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三条大橋
三条駅からすぐのところにあります。この橋
木でできています。昔のままとはいきません
が、なかなか趣があります。 | 鴨川河川敷(三条大橋より)
川幅が広く浅いですが、いろいろな鳥が来て、
川沿いを歩くのもお勧めです。 |
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三条大橋の擬宝珠 | 擬宝珠に残る刀傷
三条大橋の西から二つ目にある擬宝珠(ぎぼし:ネ
ギの花に似た神社や橋の欄干に取り付けられる飾
り)には、池田屋事件の際についた刀傷が今でもは
っきり見てとれます。 |
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弥次郎兵衛と喜多八の像
江戸時代、十返舎一九によって書かれた
『東海道中膝栗毛』に登場する弥次さん、喜
多さんの像です。三条大橋は東海道の終点
で大坂にもつながっていました。作中で二人
はこのあたりではしごを買わされています。 | 鴨川河川敷(四条大橋から三条大橋遠望)
歴史的な面影を残す三条大橋と違って、四条大橋
は交通の要という感じで、交通量も多かったです。 |
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池田屋跡の碑
池田屋では、「京都を焼き払い、その間に孝
明天皇を長州へ移そう」というたくらみを持つ
集団が集まっていました。が、一人が新撰組
に捕まり、彼らによりたくさんの人が捕らえら
れたり殺されたりしました。
| 池田屋跡のモニュメント
現在では地面のプレートとパチンコ屋の前の石碑
しかありません。近代化の中で残れるのは難しい
ものですね。 |
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酢屋前に立つ坂本龍馬寓居跡碑
坂本龍馬が酢屋に身を寄せた理由は、高瀬
川を使う交通の便のよさと、伏見・大坂との
連絡のよさが挙げられます。 | 酢屋
酢屋は創業280年の材木商です。高瀬舟で材木
の運搬を行っていました。創業から外観があまり
変わっておらず、大通りの一つ裏にひっそりとあり
ます。 |
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高瀬川(木屋町付近)
浅い小さな川です。深さは20cm弱しかあり
ません。昔は、ここを高瀬舟という底の浅い
舟が行き来していて、下るときは流れに乗
って下れますが、上りは人間が綱で船を引
いて上っていたそうです。 | 近江屋跡に立つ坂本龍馬・中岡慎太郎遭難碑
近江屋跡です。石碑しか残っていませんが…。
ここで坂本龍馬と中岡慎太郎が暗殺されました。
ここの後ろは旅行会社になっています。 |
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祇園(八坂神社拝殿)
ここの拝殿は本殿と一体になっています。
この造りは「祇園造」と呼ばれています。京
都三大祭の一つの「祇園祭」もここ、八坂神
社のお祭りです。 | 祇園(八坂神社神楽殿)
舞殿とも呼ばれています。ここで舞を舞ったり行事
を行ったりします。 |
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円山公園のしだれ桜
このときはまだ一分咲きでした。満開のとき
は壮大なスケールで、丸山公園で最も有名
な桜です。 | 坂本龍馬・中岡慎太郎像(円山公園内)
この辺りは本当にたくさんの龍馬の名があって、多
くの人に愛されていると思いました。 |
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翠紅館跡
久坂玄瑞(くさかげんずい)が大和親征の策
を練った翠紅館の跡地です。現在は料亭と
なっています。 | 坂本龍馬の墓前からの見晴らし
京都が一望できました。こんな見晴らしのいい所に
墓があるのはとてもいいと思います。 |
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坂本龍馬・中岡慎太郎の墓
近江屋というところで龍馬と中岡慎太郎が
面談をしていたときに、刺客が現れ、龍馬
は暗殺されました。この時龍馬は33歳でし
た。 | 木戸孝允の墓
左の二人の墓から、さらに階段を上った所にあり
ます。この付近には薩摩の人々の墓がたくさんあ
ります。 |
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三年坂
観光客でにぎわう三年坂。転びやすい数名
の部員も無事に通行できました…。 | 清水寺仁王門
ここの時点で体感温度はかなり上がってきていま
す。清水さんには、年中たくさんの外国の方が訪
れ、この日もここで写真を撮っている方がたくさん
いました。 |
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清水寺本堂
国宝の本堂です。下ぐつを脱いで本堂に
上がって参拝ができるようになっています。
線香の煙をしっかり浴びました。 | 清水の舞台からの見晴らし
この日が天気がよく、暑いくらいでした。奥には京
都タワーがよく見えていますが、見えますか? |
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舞台を支える柱
舞台を下から見上げています。上からの眺
めもいいですが、舞台を支える柱がいくえに
も組まれている様子も迫力があり、すごかっ
たです。 | 舞台を支える柱
柱組みを舞台から見下ろします。写真では分かりに
くいですが、かなりの高さがあります。これらの柱を
組む作業の大変さは想像も出来ません。 |
最後までご覧いただきありがとうございまし
た。この日は天候にも恵まれ、とてもいい散
策ができました。皆さんもこの季節、散策を
してみてはどうでしょう? |
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