このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
豊臣秀吉や徳川家康ゆかりの天下の名城・大阪城を散策しました。
近くに古代遺跡・難波宮跡もあり,大阪が政治の中心舞台でした。
後期難波宮・大極殿跡基壇(復元) 基壇の上が天皇の立つ場所。 写真の左手前のほうに文武百官が並ぶ。 難波宮の中枢部です。 | |
大極殿柱礎石(復元)に立つ部員たち 中学生7人が乗れるほど太い柱。 使われたのはどんな木だったのかな? | 西朝堂院の跡(少し高くなっている所) 奥に分かりにくいのですが、 3本大きな木が立っています。 政務や重要な儀式などをするところです。 |
南外堀の東端 南側は、敵から一番攻められやすい (北は川、東は湿地、西は海)ので、 完全な守りが必要なのです。 | 一番櫓(重要文化財)と東外堀 多くの櫓(やぐら)が焼失してしまった中、 残ることができました。 行ったときはこちらも是非見てください。 |
蓮如上人の袈裟掛けの松 現在はもう枯れてしまっています。 隣のクスノキと間違わないように注意! | 蓮如上人の碑 蓮如上人は浄土真宗の本願寺第8世。 83歳の時に石山本願寺をこの地に建てた。 |
内堀東面 水はほとんどないですが、外堀よりさらに 高い石垣で守られています。 | 内堀南面 内堀の南側は水が枯れてしまい「空掘」と なっています。 |
豊国神社へ いろいろと話をしながら向かいます。 部員が入った所は神社の裏参道でした。 | 豊国神社拝殿 「出世開運」のご利益があるそうです。 皆で参拝して、出世を願いをしました。 |
六番櫓脇から南外濠西方を望む | 六番櫓脇から南外濠東方を望む |
六番櫓脇の鉄砲狭間 攻められた時は、ここから対岸の敵を倒し たのでしょう。ここの方が高いので打ちや すいと思いました。 | 六番櫓脇の鉄砲狭間からの眺め 戦の時は対岸に敵が大勢いたはずです。 堀がとても役立っていたことでしょう。 |
六番櫓付近から南外濠を見下ろす 石垣の上から堀を見下ろしました。 思ったより高く、高所恐怖症の人には 耐えられない場所です。 挑戦者はどうぞ♪ 落ちないように気をつけてください。 | |
西の丸庭園を隔てる城壁 白い壁に瓦(かわら)。 段差に合わせて、高さを変えています。 | 「本日休園」 入園するつもりだったのですが・・・。 少し予定がずれてしまいました。 |
大手門脇の巨石 城造りの時持って来た石が大きいほど 「幕府への忠義があつい」ということで、 どの大名も競って巨石を運びました。 | 大手門(重要文化財) 大手門を含め、大阪城には13棟の 重要文化財があります。 櫓(やぐら)や堀などがそれにあたります。 |
| 大手門付近の鉄砲狭間からの景色 ありとあらゆる所に鉄砲狭間があります。 それほど敵に備えていたのでしょう。 |
本丸に住み着いていた猫 来る人にかわいがられて人馴れしている のでしょうね。部員の猫好きトリオは 無我夢中・・・。カワイイ\(^0^)/ | 蛸石 大阪城で一番大きな重さ130tの花崗岩。 岡山藩が船2隻を並べ、間にネットを 張って乗せてきたそうです。 とにかく大きい!! |
天守閣(復興) 外から見れば五階建てですが、実際は 八階建ての天守閣(復興)です。秀吉が 建てたものは九階建てだったそうです。 金に塗られた飾りが光って、当時の繁栄 が目に浮かびます。現在のものは平成の 大修理で一新されました。 | |
金明水井戸屋形(重要文化財) 秀吉が黄金数枚を井戸に沈めたという伝説 があるが,実際は,徳川時代に掘られたも の建物は寛永時代(1626年)に建てられた。 | 天守閣の最上階より西方を望む 西側には、近代的なビルが立ち並んでい ます。 |
天守閣の最上階より北方を望む 北東の下のほうには梅林が広がります。 梅の花を上から見下ろすのもきれいと思 います。 | 天守閣の最上階より南方を望む 南には天王寺駅があります。又、かなり かすんでいますが、生駒山系も天気がよ ければ見えると思います。 |
大阪城をあとに,JR大阪城公園駅へ 皆さんは、大阪城の思い出は「天守閣から の展望」が強いのではないでしょうか。私 達もそうでしたが、今回、石垣の重要性、 城のつくりなど、新しい発見がたくさんあり ました。皆さんも、敷地内そのものを、一度 じっくり見てみると、おもしろいことが分かる かもしれませんね。 |
このページは,部員が冬休みに散策して,作成したものです。
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