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続々・高校3年生対象       
3ポイント・アドバイス 

 (番号と表題は『資料で学ぶ歴史攻略ノート』[山川出版社]による。以下『攻』と記す)
  ※このページの空欄は,マウスで反転させると文字が見えるようになっています。自宅学習の一助として下さい。

さあ近世史です。

35天下統一
 ①織田信長の統一権力の広がりを把握する。尾張統一・桶狭間〜本能寺で没まで
   桶狭間の戦(1560)で駿河今川義元の上洛を阻止→斎藤竜興を破り美濃に進出(1567)→京都に入る(1568)
   大坂の石山本願寺に移転要求(1570)→姉川の戦(1570)で近江の浅井氏・越前の朝倉氏を破る→比叡山焼き討ち(1571)
   15代将軍足利義昭を追放し室町幕府を滅ぼす(1573)→長篠の戦(1575)で甲斐の武田勝頼を破る→安土城築城(1576)
   石山本願寺と和睦(1580)→本能寺の変(1582)で家臣の明智光秀に討たれる

  ※地図で位置を確認したい。『攻』の地図では,畿内とその近国に限られることを示す。郷村制の発達や土一揆の地図とも関連づけたい。

 ②豊臣秀吉の統一達成。信長家臣・山崎〜大坂で没まで
   中国攻めで毛利氏と和睦し,山崎の戦(1582)で明智光秀を破る→賤ヶ岳の戦(1583)で旧織田家筆頭の柴田勝家を倒す
   旧石山本願寺跡に大坂城を築城(1583)→長宗我部氏を破り四国平定(1585)→九州征伐で島津氏を破る(1587)
     →小田原攻めで北条氏を滅ぼし,その間に東北の伊達政宗らが従う(1590)《全国統一の完成》
   朝廷の権威を利用…関白(1585)・太政大臣(1586)・「豊臣」姓(1586)
   朝鮮出兵〔文禄の役(1592〜96)〜慶長の役(1597〜98)〕

  ※同じく地図で確認したい。統一事業が全国におよんだことがわかる。

 ③徳川家康の江戸幕府成立。三河の小大名・小牧・長久手〜大坂の陣・駿府で没まで
    小牧・長久手の戦(1584)で,統一権力を目指す豊臣秀吉と和睦→東海から関東に移封(1590)江戸城を居城とする
    関ヶ原の戦(1600)で石田三成ら豊臣方を破る→征夷大将軍に任官し江戸幕府を開く(1603)
    大坂の陣(1614〜15)で豊臣秀頼を滅ぼす→駿府で没(1616)

  ※関ヶ原の戦での東軍(徳川家康)と西軍(石田三成ら豊臣方)の所領配置を『攻』で見てみよう
      石田三成→処刑,長宗我部氏→改易,毛利氏→減封など

36織豊政権〜37太閤検地
 ①指出検地と太閤検地の相違が説明できるか
   指出検地…新参の家臣の服従の証。基準は必ずしも統一されていない
   太閤検地…全国統一基準→石盛による土地の品位の決定
                      面積単位(町・反・畝・歩)の統一
                     京桝による穀物等の計量(石・斗・升・合)の統一
           一地一作人制(直接耕作者=土地所有権+年貢納入義務,本百姓制)の確立
           古代〜中世以来の荘園制の崩壊

  ※検地は,年貢確保政策であると同時に,武士に対する軍役賦課基準(武士も石高知行制に)にもなったことを理解しているか
    『攻』には,検地帳の実物を提示した。何が書かれているか見てみたい。
   また史料としては,秀吉の検地に対する姿勢,刀狩令,身分統制令なども見ておこう。

 ②宗教政策の相違がわかるか
   織田政権→仏教の弾圧(比叡山の焼討ち,石山本願寺の討伐など),キリスト教の保護
   豊臣政権→キリスト教の弾圧(バテレン追放令,サン・フェリペ号事件など),仏教の保護(比叡山再興,本願寺の活動許可と援助)

  ※一向一揆との抗争の有無,統一権力と南蛮人の海外侵略との関係を考察したい。バテレン追放令は史料でも確認したい。

 ③豊臣秀吉の2度(文禄の役,慶長の役)にわたる朝鮮侵略について
    →朝鮮の抵抗…義兵の抵抗,李舜臣亀甲船による朝鮮水軍の活躍など
    →秀吉の家臣団の分裂,朝鮮の陶工の連行

  ※桃山文化の陶磁器の発達とあわせて見ておきたい。有田焼,萩焼,薩摩焼など。


38桃山文化
 ①建築では,城郭と茶室を見ておこう
   城郭建築…伏見城(豊臣秀吉の築城)の遺構(西本願寺書院・唐門,都久夫須麻神社本殿)
          聚楽第(豊臣秀吉の築城)の遺構(西本願寺飛雲閣〈疑問視する拙もある〉,大徳寺唐門)
          二条城(徳川家康の築城,将軍の上洛時の居城,未来の大政奉還の舞台となる)
   茶室建築…妙喜庵待庵(京都府大山崎。千利休による)
          如庵(愛知県犬山。織田有楽斎〈織田信長の弟〉による)

