このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

高校3年生対象       
復習のページ
 (番号と表題は『資料で学ぶ歴史攻略ノート』[山川出版社]による。以下『攻』と記す)
  ※このページのA以下の部分は,マウスで反転させると答えが見えるようになっています。自宅学習の一助として下さい。


近代史は,体裁を変え,選抜確認形式とします。
一期一会,しっかり,取り組んでください。

文化史を先にまわして20世紀初頭まで進みます。

第1回 近代文化
  「80明治の文化・86大正の文化」

 ① Q 明治の教育制度の変遷について順にあげなさい
    A 学制(1872年)→教育令(1879年)→学校令(1886年)→教育勅語(1890年)
 ② Q 義務教育年限の変遷についてまとめなさい
    A 1886年の学校令で4年→1907年に6年→1941年の国民学校令で8年→1947年の学校教育法で9年
 ③ Q 次のお雇い外国人のうち,動物学者として知られるアメリカ人は誰か
        ベルツ  ミルン  クラーク  ナウマン  モース  ヘボン
    A モース。 ダーウィンの進化論などを日本に紹介した。大森貝塚の発見でも知られる。
 ④ Q 個人の利益より国家の利益を優先する考えである国家主義思想のうち,平民主義に分類される雑誌名とその代表的人物は誰か。
    A 民友社『国民之友』,徳富蘇峰
 ⑤ Q 初の日刊新聞の名と,その導入した印刷技術は何か
    A 「横浜毎日新聞」(1870),本木昌造の鉛活字印刷の技術
 ⑥ Q 白馬会の代表作家の例をあげよ
    A 黒田清輝 青木繁 藤島武二 和田三造 和田英作 など
 ⑦ Q 民本主義について説明せよ
    A 吉野作造がとなえた政治理論で,主権在君のもとでの民衆の政治参加を主張した。『中央公論』に発表され,
      大正デモクラシーの高揚に大きな影響を与えた。

 ⑧ Q 大正〜昭和初期にはじまる代表的な雑誌名をあげよ。
    A 『中央公論』 『改造』 『キング』 『白樺』 『スバル』 『新思潮』 『文芸時代』 『種蒔く人』 『文芸戦線』など

  ※①②③⑧については,各項目を簡単に説明できますか。④の他の国家主義思想もあげられますか。⑥の代表作がいえますか。
    『攻』の「81切手に見る近代文化ー近代文化人シリーズー」も楽しんで見ておきたい。最近の紙幣改定とも関係があるかも

開国からの復習です。一気に大政奉還まで

第2回 開国〜大政奉還
  「62開国〜63「日米修好通商条約」を読む
   〜64公武合体と尊王攘夷〜65大政奉還」

 ① Q Ⅰ ラクスマン,Ⅱ レザノフ,Ⅲ フェートン号,Ⅳ ゴロウニン,Ⅴ モリソン号,
      Ⅵ ビッドル,Ⅶ ペリー,Ⅷ フゥチャーチンを国別に分類せよ
    A  Ⅰ ロシア  Ⅱ ロシア  Ⅲ イギリス  Ⅳ ロシア  Ⅴ アメリカ  Ⅵ アメリカ  Ⅶ アメリカ  Ⅷ ロシア
 ② Q 択捉島に領土標柱を建てた人物と択捉航路を開拓した人物の名は
    A 近藤重蔵「大日本恵土呂府」  高田屋嘉兵衛
 ③ Q 和親条約の調印までの幕府の外交姿勢の変化を追え
    A 文化の薪水給与令(1806年)→異国船打払令(1825年)→天保の薪水給与令(1842年)
 ④ Q 和親条約締結後の政治問題についてあげよ
    A 13代将軍徳川家定の後継問題(南紀派と一橋派),条約勅許(孝明天皇は条約に反対)の問題
 ⑤ Q 薩摩藩が会津藩と結んで長州藩を追い落とした幕末の戦闘をあげよ
    A 八月十八日の政変(1863年8月),禁門の変(蛤御門の変・1864年7月)
 ⑥ Q 文久の改革で,南紀派の将軍のもとに,一橋派との融和をはかって新設された役職名をあげよ
    A 将軍後見職(徳川慶喜) 政事総裁職(松平慶永) 京都守護職(松平容保)
 ⑥ Q 薩摩藩と長州藩が体験した攘夷の不可能さを知ることになる戦闘をあげよ
    A 薩英戦争(1863年7月),四国艦隊下関砲撃事件(1864年8月)
 ⑦ Q 討幕の密勅の発令,大政奉還が迫る中,民衆の幕府への不支持の表明は,民衆のどういう行動に表れていたといえるか。
    A 世直し一揆や打ちこわしの頻発,御蔭参りの流行,ええじゃないかの乱舞など
 ⑧ Q 大政奉還を建白した土佐藩の構想はどういうものか。
    A 徳川慶喜を盟主とする藩会議制の導入などを中心とする公議政体論による公武合体を主張した

