このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

陸前浜街道(その1)

 

浜街道の由来と県北の街道を歩く

 陸前浜街道と言うのは、江戸時代、「日本橋から水戸」までを水戸街道、「水戸から仙台手前の岩沼」までを岩城(磐城)街道であったものを、総称して国道のNO制度ができる1885年までの13年間に使われた名称です。道筋は基本的には今の国道6号です。

しかし、各所にそれにちなんだ名称もあり、特に、いわきあたりを中心に観光の象徴としても今日でも使われています。

 

 関東の街道筋

 茨城県の県北で言うと、「水戸—日立」「日立—十王」「十王—南中郷」「南中郷—大津港」 までが、それぞれ、大体同じ位の距離であり、その内、古い面影の残っている十王—大津港を2回に分けて歩いてみました。

その1は、「南中郷—十王」間についての記録です。

 

「南中郷」−「十王」(日立市北端から北茨城市南端)

 十王町は、平成16年11月に日立と合併しました。以前、十王駅川尻駅と言っていました。ここからいわき市にいたる太平洋沿岸地域は、阿武隈山系が海岸近くまで張り出していて、昭和30年代までは常磐炭田地帯として、多くの炭坑があったところです。

 映画で話題となった「フラガール」は、福島県の常磐ハワイアンセンター(今は、スパリゾートハワイアン)の建設当時の話です。

南中郷駅に下りると、駅の横は広く、昔は側線があって石炭の積み出しも行われていたのでしょうが、今はがらんとしています。

    

南中郷駅前                                道端の馬頭観音

 

 駅前はすぐに国道6号線(陸前浜街道)でこれを渡って、すぐに海岸側に行く道があり、こちらが旧道のようです。道のほとりには、馬頭観音の小さな碑があり、花が備えられていました。茨城では道祖神として、馬頭観音や馬力神が多く見られます。

 海岸線に出る途中にはシクラメンの温室などがあり海岸に出ると、荒涼とした砂浜と護岸が続いています。

ここは、白魚の漁場とかで、サーフィンが禁止され、何隻かの漁船が漁をしていました。

     

シクラメンの温室                              荒涼たる浜辺                              

ここを過ぎると、高萩市に入り、永谷園などの工場のある工業団地を通ると、海浜休養地なる看板があり、その道を行ってみると崖の上で、高萩市の花である「萩」が咲いていました。この辺りは、海岸の岡と田圃が入り組んでいます。

     

海浜休養地                                 萩の花

山間の田圃

万葉坂」という坂を下ると高戸という集落に出ます。この辺は、岩城街道の街道筋であったらしく、昔の風情が残っていました。高萩市の観光案内によると、この辺の海岸をささき浜と言い、万葉集に「遠妻し 高にありせば 知らずとも 手綱の浜の 尋ね来なまし」と読まれた「手綱の浜」はこの辺だと言うことから「万葉の道」と言う遊歩道を作ったとか。

坂を下ったところで、黒米などを作っていました。

    

万葉坂の標                                    黒米

部落の中を関根川という川が流れており、釣りをしている人たちがいて、聞けば秋には、鮭や鮎も遡上すると言っていました。見ると結構、魚も泳いでいます。

    

関根川                               釣り人

目的地の「鵜の岬」までの10数kmにこのような川が3本あり、江戸時代以前の交通は結構大変であったろう思いました。これから南北にある川は結構な数になります。

五街道のように、渡しなどが整備されていたり、川沿いに道があるのとは違って通行も大変だったのではないでしょうか。参勤交代でこちらを通らなかったのは、伊達、水戸といった大藩と、周辺の藩の関係もあったでしょうが、交通も大変だったのではないかと思います。

 川を渡ると高萩市の海岸に出ます。

 

関根川の河口から高萩へ

ここは、住宅地が海岸に接しており、海水浴場にもなっていますが、行った時は秋で、湘南NO,栃木NOなどのワゴン車があり、サーフィンをやっていました。 海岸沿いには、炭坑や製紙などの従業員向けに作ったと思われる4階建てのアパートが無人で放置されているわびしい景色もありました。

高萩市は、炭坑の閉鎖の後、JRの操車場も無くなり、製紙会社も操業をやめてしまい、新しく作った工業団地などに活路を求めています。

 

高萩市付近の海岸                 

 ここを過ぎて、しばらく国道を行き、再び海岸に出ると、鵜の岬手前の伊師浜海岸です。ここも護岸と防風林の松が延々と続いています。この辺りの国道の近くには陸前浜街道の伊師浜宿がありました。あと、数100mで鵜の岬です。

 

伊師浜(向こうが鵜の岬)

写真の海岸(もう少し先)は海水浴場となっており、その先は伊師浜国民休養地になっており、ここが、全国一空室率の少ない「国民宿舎鵜の岬」です。

 この先に、長良川の鵜飼いに使う「海鵜」の捕獲場所があることでも有名です。

 

 国民宿舎鵜の岬(国民宿舎のHPより)

 右側のめがね型の建物が「鵜来来(うらら)の湯」と言う温泉施設で、まずは十数km歩いた足を温泉でほぐすことにしました。ここの露天風呂から見た海岸の景色は、天気がよければまことに素晴しい。

       

 鵜の岬辺りの海岸                      うららの湯からこの方向が今まで歩いてきた海岸です。)

ゆっくりと温泉に入り、ビールなど飲んで遅めの昼飯を食い、十王駅に向かいました。

途中、工業団地を抜けて近道だろうと適当に歩いたら道を間違え、かえって子供の頃の田舎と同じ様な所を通ることになったのも、車でドライブとは違う面白さでした。

 

懐かしき田園風景

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