このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
歩く会の思い出 水戸一高時代のさまざまな行事で、全員参加といえば、この「歩く会」である。 もっともらしく、明治24年、菊池校長の発案で行われた「偉人行列」がルーツと言う人もいるが、もっとさかのぼれば、「天狗」「諸生」 の時代、小石川の藩邸に強訴した「南上」までさかのぼるかも。 明治の偉人行列 いや、もっと遡れば、「水戸黄門漫遊記」?? 教育と鍛錬と言う意味からいえば、徳川斉昭が「水戸八景」を定め、若い藩士を歩かせたこともある。 ともかく、水戸の人は歩くのが好きなのだ。 実際の始まりは、昭和13年に「健歩会」というのがあり。昭和16年運動会に代わる行事として始め昭和19年まで行われた「鍛錬行軍」がルートもほぼ同じでこれがルーツだろう。 今の「歩く会」は、昭和24年、建学70周年記念で始められた。 昭和30年頃の水戸一高 その後、勿来、矢祭、小山を起点とするコースは、昭和41年、車が増えたため新ルートとなった。 そして、平成20年が60回となる。平成21年の母校の歩く会は、新型インフルエンザで途中までとなった。
こうして考えてみると、我々が歩いたのは戦後再開されてまだ4〜5年であったのである。
結果、一回しか完歩していないのは残念である。
3組の小山での記念写真 我々の同期の集まりは極めてよい方だろう。同期会を定期的にやっている以外に、仲間で集まって色々なことをやっているからかもしれない。 畑を作る、高校野球応援をする、毎月有志が集まって呑む、ゴルフをするなど色々あるが、還暦の頃から、同期の枝兄が主催し歩く会も始めた。これは母校のやる日にあわせて昔の山祭コースを歩くというものである。 途中、山方町に、酒造家の同期が居て、そこに立ち寄って景気をつけて歩き、大宮で素泊まりして母校まで歩くというものである。 名古屋から帰って、これにも参加しようとしたが、歩くのに自信がない。まずは、近場を歩いてみようと、15−20kmくらいのコースを作って歩いてみた。 これらは、ホームページに記載してあります。 この頃、水戸一高出身の女流作家、恩田睦の歩く会をテーマとした小説が「夜のピクニック」として映画化され、歩く会もすこしは有名になった。(残念ながら、同じ年の「フラガール」には及ばなかったがーー) フラガールとわれらが歩く会 そして、いよいよ本番の参加しようと言うことにした。 前の日は、東京で社友会の総会があり、参加することにして出かける。すると帰りは強風で大雨。礼によって常磐線が動かない。 仕方がないので東北線で小山まで行き、水戸線で帰ることにしたが、こちらも途中でストップ。娘を呼び出し、稲田駅から車で帰ってきた。 さて、翌日、駅に行くとまだ常磐線は遅れている。結局、この年は参加できず。 次の年、好天に恵まれ、今回は参加することが出来た。 しかし、全部歩くだけの自信は無く、東京から来た、M君、Y君と打ち合わせ、袋田まで歩くことにした。 水戸駅の水郡線 水郡線SL(ただしイベント) 今のジーゼル 矢祭山の駅までの水郡線の沿線は、温暖化のせいか、途中の稲田は二番穂が勢い良く、夏のようである。
途中の風景(10月とは思えない) 矢祭山駅に到着 出発 矢祭山から、できるだけ旧道を歩くということで皆で歩く。しかし、久慈川の渓流は深いので、旧道が新しい国道になっている所が多く、昔の面影は少ない。
旧道の道祖神 水郡線沿線(ようやくススキで秋らしい) 常陸大子まで来て、道の駅で昼食をとり、ここから袋田に向かう。 袋田の沈下橋などは昔の風情。袋田駅に着き、ここから帰る連中を送って、列車に合わせて発車するバスで袋田温泉に向かう。
袋田の沈下橋 袋田駅 時間の都合で、入口の袋田温泉ホテル「思い出浪漫館」の湯に、Y君、M君と入る。 再び袋田駅からJRで水戸につき、恒例の満月城での同期の懇親会に出席。すこし早かったが待つほどに皆が集まった。 ここで、8時ごろまで楽しく過ごし、東京と日立に別れた。 翌年は都合が悪く参加できず。その翌年には、Y君はすでになく、M君も歩く自信がないという。小生も病気も絡んで自信なし。 常陸大子まで、朝、車で行き、矢祭山—常陸大子間を歩いて、車で帰る案も検討したが、二人とも自信なく、結局、やめにした。 これで、自分の歩く会も終わりとなった。2009年のことである。 |
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