このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください


脱主観の章〜実践してますか?



主観   外界に対して認識し、思惟し、感動する主体???他には通じるとは限らない、自分だけの考え。
主観的 主観に関するさま。自分だけの考えに偏るさま。
客観   主観の認識作用の対象となるもの。主体の作用とは独立して存在する外界の事物。客体。かっかん。
客観的 主観を排除し、誰が見ても納得の行くような立場から物事を見るありさま。

さて、いきなり変なものを取り上げたが、まあ見て欲しい。前の章では思い出し笑いについてのものだった。あそこで提示した例は誰もが笑えるものでない。事故について笑う、これは悪趣味ともいえるわけであり、嫌みったらしいとも思われかねない。あそこでは私の主観的な見方によって笑ったのかもしれないということは出来よう。
実はチャットにおいても普通の生活においてもこの二つの観点は非常に重要なのである。例えば実体験を話すときに自分なりの経験を客観的に、誰にでもわかるように説明するのは難しいのである。よく、そういう経験に基づく話、もちろん先の事故の例もそうだが、果たして経験してない諸君にその状況をきちんと説明できているか否か非常に懸念されるところであろう。ここで主観的に語ろうとするならばそれは相手側にとっては不十分な説明であり、不明なものとなるのであろう。現にここにかいてあることも何を言わんとしているのか理解に欠けるといわれかねない。まあ、要約すれば説明の難しさということになろうが、これは永遠の課題というものなのかもしれない。
ところで、何故にしてこの様な抽象的ないや漠然としない話になっているのか。それは本頁のみに限らず、私が作成する頁あらゆるところで、文章による表現が多く、この量が執拗との評判というより悪評があるのである。確かに不明確な構成、表現によりところもあるのであろうが、ここは最小限度の容量により精一杯の表現ということをご理解いただきたいものである。
そもそも、主観とは個人によって異なる見地に基づくものであろう。それは致し方ない。しかし、同じ空間即ちチャットの同じ部屋にありながら、話題を共感できないのは大変空しいところである。ホームページにいたっては、不特定多数の人が閲覧することになろうから、但しこの部屋はその限りでないが、少しでも状況を把握してもらわんが為、こういった状況をなくす上でも、客観的な表現に努めたいものなのである。

意味不明ならそのまま放置しておいていいです。どうせ私の頭にあることをそのままかいたわけですし、主観?ですから。



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