このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
奥多摩の日原川に沿って氷川から日原までの都道である。日原川が造る谷が急峻であるので、結構なサイクルで改良が行われてきた。その改良や経路の変更を公報で漁った。
日原鍾乳洞から途中まで日原川の北岸を、その後は南岸を通って氷川まで。途中に1キロ長の日原トンネルがある。
●いきなりだが、認定/区域決定/供用開始の時期が分からん。「東京府」公報見直せば出てくるだろうけど、それはしんどい。大体の年が分かったら見てくることにする。←←大正12年6月らしい。
●S07/12/06の告示
日原地区の東京府道242号(日原氷川線)の一部を村道44号に変更するとある。
↑カーソルオンで橋名拡大
日原の集落のはずれから崖を下りて日原川南岸を通っていた経路を、北岸に変更して新日原橋で元経路に合流するようにした。この「新日原橋」はいわゆる惣岳吊橋と言われてるやつか。
地図で示すとこんな感じ↓
線形はてきとーです。
●S10/10/24の告示
氷川地区の北側にある寺地地区。そこの改良である。
ただ、この地図で今の線形がどこを通ってるか分からん。
こういう感じなのかな〜と思うが・・・。寺地沢に架かる橋は今は「瀬波橋」というが、旧橋は「寺地橋」といった。それにしても今の線形になった時期と告示が見つからん。
三井住友建設のサイトにあった「瀬波橋」架橋中の写真。サイトによるとS36に架橋されたという。奥の寺地橋もとても興味惹く橋。
●S12/08/28の告示
告示と位置図。氷川市街付近での改良。
市街にあるんで、今も普通にある道。自分は通ったこと無いけど。
●S17/11/26の告示
日原の大沢〜栗原の経路を変更して供用を開始するという。
図がこちら↓
分割してしもてるけど堪忍。旧経路の方が距離は短い。
コレを地形図に落としてみる
旧道は大沢集落の家の間を通っていた。yahoo地図でも川渡って集落の外れまでは道が載ってるけど、その先新道と合流するまではyahoo地図見ても載ってない。
●S28/07/04の告示
都道の経由が小菅から倉沢に変わった・・・つまりこれは日原川南岸から北岸を通るようになったということ。
赤で示した区域は林道として開通してたらしいが、それを都道に昇格させて、南岸の都道を廃止した。これで日原まで車が入ってくれる用になった・・・のか?
●S47/12/19の告示
ついにアレが出てきた。
日原トンネルの供用開始(告示の翌日、S47/12/20)である。旧道は即日廃止となったよう。
●S55/02/19の告示
現トンネルの完成(告示の翌日、S55/02/20の午前11時)。
トンネル供用から7年ちょっとで新トンネル開通。短いな〜。でも旧道は即廃止とはならなかった。ただ、通行止めとかはされてたかも知れんがね。
●S55/11/06の告示
旧道が廃止となった。兎峰橋の文字も見える。
ところで、日原トンネルの日原側にある登竜橋旧道の様な道↓
ココについては告示が無かったのだが、調べてみたら旧登竜橋施工がS36/09/だった。北岸の日が都道に成ったのがS28なので、その間は都道だったということか。ちなみに旧登竜橋はアーチ橋であった。
以上
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