このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

西大寺鉄道

2009年5月5日探訪

後楽園駅。旭川を越えると当時の岡山電気軌道の番町線と接続できました。

奥の小屋が西大寺方面。 

小屋の出口。見逃しましたが花壇の中に遺構があったようです。

プラザホテル、市道を抜けこの歯科の場所へ出ると廃線跡の道路となります。奥が後楽園方面。

 

直線が続きます。

大通りにでます。Vの字カーブの底辺のあたりです。奥の路地が廃線跡。

路地を抜けます。奥の白いタンクのようなモノの辺りが廃線跡。手前を横切る道路は 旧山陽道

少し進むと森下駅跡。

両備バス営業所です。

水路に残る橋台跡。

水路を渡るとこの駐車場が廃線跡。

県道を越えると開業当時の原尾島駅跡。ここから住宅地で廃線跡は消失します。

住宅地を迂回すると競馬場開設後の原尾島駅跡。当時は百間川の土手は低く 陸閘門 がありました。

ブロック塀下のコンクリートが原尾島駅のホームの遺構だそうです。

現在の百間川の土手から旧原尾島競馬場方面を望む。

橋台跡?

藤原駅跡。

岡山交通の営業所です。

岡山交通から竜操クリニック(奥の建物)へむかって廃線跡。

竜操クリニック前の橋台跡。しばらく住宅地で廃線跡が消失します。

迂回し、いかにも廃線跡の様なこの空き地へ出ます。奥が後楽園方面

この空き地から西大寺方面を見るとこの橋台跡です。

住宅前のブランコが置いてある場所が廃線跡。

上記の写真の位置からこの未舗装道路に続く。

道路を越え更に続きます。

舗装道路となりますがすぐに住宅街にぶつかり廃線跡は途切れます。

住宅街を迂回しこの道路に出ると廃線跡です。奥が後楽園方面。

上記の道を直進すると大師駅跡。中央の二階建ての民家の辺りに駅舎があったそうです。

直進するとこの小さな橋にぶつかります。

横から見るとこんな感じです。西大寺鉄道の橋台にコンクリを被せている感じです。

ここからはほぼ畑になっていて民家の間の細道を縫うように走ります。手前の畑が廃線跡。

奥の新しいコーポに向かって廃線跡。

コーポの駐車場が廃線跡。このあと工業団地で完全に廃線跡が途切れます。

東岡山駅まで飛びます。この方向から線路は延びていたと思われます。奥が後楽園方面。

国鉄の旧線だと思われますが、古い橋があります。

近づく朽ちた枕木が並びます。かつて西大寺鉄道との貨物の連絡を行った線路跡でしょうか?

財田駅跡。近年の駅前整備で近代的なロータリーへと変貌しました。

財田駅から西大寺方面への急カーブ。住宅地化しているものの面影はうかがえます。

上写真の場所からこの250号線までの間にも数年前までは遺構が残っていたそうですが完全に住宅地化して廃線跡は消失。

上写真の自動車販売店の辺りから住宅街を抜け室賀ネジの看板が見える道路に合流します。

直進し公園のある場所が長利駅跡。米田の 陸閘門跡 が近くにあります。

直進すると川を越えますが、全く橋台などの痕跡などは残っていません。

383号線に合流します。

383号線沿いに残る大多羅駅。改築され公民館になっています。

南側の増築された部分。ここから旭東中学校の敷地へ飲み込まれます。

大多羅付近で道を間違えて、この間にあった遺構を見逃してしまったので自転車道まで飛びます。

上記の場所から後楽園方面を望む。

広谷駅跡を見逃してしまいました・・・住宅街を抜けます。

川の中で切り取られているのが砂川橋梁跡。

現在の自転車道は当時はなかったバイパスと立体交差になっています。

立体交差を抜けます。

すぐに西大寺市駅に至ります。 会陽(裸祭り) の際にはこの駅はかなり賑わったようです。

左が当時の西大寺市駅本社。右が移築された財田駅舎です。

西大寺市駅に展示されているポイント切替機。

キハ7号全景。

デッキに自転車など積めて好評だったそうです。

説明板。

バスのレーンに当時のレールを埋め込んでいます。

西大寺鉄道展が行われていました。

 

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