このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

小河内ダム(奥多摩湖)による改良

11957年(昭和32年)に完成した小河内ダムにより、どのように道路が付け替えられたかを東京都と山梨県の公報を漁って調べてみた。


ダムによって付け替えられた路線は、現在の国道411号、東京都道205号、東京都道206号。国道139号(前身の都道)はダム完成後の事。



昭和初期の東京府管内図(たぶん)から。この段階で付け替えられる路線は、現国道411号と現都道205号。

 

●S12/12/09の告示

府道青梅甲府線(現国道411号)、五日市甲府線(現水根本宿線)の区域変更の告示。破線部が旧道で、実線が新道。
国道411号の橋詰トンネルより西が付け替えによる新道。都道205号(水根本宿線)の付け替え、現在ならダム湖を跨ぐ吊り橋とかになりそう。

ここで、ダム堰堤付近(国道411号、都道205号の接続部)の線形に注目。

この区域変更時には、大麦代トンネルは考えられてなかった。

 

●S26/08/07の告示

 東京都道小河内五日市線(現川野上川乗線)の認定の告示。鞘口峠、風張峠を通る登山道の都道である。。認定時は、五日市から南郷まで現都道33号(上野原あきる野線)と重用だった。

 

●S27/03/15の告示

 小河内ダムの堰堤部分のみ、先行で付け替え。五日市甲府線は変更無し。告示で「七号隧道」とあるのは、西久保トンネルである。S12に段階では無かった「大麦代隧道」だが、工事の途中で変更になったようで、区域が変わってる。

 

地図に描くとこんな感じ

赤線⇒新道 青線⇒廃止

 S26の最初の区域変更時には無かった大麦代トンネルだが、供用時には追加。五日市甲府線(現水根本宿線)と小河内五日市線(現川野上川乗線)はまだ、旧来の経路のまま。

 

●S32/08/24の告示

 付け替え道路の完成。ここでの注目点は、都道甲府青梅線(現国道411号)と小河内五日市線(現川野上川乗線)が付け替えの区間が山梨県に入ってること。現国道139号の経路は、この時に小河内五日市線として供用した道。

って事で山梨県報をcheck。

 日付は置いといて、都県境の鴨沢橋から約1キロが付け替え。公報の「鳴沢橋」は間違いでしょう。国道411号の方は山梨県報にあったが、川野上川乗線の方は無し。まぁ付け替えで経由せざるを得んわけだったから山梨県は関知しなかったのかも・・・。ソコに関しては、一応ブログの ココ でもやってる。

 

●S43/11/05の告示

東京都道206号(川野上川乗線)の区域変更の告示。奥多摩周遊道路が都道区域に。

 

●S48/04/25の告示

奥多摩周遊道路の供用開始の告示。供用開始日はS48/04/26の午前9時。

 

以上が小河内ダムに関する改良だが、まだ不明なところがある。

1)国道139号の前身である都道奥多摩大月線がいつ認定されたか。まぁこれは公報見直せば(だいぶ面倒)確実に分かる。あるいは道路現況調書に  もしかしたら載ってるかもしれんし。

2)国道411号の桃ヶ沢トンネル〜橋詰トンネルがいつ出来たかが分からん。公報見直してみても載ってなかった。トンネルの竣功はS20〜30辺りなん

  で、開通もその辺でしょうけど。

 

最後にこんな地図

 昔の西多摩の管内図だが、存在しない道路線形が描かれている。非常に走りやすそうな緩いカーブのこの線形。もし現代ならこういう感じの付け替え道路になるんやろな。それにしてもこの線形は何なんだろう。いずれこういう道路を造ろうとしてたのかもしれんね。

 

 

 

不明点を残しつつ 以上

 

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