このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

快速紀伊田辺行き

22:00 蛍の光に急き立てられて梅田のA書店を後にした。

寒い外を避けて地下道を大阪駅へ向かう途中の、御堂筋線梅田駅(阪神百貨店前) では、数組のグループが思い思いの楽器を手にして音を奏でていた。阪神梅田駅への 階段横では、3人組がタンバリンを手にして「ドナドナ」を歌っている。 こちらではペルー人2人組みが「コンドルは飛んでいく」を演奏中で、 向うの角にいるゆずもどき(19もどき?)は、影が薄い。
まだ時間があるので暫く演奏を聞いた後、大阪駅への階段を上ろうとしたら、 阪神百貨店の横で別の南米人3人組が歌っていた。地上に出るといつもは賑やかな JRと阪急梅田の間の歩道橋は静まり返っており、地下道が賑やかだった理由が判る。

22:21 9番線から新快速が発車する傍らで、10番線には寝台急行銀河が東京への出発を待っている。
22:22 10番線の出発信号機が青に変ると、 各号車の扉知らせ灯が消えた。それを確認した機関士は席に着くと、無線交信 の後でブレーキを緩める。EF65 1115は50cm程後退した後で、ようやく前へと動き出した。 なんでそこまで判るのかと言うと機関車の傍で見ていたからで、 マニア丸出しと言われても仕方が無い。
8両の寝台車と電源車が1両、目の前を通り過ぎていくが、車内の人影は疎らで 先が思いやられる。

22:36 駅構内のコンビニで立ち読みをして時間を潰した後は、普通電車に乗り新大阪へ。
新大阪駅11番線には、紀伊田辺行きの乗車位置に数人ずつの列が出来ていた。 ここからが今日のメインで、待つ間もなく快速紀伊田辺行きの入線となった。 この列車に乗るのは一昨年の9月30日以来で、あの時は新宮延長運転の最終日だった。 今回乗りに来たのは、たまたま(ウソつけ)学校帰りだったこともあるが、 3月で日根野電車区の165系も引退が噂されているためである。 まったく、こんな状況にならないと乗りに来ないのも問題だが、それでも3月まで はまだ時間があるので、他にらしい人は見当たらなかった。
駅の放送は「きのくに快速 紀伊田辺行き」と放送を繰り返すが、紀州路快速ならぬ、きのくに快速などという愛称があったとは、 少しも知らなかった。たしか前回はなかったはずだ。

22:46 発車。淀川を渡っり梅田貨物駅をかすめた後は、 西九条に停車。窓からホームを観察していると、 普段どおりの乗車位置に並んでいた人が、いきなりの2扉車輌 出現で目の前に扉が来ず、慌てる様子がおもしろい。

西九条から乗って来た サラリーマン風の二人づれの会話
A「これ(この列車)新宮行きやで」
B「あ、そうなんですか」
A「寝てしもうたら、新宮まで行ってまうんや」

今はもう新宮までは行かないけれど、1日に1本くらいは、寝過ごしたら とんでもない所まで連れて行かれる列車があっても良いように思うのですが、 いかがなものでしょうか。

いつもの通りに天王寺で通路まで立ち客が出て、駅の放送は「奥に詰めて下さい」と 繰り返す。金曜日などは積み残しもでていたような記憶があるが、165系が引退したら 221系にでも替わるのだろうか。そうなれば3扉で乗り降りがしやすくなり、 天王寺の発車が遅れることもなくなるだろう。
天王寺を出て、ようやく快速らしい走りになった。かつての103系や113系の 快速と比べて、高速になっても余裕があるモーター音、空気バネで滑るような乗り心地。 かつての優等列車用、さすがは急行型165系という走りだった。

紀伊田辺まで乗る勇気もお金も無く、前回のと同じく三国ヶ丘で下車をした。 狭苦しい三国ヶ丘のホームには、165系はあまり似合わない。


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