東北地方の反乱と,これをしずめた武士の棟梁の名,その後の東北の様子をまとめておこう。
   反乱→前九年の役。源頼義・源義家
   反乱→後三年の役。源義家
   統一→奥州藤原氏が統一し,平泉を根拠地に3代にわたって栄える。中尊寺などが建てられ都の文化も取り入れられた。

 ※『攻』の系図と地図を使って,授業で登場した人物たちの関係と,反乱が起こった場所を確認しておこう。


9(中編) 宋と高麗
 中国や朝鮮半島の歴史は日本とのかかわりがきわめて深い。その変化を知っておこう
 ①唐が滅亡した直接の原因と,その後の中国はどうなったか?
   →大規模な農民反乱で唐が滅びた(907年)後,混乱の時代が続く,やがてが統一(960年)した。
 ②宋は軍事的に強大な国をめざさず,制度を整え,文化を発展させて国の安定をはかったといわれる。どんなものが発展したか?
   →産業の発達…長江下流域での稲作の発展,茶・陶磁器・絹織物などの生産の増加など
     発明品…火薬・羅針盤・活字印刷
     仏教・儒教…仏教では自力で悟りを開こうとする禅宗が広まり,儒教では君臣長幼の序列を重んじる朱子学が生まれる。
 ③朝鮮半島を統一していた新羅が滅んだ後どうなったか?
   →高麗が統一する。
 ④高麗はどんな国であったか?
   →仏教儒教の保護政策,高麗青磁など陶磁器が発展した。
 
 ※『攻』をかなりさかのぼるけど,地図を含めて確認しておこう。次の鎌倉時代にもこれが大切なつながりとなる。


18 院政と荘園公領制
 荘園領主と国司の双方の立場に立って,荘園の成立について考えてみよう。
 ①重税にたえきれずに浮浪・逃亡した農民の受け入れ先として考えられるところは何か。
   →地方豪族・貴族・寺社・有力農民などが,荘園の開発のための労働力として受け入れた。
 ②寄進が行われる理由は何か。
   →国司から荘園の権利を守る。
   →不輸の権・不入の権などを獲得して荘園の自立をはかる。
 ③荘民の種類をあげよ。
   →名主,作人,下人など
 ④後三条天皇についてまとめておこう。
   出身(血筋)→藤原氏を外戚としない天皇である。
   政策→延久の荘園整理令を発令し,摂関家の勢力をおさえ,天皇親政を開始した。
   支持勢力→都での出世に限界があり,国司などに就任することが多かった中級貴族などが支持した。
 ⑤院政とは何か。
   院政時代の3人の上皇→白河上皇(白河法皇),鳥羽上皇(鳥羽法皇),後白河上皇(後白河法皇)
   天皇家との血縁関係で,摂関政治との違いは何か→院政が父方の血筋なのに対して,摂関政治は母方である。

 ※武士の台頭とも関連づけて考えよう。武士が必要な時代になってきていることがわかりますか。
   摂関政治と院政の似ている点と似ていない点,院政が行える資格とは何か整理しておこう。



19 平安時代の文化
 ※平安初期にはじまる平安仏教と浄土教の違いを知る。どのような国風文化が出てきたかをまとめよう。
 ①2つの平安仏教についてまとめておこう。
   ◎最澄が開いた天台宗の総本山は比叡山の延暦寺である。
   ◎空海が開いた真言宗の総本山は高野山の金剛峯寺である。
   共通点→2人ともで学んで帰国し,新しい仏教を開いた。山岳仏教であり,教とよばれる独特な祈祷(きとう)を行い現世利益をもたらす。
 ②浄土信仰とは何か。
   →末法思想の広まりとともに人々に広がった。阿弥陀仏を信仰し,死後に極楽浄土に生まれ変わることを求める。
     各地に宇治の平等院鳳凰堂などの阿弥陀堂建築が建てられる。  
 ③国風文化の日本風の表れといわれるものを具体的にあげてみよう。
   →◎束帯や女房装束などの貴族の服装。
    ◎
寝殿造の貴族の邸宅
    ◎
大和絵とよばれる日本の風景や人物を描く絵画
    ◎
仮名文字が広まり物語や日記・随筆などの文学が生まれる
 ④「Lady Murasaki」活躍の背景は何だろう。
   →
仮名文字の発達,宮廷での競い合いがあった。

