2001年7月のとある晴れた日、カメラを持ってふらりと阪堺電車の撮影に出かけました。 南海電車を帝塚山で降り、まずは上町線・・・と電車通に出たまでは良しとして、 困った事に何時までたっても電車が来ない。
「何でや〜!」
と(心の中で)叫びつつ天王寺方向へ歩き、 とある電停で時刻表を確認していると、工事現場の警備員のおっちゃんが声を かけてきました。
「電車、来ぉへんで。事故で昼過ぎから動いてへん」
なんですとぉ・・・それならというわけで、対象を阪堺線に変更して撮ったのが↑です。ココが21世紀の大阪だとは、とても思えませんが、 格子状に貼られたトロリー線が良い感じです。 塚西から住吉まで南下して、上町線の運転再開を待ちます。
「運転再開時には、ココを事故車輌が通るに違いない」
と、心の中で黒い野望を燃やしながら・・・6時少し前、上町線の警報機が鳴り出して、やって来たのが↑です。二両連結ですねぇ(笑。
後の車輌はパンタを降ろして牽引されています。↑牽引の様子です。連結器が無いので、ベルトで2両を繋いでいます。 その後、運転再開(車輌の補充)のために、回送列車が次々と上町線に入ってゆきます。
我孫子道を出庫した車輌の一部は、住吉でスイッチバックして住吉公園へ回送されてゆきました。「試運転」の幕で出庫してきた、入道雲塗装(昔の立石電気広告塗装復刻版)
↑続々と出庫してきますがラッシュ時で阪堺線の運転本数も多い上に、 平面交差の横断に手間取って行列ができてしまいました運転を再開した上町線、住吉公園→神ノ木間に乗車して今日はお終い、これで阪堺電車は完乗です。
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください