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ようこそ特別展にいらっしゃいました。時間制限はありません。ごゆっくりごらん下さいましたら幸いです。
はじめに
10世紀中ごろに,「皇朝十二銭」最後の「乾元大宝」発行を停止して以来,17世紀はじめに江戸幕府が「寛永通宝」を大量発行するまで,
日本では,独自の貨幣鋳造がほとんど行われなかった。その間,中国などで鋳造された貨幣を使用していたのである。これらは「渡来銭」と
よばれる。
しかし,一口に渡来銭といっても種類は様々である。教科書では平安時代後半から鎌倉時代にかけての日宋貿易による「宋銭」や,室町
時代の日明貿易による「明銭」が紹介される。では,この中で,当時の日本で最も大量に出まわった「渡来銭中の渡来銭」とは何か。
国立歴史民俗博物館や大阪歴史博物館で平成17(2005)年に特別展「東アジア中世海道」が開かれた。この中で,大韓民国全羅南道
新安郡の道徳島沖で1323年に沈没した船からの引き揚げ品が展示された。この引き揚げ品には,京都の東福寺再建費用捻出のために
運ばれていたと思われる大量の銅銭が含まれていたのだ。
そこで,今回は,同展での「よく使われた銭ランキング40」をヒントに,「渡来銭ベスト40」を再現してみたい。
歴史教材博物館館長
参考文献 鈴木公雄「出土備蓄銭と中世後期の銭貨流通」『史学』61-3.4・1992年
国立歴史民俗博物館『東アジア中世海道』展 図録 2005年
嶋谷和彦「中世都市・堺出土の模鋳銭鋳型」『方泉處』7号・1994年
版権所有 出原の歴史教材博物館
制作協力 大阪教育大学附属天王寺中学校 地域探求部
凡例 順位は「東アジア中世海道」展による。
①銭貨種別 ②初鋳造年 ③皇帝名(在位年) ④備蓄銭出土枚数に占める割合(全2,279,810枚)
※ ④の割合で示した数値は,鈴木氏,嶋谷氏によるもので,本特別展の順位と必ずしも一致しない。
第1位 皇宋通宝 ①宋銭 ②宝元2年・1039年 ③宋・第4代皇帝 仁宗(在位1022〜1063年) ④11.66% ※仁宗の治世は,宋で最も国力の充実した時期 にあたる。有能な官僚の補佐を受け,学問も発 展し「慶暦の治」と評価された。しかし後半は, 西夏の反乱や遼の圧迫のため北辺防備に国力 を費やして財政赤字に転落した。ベスト40の中 に最多の8枚を数え,「皇宋通宝」の第1位は, 渡来銭すべての10枚に1枚以上にもなり,仁宗 だけで全体の5分の1,22%以上を占める。まさ に充実期発行で,渡来銭堂々の第1位である。 | |
第2位 元豊通宝 ①宋銭 ②元豊元年・1078年 ③宋・第6代皇帝 神宗(在位1067〜1085年) ④11.05% ※神宗の時代は,王安石の改革で知られる。財政 難に加え,対外戦争のための重税に伴う農民の 疲弊など改革は急務であった。しかし,王安石は, 保守派の司馬光らに追われる。王は親政し積極 的に改革を続けた。第2位と第3位に入る神宗の 2枚は,それだけで,先々代の仁宗の8枚に迫る 数で,ほぼ5枚に1枚を占める。渡来銭ナンバー 2である。親政開始の翌々年の発行である。 | |
第3位 熈寧元宝 ①宋銭 ②熈寧元年・1068年 ③宋・第6代皇帝 神宗(1067〜1085年) ④8.80% ※神宗の即位の翌年に発行されたものである。 神宗は,一地方官であった王安石を登用し 改革に当たらせた。 | |
