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2009年5月10日探訪
賀陽(かや)氏は古代の備中国における最有力者であり、吉備第一の大社吉備津宮の祭祀権を握っていたそうです。
個人宅に利用されているので案内板もなく、入ることも出来ません。
この枯れ草群は堀の跡と言われています。
鎌倉時代から室町時代の城跡で珍しいものだそうです。
庭瀬港の説明板の江戸時代の古地図にも一致するであろう場所に城跡と出ていました。
拡大。「此○リジヤウト云」伝賀陽氏館という意味なのか?・・・読めません。
1947年の航空写真。まだ宅地利用されていないようです。
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