このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
車を買ってはや2ヶ月。途中で出張だとか色々とあってなかなか遠出が出来なかったが、 2月25日土曜日朝、ついに早起きに成功。車で少々遠出をすることができた。
午前2時。目覚ましが鳴る。前夜にふと思いついて、起きられたら紀勢本線の大内山あたり まで出かけてDD51を撮ってこようとセットしておいたのだ。
が、アラームの音に目はあけたものの、昨晩、寝たのが23時頃で4時間くらいしか睡眠時間 がとれていない。遠出するんだからある程度は寝ておかないと厳しいなぁ・・・
たちまち二度寝に突入して第1案はお蔵入りとなる。午前6時、改めて起床。
今度は本当に起きて、身支度を調えて7時前に出発。 本来の目的である中在家へ向かう。
現地到着時間の関係上、やむを得ず吹田から近畿道〜西名阪と有料道路を経由して 名阪国道へ。出入の難易度A?の高峰SAを初体験。休憩して持参のパンで朝食。ちなみに 高峰SAは天理方向行きは未体験である。こちらは坂の下りでもあり難易度はA+を誇るが、 現在、加速減速車線が工事中であり普通のSAに成り下がる日も近い。南在家ICで名阪国道を降りて、関西本線随一の撮影地、中在家の築堤へ向かう。 D51華やかりし昭和40年代前半は、SLブームも相まって賑わったというが(当時は中在家信号所で 列車を降りて、撮影場所まで歩いていたという)、国鉄型も走らない現在では昔の光 今何処と いうところだろう。でも急行「かすが」の廃止間近で少しは人がいるかな? などと考えていた。
ところがいざ現地に着いてみると、 築堤下の道路には、車、車、車、そこいら中に三脚を担いだ連中がウロウロしているではないか。 キハ58ならばともかく、キハ75の「かすが」にここまで人が集まるものなのだろうか。
少し疑いながら、路肩に車を止めて辺りを伺うと、なぜか皆さん帰り支度をしている。 「かすが」の通過まではまだ1時間くらいある。不思議に思いつつ、築堤から降りてきた一人に 尋ねてみた。Q.「何か通ったんですか?」
A.「俺も知らんかったけど、マヤ検だったらしいよ」
はぁそうですか。「ダイヤ情報」とかチェックしている訳ではないのでまったく知らなかった。 それなら、もっと早く出てくればよかったか?でも、中途半端な時間に来ても 場所が取れんかったやろうなぁ。
マヤ検目当てで来ていた人の半数くらい?は、「かすが」を待たずに帰っていった。 所詮キハ75なのだろう。おかげでアウトカーブのお立ち台を確保できた。残った人は十数人だが 大半はカーブの内側に陣取っている。 後ろの方で年配の人が、蒸機時代の思い出を交えながら 「ここのメインはカーブの外側なのになぁ。なんでみんな内側にいるんだろう」と話している。 確かに。私もそう思う。ただ、外側からだと、短編成の見栄えはあまり良くないかもしれない。
と、亀山方向から線路脇の空き地(ひょっとして複線用地だったんだろうか?)を軽自動車 が走ってくる。「JR西保線の人」の登場だった。線路脇に陣取っていた数名に「線路に近づくな」と、 言葉上は丁寧に注意を与えて去っていった。
肝心の「かすが」も、徐行してやたらに警笛を鳴らしながら通過。運転手が線路際の 撮影者に、なにやら手振りで悪態をついているのが見える。車内は、お別れ乗車なのか立ち客 が出ているようだった。毎日これくらい乗ってれば廃止もないのに。
そのうちキハ58×4くらいでリバイバル急行「かすが」でもしてくれないだろうか? そんときゃ、中在家ではとても撮れたもんじゃないだろうが。今日は草津線で113でも撮ってから帰ろう。その前に次ぎの普通列車も撮っておく。 10分少々の待ち時間なのに、「かすが」まで残っていた人もほとんど帰ってしまった。 キハ120はもっと人気無いのね(^^i
そのうち、あと20年もすればキハ120だって追っかけの対象になるだろうに・・・。
やってきた加茂行きは単行で舞台の割には冴えない風景だったが。
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