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続・高校3年生対象
3ポイント・アドバイス
(番号と表題は『資料で学ぶ歴史攻略ノート』[山川出版社]による。以下『攻』と記す)
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さあ中世に突入です。
20平氏政権
①平氏の台頭…「伊勢平氏」とよばれる。院政期から台頭。
平正盛(祖父・白河法皇に北面の武士に登用され,各国の国司を歴任。源義親の乱を平定。源氏にかわって台頭)
平忠盛(父・鳥羽法皇に重用され,各国の国司を歴任,瀬戸内海の海賊や都の僧兵をおさえて信用を得る)
平清盛(本人)
②保元の乱(1156)と平治の乱(1159)ののち平氏政権が成立
保元の乱
後白河天皇(弟)と崇徳上皇(兄)の対立に,摂関家の関白藤原忠通(兄)と左大臣藤原頼長(弟)の内部対立がからみ,
双方が武士の力を利用して解決した。
天皇方に平清盛(甥)と源義朝(子・兄),上皇方に平忠正(叔父)と源為義(父)と源為朝(弟)。
あくまでも皇室や摂関家の対立が中心であるが,武士の力を利用しないと解決しなかったということが重要である。
平治の乱
平氏の棟梁平清盛と,源氏の棟梁源義朝の対立に,後白河法皇の近臣の
藤原通憲〔信西〕と,同じく藤原信頼の対立を巻き込む。
武家の棟梁の対立が中心で,この勝者が政権をとった。
※関係系図も見ておきたい。
『攻』には,天皇家と平氏の関係系図と,さらに39ページには,平氏と源氏の乱の関係系図があるので見ておくこと。
③平氏政権
本拠地 →京都の六波羅
地位 →公卿16人,殿上人30余人 例 平清盛=太政大臣,平重盛=内大臣
天皇家との外戚関係 →平清盛の娘の徳子が,高倉天皇の中宮となり,生まれた安徳天皇が即位する
貿易の利益 →日宋貿易…大輪田泊の修築など
財政基盤 →荘園五百余カ所,知行国三十余カ国(『平家物語』による)
21源平の争乱
①源氏の蜂起
源頼政→山城・宇治…以仁王(後白河法皇の皇子,全国の源氏に令旨を発した)を奉じて挙兵→敗北
源義仲→信濃・木曽…倶利加羅峠の戦いに勝つ→入京(平家は都落ち)・後白河法皇と対立
→源頼朝の派遣した源義経に敗れる
源頼朝→伊豆・蛭ケ小島…石橋山の戦いで一度敗北するが,鎌倉を本拠地を置き,富士川の戦いに勝つ
→後白河法皇に東国支配権を認められ,源義経・源範頼に宇治川の戦いで,源義仲を討たせる
→一の谷の戦い・屋島の戦い・壇ノ浦の戦いで,平氏を西国に討たせる
→後白河法皇に守護・地頭の設置を認められ,源義経を討伐することとなり,
これをかくまった奥州藤原氏を滅ぼす
→後白河法皇没後,征夷大将軍に任官し,鎌倉幕府を開く
※地理的・時間的な流れを確認したい。『攻』の地図作業をこなしておきたい。
史料としては,のちの親幕府派の公卿で,摂政・関白を歴任する九条兼実の日記『玉葉』や,
鎌倉幕府の公式記録『吾妻鏡』も見ておきたい。
②平氏の動き
鹿ヶ谷の陰謀事件で,後白河法皇の側近らの平氏打倒の動きを未然に押さえる
福原京に遷都(5ヶ月で復都),南都焼討ち(源氏方についた東大寺や興福寺など)
源義仲の入京で,安徳天皇を奉じて都落ち,源頼朝の派遣した源義経・源範頼に敗れ壇ノ浦の戦いで滅亡