 ※主な文学作品や,建築なども整理しておこう。



20 平氏政権
 ※武士が政権をとる都での2つの戦乱と,平氏政権がどんな政権であったかをまとめよう。
 
①源氏にかわって平氏が台頭する大きな政治の変化は何だろうか。
  →源氏が,
摂関家に取り立てられたのに対して,平氏はに取り立てられて力をもった。
 ②源平が勢力を拡大したのは主としてどこか。
   →源氏は
関東や東北など東日本,平氏は瀬戸内海沿岸など西日本に勢力をのばした。
 ③平氏政権が誕生する,2つの都での戦乱についてまとめておこう。
  →
保元の乱(1156年)…天皇と上皇の対立に,藤原氏の兄弟の対立がからみ,双方が武士の力を利用して戦った。
  →
平治の乱(1159年)…平氏の棟梁である平清盛と源氏の棟梁である源義朝が戦い,平清盛が勝利をおさめた。
 ④平氏政権の貴族政権的な性格と武家政権的な性格をまとめておこう。
  →貴族的…平清盛が
太政大臣に就任するなど,一族が朝廷の高位高官を独占した。
          平清盛の娘
徳子が,天皇の妃となり,生まれた安徳天皇が即位した。
  →武家的…
荘園の管理者に,平氏の家人(家臣のこと)を任命するなど,主として西日本の武士を従えた。
         
大輪田泊を修築し,日宋貿易をすすめ大量の宋銭を輸入した。
 ⑤当時の沈没船を引き揚げた時に発見されるものにはどんなものがあるだろうか。
  →
陶磁器など中国や朝鮮半島をはじめとして,広く東アジアの交易品。船乗りたちの生活用品,大量の宋銭など

 
※ 『攻』で大輪田泊や厳島神社などの位置も確認しておこう。
   出原の歴史教材博物館で開催中の第三回特別展をみてみよう。



21 源平争乱
 ※史上初の全国的争乱を経て誕生した鎌倉幕府成立までのいきさつを知ろう。
 ①反平氏の動きが表面化した最初は。
   →後白河法皇の近臣たち。
 ②源氏の挙兵についてまとめよう。(誰が,いつ,どこで)
   ○源頼政1180年・宇治以仁王をたてて挙兵し,平氏に破れた。
   ○源頼朝1180年・伊豆で挙兵し,自らは鎌倉に留まり弟の源義経を派遣して源義仲と平氏を滅ぼす。
   ○源義仲1180年・木曽で挙兵し,平氏を破って入京したが,源義経に敗れた。
 ③鎌倉に武家政権が成立したと考えられる時期の候補をあげよう。
   ○全国に守護・地頭を設置した1185
   ○奥州藤原氏を滅ぼし(1185年)て全国を統一した1189
   ○源頼朝が征夷大将軍に任ぜられた1192

 ※時代の流れと,場所を見ておこう。『攻』では地図で示しているので,色ぬり作業もふくめて確認しておこう


22 鎌倉幕府
 ※鎌倉幕府を支えたものは何であったのか。公武の二重支配の問題と北条氏の台頭。そして産業の発達について学ぶ。

 ①「御恩」と「奉公」の関係についてまとめておこう。
   御恩→領地の公認(本領安堵),領地を与える(新恩給与)
   奉公→惣領が一族,郎党を率いて参戦する。京都や鎌倉の警備をする。
 ②農業や商業の発達に関するこの時代の特徴をあげておこう。
   農業→を裏作とする二毛作の普及。牛馬耕が行われ,肥料を使用する。桑・漆・茶などの商品作物を栽培するなど。
   商業→三斎市が開かれ,宋銭が流通する。借上など高利貸しも現れる。商工業者の同業組合であるもつくられるなど。
 ③北条氏はどのようにして台頭したのだろう。
   →源氏の外戚で,幕府創業以来の功臣であった。源頼朝の死後は,他の有力な御家人を排斥し,幕府の重要な役職を独占した。

