このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 

鹿児島へ

 
急行「くまがわ」のキハ65

・急行列車で
デジカメを持っての初旅行である。16時過ぎの「ありあけ」で久留米を発ち、熊本で「くまがわ」に乗り換えて 肥薩線へ向かう。本数こそJRの急行列車最多の5往復を誇るくまがわも、編成はキハ58+65の簡単な編成、 2両とも自由席とかつての栄光は残っていない。ありあけからすぐの接続のためか、禁煙車の58にはあまり席が なく、喫煙可のキハ65に乗ることになった。こちらは空いていてリクライニングシートを 向かい合わせにして座ることが出来た。発車直後に改札に現れた車掌が久留米→枕崎(肥薩線経由)の乗車券を 見て少し驚いたふうに問いかけてきた。

今日はどこまで行くの?

途中で運転停車があり、後続の「つばめ」に抜き去られるといういかにも急行な場面もあったが、 肥薩線に入れば線内の最優等列車、八代でつばめから乗り継いだらしい人も多くそれなりの乗りになってきた。 既に陽は落ちて車窓は暗闇に沈みつつある。時折現れる道路の明かり、高速道路の橋脚がかわもに映り 川に沿って走っていることが判るが、真っ暗なことには変わりない車窓を気にしつつ熊本で買った中華弁当を 食べる。市販の弁当(駅弁含む)はもう少しご飯があればなぁ、といつも思う。
58とは別次元の心地よい揺れを満喫するうちにオルゴールが鳴り、車内放送が人吉到着を告げた。


人吉駅前の城型からくり時計台
時計台の中で踊る人形

最終の吉松行がキハ58の2両編成だったのを見て、乗りたくなる衝動にかられながらも 「明日はあの列車に乗るのだ」と言い聞かせ、今夜の宿へ向かう。駅前に出ると、ちょうど時計が時報を告げて からくりが音楽とともに動き始めた。人形が輪になって踊っている。

ホテルに荷物を置き、夕食は食べたので夜食を仕入れに街に出たらコンビニが無い。スーパーも閉まった後、 飲み屋(南方系から居酒屋まで)しか見当たらない。20分くらい歩き回ってようやくコンビニが見つかり、 ホッとする反面、コンビニを利用させられている自分が少し寂しくなった。ホテルに戻って、 ビジネスホテルなのに温泉大?浴場につかって疲れを癒す。翌朝の計画を考慮して久しぶりに1時頃に寝た。

6時半に起き、一風呂あびて出発。朝になって皮膚病にも効く温泉らしいと気がついた。 足の方にも少しは効いただろうか?

人吉発吉松行の一番列車
お座敷だ
日本三大車窓展望地朝霧にけむる吉松盆地

・キハ40で
吉松行は昨夜とは異なり少し残念なキハ40の単行だったが、 車内に入ると進行方向右側がお座敷仕様だったので元気を取り戻し、パンとおにぎりで食事。
大畑のループでは人吉盆地に雲海、矢岳を越えて霧に煙る吉松盆地を眺める。 霧島が見えなかったのは残念なものの、さすが日本三大を名乗る展望なだけのことはある。 吉松では吉都線の都城行と吉松止まりの2列車でキハ58が並んだにもかかわらず、隼人行は キハ40の単行(今度は普通の車両)だった。悪い車両では無いが、目の前に58を見た後では 期待はずれな列車である。まあいい。どちらにしても座っているうちにまぶたが重くなってきがつけば 隼人である。

・終着駅へ
昨夜から心細くなってきたデジカメの電池(今度は充電式)を西鹿児島駅前のダイエーで購入して 一列車早い快速「なのはな」で指宿へ。見事に寂れた(それとも、どこもこんなもんなのだろうか)駅前商店街を うろうろ歩き、昼食のために一軒の店へ。扉を開けた途端に生け簀が視界に飛び込んできたので、怖気づいて Uターン、次に入った食堂で親子丼を食べた。
アイスが食べたくなる陽気、売店でカップのしろくまを買ってホームへ出ると、 次の枕崎行は指宿始発のはずなのに、駅員がなぜか先発の山川行に乗れと言う。つられて一駅先行。 ま、山川駅の雰囲気が良かったのでよしとしよう。
アイスを食べる暇もなく、山川からは本当に枕崎行に乗る。曇り空だが開聞岳が良く見える。 西大山も通った。あとは枕崎まで座っていくだけである。・・・やっぱり眠くなってきた。


本土最南端の終着駅

枕崎〜伊集院のバス

・すぐに北上
忙しないことこの上ない。到着してすぐに折り返す上り列車を見送って、枕崎(それも駅周辺だけ)に30分も 滞在せずに今度は薩摩半島の西側をバスで伊集院へ向かう。かつては鹿児島交通の鉄道線が走っていた地域 だが、今は無く枕崎駅前も鹿児島空港や鹿児島市内への主要交通機関、バスの発着所と化していた。 とりあえずは、愛想のよくない運ちゃんを横目に、吹上浜や薩摩湖をちらりと眺めて進む。 鹿児島交通の線路跡の一部は自転車道になっているらしいが景色はあまり代わり映えせず、 少しバスに飽きてきた。

伊集院からのお楽しみは急行型電車である。新幹線開業で間違いなく全滅するだろうから それまでに出来る限りは乗っておきたい。今日もあっという間に日が暮れてしまい、 景色は見えなかったが、安心する走行音、冷たい配色でもなぜか気にならない車内の様子、 たとえデッキがとっぱらわれて半分近郊型になっていようが、急行型は落ち着くのである。 川内でつばめに乗り換えて3回目の水俣に降り立つ。

水俣駅にて
車窓の八代海
最終日は早起きして写真、という選択もあったが、少し風邪気味なのとレポートがなかなか終わらなかった ために、10時のチェックアウトまで粘った後はさっさと撤収である。八代までは昨日に引き続き急行型475系 の登場で、旅気分が盛り上がる。車窓の八代海や天草も前回より良く見える。みかんの木が多く紀伊半島みたい な気分になった。最近は特急に乗ることも多くなってきただけに原点に立ち戻ったようなひと時だった。 八代で817系に乗り換えた途端に寝る。熊本からありあけに乗り換えて、さらに寝る。 結局、今回も睡魔には勝てない。

これで九州のJR線は吉松〜都城〜南宮崎を残すのみになった。年内には片付けたいが、実際のところ、 第一回の遠征が成功していれば乗っていたはずの区間なのは痛い。


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