  ※城郭建築は桃山建築・絵画・彫刻の集大成となっている。
    『攻』では,全国の国宝・重要文化財指定の建築物のある城郭の位置を地図上に図示している。
    訪れたことのある城を数えてみよう。

 ②絵画では,狩野派,長谷川派,海北派とその作品を見ておきたい。
   狩野派…東山文化以来の流れがある。
          狩野永徳の作品…「唐獅子図屏風」,「洛中洛外図屏風」〈狩野元信の孫〉
           狩野山楽の作品…「牡丹図」,「松鷹図」 〈狩野永徳の養子〉
           狩野吉信の作品…「職人尽図屏風」   
           狩野長信の作品…「花下遊楽図屏風」  〈狩野永徳の弟〉
           狩野秀頼の作品…「高雄観楓図屏風」  〈狩野元信の子〉
   長谷川派…長谷川等伯の作品…「智積院襖絵」「松林図屏風」   〈長谷川派の祖〉
   海北派 … 海北友松の作品…「山水図屏風」     〈海北派の祖〉

  ※金地に濃い色彩で描く「濃絵」が特色で,これまでの「水墨画」と並んで描かれている。
    主な作品は図表などで見ておきたい。

 ③歌舞伎踊り,浄瑠璃節,小歌(小唄)の流行と庶民性もでてくることをおさえたい。
   歌舞伎は「阿国歌舞伎」をはじめ女歌舞伎に始まる。

  ※歌舞伎と小歌については,出雲阿国,高三隆達(堺の商人)とともに整理しておきたい。

近世史の中心,江戸時代です。

39江戸幕府の内政Ⅰ〜40武鑑に見る江戸の大名
 ①大名統制については直参とよばれる旗本や御家人との違いも含めて見ておきたい
   格付け→親藩大名,譜代大名,外様大名の区別/国主,城主,陣屋の区別/石高の違いなど
   御手伝普請→江戸城,二条城,駿府城などの築城の分担や,河川等の土木工事の負担
   法令 →武家諸法度(1615年元和令・金地院崇伝の作,1635年寛永令・林羅山の作…)
        一国一城令(1615年)
   処分 →改易除封(領地没収),減封(領地削減),転封国替(領地替)

  ※『攻』では江戸幕府の職制表を提示している。全ての役職について説明できるようになっておきたい
    また『攻』41では,『武鑑』という役人名簿の実物を提示しているので当時の雰囲気で見てみよう。
   また武家諸法度は極めて重要な史料である。史料を必ず読んでおきたい
   特に寛永令では,参勤交代の制度化と大船建造の禁止が特色であることを押さえておきたい

 ②朝廷統制については,徳川和子(東福門院)の入内(相手は後水尾天皇)と明正天皇の即位,
   それに関連して紫衣事件も見ておきたい
   法令 →禁中並公家諸法度(1615年・金地院崇伝の作)/京都所司代による監視
   
  ※禁中並公家諸法度も重要史料である。具体的な天皇の職務も含めて一通り見ておこう

 ③寺社統制については寺請制度との関係も含めて重要である
   法令 →寺院法度(諸宗諸本山法度)として金地院崇伝らが各宗派ごとに発令した/寺社奉行の支配を受ける
   寺請制度(檀家制度)→キリシタンの取り締まりを理由に,全ての家は特定の檀那寺の檀家となる
                  各檀那寺では,宗旨人別帳宗門改帳)が作成され,
                  結婚・奉公・旅行などの時に身分証明書である寺請証文を発行した

  ※宗旨人別帳は,『攻』の91頁に実物*提示している。何が書かれているのかあわせて見ておこう。

41江戸幕府の内政Ⅱ
 ①農民統制については,五人組制度などとともに各法令と階層を見ておこう
   法令 →田畑勝手作りの禁(1642〜),田畑永代売買禁止令(1643),
        慶安の御触書(1649),分地制限令(1673)
   階層 →村役人(村方三役…名主または庄屋・肝煎,組頭百姓代),本百姓(高持…土地持ち),
        水呑百姓(無高…土地を持たない),名子被官(隷属農民)

  ※田畑永代売買禁止令,慶安の御触書,分地制限令は重要史料である。
   特に慶安の御触書は入試でも頻出の重要史料だ。資料集などで内容までしっかり見ておきたい。
   『攻』では,「五人組御改帳」の実物を提示している。

 ②農民の負担については,各項目と内容を知りたい。
   本途物成本年貢…検地帳に記された田畑にかかる,原則として米納の年貢)
   小物成(小年貢…山林野などの雑税),高掛物(村全体の石高に応じてかかる)
   国役(特定の国に課される臨時税,労働または金納),助郷役(宿場の人馬の不足時の税,労働のち金納)

