このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
夏の休暇になり、大阪へ帰省する。5月の連休は、ただ飛行機で帰って新幹線で戻ってくるだけだったので 今度こそは旅の要素をとりこみたい。 8月9日 なんだかんだで夏休み初日の8月9日。 18切符を使って博多へ。そして筑豊地区の未乗線を一気に乗り潰すべく篠栗線12:01発の 「直方経由黒崎行き(筑前大分まで快速)」に昼食用の弁当を買って乗り込む。 到底弁当だけでは腹は満たされないだろうとは思いつつも、弁当をつつきながら桂川から 新飯塚へと進み、後藤寺線のキハ40に乗り換える。平坦なだけかと思われた後藤寺線は、 廃止線の分岐駅(漆生線か?)や小さな峠越え、石灰石工場の引込み線など幾つかの見所があり、 田川後藤寺まで充実していた。 10数分?専用道路を走ったバスは、フェンスの外へでると、幸町の交差点を右折して若戸大橋の方へ向かうが、 橋は渡らず、その袂にある市営渡船の乗り場に着く。ここから渡船(50円)で若松へ渡れるのである。 もちろん乗船するが、その前にバスと渡船の写真を撮ろう。 カメラが無い。 小倉で他の荷物と共にロッカーに入れてしまったらしい。肝心な時に忘れ物だ。あ〜もったいない。 ラーメンで締めるころに、ほどよい時間になったので港へむかう。 小倉(浅野)21:55発、関西汽船小倉〜松山フェリーの今夜の配船は「フェリーくるしま」 であった。酔っ払って船に乗り込み、ロビーの「臨時席」を横目に普通の2等室に荷物を置く。 前回は見れなかった関門橋通過もバッチリ見た。あとは寝るだけだ。 8月10日 朝の4:30に目が覚めたので下船前の荷造り。携帯用のリュックサックに必要な荷物を詰めて 残りは港でロッカーに保管するのである。 | |
松山での予定行動が終われば、いよいよフェリーだ。松山から神戸へ9時間の船旅である。 荷物を置いた2等船室は、乗り込んで真っ先に部屋に入ったはずなのに、気がつけば中年〜初老の7人連れ:1人 になっていた。客の数は多くはないがそれぞれが思いのままに空間を占有している 状態では、いまさら部屋を移っても良い場所はとれそうにない。DQソ団体でないことを祈って覚悟を決めたが、 覚悟するほどのことではなかった。 問題は、Bデッキ立ち入り不可な上にCデッキも到るところに「臨時席」が設置されてしまい、 公室がほとんど無いことである。船室の居心地が悪い訳ではないが、簡単な椅子くらいが あればなぁ、と思わないでもない。 | |
松山観光港へ入港するフェリー「ブルーダイヤモンド」 | |
松山観光港へ入港する石崎汽船のフェリー | |
13時過ぎに来島海峡を通過、今治入港、気がついたらゲーム機に*00円を巻き上げられていた。 時折、甲板に出たりしながらうだうだと無駄な時間を過ごす。 瀬戸内海の景色、しかしまぁ、独りで眺めて楽しい気分でもないような気もする。 17時頃、備讃瀬戸を通過、夕陽に照らされた瀬戸大橋を甲板で眺める。やがて宇高航路のフェリーが 航路を次々と横切る。レンズを向けてみたが50mmではいかんともしがたい。 | |
瀬戸大橋 | オレンジフェリー |
高松沖でオレンジフェリーと離合。そろそろ腹が減ってきた。 18時過ぎ加藤汽船のフェリーとすれ違う。腹が減って、写真を撮りに動く気力が湧かない。 だいたい、あの船の形は何だ。スリッパみたいな形しやがって 19時すぎになり、播磨灘。阪神〜新門司航路の1便と次々とすれちがっているんだと思う。はっきり見えないけど。 19時、食堂の営業再開。折角なので一食くらいは船内で調達しよう。カフェテリアレーンには色々と 並ぶ中には麦のジュースもあって思わず手が伸びかける。 ダメだ。ここで手を出すと酒なしで旅行できなくなるぞ。 実際、今でもかなり危ないのである(帰ってから飲んでしまったので無駄な努力であった)。 六甲アイランドには着いたら、下り便に乗る客が ターミナルにあふれていた。人の波を横目にすぐに連絡バスで住吉へ移動。大阪での乗り換えの便を 考えて、JRに乗る。乗車した快速米原行きは、新快速運用を引き摺り下ろされた?223の1000×12だった。 久々のアーバンネットワークを堪能、やっぱ環状線の103系はええなぁ。 |
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