第4位 元祐通宝 ①宋銭 ②元祐元年・1086年 ③宋・第7代皇帝 哲宗(在位1085〜1100年) ④8.02% ※父帝(神宗)没後,10歳で即位,哲宗の治世は はじめ「旧法党」が台頭,のち皇帝親政で「新法 党」が復活し,「旧法党」を徹底弾圧するなど,政 争にあけくれた。国力衰退を招く。 「元祐通宝」は即位直後の発行で,「旧法党」が 重用されていた王の幼少期にあたる。哲宗時代 のものは,ベスト20に3枚が入り,第4代皇帝仁 宗,父帝の第6代皇帝神宗に次いで3番目に多い 渡来銭が海を越えて伝わっている。 | |
第5位 開元通宝 ①唐銭 ②武徳4年・621年 ③唐・第1代皇帝 高祖(在位618〜626年) ④7.49% ※短命政権であった隋にかわり,約300年におよ ぶ巨大律令国家となる唐を建国した高祖が,建国 を記念して発行した。以後の円形方孔貨幣の基本 形とされるもの。遣唐使が持ち帰り,和同開珎など 日本の貨幣史の始まりに,大きな影響を与えたと いわれる。ベスト40の中で最古の貨幣である。 | |
第6位 永楽通宝 ①明銭 ②永楽6年・1408年 ③明・第3代皇帝 永楽帝(在位1402〜1424年) ④5.00% ※明国を建国した洪武帝の子で,積極的な対外政 策をとり,北は蒙古,南は安南,西はチベット遠征 を行って勢力を拡大し,国内的には地方勢力をお さえて君主権を強化した皇帝として知られる。室町 幕府の足利義満とほぼ同時代で,「永楽通宝」は, 日明貿易で明銭が輸入される例として,教科書で おなじみの銅銭である。渡来銭の代表といえる。 しかし,実際は,第6位に留まる。 | |
第7位 天聖元宝 ①宋銭 ②天聖元年・1023年 ③宋・第4代皇帝 仁宗(在位1022〜1063年) ④4.56% ※仁宗の治世に発行された渡来銭はベスト10の 第1位と第7位に入る。これは,即位直後のも のである。父帝(真宗)没後,13歳で即位して いる。官僚の補佐で治世を保った時期である。 | |
第8位 紹聖元宝 ①宋銭 ②紹聖元年・1094年 ③宋・第7代皇帝 哲宗(在位1085〜1100年) ④3.84% ※第4位の「元祐通宝」を発行した哲宗の時代のも のである。「紹聖元宝」は,親政開始の年にあた る。親政では,「新法党」が取り立てられた。 | |
第9位 政和通宝 ①宋銭 ②政和元年・1111年 ③宋・第8代皇帝 徽宗(在位1100〜1125年) ④3.64% ※徽宗は宋末期の皇帝である。父帝(神宗)没後, 兄帝(哲宗)が病没し即位する。父の皇后が摂政 として政権をとるが,10年後に親政を開始した。 金と結んで遼を攻めて国土回復をはかるが,やが て金に攻められ,子の欽宗に譲位する。この「政 和通宝」をはじめ,ベスト40に4枚が入り,合わせ ると全渡来銭の8%を越える。 | |
第10位 聖宋元宝 ①宋銭 ②建中靖国元年・1101年 ③宋・第8代皇帝 徽宗(在位1100〜1125年) ④3.54% ※第9位の「政和通宝」を発行した徽宗の時代のもの。 「聖宋元宝」が発行された年以後,皇帝の親政が始 まる。新法を採用したが,事実上家臣の専断に任せ る。 | |
第11位 洪武通宝 ①明銭 ②洪武元年・1368年 ③明・第1代皇帝 洪武帝(在位1368〜1398年) ④2.02% ※「永楽通宝」と並び,明銭の代表とされる。元を北 に追い漢族王朝を南京に建てる。皇帝独裁制を確 立したことで知られる。「洪武通宝」は,この建国の 年に発行された。 | |
