このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 

東北遠足
〜回想編〜

(10月10〜12日)

 
隣のホームの200系。もう2階建て車は無いんやね

・初日

前日の夜、いつもの仮眠場所である池袋のネットカフェで、台風接近を報じる インターネットの気象予報を見ながら、「なんだか今回はやばそうだ」、と思っていたのは 確かなのである。
にもかかわらず、翌朝はいつものとおりに「やまびこ」41号車中の人になっていた。 さすがに、自分でも危機管理がなっとらんと、少し反省し、公表も控えてきたのだが、 もうそろそろ時効かなぁ〜と、勝手に判断しての今回の蔵出しである。 半年も前、メモの類も無しともなると、記憶は薄れて記述も曖昧にならざるを得ない点は ご了承願いたい。
いつもの如くに眠ってすごした「やまびこ」を一ノ関で降り、大船渡線に乗り換える。 今日乗るのは普通列車の盛行きである。 「ドラゴンレール」などという愛称がついた大船渡線だが、 快速の名称「スーパードラゴン」も含めて、サン夕゛ーバードやセントラノレライナー等々が氾濫した 今となってはたいして不思議にも思われない。 それどころか、ナベツル線と言われた複雑怪奇な出生にまつわる話を踏まえれば、 どことなくヤケクソな愛称っぽくて好感すら感じさせるから不思議だ。

毎度お馴染み キハ110

うーむ 久しぶりのどんより雲だ

大船渡線の車中では、携帯の交通情報サイトを繰り返し閲覧しながら、首都圏の交通機関が 台風の直撃の中で次々と運転を見合わせていく状況に焦りつつ、明日は我が身か、と、天気予報を 確認したり、時刻表をめくって予定変更の可能性をさぐったり、精神的に空回りが続く。 そんなことをしている間に、例の「ナベツル」区間を通り過ぎている。気仙沼も過ぎて、 少しは海岸に出るかと思ったら田園風景が続くだけで終点の盛に着いてしまった。 昼時なので、スーパーで昼食の弁当を仕入れて三陸鉄道に乗り換える。
券売機で釜石までの切符を買おうとしたら、駅員の人がわざわざ「こちらでどうぞ」と、 窓口で硬券を売ってくれたので、少し得した気分になって車内へ移動。 空いていたので、リクライニングシートを向かい合わせにして、弁当をつつく。 南リアス線とは言うものの、駅の前後を除いてやたらとトンネルが多い。何処かで巡り会ったような パターンだな、と今思い返してみれば、紀勢本線の尾鷲〜熊野市のあたりもこんな感じでトンネルが 続いていたのではなかっただろうか。もっともあちらは、トンネルの合間にたっぷりと熊野灘の 展望も楽しませてくれるのだが・・・。

盛駅

釜石から山田線に乗り換え、宮古着14:52。ここからが問題だ。
・今後の行動としては、14:55発の岩泉線(茂市〜岩泉)直通の岩泉行に乗車し、同線の乗り潰しを実施する予定である。
・現在首都圏で猛威をふるっている台風は、明日以降、東北地区へ進出するものと見積もられる。
・岩泉線を往復した後は、茂市から山田線最終の盛岡行に乗れる。
・けど、真っ暗な中で山田線には乗りたくないよなぁ(景色が見えずにつまらんから)
・じゃあ、茂市から宮古まで戻ってきて、明日の朝の山田線に乗ればいいか。元々の予定だし。
・でも台風に直撃されたら、山田線も釜石線も運休は間違いないだろう。
・そうなったら、陸の孤島と化した宮古に取り残されて、じ後の行動に支障がでるぞ。

本音は宮古で泊りたいし、宿も予約しているのだが、台風でびびっているのである。 どちらとも決めかねたままに、岩泉線に乗った。
雨模様、薄暗く、どんより雲の沿線風景。
川を渡り、トンネルを抜け、次第に山深くなっていくようなのだが、 線路自体は川沿いに下っていて、少し不思議な気持ちになる。

