このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
少々走り疲れた小学校2年生の私は,かくれんぼで,絶対に見つからないでいられる場所を探した。見つけたのが本堂の下に入ることのできるわずかな隙間だった。少年の私はひんやりした空気と,陽の差し込まない空間の広がりを感じて,少し身を縮めた。その時,砂に置いた指先に感じた金属片があった。「寛永通宝」と書かれている。今は使われていない古い時代のお金だということはわかったが,もっと詳しく図書館で調べてみたいと思った。大げさだが,これが実物教材との最初の出会いである。
明治26年生まれの曾祖母が寝込んだ頃,昔語りを聞きにしばしば枕元を訪れた。彼女は,私が通う小学校の第一期生であったのだ。曾祖母と私は同窓生であった。80周年記念誌に私を含めて4代の話が載せられた。
祖父は,大正元年生まれの職業軍人で,江田島の海軍兵学校の航空隊にいたという。リアルな戦争の話をまるで昨日のことのように話してくれた。ある時,祖父の若い頃まで長生きしていたという祖父の曾祖父の話を聞いた。「あの時は,みんないやいや戦に向かったんだ」と。祖父の曾祖父を一代目とすると,私は六代目に当たる。その人は天保9(1838)年の生まれだと聞いた。いやいや参加した戦いはなんと長州征伐で,出陣したのは紀州藩士たちのことであると知って驚いた。長生きはすごいことで,昭和初期まで生きていた先祖が,祖父に語って聞かせたのだが,江戸時代末期の歴史上のできごとが,わずかに間に1人をおいて私に伝わったことになる。
子ども心にすごいと感じて興味を持ち,そして感動したこと。歴史の世界と関わるきっかけは,私の場合,こんな身近なところにあったのです。
私は教育者です。歴史(日本史)の授業などを通じて,子どもたちと歴史の世界との,できるだけ多くの接点をつくることが仕事です。もとえ,換言します。これは趣味の世界で,仕事とは実はあまり思っていないのですが,逆に生活の糧を稼ぐ必要もあるわけで,好きなことをしてそのことが可能なのは,ありがたいことと思っています。
まあ,この博物館は,歴史教材を見ていただくことで,歴史の世界との接点を1つでも持っていただければという願いで開いたものです。だから,歴史を学ぶ意義だとか,歴史学習の仕方などという堅苦しい話はしません。
私は教材として,また場合によっては校外学習として国公私立の博物館を利用させて頂いていますが,それは,歴史教材として使えると私が感じた展示を選んで見学しているので,私一人が歴史の世界との接点を求めて見に行く場合と,見学の上で,これは思える教材を見つけたら授業で生徒に紹介し,それに共鳴してくれる生徒を歴史の世界の中に巻き込みます。さらにもっとすごいものと感じたら生徒を連れて行く場合もあります。それは,ひとえに展示のテーマや内容によるのです。できればまた行きたいと思いたいですね。また紹介したいと…。
さて,私の歴史教材博物館は,ネット博物館ですので,開館や閉館時間はありません。また,交通費もかかりません。時間のある時に,ご覧になりたいだけ見て頂ければと思います。そして,あまり親切に解説しません。それは参観して下さる方の思考を規定したくないことと,申し訳有りませんが私にこれにかけられる時間が限られているからです。もちろん,授業ではありませんので,チャイムも鳴りませんし,ノルマもありません。私としても,時間をかけてこのページを育てていくつもりです。
新人館長です。どうぞよろしくお願いします。
出原の歴史教材博物館館長 出原真哉
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