第12位 祥符元宝 ①宋銭 ②大中祥符元年・1008年 ③宋・第3代皇帝 真宗(在位997〜1022年) ④2.18% ※真宗の治世は,宋王朝の安定期に入る。はじめ契丹 族(遼)の侵入に悩むが,親征で和平を得る。この「祥 符元宝」は和平後のもの。真宗時代は,ベスト20に5 枚を数え,渡来銭全体の10%弱を占める。宋銭の中 では第4代仁宗,第6代神宗,第7代哲宗に次いで4 番目に多い。5枚は第4代仁宗に次いで第2位の多さ である。 | |
第13位 景徳元宝 ①宋銭 ②景徳元年・1004年 ③宋・第3代皇帝 真宗(在位997〜1022年) ④2.10% ※第12位の「祥符元宝」を発行した真宗の時代の もの。「景徳元宝」発行の年は,真宗が遼に親征 した年にあたる。 | |
第14位 天禧通宝 ①宋銭 ②天禧年間・1017年〜 ③宋・第3代皇帝 真宗(在位997〜1022年) ④2.04% ※第12位の「祥符元宝」,第13位の「景徳元宝」を発 行した真宗時代のものである。ほぼ晩年の発行であ る。 | |
第15位 嘉祐通宝 ①宋銭 ②嘉祐元年・1056 ③宋・第4代皇帝 仁宗(在位1022〜1063年) ④1.95% ※第1位の「皇宋通宝」,第7位の「天聖元宝」を発 行した仁宗の時代のものである。 「嘉祐通宝」は晩年のものである。 | |
第16位 咸平元宝 ①宋銭 ②咸平元年・995年 ③宋・第3代皇帝 真宗(在位997〜1022年) ④1.61% ※第12位の「祥符元宝」,第13位の「景徳元宝」,第 14位の「天禧通宝」を発行した真宗時代のものであ る。即位後まもなくして発行された初期のものである。 | |
第17位 治平元宝 ①宋銭 ②治平元年・1064年 ③宋・第5代皇帝 英宗(在位1063〜1067年) ④1.56% ※英宗は先帝(仁宗)の従弟にあたるが幼少より後 継者として迎えられた。わずか4年の在位で,前後 の皇帝と比べて数は少ない。それでも,ベスト30 に2枚を数え,渡来銭全体の2%を占める。 | |
第18位 祥符通宝 ①宋銭 ②大中祥符2年・1009年 ③宋・第3代皇帝 真宗(在位997〜1022年) ④1.70% ※第12位の「祥符元宝」,第13位の「景徳元宝」,第 14位の「天禧通宝」,第16位の「咸平元宝」を発行 した真宗時代のものである。安定期である。 | |
第19位 至道元宝 ①宋銭 ②至道元年・995年 ③宋・第2代皇帝 太宗(在位976〜997年) ④1.51% ※太宗時代のものは,「至道元宝」の第19位が筆頭で ベスト30に3枚を数え,渡来銭全体の3%強である。 太宗は,兄帝(太祖)を助けて宋の建国に努め,兄没 後に即位した。そこには内紛があったといわれる。 中央集権制の確立と皇帝独裁組織の確立を果たす が,軍事力の低下をまねき,契丹攻略に失敗した。 「至道元宝」は晩年の発行である。 | |
第20位 元符通宝 ①宋銭 ②元符元年・1098年 ③宋・第7代皇帝 哲宗(在位1085〜1100年) ④1.38% ※第4位の「元祐通宝」,第8位の「紹聖元宝」を 発行した哲宗の晩年のものである。 | |
第21位 景祐元宝 ①宋銭 ②景祐元年・1034年 ③宋・第4代皇帝 仁宗(在位1022〜1063年) ④1.31% ※第1位の「皇宋通宝」,第7位の「天聖元宝」を発 行した仁宗の時代のものである。成年に達した若 い皇帝は,前年より,親政を始めている。 | |
