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秩父三十四観音霊場歩き巡礼(2) 仏教の歴史における観音信仰の位置付けと観音霊場巡礼について 釈迦は紀元前5世紀頃、インド国ヒマラヤ山の南麓の釈迦族の王家の長男として生まれた。しかし、王の道を選ばず、29歳の時に出家し、6年間の修業の後、解脱(悟り)を得て仏教を開いた。釈迦は人の世は無常と苦の世界であり、これを解消するためには慈悲の心で沢山の戒律を守り、解脱することが必要であると説かれた。そして四諦と八正道と言う仏教思想を確立し、45年間仏教の伝道普及に努め、80歳で亡くなられた。 釈迦の死後は、弟子の比丘達(仏教専門修業者で聴聞、縁覚とも言う)が釈迦の教えを口承伝承し、口承経典として今日まで引き継がれている。それがビルマ国、タイ国などの小乗仏教と言われているもので、比丘達自身のみが解脱を目指した自利仏教である。 一方、釈迦死亡後300〜500年した頃より、口承経典で学ぶ比丘達の中から釈迦の教えを「如是我門」(かくの如く我は聞いた)として、いろいろな経典を創造し、仏教哲学を発展させてきた。具体的な経典で言えば「法華経」「般若経」「維摩経」「浄土三部経」「華厳経」などである。これらの経典に共通することは、小乗仏教ではなく、釈迦のほか如来、菩薩と言う新しい人間像(神に近い存在)を創造し、比丘以外の大衆まで救済をするという考え方であった。これらが大乗仏教と言われ、これらの経典は西域(現在のパキスタン、アフガニスタン)を通り、シルクロード経由し2世紀頃より中国に伝達され、漢訳され中国国内に普及した。これらの漢訳経典は朝鮮を経由し、6世紀以降に日本に伝来するに至った。伝来した各地域で土着宗教及び文化と融合しながら変化し、再土着して現在に至っている。 次に「観音経」について説明する。大乗仏教の有力な経典の一つに「法華経」がある。西暦50〜150年にかけて「法華経」は成立し、宇宙の真理と永遠の生命と菩薩の生き方について説かれたものである。この経典を典処とする日本の仏教宗派は、天台宗、臨済宗,曹洞宗、日蓮宗等がある。この「法華経」は二十八章より成り立っており、第二十五章に観世音菩薩普門品がある。これが「観音経」である。「法華経」はインドのサンスクリット語を原典としたが、鳩摩羅仲により西暦406年に漢訳された。第二十五章の「観音経」は2090字の漢字で表わされ、「観音経」の観世音菩薩とは、この世の人々の苦悩の声を観察し、彼らの苦悩を限りなく救済することを誓願する菩薩である。あらゆる方向に顔を向け、あらゆる場所に現れ、三十三のさまざま姿に身を応化して現れ、現世の人々に十九種の法源を行い、大慈悲心で全ての人々の全ての苦悩(7難3責)を救って下さることを2090字の漢文章で表示している。 そして「観音経」に書かれている観世音菩薩は現世の人々の苦や厄害を取り払い、救ってくれる霊験あらたかな菩薩であることから、仏教発祥の地のインドをはじめ中国では4〜6世紀に、朝鮮では4〜7世紀に盛んになり、日本でも6世紀末に伝来し、一般民衆まで沢山の観音菩薩を信仰する信者が多く現れ、観音信仰が成立するに至った。そして観音信仰が発展すると、さまざま観音像が作られるようになってきた。具体的に言うと、聖観音菩薩、千手観音菩薩、十一面観音菩薩、不空羅索観音菩薩、馬頭観音菩薩、如意輪観音菩薩,准低観音菩薩の7観音菩薩が有名である。