※「此一門にあらざらむ人は皆人非人なるべし」というほどの平家繁栄の様子などを
軍記物の傑作とされる『平家物語』で読み取りたい。
また,福原京への遷都反対の意見を鴨長明の随筆『方丈記』で読み取りたい。
③源氏の系図や,北条氏との関係 ( )内は源頼朝との関係
源頼朝,源義朝(頼朝の父),源義仲(従弟),源範頼(弟),源義経(末弟),
源頼家(嫡子・2代将軍),源実朝(次子・3代将軍)
北条政子(妻・尼将軍),北条時政(義父・妻の父・1代執権),北条義時(義弟・妻の弟・時政の嫡子・2代執権)
北条泰時(甥・妻の弟義時の子・3代執権)など
※系図を確認したい。『攻』では,源氏と北条氏,九条兼実との関係系図を掲載している。
22鎌倉幕府
①御家人制度の基本
御恩→本領安堵と新恩給与がある
奉公→平時は京都大番役や鎌倉番役などの役割を分担し,戦時は一族を率いて参戦する
※関連して「惣領制度(本家の長が一族を率いる)」や
「騎射三物(きしゃみつもの…流鏑馬・笠懸・犬追物)」などもおさえたい。
②地頭の荘園侵略の方法
和与(和解すること)が成立→地頭請(地頭に荘園管理を一任)と下地中分(荘園を折半する)などがあった。
産業の発達
農業→牛馬耕が行われる。刈敷・草木灰などの肥料が使用される
商工業→定期市(当時は「三斎市」)が開かれる。
常設の「見世棚」)京都や奈良,鎌倉など)が出現。
「行商人」の活躍など
手工業者の同業組合の「座」,高利貸しの「借上」,
庶民の互助組織である「頼母子講」,遠隔地取引の決済方法である「為替」,
荘園年貢などの運送,保管,売却業者である「問丸」などが出現
※図表などで,下地中分の具体例を見たい。
③鎌倉幕府の組織から
「将軍」→源氏は初代源頼朝から3代源実朝まで,摂家将軍が4代九条頼経とその子の5代将軍の2代,
皇族将軍が6代宗尊親王から9代将軍まで4代
「執権」→事実上の鎌倉幕府の長。初代北条時政に始まる16代。
2代北条義時の直系を「得宗」といい,特に権力を握った
「侍所」(軍事・御家人統制)と「政所」(一般政務)の長官を別当という。
それぞれ初代別当は和田義盛と大江広元が就任した。
のち,北条義時が和田義盛を滅ぼしてからは,執権が両別当を兼任することとなる
「問注所」(一般訴訟の裁判)の長官は執事といい,初代執事は三善康信が就任した
大江広元と三善康信は京都の公家の出身であった
※詳しい組織図を見ておこう。『攻』49頁に解説して示している。
23執権政治
①承久の乱
朝廷→後鳥羽上皇は西面の武士を設置し,親幕派公卿の関白九条兼実を罷免して,
北条義時追討の院宣を発する。
幕府→北条義時は姉北条政子の演説を通じて御家人の結束をかため,
子の北条泰時と,弟の北条時房らを派遣して戦う。
結果→後鳥羽上皇は隠岐島配流,順徳上皇は佐渡島に配流,土御門上皇は土佐のち阿波に配流,
京都の警備と朝廷の監視,西国御家人の支配のための六波羅探題(北条氏の世襲)の設置
新補地頭の設置(これまでの本補地頭に対した言い方)
※北条義時追討の院宣,『吾妻鏡』にある北条政子の演説,
御成敗式目の追加である「新編追加」から新補地頭の得分などを確認しておきたい
三上皇の配流地など,承久の乱関係の位置も地図で確認したい。『攻』の右ページ参照。