第22位 嘉祐元宝 ①宋銭 ②嘉祐元年・1056年 ③宋・第4代皇帝 仁宗(在位1022〜1063年) ④1.16% ※第1位の「皇宋通宝」,第7位の「天聖元宝」を発 行した仁宗の時代のものである。 仁宗の晩年のもので,すでに財政は赤字に転落 していた。 | |
第23位 大観通宝 ①宋銭 ②大観元年・1107年 ③宋・第8代皇帝 徽宗(在位1100〜1125年) ④1.07% ※第9位の「政和通宝」,第10位の「聖宋元宝」を 発行した徽宗の時代のもの。政治手腕よりも学芸 に傾き,政治は不安定であった。 | |
第24位 至和元宝 ①宋銭 ②至和元年・1054年 ③宋・第4代皇帝 仁宗(在位1022〜1063年) ④1.06% ※第1位の「皇宋通宝」,第7位の「天聖元宝」を発 行した仁宗の時代のものである。 晩年の1枚である。 | |
第25位 淳化元宝 ①宋銭 ②淳化元年・990年 ③宋・第2代皇帝 太宗(在位976〜997年) ④0.81% ※第19位の「至道元宝」を発行した太宗時代 のものである。治世の後半にあたる。 | |
第26位 太平通宝 ①宋銭 ②太平興国元年・976年 ③宋・第2代皇帝 太宗(在位976〜997年) ④0.79% ※第19位の「至道元宝」,第25位の「淳化元宝」を発行 した太宗の時代にあたる。「太平通宝」の名に期待が 込められる。発行は,太宗の即位の年である。 | |
第27位 治平通宝 ①宋銭 ②治平元年・1064年 ③宋・第5代皇帝 英宗(在位1063〜1067年) ④0.50% ※英宗の時代のもので,「治平元宝」と同年に発 行された。 | |
第28位 淳熈元宝 ①南宋銭 ②淳熈元年・1174年 ③南宋・第2代皇帝 孝宗(在位1162〜1189年) ④0.45% ※孝宗の時代は,南宋の最盛期で,その繁栄は,江南 地域の開発にも成功し,統一時代に匹敵するとさえい われたという。しかし,現実は南部に留まり,華北の回 復には成功しなかった。太祖の7世孫で,第1代皇帝 の高宗の皇太子没後に養子に迎えられた。役人の制 度の改革や軍事費の削減などを行った。 | |
第29位 明道元宝 ①宋銭 ②明道元年・1023年 ③宋・第4代皇帝 仁宗(在位1022〜1063年) ④0.44% ※第1位の「皇宋通宝」を発行した仁宗の時代のも のである。第7位に入った「天聖元宝」とともに, 即位直後のものである。 | |
第30位 嘉定通宝 ①南宋銭 ②嘉定元年・1208年 ③南宋・第4代皇帝 寧宗(在位1194〜1224年) ④0.34% ※寧宗の時代のものは,ベスト40に2枚を数えるが,合 わせて渡来銭全体の1%に満たない。やはり華北回復 をはかり,失敗する。政争もたえなかったという。 | |
第31位 乾元重宝 ①唐銭 ②乾元2年・759年 ③唐・第7代皇帝 粛宗(756〜762年) ④0.33% ※唐銭は第5位の「開元通宝」とこの「乾元重宝」が 入る。粛宗は,唐の全盛時代と衰退時代を開いた といわれる玄宗の皇太子で,安史の乱で父帝と都 を逃れた。ウイグルなどの異民族の援助で長安な どを奪還したが,外戚や宦官が権力を握り,彼らの 抗争中に没した。 | |
第32位 至和通宝 ①宋銭 ②至和元年・1054年 ③宋・第4代皇帝 仁宗(在位1022〜1063年) ④0.29% ※第1位の「皇宋通宝」,第7位の「天聖元宝」を発 行した仁宗の時代のものである。 晩年の1枚である。 | |
第33位 宋元通宝 ①宋銭 ②建隆元年・960年 ③宋・第1代皇帝 太祖(在位960〜976年) ④0.32% ※太祖は,宋の建国者で「宋元通宝」はその建国年に 発行された。宋の初代貨幣である。太祖は,地方軍 閥の勢力削減に努力し,軍制を改革した。そして,文 官優位の官制改革を断行して,科挙を整え,皇帝独 裁機構の確立に努めた。 | |
