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那古の地名は、大阪南部からの移住の証?
広辞苑に「なご‐の‐うみ【那古の海】」の記載があります。「大阪市住吉区の海岸。(歌枕)」と説明されています。
万葉の時代には、「那古の海〜〜・・・」と詠えば、現在の大阪市住吉区の海岸を指す歌枕だったということです。
「那古の海」を、そういうこととしてみんながわかっていたのです。
安房地域には、黒潮にのって人々が移住してきたという伝承とともに、それを裏付けるものとして地名が黒潮沿いに似通っている事例が多くあるといわれます。安房(あわ)という地名自体が徳島県の阿波(あわ)ですし、「白浜」や「布良」の地名は、紀伊半島や伊豆半島に同様の地名があります。
那古という地名は、万葉の時代には歌枕にされる大変ポピュラーな地名だったのですから、そちらから持ち込まれたと考えることもできます。
移住者が、これまで住んでいた地域の地名をそのまま移住地に持ち込むことは世界各地に見られます。
那古という地名も現在の大阪市南部の「那古の海」を暮らしの場にしていた人々が大量にこの地に移住してきたことを示しているのかもしれません。
(続く)
(03.2.16記す)
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