②3代執権北条泰時と5代執権北条時頼の政治
◎叔父北条時房を「連署」につける。これは副執権のような役職。
◎有力御家人の合議機関「評定衆」を設ける。
→所領関係の裁判にあたる合議機関である「引付衆」は
「評定衆」の下部組織で5代北条時頼の時に設置された
◎摂家将軍を迎える
→皇族将軍は5代執権北条時頼の時代から
◎御成敗式目(貞永式目)の制定
全51カ条。御家人のみに適用。源頼朝以来の先例と武家社会の道理を基準とした
追加修正は「式目追加」「新編追加」で発表される
※「御成敗式目」そのものより,北条泰時が京都にいた弟の六波羅探題の北条重時に宛てた
手紙の方が,御成敗式目制定の主旨を説明していてわかりやすい
御成敗式目そのものの,守護の職務や,所領相続などの規定を見ておきたい
③有力御家人の排斥
1代執権北条時政→梶原景時(侍所所司〈次官〉),比企能員(2代将軍源頼家の外戚),畠山重忠
2代執権北条義時→和田合戦…和田義盛(侍所別当〈長官〉)
5代執権北条時頼→宝治合戦…三浦泰村(北条氏に次ぐ有力御家人)
9代執権北条貞時→霜月騒動…安達泰盛(北条氏の家臣,内管領の平頼綱と対立)
※順を追って整理しておきたい。
24元寇 ①二度の襲来と三度目の断念にいたる流れ
「文永の役」まで →服属させていた高麗で起こった三別抄の乱の平定
「弘安の役」まで →南宋との戦いとその滅亡
三度目の断念まで→江南の中国人の乱とベトナム人の乱,フビライ=ハンの死
※日本だけでなくアジアのスケールで考えたい。地理的位置関係も『攻』で確認しよう
フビライの国書「蒙古の牒状」も必読
②日本の防備の流れ
「文永の役」まで →元の国書に対して返書を出さず
「弘安の役」まで →異国警固番役の設置と博多湾岸に石塁を建設
それ以後 →鎮西探題や長門探題の設置,西国への北条一族の守護任命増加
※北条氏の守護独占の進展を『攻』で確認したい
③元寇のもたらしたもの
御家人の窮乏の助長と,北条氏〔特に得宗〕の権力独占の強化
※二つの意味を確認したい。
25鎌倉文化
①鎌倉新仏教の誕生と旧仏教の革新・神道の転換
6つの新仏教→A 浄土宗・B 浄土真宗〔一向宗〕・C 時宗〔遊行宗〕・D 日蓮宗〔法華宗〕・E 臨済宗・F 曹洞宗
その開祖→A 法然・B 親鸞・C 一遍・D 日蓮・E 栄西・F 道元
主要著書→A『選択本願念仏集』・B『教行信証』『歎異抄』〔弟子の唯円〕・C『一遍上人語録』〔弟子たち〕
D『立正安国論』・E『興禅護国論』・F『正法眼蔵』『正法眼蔵随聞記』〔弟子の懐奘〕
特色 ABC 念仏「南無阿弥陀仏」 D題目「南無妙法蓮華経」 EF「坐禅」
ABCD 「他力本願」 EF「自力本願」
A「専修念仏」 B「悪人正機説」 C「踊念仏」 D「法華経」中心 E「公案解決」 F「只管打坐」
旧仏教の革新
華厳宗…高弁〔明恵〕→専修念仏に反発,著書『摧邪輪』
法相宗…貞慶〔解脱〕→専修念仏に反発,戒律を復興
律 宗…叡尊〔思円〕→戒律の復興,庶民の教化
忍性〔良観〕→叡尊の弟子,貧民救済の「北山十八間戸」を建設
天台宗…慈円 →戒律を重視,著書『愚管抄』,九条兼実の弟
神道
伊勢神道…度会家行→反本地垂迹説,伊勢神宮を信仰の中心とし、特に外宮の権威を高めた
