このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
梅まだ早き偕楽園を歩く
今日は、毎月恒例の水戸一高31会の水戸での懇親会である。この会は、ずいぶん以前から毎月第一土曜日に有志が駅前の満月城という飲み屋に集まって酒を酌み交わし、時々に色々な話しをする。メンバーは常連の数人を除いては時々に代わり、話題も変わる。時間も大体、6時前後に集まる。
天気が良いので、朝方、ふと、偕楽園に久しぶりに行ってみようと思い立った。冬場、比較的長く歩くのは、1月の谷中七福神以来である。水戸駅を降りると丁度、偕楽園行きのバスがありこれに乗った。偕楽園の東口近くで降り、偕楽園に向かう。
ここで、まずは偕楽園のPR。
偕楽園は、水戸藩9代藩主、徳川斉昭が学問所の弘道館と同じ時期(天保12年=1841年)に創建したもの。おりしも今年は水戸藩開藩400年。
今日では、金沢兼六園、岡山後楽園と共に日本3庭園と言われている。面積12.9ha(これは、都市の中の公園としてはセントラルパークに次ぐ広さだとか(水戸観光協会パンフレット)。この半分ほどの中に、約3000本、100種に及ぶ梅がある。現在の公園は周辺も整備されているが、千波湖との間をJPが通っているのが最大の欠点で、千波湖側への歩いての連絡も悪い。
歩いたルート(MAPは観光協会パンフレットより)
梅はまだ、2分咲きというか、まだらである。しかし、早いものはもう満開に近く、何よりも梅祭りが20日からなので、土曜日とは言え、人出が少ないのが良い。東門から入って、好文亭方向に歩く。
東門より 開花はまだまだら模様
好文亭側の梅はまだまだ
早咲きの梅(1) 早咲きの梅(2)
庭園をしばし歩き、櫟門から皆に側の斜面を下っていくと、正岡子規の句碑がある。この句碑は元は、常磐神社内にあったものを1961年にこの南崖に移したものとかで、場所としてはここがふさわしいだろう。
櫟門から南崖を下る 子規の句碑
ここからしばらく崖の横をJRに沿って緩やかに下っていくと、吐玉泉である。この南崖など、千波湖側の崖は、身と市街の台地に幾つもの切り込みがあり、ここから清水が湧いている。水戸駅よりの大工町方面からの崖の所でも昔は金魚の養殖などもやっていた。
吐玉泉への道(電車が来た) 吐玉泉
この一帯は、杉林で太郎杉などという巨木もあるが、皆、花粉を飛ばす準備中!! 早々に退散する。
少し戻ると東屋がありこの先の道を行くと梅桜橋というJRの跨線橋が有りここに行って見たがさほどの景色でもなく、引き返して、偕楽園の立柱があり、ここの梅は満開であった。
更に崖下を進むと、茨城百景の碑、そして、常盤神社の向こうなどに防空壕の跡などあり、これもそうかと思っていたが、ここにあるのは、光圀の時代から神崎石と言う石材を切り出した150mもある坑道だと言う事を初めて知った。
茨城百景の碑 神崎石採掘の坑道跡
この先から常盤神社に出て戻ってこようと思ったが、出口には鍵がかかっているので引き返し、水戸八景「仙湖暮雪」の碑のある坂を上る。
この坂から見た千波湖は中々良い。
仙湖暮雪の碑(難しい字なのだ)
白梅と千波湖
紅梅と千波湖
そして、東門に戻り、常盤神社を参拝。ここは、色々と由来もあるようだが、要するに光圀、斉昭を祭った水戸徳川家の神社であり、その横には、藤田東湖を祭った東湖神社がある。
今日も右翼がやってきて、盛んに軍歌を流していた。いい加減にしてもらいたいものである。
神社周辺は、梅祭りの屋台の準備で取り混んでいる。
常盤神社 東湖神社
ここから水戸駅方面に歩く。湖畔に出ようとしたが、JRの跨線橋が車優先でうまく繋がらない。面倒なので坂を上って水戸駅まで歩いた。
まだ、時間もあり、コーヒーなど飲んで、新しく出来たヤマダ電機。それでも時間があるので、駅ビルの本屋で、直江兼継の本など一冊読んで、満月城へ。
今日は、少し少なく8名。3時間ほど愉快に過ごす。
追記
水戸藩開藩400年と、水戸市制120年を記念して、色々な行事を行うと言う記事が2/11付けの朝日新聞に出ていました。
水戸藩は、佐竹氏の最後の版図よりも、かなり小さく、佐竹と水戸徳川家の間に、武田家を再興しようとした家康が、信吉と言う自分の子供にこの地を授けたのですが、夭逝してしまった為、水戸徳川藩となったものです。
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