  ※為政者(徳川家康とされる)の農民観については,史料を見ておきたい。
    読み方は『攻』の仮名を確認して下さい

 ③身分制度と家制度について
   士…苗字帯刀切捨御免などの特権,家禄が支給される。公家,神官,僧侶とあわせ人口の約1割程度
   農…人口の8割以上で厳しい統制を受け,年貢を負担する
   工(親方・職人徒弟)・商(主人・番頭手代丁稚)…町人と総称される,家持と地借店借がある。
      人口の約1割程度
   えた・非人…民衆の分断支配に利用される,厳しい制限を受ける

  ※「三従の教え」や「三行半」などについても説明できますか。


42江戸幕府の外交Ⅰ
 ①朱印船貿易では,主な貿易家,主な貿易品,渡航先や日本町について整理したい。
   貿易家→京都の角倉了以茶屋四郎次郎, 大坂の末吉孫左衛門, 長崎の末次平蔵
         オランダ人のヤン=ヨーステン(耶揚子),イギリス人のウィリアム=アダムズ(三浦按針)
   貿易品→輸入…中国産の生糸,絹織物など/輸出…,銅,漆器,刀剣など
   渡航先→シャム(現在のタイ),カンボジア(現在のカンボジア),アンナンコウチ(現在のベトナム),ルソン(現在のフィリピン)
   日本町→アユタヤ(シャム),プノンペン(カンボジア),ツーラン・フェフォ(コウチ),サンミゲル・ディラオ(ルソン)など

  ※渡航先や日本町は地図でも確認したい。『攻』では,東アジアから東南アジアにかけての地図作業をするようになっている

 ②日本の近隣諸国との関係
   朝鮮…歴史的なつながりの上でも,日本の政権から交渉を指示されてきたのも対馬氏であった
        豊臣秀吉の朝鮮侵略で国交断絶したが,己酉条約(慶長条約)で国交回復,
        以後,将軍の代替わりごとに朝鮮通信使が来日した
        江戸時代を通じて正式な国交関係があった唯一の国
   明〜清…鎖国政策により,秀吉の朝鮮侵略以来国交が回復せず,
          日本町での出会貿易,長崎の唐人屋敷で私貿易が行われる
   琉球王国…首里を都に栄えたが,薩摩藩の侵略で実質的に支配下に置かれる
           形式的にはにも従う形をとり,中継貿易を行う。王族は
           将軍就任の時に慶賀使,琉球国王の交代の時に謝恩使を江戸に送る
   アイヌ…渡島半島の南西部にあった蝦夷地唯一の藩である松前藩がアイヌ人を支配
         家臣に場所を割り当てて知行とする

 ※室町時代からの勘合貿易や日朝貿易,倭寇や秀吉の朝鮮侵略(朝鮮出兵)からの流れが理解できているか

 ③ヨーロッパの4カ国との関係
   ポルトガル…中国産の生糸と日本の銀の仲介貿易で巨利を得ていたが糸割符制度で打撃を受けた
   スペイン  …幕府の田中勝介の派遣,伊達政宗の支倉常長の派遣で関係改善をはかるも果たせず
   イギリス  …平戸商館を開設するが競争に敗れて退去
  オランダ  …リーフデ号の漂着から,平戸商館が,のち出島に移される。オランダ風説書を提出した。

 ※マカオ,マニラ,バタヴィアなどをアジア貿易の根拠地とした国名と、それぞれの位置も地図上で確認したい。
  『攻』の地図参照のこと。

43江戸幕府の外交Ⅱ
 ①禁教令→1612年に天領に,1613年に全国に発令される

  ※大坂の陣を目前にひかえた西日本の外様大名への牽制の意味もあったことが理解できているか

 ②5回の鎖国令について整理する
   Ⅰ(寛永10年・1633年) 奉書船以外の海外渡航禁止。外国居住年以上の日本人の帰国の禁止
   Ⅱ(寛永11年・1634年) 長崎の町人出島を築造させる
   Ⅲ(寛永12年・1635年) 日本人の海外渡航・帰国を全面禁止する
   Ⅳ(寛永13年・1636年) ポルトガル人を出島に移す。
   Ⅴ(寛永16年・1639年) ポルトガル船の来航を禁止する

  ※史料を見ておきたい。特にⅠ・Ⅲ・Ⅴは重要である。

 ③島原の乱(島原・天草一揆)について
   指導者→天草四郎時貞,  原因→島原城主松倉氏の圧政,特に重税キリシタン弾圧
   背景→キリシタン大名の有馬氏,小西氏の旧領でキリシタンが多い
   農民側の動き→廃城となっていた原城へのたてこもり
   幕府側の動き→老中松平信綱を指揮官として諸大名を動員,オランダにも協力させる