※『攻』では,一覧表で示している。確認のこと。
②美術では,まず絵巻物に注目,そして何といっても「慶派」の活躍する彫刻の世界
絵巻物 縁起絵…「春日権現験記」「石山寺縁起絵巻」「北野天神縁起絵巻」
伝記絵… 「法然上人絵伝」「一遍上人絵伝」
物語絵…「男衾三郎絵巻」「蒙古襲来絵巻」「平治物語絵巻」
彫刻 運慶 →東大寺南大門金剛力士像〔奈良〕・興福寺無著像・世親像〔奈良〕
快慶〔運慶の弟子〕→東大寺南大門金剛力士像〔奈良〕・東大寺僧形八幡像〔奈良〕
湛慶〔運慶の長男〕→蓮華王院本堂千手観音像〔京都〕 蓮華王院=三十三間堂
康弁〔運慶の三男〕→興福寺天灯鬼像・竜灯鬼像〔奈良〕
康勝〔運慶の四男〕→六波羅蜜寺空也上人像〔京都〕
※図表などで,一見の価値あり。その時代を物語る。
③武家と公家の学問・文学
ジャンル | 公家中心 | 武家中心 |
歴史 | 『愚管抄』〔慈円〕,『元亨釈書』〔虎関師錬〕 | 『吾妻鏡』〔鎌倉幕府公式記録〕 |
和歌 | 『新古今和歌集』〔勅撰和歌集・藤原定家ら〕 | 『山家集』〔西行〕,『金槐和歌集』〔源実朝〕 |
随筆・紀行・説話・軍記物 | 『方丈記』〔鴨長明〕,『徒然草』〔吉田兼好〕 『十六夜日記』〔阿仏尼〕, 『十訓抄』,『宇治拾遺物語』,『沙石集』〔無住〕 | 『平家物語』〔琵琶法師が語る〕 『保元物語』『平治物語』『源平盛衰記』 |
有職故実・古典研究 | 『禁秘抄』〔順徳天皇〕 『釈日本紀』〔卜部兼方〕 | |
図書館 | 「金沢文庫」〔北条実時〕 |
※主な史料は必ず確認しておきたい。例 慈円の道理に基づく歴史観,『平家物語』の有名どころ
26南北朝の争乱
①鎌倉幕府の滅亡
御家人制度の動揺と幕府の対策
分割相続による零細化・惣領制の崩壊・元寇での恩賞の不十分・悪党の活発化など
←永仁の徳政令〔1297〕…越訴の禁止,流質地の変換における20年規定など
得宗専制の強化
約半数の守護の独占,御内人やそれを統率する内管領の台頭。最後の得宗の北条高時の無為無策
※史料「永仁の徳政令」の3カ条は必読。
②建武の新政の組織と批判あれこれ
「朕が新儀は未来の先例たるべし」・「尊氏なし」・「公家と武家水火の争いにて」…『梅松論』(足利氏の家臣の作)
「此比都ニハヤル物,夜討強盗謀綸旨…モルル人ナキ決断所」…「二条河原の落書」(『建武年間記』)
「記録所」(政治の最高機関),「雑訴決断所」(所領関係の裁判),
「武者所」(京都警備・武士統制・頭人=新田義貞),「恩賞方」(恩賞授与),
「陸奥将軍府」(北畠顕家が補佐),「鎌倉将軍府」(足利直義が補佐)
※史料『太平記』や『増鏡』(四鏡の最後)はやや南朝よりの立場で,
『神皇正統記』は南朝正統論,北畠親房の著
『梅松論』は北朝の立場で記述している。
③「建武式目」(足利尊氏の施政方針・事実上の室町幕府成立宣言)の制定から
「観応の擾乱」(足利一族や家臣の内部対立が南北朝の争乱を長期化)へ
※史料「建武式目」は必須。実は弟の足利直義の影響大。以後兄弟の二頭政治から兄弟対立へと進むことを知っておきたい。
南北朝の争乱の大まかな流れをつかんでおきたい。『攻』には地図付きで示してある。
27室町幕府
①守護大名の台頭(守護の権限の拡大)
守護設置当初 →「大犯三カ条」のみ