第34位 宣和通宝 ①宋銭 ②宣和元年・1119年 ③宋・第8代皇帝 徽宗(在位1100〜1125年) ④0.30% ※第9位の「政和通宝」,第10位の「聖宋元宝」,第23 位の「大観通宝」を発行した徽宗の時代のもの。やが て1125年に金の攻撃を受けて欽宗に譲位,翌年欽 宗や一族とともに金の捕虜となり,北満州に没する。 | |
第35位 慶元通宝 ①南宋銭 ②慶元元年・1195年 ③南宋・第4代皇帝 寧宗(在位1194〜1224年) ④0.19% ※第30位「嘉定通宝」と同じ寧宗の時代のもので ある。寧宗即位直後のものであるが,父帝(光宗) が病気で,祖父帝(孝宗)が没する時に,家臣らが 太后(初代高宗の皇后)に密奏して父帝を退けて即 位を実現したといわれる。 | |
第36位 宣徳通宝 ①明銭 ②宣徳8年・1433年 ③明・第5代皇帝 宣徳帝(在位1425〜1435年) ④0.13% ※宣徳帝の治世には「仁宣の治」とよばれる内政面に おける安定期をもたらした。在位終盤で発行された 「宣徳通宝」は渡来銭ベスト40の中で最新のもので ある。織田信長が上洛翌年の1569年に出した撰銭 令では「ころ」(悪質の摩滅した銭)や「やけ銭」(焼銭 )と並んで「せんとく」とあり,二倍通用とすべき「鐚銭」 の扱いとなっている。 | |
第37位 紹熈元宝 ①南宋銭 ②紹熈元年・1190年 ③南宋・第3代皇帝 光宗(在位1189〜1194年) ④0.13% ※光宗の即位直後の発行である。父帝(孝宗)の最 盛期を受け継いだが,父との対立や病気などで,先 先帝(高宗)の后らにより退位させられたという。こう して,権臣台頭を招き,南宋衰退の原因となった。 | |
第38位 正隆元宝 ①金銭 ②正隆3年・1158年 ③金・第4代皇帝 海陵王(在位1149〜1161年) ④0.13% ※金は女真族の国である。海陵王は,その第1代太祖 (完顔阿骨打氏)の庶子孫にあたる。従兄の第3代煕 宗の宰相となるが,反乱を起こして帝位を奪った。首 都を会寧府から燕京に遷し,極端な中国化政策を実 施したという。皇帝権力の強化をはかるが,南宋遠征 にも失敗し,反発が高まる中で家臣に暗殺される。 金からの渡来銭としては,唯一ベスト40に入る。 | |
第39位 紹定通宝 ①南宋銭 ②紹定元年・1228年 ③南宋・第5代皇帝 理宗(在位1224〜1264年) ④0.13% ※理宗は,二百数十年前に宋王朝を開いた第1代皇帝 太祖(趙匡胤)の10世孫にあたるという。先帝(寧宗) の養子となり,没後に即位した。朱子学派を重用し, 蒙古と組んで金の滅亡に助力したが,かえって,その 後の蒙古の侵入を受けることとなる。在位は40年の長 期におよんだが,晩年は,政治に熱心でなく,権臣の台 頭で政治が乱れ,南宋滅亡の要因をつくる。退位から, 甥に血筋に4代にわたり受け継がれるが,合わせて15 年ほどしかなく。1179年,蒙古の攻撃により滅亡する。 | |
第40位 淳祐元宝 ①南宋銭 ②淳祐元年・1241年 ③南宋・第5代皇帝 理宗(在位1224〜1264年) ④0.11% ※第39位「紹定通宝」を発行した理宗時代のもので ある。国立歴史民俗博物館の特別展では,中国銭 の40位に入っていたが,鈴木氏や嶋谷氏の論文で は入らず,次点に掲げた朝鮮王朝からの渡来銭が 入っている。1234年に金が滅亡し,以後は蒙古軍 の侵入に悩むようになっている。 | |
