このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

常陸大津のお船祭り

  大津港は茨城県の最北端に近く、すぐ北の平潟漁港の先は福島県です。

この地は、江戸時代、水戸藩の最北端でもありました。

少し手前のJR南中郷駅から陸前浜街道大津港駅まで歩いた時の記録を 「常陸国住人雑録」「陸前浜街道(2)」に書いていますので参考までに見てください。

 この地は、江戸時代から漁業で栄えた所で、このようなお祭りも盛大に出来たのでしょう。明治以降も、漁港として栄え、港の整備拡張が行われてきました。

 この祭りは、漁業の神として信仰されてきた佐波波地祇神社の5年に一度の祭礼です。

 

「佐波波地祇神社」(さわわちぎ)

 この神社は、大津港の近くの標高55mほどの「唐帰山(からかいさん)」にあります。御祭神は天日方奇日方命(あめひかたくしひかたもこと)を初め六神です。

延喜式の式内神社でもあり、水戸光圀が新しい神鏡を納め大宮大明神と号したといいます。当時から神輿を安置した神船を浮かべた神事があったそうです。

これが現在のお船祭りの原型で、江戸時代の早い頃から行われていたのです。

 

佐波波地祇神社

「お船祭り」の由来とスケジュール

 この祭りの特長は、実際の漁船を使って、これに神輿を載せ、神船として陸上を揺さぶりながら引き回すという勇壮なものです。もとは、海上の行事だったのが、埋め立てなどもあったので、そのまま、昔の海上のルートを引き回すようになったと言われます。

この祭りは、毎年行われたり、不定期になったりし、昭和36年から十数年途絶えていたのを、昭和49年に復活し、以後、5年に一度、5月2,3日に行うことになりました。そして、保存会も出来、国選択無形民俗文化財に指定されました。

 漁船は、実際に使用された5トンクラスの木造船でしたが、今は、漁業用はFRP船が主体で古い船も無い為、平成19年にお船祭り用の新船が作られました。

普段は、港の傍の漁業歴史資料館{よーそろー}に展示されています。

 今回は、4/27にここから出して、海上を渡御する、海上渡御が初めて行われました。

 

海上渡御の神船(エンジンなど無く重心が高く不安定らしい)

祭りのスケジュールは、次のようなものでした。

 /は、宵祭りで、船には神輿は乗っていないが、本番と同じく、「ソロバン」と言う井桁の木枠の上を揺す振りながら、町のメインストリートを囃し方などを乗せて、本祭りと同じやり方でお仮屋までもって行きます。同時に神社では、祭礼を行い、神輿に分霊します。

今回は、神輿も新調したようです。

 /は、本祭りでまず神社で式典が行われ、神輿が出発。この時の通りはメインストリートの一本山側の少し狭い通りを通ります。

そして昼前に、お仮屋に到着、しばし休み、昼から神輿を揉んで、船に積み込みます。ここがひとつの見所です。これで、神船となったわけです。

神船には、神職以下「歌子」(歌い手だが、浴衣に裃、帯刀という姿)「囃し方」など50名位が乗り込み、神船の下には「ソロバン」と言われる硬木の井桁の枠を置きながら、200m位の太綱を引いて前進させると共に、左右に数十名が取り付いて、神船左右に揺すぶりながら進行させます。

見所は、お仮屋から海に向かっての最初の曲がり角で、神船90度回す所です。

 

お船祭りのスケジュール

 

「5/3本祭りの見物」

 折角行くのですから、祭りの本部に電話で、見所なども聞いておきました。親切に色糸と教えてくれたのには感心しました。女房と行事の最初から見て、神船が港に着く所まで見ようと出かけたのですが、思わぬハプニングで時間がかかり、途中で帰ってきましたが、祭りの主な所は見ることが出来ました。

まずは神輿の出御を見て神社に参拝

 9時前に家を出て、常磐道を使わず6号で行きましたが、比較的、空いていて順調に到着しました。港の周辺は整備中で、広大な空き地が有り、臨時駐車場になっています。500円位、駐車料金を取ってもよいでしょうがーーーー