  ※①③は各々のいきさつを含めて説明できますか。外国船の接近から開国,戊辰戦争に関しては
    地理的位置関係もあわせて見ておきたい。『攻』の地図を参照してほしい

明治初頭です

第3回 明治維新〜新政府分裂
  「66明治維新〜68殖産興業・文明開化
    〜70新政府分裂」

 ① Q 五箇条の御誓文の加筆修正の経緯を追え
    A 担当者 由利公正(越前藩士)案→福岡孝弟(土佐藩士)案→木戸孝允(長州藩士)案→完成
      変化  公議政体論の支持派である由利や福岡の案が「列侯会議を」として天皇と大名らが
           ともに誓約する形であったものが,天皇がすべての者を率いて誓約する形のものと
           して天皇の権威をより高める「広く会議を」と変更された

 ② Q 五榜の掲示で,旧幕府と変わらない民衆統治の項目を具体的に3つあげよ。
    A 儒教精神を守ること,一揆や強訴の禁止,キリスト教の禁止
 ③ Q 士族解体の経過を追え
    A 家禄奉還の制で,奉還者に秩禄公債証書を交付して一時金を払う形で奨励(1873〜75年)
       →秩禄処分(1876年)で,家禄全廃で金禄公債証書としてまとまった金を渡して廃止した。

 ④ Q 地租の支払い方について説明せよ。
    A 土地所有者(地券に氏名を明記)が,地価の3%を金納(円銭厘で表記される)する
 ⑤ Q 1-官営郵便制度の設立,2-初の官営鉄道の敷設,3-電信技術の導入,4-電話機の輸入,5-初の日刊新聞の発刊
     を年代順に並べよ。
    A 3(1869年)→5(1870年)→1(1871年)→2(1872年)→4(1877年)
 ⑥ Q 1870年代から80年代は,大蔵卿の大隈重信と大蔵卿のち大蔵大臣の松方正義が主に明治政府の財政を担当した。
     彼らの政策の違いを述べよ
    A 大隈重信は,輸入超過にともなう正貨の減少や,米価高騰に伴う貨幣価値の下落,さらに西南戦争での
     軍事費の増加で,不換紙幣を大量に発行し,さらなる貨幣価値の下落をすすめ,インフレを引き起こした。
      これに対して,松方正義は,増税,緊縮財政の実施,政府の業務の地方への転換をすすめ,官営工場の
     払い下げを行うなどのデフレ政策を実施した。また日本銀行を設立して,中央銀行とし,唯一の発券銀行と
     した。結果,国家財政は安定化にむかったが,急激なデフレ政策は,米価の下落などから自作農の没落を
     加速させ,一方で寄生地主を出現させた。

 ⑦ Q 明治初頭の国境の取り決めや近隣諸国との関係を簡潔に説明せよ。
    A 琉球→琉球処分で沖縄県が成立
      北方領土→樺太千島交換条約で樺太をロシアに譲り,千島全島を得た
      小笠原諸島→領有宣言をし,翌年米国と英国に通告した
      朝鮮→江華島事件をきっかけに日朝修好条規という不平等条約を結ばせた
      中国(清)→初の対等条約である日清修好条規を結んだ。琉球漁民殺害事件で台湾に出兵した
 ⑧ Q 1元参議が頭となって起こされた不平士族の反乱を年代順にあげよ
      2また,その最大の反乱が,その後に与えた影響について述べよ
    A 1 江藤新平を頭とする佐賀の乱,前原一誠を頭とする萩の乱,西郷隆盛を頭とする西南戦争
      2 徴兵令による軍隊が,西郷隆盛が率いる旧薩摩藩の士族に勝ったことで,その実力が証明され,
       以後の不平士族の大きな武力反乱は起こらなくなった

