このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 

娘が行った屋久島、種子島(1)

 五月の連休に娘が友達と二人で、屋久島種子島に行ってきた。この友人は飛行機が苦手でどこに行くにもバスか鉄道、そして車である。

今回は、鹿児島まで夜行バスと列車を乗り継ぎ、そこからフェリーで島に渡る。飛行機よりは安上がりではあろうが、夜行バスを使っても往復の時間が長い。

途中で、時間があれば、何処かによる。こんな旅もあるということで紹介します。

 

屋久島、種子島への道

 九州の南端から、屋久島、種子島、そして、奄美大島、徳之島、沖縄本島につながる多くに島々、そこの歴史は、縄文以来であり、明治以前は薩摩藩の支配、そして太平洋戦争での米軍支配地となった部分が入り組んでいます.

屋久島種子島は、鹿児島に近く、フェリーでも比較的簡単にいくことが出来ます。

この二つの島の形は、なんとなく北海道の利尻島と礼文島に似ていますね。ただし、大きさは、数倍大きく、かなり違いますが、北と南に似たような形の島があるのは、面白いですね。

 今回のルートは、次のようなものです。

 「新宿バスセンター」——「博多」——「鹿児島」——「屋久島」——「種子島」——「鹿児島」

           高速バス   鉄道       フェリー    フェリー    フェリー 

——「博多」——「新宿バスセンター」

バス    高速バス

 

ちょっと寄り道して鹿児島へ

 新宿を21時に出発。博多駅に翌日の11時10分につき、列車で鹿児島に向かいますが、途中、佐賀で降りて、大学時代の友人を呼び出し、肥前一ノ宮與止日女神社に立ち寄った

ようです。肥前の国には、一宮が二つあり、もうひとつは千栗八幡宮です。

これらは、小生が九州をドライブした時に、参拝しています。

九州を旅して(その4)

そこから、鳥栖まで送ってもらい、列車で八代まで行き、新幹線のツバメ鹿児島に行き、そこで一泊。

  

與止日女神社                           鳥栖のサッカー場

  

九州新幹線

  屋久島の初日

 宿を5時起きで、鹿児島港に行き、7時発のフェリーで屋久島へ。宮之浦港へは10:55着で約4時間です。

   

フェリー屋久島丸(後ろは桜島)                      宮之浦港到着

屋久島は、面積や500平方キロ、人口14000人の島で、高い山々があります。ここの宮之浦岳1955mあり、九州で最も高い山だそうです。

屋久島(JR資料より)

雨が多く、さまざまな動植物に恵まれ、島のかなりの面積が世界遺産に指定されています。

ここで有名な屋久杉は、薩摩藩時代から近年まで、多くが伐採されてきました。

今、残っているものは、人が近づき難い所のものといってよいでしょう。

着いた日は、港から北上し北端の上屋久元浦港の近くで、シュノーケリングをして戻り、浦川温泉という日帰り温泉に入って、空港の近くに泊まったとのこと。

  

  

海中(小笠原ほどではない)                        近くの海岸

  

小さな温泉                             暮れ行く山

(注記)益救(やく)神社

 宮之浦港の近くには延喜式にある当時の最南端の式内社「益救(やく)神社」があったのだが行かなかったらしい。旅に行けば神社周りをしている二人には珍しい。聞いたら、なんとなく行かなかった??とのこと。

ここの主祭神は、天津日高彦火々出見命(あまつひこひこほほでみのみこと、海幸山幸神話に登場する山幸彦)。
山幸彦は海幸彦に借りた釣り針をなくしていじめられていたが、塩椎神(しおつちのかみ。潮流の神)に助けられ、海の神の宮殿に行き、そこの娘と結婚。

帰ってきて、田の作り方などやり方を変えて、海幸彦をやっつけるという神話。山幸彦隼人の祖先とか。

このような神話は、世界各地にあるようだが、かんぐって考えると、「先住の氏族間の争い、そこに海から来た民との混血でその技術を受け入れた方が勝った」ともとれる。

 鹿児島の隼人歴史資料館でもこの話がまとめられていたのを思い出す。

    九州を旅して(その8)  

 

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