「御成敗式目」での追加→「夜討,強盗,山賊,海賊」の逮捕
「建武以来追加」 →「刈田狼藉」「使節遵行」「半済令」「守護請」
※それぞれの内容がわかりますか。なぜこうした権限が付与され強化されたのか説明できますか。
②足利義満の政治と室町幕府の組織
京都の室町に「花の御所」を造営
南北朝の合一(北朝の後小松天皇が南朝の後亀山天皇を吸収合併)
将軍退任後,太政大臣に就任し「公方」と呼ばれる
「北山山荘」を造営し政治の中心とする
明国と「勘合貿易」を開始,「日本国王」と称する
有力守護大名の勢力削減→土岐氏の乱(土岐康行),明徳の乱(山名氏清),応永の乱(大内義弘)
組織…「管領」(将軍補佐・政務統括),「侍所」(軍事・警察・京都警備・刑事訴訟,長官は「所司」)
「政所」(財政,長官は「執事」),「問注所」(記録・文書保管,長官は「執事」)
「鎌倉府」(関東十カ国の支配,長官は「鎌倉公方」,次官は「関東管領」),
「九州探題」「奥州探題」「羽州探題」
※「三管領四職」や,鎌倉公方や関東管領などの主に就任した一族も確認しておきたい。『攻』に組織図あり。
③将軍権威の失墜と幕府の衰退
4代将軍・足利義持
6代将軍・足利義教…永享の乱(足利持氏を滅ぼす),嘉吉の乱(赤松満祐による将軍暗殺)
8代将軍・足利義政…応仁の乱(東軍→細川勝元・足利義視 × 西軍→山名宗全・足利義尚)
将軍家の後継者争いに,幕府の実力者の対立と,畠山氏,斯波氏の相続争いがからむ
幕府の権力は,管領細川氏の家臣の三好長慶に,さらにその家臣の松永久秀に奪われる
鎌倉公方も,「古河公方」と「堀越公方」に分裂
※足利氏の系図,鎌倉公方の支配範囲(関東十カ国+東北二カ国)も確認したい。『攻』に系図と地図を提示している。
28倭寇
①対中貿易→建長寺船貿易(元・鎌倉幕府)〜天竜寺船貿易(元・足利尊氏)〜倭寇の活動活発化
勘合貿易(明・足利義満→禅僧の祖阿,博多商人の肥富を派遣)
幕府の衰退で,大内氏と結ぶ博多商人,細川氏と結ぶ堺商人が対立
堺…36人の会合衆の自治, 博多…12人の年行事の自治
平野…7名家による自治, 京都…月行事(町衆から選ばれる)の自治など
寧波の乱以降は,大内氏が独占したが,大内氏の滅亡とともに貿易は衰退〜倭寇の活動活発化
※堺や博多などの貿易で栄える都市,寧波などの位置など地理的広がりでとらえたい。
勘合貿易は朝貢貿易であること。明朝頒賜銅銭が幕府の財政に影響するほどに大きいことも,
室町幕府の財政の弱さとあわせて確認しておきたい。『攻』27−【3】参照
足利義満の明国への国書と,明の国書も見ておきたい。
②対朝貿易→倭寇の撃退に功のあった李成桂が朝鮮(李氏朝鮮)を建国
応永の外寇…倭寇の本拠地として対馬を襲撃
三浦貿易(塩浦,富山浦,乃而浦)…対馬の宗氏が中心
三浦の乱以降,貿易は衰退〜倭寇の活動活発化
※三浦と対馬の位置関係も地理的にとらえたい。『攻』右ページに東アジアの地図が提示されているので,確認したい。
中国とあわせ,倭寇の活動の時期と場所も地図で確認しておこう。
③琉球貿易→尚氏(尚巴志)の統一→中山・北山(山北)・南山(山南)〜中継貿易で繁栄
※琉球の歴史は,アイヌの歴史とともに,日本史の流れと違う独自のものがある。
ただし,大きく影響しあっう。このことを念頭に見ておいてほしい。
