このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 平成黄門の隠居所——蜜築(みつき)の里

 70翁の住むところは、日立市大甕駅から15分ほどの所、水木町です。

この地名は、常陸風土記の時代、蜜築の里と呼ばれていたそうです。近くには、延喜式にも出てくる泉神社があります。

そもそも、大甕の地名は、その昔、この地を支配した強力な悪神甕星香々背男」から名付けられた地名だといいます。これを鎮めたと言う大甕神社も歩いて20分ほどの所にあります。

 

         我が家の周辺

 家の一帯は、昔は田圃で、小川が流れ、その上流は湿地帯で池などがあり、今は無くなった日立電鉄線の土手が横切っています。

 東の丘は泉ヶ丘中学校。この斜面は松林だったのがすっかり松くい虫にやられ、我が家の周辺に数本、残るのみです。

上流一帯も宅地となり、小川も暗渠と化して、最近は、雨が降ると水が溢れ、下流のわが団地の下の方は洪水となり、バイパス工事が行われています。

 

    我が家の入り口

 水木の浜には、田楽鼻、古房地鼻という二つの小さな岬があり、その先の海中に権現磯というあわびの神が現れたという磯(海中で表に表れない)があるといいます。

このあわびの神は三兄弟(姉妹)で、一人は、真弓山、二人は、西金砂、東金砂の神になったそうです。

 今でも72年毎に金砂神社から数十キロの道を行列を作り、御神体を拝して水木の里に来て神事を行う磯出し神事(大祭礼)が行われてきました。
平成15年が第17回と言う長いものです。

大洗からこの辺までの神社には、磯出し(浜出し)に神事を行うことが多く、太古に弥生人が海からこの地に来た道を暗示しています。

 自称、平成の黄門の住所は、水木団地の一番奥にあります。

日立電鉄線が無くなって、少し寂しくなりましたが、丘中の中学生の元気のよい掛け声などが聞こえ、周りは緑に囲まれた場所です。

 近隣について、おいおい紹介していきましょう。

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