  ※島原の乱前後で,幕府の九州支配がどう変化したか。『攻』の地図で確認したい

44元禄の政治と正徳の治
 ①天和の治から将軍徳川綱吉の独裁政治へ
   天和の治→大老の堀田正俊が主導
           江戸に孔子を祀る湯島聖堂を設立したのが象徴的。
          林信篤林鳳岡)は大学頭(湯島聖堂の附属学問所)
          北村季吟は歌学方,安井算哲渋川春海)は天文方に登用される
   独裁政治→側用人の柳沢吉保が主導
          生類憐れみの令の発令
           悪質の元禄金銀の発行(勘定吟味役〜勘定奉行の荻原重秀による)

  ※側用人政治は側近政治の典型であり,それは将軍独裁権力の確立を背景にしていた
    『攻』では,江戸時代の小判の質や重量の変遷を表に示したので,質の悪化の時期を確認したい
    生類憐れみの令は史料でも読んでおこう。

 ②正徳の治→朱子学者の新井白石と,側用人の間部詮房の主導
          (将軍は6代徳川家宣,7代家継の父子)
          質を元にもどした正徳金銀の発行
          朝鮮通信使の待遇の簡略化
          閑院宮家の創設で天皇家の分家設立を援助し朝廷との融和をはかる
          長崎新令海舶互市新例)の発令で長崎貿易を制限

  ※質を下げた元禄金銀と,もとにもどすした正徳金銀の経済的効果を説明できますか。
    長崎新例は史料でも読もう。またねらいは何か説明できますか。

 ③この時期の諸藩の文治政治の名君として知られる大名を確認
   会津藩主の保科正之,水戸藩主の徳川光圀,備前岡山藩主の池田光政,加賀藩主の前田綱紀など

45商品生産の発達
 ①農業の発達からは,農具,肥料,農学書,商品作物の発達のうちから確認したい
   肥料→金肥の使用(干鰯,油粕,菜種など)
   農学書→『農業全書』(宮崎安貞の著),『広益国産考』(大蔵永常の著)
   商品作物の栽培→「四木三草」((蚕の餌),(和紙の材料),(器の塗材),(嗜好品)
                       /紅花(布の染色材料),(布の染色材料),(織物の材料))などなど
        特に鎖国以来,生糸の国産化が進む,鎖国以前は最大の輸入品が,開国後は最大の輸出品に

  ※農具は,図表などで確認し,これが発明されるまでの道具も一緒に見ておきたい
    『農業全書』も史料で一部でも見ておこう
  
 ②漁業・製塩業(瀬戸内海の入浜式塩田など)・鉱業(主な鉱山を確認)など
   漁業→上方漁法が広まる。九十九里浜の鰯漁など

  ※鉱山を含めて『攻』には,全国地図で示している。確認しておきたい。

 ③手工業の発達
   農村家内工業→問屋制家内工業→工場制手工業(マニュファクチュア)への流れを確認する
   織物・染色関係の産地→織物,綿織物,織物の3種類の織物と染物
   器関係の産地→陶磁器と
   醸造の産地→清酒醤油
   製紙の産地→

  ※手工業の発達は現在にも通じる各地の特産物でもある。『攻』の地図で位置を確認したい

46商業の発達〜47東海道の旅
 ①交通の発達では陸上と水上(河川と海)を見たい
   五街道の始点と終点は地図で確認→東海道…江戸〜京都,中山道…江戸〜草津で東海道に合流
                          甲州街道…江戸〜甲府,奥州街道…江戸〜白河
                          日光街道…江戸〜日光(宇都宮までは奥州街道と重複)
   宿場の宿の種類→本陣,脇本陣,旅籠(旅篭)木賃宿があった
   飛脚の種類→継飛脚,大名飛脚,町飛脚があった
   廻船→江戸・大坂間の菱垣廻船・廻船,
        日本海側から関門海峡を経て大坂に入る西廻り航路には北前船が就航
        津軽海峡を経て江戸に入る東廻り航路

  ※必ず地図で確認したい。『攻』では五街道や廻船を図示しているので見てほしい
  ※

 ②三都(江戸大坂京都)と主な城下町,宿場町,港町,門前町を地図で確認しておこう
   門前町では,宇治山田は伊勢神宮,日光は日光東照宮,長野は善光寺の門前町など

  ※『攻』で勉強に励んでくれている人は,気分転換をかねて47を見てみよう
    当時の旅行ガイドを提示しているので,江戸時代の旅を,関所,各宿場町の特色や名物を見て,味わおう。