29土一揆
①土一揆の原動力は産業の発達
農業…二毛作の普及,品種改良,牛馬耕の一般化などの農具の発達,灌漑設備の整備など
商業…三斎市から六斎市へ。
座(公家や寺社を本所として販売独占,関銭免除などの保護を受け,座役を納める)の増加
金融…土倉,酒屋など
貨幣…宋銭〜明銭(永楽通宝,洪武通宝が一般的)へ。
交通…問丸,馬借,車借など
※貨幣の歴史,鎌倉以来の座や高利貸業者も確認しておきたい。
②土一揆の核は惣村の発達と自立
村寄合を開いて自治を行う。→入会地や用水の管理,村祭の運営を行う宮座,百姓請(地下請)の成立
村掟の制定
惣村のリーダー…名主層(乙名,沙汰人,年寄など)の台頭,地侍の増加
※近江の「今堀地下掟」は,その代表的なもの。
③土一揆
1428年…正長の土一揆→「一天下の土民蜂起す。徳政と号し,…土民蜂起是れ初めなり。」
1429年…播磨の土一揆→「播磨国の土民,旧冬の京辺の如く蜂起す。…」
1441年…嘉吉の土一揆→「近日四辺の土民蜂起す。土一揆と号し御徳政と称し,…」
1485〜93年…山城の国一揆→「今日山城国人集会す。…今度両陣の時宜を申し定めんが為と云々…」
1488〜1580年…加賀の一向一揆→「…近年ハ百姓ノ持タル国ノヤウニナリ…」
※史料必読。特に奈良・興福寺の大乗院の『大乗院日記目録』,『大乗院寺社雑事記』は特に重要。
土一揆の発生地が惣村の発達地,ひいては産業の発達地と重なることに留意したい。
『攻』の地図で必ず確認したい。
30戦国時代・31戦国地図のぬりかえ
①群雄割拠
東北…伊達氏(例 伊達政宗)→城下町・出羽米沢/分国法「塵芥集」
関東…北条氏(例 北条早雲・氏康)→城下町・相模小田原/分国法「早雲寺殿二十一箇条」
北陸…上杉氏(例 上杉謙信・景勝)→城下町・越後春日山/
朝倉氏(例 朝倉義景)→城下町・越前一乗谷/分国法「朝倉敏景十七箇条」
中部…武田氏(例 武田信玄・勝頼)→城下町・甲斐甲府/分国法「甲州法度之次第(信玄家法)」
東海…今川氏(例 今川義元)→城下町・駿河駿府/分国法「今川仮名目録」
織田氏(例 織田信長)→城下町・尾張清洲/
中国…毛利氏(例 毛利元就・輝元)→城下町・安芸吉田/
四国…長宗我部氏(例 長宗我部元親)→城下町・土佐岡豊/分国法「長宗我部元親百箇条」
九州…島津氏(例 島津貴久・義弘)→城下町・鹿児島/
※主な分国法の有名条文は必須。戦国大名の出現状況の時と地域性をとらえたい。
『攻』では,永禄3(1560)年と天正10(1582)年の地図で,変化を追ってみた。色ぬり作業で確認したい。
②家臣団の統制
家臣の土地を年貢の銭高で表す「貫高制」←家臣に所領の面積や収入などを報告させる「指出検地」
有力家臣に下級家臣を配属して組織化する「寄親寄子制」
※一条兼良が室町幕府9代将軍足利義尚の諮問にこたえたという『樵談治要』(きこりの政治談義の意)に
足軽についての記述が知られる。
③城下町の保護と統制→家臣団の集住と軍役の賦課,楽市楽座の実施など商工業の保護
不要な関所の廃止
治水,鉱山の開発,新田開発など
※城下町も地図で確認したい。『攻』30の地図の●の一部,同31の地図の○番号は城下町の位置を示している。
32室町文化
①五山(臨済宗/幕府の統制と保護)から他の仏教・神道諸派の興隆へ