 ※武士の生活や農民の生活を教科書などを参照してまとめておこう。鎌倉幕府の組織は『攻』右上にまとめを見ておこう。


23 執権政治
 ※承久の乱と執権政治の確立について,乱の前後を比べてみよう。
 ①後鳥羽上皇は,どのような機会をとらえて幕府を倒そうとしたのか。
   →
源氏の将軍の血筋が3代で絶えた。北条氏が幕府の実権をにぎり,御家人たちの不満も高まっていたと考えた。
 ②幕府の承久の乱での勝利でどう変わったのか。
   幕府と朝廷の立場→
六波羅探題が設置され,朝廷は幕府の監視下に置かれた。後鳥羽上皇は隠岐島に流された。
   幕府の支配のおよぶ範囲→
東国中心であったが,西日本の上皇方の荘園を没収し新補地頭が任命された。
   北条氏の地位→鎌倉幕府を代表する地位が認められ,
執権政治が確立した。
 ③御成敗式目について知っておこう。
   制定者→
3代執権・北条泰時
   制定の主な目的→
公平な裁判の基準を示す。
   基準となったのは→
源頼朝以来の先例と武家社会の道理。
   対象者は→幕府の
御家人のみ。

 ※源氏や北条氏の系図,幕府の勢力範囲の拡大などは『攻』の作業で確認できる。
   教科書で御成敗式目の具体的な内容も見ておきたい。



24 元寇
 ※元寇を「蒙古帝国」のスケールから知る。東アジア情勢に目を向ける。日本への影響を考えよう。
 ①元寇は何度?元軍の構成は?
   1度目…
文永の役1274年)は元に加え,高麗から軍を編成した。
   2度目…
弘安の役1281年)は元に加え,高麗と旧南宋から軍を編成した。
   3度目…
中止
 ②元軍と日本軍との戦いの違いはどうだったか。
   元軍→
集団戦法。火薬などを使用。寄せ集めの軍。
   日本軍→
一騎打ち戦法,異国警固番役を設け博多湾沿岸に石塁を築く。御家人の懸命の戦い。
 ③元寇が遅れたり中止になった理由は何だろうか。
   →元軍が
船に不慣れであり,征服され,負担させられた高麗・旧南宋・ベトナムなど東アジアの民衆の抵抗があったことなど。
 ④元寇が鎌倉幕府に与えた影響は何か。
   →幕府の支配が
九州にまでおよぶようになった。御家人の負担が大きいのに,恩賞が期待できない。

 
※地図を確認したい。『攻』9「隋・唐・宋・元帝国」もふくめてそのスケールを見たい。


25 鎌倉文化
 ※『教』や『攻』をはじめ目で見て学習する。鎌倉仏教の特色について学ぼう。
 ①鎌倉文化の特色は何だろうか。
   →伝統的な公家文化とともに,新しい武家文化が起こった。の文化の影響を受ける。
     貴族や武士だけではなく,農民などにも民衆文化が広まる。
 ②代表作をあげてみよう。
   文学…軍記物→『平家物語』,勅撰和歌集→『新古今和歌集』,随筆→『方丈記』,『徒然草
   建築…大仏様の東大寺南大門禅宗様の寺院など
   彫刻…東大寺南大門金剛力士像など
   絵巻物…縁起絵(「春日権現験記」など),伝記絵(「一遍上人絵伝」など),物語絵(「蒙古襲来絵詞」など)
 ③鎌倉仏教の開祖たちはどんなことを説いたのだろうか。
   念仏系→法然の「専修念仏」などの浄土宗,親鸞の「悪人正機説」などの浄土真宗(一向宗),
         一遍の「踊念仏」などの時宗遊行宗)
   題目系→日蓮の「法華経」の題目を唱えるなどの日蓮宗(法華宗)
   禅宗系→栄西の「公案解決」などの臨済宗,道元のひたすら坐禅することを説く曹洞

