このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

入口は旧二条駅舎
 初めて見ると,「有力者の屋敷?」と思いました。レトロチックな入口からは,少しすすくさいような,独特のにおいがただよいます。
扇形車庫にたくさんの蒸気機関車たちがいた
車庫の中には,沢山の種類の機関車が並んでいます。中には,現在も動くものもあったり写真のように動かなくても中に入れるものもあります。 
D51のファーストナンバー
最も数多く生産されたD51(デゴイチ)機関車のファーストナンバーです。他にD51200がありましたが,ライトの形などが微妙に違っていました。 
D511の後の巨大箱形車輌は何だ?
D511号機の後方は,炭水車といいます。石炭と水を積んでいました。長距離走行には便利ですが,機関士は大変だと思いました。
C58 1 「お召し列車」と呼ばれる
天皇が移動するときに乗った列車を「お召し列車」と呼びます。これはその1つ「C581」
です。金色に見えるのは,これを表します。
印には,いろいろなタイプがあります。機関車にとっては,この経歴が勲章となるそうです。
蒸気機関車たちの背中
蒸気機関車を上の方から撮影しました。背中にもバリエーションがあります。
機関士からどのように見えたのか
真ん中からは前が見えないので,左右に窓が付いています。左右に機関士がいるといってもかなり運転がしにくいんじゃないかと思いました。
「ポッポー」
「8630」(スチーム号)に乗りました。めったに動態保存をしている機関車には出会えないので,とても驚きました。乗る価値は十二分にあります。
C62の釜の火が燃える
実際に釜に石炭を入れています。すごく熱そ〜!!。特に夏場は大変ですね。
扇形車庫(奥)と転車台(手前)
機関車を方向転換させる時に中心の転車台を回して使います。写真左方の機関車たちは動態保存のため煙で車庫が真っ黒になっています。
「きゅーろく」と呼ばれた大正時代以来の歴史を持つ「9600型」機 関車                  最も数多く活躍した「でごいち」こと「D51型」。蒸気機関車たちの顔はそれぞれ微妙に違う
間近で見るとド迫力!9600型の,33番目に造られたという意味です。この機関車は,ライトが2つです。D=動輪4つという意味です。
汽車がまもなく着きそうな
レトロな感じがただよっているのは,資料展示館と扇形車庫の間です。
梅小路蒸気機関車館見学(2005年8月)

天王寺から京都・梅小路運転区へ

鉄道好きの生徒と顧問が選んだ今夏最後の見学地
    旧 梅 小 路 機 関 区
(現 梅小路蒸気機関車館・梅小路運転区

この頁は梅小路蒸気機関車館(京都市下京区)様の許可を得て作成しました。

上段【愛称板】
左 C57が牽引した特急「日本海」のもの。
   大阪から遠く青森を目指した夜行列車。
中 「なにわ」・「宮島」(裏面)は大阪と広島
  を結ぶ。
右 「くろしお」は天王寺発で南紀の黒潮洗う
   海の町をめざした。既に蒸気機関車の時
   代は終わろうとしている。
   (版権は歴史教材博物館所有)

下段【行先板】
天王寺発 特急「くろしお」の行先板 行先は
南紀白浜である。
裏面は「新宮—天王寺」となっている。
 (版権は歴史教材博物館所有)

上の行先板は実際に列車に使われたものの表裏である。本校のある天王寺駅から,大和路に入り,奈良
を経由して,京都に入る。梅小路蒸気機関車館(名門旧梅小路機関区)は京都駅から徒歩25分ほど。

昔,今のように行先を電光掲示板のように変えられなかった時に
使用したもので,客車のドア横などに取り付けて使用しました。
上の名前の列車,今でも走っているのものがありますね。

本日はご覧頂きありがとうございました。(地域探求部部員一同)

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