このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

岡山城

2009年5月9日探訪

天守閣。岡山城をこの形にしたのは宇喜多秀家と言われます。

「岡山県」の由来は岡山城の建つ「岡山」からです。近くに「石山」「天神山」がありました。

真下より望む。

岡山城本丸は戦前には 岡山一中 の敷地となっていました。

戦前の岡山城を知る祖母が生前「戦争で焼けてちゃちー城になってしもーた!」と良く言っていました。

旧NHK の裏の宇喜多直家の天守閣跡。ここが「石山」になります。ここが天守閣のままならば「石山県」になっていたかも??

戦災を免れた月見櫓。小粒ながらさすがに中身は武者隠しや石落しの装置など要塞そのものです。

月見櫓前に残る、食物貯蔵庫跡。

売店を潰して画期的な展示も行われています。宇喜多氏→小早川氏→池田氏と時代ごとに石垣を被せて城を拡大して行きました。

旧内山下小学校に残る二の丸の外壁。

ここには戦災を免れた二の丸西手櫓も残ります。

入口の日露戦争の記念樹。

池田光政公の隠居所でした。今では池田動物園の池田さんですが織田信長の乳兄弟から出世した名門です。

1947年                                   2009年

1947年の昭和天皇の巡幸時と同じ角度を探して撮ってみました。

この場所には城壁が再建されているので鉄砲穴からの撮影です。

木々の成長で目安橋や林原美術館は見えません。存在感を示している天満屋もビルの高層化で見えません。

 

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