 ※公家文化と武家文化の視点で分類してみよう。絵巻物を見ておこう。『攻』の仏教の一覧表を活用しよう。


26 南北朝の争乱 
 ※承久の乱で倒れなかった鎌倉幕府が,この時なぜ滅亡したのだろうか。
 ①鎌倉幕府が弱くなった理由は何だろうか。
   →御家人制度の動揺,北条氏の権力独占の強化などへの不満,永仁の徳政令でかえって信用をなくす。
 ②後醍醐天皇が隠岐島から脱出でき,建武の新政を始められたのはなぜだろうか。
   →幕府の不満を持つ御家人足利尊氏新田義貞など)が増えていた。悪党楠木正成など)が活発に活動していた。
 ③建武の新政はどんな政権だったのだろうか。
   →後醍醐天皇中心の政権。
   →公家を重視した政権であり,御所の造営費を地頭から取り立てたりしたことで,武士農民が不満が高まる。
 ④足利尊氏の動きを追ってみよう。
   →鎌倉幕府の有力御家人で,下野国足利荘出身。源氏の血筋をひく。→鎌倉幕府を見限って六波羅探題を攻め滅ぼす。
   →建武の新政を実現した第一の功労者となるが,新政には不参加→一時,鎌倉に入る。
   →後醍醐天皇の命令で討伐に来た新田義貞に勝利し再び京都に入るが北畠顕家のために敗北し九州に逃れる。
   →湊川の戦いで新田義貞楠木正成らに勝利し京都に入る。「建武式目」を発表し,政治方針を示す。
   →自らたてた北朝光明天皇から征夷大将軍に任ぜられ,幕府を設立する。
   →以後,吉野に逃れた南朝の後醍醐天皇と対立する。
   →足利一族の対立が起こり,南北朝の争乱が長期化する中で没する。
   
 ※南北朝の争乱の地図を作ってみよう。『攻』の右下の地図を参考にしてもよい。


27 室町幕府 
 
※室町幕府はどんな政権だったのだろう。

 ①守護から,どのようにして守護大名へと変わったのだろうか。
  →
南北朝の争乱の間に様々な権利が認められた。
    任国の
年貢をとりたて(守護請),その半分を軍事費として受け取れる(半済)などの権利を得た。
    国内の
武士を従え,一国を支配するようになる。
 ②3代将軍足利義満が行ったことについてまとめよう。
  →京都の
室町に「花の御所」を造営し幕府の政治の中心とする。
    武家の棟梁である
征夷大将軍と,公家の頂点である太政大臣に就任する。
   
南北朝を統一する。山名氏や大内氏などの有力な守護大名の勢力を削減する。
   
日明貿易(勘合貿易)を始める。北山邸北山山荘」を建てて政権をにぎる。
 ③室町幕府のおとろえについてまとめておこう。
  財政面→直轄領である
御料所だけでは支出をまかなえない不安定なもの。
  制度面→政務をまとめる
管領侍所の所司などをはじめ守護大名の連合政権で,彼らに頼らないといけない。
  6代将軍
足利義教→将軍権威の回復のため有力守護大名を殺害する。永享の乱で鎌倉府を滅ぼす。嘉吉の乱で暗殺される。
  8代将軍
足利義政→政治に無関心。文化面では東山文化が発展する。後継をめぐり応仁の乱が起こる。京都は焼け野原となる。
 
 
※守護大名に支えられた室町幕府の政治のしくみについて,鎌倉幕府と比べながらまとめておこう。『攻』右上参照のこと。


28 倭寇
 ※東アジア世界を通じて変化を見ていこう。
 ①倭寇がさかんに活動した時期はどんな時か。その根拠地や活動の範囲をまとめておこう。
    時期→14世紀後半16世紀後半(戦乱が続き,平和が保てず,貿易ができにくい時)
    根拠地→瀬戸内海の島々,対馬壱岐五島列島などの島々。
    範囲→朝鮮半島の沿岸部から中国大陸の沿岸部
 ②中国の王朝交代と日本との関係について
    王朝交代→モンゴル民族のが北に追われ,洪武帝により民族のが成立した。安定するのは永楽帝の時代。
    都→元の都は大都(現在の北京),明の都は,はじめ南京,のち北京へうつる。
    明との貿易→勘合(勘合符)を用いて倭寇と区別する朝貢貿易であった。
 ③朝鮮半島の王朝交代と日本との関係について
    王朝交代→高麗が滅び,李成桂により朝鮮が成立した。安定するのは世宗の時代。
    朝鮮との貿易→通信符倭寇と区別して,対馬の守護大名である宗氏を中心にして行われた。
 ④琉球のま統一について
    統一以前→北山,中山,南山にまとまっていた。
    統一→中山王の尚巴志琉球王国として統一した。都はは首里におかれた。
    貿易→朝貢する。東南アジアや日本などと幅広く中継貿易を行い繁栄した。