次点 朝鮮通宝 ①朝鮮銭 ②1423年 ③朝鮮・第4代王 世宗(在位1418〜1450年) ④0.11% ※大韓民国大統領府である青瓦台を背後にもつ,かつ ての王宮である景福宮にまっすぐに続く大通りは「世宗 大通」である。世宗王は,現在の韓国の一万ウォン紙 幣の肖像画ともなる偉大な王である。世宗は,朝鮮王朝 の建国者である太祖(李氏・李成桂)の孫にあたる。鋳銭 所を設けて貨幣を大量に発行している。「朝鮮通宝」がそ れである。「高麗史」を編纂させ,「訓民正音」(ハングル 文字)を作らせるなど文化面も充実した。倭寇の根拠地と 考えられた対馬に1419年(応永の外寇)進攻したが,領 土的侵攻ではなかった。朝鮮王朝の最盛期である。 日韓友好を祈念して41枚目に交流の証を提示する。 |
おわりに
数値的なものをあげておきたい。
教科書に,渡来銭として「宋銭」,「明銭」が紹介されることは前に述べた。以下は,ベスト40で,渡来銭全体の95.7%を占めること(41位以下
は,わずか4.3%にすぎない。この数値は次点の「朝鮮通宝」が40位に入り,本特別展の40位の「淳祐元宝」が入らない)を念頭において,考察
しておきたい。
ベスト40に占める宋銭の割合は,枚数的には70.0%(28枚)にのぼる。これに対し,教科書で銅銭の輸入に着目している明銭は,わずか7.5
%(3枚)に留まっている。南宋銭を加えると85.0%(宋銭28枚+南宋銭6枚)にものぼる。出土状況で見ると,宋銭は82.8%,それほど多くはな
いが,南宋銭を加えると84.1%となる。明銭は7.5%である。むしろ,わずか2枚(5.0%)の唐銭は出土数で8.2%となり,明銭を上回る結果と
なる。しかも,宋の第4代皇帝の仁宗から第6代皇帝の神宗を経て第7代皇帝の哲宗までの75年ほどの間に,約6割の渡来銭が鋳造されているこ
とになる。
渡来銭は宋銭がほとんどであることは明白であり,明銭はこれに比べるとわずかにしかすぎない。一方,唐銭「開元通宝」の多さが注目される。
ここで,嶋谷氏による堺環濠都市遺跡で出土した「模鋳銭鋳型」の分類によると,「開元通宝」(判読可能な全147点中に38点・25.9%)が最多
であることである。これは,次いで多い「皇宋通宝」(同30点・20.4%),「元祐通宝」(同12点・8.2%)と比べても明らかに多いといわざるを得ない。
「皇宋通宝」は本展第1位,「元祐通宝」は本展第4位と上位に入っているが,本展第5位の「開元通宝」が,これを上回る形である。「開元通宝」の
渡来銭としての特別な意味の存在が考えられる。一方,同氏は,全ての鋳型が27位以内に入ることと,その全てが宋銭と「開元通宝」であることを
指摘している。堺は,中世貿易の中心地であり,同都市繁栄の大きな理由の1つに勘合貿易(日明貿易)の存在をあげなければならない。ここに当
然含まれると容易に考えられる「永楽通宝」(第6位),「洪武通宝」(第11位)が入っていないことである。嶋谷氏によると「意図的に明銭を除外して
模鋳に採用したものと考えられる」としている。その理由については,さまざまな研究で指摘されはじめているが,まだまだ今後の成果に期待すべき
段階と思われる。
本日はご覧頂きありがとうございました。館長より謹んで御礼申し上げます。
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