このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

坂本龍馬と新撰組の史跡を歩く(2007年3月)
       京都市・木屋町〜東山界隈

三条大橋
三条駅からすぐのところにあります。この橋
木でできています。昔のままとはいきません
が、なかなか趣があります。
鴨川河川敷(三条大橋より)
川幅が広く浅いですが、いろいろな鳥が来て、
川沿いを歩くのもお勧めです。
三条大橋の擬宝珠擬宝珠に残る刀傷
三条大橋の西から二つ目にある擬宝珠(ぎぼし:ネ
ギの花に似た神社や橋の欄干に取り付けられる飾
り)には、池田屋事件の際についた刀傷が今でもは
っきり見てとれます。
弥次郎兵衛と喜多八の像
江戸時代、十返舎一九によって書かれた
『東海道中膝栗毛』に登場する弥次さん、喜
多さんの像です。三条大橋は東海道の終点
で大坂にもつながっていました。作中で二人
はこのあたりではしごを買わされています。
鴨川河川敷(四条大橋から三条大橋遠望)
歴史的な面影を残す三条大橋と違って、四条大橋
は交通の要という感じで、交通量も多かったです。
池田屋跡の碑
池田屋では、「京都を焼き払い、その間に孝
明天皇を長州へ移そう」というたくらみを持つ
集団が集まっていました。が、一人が新撰組
に捕まり、彼らによりたくさんの人が捕らえら
れたり殺されたりしました。

池田屋跡のモニュメント
現在では地面のプレートとパチンコ屋の前の石碑
しかありません。近代化の中で残れるのは難しい
ものですね。
酢屋前に立つ坂本龍馬寓居跡碑
坂本龍馬が酢屋に身を寄せた理由は、高瀬
川を使う交通の便のよさと、伏見・大坂との
連絡のよさが挙げられます。
酢屋
酢屋は創業280年の材木商です。高瀬舟で材木
の運搬を行っていました。創業から外観があまり
変わっておらず、大通りの一つ裏にひっそりとあり
ます。
高瀬川(木屋町付近)
浅い小さな川です。深さは20cm弱しかあり
ません。昔は、ここを高瀬舟という底の浅い
舟が行き来していて、下るときは流れに乗
って下れますが、上りは人間が綱で船を引
いて上っていたそうです。
近江屋跡に立つ坂本龍馬・中岡慎太郎遭難碑
近江屋跡です。石碑しか残っていませんが…。
ここで坂本龍馬と中岡慎太郎が暗殺されました。
ここの後ろは旅行会社になっています。
祇園(八坂神社拝殿)
ここの拝殿は本殿と一体になっています。
この造りは「祇園造」と呼ばれています。京
都三大祭の一つの「祇園祭」もここ、八坂神
社のお祭りです。
祇園(八坂神社神楽殿)
舞殿とも呼ばれています。ここで舞を舞ったり行事
を行ったりします。
円山公園のしだれ桜
このときはまだ一分咲きでした。満開のとき
は壮大なスケールで、丸山公園で最も有名
な桜です。
坂本龍馬・中岡慎太郎像(円山公園内)
この辺りは本当にたくさんの龍馬の名があって、多
くの人に愛されていると思いました。
翠紅館跡
久坂玄瑞(くさかげんずい)が大和親征の策
を練った翠紅館の跡地です。現在は料亭と
なっています。
坂本龍馬の墓前からの見晴らし
京都が一望できました。こんな見晴らしのいい所に
墓があるのはとてもいいと思います。
坂本龍馬・中岡慎太郎の墓       
近江屋というところで龍馬と中岡慎太郎が
面談をしていたときに、刺客が現れ、龍馬
は暗殺されました。この時龍馬は33歳でし
た。
木戸孝允の墓
左の二人の墓から、さらに階段を上った所にあり
ます。この付近には薩摩の人々の墓がたくさんあ
ります。
三年坂
観光客でにぎわう三年坂。転びやすい数名
の部員も無事に通行できました…。
清水寺仁王門
ここの時点で体感温度はかなり上がってきていま
す。清水さんには、年中たくさんの外国の方が訪
れ、この日もここで写真を撮っている方がたくさん
いました。
清水寺本堂
国宝の本堂です。下ぐつを脱いで本堂に
上がって参拝ができるようになっています。
線香の煙をしっかり浴びました。
清水の舞台からの見晴らし
この日が天気がよく、暑いくらいでした。奥には京
都タワーがよく見えていますが、見えますか?
舞台を支える柱
舞台を下から見上げています。上からの眺
めもいいですが、舞台を支える柱がいくえに
も組まれている様子も迫力があり、すごかっ
たです。
舞台を支える柱
柱組みを舞台から見下ろします。写真では分かりに
くいですが、かなりの高さがあります。これらの柱を
組む作業の大変さは想像も出来ません。
最後までご覧いただきありがとうございまし
た。この日は天候にも恵まれ、とてもいい散
策ができました。皆さんもこの季節、散策を
してみてはどうでしょう?

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