 ※地図で確認しよう。『攻』には,作業用の地図があるのでやっておこう。


29 土一揆
 ※倭寇といい,土一揆といい,活動的な中世の民衆の力を読み取ろう。
 ①定期市や座とは何か。
   定期市→月3回開かれる三斎市から,やがて産業の発達につれて市が開かれる回数が増えて六斎市となっていく。
   座→公家や寺社に利益の一部を納めて,営業の独占などの保護を受ける商工業者の同業組合で,鎌倉から室町時代に増加。
 ②惣の自治についてまとめよう。
   寄合を開き,村の共有地である入会地の管理や用水の管理,神社の祭礼(参加資格を宮座という)のこと,
   年貢のこと(村で年貢納入を請け負うことを百姓請という)について話し合い,村人が守る規約である村掟を定めたりもする。
 ③土一揆について
   土一揆→のリーダーである地侍などが中心となって,起こす土民たちによる一揆で,幕府に徳政令を出すことなどを要求した。
        例→正長の土一揆,嘉吉の土一揆など
   国一揆→いくつものが結束し,守護大名を追放することをもめざす大規模な土一揆である。
        例→山城の国一揆など
   一向一揆→惣を基礎に,地侍や農民が一向宗の信仰によって結束して起こす土一揆である。
        例→加賀の一向一揆など

 ※どういう地域で土一揆が起こっているのかを地図で確認すること。『攻』に分布図がある。
   惣の人々がどのように結束していくのか,具体的にわかりますか。



30・31特別授業 戦国地図のぬりかえ
 ※戦国時代の主役「戦国大名」の中から,やがて天下統一をめざす勢力が現れる。どういう地域性があるだろうか。
 ①戦国大名の課題とは何か。
   軍事力の強化→つまり,家臣団の統制である。そのために地侍などを惣村から切り離して城下町に集住させ,
             分国法を定めて守らせる。
   経済力の強化→治水工事や新田開発をして,収入の安定と増加をはかり,指出検地を実施して収入を確保する。
 ②天下統一をめざす勢力は,どういう地域から出てきたか?
   →豊かな近畿地方でも,遠く離れた東北,関東,九州,四国でもない,中間地帯である。

 ※「戦国地図のぬりかえ」を楽しもう。守護大名と戦国大名の違いを整理しておこう。


32 室町文化
 ※室町文化の代表的な作品や文化財を知ろう。日本の伝統文化の形成について学ぼう。
 ①どんな特色があるか。
   →武家文化と公家文化がまじる。禅宗文化の影響が大きい。民衆の生活が向上し,庶民文化が高まる。
    応仁の乱など都での戦乱もあり,地方に文化が広まる。
 ②日本の伝統文化となっていく,この時代の文化をあげてみよう。
   ◎連歌→「歌会」が開かれる。二条良基が規則を,宗祗が広める。
   ◎能楽・狂言→「田楽」と「猿楽」がまじる。観阿弥世阿弥の父子が大成する。
   ◎書院造→掛軸や陶器を飾る「床の間」を持ち,「ちがい棚」,「明障子」のある「付書院」などがある和室。
   ◎枯山水の庭園→石と白砂で水の流れを表す。
   ◎生花→仏前の「供花」から,池坊専慶らにより鑑賞する華道(花道)へ発展した。
   ◎茶道→産地を当て合う「闘茶」から,村田珠光らにより茶道へ発展した。
   ◎水墨画→墨の濃淡で風景を描く。雪舟により大成する。
   ◎お伽草子の例→「一寸法師」,「物臭太郎」,「浦島太郎」など。