尚、大乗仏教の重要な経典の一つである「浄土三部経」の中の観無量寿経では、観音菩薩は阿弥陀如来の脇侍として勢至菩薩とともに左右に坐している。 < 観音霊場巡礼 > 次に日本における観音菩薩の発展を見ると、聖徳太子の時代、有名な多くの寺には観音菩薩像が安置され、信仰の対象になっていた。奈良時代には朝廷を中心とした信仰であったが、平安時代に入ると貴族から一般民衆にも観音信仰が広まり、観音が三十三化身となったいろいろな観音菩薩像が安置される寺院が出来、これらの寺院を参拝することが流行し始めた。 いろいろな違った観音菩薩像の参拝は、自然に観音霊場間を巡礼して験力を磨くことに発展し、観音三十三化身にちなんだ畿内周辺の代表的な観音霊場三十三カ所を巡る「西国三十三ヶ所観音霊場巡礼」が平安時代末期(十一世紀)に確立するに至った。 また鎌倉時代(十三世紀)に入ると、鎌倉幕府を中心とした武士が観音信仰に加わり、「坂東三十三ヶ所観音霊場巡礼」が確立した。 次に江戸時代(十五世紀)に入ると、江戸の武士のほか商人も加わり、江戸に近い「秩父三十四ヶ所観音霊場巡礼」も盛んになってきた。西国、坂東、秩父の各三十三ケ所に秩父の一カ所を加え百観音霊場とし、「百観音霊場巡礼」となった。このことにより、秩父のみ三十四観音霊場となっている。 <参考> ■ 西国三十三ヶ所観音霊場巡礼 : 近畿地方三十三箇所の霊場 和歌山(1.青岸渡寺 2.金剛宝寺 3.粉河寺)大阪(4.施福寺 5.葛井寺)奈良(6.南法華寺 7.竜蓋寺 8.長谷寺 9.興福寺南円堂)京都(10.三室戸寺 11.上醍醐寺准胝堂)滋賀(12.正法寺 13.石山寺 14.園城寺)京都(15.観音寺 16.清水寺 17.六波羅蜜寺 18.頂法寺 19.行願寺 20.善峰寺 21.穴太寺)大阪(22.総持寺 23.勝尾寺)兵庫(24.中山寺 25.清水寺 26.一乗寺 27.円教寺)京都(28.成相方 29.松尾寺)滋賀(30.宝厳寺 31.長命寺 32.観音正寺)岐阜(33.華厳寺) ■ 坂東三十三ヶ所観音霊場巡礼 : 関東地方三十三箇所の霊場 神奈川(1.杉本寺 2.岩殿寺 3.安養院 4.長谷寺 5.勝福寺 6.長谷寺 7.光明寺 8.星谷寺) 埼玉(9.慈光寺 10.正法寺 11.安楽寺 12.慈恩寺)東京(13.浅草寺)神奈川(14.弘明寺)群馬(15.長谷寺 16.水沢寺)栃木(17.満願寺 18.中禅寺 19.大谷寺 20.西明寺)茨城(21.日輪寺 22.佐竹寺 23.観世音寺 24.楽法寺 25.大御堂 26.清滝寺)千葉(27.円福寺 28.竜正院 29.千葉寺 30.高蔵寺 31.笠森寺 32.清水寺 33.那古寺) ■ 秩父三十四ヶ所観音霊場巡礼 : 秩父地方三十四箇所の霊場 秩父市(1.四萬部寺 2.真福寺 3.常泉寺 4.金昌寺)秩父郡(5.語歌堂 6.ト雲寺 7.法長寺 8.西善寺 9.明智寺 10.大慈寺)秩父市(11.常楽寺 12.野坂寺 13.慈眼寺 14.今宮坊 15.少林寺 16.西光寺 17.定林寺 18.神門寺 19.龍石寺 20.岩之上堂 21.観音寺 22.童子堂 23.音楽寺 24.法泉寺)秩父市(25.久昌寺 26.円融寺 27.大淵寺 28.橋立堂)秩父郡(29.長泉院 30.法雲寺 31.観音院 32.法性寺 33.菊水寺 34.水潜寺) |
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