 ③株仲間や蔵屋敷の仕組みなどについて整理しよう
   株仲間は,江戸時代後半の幕政改革のキーワードとなる。その仕組みを見ておきたい
    株札を持つ者が仲間に属する証明で,同時に仕入れ販売の独占権を持つ
    商工業者の同業組合で,幕府や藩の公認を受けて株札が交付され,御用金(運上金冥加金)を納める
   蔵屋敷は,各藩や旗本などの蔵物の販売機関である
     はじめ蔵役人が任務に当たっていた
     しかし,やがて蔵元(蔵物の出納・管理・売却)や掛屋(売却代金の出納・保管・送金)
     とよばれる商人が請け負うようになる
     大坂や江戸(特に大坂中之島や堂島に集中していた)

  ※ 蔵物と納屋物の区別,本両替と両替の区別,金座と銀座と座で鋳造していた貨幣の区別ができますか

48元禄文化〜49水戸藩『大日本史』を読む
 ①選りすぐりの『著書』(著者名)を整理しよう
    『大学或問』(熊沢蕃山・陽明学),『聖教要録』(山鹿素行・古学),『政談』(荻生徂徠・古学)
    『経済録』(太宰春台),『本朝通鑑』(林羅山林鵞峰・歴史学),『大日本史』(水戸藩・歴史学)
    『読史余論』,『古史通』(新井白石・歴史学),『大和本草』『養生訓』(貝原益軒・本草学)
    『庶物類纂』(稲生若水・本草学),『農業全書』(宮崎安貞・農学),『発微算法』(関孝和・和算)
    『塵劫記』(吉田光由・和算),『華夷通商考』(西川如見・地理学),『西洋紀聞』『采覧異言』(新井白石・地理学)
    『蔵志』(山脇東洋・医学),『源氏物語湖月抄』(北村季吟・国文学),『万葉代匠記』(契沖・国文学)
    『好色一代男』『好色五人女』『武道伝来記』『武家義理物語』『日本永代蔵』『世間胸算用』(井原西鶴・浮世草子)
    『奥の細道』『笈の小文』(松尾芭蕉・俳諧紀行文)
    『曽根崎心中』『心中天網島』『冥途の飛脚』『国姓爺合戦』(近松門左衛門・人形浄瑠璃)

  ※『読史余論』は頻出である。ぜひ史料を読みたい
  ※『攻』で頑張っている人は,気分転換に水戸藩の徳川光圀にはじまる『大日本史』から,
    南北朝時代の楠木正成に関する記述を見てみよう。南朝正当論につながることが読み取れますか。
  
 ②儒学諸派を親子や子弟関係の系譜でつないでみよう
    朱子学派
     「京学」 藤原惺窩(京学の祖)→林羅山(林家の祖)
     「林家」 林羅山(林家の祖,将軍家に代々仕える)→林鵞峰林信篤(林鳳岡)
     「木門」 木下順庵(前田綱紀〜徳川綱吉に仕える)→新井白石(正徳の治を担当)・室鳩巣(徳川吉宗に仕える)
     「南学」 南村梅軒(南学の祖)→谷時中→野中兼山(土佐藩家老)・山崎闇斎(保科正之に仕える,垂加神道)「崎門」
    陽明学派
           中江藤樹(日本の陽明学の祖)→熊沢蕃山(池田光政に仕える,社会批判で幕府により処罰)
    古学派
           山鹿素行(武士道を説く,朱子学を批判し赤穂に配流)
     「堀川学派」  伊藤仁斎(京都堀川に古義堂)→伊藤東涯(荻生徂徠と対立)
     「古文辞学派」 荻生徂徠太宰春台(富国・殖産を説く)

  ※朱子学,陽明学,古学の各学派が説くことの説明ができますか。倫理の授業の知識も活用したいね

 ③絵画・陶器などの世界を図表とともに見ておきたい。
    狩野派(狩野探幽ら)はあまりふるわず,むしろ他派が個性的に活躍する
    装飾画は全盛期(俵屋宗達「風神雷神図屏風」,尾形光琳「紅白梅図屏風」「燕子花図屏風」など)
    やがて風俗画(浮世絵の大成者菱川師宣「見返り美人図」など,のち版画が工夫される)が台頭する
    陶器では,有田焼の赤絵の完成で知られる酒井田柿右衛門
           京焼の野々村仁清(瀬戸と有田の技法),尾形乾山(光琳の弟)

  ※装飾画にかわり浮世絵などが人気となる背景を説明できますか

 江戸時代の中間点とします。お疲れ様。運動不足解消のため体操でもして下さい。
 これから,幕政改革の時代,江戸時代後半に入っていきます。


50享保の改革
 ①徳川吉宗について
   紀州藩主→代将軍。幕府財政の再建,将軍独裁体制の確立,側近政治の廃止,徳川家康の政治を理想とするなど
   米価の調節に苦慮し「米将軍」とあだ名される

  ※背景として,太宰春台の『経済録』,また『世事見聞録』にあるような状況がある点も史料で見ておきたい。
    吉宗の系譜を見ておこう。
    『攻』には,徳川氏の系図を提示している。15代までの将軍と御三家・御三卿もあわせて見ておきたい