 ※地方への文化の広がりについては,『攻』右頁の地図を見ておこう。


33 世界の中世
 ※キリスト教世界とイスラム教世界の成立と,東西文化の交流について学ぶ。
 ①ゲルマン民族の大移動で成立した国々のうちフランク王国が安定し,栄えたわけは何だろうか。
  →移動前の地を保有したままの移動であったこと。封建制度が整っていたこと。ローマ=カトリックに改宗したことなど。
 ②ヨーロッパの封建制度と荘園について特色をまとめておこう。
  階級→領主である国王(または皇帝)・諸侯騎士が相互に主従関係で結ばれ,農奴を支配する。
  農奴→領主から土地を借り生産物や労働力などの税を納める。移動の自由はないが,家や農具を持ち,税以外を私有できる。
  教会→荘園には教会があり,大司教や司教には諸侯なみの大荘園領主もいて,その頂点に立つローマ法王(教皇)の権力は大きい。
 ③「コーラン」とは何だろうか。
  →イスラム教の教えを説く聖典で,唯一神アッラーが,最後の預言者ムハンマドを通じて伝えた言葉をまとめた宗教書であるとともに,
   信者の日常生活のあり方から,政治や経済などの国家行事まで定めた法律に近い存在でもある。
 ④イスラム帝国についてまとめておこう。
  →7世紀にムハンマドがアラビア半島を統一。8世紀にバグダッドを中心に,西アジアから北アフリカ,イベリア半島までの大帝国となる。
   その後分裂する。のちアラビア人にかわりトルコ人が台頭してオスマン帝国を建国,インドにはムガル帝国などが成立して栄えた。
 ⑤ヨーロッパ全域に広がったルネサンスが,はじめに起こった地域とその理由は何か?
   →北イタリアで起こる。
   →フィレンツェ,ヴェネツィア,ミラノ,ジェノバなどの都市が地中海貿易の中心として栄えていて,同時にイスラムの文化やビザンティン文化が入ってきた。
    分裂状態の国々が競って優秀な人材を求めた。
     十字軍の失敗などで教会の権威が落ち,以前に比べて,人間らしさや個性が認められる時代になりつつあった。
 ⑥宗教改革によって新しく誕生したキリスト教と旧来のキリスト教について区分しよう。
   新教→プロテスタントルター派,カルヴァン派など
   旧教→カトリックローマ・カトリック,ギリシア正教など

 ※長い時代をいっきに見ていくので,日本の何時代ごろにあたるか。何世紀ころのできごとかを確認しながら勉強すること。


34 南蛮人
 ※ヨーロッパ人の新航路の開拓は,地球規模で経済・文化を結びつけた。新大陸の文明を滅ぼし,さまざまなものが世界に広まった。
 ①なぜ「大航海時代」になるのか。
   →
国土回復運動(レコンキスタ)の成功によるスペイン王国ポルトガル王国の統一と絶対王政の成立で,新航路発見に対する援助が行われた。
    宗教改革に反発して,イエズス会などが,海外に布教活動をおこなった。
    香料,絹織物,貴金属などが求められる中で,イスラム商人を通じて買うのではなく,直接得られる新航路を求めた。
    ルネサンスの発明品のうち羅針盤の活用や地図の発達で航海技術が進歩した。
    マルコ=ポーロの『東方見聞録』などにより,東洋への関心が高まっていた。
 ②新航路発見の主な探検家をあげよ。
    コロンブス→スペイン国王の援助で,西インド諸島に到達
    ヴァスコ=ダガマ→ポルトガル国王の援助で,西まわりインド航路の発見でインドのカリカットに到達
    マゼラン→スペイン国王の援助で,部下が世界周航に成功
 ③南蛮人が日本にもたらした鉄砲とキリスト教について
   鉄砲→ポルトガル人種子島に伝え,のち国産化される。国内の生産地としては和泉の堺,近江の国友村,紀伊の根来寺などが知られる。
   キリスト教→イエズス会の宣教師フランシスコ=ザビエル鹿児島に来て伝える。カトリックである。のち多くの宣教師が来日する。

 ※『攻』で,ヨーロッパ人の海外侵略の地図,南蛮人の来航に関する地図を確認しておこう。

お疲れ様でした。これで古代・中世編は完成です。続けて勉強できますか?

 

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