このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
夏の盛り,「受験の天王山」などと,勝負がかかる場面などで使われる天王山とは
どんな山なのか。標高は,わずかというべきか270メートル,30分程度で登れる山なのです。
この山は,京都府と大阪府の境目(摂津国と山城国の境)にあります。
新幹線,東海道本線,名神高速道路,国道一号線,そして私たちが利用した阪急京都線
が山と川の間の狭い地形を並行して走ります。これだけでもここが,交通の要地なのだという
ことがわかるでしょう。
果たして「天下分け目」の天王山を地域探求部が制覇することができるのか。
いざ!
アップが遅れてしまいました。すみません。
ご一緒に汗をかきかき登りましょう。(地域探求部)
出発は阪急大山崎駅 普通電車しか止まらない駅です。 | 風を切って駆け抜ける特急列車 新型車輌9000系です。内部は落ち着 いた雰囲気で,マルーン色が映えます。 |
大山崎町歴史資料館 大山崎が歩んできた歴史を勉強するこ とができます。入口付近の井戸形をした 映像コーナーで町を紹介しています。 山崎の戦いはもちろん,千利休が建てた といわれる国宝の茶室・妙喜庵の待庵の 模型の展示もあります。まずは,ここで歴 史や地形,位置を確認してから登るのが いいと思います。 | |
観音寺の急な石段 息を切らしつつ登る人と,一段飛ばしで登 るパワフルな人,まだまだ散策は始まった ばかりですよ。 | 江戸末期の禁門の変で焼失しました。 長州藩と会津藩や薩摩藩との戦いの激 しさを想います。 |
観音寺の中を通り抜けると いよいよ登山道です。 | 生い茂る木々と木漏れ日 ゆるやかな傾斜で気持ちいいハイキング になりました。 |
「山崎合戦之地」碑 「天王山を制する者は天下を制す」という べき場所です。 古戦場が眼下に広がります。 | |
旗立松 羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)が,ここに, 「千成瓢箪(せんなりびょうたん)」の旗印 を掲げた場所です。 中国地方の毛利攻めから,急きょとって 返し京都への入口をおさえたのです。京都 の周辺にいたはずの明智光秀もきっと驚い たことでしょう。 | |
旗立松からの眺め 京都盆地の南が見えています。名神高速 道路が東へと向かいます。 山側に秀吉軍,麓に光秀軍がにらみ合い ました。天下は秀吉のものとなります。 | リーダーを先頭に,私たちものぼる,のぼ る。リーダーは一本道を間違えないか,地 図を気にしています。 |
登山にはマナーが必要ですね。 | 鳥や獣をそっと見守りましょう。 |
延喜式内社 酒解神社 山崎の合戦よりもはるかに古い歴史を持 つ神社で,お社は江戸時代の再建です。 お神輿(みこし)を収めた建物は重要文化 財に指定されています。残念ながら内部 は見学できませんでした。 | このあたりの木は,神社の「ご神木」です。 木々の間を抜けるうちに,なぜか,ほんわ かした気分になりました。 緑を大切に! |
天王山山頂 標高270メートルの頂上です。 | 山頂は山崎城の跡 秀吉の陣地が築かれました。 お弁当の美味しがったこと。 |
三川合流の眺め 京都盆地の西辺にある西山山系の南端 に位置し,京阪奈丘陵から生駒山系との 間に地峡を形成している。 | 三川は1本の淀川に この山と山の狭まりに,東から(天王山 より遠い順に)木津川,宇治川,桂川が 合流し,淀川となって大阪に流れていく。 |
宝積寺 行基が建てたといわれる歴史ある寺院。 | 宝積寺三重塔 秀吉が,山崎の戦いの勝利の後に寄進 したという。重要文化財である。 |
離宮八幡宮 油の神様をお祀りしています。 もとは,嵯峨天皇の離宮だったそうです。 | ご祭神は,応神天皇や酒解大神などと あります。酒解神社も山腹にあったことを 考えると,地元の神様なのでしょう。 |
「守護不入所」と刻まれた石碑 「不輸・不入の権」だよね。 ということは,守護から自立するほどの力を持っていたということ。室町時代には,近畿の油の売買を独占していたといいます。 当時の油は灯明の燃料ですから,すごい収入があったことでしょうね。 | 無事下山を感謝 |
天王山は,「お椀を伏せた様な形をしています。」と資料館の学芸員さんが教えて
下さいました。
その通りで,はじめはどうなることかと思うほど急でしたが,すぐになだらかになり
ました。みんなで心地よい汗をかきました。
そして, 緑を大切に。(平成18年12月)
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