 ②中心は農村からの収入増
   検見法〜定免法…豊作・凶作に関係なく,毎年一定の年貢率とする年貢納入方式を採用する(年貢増徴と幕府府収入の安定)
   町人請負新田の奨励,商品作物の栽培の奨励など

  ※農民の余剰を認めるものであること。階層分化をさらにすすめることを説明できますか
    商品作物の奨励は,漢訳洋書の輸入禁止の緩和政策,青木昆陽に甘藷の研究を指示するなども関連がある

 ③その他の諸政策
   木綿を着用するなど経費節減の倹約令を出す
   幕府への訴状を認める目安箱を設置。無料診療施設の小石川養生所を設立される
   町火消制度で,江戸の町人に火災の拡大防止と消火活動に当たらせる
   流通掌握のため株仲間を公認
   金銭貸借関係の訴訟を不受理とする相対済し令の発令
   大名に石高1万石につき100石を幕府に納めさせる上米を出す
   人材登用のために在職中に限り基準石高以下の者には不足分を支給する足高の制をもうける
   裁判と刑罰の規定を明確にした公事方御定書大岡忠相らに制定させる

  ※倹約令は今後の寛政・天保の改革でも発令される。その内容や厳しさを比較しておきたい
    株仲間対策は今後の諸改革でもキーワードとなる。各改革での対応を比較しておきたい
   上米令,足高の制に関しては,史料もあわせて見ておきたい
   『攻』には,大坂の町火消に関する江戸時代の史料が載せてあるので,気分転換がわりに見てみよう

51田沼の改革と寛政の改革
 ①田沼意次と松平定信について
   田沼意次→10代将軍徳川家治側用人から老中へ(将軍の側近出身)
   松平定信→11代将軍徳川家斉老中に(血筋では,徳川吉宗の孫で陸奥白河藩主)

  ※田沼については,柳沢吉保などと出身のタイプは似ている。
    松平定信については,系図を参照しておくこと。御三卿の一つ田安徳川家出身。

 ②田沼は商業資本からの収入増に着目,松平は農村等の復興に力点を置く
   田沼→新田開発は町人請負新田の奨励,商業資本を活用した印旛沼・手賀沼の干拓計画
       ロシアとの貿易も構想に入れたという蝦夷地の開発計画で最上徳内を蝦夷地に派遣
        幕府直営事業になる「」の専売制の実施
       株仲間の奨励による積極的公認
        長崎貿易の拡大(俵物で支払う)
   松平→旧里帰農令で都市流入民の帰村奨励と離村制限を実施
        飢饉に備え大名に1万石につき50石の蓄えをさせる囲い米の制を実施
        相応に拠出する社倉,富裕民の寄付や課税で米穀を出させる義倉を設ける
        非常時に備えた江戸町人への蓄えをさせる七分積金の制度の創設
        江戸石川島に人足寄場を設置し無宿人などを収容し職業指導を実施
        階層分化の原因を商人の台頭と考え,これを抑圧する方向で株仲間を制限
        困窮する旗本や御家人の救済のため棄捐令を発令

  ※田沼の失脚の背景に天明の大飢饉があること,松平定信の寛政の改革の直前がそれにあたることを理解しておくこと

 ③寛政の改革のもう一つの大きな特色は思想統制
   朱子学を正学とし,他の儒学諸派を異学として,聖堂学問所での講義を禁止する寛政異学の禁を出す。
   聖堂学問所を昌平坂学問所として官学とする
   洒落本の作者の山東京伝や『海国兵談』の著者の林子平を処罰する

  ※寛政異学の禁は棄捐令とあわせて史料で確認しておきたい。
    『攻』では,商人の信用で発行された当時の紙幣を提示している。どういう商人がいるか見ておこう。

52百姓一揆と打ちこわし〜53佐倉惣五郎の話
 ①農村の階層分化は,本百姓の解体を意味する。それは少数の寄生地主の登場と小作人の増加となって現れた
   階層分化の原因として考えられることは何か
    農村に貨幣経済が浸透し自給自足の生活が崩れた。領主の重税が続いた。天変地異が多発し米価が高騰したなど
    三大飢饉→享保の大飢饉,天明の大飢饉,天保の大飢饉

  ※「流質地」というのは何かわかりますか。本百姓の没落とは土地がどうなるのか説明できますか

 ②百姓一揆の型の変化について
      前期…代表越訴型一揆(下総の佐倉惣五郎などの直訴など)
      中期…惣百姓一揆(伊予の武左衛門一揆など広域闘争)
      後期…世直し一揆(大坂での国訴,備前岡山の渋染一揆なども含めて階級闘争的武力蜂起)