  ※①②は,史料でも確認する。またどういう時期に出されたのかも知っておきたい。④は,『攻』に実物を載せているので参照すること。
    ⑦⑧は,地図で位置も確認しておくこと。

民権運動から明治の戦争史です

第4回 自由民権運動〜日清・日露戦争
  「71自由民権運動〜72日清戦争〜73錦絵に見る日清戦争
      〜74帝国主義〜75日露戦争〜76勲記に見る日露戦争」

 ① Q 自由民権運動で,民衆の民権運動と士族の民権運動が一致して盛り上がった時期を三度あげよ
    A◎民撰議院設立建白書が提出され「日新真事誌」に掲載されてから,
      〜高知で板垣退助らを中心に立志社が設立され,
      〜 その提案により,河野広中片岡健吉らを中心に大阪で全国組織である愛国社が結成されるまで
     ◎愛国社が再興され,これが国会期成同盟に発展し,国会開設の詔を受けて板垣退助後藤象二郎らを中心に自由党が,
       〜大隈重信尾崎行雄らを中心に立憲改進党が結成されるまで
     ◎大同団結運動が後藤象二郎星亨らを中心に呼びかけられ,世論の支持を背景に三大事件建白運動が盛り上がるころ
 ② Q 政府が発令した民権運動弾圧法を年代順にあげよ
    A 讒謗律・新聞紙条例→集会条例→集会条例改正→保安条例
 ③ Q 国会開設の詔(国会開設の勅諭)以後,第1回帝国議会の開会までに政府が設けた制度や組織を順に4つあげよ
    A 華族令→内閣制度→枢密院→大日本帝国憲
 ④ Q 明治の内閣を順に全てあげよ
    A 第一次伊藤博文内閣→黒田清隆内閣→第一次山県有朋内閣→第一次松方正義内閣
       →第二次伊藤博文内閣→第二次松方正義内閣→第三次伊藤博文内閣→第一次大隈重信内閣
       →第二次山県有朋内閣→第四次伊藤博文内閣→第一次桂太郎内閣→第一次西園寺公望内閣
        →第二次桂太郎内閣→第二次西園寺公望内閣

 ⑤ Q 下関条約講和会議の日本全権と清国全権の名をあげよ。またポーツマス講和会議の日本全権とロシア全権の名をあげよ
    A 下関→日本…伊藤博文,陸奥宗光/清…李鴻章
      ポーツマス→日本…小村寿太郎/ロシア…ヴィッテ
 ⑥ Q 下関条約とポーツマス条約で,日本が獲得した領土を全てあげよ
    A 下関→遼東半島(三国干渉で返還)・台湾・澎湖諸島
      ポーツマス→北緯50度以南の樺太(南樺太)
 ⑦ Q 日清戦争の敗戦を契機に清国への帝国主義諸国の侵略があいつぐが,次の地を勢力下においた国はどこか
       1 旅順・大連   2 威海衛・九竜半島   3 広州湾   4 膠州湾・山東半島   5 福建省
    A  1 ロシア      2 イギリス         3 フランス   4 ドイツ           5 日本
 ⑧ Q ポーツマス条約で日本が獲得した旅順・大連地区の管理にあたった組織と,東清鉄道の支線の経営の組織名を答えよ
    A 関東都督府,南満州鉄道株式会社

  ※①〜③は互いに関連づけて流れを押さえたい。『攻』では,年表形式のまとめをしているので見てほしい
    ⑥⑦⑧は地図でも確認したい。『攻』の地図で,それぞれ確認,『攻』77の地図は,「日本の膨張」と題してその後の経過も示している

そして大正時代へ
第5回 条約改正〜大正デモクラシー
   「77条約改正〜82第一次世界大戦〜83ヴェルサイユ体制
    〜84大正デモクラシー〜85政権政党の変遷」