目の前は、漁業歴史資料館「よーそろー」で、この先の市場に一寸、寄って海岸通りに出ます。

ここは、一番新しい道路で、港が一望できます。次回辺りからここをお祭りに使った方がよいかも知れないなどと帰りがけに思ったものです。

  

 大津漁業歴史博物館「よーそろー」        その先の市場

 

     大津港の全貌(ここの道は広い)

 ここから、街中に入ると1.5車線程度の狭い昔ながらの道路です。神社への入り口は更に狭くなっています。(神輿は別の道を通ったのでしょう)

 

    神社への階段(ここは入り口)まだ先がある

        

神輿の御旗(玄武や鳳凰など)         新調の神輿(鳳凰の飾りが立派だが)

      

囃し方の一隊(良く光っています)             歌子の一同

神輿神官などの一同が降りてきて、入り口で神輿を揉んで、先に進む予定であったようですが、神輿が上に張った注連縄に引っかかると言うのでやめて先に進んでいきました。

なんとなくいやな予感です。

神輿が進んだ後、神社に登って参拝しました。ここから見た景色は水戸藩でも最も美しい所と昔の人は言っていたようですが、確かに港の方向は今でも開けていて、昔をしのばせます。

振り返ると、岡倉天心六角堂、天心美術館などがあり、五浦海岸などの名勝地でもあります。神社も、大きさも小生の住む水木の泉神社と同じくらいの大きさです。

ここの祭りは、江戸時代、祭りの時だけ、幾つかの家に帯刀を許したと言われています。神船の模型を寄進し、祭りを取り仕切っている家柄のひとつという鐵氏もそうなのでしょうか。

        

途中の参道の鳥居(大漁旗があちこちに)                      神社入り口

           

  
神船模型  寄進した鐵氏は祭りを取り仕切る家柄とか           同じく大漁旗

 神社を参拝し、神輿とは別の道を通り、神輿を追い越します。神輿は途中、時間を掛けて練り歩き、昼前にお仮場に着く予定です。

途中、神輿の進むのを見て先に行きます。

 

 町を進む神輿

お仮場にて神船への神輿の積み込みを見る

先に進むとお仮場です。ここに前日運んだ船が鎮座しています。古い商店などもあり、この通りは川沿いにあって、昔は、船主などが魚の加工などをしていたのかもしれません。

道の反対側は、諏訪神社で狭い階段の上に祠(と言った位の大きさ)が有ります。そこに登って、神輿を待とうと言うことにしました。

       

  古い商店                          諏訪神社の鳥居(狭く急な階段)

 

  神船(前方に神輿を積む) 

神船は両舷に竹竿を2本紐で取り付け、この紐を持って船をゆするようになっています。

舷側に置いてある四角い木の枠が「ソロバン」でこれを敷いて船を揺さぶりながら進めるのです。昔、巨石などを運ぶのに使った「修羅」の一種と考えていいのでしょうか?

諏訪神社の上から見た神輿もなかなかのものです。

        

    やってきた神輿                        お仮場を通る神輿

 さて、神輿もつき、昼に近くなったので、屋台がでている街中に行き、何か食うものはと探します。食堂など余りありませんから、皆、屋台で売っているものをその辺に坐って食っています。行く時に見ておいた、料理屋の鮨を買って駐車場の縁石に腰掛けて昼飯です。

昼からのお船祭りの為、どんどんと観光客が増えてきました。

 

  屋台が出ている通りも人でいっぱい。

10万人位来るんじゃない?!と言っていたのもあながち大げさではなさそうです。仮設トイレもありましたが、女性が大勢並んでいて、女房も苦労したようです。

 昼飯を食って、昼からの見物場所を確認し、お仮場に戻ります。

安置されている神輿の所で証拠写真。

 

         少し先におかれた神輿

 お仮場周辺も、大勢の人が集まってきました。神輿を載せるところが良く見える位置を確保して、神輿が来るのを待ちます。

いよいよ神輿が来ました。飯を食って(酒を飲んで??)若者達は張り切っています。船の周りでしばしもんだ後いよいよ、積み込みです。

しかし、積めません。頭の鳳凰の高さが高すぎるのです。組んである櫓の柱の一本が持ち上げられるようになっていて、これを持ち上げると高さが足りるはずだったのでしょうが、いかんせん、注連縄や飾りの幕などがあって、引っ掛ってしまうのです。