  ※なぜ変化するのか。階層分化と関連して説明できますか
    百姓一揆や打ちこわしが多発する時期を年号や年代でおさえておきたい。図表などを見よう

 ③53「佐倉惣五郎の話」では,『攻』で昭和10年に発行された『義民惣吾一代記』を掲載している
   「義民伝説」はこの時期の惣五郎のような名主庄屋に多い。

  ※気分転換をかねて,『攻』の絵冊子を見てみよう。人々のどういう思いが伝説化されたかわかりますか

54藩政改革〜55米切手は幕府を滅ぼした
 ①藩政改革の手法
   年貢を増徴→藩の収入の増加,百姓一揆の多発
   藩札の増刷→藩の赤字対策,藩の信用を落とす
   家臣の俸禄を減らす(半知〔半分返上〕・借上〔借りる〕)→藩の支出の減,武士の窮乏
   藩校の設立→優秀な人材を育成する
   軍制改革で洋式軍備を整える→藩内の引き締め,軍事力の強化
   国産品の専売制の実施や商品作物の栽培を奨励→藩内の殖産興業と収入増
   
  ※さまざまな手法と,その効果を確認しておこう。『攻』では藩札コレクションを載せているので,余裕があれば,楽しんでほしい

 ②各藩の改革(藩名を答えられますか)

藩名 藩主名担当者     政策          藩校  専売制  
秋田藩佐竹義和殖産興業 商品作物奨励       明徳館
米沢藩上杉治憲殖産興業 商品作物興譲館
水戸藩徳川斉昭藤田東湖
会沢正志斎
倹約 定免法 軍制改革 江戸石川島に造船所 弘道館
越前藩松平慶永橋本左内
由利公正
重商主義政策      紙
土佐藩山内豊信吉田東洋洋式軍備 商品生産奨励
長州藩毛利敬親村田清風借財整理 軍制改革 反射炉明倫館 紙・ロウ
佐賀藩鍋島直正倹約 職制改革 人材登用 初の反射炉 均田制      陶磁器
熊本藩細川重賢殖産興業時習館
薩摩藩島津重豪
島津斉彬
調所広郷
借財整理 琉球密貿易 
軍制改革 洋式工場の集成館 造船所 反射炉 
造士館 砂糖


  ※藩の位置は,地図で確認する。『攻』では,主要な藩を地図上に記す作業を設けている。

 ③ 米切手→各藩の蔵屋敷が発行するもので,たいてい米10石と交換できることを保証している
          米切手を購入した者は,これを蔵屋敷に持参することで,必要な時に米と交換する仕組みである
          実際は,米切手で売買が行われ,藩を越えて流通した

  ※『攻』55「米切手は幕府を滅ぼした」では,米切手の実物を提示している。蔵屋敷の役割を考えて,その信用度の違いを
    肥前藩,仙台藩,加賀藩で比較してみよう

56大御所時代と天保の改革
 ①大御所時代は約半世紀(化政文化の隆盛期,11代将軍徳川家斉の治世)続いた
   初めは意欲的→のち大奥でのぜいたく,政治腐敗など→天保の大飢饉〜大塩平八郎の乱も起こる

  ※大塩平八郎の檄文(げきぶん)を史料で見ておこう
    時代を風刺する狂歌(五七五七七)や川柳(五七五)が数多く作られている。秀作を見ておこう
    『攻』には8首ばかり載せておいた。「大坂大火」を告げる瓦版は大塩平八郎の乱のときのものである

 ②水野忠邦について
   12代将軍徳川家慶の時代。老中として天保の改革を進める。遠江浜松藩主

  ※享保・寛政の改革を手本としたということは,農村復興対策が中心となるか
   一方さまざまな統制による幕府権力の強化策に絶対権力志向の存在を指摘する向きもある

 ③天保の改革の諸政策
   ぜいたくを禁止し,より厳しい細部にわたる倹約令で統制を強化
   江戸流入民の強制帰村と農民の江戸移住の禁止などの人返しの法人返し令)の発令
   御用金の獲得よりも,物価の引き下げを急務とした株仲間解散令の発令
   合巻作者の柳亭種彦,人情本作者の為永春水らの処罰などの思想統制を実施
   高島秋帆や伊豆韮山代官の江川太郎左衛門に砲術を学ばせるなど
   水野失脚の直接の原因となった江戸・大坂周辺地の天領化をはかろうとした上知令上地令)の発令

  ※株仲間解散令と上知令の史料は必須。
    そして上知令失敗の結果は,幕府にとりどういう意味があったのかわかりますか。『攻』では,
    大坂近郊の藩札(実は関東地方の藩の飛地札)や旗本札を載せているので見てほしい。
    上知令との関係がわかりますか