 ① Q 岩倉使節団以降の条約改正担当者名をあげよ。またその改正案を概観せよ
    A →
寺島宗則(税権回復に重点/英・独の反対で失敗)
      →
井上馨(極端な欧化政策〔鹿鳴館時代〕/外人判事の任用案/閣内の反対,世論の反発などで失敗)
      →
大隈重信外人判事任用を大審院に限る案/世論の反発で失敗)
      →
青木周蔵(無条件の法権回復に重点/大津事件で引責辞任)
      →
陸奥宗光治外法権の撤廃に成功・日英通商航海条約など)
      →
小村寿太郎関税自主権の回復に成功・日米新通商航海条約など)
 ② Q 日露戦争前後から,韓国併合にいたる過程を順に追え
    A →
日韓議定書(1904年・韓国内で日本の軍事行動を承認)
      →
第一次日韓協約(1904年・韓国政府内に日本人の財政・外交顧問を置く)
      →
第二次日韓協約(1905年・韓国の外交権を接収し保護国化,韓国統監府〔初代統監=伊藤博文〕を設置)
      →
第三次日韓協約(1907年・韓国皇帝の退位,内政権接収,軍隊を解散)
      →
日韓併合条約(1910年・韓国併合植民地とする。朝鮮総督府〔初代総督=寺内正毅〕を設置して支配する)
 ③ Q パリ講和会議のヴェルサイユ条約で日本が獲得した領域と,中国や朝鮮半島での反日運動名をあげよ
    A ヴェルサイユ条約→
山東半島のドイツ利権,ドイツ領南洋諸島の委任統治権
      中国→
五・四運動,朝鮮半島→三・一独立運動〔三・一万歳事件〕
 ④ Q ワシントン会議とロンドン海軍軍縮会議で締結された条約名をあげよ
    A ワシントン→
四カ国条約太平洋の島々の現状維持,日英同盟の破棄)
              
ワシントン海軍軍縮条約主力艦の10年建造禁止と米英日仏伊の保有比率〔5:5:3:1.67:1.67〕の決定)
              
九カ国条約(中国の主権尊重・領土保全・機会均等など,山東省の権益返還,石井・ランシング協定の破棄)
      ロンドン→
ロンドン海軍軍縮条約補助艦の保有制限,米英日10:10:7
 ⑤ Q 第一次護憲運動のスローガンと,第二次護憲運動の護憲三派の選挙公約をあげよ。
      またこの時に退陣を求められた内閣名を答えよ
    A 第一次→
憲政擁護,閥族打破第三次桂太郎内閣)
      第二次→
普通選挙の実施,貴族院の改革,政府省庁の整理など清浦奎吾内閣)
 ⑥ Q 労働運動・農民運動・婦人解放運動・部落解放運動において1920年から22年に結成された運動や闘争組織名をあげよ
    A 労働   …
日本労働総同盟(1921年)
      農民   …
日本農民組合(1922年)
      婦人解放…
新婦人協会(1920年)
      部落解放…
全国水平社(1922年)
 ⑦ Q 立憲政友会の総裁を首相として組閣した内閣をあげよ
    A 
第四次伊藤博文内閣,第一次西園寺公望内閣,第二次西園寺公望内閣,
      原敬内閣,高橋是清内閣,田中義一内閣,犬養毅内閣

 ⑧ Q 憲政会から立憲民政党から首相を出して組閣した内閣をあげよ
    A  
第一次加藤高明内閣(護憲三派内閣),第二次加藤高明内閣,
       第一次若槻礼次郎内閣,浜口雄幸内閣,第二次若槻礼次郎内閣
 


  ※ ①②流れが説明できるようにしたい。文章化できますか。④もヴェルサイユからワシントン会議,ロンドン海軍軍縮会議へと
   いう流れや変化を説明できるようにしたい。⑤と⑥は大いに関連がある。⑥は,1910年代から20年代にかけて各運動が
   闘争的になっていることに気づいていますか。⑦⑧は,各内閣の政策や特色を含めて年代順に整理する。『攻』を参照のこと。

 
近代史の復習はタイムオーバーです。
 たいへん荒っぽいですが,大正から,ちょこっと昭和が見えました。
 現代史までの余韻を残しつつ終了です。
 お疲れ様。

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