このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

四天王寺探検(平成17年12月)
                            地域を探求する地域探求部
らしく   
 いざ,地元の四天王寺へ。
 冬晴れの四天王寺を歩いて訪れました。附属天王寺中学校の「天王寺」の地名も,元はこの大きな古い寺院の名からきていると聞きます。まさに地元のお寺です。聖徳太子が建てた古代寺院と教科書にも紹介されています。

南門(南大門)
四天王寺の南の門です。右に駐車場があります。
私たちは学校から歩いてきて南大門から入りました。
西門から入る参拝者が多いようですが,本当はここが
四天王寺の正門にあたります。
中門
手前が中門で、後ろの上にアンテナのように見えるの
は,五重塔のてっぺんで「相輪(そうりん)」と呼ばれま
す。
「回廊(かいろう)」で囲まれた「中心伽藍(ちゅうしんが
らん)」には,本来ここから入ったと考えますが,ふだん
は使われていないようです。
宝物館
1階には鎌倉時代のものという石の鳥居の扁額や、儀式用の大きな太鼓などが展示されています。
2階には、漆皮箱や有名な国宝の扇面法華経冊子などの貴重な文化財が展示されています。扇面法華経冊子は,法華経の背景に平安時代の人々の姿や町の風景が描かれていて,当時の生活がよくわかります。
1時間かけてじっくり見ました。
回廊
この中に金堂や五重塔,講堂があります。中門からこれらの建物が一直線に並んだ配置は「四天王寺式伽藍(がらん)配置」といわれ,古い寺院の建て方の一つだそうです。
五重塔最上層からは、寺の境内が見渡せました。
でも私たちの学校は見えませんでした。
五重塔
回廊の中にあります。
上までは急な階段を上ります。
最上階からは、金堂、講堂、中門、などが見えました。
柱の壁画も見ものです。
金堂
四天王寺の本尊である救世観音を祀ってあり、四方を四天王が守っています。四天王寺の名前はここからきたものだと思います。
屋根の形は「入母屋造(いりもやづくり)」という形式です。
内壁には仏伝図が描かれています。
手前の太い柱は,回廊の柱の一つです。
講堂
本尊である阿弥陀如来像(あみだにょらいぞう)が祀られています。
南大門や五重塔、金堂と一直線上に並んでいる最も北にあります。
屋根の形は金堂と同じく入母屋造で、内壁には仏教東漸(ぶっきょうとうぜん)の図が描かれています。仏教が釈迦(シャカ)が初めてインドで広めてから,次第に東へ伝わる様子が説明されています。
六時堂
昼夜6回にわたって諸礼讃が行われるため、「六時礼讃堂」と呼ばれるようになりました。
薬師如来像(やくしにょらいぞう)、四天王などをお祀りしてあります。江戸時代初期の建物と言われています。
手水舎
お参りするときに,手や口を清める場所です。神社でよく見かける建物ですが,昔は神社と寺の区別があまりなく,お互いに影響しあってきたといいます。
亀の池の亀
亀がゆうゆうと自由に飛ぶかのごとく泳いでいます。
北鐘堂
ここからは、鐘の音が聞こえてきます。
ゴーン、ゴーんと、少しこもった音が聞こえてきます。
石の鳥居
鎌倉時代に建てられたといわれる大きな鳥居です。当時は平安時代いらい浄土信仰が盛んだったころだからでしょうか。極楽浄土の東門に当るのだといわれているそうです。四天王寺の最も西にあります。これも神社でよく見るものです。
扁額には「釈迦如来 転法輪処 東極楽土 東門中心」と,書いてあります。四天王寺の西には「極楽浄土」があるということなのです。

このページは,部員によるフィールドワークにより作成しました。

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