このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
・初日 前日の夜、いつもの仮眠場所である池袋のネットカフェで、台風接近を報じる インターネットの気象予報を見ながら、「なんだか今回はやばそうだ」、と思っていたのは 確かなのである。 | ||
うーむ 久しぶりのどんより雲だ | ||
大船渡線の車中では、携帯の交通情報サイトを繰り返し閲覧しながら、首都圏の交通機関が 台風の直撃の中で次々と運転を見合わせていく状況に焦りつつ、明日は我が身か、と、天気予報を 確認したり、時刻表をめくって予定変更の可能性をさぐったり、精神的に空回りが続く。 そんなことをしている間に、例の「ナベツル」区間を通り過ぎている。気仙沼も過ぎて、 少しは海岸に出るかと思ったら田園風景が続くだけで終点の盛に着いてしまった。 昼時なので、スーパーで昼食の弁当を仕入れて三陸鉄道に乗り換える。 | ||
釜石から山田線に乗り換え、宮古着14:52。ここからが問題だ。 本音は宮古で泊りたいし、宿も予約しているのだが、台風でびびっているのである。 どちらとも決めかねたままに、岩泉線に乗った。 車内を見渡すと、乗客の大半は、大半というよりもほとんどは、鉄関係の人である。 唯一、地元の人に見えるおばあさんと孫の2人連れも、聞こえてくる会話の内容から 推測すると、「わざわざ」、「電車」に乗りに来ているように思われて、 途中の駅で降りた高校生1人を除けば全員「乗る」ことが目的の人だったのではなかろうか。 すごい線やね。 山奥で線路が途切れる他の盲腸線とは異なり、沿線風景がだいぶ開けてくると終着駅の岩泉である。 しかしながら、棒線に一面きりのホームと、線路の先に鎮座する車止めから伝わってくる 「延長を果たせず」の無念の想いは、変らない。 | ||
帰りの列車は、途中の駅では数人、地元の人が降りていった。駅前にコミュニティバスが 待っている駅もあった。こういう駅で降りて、コミュニティバスに乗ったりしたら、 どんな世界に逝けるんでしょうか。 茂市で当初の予定通りに宮古行きに乗る。駅前旅館みたいな名前のビジネスホテル に荷物を置いて、夜の街?へ。 雨は小降りで風も無いし、明日も台風の影響はなさそうだ。 魚食べて、酒飲んで、カップ麺買って、帰って、食って 、寝た。 | ||
・2日目 予定通り、快速「リアス」で盛岡へ向う。隣のホームには、折り返し 釜石廻りの快速「はまゆり」2号盛岡行きが出発を待っている。 向こうは急行「陸中」お下がりのリクライニング装備のキハ110系列なのに、こちらは キハ52の2両編成。エンジンがオリジナルだったら、と悔しがっても仕方がないので、 大人しくボックスシートにおさまっていざ出発。 →の写真は、キハ52の前面展望?席。キハ20もキハ17も知らない我が身としては、 国鉄の運転席後ろカーテン開放闘争を偲ぶ唯一のよすがである。 残念ながら、この日も山岳路線でトンネルが多いためなのか、カーテンは閉ったままだった。 | ||
盛岡で冷麺を食べ、「こまち」で大曲へ向う。 新幹線ホームで列車を待っている間、駅の外を走り去ったあのバスは、 正真正銘オリジナルのボンネットバスではなかっただろうか? 何事も無く大曲に着き、快適に飛ばす701系に乗り換える。 標準軌に挟まれてローカル線に転落した新庄〜大曲間。いい風景になってきた。 第1回東北遠足でバス代行となった新庄〜羽前千歳間もしっかりと乗り、この日は 米沢泊まり。 | ||
最終日。米坂線で坂町へ出て、新潟から新幹線で大宮へ。 この時はなんとも思っていなかったが、この後、新潟地震で新幹線は長期運休へ 追い込まれたと思うと、感慨深い。台風に怯えずに出てきてよかった(結果論)。 | 上越新幹線といえば、200系 |
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