57化政文化
 ①選りすぐりの『著書』「作品名」(著者名・作者名)整理を行います
   洒落本『仕懸文庫』(山東京伝),人情本『春色梅児誉美』(為永春水),
   滑稽本『東海道中膝栗毛』(十返舎一九),滑稽本『浮世風呂』『浮世床』(式亭三馬
   黄表紙『金々先生栄花夢』(恋川春町),合巻『偐紫田舎源氏』(柳亭種彦
   読本『雨月物語』(上田秋成),読本『南総里見八犬伝』(滝沢馬琴

   俳諧『おらが春』(小林一茶),川柳『俳風柳多留』(柄井川柳
   浄瑠璃『仮名手本忠臣蔵』『菅原伝授手習鑑』(竹田出雲
   歌舞伎『東海道四谷怪談』(4世鶴屋南北

   浮世絵「弾琴美人」(鈴木春信),「ポッピンを吹く女」(喜多川歌麿
        「市川蝦蔵」(東洲斎写楽),「富嶽三十六景」(葛飾北斎
        「東海道五十三次」(歌川広重
   写生画「雪松図屏風」(円山応挙),「柳鷺群禽図屏風」(呉春(松村月渓)
   文人画「十便十宜図」(池大雅与謝蕪村の合作),「鷹見泉石像」(渡辺崋山
   西洋画「不忍池図」(司馬江漢),「浅間山図屏風」(亜欧堂田善

   国学『創学校啓』(荷田春満),『万葉考』『国意考』(賀茂真淵),『古事記伝』(本居宣長
      『群書類従』(塙保己一

   蘭学『甘藷記』(青木昆陽),『解体新書』(前野良沢杉田玄白ら),『蘭学事始』(杉田玄白
      『蘭学階梯』(大槻玄沢),『ハルマ和解』(稲村三伯),『西説内科撰要』(宇田川玄随
      『暦象新書』(志筑忠雄),「大日本沿海輿地全図」(伊能忠敬

   反封建思想
      『政談』(荻生徂徠),『経済録』(太宰春台),『稽古談』(海保青陵
      『赤蝦夷風説考』(工藤平助),『海国兵談』(林子平),『経世秘策』(本多利明
      『経済要録』(佐藤信淵),『慎機論』(渡辺崋山),『戊戌夢物語』(高野長英
      『自然真営道』(安藤昌益),『出定後語』(富永仲基),『夢の代』(山片蟋桃

  ※上記のうち,史料(絵画を除く)として見ておきたいものを,あえてあげるとすれば,
    本居宣長の『古事記伝』,杉田玄白の『蘭学事始』,林子平の『海国兵談』,
    安藤昌益の『自然真営道』など…。『攻』では各項目を簡単に解説しています

 ②教育はいつの時代も重要(注…私が教師だから言っているのではない)
   幕府→「昌平坂学問所
   各藩→藩校(藩士の子弟教育のための機関で,儒学中心,のち国学や洋学なども加わる)
       郷学(城下町の外に藩士や庶民にも開かれた学校) 
              郷学では,備前岡山藩の池田光政の設立した閑谷学校が有名
   庶民教育→寺子屋(読み・書き・そろばんなどを教えた。教科書では『庭訓往来』『実語教』などが知られる)
   私塾→古義堂(京都・伊藤仁斎),咸宜園(豊後日田・広瀬淡窓),藤樹書院(近江・中江藤樹
        懐徳堂★(大坂・大坂町人の出資・中井甃庵),松下村塾★(長州萩・吉田松陰
   蘭学塾→芝蘭堂(江戸・大槻玄沢),適塾★(大坂・緒方洪庵),鳴滝塾★(長崎・シーボルト
         象山書院★(江戸・佐久間象山

    ※★印の主要な弟子が言えますか
      『攻』に寺子屋の最も代表的な教科書である『庭訓往来』の最初の部分を載せてみました。読めますか

 ③民間信仰が盛んとなり,庶民の年中行事にも定着する
   「開帳」は寺院の秘仏の特別公開であり「出開帳」は都市への出張公開のこと
   特定月の満月の夜に寝ずに日の出を待つ「日待」,十三夜・十五夜などに月の出を拝む「月待
   陰暦7月15日に先祖供養をする「盂蘭盆」,1/7・3/3・5/5・7/7・9/9を祝う「五節句
   神社や寺院の祭礼の日に参詣する「縁日」など

  ※あなたの身近なところに残っていませんか
    『攻』では「富突」の「富札」を載せました。今の何に当たるかわかりますか。今も昔も変りませんね。

いよいよ日本史は,二百余年の鎖国が破れて開国へと向かいます。
高Ⅲの授業も通史はここでひとまず終了となりましたので,
本ページの近世編も終了とし,以後は近代史の範囲で扱います。
近代に向けての長い歴史の旅,お疲れ様でした。
よくここまでがんばりました。
近世末の到達記念に大坂から江戸に向かう豊作の米俵をご覧下さい。



がんばれ受験生!!〔で〕
  とにかくここまで来た。
  頭を切り替えて次に挑むべし。
  一番良くないのはくよくよすること。

  

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