しばらく、ごちゃごちゃやっていましたが、鳳凰神輿から引っこ抜いて入れることにして、やっと収まりました。

         

     神船の横でもむ神輿                     船に引き上げようとすると、鳳凰が引っ掛る

       

  鳳凰を引っこ抜いた                      ようやく積み込み完了し神船となる

 

3.お船祭りの船引きの急所、コーナーの通過を見る

 結果を見て、また人ごみを掻き分け次のポイントに向かいます。神輿がここまで来るには、1時間以上かかるでしょう。少し遅れたので、2時半位になるという予想でした。

ポイントは、直角に曲がる内側の角です。ここの酒屋の窓の下に空間があり、電柱が有ってその横です。正面左手にカーブミラーが有り、ここから進んでくる状況を見ることが出来ます。

この酒屋さん、窓を開けて子供が一杯100円で甘酒とコーヒーなど売っていて,コーヒーなど買って飲みながら待ちます。

この頃になると、通りは身動きも出来ないほどの人ごみです。何でも良いから見たいと思っても、この人達の運命は「どいてください!!」です。

 

 この前にいる人達はどかされる運命

 さて、待っていても中々やってきません。2時半と言う予想も過ぎた頃、きたのは救急車です。最初、一台、これが人ごみを手前の方に出て行き、続いて2台、これも出て行き、最後には消防車まで来ましたがバックして帰って行きました。

        

    やってきた救急車(一台去ったら、二台来る)

 豪快にゆすられる神船、ワイヤーで引くと動き出すと急に動く神船、観客は、小生と同じくらいの年齢の男女が多く、何が何でも見たい、写真を撮りたいと、所かまわず脚立などを持ち込んだりしています。危険があることなど忘れて傍によっていくのですから、何か怪我でもあったかと思いましたが詳細不明でした。

帰って、ネットでみると、次のような記事です。

 

3日午後2時35分ごろ、茨城県北茨城市大津町の県道で、「常陸大津の御船祭」の船のみこしを引くワイヤが切れ、見物客らに当たった。
男性(71)が左足を骨折するなど、引き手と客の男女計10人が重軽傷を負った。
県警高萩署によると、船のみこしは長さ約15メートル、重さ約7トンで数百人が引いていた。T字路を左折する途中でワイヤが切れ、付属の滑車とともに見物客らに当たった。

 

 やっと、片付いて祭りが再開。目の前の邪魔者は全て排除されて良く見えます。

このカーブの所に滑車があり、それにワイヤーを通して直角に引こうとしているのですが見ていて、ワイヤーの太さに比べ滑車の径が小さく、ワイヤーの径に対しても滑車の幅が小さく感じました。
ワイヤーと言っても金属ではないので、引っ張られた方は細くなり、滑車の手前は目が積んで太くなっています。この辺、もう少し何とかと思ったのですが案の定です。

        

邪魔者は全ていなくなる                    いよいよ神船の舳先が見えてきた

       

揺すぶりながら方向転換                    ソロバンを置いて合図を待つ引き手

       

 方向転換が終わり引き始めた                  始めるとすぐに目の前に

       

    目の前を通り過ぎ、一旦停止                やっと回ったと笑顔でソロバンを運ぶ

      

なにやら乗り込む背広の男。(5選を目指してまだやる気?)  ここに手をかけて船をゆする

 船の回転は、引く力とゆする力の合成で回しています。目の前で回って進んでいく時の迫力はたいしたものです。

回り終わって、目の前で一旦止まりました。そして、なにやら見たことのある男が乗り込んでいます。そして、向こう側の舷側で手を振ったりしています。
某高校の後輩で5選を目指すとの噂の男。その為には県北より県南が大切なのでは===

 

通り過ぎてここでお別れ

ここで4時半過ぎとなり、予定を大幅超過してしまい、後は見ないで帰ってきました。

5年に一度と言うことで、NHKなどでも取り上げられ、高速で遠くから人もいるようで、物凄い人手でしたが、金を落とさせる工夫がいまひとつでした。

女房いわく、「公園などで海産品などの特売でもやれば良いのに」

小生が思ったこと、「神社までお参りに行ったのは何%かな」

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