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茨城県と常陸の国
県民性などと言う事が色々な本に書かれています。茨城県の県民性と言う事も書かれていますが、これは、いささか佐竹、水戸徳川が支配した県北に偏っているような気がします。
今の茨城県は、江戸時代の石高で言えば70万石位と思いますが、水戸藩はその半分位でしょう。
それも、御三家としての権威付けのために無理して公表した石高で、宍戸藩や府中藩などの支藩を入れても、茨城の半分位ではないでしょうか。
県南や、県西には、色々は大名、旗本などの領地もあり、気風も違うと思います。
歴史的に見ても、県南は平将門などに始まる平家の支配、戦国時代には北条などの勢力下にあった部分が多く、県西は栃木などに至るまた異なった歴史を持っています。
茨城県の地勢と江戸時代の代表的な各藩の所在地を書いてみました。
山が多い県北と湖や川の県南、台地の県西とそれぞれに地形が異なっています。
常陸の国とはどこまでを言うのか、色々な所を回ってみると、それぞれに少し違った感じを受ける所があるのは、このような地形と歴史的な違いもあるのでしょう。
乱世(戦国時代、幕末、終戦後)には県北が強く、平和な時代には県南が栄えるとも言えるのでしょうか??
茨城の地形と代表的藩の位置(宍戸と府中は水戸藩の支藩)
(後記)
専門家ではないので間違いなどあるかも知れません。特に、江戸時代を通じての変遷、幕末から明治にかけての変遷など色々なものがあります。
興味がある方は、専門家が纏めたと思われる下記のホームページから藩名と位置を調べて、Wikipediaで各藩の由来などを調べられると良いでしょう。
「幕末千夜一夜」 URL
http://onjweb.com/netbakumaz/index.shtml
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