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泉神社御出社大祭




5月3日は、泉が森の泉神社で5年ごとに行われる御出社大祭である。



 泉神社は、延喜式にもある古い神社で、昭和58年に拝殿、本 殿他を改修したときの碑文に次のように書かれている。
















泉神社拝殿造営記念碑

 泉神社は 延喜式内常陸国二十八座中の一座 久慈郡七座中の一座で 崇神天皇の御代この地に鎮祭祀されたと伝えられる由緒深い旧郷社である 社記には 古老曰く社の側に神井あり いま泉河と伝ふ 古霊玉此地に天降り 霊水湧騰して泉をなす 号けて泉川と伝ひ 霊玉を以て神体とす とあり 祭神はこの霊玉の神格化した天速玉姫命と伝えられ 延喜式神名帳には当神社を天速玉姫神社と記している 三代実録の貞観十六年の条には祭神天速玉神が従五位下から従五位上に神階を進められた旨の記録がある
 さらに享禄三年には佐竹義篤が神殿を造営し 社号を泉大明神と改め 続いて永禄三年には佐竹義昭の社殿屋根葺替 江戸時代には徳川光圀の修理 奉財が行われた
 上古以来代々の氏子らもまた当神社を村の鎮守と仰ぎ 一族繁栄 五穀豊穣等を祈願し 崇敬奉斎の誠を尽くしてきたのであった しかるに昭和三十五年 当社は不慮の火災に遭い 本殿を除く拝殿等は悉く灰燼に帰してしまった 以来仮拝殿のまま修理を重ねて二十余年を経たが 近年その老朽ことに甚だしく 氏子住民らの拝殿造営の願いは切なるものであった
 かくして昭和五十五年 氏子壮大らが中心となり 拝殿造営等についての協議を重ね 氏子ら一同の協賛を得 さらに建設委員 協力委員らによる東奔西走の労及び氏子崇敬者各位の浄財と甚大なる協力並びに関係各位の熱意によって 昭和五十六年六月五日 拝殿 神輿 神輿舎等の造営及び玉垣改修等の付帯工事を起工し 同五十八年五月三日竣工 落慶の奉祝祭を挙行したのである
 いまや千古の浄泉のほとり 神殿の荘厳は旧に倍し 神域の雅趣さらに幽邃を加えるに至った ここに改めて永世の御加護を祈念しつつ当神社の由来を略記し 今次事業の経緯の概要を併記して 泉神社神殿造営記念の碑文とするものである。

 

 朝、5時の花火で起こされ、8時前に神社に行き、まずは泉の弁財天に参拝、拝殿前では神輿が準備され、出発の準備が
済んでいて、これから出社である。

  

参拝して、宮司に挨拶、鳥居のところで出社を待つ。

佐藤宮司

ここの行列も、他と大体同じで、警護が榊で道を清めながら進み、触れ太鼓がそれに続き、猿田彦命、稚児やささらの行列、
真榊と賽銭箱、神旗、鉾、神輿、神官、祭りの関係者と続く。



  まずは道を清め太鼓で先触れ

















                          猿田彦命の先導




   稚児やささら















                           真榊、賽銭箱





    持旗














                            神輿のお出まし






 最後に神官や総代がーー















      245号線の十文字から水城海岸へと向かう。



海岸では、少し離れたところに休み、10時20分頃から、海岸の道を南下して祭場に入る。

        

 宮司に聞いた所、神輿は300kg以上あり、40人ほどで担ぐという。

 神輿を担いできて安置した後、担ぎ手は暑かったのでしょう、次の神事もそっちのけで早速ビール。
見たところ、これだけの若い人は、連休で急遽、集められたのも多かったのでしょう。連休中の祭りもいいものです。

  

神官
の祝詞も音吐朗々、地域の安寧を願う

  

神事が進み、伝統のささらの舞を奉納し、ここでの神事は終わる。

次は、すこし上った高台の田楽鼻、大甕駅前通で後、2回やるのだという。

ここまで見て、帰ってきたが、終わったころ神社に行った次男坊たちによると、気温が高かったため、皆、疲れたのでしょう、
一番盛装で高下駄を履いた猿田彦も、後ろのほうをふらふらで帰ってきたとか。
  

(常陸国住人後記)

 祭りの後、佐藤宮司に色々と教えてもらったことを後記します。今まで見た、このあたりの祭りの行列は、規模の大小はあっても似たようなものです。詳しいご説明、有難うございました。 

#01.警固: 素襖(すおう)の装束を着けて、頭には舟形侍烏帽子を被ります。

         手には本来は『鉄杖』を持ちますが、今回はお祓い用の『大麻』を持ちました。

#02.太鼓: 持ち手は、松葉色の『雑色』を付けて、頭には平礼烏帽子を被ります。

#03.総代: 御輿の前後に分かれて、お神輿の警固の役割を務めています。

     紋付き羽織袴で、頭には奉行型の陣笠を被ります。手には竹杖を持っています。

#04.猿田彦命: 天孫降臨の際に先導を務めた故事にならって、御輿の先導を務めます。

     萌黄地青海波模様の差袴に葡萄立涌模様の狩衣を着装して足駄を履きます。

       白熊の毛頭と鳥兜を頭に被り、天狗面を付けます。天狗面は視界が制約され歩行が難しくなります。

     更に太刀を差し、手には比礼旗を付けた手鉾を持ちます。

     子供達には大人気ですが、一番重労働で大変な役目です。

#05.神職: 総代同様に、御輿の前後に分かれて、お神輿の警固の役割を務めています。

     『浄衣』の装束で白色差袴・狩衣を着装し、お祓い用の『大麻』を持ちました。

#06.社名旗: 持ち手は太鼓の同様の装束です。

#07.散々楽: 露払いの役割を担うと共に、水木の里の五穀豊穣、浜の大漁満足を、そして氏子の繁栄を祈願して獅子舞を              奉納します。

 

水木の散々楽は昭和45年に茨城県無形民俗文化財に指定されています。

大獅子、中獅子、雌獅子、射子舞(しゃごま)、和服で着飾った金棒引きから構成されています。

#08.真榊: 10年前に植樹した真榊を切り取り、御幣束を付けました。お参りされる方が少しずつ枝を持ち帰られました。

宮入した時にはほとんど葉っぱは付いていませんでした。持ち手は太鼓の同様の装束です。

#09.賽銭箱: 持ち手は太鼓の同様の装束です。

#10.持ち旗: 日像旗・月像旗です。持ち手は太鼓の同様の装束です。

#11.鉾: 鉾には四神旗(青龍・朱雀・白虎・玄武)を付けます。持ち手は太鼓の同様の装束です。

#12.御輿: 約90名の担ぎ手が交替しながら進行しました。

#13.神職: 私・宮司が務めます。装束は2級神職の正装です。(衣冠単〜イカンヒトエ)

         紫の奴袴に赤輪無唐草穀織の袍(ほう)を着装し、浅沓(あさぐつ)を履きます。頭には冠を被ります。

       ご参考までに、3級神職は、浅黄の袴と青色の袍。1級神職は紋が付いた紫の袴と黒色の袍です。

#14.総代: 後方警固の役割を担います。

#15.世話人: 同じく後方警固の役割を担います。裃姿で頭には一文字笠を被ります。

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