五山十刹制→五山文学,五山版
京都五山…別格筆頭=南禅寺,第1位=天龍寺,第2位=相国寺,第3位=建仁寺…
鎌倉五山…第1位=建長寺,第2位=円覚寺…
林下(永平寺,大徳寺など)
浄土真宗〔一向宗〕(蓮如の本願寺派の台頭→吉崎御坊〜山科本願寺〜石山本願寺)
日蓮宗(日親の『立正治国論』など)
唯一神道(吉田兼倶の反本地垂迹説の神道に仏教・儒教を取り入れる)
※蓮如は,簡単な文章の手紙「御文(おふみ)」を送り,門徒を教化した。この史料も見ておきたい。
②日本の伝統文化の形成
北山文化 | 東山文化 | |
連歌 | 二条良基『菟玖波集』『応安新式』 連歌の規則を統一 | 宗祗『新撰菟玖波集』正風連歌の確立 山崎宗鑑『犬筑波集』俳諧連歌の祖 |
能 | 観阿弥・世阿弥『風姿花伝(花伝書)』 能の大成 大和四座(興福寺を本所とする) | |
茶の湯 | 村田珠光…侘茶,茶道 | |
生花 | 池坊専慶…花道 | |
水墨画 | 明兆・如拙・周文…山水画・五山僧 | 雪舟「四季山水図巻(山水長巻)」 水墨画を大成 |
枯山水 | 竜安寺石庭,大徳寺大仙院庭園など | |
書院造 | 慈照寺東求堂同仁斎,慈照寺銀閣など |
※『風姿花伝』は観阿弥の著作。道を究めた人の考えの一端に触れてみたい。
③文化の地方伝播(②を含めること)
足利学校(下野)…上杉憲実のが復興
朱子学〔宋学〕…桂庵玄樹(薩摩),南村梅軒(土佐)
有職故実の研究…一条兼良(大和・奈良)
※その背景が説明できますか。『攻』では,鎌倉・室町文化地図を提示しているので,ぜひ確認したい。
33世界の中世・34南蛮人
①鉄砲の伝来(1543年)…種子島に伝来,島主の種子島時尭が入手
国産化→近江国友村,和泉堺,紀伊根来寺
※鉄砲の伝来は,戦闘方法にまで大きな変化をもたらす。どういうことか説明できますか。
『攻』には地図で国産化の製造地を含む南蛮人の足跡やキリシタン大名の城下町を紹介しているので確認のこと。
②南蛮人と宣教師・キリスト教の伝来(1549年)
◎スペイン →ルソン島のマニラが根拠地・ ◎ポルトガル→中国のマカオが根拠地
宣教師…◎フランシスコ:ザビエル→島津氏の城下町鹿児島に来日,大友氏の城下町豊後府内,
大内氏の城下町山口などに滞在
◎ガスパル:ビレラ →将軍足利義輝の保護,堺を根拠地に活動
◎ルイス:フロイス →織田信長の布教許可,『日本史』を著す
◎オルガンティーノ →織田信長の保護,堺を根拠地に活動,京都に南蛮寺(教会堂),
安土にセミナリオ(神学校)を建てる
◎ヴアリニァーニ →セミナリオ,コレジオ(宣教師養成学校)を設立,
天正遣欧使節の派遣を提案,活字印刷術を伝える
※『耶蘇会士日本通信』での「自由都市」堺の紹介や,ザビエルの来日に関する部分は史料でも確認したい。
③キリシタン大名
例 豊後…大友義鎮(宗麟),肥前…有馬晴信,大村純忠,摂津…高山右近〔高槻城主〕,
肥後…小西行長〔堺出身,秀吉の家臣,南肥後の大名〕
※※とうとう中世末まで来たね。お疲れ様。
ふた山越えたね。よく頑張った。ご褒美に,琵琶湖に浮かぶ竹生島の絶景を見てね。
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