このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
江戸の昔より浅草は 観音様のご縁日参りと歓楽地として奥山・吉原・六区・花やしき等、庶民のお楽しみどころとして 人々に親まれ 幾多の歴史を刻んで来た。 前回の羽子板市に続いて、 其の一端を紹介したい。 浅草寺周辺 今回(その1)は金龍山浅草寺の寺院と境内、次回(その2)は浅草寺周辺の町々です。 金龍山浅草寺は都内最古の寺院であり 創建は7世紀初頭とされる。戦後 観世音宗に独立した。 雷門から浅草寺へ 正面の雷門は浅草寺の総門で風神と雷神を祀る事から正式には風雷神門と言う。裏には龍神像(金龍・天龍)が祀られ、これら四神は浅草寺の護法善神とされている。 寺を守るのが神様とは 日本人流神仏習合である。この門はS35年松下幸之助の寄進で再建されるまで、明治・大正と95年間 門は無く地名のみ雷門であった。
雷門 金龍と天竜 仲見世通りは観光地として 年中混雑しているが 日本人は3割程度?で 会話を聞いて始めて外人である事を知るケースが多い。 今年の初詣は230万人を超し全国6番の参拝者で埋め尽くされた。
仲見世通り 途中 左手に伝法院(浅草寺の院号で住職の居住する本坊)がある。小堀遠州作と称される回遊庭園や14世紀の梵鐘・茶室等もある由だが非公開。 伝法院の説明 本堂の前には威風堂々とした宝蔵門(元山門)がある。 2階が浅草寺の宝物収蔵庫故宝蔵門と称する。現在の門はS39年大谷米太郎の寄進による 鉄筋造り。 宝蔵門 高さ23.7m.間口21m.奥行き8m。金剛力士像は阿形が 仏師錦戸氏、吽形が 木彫家村岡氏の作。夫々高さ約5.5m 重さ約1tある。
浅草寺の本堂・宝蔵門・五重塔は家光により再建され木造建築として貴重な存在であったが、惜しくも昭和20年3月10日の大空襲で焼失した。今は鉄筋コンクリート造りで 合金瓦が使用されている。 薬師堂・六地蔵石幢・一言不動尊、阿弥陀如来像・二尊仏・久米平内堂、平和地蔵尊、弁天堂、鐘楼、迷子知らせ石標、鳩ポッポの歌碑、映画弁士塚、喜劇人碑、芭蕉句碑、瓜生岩子像、九代目市川団十郎像 等々記載すれば限りが無いほどである。
二尊仏
迷子知らせの碑 ハトポッポの歌碑
映画弁士の碑 喜劇人の碑(喜劇の始まり、喜劇に終る 森繁) |
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