車内を見渡すと、乗客の大半は、大半というよりもほとんどは、鉄関係の人である。 唯一、地元の人に見えるおばあさんと孫の2人連れも、聞こえてくる会話の内容から 推測すると、「わざわざ」、「電車」に乗りに来ているように思われて、 途中の駅で降りた高校生1人を除けば全員「乗る」ことが目的の人だったのではなかろうか。

すごい線やね。

山奥で線路が途切れる他の盲腸線とは異なり、沿線風景がだいぶ開けてくると終着駅の岩泉である。 しかしながら、棒線に一面きりのホームと、線路の先に鎮座する車止めから伝わってくる 「延長を果たせず」の無念の想いは、変らない。
週末で開いていない〒と、人気の無い商店街を一回りして、 夕食までの繋ぎにどら焼きを一つ買って駅に戻った。
2階建ての大きな駅だが階段上は真っ暗で人気も無く、改札口の灯だけが薄暗い待合室を 照らす。 駅だけを見れば、地方幹線の主要駅、急行の5〜6本も停まって、弁当も売ってそうな駅なのだが。

夜の茂市駅。
帰りの列車は、途中の駅では数人、地元の人が降りていった。駅前にコミュニティバスが 待っている駅もあった。こういう駅で降りて、コミュニティバスに乗ったりしたら、 どんな世界に逝けるんでしょうか。

茂市で当初の予定通りに宮古行きに乗る。駅前旅館みたいな名前のビジネスホテル に荷物を置いて、夜の街?へ。 雨は小降りで風も無いし、明日も台風の影響はなさそうだ。

魚食べて、酒飲んで、カップ麺買って、帰って、食って 、寝た。

・2日目

予定通り、快速「リアス」で盛岡へ向う。隣のホームには、折り返し 釜石廻りの快速「はまゆり」2号盛岡行きが出発を待っている。 向こうは急行「陸中」お下がりのリクライニング装備のキハ110系列なのに、こちらは キハ52の2両編成。エンジンがオリジナルだったら、と悔しがっても仕方がないので、 大人しくボックスシートにおさまっていざ出発。
猿は乗せない山田線、どんどんと山奥に分け入っていく中で、一瞬車窓に流れる白眉は、 恐らく川内駅だったと思うが、快速の通過をホームに直立不動で監視する駅員の姿だった。 これで、腕木信号があって、タブレットの交換・・・・絵空事はやめよう。
高原ムードの中で名前が気になる区界駅に停車。ここからは、いくつもの秘境駅を通過しつつ 盛岡へ向って下る一方である。

→の写真は、キハ52の前面展望?席。キハ20もキハ17も知らない我が身としては、 国鉄の運転席後ろカーテン開放闘争を偲ぶ唯一のよすがである。 残念ながら、この日も山岳路線でトンネルが多いためなのか、カーテンは閉ったままだった。

前面展望席
奥羽本線の車窓から
盛岡で冷麺を食べ、「こまち」で大曲へ向う。 新幹線ホームで列車を待っている間、駅の外を走り去ったあのバスは、 正真正銘オリジナルのボンネットバスではなかっただろうか?
何事も無く大曲に着き、快適に飛ばす701系に乗り換える。 標準軌に挟まれてローカル線に転落した新庄〜大曲間。いい風景になってきた。

第1回東北遠足でバス代行となった新庄〜羽前千歳間もしっかりと乗り、この日は 米沢泊まり。
夜の街を彷徨った挙げ句、駅前通りで食べたカツカレーがかなり旨かった。

最終日。米坂線で坂町へ出て、新潟から新幹線で大宮へ。
この時はなんとも思っていなかったが、この後、新潟地震で新幹線は長期運休へ 追い込まれたと思うと、感慨深い。台風に怯えずに出てきてよかった(結果論)。

上越新幹線といえば、200系


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